第22話:出発
2025/10/13 加筆修正
「おーい、これ運ぶの頼む!」
「了解」
「渡さん、これは何処に置くの?」
「これはね~」
本日はあいにくの曇り空だった。
折角の出発日だというのに、空模様のせいか、繋たちの胸はどこか重かった。
それでも、予定通り今日は島根を発たなければならない。
気分が乗らなくとも、3人は黙々と出発の準備を進めていく。
この一ヶ月間、難民キャンプへの出発に向けて、三人は新たな目標について語り合ってきた。
最終的な目標は――世界を救うこと。
だが、その途方もない未来の前に、まずは今、自分たちにできることから始めようと、三人は心をひとつにした。
第一の目標は、繋の存在を踏まえ、難民キャンプを拠点とせず、自分たち自身の新たな拠点を築くこと。
第二の目標は、ゾンビと戦ってくれる協力者を見つけること。
第三の目標は、ゾンビの発生源を突き止めること。
そして――第四の目標。
それは、繋だけが胸の内に秘めた個人的な願いであり、まだ二人には話していない。
それは、菊香とヒカルが安心して暮らせる場所を作ることだった。
ただ出会っただけだったはずなのに――
気づけば彼らを“世界の救済”という重すぎる運命に巻き込んでいた。その事実が、繋の胸に、拭いきれない後悔と罪悪感を残していた。
(・・・・・・二人のためにも、頑張らなくちゃ)
そんな想いを胸に、三人はそれぞれの覚悟と希望を抱えて、進もうとしていた。
それが、彼らの新たな旅の第一歩だった。
◇
軽トラックに、積めるだけの荷物を詰め込んでいく。
祖父の畑で採れた野菜も魔法のトランクケースと合わせて収納し、もしもの備えとして生活用品や薬品なども詰め込んでいった。
繋は最後に、居間に魔法の細工を施しておく。
(いつか、役に立ってくれると信じて)
居間の真ん中に立つと、長杖の先をトンっと畳の上を叩いた。
繋を中心に魔法陣が展開されていく。魔法陣から淡い橙色の光が光り出し、そして徐々にフェードアウトしていった。
今はまだ起動できない魔法だが、未来のどこかで使えるかもしれない。念のための準備だった。
次に、それぞれ、戦闘の準備も進める。
繋はトランクケースの中を整理し、魔法具や杖の出力調整を確認。異世界から持ち帰った花の栞が収められたファイルも念入りにチェックする。
菊香はコンパウンドボウを素早く取り出せるよう、多目的ベルトを左肩に掛け、矢筒を装着する。繋が作ったさまざまな効果を持つマジックアローも詰め込んだ。
ヒカルは繋と共に、ナックルダスター型グローブの調整を行う。class3との戦闘で破損していたため、ヒカルの最大出力にも耐えられるよう強化を施した。
準備は、着々と整っていく。そして、とうとうこの家から出る瞬間が来た。
土間に並べられた3人分の靴。
それぞれの個性が表れた靴は、いつも繋が気付いたときに横一列に揃えていた。
一足、また一足。皆が、それを履いていく。
「行くか」
ヒカルが、玄関の引き戸をガラガラと開ける。
時間は昼頃。雲の隙間から差し込む陽射しが土間を照らす。
その光景に、繋はふといつの日だったか、繋と両親が祖父の家から自分の家に帰る時を思い出した。
夏休みが終わる。
ヒカルにとっては違う感覚かもしれない。でも繋と菊香にとって、今日が「夏休みの終わり」なのだ。
菊香がヒカルに続いて外へ出る。その後ろを名残惜しむ思いで、繋も遅れて家を出た。
繋が最後に引き戸を閉め、鍵を差し込む。右に回そうとして、ほんの少しだけ手が止まった。
(・・・・・・)
繋は右に回した。
カチャリ、と鍵がかかる音が、やけに耳に残った。
「繋さん」
背後から優しく繋の名前を呼ばれた。
振り向くと、腕を組んで立つヒカルと、手を後ろで組んで待っている菊香がいた。
「家の鍵、私が持っててもいいですか?」
菊香の申し出に、繋は少し目を丸くし、そして微笑む。
「もちろん」
そう言って、そっと鍵を手渡した。
「平和になって、次此処に帰ってこられたら──花火も見たいし、またBBQもしたいな」
これは他愛もない願い。でも、菊香は未来に希望を込めて、また、3人で帰って来れた時に、菊香はやりたい事、したい事を敢えて言葉にした。
そして、もう一つ口にする。
「渡さんのご両親の供養、一緒に着いて行って良いですか?」
あの日、軽トラで案内されたとき。菊香は車中から、繋とヒカルの会話を聞いていた。
その時初めて、繋の目的を知った。そして、自分が繋の目的を邪魔してしまった事に気づいてしまった。
その日の夜、菊香は自分が繋の邪魔をしたのだと、今からでも繋と別々で行動するようにヒカルに相談をした。
だがヒカルは、ヒカルは菊香に「お前のせいじゃない」と言った。
もし、あの時菊香が繋を誘っても誘わなくとも、繋は自分の事を後回しにして困っている俺達の為に優先したと菊香に語った。
そもそも原因を辿れば、自分の怪我を負ってしまったが為に、アイツと出会ってしまったのかもしれないとヒカルは菊香が背負いこまないように笑いながら言ってくれた。
だからせめて、と菊香は繋にお願いした。たとえそれが「他人の領域」に踏み込むことだとわかっていても。
でも、菊香にとってはヒカルも繋も既に他人以上の存在なのだ。
だから、と菊香は繋にお願いをした。
繋はその言葉に、思わず息を詰める。
「・・・・・・そこまでしなくても良いんだよと、2人が気を使ってくれなくても良いんだと、それより、自分の事より2人の事を優先しよう」と、そう言いかけて、繋は言うのを止めた。
代わりに口から出たのは別の内容だった。
「2人のご家族は?」
──それは、自分の話を逸らすための問いだった。
そう、繋は自分の事なんかの為に2人を煩わせたくなくて繋は咄嗟に話を逸らした。
「あー・・・・・・私は、両親がゾンビになった後それどころじゃなかったから・・・・・・」
「俺はそもそも孤児だったから関係ないな」
返ってきた2人の内容を聞いて、繋はしまったと自分を咎めた。
自分の事から話題を逸らすために代わりに投げかけた言葉は、逆に2人のデリケートな所を引き出してしまった。
「ごめん・・・・・・」
繋は直ぐに2人に謝罪する。しかし、暗い感情が頭の中でぐるぐると巡る。
昨日、ヒカルに自分の事を話さなければよかったと。2人に気を使わせてしまったと。
繋は徐々に顔を曇らせ、顔を伏せかけたとき、頭に手刀が振り下ろされ、鈍い音が鳴った。
「いだッ!」
顔を見上げればそこには、ヒカルが居た。
「なーに、暗い顔をしてやがる」
ヒカルはぎこちない空気を変えようと、わざと明るい声を出す。
「俺は兎も角、お前と菊香。2人の親の為に供養を一緒にすればいいじゃねえか」
それなら、お前も俺達の為に動く理由になるし、菊香の願いも叶えられる──悪くない案だろ?と、ヒカルは口角を上げてニッと不敵に笑った。
あ、と声にならない声が口から漏れ、繋は目が点になる。
思いがけないヒカルの提案に繋は気持ちが楽になる。
ヒカルは、繋が「他人のため」になら動ける性格だと知っていて、そう提案してくれた。
ここまで共に居たのだ。ほぼもう他人ではない。繋の本来の目的に自分達がついて行っても少しは許されても良いだろう。
(・・・・・・それに、こいつの場合は誰かに甘えれるようにしたほうがいい)
ヒカルはずっと繋を気に掛けていた。特に中身の問題、精神的な面だ。
確かに言葉や行動を見るに、本人の言葉を信じてないわけではないが30代というのは間違いなのだろう。だが、たまに、迷子の子供みたいな顔になる事がある。
ヒカルのその感覚は当たっていた。繋は子供である前に大人になってしまった子なのだ。
ヒカルには兄弟はいない、勿論両親なんてものも居ない。でも、繋に対し不思議な感覚を覚えている。
(・・・・・・まったく、手のかかる弟みたいで放っておけねえよ)
ヒカルは自分がお節介焼きだと分かっていながらも、繋のことを気に掛けていた。彼にとって、繋はただの仲間以上の存在になりつつあったのだ。そんな思いを胸に抱きつつ、しばらく空を見上げていた。
◇
それからしばらくの静寂の後、繋はヒカルの提案に心の中で感謝する。
それに、彼の提案に繋は同意する。確かにそれなら良いかもしれない。
それなら、2人に一方的に迷惑がかからない。
「ヒカルさん・・・・・・ありがとう」
「おじさん、ありがとうね!」
繋はヒカルの心遣いに感謝の言葉を伝える。菊香もどうしようかと思っていたところにヒカルからの提案にお礼を言った。
2人からの感謝の言葉にヒカルは豪快に笑う。
「ワハハ!! いいってことよ」
新たな目的もできた。なら、3人でこの家にまた帰ってこなきゃならねぇな──と、ヒカルは繋の肩をポンと叩いた。
繋はそんなヒカルに、困ったような嬉しいような複雑な表情をした。
「よし! 切り替えるぞ!」
拳を握って親指を立て、ヒカルは車を指差す。「菊香、行くぞ!」と菊香に言葉をかけた。
「うん!」
菊香はヒカルに応え、そして繋のそばに近寄った。
「菊香ちゃん?」
「渡さん、ごめんなさい。勝手な事を言って」
「ううん・・・・・・そんな事ない。嬉しかったよ、本当に」
繋は首を横に振って応える。
本当の気持ちだ。ただ、自分のために2人を煩わせたくなかっただけ。それでも、彼らの優しさが心に深く沁み渡り、自分が思っている以上に大切に思われていることを感じる。
繋の胸中には複雑な感情が交錯する。これ以上迷惑を掛けたくないという罪悪感と同時に大きな温かさが胸を満たしていた。
その時、ふと視線を感じて繋が顔を上げると──
「・・・・・・”繋”さん、絶対に」
菊香から”名前”を呼ばれる。
そして彼女の揺るぎない眼差しが、繋の心を突き刺す。
「絶対に3人で帰ってこようね」
そう言って彼女はニコリと笑うと先に車へと向かっていった。
繋はその後ろ姿を見ながら、思わず困ったように笑う。
(・・・・・・まったく、似た者親子だな)
ああ、本当に自分のことになると、本当にダメだなと繋は胸を締め付けられる思いになる。
他人の優しさは、確かに嬉しい。
でも、「自分のために」誰かが動くことには、どうしても慣れなかった。
それは気を遣われるのとは少し違う。
相手が「自分のしたいこと」として動いているなら、まだ平気なのだ。
──利他的な利益のバランスが取れているなら、それでいい。
自分が誰かのために動くのも、まったく苦じゃない。
自分を削ればいいだけの話だ。「自分の分を」、ただ差し出すだけ。
(お前の、何でもかんでも自分一人で解決しようとする癖・・・・・・やめろよ)
ふいに、ある人の声が頭に響いた。
懐かしい声。もう、聞くことはできない声。
ふと、繋はヒカルに視線を向ける。
その大きな背中に、どこかの誰かの面影を重ねそうになって──またぎゅうっと胸が締めつけられる。
──似てる。
でも、違う。
早くなる鼓動と頭に鈍い痛みが走る。
繋は息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
◇
「さあ、出発すんぞ」
ヒカルの明るい掛け声に、菊香と繋は「OK!」と声を合わせた。
運転席にはヒカル。
助手席には繋が腰を下ろし、後部座席には菊香が座っている。
エンジンが唸りを上げ、車がゆっくりと走り出した。
どこかくぐもった曇り空の下、3人を乗せた軽トラックが、なじみのある景色を離れていく。
菊香は窓を少し開け、生温い風を感じながら振り返った。
菊香は3人で過ごした家の方を向いた。
3人で暮らしたあの家が、少しずつ遠ざかっていく。
畑も、庭も、夏の匂いも、全部が少しずつ後ろへと流れていった。
頬に触れる湿った風が、髪をさらりと揺らす。
胸の奥で、言葉にならない感情がふわりと広がる。
少し寂しくて、でもどこか、これからの未来に希望もあるのを感じる。
未来は明るいと思いたいのに、天気も相まって寂しくなる気持ちが増していく。
そんな菊香を2人の大人はバックミラー越しに見ていた。
どちらも、言葉にはしない。
繋とヒカルはただ、黙って彼女の感情を受け止める。
約束を胸に──3人を乗せた車は、新たな目的地に向かって静かに走り出した。
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