95 光、輝いて
食材が詰まった買い物かごを片手に、馴れた足取りで階段を昇る。
203と書かれたドアを開け、住み慣れた一室へ。
「ただいま、リンちゃん」
「おかえり、レイ」
返ってくる挨拶にも喜びを感じつつ、玲衣は買い物かごから食材を貯蔵庫に詰めていく。
一仕事を終えると、彼女は愛するリンナの側へ。
隣に座って寄り添うと、幸せそうに笑顔を浮かべる。
「えへへ、いよいよ明日だね」
「ん、レイと出会ってから長いようで、まだ一年なんだな」
「明日で一年、でしょ。私とリンちゃんが出会った日を結婚記念日にするって決めてから、すっごく待ったんだからね」
「待たせてごめんな。その分、絶対幸せにするから」
「リンちゃんと出会ってから、私はずっと幸せだよ?」
じっとリンナを見つめながら、玲衣は心からの気持ちを伝える。
リンナは照れくさそうにしながらも、目は逸らさない。
「私も、レイと一緒にいられて毎日幸せだよ。んっ……」
軽く唇を重ねる二人。
見つめ合って頬笑み合うと、玲衣はリンナを抱き寄せる。
「十六歳になって、S級召喚師にもなったのに、リンちゃんはちっちゃいままだね」
「失礼だぞ、3センチも伸びたのに」
今から二カ月ほど前に、リンナはS級召喚師に昇級した。
今や彼女は暁の召喚師の再来、名実ともに最強の召喚師として王国にその名を知らぬ者はいない。
にも関わらず、家賃の安いこの集合住宅に住み続けている。
「この部屋にも、ずっとお世話になってるね」
「ん、レイとの思い出がいっぱい詰まった部屋だからな。出来ればずっと住んでいたいけど……」
「そうだね、二人で暮らすなら丁度いい広さだけど、子どもが出来たら引っ越さなきゃ」
「少し名残惜しいけど仕方ないよな。でもそれまでは、この部屋にレイと二人で暮らしていたい」
この部屋の中だけでも、色々な出来事があった。
嬉しいことも悲しいことも、今となっては大切な思い出。
二人が『恋人』として過ごす、これが最後の一日となる。
そして翌日からは——。
☆☆
大きな窓から差し込む光が室内を明るく照らす。
その日の天気は快晴、抜けるような青空が広がっている。
姿鏡の前に立つ玲衣は、そこに映っているのがまるで自分じゃないかのような錯覚に陥る。
純白のドレスに身を包んだ少女は、普段縛っているサイドテールを解いて肩まで伸びた髪を下ろしている。
二の腕までを包み込む、指の部分が露出した白いグローブ。
肩を露出したドレスに絞られたウエストと、足下まで伸びたドレススカート。
頭には銀色のティアラと共に、短めの薄いベール。
そして首から下げるのは、聖剣の宝玉の欠片が納められたペンダント。
リンナと自分を繋いでくれた大切な品、そして母から貰った形見の品。
彼女はそれを両手で握ると、今は亡き両親を想う。
「お父さん、お母さん。私は今日、世界で一番大切な人のお嫁さんになります」
この世界だけじゃなく、二つの世界で一番大切な存在。
彼女は今、もうひとつの花嫁控室にいるのだろう。
ドレスにしわが付かないように気を付けて椅子に座る。
頭の中で式の流れを確認。
基本的には玲衣の知るキリスト教式のものと同じだが、神父の代わりに司会進行役が祭壇に立つ。
今回この役目を任せたのはヒルデ。
知り合いの中で一番信用出来るのは、やはり彼女だった。
「リンちゃん大丈夫かな……。係の人に着付け手伝って貰ってるんだろうけど……」
どうにも伴侶が心配で落ち着かない。
早く彼女の顔が見たい、そんなことを思っていると、部屋のドアが二回ノックされた。
「レイ殿、入ってもいいか?」
「その声、ヒルデさんですね。どうぞ」
返事を返すとドアノブが回り、ヒルデに続いてシズクも入ってくる。
ヒルデは青を基調にした落ち着いたドレス姿。
シズクも彼女と色違い、赤を基調としたドレスを着ている。
「ヒルデさん、今日はよろしくお願いしますね」
「羨ましい……」
「ああ。レイ殿はどうだ、緊張してはいないか?」
「羨ましい……」
「私は大丈夫ですよ。むしろ心配なのはリンちゃんかな……」
「羨ましい……」
「実は先にリンナ殿の方にも行ってきたのだが、存外落ち着いた様子だったぞ」
「羨ましい……」
「そうですか、良かった……。ところでさっきからシズクさんが……」
ヒルデの背後で「羨ましい……」を繰り返すシズクが気になって仕方ない。
この晴れの門出の日に負のオーラを撒き散らすのは止めてほしい。
「どうした、シズク。怨霊みたいな声を出して」
「結婚してくれるって言ったのに……。あれから十カ月、私は未だ独身……。早く純白のドレスが着たい……」
「むぅ……、結婚は二十歳になってからと我が家では代々決められていてな。本当にすまない」
「あと一年も……待つの……」
とうとう白目を向いてしまったシズク。
もはや彼女を癒す物はもふもふしか無いだろう。
「元気出してください、シズクさん。そんな顔してると幸せが逃げちゃいますよ?」
「……ありがとう、レイ。式の間は精一杯祝わせてもらう。その後はヒルデとにゃんにゃんして憂さ晴らし」
「にゃんにゃん?」
猫と戯れでもするのだろうか、と首を傾げる玲衣。
その考えはあながち間違ってはいない。
「おや、扉が開いているのです。どうやら先客が来ているようですね」
「シフル、勝手に入っちゃダメだよ」
無遠慮にズカズカと入り込んで来たのはシフル。
頭の上には相棒のふーちゃんが乗っている。
相も変わらず眠たそうな目で、相も変わらぬ丸い体。
それを乗せたシフルは十一歳、身長はそれなりに伸びているが、胸の発育は懸念通りに成長無し。
まだまだこれから、のはずである。
「いいのですよ、知らない仲ではないのですし。ルトちゃんもかもーんなのです」
「んぅ……、親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってる?」
おずおずと入室してきたルト。
十三歳になった彼女は発育も順調、胸は既にリンナなど話にならない成長を見せている。
バッサリだったショートカットの髪も、玲衣と同じくらいにまで伸びてきている。
勉強も熱心にしているようで、すっかりシフルの姉といった感じだ。
「ルトちゃんはすっかり変わってしまったのですね。シフルは全然変わらないのです。悲しいのです……」
「そうだね、ボク変わっちゃった。シフルが大好きだって気持ちも」
「ル、ルトちゃん……!?」
この世の終わりのような表情を浮かべるシフルを、ルトは抱きしめて唇を奪う。
「んっ……はぁ。大好きだって気持ち、“愛してる”に変わっちゃったから」
「……結婚しましょう。今すぐに式を挙げましょう」
「あの……ここは私の控室だって忘れないでね……」
来て早々に二人の世界へ行ってしまったシフルとルト。
目の前でイチャつく二人に玲衣は苦笑い。
「見せつけてくれるな、シフル殿、ルト殿」
「もふもふ、触りたい……。でもドレスは借り物……、今は我慢」
シフルとルトはおそろいのパーティドレス。
シフルは緑色でルトは黄色、フリフリのミニスカート仕様だ。
ドレスに毛が付くため、シズクはふーちゃんもふもふを我慢している。
「っと、どうでしょう。緊張は解れましたでしょうか」
「緊張解してくれてたんだ……。私は平気だよ、ヒルデさんたちも来てくれてたし」
「そうですか、ここに来る前にリンナおねーさんのところにも行って来ましたが、小刻みに震えてたので」
「え、そんなになってたの!?」
ますます心配になって来た。
バージンロードの上で派手に転んだりしないだろうか。
「なので、シフルたちでぐにゃぐにゃにほぐしてきたのです。心配はいらないのです」
「ちょっと怒らせちゃったけどね……」
一体何を言ったのだろうか、心配の種が増えてしまう。
もはや居ても立ってもいられない、今すぐリンナのもとへ駆けつけたい。
「さて、そろそろ時間だな。私達は式場に行くよ」
「またあとでね、レイ」
「熱いキッスを見せて欲しいのです。むふふっ」
「ウエディングケーキ、おっきく切ってね」
四人が部屋を後にして、控え室は静けさを取り戻す。
しばらくすると、リンナの母であるジーナが玲衣を呼びに来た。
彼女が玲衣の親代わりとなって、バージンロードの途中まで付き添うことになっている。
「レイちゃん、お待たせ。あら、綺麗な花嫁姿ね。リンナもきっと見取れちゃうわ」
「綺麗だなんて……、えへへ。ありがとう、お義母さん」
照れくさそうにはにかむと、玲衣は彼女と並んで部屋を出る。
通路を抜け、光の満ちたチャペルへと足を踏み入れた。
ぎっしりと埋まった席、一斉に玲衣に注目が集まる。
バージンロードをゆっくりと歩く中、一人ひとりに視線を向けて行く。
ひと固まりになって座る騎士団には、見知った顔が大勢いる。
アスラの隣に座るシズクは、もう負のオーラを出してはいないようだ。
こちらに猛烈な投げキッスをしてくるのはライア。
シフルとルトは両親と共に座り、玲衣の花嫁姿に目を輝かせている。
バージンロードの中ほどまで来たところで立ち止まり、入場口の方を向く。
そして、彼女はゆっくりと姿を見せた。
リンナの花嫁姿、それを一目見た瞬間、玲衣は息を飲む。
ツインテールの髪が下ろされた、腰まで伸びた淡い蒼の髪。
それが純白のドレスに映え、憂いを帯びた表情と相まってとても大人びて見えた。
父親のヨルドに付き添われ、彼女は玲衣の前へ。
「……レイ君。娘を頼む」
「私からも、こんな娘だけどお願いね」
「はい。……リンちゃん、すっごく綺麗だよ」
「ん、レイも綺麗だ。ちょっと見とれてた」
ヨルドはジーナと共に最前列のゲルスニール家の席に付。
玲衣とリンナは二人並んでヒルデの立つ祭壇へと向かう。
段差を登り、祭壇の前で二人は向かい合う。
しばらく見つめ合ったあと、玲衣とリンナは来客席の方へと体を向けた。
「皆さん、本日は忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。これよりリンナ・ゲルスニール、レイ・カガヤ両名の結婚式を執り行いたいと思います」
ヒルデの言葉と共に、二人並んで一礼する。
「まず最初に、誓いの言葉。レイ殿、よろしいか?」
最後に小声でささやいたヒルデに小さく頷くと、玲衣は大きく息を吸って言葉を紡ぎ始める。
「私には両親がいません。幼い頃に両親を亡くして以来、ずっと一人で生きて来ました。一人で生きていくのが当然だと思いつつも、やっぱり寂しかった、心細かった。そんな時、リンちゃんが私を孤独から連れ出してくれたんです」
隣で佇む最愛の人をチラリと見ると、彼女は言葉を続ける。
「彼女と出会って、私の人生は変わった。彼女無しでは生きていけない程に。世界の壁を越えてリンちゃんと出会えたのは奇跡みたいだけど、奇跡なんかじゃないって思ってます。何度やり直したって私は彼女と出会って、恋に落ちて、こうして結ばれる。私はそう信じてる」
一息入れて、来客席を見渡す。
「今日私はここに、リンナ・ゲルスニールを伴侶として、生涯を共にすることを誓います。……愛してるよ、リンちゃん」
最後の言葉はたった一人に向けて。
拍手の中、玲衣は一歩後ろに下がり、続いてリンナが前へ。
「……まず最初に、私は口下手なので変な事言うかもしれません。ご容赦ください」
ペコリと頭を下げるリンナ。
すでに玲衣もディーナもハラハラし始めている。
「父さん、母さん。私をここまで育ててくれてありがとう。今日私はレイと共に、新たな道を歩んでいきます」
両親に言葉を向けると、次は姉の顔を見る。
「姉さん。姉さんを超えるのが私の目標で、姉さんがいなければ私は召喚師を目指そうとは思わなかった。召喚師にならなければ、私はレイと出会えなかった。本当に感謝してる」
そして最後に、会場中の全員へ向けての言葉——のはずが。
「えっと……ん、もう上手く言葉が出てこないので宣言します」
思わず顔を覆うディーナ。
シフルがなにやらムカつく顔を向けてくるがスルー。
「今日私は、レイ・カガヤを生涯の伴侶として、共に歩むことを誓います」
ペコリと一礼して一歩下がるリンナ。
ざわめき混じりの拍手の中、ヒルデは咳払い。
「コホン、それでは続きまして、指輪の交換を」
玲衣は少し苦笑いしながら祭壇に置かれた小箱を開け、ダイヤモンドがはめられた指輪を取り出す。
リンナの差し出した左手を、玲衣は慈しむように包み込んだ。
これまで何度も繋いできた、これからも繋いでいく小さな、大好きな手。
その薬指に、玲衣はゆっくりと指輪を通していく。
「次はリンちゃんだよ。お願いね」
「ん、任せとけ」
ヒルデの差し出した小箱から指輪を取ると、リンナは玲衣の前へ。
差し出された彼女の左手を、そっと手に取る。
これまで幾度も自分を導き、救ってくれた玲衣の手。
その温もりを感じながら、薬指に指輪をはめる。
「では最後に、誓いのキス。お願いします」
ヒルデの進行により、式はとうとうここまで進んだ。
リンナと向かい合ったまま、玲衣は最終確認。
「いよいよだね、リンちゃん。人目があるけど大丈夫?」
人目があるところでの照れを、今に至るまでリンナは克服出来てはいない。
「……ん、多分。きっと平気だと思う」
「そっか、じゃあ……しよ?」
静かに見つめ合うと、もう他人の視線は気にならなかった。
二人はお互いに、お互いの存在しか感じない。
ゆっくりと顔を寄せた玲衣とリンナは、そっと唇を重ねる。
ステンドグラスの神秘的な光の下で、二人の少女は永遠の愛を誓い合った。
チャペルの前では既にパーティの準備が整い、大きなウエディングケーキや様々な料理がテーブルに並べられている。
そんな中、入り口に並んで立つ二人の花嫁。
一つのブーケを二人寄り添って持ち、階段の下に集まった女性陣が彼女達を囲む。
受け取った女性は次に結婚できる、と言われているブーケトス。
一部にやたらと必死なのがいる。
「レイ、リンナ、こっちに投げて! ヒルデの家を説得する材料になるかもしれないから!」
珍しく声を荒げて必死にアピールするシズク。
あと一年も結婚を待つなど、やはり出来ないのだろう。
「レイお姉さま、リンナちゃん、私に叩きつけて! そして三人で結婚するのよッ!」
相変わらずの三人婚にこだわるライア。
彼女には悪いが、いい加減新たな恋を探して欲しいと玲衣は思う。
「こっちなのです、リンナおねーさん! シフルは盟友なのですよ、戦友なのですよ!」
「誰が盟友だ、誰が」
あっちの方には絶対に投げてやらない。
そう心に誓うリンナだった。
「リンちゃん、これからもずっとよろしくね」
「ん、ずっと一緒だ、レイ。それじゃ、いくぞ」
「うんっ、いっせーのっ!」
二人の投げたブーケが、抜けるような青空に舞う。
祝福の鐘が鳴り響く中、太陽が照らす二人の笑顔。
これは、世界の壁を越えて結ばれた少女たちの話。
これからも続いていく二人の物語——その未来はきっと光に満ち溢れている。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
読者の皆さんのおかげで、無事に完走することが出来ました。
予定通りの結末に辿り着けて、ホッとしています。
新作は二週間ほど後に投稿開始します。
その時にまたお会い出来れば幸いです。
最後に重ねて、本当にありがとうございました!
7/6追記 新連載開始しました。




