83 決戦の地
ヴィグリーズ、かつて暁の召喚師が世界の命運を賭けて戦った地。
現在この地には町が建てられ、かつての戦場は記念碑が建立された公園として残る。
馬車に揺られること六時間、この場所に彼女達は降り立った。
「とうとう着いたね、リンちゃん」
「ああ、ここがヴィグリーズの町か。ヘレイナが待つ記念公園はどこにあるんだろう」
観光地として有名との話だが、確かにその辺りの宿場町と比べて人出は多い。
今現在ヴィグリーズ記念公園は騎士団によって封鎖されており、立ち入ることは出来ないはず。
門前払いを食らって肩を落とした観光客も少なくないだろう。
「記念公園はこの町を出て一キロ程の距離にある。まずはそこへ向かおう」
ヒルデが指さした先、草原へと続く道の先にうっすらと木々の密集した場所が見える。
あそこがヴィグリーズ記念公園、ヘレイナが待つ場所だ。
「ん、姉さんが心配だ。早く行こう」
「急ぐのはいいけど焦らないでね。アイツが何を仕掛けてくるかわかったもんじゃないから。たとえなにがあってもリンちゃんは私が絶対守るけど。うん、絶対に……」
「レイ……、そうだな」
逸る気持ちを抑えなければ、思わぬところで足下を掬われかねない。
あの場面でディーナの名前を出したのも、明らかに動揺を誘うためだ。
「道中で聞いた、魔輪が偽物だって話も気になるのです」
「そういえばボク、アイツが魔輪を召喚するとこ見たことないよ。いっつも右手に巻いてた」
「私達も、一度も魔輪の召喚を見ていない。だよな、レイ」
「そうだね。今思えば不自然だったかも」
ヘレイナは常に右腕に偽のブリージンガメンを巻いていた。
時にはこれ見よがしに、腕をヒラヒラと見せつけるように。
「ともあれ、ヤツに疑問をぶつければ済むことだ。そろそろ向かうとしよう」
記念公園へと続く道、まずヒルデが先頭を行く。
続いてシズク、その後にそれぞれが続く。
草原を抜ける街道と同じく、土がむき出しの荒い舗装。
唯一、馬車の轍が無い程度の違いしかない。
草原を吹き抜ける爽やかな風も普段通り。
上空を飛ぶ翼を広げた鳥が、甲高い鳴き声を上げながら旋回する。
「なんかのどかな雰囲気だね。思わず和んじゃう」
「ん、こんな形で来たくなかったな。レイと二人で訪れたかった。のんびり旅行でもしながらさ」
「しようよ。二人で旅行しよう。これからヘレイナを倒して、そしたらいくらでも出来るよ」
「そうだな、まずは私の生まれ故郷に行くか? 両親にレイのこと紹介したいんだ。私のお嫁さんだって」
「お嫁さっ……! ずるい、リンちゃんずるいっ!」
顔を真っ赤にして手をバタつかせる玲衣。
照れる側と照れさせる側はすっかり逆転してしまっていた。
「照れてるレイも可愛いよ」
「ばかっ、ばかっ、リンちゃんのばかぁ……」
「ふふっ。どうだ、緊張はほぐれたか?」
「えっ……、どうしてわかったの?」
決戦が迫る中、玲衣は緊張を押さえられないでいた。
出来るだけ表に出さないようにしていたのだが、思えば少しだけ出してしまっていたかもしれない。
「わかるよ、レイのことはいつも見てるから。変に気負わなくていい。いつも通りに戦って、勝って、そして帰ろう」
「……うんっ!」
玲衣はリンナと手を繋ぎ、指を絡め合う。
これからもずっと二人で並んで歩んでいく、そのためにも絶対にヘレイナを倒す。
決意も新たに二人は道を進む。
後ろからシフルの生温かい視線と「むふふ」が降りかかってくるが、なんとかスルー。
防風林は間近に近づき、警備に当たっている騎士たちの姿が大きく見えて来た。
記念公園に四方から伸びる四本の道を、彼らは手分けして封鎖している。
「皆、そろそろ記念公園の入り口だ。警備に当たってくれている騎士に話をつけてくる」
「ヒルデ、私も行く。いくら騎士団長でも一人じゃ通してくれないかも」
「助かる。皆はここで待っていてくれ」
ヒルデとシズクは警備中の騎士二人組に話しかける。
騎士団長の突然の登場に、退屈そうにしていた彼らの背筋がピンと伸びた。
「御苦労。潜伏中の召喚師はここから出ていないな」
「は、はっ! 指示の通りに交代で見張っていますが、C級召喚獣の一匹も通っておりませんっ!」
「よし、私はこれから腕利きの召喚師数名と共に公園内に行く。お前たちは引き続き道を封鎖、ただし出来るだけ離れてくれ。危険が及ぶかもしれないからな」
「そ、そんなに強力な相手なのですか……」
「念には念を入れて、だ。心配するな」
「では、自分は他の場所に伝令を!」
警備を相方に任せ、騎士の一人が草原を突っ切って走っていった。
残った騎士は道の脇に寄り、ヒルデ達の通過を待ってくれている。
「騎士団長殿、そして皆さま方、ご武運を!」
「うむ、大船に乗ったつもりで任せておけ」
警備の騎士に見送られながら、一行は記念公園の入り口へと向かう。
先頭を行くヒルデの隣、何やら落ち込んでいる様子のシズク。
「どうした、シズク」
「私、いるだけだった……。ヒルデ一人だけでよかった……」
「あぁ……、そんなことは無いさ。お前が隣にいてくれるだけで、何よりも心強い」
「ヒルデ……。ありがとう、帰ったら結婚して」
「わかったわかった。無事に帰ったら結婚してやる」
「駄目なのです、それは禁句なのです……」
☆☆
ヴィグリーズ記念公園。
五キロ四方を防風林に囲まれた草原。
この場所でかつて行われた死闘を物語る痕跡は、今はどこにもない。
黄昏の召喚師と二体の召喚獣、世界蛇・地獄姫に対し、暁の七英傑が決戦を挑んだ場所。
その伝説を記した石碑が、防風林の片隅に静かに佇むのみ。
「リンちゃん、この石碑に書かれてるのって……」
道の脇に二つ並んだ石柱が、この公園への入り口となっている。
そこからほど近い道の脇、件の石碑が立っていた。
その前を通過しつつ、玲衣とリンナは文章にさっと目を通す。
「ん、暁の伝説だ。当然だけど一般に知られている以上のことは書いていないな」
「……地獄姫。そういえば三神獣の中で、地獄姫だけ全然名前を聞かないね」
絶大な魔力を操ると伝説に語られる三神獣の一体、地獄姫。
ヘレイナ達との一連の戦いでも、その名を聞いた回数は数えるほど。
「コイツに関しては、そもそもの情報が少ないんだ。具体的にどんな魔法を使ったのかなんてのも、文献によってバラバラ。外見だってバケモノみたいなモノから絶世の美女まで、まるで統一感が無い」
「うーん、地獄のお姫様なんでしょ? 魔女みたいなのを連想してたけど」
「世界蛇や神狼はイメージが固まってるんだけどな。実際にこの目で見た本物も、伝承通りの姿だった」
「むむむ、地獄姫だけが謎だらけなのか……」
「もしかしたらヘレイナが召喚してくるかもしれない。そうなった場合、ほとんど情報の無い敵だ。用心してかかるぞ」
防風林の短い林道を通り抜け、一行は草原へと辿り着いた。
四方を木々に囲まれた草原の真ん中、黒いモヤがかかった一点から感じる気配。
もう何度も味わった、得体の知れない不気味さを伴ったそれを発する者は紛れもなく。
「ヘレイナ、それで隠れてるつもり?」
「出てこい、お前がそこにいるのはバレバレだ」
玲衣とリンナの呼び掛けに対し、クスクスと響く笑い声。
黒いモヤが人の形へと姿を変え、闇の中から彼女は姿を現した。
「はぁ〜い、はるばるようこそ。待ってたわぁ、レイちゃん、リンナちゃん。ギャラリーも大勢いるわね、張り切っちゃおうかしら」
ヘレイナ。
思えば玲衣がこの世界に来たその日から、彼女との戦いは始まっていた。
「あれがヘレイナ、初めて見るのです」
「そうか、シフル殿は初対面だったな」
「でも、皆が嫌う理由もわかるのですよ。なんて言うか、嫌な感じがするのです……」
にこやかな表情とは裏腹の言葉に出来ない禍々しさ、それをシフルは感じ取った。
玲衣は一歩前に進み出て、リンナを庇う立ち位置へ。
「あんたのその顔を見るのも今日が最後。決着をつけてやるから」
「レイちゃんやる気満々ね。お姉さんとっても嬉しいわ♪」
両手を頬に当て、くねくねと腰を動かすヘレイナ。
彼女の左腕が健在、その事実に彼女達は目を見張る。
「私が斬り落とした腕、なんで生えてきてるの!」
「バカな! ヤツの腕が落とされる瞬間を、私とシズクもあの場で確かに見たぞ」
「ボクが最後に会った時も、腕は無かったハズだよ!?」
「どういうことだ……。これもアイツの得体の知れない魔法の力なのか……!?」
困惑に満ちた顔を見回して、ヘレイナはうんうんと満足気に頷く。
「いやぁ〜、驚かせちゃったみたいね。ご心配をお掛けしました、なんちゃって」
「誰がお前の心配なんて。——召喚、グラム」
シズクが懐から取り出した緑の宝玉。
それは祈りと共に形を変え、紫色に輝く片刃の剣となる。
剛剣・グラムを両手で構え、シズクはヘレイナを睨む。
「三文芝居はもう沢山。お前は今すぐグラムで叩っ斬る」
「せっかちさんねぇ、そんなんじゃ愛しの騎士団長さんに嫌われるわよぉ」
「戯言ッ!」
「待て、シズク!」
地を蹴って飛び出そうとしたシズクの肩を、ヒルデは掴む。
「ヒルデ……」
「焦るな、まだ大事な確認が取れていない。そうだな、リンナ殿」
「……ヒルデさん、ありがとう。ヘレイナ! 姉さんは無事なんだろうな!」
「ふふっ、そんなにお姉さんが心配? 姉思いの妹ね。いいわ、感動の再会といこうじゃない」
ヘレイナが指をパチンと鳴らすと、未だ残っていたモヤが草地の上に集まっていく。
やがて闇は晴れ、姿を見せたのは地面に力無く横たわるディーナ。
「姉さん……!? 生きてるのか、姉さん!!」
「安心して、死んではいないわ。まだ、だけどね」
リンナの呼びかけにも全く反応は無い。
ただ彼女は死んだように眠り続けるのみ。
「貴様……! 姉さんに何をした!」
「なにって……、ちょっと呪ってみただけよ。死ぬまで覚めない眠りの呪いをね。ふふっ」
刹那、リンナが怒りの叫びを発するよりも速く、玲衣はディーナの元へと駆けこんだ。
その動きを目で追えたのは身体能力強化の影響下にあるシズクともう一人。
ディーナを助け起こす瞬間、交錯する視線。
ヘレイナは玲衣と目を合わせてニコリと微笑んだ。
——コイツ、やっぱり見えてる!
ディーナを抱え上げ、玲衣はリンナの側へと素早く戻る。
静かに息をするディーナをそっと草地に寝かせると、彼女はヘレイナへと視線を戻した。
「姉さん……。レイ、済まない」
「いいんだよ、リンちゃんのためだもん。それよりアイツ、今の私の動きが見えてたの」
「身体能力強化も無しに目で追えてたって言うのか、そんなことが有り得るのか……?」
リンナの発言に、ヘレイナは不思議そうに首を傾げた。
「なに言ってるのかしら。私はこの通りブリージンガメンを……」
「偽物でしょ、それ。もう知ってるんだから」
「あら、なんでバレてるのかしら。このオモチャが偽物だって」
「これからくたばるお前には関係無い。レイ、行くぞ!」
聖剣と神狼、暁光と蒼光の宝玉を取り付けた双杖に、リンナは祈りを込める。
同時に玲衣はペンダントを握りしめ、その右手に光の力を結集させる。
「来い、レーヴァテイン!」
「召喚、神狼・フェンリル!」
玲衣の右手に現れた、陽光の如き光を放つ両刃剣。
リンナの祈りが冷気となって渦巻き、姿を現した蒼毛の狼。
「素晴らしい、素晴らしいわ……。その姿、まさに暁の召喚師の再来。さあ、今こそ悲願成就の刻ッ!」
悠久の時を越え、この地で再び相まみえる瞬間。
どれ程の時を待ったことか。
彼女は今、歓喜に打ち震えた。




