68 建国祭
傍らに控えた神狼が粒子に変わり、リンナの持つ宝玉へと吸い込まれていく。
やはり、普通の召喚獣とは違う消え方だ。
神狼を送喚したリンナは、玲衣の胸の中でまどろみ始める。
「リンちゃん、眠いの?」
「ん、夜通し歩き続けてたからな。それにレイの匂い、とっても安心するんだ」
夜通し歩き詰めとは、一体何をしていたのか聞きたいのは山々だが。
まぶたを重そうにして眠気に抗っている彼女を質問攻めにするわけにもいかない。
「いいよ、このまま寝ちゃっても。私はずっとリンちゃんの側にいるから。もうどこにも行かないから」
「そっか。じゃあ……、おやすみ……」
静かに目を閉じると、リンナはすぐに寝息を立てはじめた。
彼女を起こさないようにそっと抱え上げる。
腕の中で眠るリンナの顔をまじまじと見つめる。
胸に込み上げてくる愛しさと、また会えた嬉しさ。
今すぐにでも想いをぶつけたいが、一晩中歩き続けているのだ、そっとしておく。
「さてと、世界蛇の宝玉は……」
キョロキョロと辺りを見回してみても、広がるのは広い草原。
全長十キロを優に超える巨体は、粒子となって消え去った。
問題は宝玉、あれはヘイムズの杖の先端にはめ込まれていたはず。
彼と共に喰われてしまい、その後の行方はさっぱりわからない。
幻笛の宝玉も同じく。
こちらは使い手に選ばれなければ使えないため、緊急性は薄いだろう。
もしかしたら二つとも、玲衣の最後の一撃で消滅してしまったのかもしれないが。
「探さなきゃだよね。あんなの放っておいたら大変だし」
もしも誰かが拾ってしまえば一大事だ。
あまりにも範囲が広すぎるが、地道に探して行くしかない。
リンナを抱えたまま、捜索を始めようとした時。
「探す必要なんてないわよ、レイちゃん。おひさしぶり〜♪ 元気してた? 会いたかったわ、ふふっ」
「っ! ……こっちとしては二度と会いたくなかったけどね」
玲衣の耳に届く声は、もう何度も聞いたことのある癪に障る声。
一体どこから現れたのか、いつものように唐突に彼女は姿を見せた。
その右の手に握った紫色の宝玉を、指で弄びながら。
「世界蛇の宝玉、返して貰うわね。幻笛も近くに落ちてたけど、欲しい?」
「……ヘレイナ、随分余裕だね。もう七英刃もあんた一人だってのに」
「ふふっ、七英刃ねぇ。あんなものは私の計画を進めるための隠れ蓑よ。ここまで至って順調だわ」
負け惜しみには見えない。
彼女の口調には確たる自信と余裕がある。
「今回ばかりは危うく台無しになるところだったけどね。ヘイムズ、あの男は想像以上に愚かだったわ。まあ、結果的には最高の働きをしてくれたけど」
「一体なにを企んでるって言うの? どうせロクでもないことなんだろうけど」
「だ・か・ら。教えないって言ってるじゃない。一つだけ言える事は、ヘイムズ君の笛の音が告げてくれたの。黄昏の第二幕の始まりをね」
「第二幕……? 一体何を言って——」
「それじゃあ近いうちに会いましょう。またね〜」
そう言い残すとヘレイナの姿は唐突に消える。
どこか遠くへの瞬間移動、既に周囲から彼女の気配は感じない。
「……また消えた。相変わらず気味悪いヤツ」
ヘレイナの計画とは一体なんなのか。
嫌な予感は尽きないが、ここで考えても答えは出ない。
ひとまず王都に戻るため、玲衣はリンナを抱えながら馬車を探して歩き始めた。
☆☆
ガタゴトと規則的な振動に、頬に触れる柔らかな感触。
目を開いたリンナのぼやけた視界に映るのは、誰も座っていない向かいの客席。
ここは馬車の中だろうか、ぼんやりした頭で考えながら寝返りをうつ。
視界が移り変わり、客車の天井と共に見えたのはこちらを見つめる大切な人の顔。
「リンちゃん、おはよう。って言っても今はお昼だけど。もうすぐ王都だしそろそろ起こさなきゃって思ってたんだ」
「レイ、ホントにレイなのか?」
「もう、寝ぼけてるの? 正真正銘私だよ」
優しく微笑む玲衣の顔。
リンナは彼女の腰に手を回して、お腹に顔を埋める。
「ひゃっ! リンちゃん、どうしちゃったの?」
「レイの匂い、落ち着く。ホントにレイなんだな」
「もう、本物だって。ふふっ、なんか今のリンちゃん、子供みたいでとってもかわいい」
顔を擦り寄せて甘えてくるリンナの頭を、玲衣は子供をあやすように撫でていく。
二人だけの優しい時間は、なんだかとても久しぶりな気がした。
「よしよし、大丈夫だからね。もうリンちゃんを置いていったりしないから」
「ん……」
お腹に寄せていた顔を、リンナは上の方へと移動させる。
そちらにあるのは当然、玲衣の胸の柔らかな二つの膨らみ。
リンナはそこに思いっきり顔を埋める。
「ちょっ……、リンちゃん、さすがにそれは……」
「だって、こっちの方が柔らかいし……」
まだ寝ぼけているのか、そんな事を口走りながら甘えるリンナ。
そんな彼女に母性本能をくすぐられた玲衣は、もう何をされても許す気になってしまう。
リンナが顔を動かすたび、愛しさを感じると共にゾクゾクとした何かが背筋を走り抜ける。
「子供みたいって言ったけど、んっ……。もう赤ちゃんみたいだね」
「レイ、もっと——」
ガラッ!
「嬢ちゃんたち、王都に到着だよ。さ、降りた降りた」
その時のリンナの動きは、人間の速さの限界を超えていたかもしれない。
客車の扉が開く音が聞こえた瞬間、素早く玲衣から離れて隣に着席。
御者が見たのは、玲衣の横で背筋をピンと伸ばした大変行儀の良い姿だった。
「も、もう着いたんだな。早かったな、うん」
「ウチの馬は速いからねえ。嬢ちゃん達も祭りかい? 楽しんで行っといで」
「あ、ありがとうございました。ほら、リンちゃん早く行こ」
「ん、そうだなっ! 建国祭か、楽しみだなー!」
いつの間にやら王都東口に到着していたようだ。
なにやら気まずそうに、そそくさと馬車を降りる二人。
そのまま足早にその場を立ち去る。
「はぁ、なんかとんでもない事をしようとしてた気がする……」
「今のでしっかり目が覚めたみたいだね、あはは……。ところでリンちゃん、世界蛇の宝玉なんだけど」
「拾ってこなかったのか?」
「ヘレイナが現れてね、持って行っちゃったの」
「ヘレイナが!? でも、ヨルムンガンドは確かに倒したよな」
「……そうか。そういえば、召喚獣が倒されたら宝玉って力を失うはずだよね」
玲衣の言葉に、リンナは難しい顔で考え込む。
「……そう、だけど。一つだけ気になることがあるんだ」
気がかりなこと。
そもそも世界蛇が姿を現したという事実そのものがおかしいのだ。
「世界蛇ヨルムンガンドは、暁の召喚師が振るう聖剣によって討ち取られた。つまり大昔に死んでいるはずなんだ」
「でもさ、世界蛇だって生き物なら一匹のはずがないよ。きっと別個体だったんじゃないかな」
「だとしたら暁の召喚師は、わざわざ新しく宝玉に登録しに行って封印したなんていう、おかしな行動をとったことになる」
「……えっと、つまり世界蛇は何度でも生き返るってこと?」
「あくまで可能性の話だ。現実的に考えれば、そんな生き物いるはずがないしな」
そこで暗くなるような話は打ち止め。
なにせ今日は、待ちに待った祭の日なのだから。
「それよりもレイ、行こう。一緒に回るって約束だろ」
「……そうだね。今はお祭りを目いっぱい楽しもう」
ギュッと手を繋ぎ、建国祭の人ごみの中へと二人は歩き出す。
知らない顔で溢れた雑踏、一人の時は寂しさを感じるだけだった。
今は違う、隣にリンナがいるから。
「ん? 私の顔に何かついてるか?」
「ううん、なんにも。リンちゃんはちゃんと可愛いよ」
「……レイのほうが可愛いし」
「あぅっ……」
てっきり赤面して慌てふためくかと思いきや、思わぬ反撃が飛んできた。
見事にカウンターを食らった玲衣は顔を真っ赤にして黙ってしまう。
今、彼女達が歩くのは王都東部の住宅街。
この場所は出店もほぼ出ておらず、普段との差異は住人の自主的な飾り付けが少々なされているくらいだろう。
あとは人の数が少し多い程度、ほぼ日常の風景が広がっている。
それでも、どこか浮わついた空気が漂う。
「レ、レイ殿!? 戻ってきたのか!?」
「あれ、ヒルデさん。こんな所でなにしてるんですか? 今日忙しかったんじゃ……」
手を繋いで仲睦まじく道を歩く二人は、道端でヒルデと遭遇した。
この場にいるはずのない人間を見た彼女達は、お互いに驚きの声を上げる。
「戻ってって……。ヒルデさん、私とリンちゃんに何があったかご存じなんですね」
「ああ、それでリンナ殿のことが心配になってな。いてもたってもいられず、警備の合間を縫って家に行ったのだが、どうやら留守のようで。早まったりはしてないかと肝を冷やしたぞ」
「えっと……、ごめんなさい。正直ぼんやりとしか覚えてなくて、今まですっかり忘れてました……」
ぺこりと頭を下げるリンナ。
その頭を何度もポフポフと叩きながら、ヒルデは豪快に笑う。
「ハッハッハッハ、いいんだ。レイ殿が戻ってきてリンナ殿も元気になった。いや、何より何より」
「おおぅっ、ポフポフし過ぎぃぃ」
「さて、私はこれで失礼させてもらう。心配の種はきれいに取り除けたからな」
「せっかくだし一緒に行きませんか? 私達、これから中心街に行くんですけど」
「ふむ、レイ殿の申し出はありがたいが、私の担当地区は北部なのでな。残念ながら方向が違う」
「そうですか、残念」
「それに、二人の邪魔はしたくないしな。それでは建国祭、楽しんで行ってくれ」
「ヒルデさんも、わざわざありがとうございました。それではまた今度」
軽く手を振ると、ヒルデは北部へ続く道を歩いていく。
彼女を見送りつつ、二人も中心街を目指して進み始めた。
「さて、中心街はきっと凄いことになってるぞ」
「リンちゃんも初めてなんだもんね、建国祭。観光で来たこととかも無いんだ?」
「ああ、ずっと召喚師の修業に明け暮れてたからな……」
「ストイックなリンちゃんも、かっこよくて好きだなー、うわっぷ」
リンナの顔を眺めながら歩いていた玲衣は、通行人にぶつかってしまう。
ふくよかなおばさんは彼女を一瞥すると立ち去っていく。
「ごめんなさい! ふぅ、だいぶ人が増えてきたね。もう中心街も近いし」
ちゃんと前を向いて歩調を合わせていないと、すぐに誰かにぶつかってしまいそうだ。
それにこの人ごみでは、もしはぐれた場合探すのは一手間だろう。
「レ、レイ。絶対手を離すなよ! 私、人の波に押し流されるのはゴメンだからな!」
「うん。絶対離さないから。——もう二度と離さないよ、リンちゃん……」
「そ、そっか……。うん、ありがとう……」
なんだか悪寒を感じたリンナは首を傾げる。
天気は晴れ、人通りは賑やかで飾り付けも華やかなのに。
それに何より、玲衣の暖かな手の感触。
この温もりさえあれば、怖いものなど何一つない。
「もうすぐ中心街だよ。この路地を曲がれば……」
狭い路地を抜け出ると、まさに別世界が広がっていた。
王都中心街の噴水広場。
普段も賑わいを見せている場所だが、今日の賑わいとは比較にもならない。
溢れかえる人混み、きらびやかに飾り付けられた広場を囲むようにして並ぶ商店は、どこも大繁盛のようだ。
噴水の周りに並ぶ様々な屋台。
その一つ、タングリス山羊のステーキ串の文字にリンナの目が光った。
「よし。レイ、まずはあそこから攻め落とす」
「リンちゃん張り切ってるね。そういえば、私もお腹空いたかな」
思えば昨日から何も食べていなかった。
その事実を認識した途端、玲衣の腹の虫がぐぎゅるるるると悲鳴を上げる。
「あうっ! リンちゃん、今の聞こえちゃった?」
好きな相手にこんな音を聞かれてしまうのは、玲衣としては避けたいところだった。
「ん? なんのことだ? それより行くぞ。目標は広場の屋台完全制覇だ」
「……ありがと、リンちゃん。えへへ、ますます好きになっちゃうよ」
聞こえないふりをしてくれたと思い、リンナに小さくお礼を呟く玲衣。
彼女は肉に想いを馳せていて、本当に聞こえてなかったのだが。
「じゃあ行こう、お祭りデートっ」
「……ん、そうだな。これはデートだから、しっかりエスコートするよ」




