55 呼び声
A級召喚師の仕事は大きく分けて三つ。
一つはA級召喚獣の討伐、一つは同じく捕獲。
そしてもう一つ、これは極めて稀なケースだが、突出した才能を持つC級召喚師が現れた場合の特別昇級試験の付き添いだ。
そしてここに、その突出した才能を持つC級召喚師がいた。
ルト・ガールデンである。
彼女の試験の付き添い召喚師として白羽の矢が立ったA級召喚師こそ、他ならぬリンナであった。
「なんでシフルじゃないのですかーっ!!!」
「なんでと言っても、ギルドの決めた事だしな」
王都東口の馬車乗り場にシフルの怒声が響く。
馬車馬に飼い葉をやっていた御者が驚いて顔を上げた。
頭の上に鎮座するふーちゃんは、微動だにしない。
「ボクは大丈夫だよ、シフル。知らない人が一緒だったら嫌だけど、レイとリンナだし」
「うぅ、ルトちゃんが大人になってしまう……。ずっと一緒じゃなかったのですか……」
「シフルちゃん、大丈夫だよ。私達が一緒なんだし、ね」
「それでもぉ……」
時刻は朝の七時。
シフルは今日、ルトの見送りにやってきた、はずである。
背中に背負った荷物に対して、恐る恐るリンナは尋ねた。
「で、お前の背負ったその荷物は一体なんなんだ」
「ああ、おかまいなく。これから個人的な旅行にいくだけなので」
「えっと、シフルちゃん。ちなみにその旅行先っていうのは……」
「グレイプル山なのですよ」
「あぁ、やっぱりか……」
案の定の回答に、リンナは頭を抱える。
「え、シフルもそこに旅行なの? スゴイぐーぜんだね!」
「はい、凄い偶然なのです」
今回ルトに課された試験内容は、ニザベル山脈の一角グレイプル山にて、サンダーラット百匹を捕獲すること。
期限は十日間、王都からグレイプル山まで馬車で三日と考えると、それなりに余裕がある。
百匹という数の多さを考慮しての時間設定だろう。
「さて、偶然行き先も一緒なので、一緒の馬車で行きましょうか。もちろんシフルの料金はシフルが払いますので」
御者に運賃を渡しに行ったシフル。
最初から付いてくるつもりだったのは明らかだ。
「ぐーぜんってスゴイね、レイ、リンナ」
「……そ、そうだな。偶然だな、うん」
「シフルちゃんがこの子を放っとけない理由、なんとなくわかる気がする……」
思わぬ偶然に目を輝かせるルトに、玲衣とリンナはシフルの気持ちを少しだけ理解した。
☆☆
ヴァルフラントでも有数の湖であるアムス湖。
その湖に面した静かな町が、リングヴィである。
静かな湖畔の町は、どこかのんびりとした空気が流れている。
気ままに釣り糸を垂れる者、ボートで漕ぎ出す者、露店を巡る者。
この町に訪れる旅人の目的は、このようなアムス湖の観光がほとんどだろう。
「良い雰囲気の町だね。なんかのんびりしてて」
「そうですね、色々見て回りたいのです。ルトちゃんと一緒に」
「ボクもシフルといろんなとこ行きたいな。よし、さっさと試験なんて済ましちゃお」
馬車を乗りついでの三日間の旅の末、四人はこの町に辿り着いた。
陽光がキラキラと反射する湖を眺める玲衣にシフル、ルトの三人。
遠く離れた向こう岸は見る事は叶わず、広がるのは見渡す限りの水平線。
王都北部のこの湖は、南側からヴァン河が流れだし、ヴァルフラント中部に水を届ける水瓶の役割を果たしている。
多くの人が訪れるこの湖の影に隠れ、彼女達のようなグレイプル山を目的とした者はほとんどいない。
そこはいうなれば、どこにでもある平凡な山。
強力な召喚獣もいるにはいるが、それは他の場所でも同じ事。
わざわざこの山を訪れる必要性は無いのだ。
だが、湖の風景には目もくれず、彼女はじっとその山を見つめ続けていた。
「リンちゃんもおいでよ、湖とっても広くて……、リンちゃん?」
「…………え、ごめん。何か言ったか?」
玲衣が話しかけてようやく反応したリンナ。
心ここにあらずといった雰囲気で山を見つめる彼女は、明らかに様子がおかしかった。
「どうしたの? なんだかぼーっとしてたけど」
「ん、なんて言うか、説明しにくいんだけど。あの山から何かが私の事を呼んでる、そんな感じがするんだ」
「呼んでる……? 声が聞こえるの?」
「そうじゃなくて、感覚でわかるんだよ。何かがあの山にある、なんとなくわかるんだ」
言い終わると、リンナは再び山を見つめる。
彼女の視線を追ってみても、玲衣には普通の山にしか見えなかった。
「おーい、二人ともなにやってるのですかー!」
「はやく試験片付けちゃおうよー! シフルと遊ぶ約束したんだからさー」
泊まる予定の宿の前で、大声で二人を呼ぶルトとシフル。
一刻も早く試験を終わらせて、二人で遊び回りたいようだ。
「あ、ほらリンちゃん。とりあえず余分な荷物を置いて山へ行こうよ。ルトちゃんの試験の付き添いはちゃんとこなさなきゃ、ね」
「……そうだな。気にはなるけど、今はそれが優先だ」
奇妙な感覚の事は一旦頭の隅に追いやる。
ルトに限って万が一は無いだろうが、それでもA級召喚師として任された仕事だ。
かつて自分の試験でシフルがこなしたように、立派に務め上げなくては。
☆☆
C級召喚獣サンダーラット。
体長は四十センチ程、黄色の短い体毛が特徴的な小動物だ。
名前の通り雷の魔力を操り電気を生み出す事が出来る。
小型で扱いやすいため、蓄電所に電気を溜める用途で需要が高い。
一匹一匹の力は弱いが、この生物は数百匹単位の大きな群れで生活する。
数百匹のサンダーラットに同時に敵意を向けられた場合、B級召喚師すら為す術は無いだろう。
どのように群れから個体を引き離すか、それがこの試験の成否を分ける——並の召喚師ならば。
「お、発見したよ。サンダーラットの群れ」
草むらから顔を出したルトは、洞窟の入口に屯するサンダーラットの群れを発見。
黄色い体の小動物が数百匹、身を寄せ合って周囲の様子を探っている。
「よし、まずは——じゃなかった。私は試験内容には一切口を出さないからな、うん」
「懐かしいのです。かつてシフルが務めた役目を今度はリンナおねーさんが……。成長しましたねぇ」
「シフル、親戚のおじさんみたいな事を……」
「がんばって、ルトちゃん。私は応援しかできないけど」
「うん、じゃあいっくぞー!」
懐から宝玉を取り出したルトは草むらから勢い良く飛び出した。
すぐさま宝玉に祈りを込め、緑の光が雷鎚を形作る。
ミョルニルを召喚した彼女は、群れに向かって突進。
サンダーラット達は一斉に警戒態勢を取る。
「そーれっ!」
群れから五メートルほどの距離で、ルトは地面にミョルニルを叩きつけた。
そこから発生した電撃のカーテンが、標的の群れへと迫る。
か弱いC級召喚獣の群れは、どうする事も出来ず電撃に蹂躙されていく。
縦横無尽にサンダーラットの大群の中を駆け巡る電撃のカーテン。
それが治まる頃には、数百匹のサンダーラットは一匹残らず天に腹を向けていた。
「いっちょあがりっ」
ミョルニルを送喚すると、ルトは得意げに三人の方を向いて笑う。
微弱な電流を流す事によって、彼女は全てのサンダーラットを気絶させたのだ。
「さっすがルトちゃんなのです!」
「まだ終わっていないぞ。百匹も宝玉に登録しなきゃならないんだ。むしろこれからが大変かもしれない」
「うぇー、メンドクサいぃ」
荷物の中から未登録の宝玉を取り出し、次々とリンクさせていく。
百個の宝玉に登録を完了するまでに、三回ほど群れは意識を取り戻した。
当然ルトは、そのたびに電流を流す事になったのだった。
「はふぅ〜、これで最後……」
最後の宝玉に登録が完了した時には、ルトはすっかりくたびれてしまっていた。
「お疲れ様。大変だったな、登録の方は」
「もう疲れたよぉ〜。シフルぅ、ボク早く町に戻って休みたい……」
「そうですね。まだ日は高いですけど、日数にも余裕はありますし。遊ぶのは明日でもいいですね。では帰るのです」
荷物を纏めてルトとシフルはその場を後にする。
空いた片手同士をしっかりと繋ぎながら。
「私達もいこ、リンちゃん」
「ん、宿に戻ってゆっくりしよう」
玲衣とリンナもその場を後にしようとする。
その時、リンナは確かに感じた。
洞窟の中から吹き付ける冷気と、自分を呼ぶ声を。
突然立ち止まるリンナ。
玲衣はすぐに彼女の異変に気付く。
「リンちゃん、また何かを感じるの?」
「今確かに感じた。あの洞窟の奥から、誰かが私を呼んでる」
「……そっか。シフルちゃん、ルトちゃん、悪いけど先に戻ってて」
玲衣は先に行く二人に声をかける。
彼女の声に二人は足を止めて振り向いた。
「別にいいですけど、なにかやり残した事でもあるのですか? それとも、むふふ。ただ単に二人きりになりたいとか」
「えへへ、まあそんなとこかな」
「——おや、この反応。まさかレイおねーさん、ようやく自覚が……?」
「ねえシフル、ボク早く休みたいよ……」
「おっと、そうですね。では二人とも、ごゆっくり」
その場に二人を残し、ルトとシフルは去っていった。
手を振って見送る玲衣に、リンナは感謝を伝える。
「ありがとう、レイ。私のために。もしかしたら気のせいなのかもしれないのにさ」
「リンちゃんがあんなに真剣に言うんだもん。気のせいなんかじゃないよ。きっと何かがあるんだ、この山には」
リンナが何かを感じたのは目の前の洞窟の奥深く。
サンダーラットの群れは、既にどこかへと逃げ去っている。
ぽっかりと開いた洞窟の内部は暗く、明かりがなければ先へと進めない。
「中は暗いね。背中の荷物の出番かな」
「レイもわかってきたな。備えあれば憂いなしだ」
荷物の中からランプを取り出し、固形燃料を入れてマッチで火を点ける。
一連の流れは、世界蛇の洞窟に足を踏み入れた時を思い起こさせた。
「なんだか世界蛇の時を思い出すね」
「そうだな、世界蛇の——レイ、この洞窟の壁、見てみろ」
一歩踏み出そうとして、リンナは気付く。
外の光が差し込む入り口の壁に、うっすらと文字のようなものが書かれている。
風化して消えかかっているその文字は、しっかりと注視しなければ気付く事すらできないほどだ。
よしんば気付けても、自然に出来たおかしな模様にしか見えないだろう。
あの森の奥で見た、古代の文字を知っていなければ。
「これって、世界蛇が封印されてた場所の近くに建ってた遺跡の文字と同じだよね」
「そうみたいだな。あの文字とそっくりだ。この洞窟は一体……」
「ここで考えてても仕方ないよ。行ってみよう」
「ああ、ただ何が待っているかわからない。気を付けて進もう」
玲衣を先頭に、何かに導かれるまま。
二人は暗い洞窟の中へと入っていった。




