35 旧友の影
王都、騎士団詰め所。
今日も多くの騎士たちが忙しそうに駆けまわっている。
この場所へ今、玲衣とリンナはヒルデを訪ねてやってきた、のだが。
「留守、ですか?」
「そうなんですよ。精鋭数人を連れて極秘任務だとかで。どこに向かったのか下っ端の自分には全然見当も……。」
「そうですか、ありがとうございます。……はぁ、残念。色々新しい事も分かったのに」
「ま、極秘任務じゃ仕方ない。ヒルデさんは騎士団長なんだし、いつでも会える程暇じゃないよ」
がっくりと肩を落とし、騎士団詰め所を後にする玲衣。
リンナは彼女の背中を軽く叩いて慰める。
「でもさ、シフルちゃんも依頼を受けていなかったし。どうにも間が悪いっていうか……」
彼女達はここに来るまでにシフルの家に寄っていた。
しかし出迎えた母親が言うには、依頼で数日は帰ってこないとの事。
二人と入れ違いになってしまったタイミングの悪さに落ち込む玲衣だったが。
「居ないものは仕方ないよ。この時間を有効に使う事を考えよう」
「そうだね、リンちゃん。よし、温泉に行こう!」
「お、温泉!?」
「そうだよ。約束したじゃん、依頼が終わったら行こうって」
「いや、確かに言ったけど……」
「じゃあ決定! えへへ、楽しみだなぁ」
そのあまりの切り替えの速さに圧倒されるリンナ。
次はのぼせたりしないよう、彼女は祈るのだった。
☆☆
見上げるような巨岩。
大きさは十メートルはあるだろうか。
この岩に今、一人の女性が対峙している。
その右手には、装飾が施された紫色の剣。
後ろ頭に縛った長い黒髪が風に揺れ、赤黒い軽装の鎧に写る。
彼女は両手で剣を握りしめると、ゆっくりと上段に構える。
そして、裂帛の気合と共に振り下ろした。
「ハッ!」
目で追えないほどの剣速。
一瞬の間の後、巨岩は真ん中から二つに割れ、左右に転がった。
「お見事ね、『グラム』」
背後からパチパチと拍手の音。
音も気配も無く背後に現れたのはヘレイナだ。
「……何の用。私には出来るだけ関わるなと言っておいたはず」
鋭い目でヘレイナを睨む。
ヘレイナの事を、いや、他者を一切拒むような目で。
「大事な事を伝えに来たのよ。『ミストルティン』が死んだわ」
「『ミストルティン』が……。そう。私には関係のないこと」
ヘレイナの言葉に彼女はわずかに表情を変えたが、それで終わりだった。
「用件はそれだけ? なら早く帰ってくれると助かる。修行の邪魔」
「そう冷たくしないの。せっかく取って置きの情報を持ってきたのに」
その言葉にも全く興味を見せず、彼女はその場を立ち去ろうとするが。
「……オルタ」
「……ッ!!」
ヘレイナの呟いたその一言に、彼女は突然足を止め、顔色を変えて振り向く。
「なぜ、お前がその名前を知っている」
「掴んだのよ、貴女の憎き仇のアジト。教えてほしい?」
「……なにが目的。見返りは?」
彼女は知っている。
目の前のこの女が、親切心からこのような事を教える人間ではないことを。
用心深く、相手の出方を窺う。
「大した事じゃないのよ。ただ、聖剣の娘達と戦ってくれるだけでいいの」
「たったそれだけ? わかった。その程度、造作も無い」
あまりにも簡単な条件に拍子抜けする。
だが、裏で何を企んでいるかわかった物ではない。
一応条件は呑んでおくが、用心を怠るべきではないだろう。
「いい子ね、じゃあ教えるわ。貴女の仇、その居場所を」
ヘレイナは懐から紙切れを取り出し、彼女に渡す。
それを見るや、まるで消えたと錯覚するような速度で彼女はその場から去った。
その場に残されたヘレイナは、心底楽しそうな笑みを浮かべる。
「さぁて、今度はどんな面白いものが見れるのかしら。うふふっ」
☆☆
ニザベル山脈に連なるヒンダス火山の麓、王都から馬車で五日程離れた距離。
多くの観光客でにぎわう温泉の町フィーヤがある。
今この町に、ヒルデ以下数名の精鋭の姿があった。
彼女達の目的は、高位の召喚獣の宝玉を違法に取引する闇ブローカーのアジトの壊滅。
この温泉町を隠れ蓑に、彼らは十年近く暴利を貪ってきた。
そのアジトの場所が、ようやく掴めたのだ。
「うぅ、それにしても騎士団長。こんな情報をリークしたのは誰なんでしょぉ。何かの罠なんじゃ……」
「そう心配するな、アスラ。ちゃんと裏は取った。この情報、出所はともかく信憑性は確かだ」
ヒルデの横で小刻みに震えている、カールがかった栗毛の女性は、副団長のアスラ・ニーベル。
彼女の言う通り、この情報は出所不明である。
だが、密偵を出して探りを入れたところ、確かな情報であることが確認された。
「長年追ってきた奴らを一網打尽にするチャンス、ワクワクしてこないか? ハッハッハ」
「ワクワクしませんよぉ。大体なんで私が連れてこられてるんですかぁ」
「何を言うんだ、お前は騎士団のナンバー2だぞ。もっと胸を張れ、胸を!」
バシバシと音を立ててアスラの背中を叩くヒルデ。
アスラは騎士団の副団長であり、A級召喚師だ。
確かにもっと自信を持ってもいいものだが。
「だって、あの人がいたら私なんて……。あっ! ご、ごめんなさい!」
「……いや、気にするな! 確かにアイツがいたら副団長はこの私だな、ハッハッハッハ!」
豪快に笑って見せるヒルデだが、一瞬表情が曇ったのをアスラは見逃さなかった。
失言をしてしまったと悔やむが、自分が何を言っても彼女の心には響かないだろう。
『あの人』が帰ってこない限り、騎士団長が心から笑える日は来ない。
いつも側でヒルデを見てきたアスラだからこそ、その事は痛いほど分かっていた。
「さて、お喋りはここまでだな。見えたぞ、気を引き締めろ」
「は、はい」
町はずれにひっそりと佇む小さな家屋。
この辺りは観光客も足を運ばず、人通りもまばらだ。
闇ブローカーのアジトを前に、ヒルデ達精鋭五人の表情が引き締まる。
路地の裏に身を隠し、そっと様子をうかがう。
一見するとただの民家にしか見えないが、その地下には広いアジトが隠れている。
密偵の放った超小型召喚獣によって、内部構造まで調査済みだ。
「相手は高位の召喚獣を取引している。当然A級召喚獣との交戦もあり得る。用心しろ」
部下達の顔を見回すヒルデ。
彼らは皆、騎士団でも選りすぐりのA級召喚師達。
だが、万一という事もあり得る。
「もしもS級召喚獣が現れた場合、お前達は手を出すな。私が始末する」
A級召喚師の彼らでは、S級に太刀打ちする事は難しいだろう。
そもそもS級を従えられる召喚師がアジトの中にいるという可能性は低いが、念のためだ。
ヒルデは緑の宝玉を取り出すと、精神を集中させる。
「召喚、バンムルク!」
氷の魔剣が姿を現し、ヒルデの体に力がみなぎる。
アスラ達四人も赤の宝玉を杖に取りつけ、いつでも召喚獣を呼べる構えだ。
「私が先頭だ、行くぞ」
「了解!」
ヒルデの声に四人は声を揃えて返事を返す。
まずヒルデが気配を殺し、アジトへと接近。
壁に沿って中の気配を探る。
地上部分に人の気配は全く感じ取れなかった。
ヒルデは待機する四人に手で合図を送る。
アスラは頷き、三人の騎士を連れて彼女の側に走り寄る。
「大丈夫だ、中に人の気配は無い。これから突入するぞ」
「は、はいぃ。緊張してきましたぁ」
素早くドアの前に移動し、ドアノブに手をかける。
カギは掛かっておらず、あっさりとドアは開いた。
中を覗き込んだヒルデは、かすかな違和感を感じる。
あまりにも人の気配が無さ過ぎる。
そして、わずかに鼻を突くこの臭いは。
「……血の臭いがする」
「騎士団長、どうしたでありますか」
入り口で止まったままのヒルデに、騎士の一人が声をかける。
「ああ、すまない。引き続き私が先頭を行く。お前たちは後から付いてこい。待ち伏せには注意しろ」
家の中に足を踏み入れるヒルデ。
入ってすぐ右の扉を開け放ち、地下へと続く階段を確認する。
事前の調査通り、だが。
「血の臭いが濃くなっているな。もうハッキリと分かる」
「だ、団長。一体さっきからなにを……うっ! この臭い」
アスラもようやく異変に気付く。
鼻を突く血の臭いに彼女は思わず口元を覆った。
「どうやらなにかが起こったようだ。皆、急ぐぞ」
もはや悠長に構えている場合ではない。
ヒルデは階段を駆け降りる。
地下の通路に飛び出し、バンムルクを両手で構えた彼女の目に飛び込んできたものは。
「なんだ……、これは」
一刀のもとに斬り伏せられ、絶命している男達。
赤い宝玉のセットされた召喚杖を持ってはいるものの、辺りに召喚獣の死骸は無い。
おそらく召喚する暇も無く、斬り殺されたのだろう。
「この刀傷、相当の達人だ」
死体の傷口を見るに、相当腕の立つ武装召師の仕業に間違いは無い。
「しかしこの太刀筋、私のものと似ている……?」
「団長、一人で言ったら危ないですよぉ。うっ、何これ、酷い……」
ヒルデを追いかけてきたアスラは、この惨状に思わず息を呑む。
「アスラ、後の三人を連れて生存者を探してくれ。おそらく居ないとは思うが……」
「団長は!?」
「ボスの部屋に行く。殺されているとは思うが、せめて組織に関する重要な証拠は押さえておかなくてはな」
アスラに指示を出すと、ヒルデは駆けだす。
風のような速さで廊下を二、三度曲がり、ものの数秒で目的の部屋の前へ到着。
乱暴にドアを蹴破り、中へと足を踏み入れる。
「やはりな、殺されているか」
組織のボス、その無残な死体が豪華な革張りの椅子でくつろいでいる。
ひとまず顧客名簿を回収するため、荒らされた部屋を探そうとしたヒルデは、ナイフで壁に留められた一枚の紙を発見した。
その紙に目を通した瞬間、彼女の全身を衝撃が突き抜ける。
「オルタ……、売約・S級召喚獣。日付は四年前……。まさか!」
自分と同じ太刀筋、そしてこの名前を知っている武装召師。
つまりこの組織は、仇にあの召喚獣を売り付けた組織で。
つまりこの惨状は。
「まさかこれは、お前がやったのか。シズク……」




