32 穿弓の謎
射られたはずの傷が無い。
攻撃を受けたように錯覚しただけなのか。
しかし、確かに矢を受けた衝撃は感じた。
「一体どういうこと……」
「そんなところで休んでいる暇があるとお思いですか?」
至近距離で聞こえるホズモンドの声。
敵は既に、音も無く射程距離に入っていた。
引き絞られた弓が矢を放つ前に、玲衣は走りだす。
作戦は立て直しだ。
ひとまず先ほどの鍾乳石に戻らなければ、どこから攻撃を受けるか分からない。
リンナは玲衣が回り込んでいった鍾乳石を心配そうに見つめる。
陰から一向に玲衣が出てこない。
「レイ、無事だよな……」
祈るような気持ちで見守っていると、柱の陰から白い光を纏った玲衣が飛び出してきた。
その背後から無数の矢が撃ち出され、玲衣はそれを弾きながら先ほどの位置に戻り、鍾乳石に背中を預ける。
見たところ傷は受けていない。
リンナはホッと胸を撫で下ろす。
「レイ、無傷みたいだな」
「それがそうでもないの。肩に矢を受けて……」
玲衣の言葉にリンナは肝を冷やすが、彼女の肩は全くの無傷。
「どういう事だ? ケガなんてしてないように見えるけど……」
「私も不思議なの。間違いなく攻撃を受けたはずなのに」
「妙だな……。その話が本当なら……」
「お喋りはそこまでですよ!」
ホズモンドの声が響き渡った瞬間、先ほどと同じく前方から矢の雨が飛来する。
「くっ、これじゃさっきと……」
玲衣は剣で矢を弾き落としていくが、これでは何も状況は変わっていない。
いや、一層不利になったと言うべきだろう。
一方、リンナはこの戦法に妙な引っかかりを覚えた。
数に任せたこの攻撃、非常に無駄が多いのだ。
やたらめったら手数だけを押し出して、一発一発の狙い自体は非常に甘い。
手足に当たっても機動力を封じられはするだろうが、急所を的確に撃ち抜いてこそ効果はあるはずだ。
この戦法は、まるで相手の体のどこかに当たりさえすればいいと言っているような……。
「それにあの矢……」
地面や壁に当たった矢は、その場所に傷一つ残さず消滅していく。
あの矢に物理的な破壊力が無いのだとしたら。
あの弓は、一体何を『穿つ』というのか。
「試してみる価値はあるな……。レイ、ブーストを解除する! 耐えられえるか?」
「余裕! 何か考えがあるんだね!」
「ああ、うまくいけばヤツの攻撃の狙いがわかるかもしれない」
「さすがリンちゃん! じゃ、任せたよ!」
リンナは玲衣に送り込む力の流れを遮断する。
玲衣の体を包んでいた白光が消え、途端に体が重く感じる。
ずっと剣を振るって矢を弾き続けていることによる疲労が、確実に蓄積していた。
「レイ、少しだけ耐えてくれ」
杖の先端のひび割れた宝玉を外し、懐から黄色の宝玉を取り出す。
ライアから貰ったB級召喚獣・シールドフライの宝玉。
これを杖にはめ込み、リンナは意識を集中させる。
「召喚、シールドフライ!」
黄色の光が収束し、鉄の盾に翼が生えたような生物が姿を現した。
シールドフライの物理防御力はB級の中でもトップ。
A級の攻撃さえものともしないと言われる硬さだが、反面攻撃能力はゼロ。
完全な補助型召喚獣である。
「くっ……、さすがに負担が大きいか……」
この作戦は、リンナにとっても賭けだった。
通常、召喚師が一度に出せる召喚獣の限界は二体。
しかもシールドフライはB級だ。
体にかかる負担はかなりのもの。
さらにリンナの考えが正しければ……。
「それでも、やるしかない! いけ、シールドフライ!」
リンナの指示で、シールドフライは玲衣の前に飛んでいく。
そして文字通り盾となり、矢の雨から玲衣をかばう。
シールドフライが攻撃を受け止めている間、玲衣は手を休めることができる。
「これって、ライアちゃんから貰ったやつだね! 凄い、全然攻撃が効いてないよ!」
「……だと、いいんだけど」
シールドフライの体に、矢が次々と降り注ぐ。
その矢はシールドフライの体に当たると、刺さりも弾かれもせず消滅していく。
そのまましばらく平然と矢を受け止め続けていたが……。
「え? 何!?」
ある一点、そこに矢が当たった瞬間、シールドフライは地に堕ちた。
そして玲衣は再び矢面に立たされることとなる。
B級召喚獣が倒された反動、全身を地面に叩きつけられたような衝撃がリンナを襲う。
「がはっ!! げふっ、ごほっごほっ……ぅぐ……っ」
あまりの衝撃にその場に倒れ込み、意識が飛びそうになるが、なんとかこらえる。
「リンちゃん、大丈夫!?」
「だい……じょうぶだ……っ。ゲホッ……。それより、ヤツの狙いが分かった……」
無傷であるにも関わらず、地に堕ち絶命しているシールドフライ。
命を落とす瞬間に攻撃を受けた場所、そこは一度攻撃を受けた事があるポイントだ。
「穿弓は、一度射った場所を……、ゴホッ! もう一度穿った時、相手を……、即死させる……!」
「即死攻撃!? それがミストルティンの能力……!」
「はぁ……。やれやれ、バレてしまいましたか。さすがリンナさん。ですが自分の体をもう少し大事にしていただきたい。貴女に死なれては困るのですよ」
どこからか聞こえるホズモンドの声。
倒れ伏し、息も絶え絶えなリンナは、しかし気丈に返す。
「敵に心配されるつもりは……、無い……。それにこっちには、まだ切り札が……」
リンナは再び、ひび割れた宝玉を杖にセットする。
敵の攻撃の狙いさえ分かれば、あとはあの力で……。
「おっと、光の剣、出させるとでも思いましたか?」
正確無比な矢が、突如としてひび割れた宝玉に当たり、弾き飛ばした。
矢に物理的な破壊力が無い事を生かしての、ホズモンドの機転だ。
「しまった!」
弾かれ、遠くへと転がっていく宝玉。
リンナは追いかけようとするが、足に力が入らない。
立ち上がろうとした瞬間、その場へ倒れ込んでしまう。
「ぐっ……、すまないレイ……、しくじった……」
「リンちゃん!」
玲衣は矢の雨を弾くのに精一杯で、その場から一歩も動けない。
もし今左肩に攻撃を受ければ、その瞬間に全ては終わる。
「ハハハ、これでチェックメイトです! リンナさんはそこで大人しく、レイさんが力尽きるのを見てなさい」
矢の雨に晒されながら、玲衣は奥歯を噛み締める。
こんな所で終わるのか、そんなのは絶対に嫌だ。
リンナを守る、そのための力が欲しい!
「力が、欲しい……! お願い、私のペンダント! 力を貸して!!」
その時、叫びに応えるように玲衣のペンダントが光を放ちはじめた。
それは光の剣が現れる時と同じ光。
「レイ……!? まさか……」
リンナは遠くに転がる宝玉を見る。
だが、それは光を放たず沈黙したままだ。
「一人で……、あの力を……?」
ペンダントの光は玲衣の右掌へと集まり、輝きを増していく。
「馬鹿な……。あの力が一人で使えるなど……、そんなはずは……」
明らかに狼狽したホズモンドの声。
宝玉の正体を知っているであろう彼ですら想定外の事態が起きている。
「来い、光の剣!!」
眩い輝きの後、玲衣の右手に握られているのは。
「レイ……、やった……!」
光のオーラを放つ、半透明の剣。
玲衣は鋼鉄の剣を鞘に収めると、光の剣を一振りした。
光の刃が飛翔し、飛来する全ての矢を薙ぎ払う。
「そ、そんな……。こんな事があっていいはずが無い……」
「ホズモンド、コソコソ隠れるのはもう終わりだ!」
「な、何ィ!?」
玲衣は光の剣に力を込める。
その刀身が巨大な光の刃へと姿を変えた。
「どりゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
そして、その場から駆けだす。
光の刃で鍾乳石を根こそぎ薙ぎ倒しながら。
これまでホズモンドを守っていたそれは、根元から倒され、粉々に砕けていく。
「な、なんてことをぉぉぉッ!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
円形に配置された鍾乳石は、玲衣が一周する頃には全て倒され砕け散った。
砂煙の中からホズモンドが怒りの形相で姿を現す。
玲衣は敵を睨み据え、光の剣を構えた。
「貴女……、やってくれましたねぇ……。この場所、あの鍾乳石がどれほど貴重な物か分かっているのですか!」
「知った事じゃない。リンちゃんを守る事に比べれば、些細なことだよ」




