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68.真実の物語

 ティルミナ王国第6王子であるアーサー・グランド。彼は元々庶子の生まれであった。父はティルミナ王国現国王フィルマン、母はヘレナ。

 フィルマンが視察でとある集落を訪れた折に、接待役であるヘレナと一晩限りの関係を持ち、生まれた子どもがアーサーである。

 

 幼年時をヘレナとともに集落で過ごしたアーサーは、5つを迎える年に正式にフィルマンの嫡出子として認められた。身柄は母とともに宮殿に移され、サファイア宮と名のつく輝かしい離宮で生活することとなった。


 しかし国王の子と認められたからといって、アーサーの生活が大きく変わることはない。父がわからず肩身の狭い思いをしていた集落での生活。嫡出子であるにも関わらず、妾の子のような扱いを受ける宮殿での生活。

 ただ着る物と食べる物が豪華になっただけの、息が詰まるような毎日だ。

 

 ヘレナとアーサーの身の安全を守るために、鬼人レオナルドがサファイア宮の警備にあてられたのは、2人が宮殿に迎え入れられてから数か月後のことだった。


 入城当初のアーサーを一言でいえば『ごく平凡な子ども』。特段目立つ容姿をしていたわけでもなく、特別な特技があるわけでもない。全ての王子に等しく施される教養教育においても、常に第6王子相応の成績を取り続けいていた。


 アーサーを取り巻く状況が一変したのは、彼が9つを迎えた年のことだった。レオナルドから遊びで剣を教わっていたアーサーは、5つ年上の第2王子を剣技の試合で打ち負かした。


 そしてその試合をきっかけに、アーサーはめきめきと頭角を現し始めることとなった。武術、弁論、そろばん、乗馬。さまざまな分野で他の王子を圧倒し、7つ年上の第1王子を押しのけて王位継承最有力候補とまで言われることもあった。


 しかし運命とは残酷なものだ。光が影を作るのと同じように、羨望の裏には必ずや妬みが存在する。


 アーサーが11歳を迎えた直後、件の事件が起こった。ヘレナとアーサーが何者かの手により誘拐され、行方知れずとなったのだ。

 

 レオナルドの活躍により事件は解決へと向かうが、その誘拐事件によりヘレナは死亡、アーサーは心神喪失状態に陥ってしまう。

 鬼才アーサーの躍進は、そのときをもって途絶えることとなる――



「――と、ここまでが世間に広く知られている『アーサー・グランドの物語』です」


 そこで一度言葉を区切ると、レオナルドは手持ちのワイングラスに口を付けた。ワイングラスの中身は薄桃色のロゼワイン。

 アンもまた両手で抱え込んだグラスにちょん、と唇を付ける。


「そこまでの話は以前聞いたよね。ほら、一緒に枝豆を植えたときに」

「そうですね。私の除隊理由も合わせてお話ししました」


 レオナルドが騎士団を除隊になったのは、誘拐事件の犯人たちを拷問の末に打ち殺したからだ。手足を刻み、骨を砕き、痛みと苦しみの中で絶命させた。

 以前レオナルドの口からそう語られたことを、アンはよく覚えていた。


 そのとき「あはは」と楽し気な笑い声がアンの耳に届いた。幸せに満ちた笑い声は、澄んだ青空に吸い込まれて消えていく。


 ここはアーサー邸の園庭。教会での結婚式を終えた後、アーサー邸の住人はそろって邸宅へと引き上げてきた。

 そして野原にテーブルを並べ、キッチンから酒とご馳走を運び出し、青空の下で乾杯をした。


 今日は記念すべき日だ。主があるべき場所へと戻った日。だから皆が歌い、踊り、語らい、酒を飲み、今日という日を胸に刻みつける。

 ジェフの奏でるハーモニカの音が、リナが車椅子の車輪を回転させる音が、グレンとバーバラが手のひらを打ち鳴らす音が、美しい協奏曲のように辺りに響く。


 ちなみにアンはと言えば、レオナルドと一緒にガゼボに座っていた。かつてアンがグレンに冷水をぶっかけられた場所だ。

 

 真っ白に塗られたガゼボの柱の向こうに、陽気に踊る皆の姿が見える。宴に参加したいという気持ちはもちろんある。しかし今日という日を祝うのは、レオナルドが語る『アーサーの物語』を全て聞き終えてからだ。


「それで、物語の続きは? 教えて、レオナルド」


 アンの催促を受けて、レオナルドはまた語り出した。



 物語は少しだけ巻き戻る。レオナルドが誘拐犯の根城へと踏み込んだ、その時まで。


 レオナルドが小さな小屋の中で見た物は、無残に息絶えたヘレナと、そして部屋の隅に音もなくうずくまるアーサーの姿だった。レオナルドは小屋に戻ってきた4人の賊徒を次々と打ち殺し、血に染まる手のひらでアーサーを抱き締めた。


 ――アーサー、助けに来た。俺と一緒に宮殿へ帰ろう


 アーサーはレオナルドの腕の中で、消え入りそうな声でささやいた。


 ――レオナルド。俺はもう宮殿には帰りたくない。唯一の味方である母を亡くした今、俺はあの場所でどうやって生きていけばいい? 壁の中は、俺に悪意を向ける輩で溢れている。俺はもう王座など欲しくはない。ただ優しい人たちに囲まれて、平穏な日々を過ごしたい


 目の前で母を殺された少年は、ぼろぼろと涙を零しながらそう願った。かろうじて正気は失わなくとも、アーサーは心に癒すことのできない傷を負っていた。

 

 アーサーの願いを無下に扱うことなど、レオナルドにできるはずもなかった。


 それから先、アーサーとレオナルドは『事実とは異なる物語』を紡ぎ始めた。

 

 宮殿へと戻ったアーサーは母の死により心を失った振りをした。レオナルドはアーサーのために密かに協力者を集め始めた。規則違反により騎士団を除隊になったレオナルドだが、武器を持たないという条件付きでサファイア宮への出入りが認められていたのだ。

 

 それは母を亡くしたアーサーへの国王フィルマンなりの気遣いだったのだろう。アーサーがレオナルドを慕っていることを彼は知っていた。その気遣いがアーサーとレオナルドにとっては幸いだった。


 当時のレオナルドが協力者として選んだ人物は2人。生前のヘレナと親密な関係を築いていた侍女頭のバーバラと、そしてアーサーの専属医であったジェフ。

 宮殿の中でも比較的強い発言権を持つこの2名を協力者として引き入れることにした。元よりアーサーとヘレナを心から慕っていた2人だ。レオナルドの協力依頼を断ることはしなかった。


 そうして『事実とは異なる物語』は紡がれていく。

 

 専属医であるジェフはフィルマンに対し、「アーサー殿下は宮殿から離れた場所で療養されるがいい」と進言した。

 そして侍女頭のバーバラは、宮殿が管理所有するたくさんの建物の中から、アーサーが平穏な生活を送るのにふさわしい別邸を見つけ出した。


 アーサーは変わらず心を失った振りをして、事件からおよそ2か月が経った頃、4人はバーバラが綺麗に整えた別邸へと移り住んだ。

 現在のアーサー邸へと。


 しかしいくら住まいを変えても、監視の目がなくなることはなかった。フィルマンの遣いは頻繁に別邸を訪れるし、他の王子たちもアーサーの様子を探ろうとする。

 宮殿から離れたとしてもアーサーの気が休まる日は少なく、心を失くした振りを続けるのも負担だった。


 そこでレオナルドらはとある計画を実行に移した。

 

 近隣の孤児院を訪ね、当時ぎりぎり就労可能年齢に達していたリナを別邸の使用人として雇い入れた。そして弟であるユリウスを、リナの扶養家族としてともに別邸へと迎え入れた。

 

 孤児院の側もレオナルドの要求を断りはしなかった。ユリウスは流行り病の後遺症から脳に損傷を負い、自力での生活が困難となっていたためだ。

 ユリウスの世話をしながら人並みの給与が得られるのならと、リナもレオナルドの提案を2つ返事で受け入れ、別邸にはまた2人の協力者が増えた。


 アーサーの身代わりとなるユリウス。

 ユリウスの世話係であるリナ。


 この瞬間、本物のアーサーはアーサーではなくなった。又名をグレン、地位はアーサー邸の使用人。本当の名前を捨てることにより、アーサーは初めて自由な生活を手に入れたのだ。

 

 「ただ優しい人たちに囲まれて、平穏な日々を過ごしたい」血溜まりで語った望みは叶えられた。


 それからおよそ10年もの間、『事実とは異なる物語』は紡がれてきた。

 ユリウスが扮する偽りのアーサーを立役者として。レオナルド、バーバラ、ジェフ、リナ。4人の協力者が懸命に物語のほころびを繕いながら。


 これがアーサー・グランドの物語。

 10年に渡り隠され続けた、真実の物語。

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