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58.懺悔

 神の御許でアンは自らの罪を告白した。


 魔女の妙薬にはまった令嬢友達というのが、実はドリーであるということ。

 魔女の妙薬に依存したドリーは、本来の淑やかな女性からは程遠い姿になってしまっていること。

 初めにドリーへ魔女の妙薬を手渡したのはアンであるということ。

 アンこそが、ドリーの人生をめちゃめちゃにした張本人であるということ。

 アーサーから理想的な結婚相手を奪った張本人であるということ。

 

 ――幸せな未来を壊した張本人であるということ。


 全ての罪を告白し終えたとき、グレンは怒るでもなく悲しむでもなく、ただ感情の読めない瞳でアンを見つめていた。


「……お前さ。何でそういう大事なことを、今まで隠してたわけ?」


 アンはうつむき、小さな声で答えた。


「ドリーがアーサー邸の皆にとって理想的な結婚相手だと思ったから……。だからこの件はグレンに言わずに、あたし1人の力で解決しようと思ったの。素性調査の手が伸びる前に、ドリーを魔女の妙薬から引き離せば、全てが丸くおさまるかと思って……」


 グレンは苛立った口調で口を挟んだ。


「丸くおさまる、ねぇ……確かに俺もドリー嬢が本命だろうとは思っていたけどさ」


 グレンはドリーとの面会を望んでいた。「ドリーがアーサーの結婚相手にふさわしい人物である」というアンドレの主張を信じ、一度の面会をもって調査報告書を書き上げるつもりだったのだ。


「一応確認なんだけどさ……ドリーはアーサー王子とは結婚できないよね……?」


 アンが恐る恐る尋ねれば、グレンは溜息交じりに答えた。

 

「絶対に無理とは言わない……が、厳しいだろうな。今回のハート家の一件については、早急にフィルマン殿下に報告をあげる必要がある。証拠隠滅を図られると厄介だからな。早ければ明日の内にでも、ハート商会には王命による調査が入るだろう。そうなれば当然、魔女の妙薬の服用者にも調査の手は及ぶ」


 確かにその通りだ、とアンは思った。

 ハート商会を適切に罰し、魔女の妙薬の服用者を依存から救い出すためには、早急に国家に調査を依頼する必要がある。証拠隠滅や情報操作の可能性を考えれば、一刻の猶予もありはしない。

 

 そしてハート商会の会員名簿が国家の手に渡れば、その中に貴族の関係者の名前が多いことは必然的に明らかになる。

 例えその中にドリーの名前がなくとも、ドリーが調査の目を逃れられる保証はない。繁華街を遊び歩くドリーの姿は、たくさんの人々に目撃されているのだから。


 一時前のご機嫌顔はどこへいったのやら、グレンはむっつりと黙り込んでいた。その沈黙がいたたまれなくて、アンは小さな声で質問した。


「グレン……怒ってる? あたしが大事なこと隠してたから」


 グレンはアンのことを見ずに答えた。


「……別に怒ってはいねぇよ。残念だとは思うけどさ。もし俺が1週間前にその話を聞いていたら、未来は違ったものになっていただろうから」

「……どうして?」

「今回の件は、ドリー嬢の方を先に片付けるべきだったんだ。メイソン夫妻に事情を話し、ドリー嬢を療養施設に一時入所させる。強制的に魔女の妙薬から引き離すということだ。ハート家の調査に取りかかるのはその後だ。そうすれば調査の手が及んだとき、ドリー嬢の過ちは過去の話になる。『現在進行形で怪しげな薬を服用している令嬢』と『怪しげな薬を服用していた過去はあるけれど、自らの力で依存から抜け出した令嬢』とでは、素性調査報告書の書き方もまるきり変わってくるだろ」


 アンは目を丸くした。そんなことは考えもしなかった。


「……グレンに真実を話していれば、全てが丸くおさまったの?」

「お前が俺を信じて全てを話していれば、全て丸くおさまったかもな」


 お前は俺を信用していなかったんだな。そう言われている気がしてアンは言葉を詰まらせた。


 ――信用していなかったわけじゃないんだよ。自分の過ちは、グレンには頼らずに自分で解決すべきだと思ったんだよ。グレンに迷惑をかけるのは嫌だったんだよ。


 たくさんの言葉が頭をよぎるけれど、口に出す前におぼろと消えていく。いまさら何を言ったところで、言い訳にしかならないのだ。


 ふいにグレンが立ちあがった。うなだれるアンをその場に残し、教会の扉へと向かっていく。

 アンは慌ててその背中に呼びかけた。


「待って……どこ行くの?」

「帰る。これ以上ここにいても仕方ねぇだろ。お前もあんまり長居はすんなよ。ハート家の人間が俺たちを探しているかもしれないから」


 グレンの声は氷のように冷たかった。アンに話しかけているというのに振り返りもしない。


 見捨てられてしまう

 嫌われてしまう

 築き上げた関係が崩れてしまう


 アンの目には大粒の涙が盛り上がった。


「グレン、ごめんね。何度でも謝るからぁ……あたしのこと嫌いにならないで」

「謝ったってどうにかなる問題じゃねぇだろ。この件は俺の方で何とかするから、お前はもう首突っ込まなくていーよ。アーサー王子の結婚相手には、せめて性格だけはまともな奴が選ばれるよう祈っとけ。ドリー嬢の素性調査報告書にごまかしがきかない以上、フィルマン殿下が誰を選ぶか見当もつかねぇわ」


 アーサーの結婚相手について、最終決定権は父親であるフィルマンにある。調査報告書を作成するグレンの側でも一定の印象操作は可能だが、それはあくまでグレンが「誰を最有力候補者とするかを決めている場合」の話だ。

 

 ドリーを勝たせたければ、ドリーを勝たせるために印象操作をすることはできる。けれどドリーの素性に問題があることが明らかになった今、印象操作という手段は使えなくなってしまった。


 フィルマンは、アーサーの結婚相手として誰を選ぶのだろう。盗み癖のあるローラ・クロフォードか、わがまま娘のミルヴァ・コリンズか、大の男嫌いのシャルロット・ハートか。

 多分、フィルマンの側からすれば結婚相手は誰でもいいのだ。なぜならこの結婚は、初めからアーサーを庇護下から外したいがためのものなのだから。


 しかしそうして適当に選ばれた相手が、アーサー邸に幸せをもたらすだろうか?


 アンはアーサー邸の皆が好きだ。リナもバーバラもジェフもレオナルドもアーサーも、グレンも好きだ。誰にも不幸になってほしくはなかった。

 

 皆が穏やかに、今のままの温かな生活を続けられるのなら、何を犠牲にしても構わないと思った。

 例えそれが尊い己の未来であっても。


「あたし、ドリーの代わりになる」


 アンの声は、静寂の聖堂にりんと響いた。響いて消える。美しい讃美歌のように。

 

 今まさに扉をくぐろうとしていたグレンは、ゆっくりと振り返った。


「……何?」

「あたしがアーサー王子と結婚する。あたしの素性調査報告書、もうフィルマン殿下に出しちゃった?」


 アンが強い口調で問い詰めれば、グレンは見るからに動揺した。


「いや、まだ……」

「じゃあ昨日までのあたしは、全部過去のあたしにして。今日からもう酒場には顔を出さない、繁華街の家はすぐに引き払ってドレスフィードの家に帰る。親父……父親とも喧嘩しないし、貴族のお茶会にも夜会にも顔を出すよ。ダンスだって練習するし、護身術だって身に着けるし、貴族らしい立ち振る舞いも覚える。あと――」


 アンは胸元に浮いた紫色の痣を指先でなぞった。それは昨晩グレンがつけた痕、狂ったように求め合った証だ。


「昨晩のことは全部なかったことにする。あたしとグレンしか知らないことなんだから、あたしたち2人が忘れてしまえばそれで済む話だもの」


 蜜柑色の瞳から、ぽたぽたと透明な涙の粒が落ちた。

 

 捨てられた王子様アーサー・グランドとの結婚生活は、通常の結婚生活には程遠い。夫婦らしい会話は叶わず、子どもも望めない。一般的な王族のように贅沢はできず、しかし王族の一員となる以上、日々の生活はかなり制限される。繁華街で遊び歩くこともできない、気軽に友人と会うこともできない、不自由なだけの結婚だ。


 けれどドリーはその不自由な結婚を受け入れていた。

 ドリーにできた覚悟が、アンにはできないはずがない。


「あたしをドリーの代わりにして。罪を、償わせてよ」


 アンの覚悟を目の前にして、グレンは何も答えなかった。宙を舞う埃がしんしんと床に落ち、無限とも思えるときが過ぎた。

 

 やがてグレンはゆっくりと、しかし確かにうなずいた。


「……わかった、それでいい」


 ***


 その後、グレンがフィルマンを相手にどのような調査報告書を提出したのか、アンは知らない。


 しかしそれから1か月後、ドレスフィード家の邸宅には1通の手紙が届けられたのであった。

 王家の紋章を封蝋にしたその手紙には、小難しい文章が書きつらねられ、そして手紙の末部はこう締めくくられていた。


――厳正なる協議の末、アーサー・グランドの結婚相手にはアン・ドレスフィードが選ばれたことをここに報告する――

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