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53.覚醒そして衝突

「ん……んん」


 寝ぼけ声をあげて、アンはまどろみから覚めた。

 どこか知らない部屋で柔らかなベッドで寝ている。豪華なシャンデリアが部屋の壁をぼんやりと照らし、大きなガラス窓の外には星空が広がっている。


 ガラス越しの星空を眺めながら、アンは夢うつつで記憶をたどった。

 ――ここはどこ、なぜこんな見知らぬ部屋で寝ているの


「お目覚めのようね。気分はいかがかしら?」


 幼子のように高い声が聞こえた。声の主は、小さな椅子に腰かけた愛らしい容姿の少女だ。

 色素の薄い茶色の髪と、同じ色合いの瞳。瞳を縁どるまつ毛は作り物のように長く、ぽってりとした唇は採れたてのサクランボのよう。


 その人形のように愛らしい少女の名は――


「シャルロット嬢……?」


 アンが名前を呼ぶと、シャルロットは椅子から立ち上がり、優雅なカーテシーを披露した。


「このたびはハート家主催の新商品展示会、およびサバトにご参加いただき心から感謝申し上げます。私はハート商会の統率者でありますロジャー・ハートの娘、シャルロット。以後お見知りおきを」


 シャルロットの挨拶に耳を澄ませながら、アンは部屋の内装をぐるりと見やった。

 

 さほど広くはない部屋だ。クローゼットやソファといった最低限の調度品が備えられているが、どれも特別豪華ということはない。ごくごく一般的な客室、という印象の部屋だ。


「ここは……ハート家別邸の客室?」


 アンの質問に、シャルロットはうなずいた。


「そうですわ」

「あたし、どうしてここで寝ているの?」

「サバトの会場で倒れられたと聞いておりますわ。スタッフから報告を受けて、私がこの場所へとお連れしましたの。あなたのように可憐な女性を、まさか会場の床に寝かせておくわけには参りませんもの」


 そうだっただろうか、とアンは首をひねった。

 サバトの会場でダンスを踊ったことは覚えている。しかし奇妙なことにも、ダンスの途中でぷっつりと記憶が途絶えてしまっているのだ。


 もやもやとした気持ちを抱えたまま、アンはベッドから身を起こそうとした。シャルロットが目の前にいるというのに、いつまでも寝転がっているのは失礼だと考えたからだ。

 

 しかし不可解なことにも、いくら全身に力を込めても立ち上がることができない。それどころか腕1本、脚1本動かすことすら叶わない。

 アンはぶるりと身震いをした。


「――何、これ」


 ベッドの上に仰向けに寝かされたアンは、4本の手足を鎖で繋がれていた。手首と足首には革のベルトが付けられていて、ベルトから伸びる鉄の鎖がベッドの脚部分に巻き付けられている。

 つまり今のアンは、ベッドに張り付けられた昆虫標本同然の姿ということだ。


 現状を理解した途端、がちがちと歯の根が鳴った。

 もしも今、シャルロットがナイフを振りかざしたとしたは、アンはその切っ先から逃れることができない。皮膚を割かれても、目を潰されても、ガチャガチャと鎖を鳴らして苦しみ悶えることしかできないのだ。


 恐怖に震えるアンの顔を見下ろし、シャルロットは愛らしく笑った。


「ああ、ごめんなさい。逃げられては困ると思って、念のために付けさせていただきましたの。大丈夫、拷問や尋問をするつもりはありませんわ。要件が済めば全て外します」


 アンは瞳に涙を浮かべてシャルロットを見た。


「よ、要件って……?」

「大したことではありませんの。ほんの一時、私と遊んでいただきたいだけ」


 シャルロットは天使のような微笑みを浮かべたまま、するするとドレスを脱いだ。汚れのない柔肌と、妖艶さを感じさせる深紅の下着があらわになる。


 ベッドの上に四つん這いとなったシャルロットは、アンの太ももを撫で始めた。

 ズボンを穿いていない、ということにそのとき初めて気がついた。下着も身に着けておらず、アンが身につけている物は、アンドレが着ていた男物のシャツ1枚だけ。


 鎖に繋がれて閉じることの叶わない両足を、シャルロットの指先はゆるゆると撫でる。


「やだ、触らないで。ん、んん」


 ただ太ももを撫でられているだけなのに、抗いがたい快感が全身を走り抜けた。まるで身体の隅々まで性感帯になってしまったかのようだ。

 

 くすり、とシャルロットは笑う。


「気持ちよさそう。サバトの会場で飲んだ薬が効いていらっしゃるのね」

「そこ触んないで。やだぁ……」

「やだ、なんて冷たいことを仰らないで。快楽に身を委ねてごらんなさい。一度快楽を受け入れたら、もう何もかもわからなくなってしまうから。一緒に気持ちよくなりましょう?」


 シャルロットは、男物のシャツにおおわれたアンの胸元に触れた。アンはその手を振り払おうと懸命に抵抗するけれど、手首に巻きつけられたベルトは外れない。鉄の鎖が千切れることもない。

 

 朦朧としていく意識の中で必死に懇願する。


「お願いだから、もう止めてよぉ……」


 しかしアンの願いが届くことはない。シャルロットは林檎のように頬を赤らめ、恍惚と息を吐き出すだけだ。


「はぁぁ……可愛らしい。やっぱり一緒に遊ぶのなら可憐な乙女がイイわ。男は嫌よ。硬いし汗臭いし、どんなに顔がよくたって全然惹かれないの。あなたも男の姿より、こっちの姿の方が100倍素敵よ」


 シャルロットの本性を目の当たりにして、アンの視界は絶望に染まっていく。

 サバトになど参加せず、大人しく家へ帰るべきだったのだ。魔女の妙薬の秘密を暴くつもりが、己自身が薬の餌食になっていたのでは元も子もなかった。


 ふとたった1人の相棒の顔が頭をよぎり、アンは必死に問いかけた。


「クロエは……あたしの連れはどうしたの? まだサバトの会場にいるの?」


 シャルロットは「サバトの会場で飲んだ薬が効いた」のだと言った。その言葉が本当だとすれば、やはり乾杯のグラスに何かしらの薬が盛られていたことになる。

 会場の全員が同じ薬を口にしているのだから、今頃サバトの会場は凄惨な有様となっているはずだ。


 理性を失くし快楽に溺れる人々の中に、たった1人残されたクロエは、今どうしているというのか。アンは不安を募らせるけれど、シャルロットの返事は冷たい。


「残念ながら私、あなたのお連れさまの顔を知らないの。クロエ……という名前から察するに女性かしら? そうだとしたら、身体中の穴という穴を犯されている頃かもしれないわね」

「そんな……」

「ああ、そんな悲しい顔をなさらないで。大丈夫、つらいことなど何もないの。あなたのお連れさまは自ら望んで雄を受け入れるのよ。だってそういう薬を使ったんだもの」


 くすくすと含み笑いを零した後、シャルロットはアンのシャツに手を伸ばした。

 胸元のボタンが1つ1つ外されていき、アンは悲鳴に近い声をあげた。


「もうやだぁ……」


 刹那、雷が落ちたような破壊音が響きわたった。アンとシャルロットは同時に動きを止め、音がした方をうかがい見た。

 

 部屋の扉がきぃきぃと音を立てて揺れていた。扉の中心部分は大きく凹み、ドアノブが激しく破損している。誰かが鍵のかかった扉を力任せに蹴り開けたのだ。


 壊れた扉の向こうから悠々と姿を現す者は――


「よう、シャルロット。邪魔するぜ」


 アンが無事を願ってやまない人物、グレン。

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