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49.最後の調査対象者

 間もなく到着したハート家の別邸は、アイボリー色のレンガを積み上げた美しい建物だ。建物自体は相当古く見えるが、屋根や外壁の手入れは行き届いている。

 外庭には色りどりの花々が咲き乱れ、アーサー邸に負けずとも劣らないのどかで美しい場所だ。


 アンドレとクロエが建物の入口をくぐれば、すぐにパーティー会場へと通された。建物の1階部分に位置するその場所には、200人を優に越える人々が集まっている。


 熱気にあふれた会場内を見回し、クロエは目を細めた。


「有名貴族の顔がちらほら見えるわね。リーディン家当主、フランソワ家当主、ムディ家夫妻……一商会の展示会に大層な顔ぶれじゃないの」


 アンドレもまたごった返す人波を見やり、ふむと首をひねった。


「魔女の妙薬の集客効果かな?」

「有名貴族の一員ともあろう者が、そう簡単に依存性のある薬の手を出すとは思えないわ。純粋に展示会を楽しみにきただけじゃないかしら」


 確かにそうかもね、とアンドレは無難な相槌を打った。

 

 それでも一商会の新商品展示会に、これだけの有名貴族が集まった背景には、魔女の妙薬の存在があるのだろうという考えは捨てきれなった。

 

 魔女の妙薬を悪質な方法で売りさばくことにより、ハート商会は急激に会員数を増やしたはずだ。その成長ぶりが有名貴族の目に留まったのだとすれば、それはやはり『魔女の妙薬の集客効果』というに他ならないからだ。


 全てはロジャー・ハートの思惑どおり。

 そう考えれば怒りが募った。


 広い会場のあちこちには円卓が置かれており、円卓の上にはハート商会で取り扱う数々の商品が並べられていた。例えばそれは文具であったり、化粧品であったり、菓子や保存食であったりとさまざまだ。

 会場には飲物を配り歩くスタッフの姿も見える。


 通りすがりのスタッフから乾杯の酒を受け取り、クロエは澄ました口調で言った。


「では私は勝手に動かせていただくわ。アンドレ様、あなたはあなたでどうぞご自由に情報収集をなさって?」


 そのまま人混みに紛れていこうとするクロエを アンドレは呼び止めた。


「別行動は止めた方がいいんじゃない? 例の薬が絡んでいる以上、展示会の最中に何が起こるかわからないよ」

「これだけの有名貴族の目がある場所で、何も起こりはしないわよ。会場を出るときは少し注意が必要ないかもしれないけれど」


 それからアンドレを見てくすりと笑った。


()()()()()()()()には注意なさい。美味しくいただかれそうになっても今回は助けてあげないんだから」

「……もう忘れてよ、その話は」


 アンの姿で訪れた地下クラブ。赤茶髪の男性――ブルーノに危うく処女をいただかれそうになったことはいい思い出である。いや、よくはない。頭をぶん殴ってでも忘れてしまいたい恥ずかしい過去だ。


 クロエが人混みへと消えた後、アンドレは改めて会場内を見回した。広い会場は多くの人で賑わい、カクテルグラスを片手に語らっている。その多くは円卓に並べられた商品を物色する商人で、会話の輪に混ざろうとする貴族らの姿も目立つ。


 アンドレは熱気に満ちた人混みをしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと歩き出した。


「こんにちは、お嬢様方。少しご一緒してもよろしいですか?」


 アンドレがそう声をかけたのは、年齢が10代後半と見える女性の2人組だ。身なりや仕草から察するに、貴族の令嬢だと思われる2人組は、アンドレの声掛けにどちらともなくうなずいた。

 

 ――こういうときにこの顔は便利なのさ

 心の中でほくそ笑む。


「僕、アンドレと言います。ハート商会の会員になったばかりで、新商品展示会への参加は今日が初めてなんですよ。お2人は何度か参加されているんですか?」


 アンドレの質問には女性の一方が答えてくれた。


「はい、今日で3回目の参加です」

「あ、そうなんですか。2人はお友達同士?」

「そう、いつも一緒に参加しているんです」


 ふーん、と相槌を打ったとき、人混みの向こうにクロエの姿が見えた。持ち前のナイスバディを武器にしたクロエは、2回りも年上の男性とおしゃべりの真っ最中。言葉巧みにハート商会の情報を引き出しているのだろう。


 こりゃ僕も頑張んないとね、ひっそりと意気込むアンドレであった。


「ところでお2人は、ハート家の方々と面識があったりはします?」


 この質問には、もう一方の女性が答えてくれた。


「面識……ですか。いいえ、顔を合わせてお話をした経験はありません」

「そうですか。ではどんな方々か、と噂を耳にする機会はありますか? どんなささいな噂でも構わないんですけれど」


 女性は胡乱げに眉をひそめた。


「……なぜそのようなことをお尋ねになるんですか?」

「いえ、特に深い理由はないんですけれどね。こうして展示会場を訪れたんだから、機会があればハート候に挨拶をしたいと思っているんです。でも僕は商人ではありませんし、正直挨拶のきっかけがないんですよね。せめて共通の趣味でもあれば、少しは話しやすくなるかなぁと思って」

「それはごもっともですね」


 女性はふんふんとうなずいてはくれたが、アンドレの言う『ハート候の趣味』には心当たりがないようで、そのまま黙り込んでしまった。


 アンドレは必死に訴えた。


「ハート候本人じゃなくても構わないですよ。例えばほら、ハート家にはお嬢様がいらっしゃいますよね。お名前はシャルロット様……といったかな。お2人と同じ年頃かと思うんですが、シャルロット様に関する噂を耳にする機会はありませんか?」


 そのとき、アンドレの背後で涼やかな声がした。


「あら。私に何か御用でしょうか?」

「え?」


 振り返れば、そこには小柄な少女が立っていた。色素の薄い茶色の髪と、同じ色合いの瞳を持つ愛らしい少女だ。まだ幼さの残る頬にうっすらと紅をのせ、瞳を縁どるまつ毛は作り物のように長い。

 淡い水色のドレスに身を包む様は、店先に飾られた精巧な人形のよう。


「そこの蜜柑色の髪のお方、私に何か御用? 知らないところでひそひそと名前を呼ばれるのは、あまりいい気がしませんわ」


 少女は艶々の頬を膨らませた。小リスを思わせる衝撃の愛らしさに、アンドレはどぎまぎと答えに窮してしまう。


「す、すみません。噂話をしていたわけではないんです。せっかくの機会ですから、ぜひハート家の皆様にご挨拶を差し上げたいと思って。あなたはシャルロット・ハート様でいらっしゃいますか?」

「そうですわ。ハート商会の統率者ロジャー・ハートの長女、シャルロット・ハートでございます。以後お見知りおきを」


 シャルロットは幼さの残る外見には不釣り合いに、洗練されたカーテシーを披露した。

 アンドレはシャルロットに向けて軽く頭を下げた後、にこやかに挨拶を返した。


「シャルロット様、お噂はかねがね耳にしております。お会いできて光栄です」


 シャルロットは長いまつ毛をまたたいた。


「あら、私に関しどのような噂を耳にされました?」

「『人形のように愛らしいお方だ』と。とある貴族のご令嬢がそうおっしゃっていました」

「ふぅん……そう。失礼ですが、あなたのお名前は?」

「僕はアンドレと申します。自己紹介が遅れ申し訳ありません」

「貴族の令嬢と話をする機会があるということは、あなた自身も貴族のご子息でいらっしゃいます?」

「……そうですね。一応、貴族の端くれです」

「家名は?」


 人形のような愛らしさを持つシャルロットは、意外にもはきはきと物を言う。アリスやアメリアから得た前情報から、何となしに『おっとりとした儚げな少女』を想像していたアンドレは、シャルロットの物言いに驚きを隠せなかった。


 それでもアンドレとて会話のプロだ。そう簡単にぼろを出したりはしない。

 シャルロットのつぶらな瞳を見つめながら、ゆったりとした口調で答えた。


「それは申し上げられません。とある事情から廃嫡されておりまして、家名を名乗るなと言われているんです」

「あら、そうでしたの……」


 シャルロットはそれきり口を閉ざしてしまった。元々この会話に目的はなく、ただ自身の名を耳にしたシャルロットがアンドレに声をかけたというだけのこと。社交辞令の会話が途絶えてしまえば、それ以上話を膨らませることは難しかった。


 ――聞きたいことは山ほどあるんだけどな

 アンドレは思った。


 なぜアーサーの結婚相手に立候補したのか、好きな男性はいないのか、魔女の妙薬の存在を知っているか、父親の強引な商売をどう感じているのか。

 

 しかしそれらの質問を投げかけるためには、シャルロットともう少し打ち解けた関係を築く必要がある。


「シャルロット様は、この後も会場に滞在されますか?」


 アンドレの質問に、シャルロットは小さく首を横に振った。


「いえ、少し顔を出しただけですわ。商会関係者の皆様に挨拶をしたら、すぐ部屋に戻ります」

「では1杯だけ乾杯をお願いしても? こうして声をかけていただいたことも何かの縁ですし」

「ええ……構いませんわ」


 シャルロットが了承してくれたので、アンドレは通りすがりのスタッフから乾杯のグラスを2つ受け取った。1つはシャルロットに手渡して、もう1つのグラスを目の前に持ち上げる。


「乾杯」


 ちん、と高い音がして、2人は同時にグラスへ口をつけた。

 間もなく空のグラスを円卓に置いたシャルロットは、アンドレに向けて愛想のない挨拶をした。


「では私はこれで失礼致しますわ。どうぞ最後までお楽しみなさって」


 遠ざかっていくシャルロットの背中を眺めながら、アンドレはふうと息を吐いた。

 ――今日のところは挨拶ができただけでも上出来だね

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