48.新商品展示会
からころころ。
陽気な音を立てて馬車の車輪は回る。
「ずいぶんと遠くまで行くのね。展示会というからには、ハート家所有の倉庫かどこかで開かれるものだと思っていたわ」
古びた窓枠に肘をのせクロエが言った。碧色の瞳がぼんやりと見つめる先は、うっそうと茂る緑の森だ。
今日はアンとグレンが心待ちにしていたハート商会の新商品展示会が開かれる日。2人の仮の姿であるアンドレとクロエを乗せた馬車は、王国の北西方面と向かっている。そこは王国の中でも小さな集落が寄り集まった地域で、王都への人口流出により廃村になってしまった村町も多い。
「展示会の会場はハート家の別邸だよ。かつてはとある上位貴族が別荘として所有していた建物らしい。管理が大変だという理由で遊休状態となっていた建物を、ハート家が安値で買い取ったんだって」
のんびりとなされるアンドレの質問に、クロエは興味深そうに聞き返した。
「詳しいわね。それはどこで聞いた話?」
「ハート商会の事務所。ここ1週間散歩がてら頻繁に顔を出していたら、事務所の女性方と仲良くなっちゃってさぁ。雑談交じりにハート家のことを色々と教えてくれたよ」
「魔女の妙薬に関して、何か目ぼしい情報はなかったの?」
アンドレは肩をすくめた。
「それがぜーんぜん。ハート商会の事務員は、魔女の妙薬の効能すら満足に知らなかったもの」
「ふぅん……まぁ下っ端なんてそんなものよね」
取り留めのない話をするうちに、馬車は少し拓けた土地に出た。拓けたといっても周囲に街や集落があるわけではなく、ただ今までに通ってきた道よりも多少樹木の手入れがされているというだけ。
それでも道の状況がよくなれば馬車の速度はあがり、尻を弾ませたアンドレは「わぉ」と声を上げた。
「馬車、速くなったね。そろそろ目的地が近いのかな」
客車の窓を覗き込みながら、クロエは肯定した。
「そうみたいね。ちらほら他の馬車の姿が見え始めたもの。道がある程度整備されているのは、私有地に入ったからじゃないかしら」
クロエの言葉につられ、アンドレが窓の外を見てみれば、確かに付近には数台の馬車が走っている。そしてまっすぐに伸びた道の先には、目的地と思われる黒屋根の邸宅が姿を見せ始めていた。
何となしに窓の外を眺めていたアンドレは、森の中に古びた建物があることに気がついた。
「クロエ、見て。綺麗な建物があるよ」
アンドレが見つけたその建物は、白と灰色の石造りで、三角屋根の中央に小さな鐘楼をのせていた。建物の窓には板が打ち付けられており、敷地内の草木も伸び放題。
もうだいぶん前に廃墟となっているようだ。
「……かつての教会かしら」
とクロエが言った。確かにその建物の外壁には、神の存在を示す十字模様が刻まれていた。雨風に削られて、かろうじて形がわかるだけのささやかな十字架だ。
「昔、この辺りには小さな集落があったのかもしれないね。住む人がいなくなり木製の建物は全て崩れてしまって、ああして石造りの建物だけが残ったのかも」
「その可能性はあるわね。別荘の元の持ち主は、管理が大変で建物を手放してしまったのでしょう。近くの集落がなくなってしまったら、建物を維持していくことは簡単ではないもの」
揺れる小窓を眺めながら、アンドレは溜息を吐いた。
「そう考えると、余計にロジャー・ハート候の思惑が理解できないな。なぜこんな辺鄙な土地の建物を買ったのか。なぜこんな不便な土地で新商品展示会を開こうとしているのか?」
新商品展示会の会場がハート家の別邸であることは、ずっと気にかかっていた。
別邸・別荘と名のつく建物は、普通であれば所有者が保養施設として利用するはずだ。そこにたくさんの人を、ましてやハート商会の重要な取引相手を集めようとすることは明らかに不自然である。本邸から離れた場所に人を集めれば費用はかさむし、酒や料理の運搬も大変だ。
そのような苦労を背負ってまで別邸を会場とした理由は――
「……どう考えても、きな臭いことがあるからでしょうね。やっぱり男の姿で来るべきだったかしら。私とアンドレ様の2人で新商品展示会に乗り込むなんて、武器も持たずに戦場へ赴くようなものじゃない?」
「アンドレの名前でハート商会に入会しちゃったからね。僕とグレンで展示会に参加してもよかったんだけど……何かバランス悪くない?」
「バランスって何よ。私をマスコット扱いするんじゃないわよ」
などと言い合ううちに、ハート家の別邸はもう目の前だ。




