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45.予想外の客人

 入会の手続きを済ませたアンドレは、事務員に見送られてハート商会の事務所を後にした。

 会員証の受け渡しに、例外的な招待状の発行。それに魔女の妙薬の購入。諸々の手続きには思いのほか時間をかかり、辺りはすっかり夕焼け模様だ。


 住宅街を20分も歩くと、通りの向こうには見慣れた共同住宅が見えてきた。アンドレ、もといアンの自宅である。


 右手に紙袋を下げたアンドレは、とんとんと音を立てて階段を上る。その階段の先にアンドレの暮らす部屋がある。夜と言うにはまだ少し早いこの時間だが、住宅の共用部分に人の姿はない。

 

 階段を上り切ったとき、思いがけない人物が視界に飛び込んできた。グレンだ。ドアの前にどっしりと座り込んだグレンは、アンドレを見るとひょいと右手を上げた。


「よ、この時間にお帰りなんて珍しいじゃねぇの」

「グレン……いつからそこにいるの?」

「んー……いつだろうな。1時間くらい前? わかんね」


 そう言うグレンはカバンを持っておらず、床にやや大きめの紙袋を置いただけ。紙袋からは美味そうな匂いが漂ってくる。中身は弁当だろうか、総菜だろうか。

 

 途端にぐぐう……となる腹を押さえ、アンドレはグレンに質問した。


「そりゃ待たせて悪かったね。何か用だった?」

「仕事の話。中、入れろよ」

「……部屋に入るの? あんまり片づいてないんだけどな」


 などと文句を言いながらも、アンドレは大人しく自宅の鍵を開けた。仕事の話と前置きをされた以上、前触れのない来訪とはいえ拒むことはできないのだ。


 グレンを引き連れ入った部屋は、外出前とおよそ変わらない様子だった。中途半端にめくり上げられた布団も、調理台に残された使用済みの食器も、ダイニングチェアの背にかけたままのバスタオルも。

 ただ一つ異なる点は、壁にかけていたはずの上着が、ハンガーから外れ床に落ちてしまっているということだ。


「本当に散らかってんな」

「だからそう言ったじゃん。どうしても今日中に済ませたい用事があったんだよ。僕は夜型人間だからさぁ、日中の用事を済ませるのは結構大変なんだ。急いで家を出ないと、すぐ夕方になっちゃう」

「ふぅん、そりゃご苦労様さん」


 グレンはアンドレの『用事』になどまるで興味がないという様子で、ダイニングチェアにどっかりと腰を下ろした。紙袋の中から平たい紙箱を取り出せば、食欲を誘う香りがただよってくる。


「それ、お弁当?」

「そ。通りすがりに美味そうな弁当屋があったんだよね。一緒に食おうかと思って」

「食べる食べる。ちょうどお腹が空いていたんだ」

「じゃあ食いながら話そうぜ。そんな込み入った話じゃねぇし」


 グレンの言葉を聞き、アンドレは上着を脱ぐ手を止めた。


「……仕事の話って、誰に関する話? シャルロット・ハート嬢?」

「いんや、ドリー・メイソン嬢。わがまま娘の調査報告書を仕上げたから、次はそっちに取りかかろうかと思って」


 アンドレはのろのろと上着を脱ぎながら、平静を装って質問を続けた。


「具体的にはどういう話かな。面会の場を設けて欲しい、ということ?」

「まぁ、そういう話になるだろうな。これまでのお前の話を聞くに、こそこそする必要はないと踏んでるし。1度面会の場を設けてもらえば、それで全てが済むんじゃねぇかな」


 それはつまり、ドリーをアーサーの結婚相手として認めているという意味に他ならなかった。グレンはアンドレの報告を信じ、1度の面会をもってドリーの調査報告書を書き終えようとしている。


 ――以上の調査結果より、ドリー・メイソンはアーサー・グランドの妻となる資格を有しているをここに報告する――

 その一文を書き添えて。


 でも今は駄目だ、とアンドレは唇を噛んだ。

 

 今のドリーにグレンを会わせるわけにはいかなかった。魔女の妙薬の効果に溺れたドリーは、以前の高潔な女性には程遠い。不特定多数の男性と肉体関係を持つ女性が、王族の結婚相手として認められるはずもない。


 せっかく全てが上手くいくはずだったのに。


 陽だまりに揺れるロッキングチェア。

 うとうとと寝入るアーサー。

 そのかたわらに椅子を置き、のんびりと読書に耽るドリー。


 思い描いた未来が消えていく。


「グレン……悪いんだけどさ。ドリーとの面会は少し待ってもらえるかな」


 アンドレがそう願い出れば、グレンは不満そうに眉をひそめた。


「何でだよ?」

「ドリーには片思いの相手がいるんだよ。前に話しただろ? その相手に想いを伝えるために、ドリーは頑張っているんだ。だから少しだけ……待っていてくれるかな。全てが済んだら、ちゃんと面会の場を設けるからさ」

「まぁ……お前がそう言うなら待ってやらんこともないけどさ。あんまり長くは待てねぇよ? せいぜい2週間が限度」


 2週間、とアンドレはつぶやいた。

 それだけの短期間で、ドリーに魔女の妙薬の服用を止めさせることができるだろうか。一度浸かり込んだ快楽の沼から、人はそう簡単に抜け出せるものなのだろうか。


 考え込むアンドレの背後では、グレンが弁当に添えられた木箸をいじり回していた。


「1時間も待ったのにさぁ。何も話が進まねぇの」


 唇を尖らせてぶつぶつと文句を言っている。


 アンドレはここに来てようやく脱いだ上着をハンガーにかけた。ついでに床へ落ちていた上着も拾い上げて、2着まとめて壁にかける。


「本当、悪いね。代わりの話題と言っちゃなんだけど、ハート家に関する新情報があるよ」

「お、まじ?」

「まじまじ。今日はその件で出かけていたんだ。少し込み入った話になるから、先にお風呂入って来ていい?」

「……何で風呂?」


 グレンの渋顔を横目に見ながら、アンドレは紙袋をクローゼットの中にしまい入れた。その紙袋の中には、ハート商会の会員証とともに、魔女の妙薬が入れられている。グレンに見られるわけにはいかなかった。


 しっかりとクローゼットの扉を閉めた後、何食わぬ顔で言った。


「少し情報を整理したいんだよ。いろんな話を聞いたから、頭の中がぐっちゃぐちゃ。あと変身も解いてくるよ。グレン、(アンドレ)のこと嫌いだろ」

「嫌いとは言ってねぇだろ。張り倒したくなるだけ」

「僕にとっちゃどっちも同じことさ」


 アンドレは肩をすくめ、バスタオルを手にバスルームへと向かった。

次話タイトル『一緒にお風呂』♡

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