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34.お茶会

 午後3時を少し回った頃、アンとリナは1階のダイニングルームへと向かった。屋外からは馬車の車輪音が聞こえてくるから、客人であるオリヴァーはちょうど帰路についたところのようだ。


 リナが3時のおやつの準備をしている最中、ダイニングルームにはグレンとレオナルドが顔を出した。レオナルドは礼服を着込んだままだが、グレンはすでに上着を脱いでいる。

 

 小さく丸めた上着をアンの膝元へと投げ飛ばし、グレンは大きく伸びをした。


「んぁぁー終わった終わった! 面倒な仕事がまた1つ終わったぜ。リナ、この紅茶飲んでいい?」


 グレンの目の前には、ダイニングテーブルにのせられた3つのティーカップがある。茶菓子と一緒にリナが準備したものだ。


「どうぞどうぞ、グレンとレオナルドのために淹れたんだよ。私は水筒に入れたのがあるからね」

「さーんきゅー。クッキーも食べていい?」

「いいよ。オリヴァー殿下にお出しした物の残りだけど」


 リナの許しを得たグレンは、菓子皿のクッキーをわしづかみにして口へと放り込んだ。

 オリヴァーと話をしていたときの厳粛な様子はどこへ行ったのやら、そこにいるのはいつものグレンである。


 人とはこうも見事に化けの皮を被れるものなのか。ハムスターのように頬を膨らませたグレンに、アンは尊敬の眼差しを向けるのであった。


「じゃあ私はアーサー殿下のところに戻るからね。アン様、どうぞごゆっくり」


 朗らかにダイニングルームから出ていこうとするリナに、アンは「じゃあね」と手を振った。


 アンとグレン、レオナルドの3人は、その後のんびりとお茶の時間を楽しんだ。

 アンはグレンの上着を膝にのせたまま紅茶をすすり、グレンは1つまた1つとクッキーを口にする。レオナルドは椅子の上でぴんと背筋を伸ばし、優雅な動作で紅茶をかき回している。


 テーブルの上に頬杖をつきながら、アンはふと思いついたことを尋ねてみた。


「リナってさぁ、アーサー王子のことが好きなのかな?」


 突然の質問に、レオナルドとグレンはどちらともなく顔を見合わせた。遠慮がちに問い返す者はレオナルドだ。


「……なぜそう思われたのですか?」

「だってリナはアーサー王子に献身的だしさぁ。そりゃ使用人という立場もあるだろうけど、それにしても献身的過ぎやしない? あれ、惚れてると思わない?」


 アンの脳裏に思い出されるものは、うっとりと頬を赤らめるリナの顔。リナは「恋心ではない」と言い放ったけれど、あれは恋する乙女の表情だった。

 

 本人が自覚していないだけで、リナはアーサーに恋をしていると確信を抱くアンであるが、レオナルドとグレンは2人そろって渋い顔だ。


「リナがアーサー王子に惚れているということは、あり得ねぇよ」

「そう? どうしてそう言い切れるの?」


 アンが少し不満げに尋ねると、グレンは懇切丁寧に説明をした。


「リナには弟がいるんだよ。小さい頃から身体が弱く、よくリナが看病をしていたらしい。だからリナは、アーサー王子に弟を重ねているんだ。献身的なのはそういうこと」

「いやいや、でもリナが言ったんだよ。初めてアーサー王子を見かけたとき、雷に打たれたような衝撃を感じたって。一目惚れに近い感覚だったって」


 アンは切々と訴えるけれど、グレンは揺るがない。

 

「一目惚れに『近い』ということは、一目惚れじゃねぇんだろ? 単なる物の例えだろ。俺とレオナルドはリナとは家族みたいなもんだけど、リナがアーサー王子に惚れていると感じたことは一度もないぜ」

「……そうなの? でもあたしの女の勘がさぁ」

「根拠がないからって適当にごまかすんじゃねぇよ。俺は勘という言葉が嫌いだ」


 辛辣な言葉に、アンはぷぅと頬を膨らませた。グレンの指摘がもっともであるだけに、不満を感じつつも強い言葉で言い返すことはできない。

 

 黙り込むアンに、今度はレオナルドが言葉を向けた。


「リナのアーサー殿下に対する想いは、主君に対する忠誠心に他なりませんよ。その忠誠心を『恋のよう』と表現する気持ちは私にもわからないではありません。アン様の言葉を借りれば、私も『アーサー殿下に恋をしている』のでしょう」


 アンとグレンは、同時にレオナルドの表情をうかがい見た。かつての鬼人の口から飛び出した甘酸っぱい言葉に、アンはどきどきと胸の高鳴りを感じるけれど、グレンは口をへの字に折り曲げ不満顔。


「レオナルド……お前さぁ。その言い方はどうかと思うぜ」

「物の例えだ。初めてアーサー殿下の本性をお見かけしたときは、私とて雷に打たれたような衝撃であった。あれはアーサー殿下が9つのとき、5つ年上のオリヴァー殿下を剣技で打ち負かしたときのことだ。木刀を手に凛と立つ少年の姿に、私は未来の君主を見たのだ。ああ、この子どもはいつか王となり、淀んだ国家を根底から作り変える。そう感じさせるにふさわしい品格をまとっていた」

「大袈裟な奴だな。たった9つの子ども相手にさ」


 グレンの率直な意見に、レオナルドは「ははは」と声を立てて笑った。


「確かに私の言い方は大袈裟かもしれんがな。しかし当時のアーサー殿下は日増しに支持者を増やしていたし、一時は王位継承筆頭候補とまで言われていたのだ。そして心を失った今も、多くの王子が彼の復活を恐れている。そのことが、私の言葉の裏付けであるとは思わんか?」

「んん……まぁ、そうかもしんねぇけどさ」


 グレンは居心地が悪そうに肩をすくめ、まだ温かな紅茶を一口すすった。

 レオナルドはアンの方へと視線を戻した。


「アーサー殿下は確かに王者の風格をお持ちでしたが、その風格を隠すことにも長けておられました。だから彼が自ら本性をさらけ出すまで、誰もその風格に気が付かなかった。母親であるヘレナ様でさえも」

「へぇー……そうなんだ」

「フィルマン殿下もさぞかし驚かれたことでしょう。望まずして生まれた子どもが、他の王子を遥かに凌ぐ王の品格を備えていたのですから」


 アンはぱちぱちと目をまたたいた。


「望まずして生まれたって、それどういう事?」

「ヘレナ様が平民の生まれである、ということは以前お話ししたでしょう。アーサー殿下をお生みになったとき、ヘレナ様はまだ妃として宮殿に迎え入れられておりませんでした。元々は貧しい農村の生まれだったそうですよ。フィルマン殿下が視察としてその農村を訪れた際に、接待役として任命されたのがヘレナ様であったと聞いております。ヘレナ様は、当時の私の目から見ても女神のように美しい方でしたからね。フィルマン殿下も少々を羽目を外してしまわれたのでしょう。そうして一夜限りの営みで生まれた子どもがアーサー殿下です」

「へー……すごい命中率だね」


 アンの露骨な感想を聞き、ダイニングテーブルに突っ伏したグレンがぼそぼそと文句を言った。


「お前さぁ……その言い方はどうかと思うぜ……」


 ぬるくなり始めた紅茶を片手に、アンとレオナルドの会話は続く。

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