28.パフェの時間
裏繁華街訪問から半月ほどが経ったある日のこと。
酒場での仕事を一区切りにしたアンドレは、繁華街の一角にある『マッドアップル』という名の酒場を訪れていた。
まだ多くの人で賑わう酒場のカウンター席に座り、スプーンにいっぱいの生クリームを口に運ぶ。
『マッドアップル』の看板メニューはパフェだ。提供時間は午後10時から深夜0時の間の2時間だけ。『締めパフェ』などとも呼ばれ、女性客に大人気の品である。
現にもう深夜に近い時間帯だというのに、店内にはたくさんの女性客が滞在し、彼女たちの前にはもれなく大盛りのパフェが置かれているのである。
またスプーンいっぱいの生クリームを頬張って、アンドレはだらしなく表情を緩めた。
「やっぱり甘味は最高だね。3時に食べる甘味も美味しいけど、深夜ってところがまた最高。もっと早くこのパフェに出会っていればよかったなぁ」
10日ほど前に初めて『マッドアップル』を訪れてからというもの、アンドレはすっかり締めパフェの虜だ。苺パフェにチョコレートパフェ、ぶどうパフェに蜂蜜パフェ。たくさんのパフェを味わい尽くしたくて、ついつい連日足を運んでしまうのである。
ちなみに今日アンドレが注文したパフェは、新作のコーヒーパフェだ。ふわふわの生クリームと、アツアツのコーヒーシロップのハーモニーが絶品である。
アンドレがパフェグラス下層のコーヒーゼリーをつつき始めたとき、絞り袋を握りしめた男性店主が、カウンターテーブルの内側からアンドレに話しかけた。
「ここ数日、蜂蜜パフェの売り上げが異様に伸びている。あんた、何かしたか?」
アンドレははてと首をかしげた。
「蜂蜜? どうだろう、何かしたかな。前回食べたとき美味しかったから、わりと話題には上げてるけど。『蜂蜜は美容にもいいみたいですよ』なんて言ってさ」
「……ああ、それか」
男性店主は納得した様子である。
繁華街の有名人であるアンドレは、いわば酒場の広告塔。アンドレが通う酒場には自然と人が集まるし、アンドレが美味しいと言ったメニューにはいつの間にかその酒場の看板メニューとなる。酒場にとっては嬉しい悲鳴だ。
パフェグラスにスポンジ生地を放り入れながら、男性店主は会話を続けた。
「今日のパフェは俺の奢りだ。その代わり、貴族のご令嬢方にぜひコーヒーパフェを宣伝してくれ。新作ってのはどうしても注文数が少なくてなぁ。いつも食材を余らせちまう」
アンドレはスプーンいっぱいのコーヒーゼリーを頬張りながら答えた。
「ぼちぼちでよければ宣伝はしておくよ。宣伝文句は何にしようかな。『ほろ苦い大人の味』『大人な味……』『アツアツなシロップ』『大人だけが味わえるアツアツの……?』」
「……その辺りの裁量はお任せする」
足元にひゅうと冷たい風が流れ込み、『マッドアップル』にはまた2人組の女性客が入店した。
偶然にも女性の一方は、アンドレが過去に顔を合わせた経験のあるご令嬢だ。そしてもう一方の女性にもどことなく見覚えがあった。
赤茶色の髪を頬にたらし、大人びたスミレ色のワンピースを着こなすその女性は、アーサーの結婚候補者の1人であるドリー・メイソンだ。
「わぉ、今日はツイてるね」
アンドレはひっそりとつぶやき、パフェを片手に席を立った。
***
「こんばんは、シンシア様」
アンドレがそう挨拶をすれば、女性は「あら」と声を上げた。
彼女の名前はシンシア――アンドレの数少ない友人の1人だ。
「アンドレ様、ご機嫌よう。まさかこんなところでお会いするなんて」
「本当だね。今日はどこの酒場に行っていたの?」
「繁華街の北端にある『リトルプラネット』という酒場よ。アンドレ様は訪れた経験がおあり?」
「『リトルプラネット』……1度だけあると思うよ。天井に星の絵が描いてある酒場でしょ」
シンシアは微笑みを浮かべ、肯定した。
「そう、夜空をモチーフにしたお酒がとても綺麗なの。1度きりの訪問ということは、アンドレ様がお好きなタイプの酒場ではなかったのかしら?」
「店の雰囲気は好きだったよ。でも確か、店主が僕の仕事に対して否定的な人だったんだよね。それで何となく足が遠のいちゃった」
アンドレが大袈裟に肩をすくめてみせれば、シンシアはくすくすと笑い声を零した。色素の薄い茶色の髪が、ワンピースの背中で柔らかに揺れる。
シンシアへの挨拶を済ませたアンドレは、もう1人の女性へと視線を向けた。きりりとした眉が印象的なりりしい顔立ちの女性だ。明るい赤茶色の髪が、肩のあたりでまっすぐに切りそろえられている。
彼女の名前はドリー・メイソン。アーサーの結婚候補者の1人であり、素性調査のためにもぜひともお近づきになりたい人物だ。
アンドレは素知らぬ振りをして、ドリーに微笑みを向けた。
「初めまして、美しいお方。僕の名前はアンドレ、シンシア様のお友達です」
ドリーからはやや緊張気味の挨拶が返ってきた。
「ドリーと申します。よろしく、アンドレ様」
社交辞令の挨拶の後、アンドレはさりげなく2人と同じテーブル席についた。
突然の乱入にも関わらず、2人が迷惑そうな表情を見せることはない。シンシアに至っては、積極的にアンドレに話しかけてくるくらいだ。
「アンドレ様は、よく『マッドアップル』にいらっしゃるの?」
「ここ10日ほどは頻繁に通っているよ。締めパフェにはまっちゃってさ」
アンドレが答えると、シンシアは途端に神妙な顔つきとなった。
「ここのパフェには、魅惑の魔法がかけられているのだと専らの噂よ。深夜のパフェが美容に良くないとわかっていても、どうしても止められないの」
「美容を気にするのなら、蜂蜜パフェを頼んだら? 蜂蜜にはたーっぷりの栄養が含まれていて、定期的に摂取すれば美肌効果が期待できるらしいよ。健康にもいいってさ。……ああ、でも――」
アンドレはそこで言葉を切り、食べかけのパフェグラスをこんこんと叩いた。
「今夜の僕のお勧めはこれ。新作のコーヒーパフェ。甘ぁい生クリームに、アツアツとろとろのコーヒーシロップをかけて食べるの。ほろ苦い大人の味だよ」
シンシアとドリーは顔を見合わせた。
「ドリー様はどうします? 私、今日は苺パフェの気分なのだけれど」
「私はコーヒーパフェを食べてみようと思います。新作は人気が出なければメニュー表から消えてしまうだろうから。今日を逃したら2度と食べられないかもしれません」
「……確かにそうね。私もコーヒーパフェにしましょう」
2人分の注文が出揃ったところで、アンドレはカウンターに大声を向けた。
「新作のコーヒーパフェ2つ! コーヒーシロップ、アッツアツでよろしくね!」
「あいよ、コーヒーパフェ2つ」
男性店主が注文を繰り返したその途端、店内はにわかに騒がしくなった。パフェを食べることに没頭していた女性客が、アンドレの存在に気が付いたからだ。「あら、今のお方はアンドレ様だわ」「アンドレ様も甘味がお好きなのね」「新作のコーヒーパフェですって」「生クリームにコーヒーシロップをかけるの? 美味しそうね」などなど。
カウンターテーブルの内側では、男性店主が肩を揺らして笑っていた。お前は本当に大した奴だよ、とでも言うようだ。
注文を済ませた後は、アンドレにとっては貴重な情報収集の時間だ。残り少ないコーヒーゼリーをつつきながら、さり気なく話題を振った。
「シンシア様とドリー様は、ずっと昔からのご友人なの?」
アンドレの質問にはシンシアが答えた。
「茶会で何度かお会いした経験があるだけよ。友人……というほどの関係ではなかったわ。でも今夜、『リトルプラネット』で偶然ドリー様とお会いして、お友達になったのよ。それで一緒にパフェを食べに行こうという話になったの」
「ああ、そうなの。ということはドリー様も貴族のご息女でいらっしゃるんですね。ドリー様、繁華街を訪れるのは今日が初めてですか?」
ドリーの肩がぴくりと揺れた。
「……いえ、以前から何度か訪れています」
「それは誰かと一緒に?」
「基本的には1人です。馴染みの酒場に行けば、顔見知りは何人かいますけれど」
「へぇー……その馴染みの酒場って、もしかして『リトルプラネット』?」
「そう、あの酒場の雰囲気が好きだから」
なるほどねぇ、とアンドレはつぶやいた。
ドリーが頻繁に繫華街を訪れていたにも関わらず、アンドレがドリーと出会えずにいたのは、彼女の活動区域がリトルプラネットに限られていたからだ。
円滑な素性調査のためには、何としても今日のうちに仲良くなっておきたいところである。
腕の見せどころだね、とアンドレは意気込んだ。




