26.お仕置き
「おいアーン。俺が必死で聞き込みをしている間に、ずいぶんとお楽しみだったようだな?」
アンの頭蓋骨をぎりぎりと締め上げながら、グレンは凄む。悪鬼さながらの表情を目の前にして、アンはちょっと涙目である。
「グレン、落ち着いて話を聞いてね。ブルーノはイェレナ嬢のお連れさんだよ」
「イェレナ嬢のぉ?」
「そうそう。ほら、イェレナ嬢が背の高い男の人と、地下クラブの扉に入っていくところを見たじゃない。あの男の人がブルーノだよ。あたし、グレンの相棒として品行方正にお仕事してただけだよ。ブルーノとおしゃべりすればイェレナ嬢のことがわかるかと思ってさ」
頭蓋骨を締め上げる力が少しだけ緩んだ。
「ほぉ。それで、どうだった?」
「ばっちり聞き出したよ。イェレナ嬢とブルーノは、2か月前から地下クラブに通っているらしいよ。それも最近はもっぱらイェレナ嬢の誘いだってさ。何でも手軽で背徳的な性行為にはまっちゃったらしいよ。もしかしたら今もこの休憩所のどこかで、初めて会った男性と楽しいコトをしちゃってるのかも……」
アンはそこで言葉を切り、怖々とグレンの顔を見上げた。悪鬼さながらであった表情は、もういつものグレンの顔に戻っていた。ついでに頭蓋骨も解放されて、アンは一安心である。
「有益な情報だな。感謝するぜ。そんでお前、俺が助けに入らなかったらあの場をどう切り抜けるつもりだったんだ?」
予想もしなかった質問に、アンは「え?」と声を上げた。
「……どうかなぁ。ナンパしたのはあたしの方だし、お断りするのは難しい雰囲気だったよね。貴重な情報をもらったことは確かだし、いざとなれば潔く腹をくくるしかなかったのかな……」
アンとしては懸命に考えた末の答えであったが、どうやらグレンはその答えが気に食わなかったらしい。青筋を立てた手のひらが、今度はアンの両頬をわしづかみにした。
「俺のことは散々拒んでおいて何なんだよ、お前。本当に孕ましたろか?」
「いいひゃいいたい、ほっへは、ほへひゃうほぉ」
このままでは頬を引き千切られ、骸骨のような顔立ちになってしまう。アンは必死で抵抗するものの、力勝負でグレンにかなうはずもなし。
結局十数秒に渡り引っ張られ続けたアンの頬は、林檎のように腫れあがってしまったのである。
ひどいや、あたし頑張ってお仕事したのに。アンのつぶやきは、怒り心頭のグレンには届かない。
一悶着に決着がついたところで、アンは付近から聞こえる物音に耳を澄ませた。
休憩所は会場の隅に位置しており、大音量でかき鳴らされる音楽がどこか遠くに聞こえる。音楽の代わりにあたりに響くものは、日常生活ではまず聞くことのない他人の喘ぎ声だ。
休憩所にはたくさんのソファが置かれていて、それぞれのソファが間仕切りで区切られていた。その簡易的な半個室の中で、今も性行為に及んでいる男女がいるということだ。
耳を塞ぎたい衝動にかられながら、アンは苦笑いを浮かべた。
「初心者には刺激的な場所だねぇ。グレンは、休憩所のことを誰に聞いたの?」
まだ怒りは冷めないようで、グレンはつんと唇を尖らせて答えた。
「適当に話しかけたおっさん。地下クラブ初心者だと言ったら、ご丁寧にいろいろと教えてくれたぜ」
「へぇ。例えばどんなこと?」
「例えば、初々しい行為を楽しみたいのなら開店直後が狙い目。地下クラブ初心者が多く訪れる時間らしい。反対に熟練者との行為を楽しみたいのなら。夜9時以降にクラブを訪れるがよし。ただし遅い時間になると休憩所が混みあうから注意が必要だ。待ちきれないときは、この建物の上層階にある宿屋を使ってもいいらしい。地下クラブの会員章を提示すれば、割引料金で使用できるんだとさ」
「へ、へぇ?」
アンにとってはあまり有用とは言えない情報だ。しかし話すうちにグレンの機嫌はいくらか回復したようで、アンは「良かった良かった」とまだ腫れの引かない頬をさすった。
地下クラブの真実が明らかになったのだから、本日の調査はここで終わり。そう考えてソファから腰を浮かすアンであるが、予想に反しグレンは動こうとしなかった。
アンは不思議に思い尋ねた。
「グレン、帰らないの? もうお仕事は終わったんじゃない?」
「高い入場料を払って乗り込んだんだ。最後まで聞いていこうぜ」
「聞く? 何を?」
グレンは何も言わず、ソファの右手にある間仕切りを指さした。間仕切りの向こう側からは、微かにではあるが人の話し声が聞こえてくる。「ねぇ、早く触ってよ」「焦んなよ、時間はたっぷりあるんだからさ」明らかに情事の前の会話だ。
「……まさかこの声って」
「そ、イェレナ嬢。ブルーノから得た情報だけでも、素性調査報告書を書くのに不足はねぇんだけどさ。『人から聞いた情報を鵜呑みにしない』というのが俺のモットーなんだよね。アンドレ様から情報をもらったローラ・クロフォード嬢にもきちんと会いに行ったんだぜ。べろべろに酔わせたから、あっちは何を話したかなんて覚えちゃいないだろうけど」
「へぇ……ローラ嬢にもわざわざ会いに行ったんだ」
ティルミナ王国各地に鉱山地帯を所有し、王国有数の貴族でもあるクロフォード家。現当主の娘であるローラは、繁華街で遊ぶ金欲しさに商品を横流ししていた。
アンドレがクロエにその話をしたのはもう数週間も前の出来事であるが、グレンはアンドレの証言を鵜吞みにせず、自らローラへの接触を図ったということだ。
粗雑で失礼な性格ではあるが、仕事に関してはまめな男である。
「だから俺、お前を探してココに来たわけじゃねぇんだわ。イェレナ嬢を追ってたらたまたまココに行きついたというだけ。そこにたまたまお前がいただけ。うぬぼれるんじゃねぇよ?」
しかしいくら仕事にまめでも、アンに対してはこの塩対応である。
そのとき、アンとグレンのいる空間に2人組の男女が顔をのぞかせた。地下クラブの休憩所は、それぞれのソファの周りに間仕切りが置かれているものの、完全な密室空間ではない。間仕切りの一部が途切れていて、そこが出入り口となっているのだ。
2人の組の男女は、ソファに座るアンとグレンに不思議そうな眼差しを向けた。幸いにも彼らは何も言わずその場を立ち去ったが、アンは困り顔でグレンに話しかけた。
「ちょっとこれ、場違い感がすごいね」
「まぁ……本来、ただ休憩するための椅子じゃねぇしな……」
周囲の物音を聞く限り、休憩所の利用者は徐々に増えつつある。ただのんびりとソファに座っているだけのアンとグレンが、「本来の用途に使わないのなら場所を譲ってよ」と言われるのも時間の問題だった。
よし、とグレンはひざを打った。
「この際仕方ねぇ。アン、服を全部脱げ。そして俺のひざにまたがれ」
「……何て?」
質の悪い幻聴としか思えない指示であった。
思わず引っ叩きたくなるほどの澄まし顔で、グレンは繰り返した。
「今、休憩所から追い出されるのは不味い。だから手っ取り早くヤってる振りしようぜ。全裸のお前が俺のひざにまたがって、それらしく腰を振っていれば、周りはお楽しみの最中だと誤認するだろ」
まさに鬼畜野郎の言動である。アンは思わず頭を抱えた。
「いやいやいや……百歩譲って振りをするのはいいけど、全裸になるのは嫌だよ……」
「ブルーノとイイことしようとしてた奴が何言ってんだ? あのまま事を続ければ、全裸どころかもっと恥ずかしい部分も丸出しになっていただろうな。お前は助けられた恩も返さない薄情者なのか? 今ここで同盟を破棄してもいいんだぜ。アンドレ様の正体はとんだ痴女野郎だと、繁華街中に言いふらしてやろうか」
低い声で脅しをかけられて、アンはヒェッと短い悲鳴をあげた。グレンの機嫌はいくらか回復したように見えたが、ブルーノをナンパした罪は許されていなかったようだ。
アンは瞳に涙を溜め、上目づかいで必死に訴えた。
「あのぉ……グレン。し、下着はつけていてもいいかな。それらしく見えるよう頑張るからさ……」
支配者の形相となったグレンは、アンを見下ろしただ一言。
「よかろう」
ドSVS強気のわちゃわちゃを書くのは楽しい。




