4-2 狂信者たちの日常
狂信者たちの日常
朝、荘厳なる鐘の音とともに信者が起床する。
起き上がり、窓を開け、鐘の音がするほう―大聖塔の方を見る。
一礼。
そして服を着替え、素早く広場に出る。
集合住宅1棟に約500名。
それが一斉に広場に出てくる。
その統率に乱れはない。
なぜならそれが毎日のことだから。
「「「「幸せです幸せです幸せです」」」」
額を地面に擦り付けて、血を流す。
それがおよそ10分続き、教父様のありがたい朝のお言葉。
教父の額には傷がない。彼らの信仰心は篤すぎて、10分の祈り程度では傷さえつかない。―ということになっている。
実際には教父はお祈りなどしない。信者たちが額を地面に擦り付けるのを見て、このバカどもめと心の中で嗤っている。
とはいえ、額の傷がひどく、信仰心が篤ければ教父になれるということになっている。
どういうことなのか?
そんなものは大ウソである。
教父になれる人間など始めから決まっているのだ。
「草」と呼ばれる教団の人間が、信者のふりをして1000人に1人の割合で混ざっている。
彼らは一般の信者に混ざって、「不信心な背教者」を探すとともに「信仰心が篤く教父になれた信者」を演出する。
つまり、一定期間「草」としての任務を果たした教団関係者へのご褒美が「教父への選抜」なのである。
教父の仕事は簡単である。
朝昼晩の一日3回、お祈り後の信者にありがたいお言葉を聞かせること。
「個別指導」とか「懺悔」と称して気に入った信者を弄ぶこと。
それだけである。
朝のお祈りが終わると朝食である。
信者はそれぞれの集合住宅の食堂に向かう。
人類を救った大聖祖様への感謝の言葉を述べて、一斉に食事にかかる。
普段の朝食はパンと具のほぼないスープである。
教父は別の場所で朝食をとる。
朝はパンと具がたっぷりのスープに、サラダと卵焼きがつく。他にも希望に応じてソーセージやハムをつけることもできる。
ちなみに、食事係は教団職員の仕事である。
なぜなら彼らは教父と同じ食事をとっているので、食料をちょろまかしたりする心配がないからである。
朝食が終われば仕事に時間である。
それぞれの信者に決められた職場があり、そこまで大聖祖を称える歌を歌いながら向かう。
食料工場や生活工場、建設現場など皆が生産活動に従事する。
無職というのは教都には存在せず、存在を認められない。
仕事を免除されるのは、教父に「個別指導」や「懺悔」に呼ばれた信者だけである。
基本的に呼ばれるのは顔のいい美男、美女であることからしてナニをしているのかは歴然であるが、呼ばれた信者以外は何が行われているのか知らないし、呼ばれた人間は基本的に信者のところに戻ることはない。
戻ってきても何かに怯え、そこでされたことを他の信者に話そうとすると、保衛部の笛が鳴ることになる。
昼食のときも朝と同じ。
職場ごとに集合してお祈り、大聖祖に感謝、食事。
終わればただちに仕事に戻る。
夕食だけは少し異なり、職場から集合住宅に戻り、シャワー、お祈り、大聖祖に感謝、食事。
終わればただちに消灯である。
早く感じるかもしれないが、起床が6時、就寝が22時と言えばどれだけ働いていたかわかるだろう。
そんな生活を続けて、なぜ彼らは疑問を感じないのか?
簡単な話である。
「それしか知らないから」
それだけである。
彼らは教都で生まれ、教都で死ぬ。
そこに疑問の余地はないし、他の生き方はない。
教都では教父を除き、結婚は認められない。
ではどうやって人口を維持するのか?
簡単である。信者は18歳になると、教団の定めた相手と子作りを義務付けられる。
そこで生まれた子供を定められた夫婦で育てる―ことはなく、子供は両親と二度と会うことはないし、両親も互いに二度と会うことはない。
子供は一か所に集められて、教団によって育てられるのだ。
いや、正確には子供は2ヶ所に集められる。
教父が結婚した相手と作った子供は、「草」や教団職員になるべく育てられる。
信者が義務によって作った子供と、教父の「個別指導」や「懺悔」でできた子供は一般の信者になるように育てられる。
一般の信者は生まれた時から教団に搾取されることを義務付けられ、何も知ることなく死んでいく。
それが教都の日常である。




