29話
その日の夜、マヌスは早速エーデルワイスによる作業に取り掛かる。
ドワイト・マグガーベンのノートへ入り込む準備は整った。
「さぁ、入ろう。このノートの中で一番印象に残ってる思い出の世界へ!」
時空流へと入り込む。
たどり着いたのは草原に、設けられた野営地。
目が回りそうなほどに広がる星空の下で、剣と魔術の時代の全盛期を象徴する甲冑騎士たちが忙しなく動いていた。
これが1000年以上前の世界を映す思い出。
絵画めいた歴史的光景に、マヌスは何度もまばたきした。
バレないよう忍び込むと、魔術師たちがいた。
特徴的な紋様をしたフードの女性を先頭に、彼女らは丘のほうへと向かっていく。
雰囲気でわかった。
見たこともないはずなのに、感覚で彼女が『サンドリヨン妃』であると理解した。
実在した伝説。人の姿をしたドラゴン。
人類の魔導を極限まで発展させた至高の魔術師。
マヌスは彼女らに近い場所にあった岩の中へと潜り込む。
ちょうどサンドリヨンがフードを脱いで頭部をあらわにしたときだった。
色素の薄い顔に星の光が反射する。
人間離れしたエメラルドグリーンの瞳と白銀のショートヘアーに飾る角ようなアクセサリーが、彼女の微笑みと佇まいをより神秘的なものに映した。
本当に女神のような人だった。
無邪気に楽しげに笑う姿は少女のようで、星を眺めたり知識を弟子たちに分け与えたりする姿は落ち着きある聖女か聖母のよう。
マヌスもしばらくサンドリヨンに目を奪われていた。
女性を相手にここまで心を動かされたのは、初めてかもしれない。
「これが、ドワイト・マグガーベンの思い出の世界か。彼女と仲間で見たこの星は、何物にも代えがたい思い出だったんだろうな。しかし、まいったな。会話こそ聞こえるが……なに言ってるか全然わからないぞ」
なにしろ1000年以上前だ。
言葉も今と違ってくるはず。
魔術の知識や考古学に造詣が深ければ、翻訳もできたかもしれない。
とはいえ雰囲気は和やかで、見ていて悪いものではなかった。
(お、そろそろ切り上げるらしいな。でもなんだ? サンドリヨン妃、弟子たちに向こうへ行ってくれって言ってるのか? こんなのも彼にとっては思い出なのか……)
しかし突然、サンドリヨンはマヌスが潜っている岩のほうを振り向いた。
(え、待て。まさか、気がついている? そんなはずは、ない……っ! こっちに歩いてくるぞ!)
岩の前で彼女は止まり、にっこりと微笑んだ。
岩を見ているのではなく、岩の中のマヌスを見ていることに気がつき、背中から冷や汗が噴き出した。
(間違いなく、わたしを認識している。バカな! こっちが変な接触をしない限り、ドワイト・マグガーベンの思い出通りに動くはずだ! 言うなれば舞台装置なんだ! ドワイト・マグガーベンは今ここにはいない。……じゃあ、なんで)
息をのみながら、サンドリヨンと見つめ合う。
すると、サンドリヨンは岩にそっと手を触れた。
エメラルドグリーンの瞳が潤み、少し細くなる。
それは慈しみのようであり、悲しみのようでもあった。
向けられた感情を処理できないまま立ちすくむマヌスだったが、さらに驚きの光景を目の当たりにする。
────マヌス同様、岩の中に入ってきた。
「え、あ……」
「────」
「あの、……アンタは。いや、アナタは……」
「■■■■■■■■■■■■■」
サンドリヨンが先ほどの言語で話しかけてきた。
だがわからないと知るや、「あっ」とした小さな仕草のあと、マヌスの喉を指で優しく撫でながら逆の手で人差し指を立てる。
(なんだ? なにをしている? 危害を加えるつもりは、ないようだが……)
「あー、あー、あー」
「え、えっと」
「言葉、ワカル?」
「!?」
「アハハハー、面白い顔ー」
(まさか、わたしの時代の言葉を理解したってのか? 全然しゃべってないぞ? なんだ? 魔術か?)
「ネエ、お話しようヨ! ここなら、誰もイナイよ」
(落ち着け。大丈夫だ。ここは思い出の世界。ムカつく奴を頭の中でボコボコにしても、現実のそいつにはなんの影響もないように、多少結末は変わっても大した問題にはならない)
「大丈夫? 顔色悪いヨ?」
「すみません。ちょっと驚いたもので……」
「そうだろうネ。君はぁ、ワタシの時代の人じゃないね。ずっとずっと、あとの人」
「えぇ、まぁ。1000年以上……」
「ワァ! スゴイスゴイ!!」
岩の中でサンドリヨンがピョンピョン跳ねる。
あまりに子供っぽい所作に面食らった。
とてもではないが、このシーンは誰が見てもあの伝説の王妃だとは思えなかったから。
「わたしは時間旅行で来たわけじゃない。素っ頓狂なことを言うかもしれないが……」
「知ってるよ」
「え?」
「ここは、あの子の思い出の中。ワタシはあの子の思い出の影法師」
「アナタは……ここが思い出の世界って知ってるのか? いや、そんなはずはない……冗談だろう?」
「普通はありえない。でも、ワタシはドラゴン。人間を超えてるのは当たり前」
「いや、理屈としてわかるようなわからないような……」
「ワタシは影法師、同時に『本体』の分身のようなもの」
「だぁ! 余計にわからない! ……いや、失敬。すみませんが、わたしは魔術師でも哲学者でもないんでね……。多分、今ここで講義を受けてもチンプンカンプンだ」
「あ、そう。それはザンネン。……ねぇ、よく顔を見せてくれル?」
「な、なんです?」
マヌスの頬を手で包むようにして、彼女は顔を近づける。
エメラルドグリーンの瞳がマヌスの枯れた顔を映した。
サンドリヨンは、そのとき嬉しそうに涙した。
マヌスは怪訝な顔で終始クエスチョンマークを飛ばしていたが、不思議と悪くなかった。
彼女の顔を見ているのも、柔らかで繊細な手の温もりも、すべてが愛おしく思えたから。
「ねぇ、名前は?」
「……マヌス・アートレータ」
「マヌス……マヌス……いい名前ダネ」
「恐縮です」
「他人行儀はヤメテ」
「いや、あの……それはできません。サンドリヨン妃」
「……イジワル」
彼女はゆっくり手を離し背を向けた。
「この思い出の世界に来た目的はナニ?」
「ドワイト・マグガーベンのノートを見つけたんです。ただ、時代的に文字が古く読めずじまいでして。それで、わたしの能力で一番印象に残っている場面へ入ったんです」
「ノート? あぁ、いつもあの子が持ち歩いてるやつカ」
「わたしは、思い出の世界に入れる能力を有しています。えー、友人から『エーデルワイス』という名前をつけてもらいましてね」
「エーデルワイス……うん、素敵な名前。ワタシも好きダナ」
「生まれてからずっと悩んでいました。なんで自分にこんな力がって……」
「それを知りたくて、ここへ来たンダ」
マヌスは頷いた。
なにか手がかりがあるかもと思っていたが、まさかこんな規格外の存在と見えるなど想像もつかなかった。
サンドリヨンほどの人物なら、なにか参考になることが聞けるかもしれない。
そんな期待が胸をよぎった。




