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靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで  作者: 実里晶
靴を履いて旅に出て、鞄に荷物を詰め込んで
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第77話 真夜中の秘密 -2△



 マジョアは暖炉の上に置かれた小箱を取り上げ、蓋を開けた。


 そこには焼け焦げた手紙が収められている。

 裏面には戦士ギルドの刻印が押されているのが辛うじて見て取れた。


 それは若き日のマジョアに寄せられた召喚状であり、本文には流暢な筆跡で戦士ギルド長になるようにとの要請が認められていた。


 これを遠慮容赦なく焼き払ったのはカタバミ色のローブを着た若き魔法使いにして夜魔術師、若き日のアラリドであった。

 彼はマジョアの手から手紙を奪い取り、滞在していた宿の暖炉へと投げ込んだ。


 仲間にも功績にも恵まれて冒険者としての生活に文句は無かったが、これからの先のことを考えると不安もある。だが街に出て普通の生活を送る自分も想像がつかない。戦士ギルド長という役職はまさに望み通りのものだった。


 アラリドをのぞくパーティの全員、顔見知りの冒険者すべてが――ヨカテルの皮肉以外は――祝福を述べた。


 あこがれであり、成功者のあかしでもあった。

 それを何のためらいもなく焼き捨てたのである。


「戦士ギルド長なんかくだらない。きみは冒険者ギルドの長になるんだ」


 彼はそう言って、周囲の制止などまったく聞かなかった。


「……なんだと?」

「過去のギルド長のなかで職能ギルドの長と兼任した者はいない。それだけ重要な役職だからだよ」

「いや、そんなことが聞きたいんじゃない。俺が呼びだしを受けたのは戦士ギルドなんだぞ」

「なんだってできるさ。君はこのオリヴィニスで一番強い剣士だと認められたんだから。わかるだろう、これはメルのためなんだ」


 メルの名前を出した途端、アラリドは不安そうな表情を浮かべた。


「メルはこの先ぼくらが死んだあとも生き続ける。メルが生きていける場所を残してあげてほしいんだよ」

「何故メルにそこまでこだわるんだ。以前……お前が言っていた《仮説》のせいなのか?」

「友達だからだよ。仲間だからだ。違うかい」


 記憶の中のアラリドは必死に訴えかけてくる。

 仲間を想う少年のその裏側に残酷な顔も持ち合わせていたのだと、そのどちらもがあの少年の真実の姿だったのだと自分に言い聞かせ、長過ぎる月日が過ぎた。

 

 夜半、警戒の鐘がはげしく鳴り響いていた。


 嵌め殺しの窓から見えるオリヴィニスの空は不自然な暗雲が立ち込めてうずを巻いている。

 月は渦によって隠され、星の瞬きも途絶えた。

 季節外れの冷ややかな空気が街を満たし始めていた。


 空や街路のあちこちに浮遊している薄緑の発光体は《霊魂》によるもの。

 夜魔術によって呼びだされた人魂であった。

 マジョアは過去の幻影を断ち切るように小箱の蓋を締めた。


 異変が起きたとき、冒険者ギルドは意外な来客を迎えていた。

 ろうそくのあかりに照らし出されているのは絹のようにまっすぐな金色の髪、そして白い額から生えた滑らかな乳白色の角。商人風に見せかけてはいるが、間違いなくコルンフォリ王家の王太子レヴその人であった。

 彼は甘い顔に薄紅色の笑みを乗せて隻眼の騎士の背に語りかける。


「ベロウに我が家に伝わる宝のひとつを譲りわたしました」


 鐘の音のうるささに微塵も動じずレヴは事実だけを伝える。


「イストワルに長く伝えられた宝箱です。中には古文書がおさめられ、《七英雄》の真の名前が記されています」


 かつて闇の王を倒したと言われる七人の英雄たち。

 彼らの正確な名は、現在では忘れ去られている。埋葬場所もわからず伝承とおとぎ話だけが残っているだけだからだ。


「邪悪な心の女です。いずれ七英雄に縁があるオリヴィニスが危険にさらされることになると思い、こうして参った次第です」


 言葉通りレヴは少ない手勢だけを連れ、はるばるオリヴィニスまでやって来た。

 しかしその行動は多くの矛盾をはらんでいる。


「ベロウは……あの女夜魔術師は、たしか貴方の従者ではなかったのですかな」

「はい。ルグレ侯爵との戦いに備えて配下に加えたのです。ただしそれはアールヴォレ城陥落までのこと。彼女は宝を手にしたあとすぐに消えました」


 その後、王都の人々を――それも子供をさらっては魔術の実験台にしていた悪辣な集団の首謀者が彼女であると明らかになったのだと、静かな口調で語る。

 その表情には深い後悔が滲んでいる。


「謀略をすみやかに退け、ルグレに引導を渡すためにあの稀有な魔法の才が必要だったのです」


 マジョアはそれを言葉通りに取ることをしなかった。

 ここにいるのは無知で向こう見ずな若者ではない。いずれ国をひとつ、王冠という形で戴くことになる若者なのである。


 ミグラテールへ足を運べばいくらでも優秀な魔法使いを雇うことができただろうレヴがベロウを選んだのにははっきりとした理由がある。

 すなわちそれは《弟殺し》という戴冠まえの汚れ仕事のためだ。

 もしかしたらレヴには事をなしたあとベロウなどいかようにもできるという心づもりもあったかもしれない。

 しかしその予測はもののみごとに外れたのだ。

 飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ。

 マジョアは隻眼を細め、言った。


「アールヴォレ城で起きたことも王道のためというわけですな」


 レヴはすぐに返事をしなかった。皮肉めいたマジョアの言葉を受け取り、噛み砕き、必死に飲み込んでいるふうである。


「いずれ、今よりのちの歴史が事の是非を決めるでしょう」


 それはベロウが夜魔術を用いてアールヴォレ城での惨禍を引き起こしたと告白したのと同義だった。


 だが……考えようによっては、レヴには明らかな良心を備えている。

 彼は起きた事実を黙っていることもできた。

 しかし、そうはしなかった。夜魔術を用いたことは戴冠前の王子にとって明らかな醜聞にちがいないのに、危険を知らせるためだけにオリヴィニスへとやって来たのである。


「やばいですよ、マジョアギルド長!」


 そのとき、応接室の扉がノックもなしに乱暴に開かれた。

 飛び込んできたのは廊下に待機していたレヴの配下とギルドの受付係のレピとエカイユ、そして生臭い臭いと冷気だった。

 レピが涙目になって訴える。


「街はもうめちゃくちゃです!」


 そして叫ぶなり、振り返る。


古き者(ピスキス)叡智を示したまえ(スクタム)!」


 エルフ古語による呪文を唱えると、魔導書に描かれた召喚陣から透明感のある薄青い生物が飛び出した。

 金魚の形をしている。

 大きさは廊下いっぱいくらいの生きものだ。


「《前進ランジ》!」


 召喚された金魚型の生命体は廊下を浮遊し、骸骨たちを押し出して破裂した。

 弱いながら衝撃波が発生し、骸骨の大軍を衝撃で蹴散らしていく。

 床に飛び散った骨がカタカタと振動していた。

 今は無力でもじきに再生してしまうだろう。


「ギルド街は《幽霊》でいっぱいです」とレピ。

「でも幽霊って、《幽霊騒ぎ(ポルターガイスト)》を別として触れないものですよね。感じやすい人でなければ見えもしないし」とエカイユ。


「夜魔術によるものじゃな。昔、アラリドがよくやりおった。古くて自我の薄い幽霊に魔術の触媒をまとわせ、意のままに操る技よ」


 人骨を使うのは触媒によるものより一段劣る、応急処置的なやり方だ。

 レピがポンと手を打ち、エカイユが「なるほど。だから墓が荒らされてたわけか」と納得する。


「あの数はオリヴィニスだけじゃあるまい。アールヴォレ城近辺でかき集めてきた大量の霊魂も連れて来とるはずじゃ」


 レヴが人知れず苦い顔をするのをマジョアは見ていた。

 仕方のないこととはいえ、自分が引き起こした戦争のつけが思わぬ形をとり、思わぬ場所に被害をもたらしているのである。


「じゃ、城の衛兵とかも混じってるってわけですか。そいつらは戦い方も知ってるでしょうし片づけがめんどくさいですね。骸骨なら物理攻撃も通じると思うけど……」

「霊魂を正しい場所に導けるのは神官職とそれこそ夜魔術師だけじゃ。術者があきらめない限り続くじゃろうて」

「じゃあ、どうするんですか? 魔力切れねらいで耐久戦ですかあ?」


 そうこうしている間にも冒険者ギルドは押し寄せる骸骨たちに埋もれそうになっている。

 レヴの配下たちは王子を守りながらも、危機的な状況で呑気に会話などをしている三人組を薄気味悪そうに眺めていた。


「そうじゃの……。まずは街の人たちを守るよう通達を出すべきじゃの。犯人の居場所には心当たりがあるぞ」

「心当たり?」

「メルのところじゃ」


 マジョアは瞳を鋭く細めた。

 廊下の奥に揺らめく黒い影が現れた。

 骸骨たちとはちがう。

 全身が闇色の砂のようなものでできた影で、片手には剣を携えている。

 レピとエカイユが杖を掲げるが、マジョアはそれを遮って二人を王子のところまで下がらせた。


「あれは達人じゃ。お前たち、手を出すなよ」


 マジョアは半身になり、剣を腰から抜き、立てて騎士の構えをみせる。 

 滑らかに動き、人影も戯れるように同じ構えをみせた。


 着衣や容姿も明らかではないのに、その立ち姿には言いようのない気迫がある。

 剣士ではないレピたちも、どことは言えないが、ほかの骸骨とはまったく違う気配を感じ取っていた。


 人影はまったくの無音で一歩を踏み込み、マジョアに斬ってかかった。

 ただの《突き》なのにおそろしく速かった。

 床の上を滑るように、あっという間に間合いに達する。

 マジョアは相手の剣を巧みに剣を振り払い、反対に相手の手首に切りつけるが、ぎりぎりのところでかわされてしまう。

 二、三度切り結ぶと、影は風に押し出された柳の葉のようにさっと身を引き、間合いから離れて再び構えた。

 老騎士の頬に一筋、深い切れ込みが走り、血が流れ落ちている。

 いつ、つけられた傷なのか誰にも見えなかった。


 見た目にはただの老人でも、ギルド長が今もオリヴィニス最強の剣士であることに代わりはない。

 剣で誰かに敗れるところなど、職員には想像もつかない姿だった。


「だ、大丈夫ですか、ギルド長……!」

「ワシが負けたら、お前たちは王子をお助けし活路を開くのだぞ。無事に王都までお連れするのだ!」


 レピは一瞬で青ざめた。


「ちょ、ちょっと待ってください。非戦闘員にその役割は重すぎやしませんか!?」

「なーにが非戦闘員じゃ! エルフ古魔法の達人の非戦闘員なんておらんわ、働けい!」

「のんきに遊んで暮らしたいからこの仕事してるんです。死なないでギルド長!」


 エカイユもこくこくと頷いている。なんだかんだ双子である。

 漫才のようなやり取りをしていても事態は深刻であった。

 さっきの構えは遊びだったと言わんばかりに相手は剣筋を変えてきた。

 

 防御に回ったマジョアに向けて、上段、下段、また上段と次々に切りかかってくる。かと思えば、突然飛び跳ねて反撃をかわし、思わぬところから不意打ちをかけてくる。

 老体のマジョアの額には玉のような汗が浮かび始めていた。


「あの動き、クラスでいうと白金をはるかに超えてるよ、レピ」とエカイユが深刻そうに言う。「絶対に並の幽霊じゃない……」


 連れて来たのがただの村人の霊ならば、そこまで巧みに剣を操れるはずがない。

 アールヴォレ城に名の知れた手練れでもいたのだろうか、と考えたところでマジョアが叫んだ。


「あれはメルじゃ! あのめちゃくちゃな剣筋、忘れるはずがない!」

「メルメル……師匠!?」


 ギルドの受付コンビが屋根から落ちただけでまだ死んでないでしょう、というツッコミを発する間もなかった。


「ああっ!」


 レピとエカイユが叫んだ。

 人影が老騎士の間近に迫り、つばぜり合いの姿勢から、瞬間、片手を離した。

 一対一の戦いの最中に武器を捨てるとは――二人は驚愕に目を見開いていた。

 しかし歴戦のマジョアは冷静だった。


(こちらの柄を取って剣を奪うつもりか!)


 剣士の戦いは必ずしも剣のみで行うものでもない。

 素早い剣筋を捌くことに集中しているマジョアの一瞬の隙をつき、体術で武器を封じるつもりだ――……そう読んだマジョアの当てはもののみごとに外れた。


 剣士の手は、確かにマジョアの剣の柄に触れた。

 が、それはそう読ませるためだけのフェイントで、謎の剣士はマジョアの腕に自分の腕を絡ませてさらに一歩踏み込んだ。

 のけぞったマジョアの体が宙に浮く。

 腰だめに体を抱え上げられ、したたかに地面に打ちつけられたのだ。


「ぐふう!?」


 体勢を大きく崩された剣士は、なんとか素早く立ち上がる。

 黙ってじっとしていればトドメを刺されかねないからだ。


「な……なんのこれしき!」


 その瞬間、腰のあたりで、枯れ枝が折れるような音がした。

 持病の腰痛の再発である……。


「まことに面目ない……ワシはここまでのようじゃ……」


 一筋の涙を流し、柄に縋りついて辛うじて立っていた老体が廊下に崩れ落ちた。

 最強の剣士といえど老いには勝てない。

 絵面としてはコミカルでも、ピンチなことには変わりない。

 残された受付係は、いよいよ覚悟を決めなければいけなかった。


「レピ……!」

「うん、エカイユ。しかたない、いくよ」


 あの人影が《メルメル師匠》であるという遺言は謎そのものだが、この窮地を切り抜けなければ王太子を守れない。


 だが人影はトドメを刺すこともなく、剣を鞘におさめた。

 そして無言のまま廊下の奥へと歩き去った。


「……………え? どうして」

「わからないけど、レピ。来るよ!」


 その代わりとでも言わんばかりに、散らしただけの骸骨たちが戻ってくる。

 冒険者たちの長い夜はまだ終わりそうにない。

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