第69話 知恵と工夫
ヴィテスは父親の顔を知らなかった。
物心ついたころから母親が近くの農村まで出向いて手伝いをしたり、夜遅くまで簡単な仕立て仕事をしたりして、なんとか生計を立てていた。その様子をみるにみかねた隣家で武器屋を営む男がゲブス親方を紹介してくれ、鍛冶職人の弟子となった。そうこうしているうちに十八になり一人前の仕事ができるようになった頃、彼には別の呼び方ができていた。
すなわち、《射手》ヴィテス。弓術・狩人ギルドに籍を置き、女神の聖印とともに金板の命札を首から提げる一流の冒険者だ。
最初は鍛冶仕事に精を出すうち、いい仕事をするには武具をどう使えばいいのかを理解するのが早い、と感じたのがきっかけだった。まず職能ギルドの門を叩き、それが高じて冒険者たちの行くところについて回るようになり、気がついたら――。
「ヴィテス、さん。職能ギルド毎年恒例、春の大技能試し大会に出場してくださいませんか」
「――えっ、俺が?」
冒険者ギルドの受付カウンター係・レピは神妙な顔で頷いた。
技能試し大会とはギルド総出で行う大きな催しであり、この日だけは私闘を禁じるとした禁則を解き、各ギルドでトーナメントが行われるほか冒険者たちの本領である魔物討伐が披露される。
各地の有力者が集まる催しで力を示せば、冒険者として名が売れる。ギルドの実力を示すこともできる。そういうものだ。
「弓術ギルドには、もっと優秀な冒険者がいると思いますが」
「実は、候補者が怪我をしてしまいまして、参加を見送りたいと連絡があったのですよ」
「――はあ、他の候補者はどうなっていますか」
最初から自分に白羽の矢が立ったわけではない、と知りヴィテスは少しがっかりしながら訊ねた。
レピは魔物討伐の部に、戦士ギルドから二刀のアトゥ、ヨーン、そして魔術師ギルドからシビル、あとはヴィテスの知らない名が候補に挙がっていると伝えた。アトゥたちは名前をよく聞く冒険者だ。三人とも同じパーティだから、きっと階位を上げるためにはりきって参加してくることだろう。失敗は許されない。
しかも今年の課題は、水棲竜討伐だ。
蛇のような体をもち、水中を自在に行き来し、空も飛べる。竜種の中では小型ながら頑健さにおいては他の竜種に引けをとらない難敵である。
問題は鱗だ。この竜の鱗は魔術に強く、火の精気を通さない。
無理だ、と瞬時に感じた。
竜種が初めてであることもさることながら、ヴィテスが得意とするのは長弓を主武装とする立ち回りである。連射が得意な武器だが、竜種の鱗を穿つにはどうしても威力が足らない。
「どうします?」
レピの瞳にじっと見つめられ、ヴィテスは少し狼狽えた様子だった。
大会とはいえ竜を相手どれば命を落とす可能性だってある。
――目を伏せ、答えを探す。
どんなに考えても、現在の自分が水竜を倒す、という光景は思い浮かべられない。
思考は全て不可能にぬりつぶされて、真っ暗闇の中にいるかのようだ。
けれどもその闇の中に一筋、明るい光が輝いた気がして、その瞬間、ヴィテスは答えを口にしていた。
「やります」
手続きが済むと、ヴィテスは風のように走り去った。
「――大丈夫なのか?」
決まれば、挨拶をしようと思っていたアトゥが呆れた声をあげた。
ヴィテスはそこにアトゥがいたことも気がつかない様子で出て行ってしまったのだ。
「そうですね。ヴィテスさんはいい弓術士なのですが、十八歳とまだ若くて竜種の討伐実績がありません。大会に出るには経験が圧倒的に不足しています」
「大丈夫なのか……? おまえのことは信頼しているが、ときどき謎な仕事の紹介をしているような気がするぜ」
アトゥは先ほどとは違うイントネーションで訊ねる。
レピは部外秘の資料を眺めながら、笑顔を向けた。
「いい冒険者の条件、というものがあるのです。その条件を備えた人しか、大会には出場させません」
「はあ……いい冒険者の条件ね」
大会に出場できるようになるまで、人一倍かかったアトゥは苦々しい顔つきで、ヴィテスが去って行った方向を睨んでいた。
*****
ルビノは壁に剣や盾が飾られた、地下にある武器屋の薄暗い階段を降りていく。
入り口にあったビーズ細工はどこか西のほうのものだったはずだ。店主はハーフドワーフで、同郷の職人と組んでこの店をやっていた。
カウンターの脇に、射手の手袋をはめ、柔らかい皮の服を着こんだ若者が腰かけ、クロスボウの具合を確かめていた。
話し声が聞こえてくる。
「お前さん、大会なんか出てどうするんだい。鍛冶はやめちまうのか。え? せっかく一人前にしてもらったってのに」
「そういうわけじゃないけど……。試したいことがあって、つい引き受けてしまったんだよ。もちろん、ちゃんと仕事はするよ」
先の声が、店主の声である。後に続くのがヴィテスの声だ。
ルビノが顔を出すと、二人は会話をやめた。
「ルビノさん、お久しぶりです」
「おたくも大会出場が決まったそうっすね」
「――――まったく、どうなっても知らんぞ」
店主は苛々した声でそっぽをむき、煙草を吸いはじめた。
ヴィテスは苦笑を浮かべる。
「何か注文ですか。篭手のメンテナンスとか?」
格闘師が一般的ではないオリヴィニスでは、その装備を扱う職人は限られている。
防具と武具の二つの役割を果たし、おまけに精霊の加護をこめた篭手を調整してくれるのは、手先が器用で細工師に適性のあるヴィテス以外にはいなかった。
ルビノは、今日はそれ以外だ、と伝えて彼が手にしたクロスボウを指で示した。
「――ああ」
冒険者としての話がしたいのだと察知し、ヴィテスは照れ臭そうにした。
「連射はできませんが、これのほうが貫通力が高いのです。これと金属で作った矢を使います。引き金やからくりは特注で……まあ、金属でできているところは、どっちも俺が作ったんですけど」
特製の矢を手に取り、ルビノはその重さに目を細めた。
これは確かに、普通の弓では撃てない。だがクロスボウを使えば、高い貫通力と威力を保障できる。
水竜戦が決まってからできる工夫ではなかった。おそらく、常日頃から弓の威力を高めることを考えていて、準備をしていたからこそできることだ。
「発射のときの音も静かで、水に濡れても問題なく使える。火薬も併用するつもりですが、打てる手は多いほうがいい」
クロスボウを借りて、特注の矢を番えさせてもらう。慣れた手つきをヴィテスは不思議そうに見つめている。
ルビノは格闘師だが、メルから一通りの武具の使い方は手ほどきを受けている。
「これは、かなり強い力がいる……」
ルビノも眉を顰めるほどだ。
ただでさえクロスボウは再装填に時間がかかる。そのあいだに襲われればひとたまりもない。
もちろん、全てに優れた武器は存在しないといえばそれまでだ。
ヴィテスは緊張した面持ちで頷き、胸に提げた女神の聖印を握りしめた。
静かな横顔が次第に落ち着いて行き、瞳に力強い光が宿った。
「勝ち目はあります。無謀ではありません」
ルビノは黙って頷き、世間話を切り上げて本題に入った。
懐から、金属の延べ棒を取り出した。片手の半分ほどしかないが、地下の暗がりの中で、うっすら白銀に輝いている。
「これは……稀少鉱物ですね。しかし、小さいなぁ」
ルビノは頷いた。仕事先で拾ったものの、量が少なくて何にも使えないでいたのを、引っ張りだしてきたのだ。
「それを……」
「《竜の鱗を裂く武器として使えないか》、ということですね」
皆まで言わせず、ルーペを取り出してじっくりと延べ板を調べている。
ルビノは頷いて、カウンター前の椅子に腰を下ろした。
背中を向けていたいかつい四角顔の店主が、心配そうにヴィテスの様子を窺っている。
「合金にしてしまいましょう。試してみるだけの量がないのが残念ですが、前から考えてた配分があるんです」
ルビノは好きにしていい、と合図した。
「それじゃ、早速。こいつの試しうちもしたいし、今日は大変だ」
ヴィテスはクロスボウと矢を抱え、実に楽し気に階段をかけ登る。
残された店主は悩ましげな表情を浮かべた顔に、さらに深い皺を刻んだ。
ルビノの視線に気がつくと「あいつがもしおっ死にでもしたら、母親と親方になんて言えばいいんだ」と言い訳めいたことを口にした。
そういう可能性もある、とルビノは頷いた。
「あんたも冒険者だろう。もう少し励まされるようなことを言ってくれないのか」
とはいえ、人はかならず死ぬ。死ぬときは死ぬのが冒険者である。メルから山ほどの技術と知識を叩きこまれたルビノでも、やはりそうだとしか言えない。
だが、それが明日起きることではない、という楽観的な気持ちもある。
冒険者の武器は知恵と工夫、そして勇気……とはメルの言葉だが、その全てを備えたヴィテスは、いい冒険者だ。
そうルビノは話したが、店主はまだ苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。




