レベルI 文明に向けて
んと、文法の前に、ちょっと思ったことがあったので。
「宮沢弘の科学エッセイ」の「なぜ自然はこんなにも人間に便利なのか?」[*1]にて、文明の3つのレベルの話を書いときました。
ニューヨーク市立大のミチオ・カクが言っていますが、英語が広く浸透し、言葉の面ではレベルI文明に向けての動きが見られます。ミチオ・カクは中国語も挙げてますけど。
日本語だと明治時代には文豪や学者が西洋の言葉に対して日本語を作っていました。
その日本語から入ったものもありますが、中国では比較的最近まで国語院だったかなんだったかという政府の部署があって、英語とかの新しい単語とかに対して中国語を作っていました。今はその部署はないらしいですけど。
ところで先日、「ロシア国内で「自撮り事故死」が多発 すでに数十人が死亡、内務省が注意を呼びかける事態に - ねとらぼ」というニュース(?)がありました。[*2] このニュースを見ると、ロシア語(あるいはキリル文字)で「СЕЛФИ」と書かれています。これ、「Е」は「Э」なんじゃないかと思わないでもありませんが、ともかく「セルフィー」をキリル文字で表記したものです。
日本だと結構前から西欧やその他の言葉に対応する日本語を作るのはあきらめていてカタカナ表記してます。
「СЕЛФИ」も同じようなもの。
言語帝国主義という考えがあります。ある言語が支配的になり、別の言語が廃れるような話です。その他にも、言語Aにある言葉や言いまわしが、言語Bだと表現が難しいという話はあります。これは特定の言語における方言でも同じようなことがあります。甲州と信州には「ずく」あるいは「じく」という言葉があります。これ、説明しようとすると面倒。同じか、それ以上の困難が言語Aと言語Bとでは現われることもあるでしょう。
昨今、小学校やそれ以前からの英語の勉強が話題になっています。おそらくそれは無駄ですし、英語帝国主義を自ら受け入れるという方向だと思います。もちろん、それもレベルI文明への道の一つでしょう。
ですが、日本語のカタカナ表記や、「СЕЛФИ」という表記は、言葉におけるレベルI文明へのもう一つの道を示しているように思います。
第三の道もあるでしょう。たとえばエスペラントみたいな人工言語や制限を加えた言語という方向です。
あるいは第四の道として、機械翻訳に頼るという道もあるかもしれません。
他にも第五、第六の道もあるかもしれません。
レベルI文明は、単一文明に限らないのだと思います。どういう方向でレベルI文明をめざすのか、楽しみですね。
*1: http://book1.adouzi.eu.org/n9931cp/6/
*2: http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1507/10/news147.html




