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描いて描くか、描かずに描くか2

 んー、言葉の仕組みに入る前に、ちょっとこれに触れといた方がいいかなと思ったことがあるので。

 というのも言葉が果たしている機能についてです。

 今回エッセイのタイトルから分かっていただけるかと思いますが、このエッセイではなく独立したものとして「1」(?)が存在します。いや「1」とは書いていませんけど。ちょっとそっちとも関係した話です。


 言葉が持っている機能は、大きくは2つあると言われています。


  * 道具としての機能

  * 美的な機能


 「道具としての機能」というのは、他人とのコミュニケーションができたり、言葉で考えたりできるということです。

 これを支えるためには、どういう条件が必要なのかを考えてみます。

 その言語を使っている人たちが誰でも共有している単語の一群があること。単語とは何なのかというのは結構面倒な話なのですが、そこは放っておきます。

 それと、そういう単語をどういうふうに並べればどんな意味を表わすのかという決まりも誰にでも共有されているということです。

 これらについては、今後書いていきます。


 では、「美的な機能」というのはどういうものでしょうか。

 簡単に言えば、上で「共有」されているものに対して挑戦することを認める機能です。なぞなぞ、駄洒落、ナンセンス詩、具象詩などなど、それが伝えることが問題なのではなく、それそのもの、つまりは表現そのものに価値があるというようなものです。

 ナンセンス詩とかは極端なものかもしれません。それらは「それらそのもの」であることを、おそらくは意識して作られたものでしょう。ですが、「道具としての機能」と「美的な機能」は実のところ地続きです。

 例えば、「語源的なロボット」、あるいは「語源的にロボット」と私が言ったとしましょう。これは「ロボットの語源」とは異なります。なぜなら「ロボットの語源」と言いたいのであれば、そう言えばかまわないのですから。「ロボットの語源」と言わなかったのであれば、そう言わなかった理由があります。「ロボットの語源」とは違うことを指していたり、「ロボットの語源」では伝えられないことを言いたいからです。

 ここで、あるいは「語源的なロボット」と書いたところで「え?」とか「ん?」と思ってくれれば、「語源的なロボット」と書いた甲斐があります。というのも「え?」と思われた方にとって、「語源的なロボット」という表現は有標だったからです。「有標」という言葉については、いずれ書くこともあるかと思いますが、この例の場合は「耳慣れない表現」程度の意味で使っていると思ってください。そして、それは、「道具としての機能」における「共有されているもの」に対しての挑戦が機能したということだからです。


 このように「道具としての機能」と「美的な機能」が、人間の持っている言葉においては、あるいは人間が言葉を扱う脳の機能においては地続きで存在するということは、言葉においておそらく極めて重要なことでしょう。もし「美的な機能」を人間の言語システムが認めないとしたら、それは言葉が変化することも認めないことに繋がるだろうからです。

 「美的な機能」を人間の言語システムが認めなかったとしたら、どういうことが起こるでしょうか。言葉は発生しなかった可能性があります。「こういうふうにしか言えない」というルールが固定されていた場合、別の言いかたは認められず、別の言い方をした場合には意味をなさないものにしかならないでしょう。つまり、今ある言葉のように複雑なものに発達しなかったでしょう。というのも、動詞についてのある種の修飾のようなもの(以前書いてもいますが)、名詞における変化、言葉の統語についてのルール、文法と意味の分離などなどが起こらなかったかもしれません。

 ですが人間の言語システムは「美的な機能」を認めています。

 なお、小ネタとして書いておくと、昔の言葉の方が文法とかは面倒だったりする例があります。これは何なんでしょうね。人間にとって負荷が大きくなったので整理されているのかもしれません。あるいは単にそんな面倒な面は実際には不要だったということかもしれません。


 「なろう」的に「美的な機能」について少し書いてみます。

 「〜のような」とか、よく見る表現というのは、伝わりやすいと思います。というのは、それが比喩の類だったとしても、「道具としての機能」として共有されているものに近い表現だろうからです。

 ですが、もっと挑戦してもいいのではないかと思うこともあります。伝わらないほどに、挑戦してもいいのではないかと思います。たとえば「のような」という文字列を禁止するとか。

 いや、むしろ伝わらないことにこそ小説の醍醐味があると考えてもいいのではないかと思います。書き手、読み手の両方に負荷をかけ、とくに読み手においてはその負荷によってこそ書き手が書きたいこと、あるいはそれ以上のものを読み取ることが可能だと思うからです。


 んと。次回からは「道具としての機能」の方に目を向けたいと思います。まずは文法、と言っても日本語文法や英語文法ではない、別の文法について書こうかと思います。

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