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さて、どうしたものかと首を捻る。
何せ神絶対ぶん殴るマンになると決めたは良いものの、どうすればそれが出来るのかは分からない訳で。
むしろ、神って殴れるものなんですか?
どうしたらいいの? 何したらいいの?
やっぱり神? 私も神になれば殴れる?
いやそれより何より神って結局なんなんですか?
ぐるぐると考えを巡らせるけど完全に脳挫傷だ。
なんで脳挫傷かって言うと知らん。なんかそんな感じがしただけです。考え過ぎて頭がパーンしそうです。
とはいえ、これは誰かに相談する訳にもいかない。
理解者になってくれる筈だった者達は皆取り上げられてしまった。
もう一度取り上げられない保証も、その人達が無事である保証も無い。
つまるところ、自己流で方法を見つけるしかないのである。
その為にも知識は必要だ。
私には知識が足りない。
知識といえば、やはりエルフの里だろう。
そこに行けば何かしら知識は手に入る筈だ。
人間の国で手に入る知識だけではどうしても頭打ちだから、あ、そうだ脳挫傷じゃなくて頭打ちだ、良かった思い出せて。
…………どうしよう全然違う意味なんだけど私アホ過ぎない?
いや、うん、頭が悪いのは今に始まった事じゃないから置いておこう。
それよりもだ。
エルフの里に、神に関する情報があるかどうかは分からないが、しかし、今の私でも何か出来るようになる為の知識くらいはあるかもしれない。
視線を上げれば戸惑ったような顔の執事さんの姿があった。
不思議そうな顔の弟さんとお兄さんもいる。
隠密さんは、……彼もきっと忘れさせられているだろう。
いつものように天井裏で待機してくれているが、そう思っておいた方が心の負担は少ない気がする。
今以上の最悪は、彼等が私のせいで犠牲になる事だ。
「旦那様、どうされましたか? 私が何か粗相を?」
「気にするな、今後の予定を考えていただけだ」
少し無言になってしまったから心配されてしまったのは分かるんだけど、今までと違う対応に慣れようとしてただけに落胆みたいなのが凄い。
自分勝手なのは分かってるんだけどな。
やっぱりこう、なんか、アレだね。
言葉なんも出て来ないからもういいや。
「予定、ですか?」
「あぁ、エルフ達の里へ行こうと思っている」
「それは、国を囲む山を越え、樹海へ行くという事ですか」
領地の事が落ち着いたのかどうかイマイチ分からん内に行動するのはちょっとアカンかなー、とは思うけど、このままなんもせずにじっと作業してるだけってのも嫌なので、私は行動したいと思います。
「そうなるな」
「理由をお聞かせ願えますか?」
はい来たー。
神云々は言えないから、元々行こうと思ってた理由の方を建前にするぜ!
「……ジュリアの直接の死因ではないが、奴らの助けがあれば彼女は今も生きていた可能性がある」
「……しかし、エルフ達は閉鎖的と聞きます、助けがあったとは思えません」
うん、ですよね。
とはいえそんなセリフ言う訳にもいかないので、頑張ります。
「ジュリアの主治医、……奴がエルフ達の里へ行き、助けを求めていた」
「そうなのですか……ある日突然居なくなったのでとうとう逃げたのかと思っておりましたが……」
「奴は医師だ、患者を前に逃げる事はしない」
「はい、そうでございました、ではつまり……」
何かを言いたそうに口篭る執事さんに、シュレイグ医師に書いてもらっていた手紙を差し出す。
なおこれは先日シュレイグ医師から、口実に使えるだろうから、と自分から渡しに来てくれたものである。ありがてぇ。
内容は、まあお察しの通りという感じです。
「間に合わず、すまない、と書かれていた。…………奴の事だ、エルフ共に邪魔をされたのだろう」
「この手紙は?」
「母上の主治医に託されていた」
「……そうですか……お知り合いだとは聞いていましたが……」
知り合いっつーか本人なんですがね、それを言うと色々と大変なので隠す方向で行く事が決定しております。
ごめんね執事さん。
「私は事実が知りたい、ゆえに行こうと思う」
舞台俳優のセリフみたいな熱い言葉を、自然に、決意に満ちた声音と演技で口にする。
心の中は熱さなんて無くて冷めきっているし、当時の事を知りたいのは知りたいけど今は知識のが必要なのがなんとも言えない。
しかしそれでも神をぶん殴る為に、出来る事から一個ずつ、確実に行こうと思います。
そんな訳で、頑張りますよ私も。
「……かしこまりました、ではそのように手配させていただきます」
真摯な眼差しで私を見詰めながら、執事さんがそう言うと、それに触発されたのか釣られたのか、シェルブール兄弟は私を見て笑った。
「よォし、ならこっちの事は気にすンな」
「事後処理と言ってもやる事は決まってますからね」
お兄さんの方は快活に、弟さんの方は優しく、それぞれ性格の分かる笑みだった。
「どうぞ御心のままに」
「……うむ」
執事さんの綺麗な礼を視界に捉えながらも、心の中に去来した罪悪感と疎外感に落ち込んでしまいそうになって、無理矢理に押し殺す。
そして、動き出した彼らを横目に、止めてしまっていたペンを走らせたのだった。
あーあ! 思いっきり愚痴が言える友達欲しーい!
よっす! 俺シンザ!
古代語で“銀”って意味の名前なんだぜ!
名付けした奴は気に入らねぇ奴なんだが、名前自体は結構気に入ってたりすんだぜ!
いや、待ってなにこのよくわかんない名乗り。引くわ。
よっす、ってなにさ?
誰これやだ気持ち悪っ。
いや、理由は分かってるんだ。
あの時の旦那サマがマジでかっこよかったから。
だからちょっと変な感じに高揚してるんだよね俺。仕方ないよね。
とはいえ、この感覚は不思議だ。
今までと同じようで、何かが違うというか。
そう、違うんだ。
あの日の朝までは確かに、俺はあの細目の弟を疑っていた。
裏切り者だと思って、旦那サマの為に! つって尾行していたくらいだから、相当疑っていたんだろう。
そんで、あの弟の兄なんだから、ってあのオッサンすらも疑っていた。
それがどうだ。
どう見ても全く疑う要素も無い、俺が何を疑っていたのかも分からないくらいの兄弟の言動に、混乱しかなかった。
だからつい勢いで手助けしたりしちゃったんだけどさ。
だって、すげえ普通に書斎に入り込んで、すげえ堂々と機密文書盗もうとしてるとこ見ちゃったら仕方なくない?
確かに弟は気配薄いし、結構気付かれにくいとは思うけど、いくらなんでもアレはない。
せめて誰も来ないように頑張るよね俺だって。
ついでに忠告もしちゃうよね。
そしたら普通に自己紹介とかしなきゃいけなくなるよね。
そんなこんなで旦那サマの前に二人でコンビみたいな雰囲気で出て来ちゃったんだけどさ、それは今は置いとくとして、だ。
こりゃ一体どういう事だ?
なんか凄く大事な事を忘れている気がしてる。
だけど、それがなんなのか全く分からない。
思い出そうとするけど、ぽっかりと穴が空いたみたいに何も無い。
何か原因があった筈だ。
あった筈なんだ。
あの弟だって絶対何かやらかしそうなくらいに思い詰めたひでぇ顔してたのに、今では爽やか過ぎるくらいのさっぱりした表情。
執事だって何か気にして胃に穴が開きそうな様子だったのに、今は何の悩みもない真っ直ぐな顔。
何か悩みが解決したんなら喜ばしい事なんだろうけど、だけど、何故かどうしても喜べない。
何かの犠牲の上でこうなったような、そんな漠然とした罪悪感がある。
それに気付いているのは、俺と、兄の方の二人だけだ。
俺と同じような妙に含みのある、何かに納得していないようななんとも言えないそんな顔をしていたから、多分間違いは無い。
これがなんなのかは分からないが、確かに納得出来ないし、しちゃいけないような気がするのだ。
弟はともかく、あのオッサンと俺は面識が無い。
だけど、この事を知る者として情報の共有はしておくべきだろう。
そう判断した俺は、奴のすぐ近くに降り立った。
奴以外には誰も居ない休憩室の、窓ガラスから陽の光がさんさんと射し込む気持ちのいい場所だ。
奴の少し後ろの、手が届くようで届かない絶妙な位置。
これは職業病とでも言うべきか、この後何が起きてもすぐに逃げられるようにとそんな意味での癖が付いてるから仕方ない。
それに、俺はまだこのオッサンを全面的に信用した訳じゃないから。
ズキリと頭が痛む。
どこかで隠れながら聞いていたような言葉だったからだろうか。
それがいつで、何処だったのかはさっぱり分からないけれど。
「……おゥ、お前か、弟が世話になったみてェだな」
「どーも、ハジメマシテ」
ズキズキと痛むこめかみを、親指で揉みほぐしながら言葉を返す。
音も気配も無かった筈なのにどうして気付いたんだろう。
窓ガラスにも背を向けてるし、対面に景色が反射するものなんて何も無いのに。
とはいえ、あの旦那サマの部下なのだから凄くて当たり前か。
むしろ鈍感だったりしたら腹立って殺しちゃうかもしれないから、ちょうどいい。
オッサンはというと、振り返りもせずに煙草を取り出し、指先に火を灯した。
「ウチの弟は猪突猛進つーか、すぐに回りが見えなくなる癖があってな、お陰で詰めが甘ェンだ」
そう言って煙草を口に銜えたオッサンは、指先の火で煙草の先を燃やした後、煙を一気に吸い込んだ。
「まぁ、人様の弟さんを悪く言うのもアレだから、何も言わないどくね」
正直な所、弟の方はオッサンの言う通りに迂闊で視野狭窄だったけど、それを言うのは蛇足というか野暮だよね。
そう考えての返答だったのだが、当のオッサンは吸い込んだ煙を盛大に吐き出しながら宣い始めた。
「もしここでそんな事しやがったら殴っとくつもりだったンだが、お前意外と慎重だなァ」
「こっわ、何それ罠じゃん」
良かった言わなくて。
あんな太い腕で殴られたら頭部陥没しちゃうよマジで。こっわ。あと煙くっさ。
匂いが移ると困るからこの後お風呂行こ。そうしよ。
「冗談だ、ジョーダン」
「全然ジョーダンぽくないんですけど」
喉の奥でくつくつと笑うオッサンに正直イライラしたけど、頑張って抑える。
「ンなこたァどうでもいいだろ、で? 用があるから来たンじゃねェのか?」
「そうなんだけどさ、顔見て話さなくて良いの?」
全然こっち見ないんだけどこのオッサン、と思ったのも束の間、奴は煙草をプカプカと吹かしながらなんでもない事のように口を開いた。
「お前影だろ? 顔知ってる人間は最小限にしとくべきだ、違うか?」
ただの正論ですちくしょう。なんだろ腹立つ。
「違わないけどさ、まあいいやそれよりも、アンタ、気付いてるよな?」
腹癒せとして適当に返して、本題に入る。
するとオッサンが急に無言になった。
何かを思案するようなそんな雰囲気だが、ふと息と一緒に煙を吐き出しながら、奴は呟く。
「…………まァな」
「一応情報の擦り合わせに来たんですよ俺」
若干イライラしたせいか、感情は表には出さなかったものの無感情過ぎて些か不自然な言葉になってしまった。
しかしそれでも、当のオッサンは心ここに在らずといった様子でぼんやりと煙草を燻らせる。
「…………そうだろォな」
「……なんでそんなテキトーな感じなのか聞いても?」
イライラしつつそれでも問い掛けると、奴は火がついたままの煙草を、突然、ぐしゃりと握り潰した。
じゅうっと肉が焼けるような微かな臭いと音で、奴の中に燻る苛烈な怒りの存在に気付く。
「俺ァよ、今まで生きて来て何かを忘れた事なんかなかったンだよ、ただの一度もだ」
そう呟くように告げる奴の腕は震えていない。
だがしかし、鋼さえも曲げられそうな程の力が込められている事だけは、その手の中で紙よりも薄い厚さになるまで握り潰されていく煙草の様子で理解出来た。
「それがどうだ、忘れちゃいけねェ、なんかすげェ大事な何かを忘れちまってるじゃねェか。
許せるか? そんなん許せねェだろ、俺は自分が許せねェ」
無感情に、声音にすら怒りを出さず、それでも腹の底から湧き上がる怒りを止められていない。
それが理解出来るのは、奴の身体から立ち昇る魔力の奔流が、まるで湯気のようにゆらめいているからだ。
自分が許せないのは俺も同じなんだけど、その俺よりも物凄く怒っているのは見ているだけでよく分かった。
「だが、これを深く考えちゃいけねェと俺の本能が言ってる」
「本能?」
「そォだ、人間の根源、本能的な部分が何らかの危険を察知してンだ」
奴の言うそれは、俺の心の中の奥底にある漠然とした不安感と同じ位置にあるような気がした。
「……それってつまり、俺達の知らない強大な何かの仕業で忘れさせられてる、って事だよね?」
「あぁ、だがそれ以上はダメだ、目ェ付けられっぞ」
キッパリとした断言は、俺に対する忠告であるにも関わらず、何かからの宣告のようですらあった。
このオッサンが、それが何なのかを知ってる訳でもない事は分かっているが、それでもそう思ってしまいそうな程の気迫が奴の言葉には存在していた。
「……分かった、つまり解決策は無いんだな?」
「無ェな、もしあるとすりゃ、鍵は坊ちゃんだろォよ」
同意するようにこくりと頷く。
それはきっと旦那サマへの信頼だけではなく、俺達共通の直感だ。
俺達が不甲斐ないばかりに、あの人の負担が増えるような事を任せなくてはならない。
その事実に苛立ちはするが、俺達では何も出来ないのもまた事実だった。
「俺達に出来るのァ、忘れた事を忘れない事だけだ」
「分かった、そんじゃもしどっちかがこれを忘れちまったら、思い出させあおう」
「……そうさな、それしかねェか…………お前、名は?」
「俺はシンザ、アンタは?」
「俺ァ、アーネスト・シェルブール、ネスと呼べ」
そう言ったオッサンは、こちらを見ないまま緩く拳を挙げた。
肩口からこちらに向けられた拳は、これで殴られたら物凄く痛そうだなと素で思ってしまう程鍛え上げられている。
だけど、だからこそ頼もしく見えた。
「分かった、ネスの旦那、これから宜しく」
「おゥ、ヨロシク」
一歩だけ足を踏み出して、オッサン、──ネスの旦那が軽く挙げた拳に、自分の拳を合わせるように軽くぶつける。
それは世間一般で仲間や同志を見付けた際にする挨拶だった。
「もし同時に忘れた場合どうするよ?」
「その場合は忘れた事に気付くだろうから、相談するでしょ俺達」
「それもそォだ」
軽く笑い合ってから、どちらともなくこの場を去った。
この場では正反対の方へ進んでいるけど、お互いに主を信頼しているからこそ、同じ目標を見ている事実に気付く事が出来た。
全てはオーギュスト・ヴェルシュタイン……────親愛なる主の為。
さぁ、仕事だ。
…………でもその前にお風呂行ってこよ。





