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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第七十八夜 人界の守り手たち -9-

 こうして長い夜が去り、朝が訪れました。


 敵勢に市街の中心部まで入り込まれ、あわや陥落かと思われたウシャルファを救ったのは、ドゥーザンニャード率いる妖霊の戦士たち一千、キンク・ギルザルト率いるシーカ軍五千、そしてジェディア・イリーン率いるケッセル軍五千でありました。


 これらはダバラッド軍の兵士たちと協力し、防壁の内外にいる夜の獣を、押し流すようにして駆逐していきました。明け方、恐る恐る家から出てきたウシャルファ市民は、自分たちがふたたび陽の光を浴びられたことが信じられない様子で、ただただ戸口に立ち尽くしているのでした。


 この戦いにおけるダバラッド軍の被害は甚大でした。ウシャルファに集結した一万四千のうち、その日の昼までに確認された死者が三千。骨を折ったり、大きな切り傷をこしらえたりした者が三千。


 残りの八千にしても、無傷で済んだ者はほとんどおりませんでした。救援に来たシーカやケッセルの兵士たちにも、決して少なくない被害が出ておりました。


 一方、防壁こそ派手に突破されましたが、そこで 巨獣(アズワハーシャ)を喰いとめたのが功を奏し、市街の被害はそう大きくはありませんでした。ウシャルファ市民及び避難民の死傷者数は、五百から六百に留まっておりました。それでも運の悪い者は、突き崩された壁の下敷きになり、あるいは窓を破って屋内に入り込んできた獣の犠牲となってしまいました。


 二万いた夜の獣は、ほとんどが悪臭を放つ骸となりました。それらは疫病の元とならないよう市街の内外で焼かれ、黒ずんだ煙はウシャルファの空をもうもうと覆いました。


 市街の石畳や壁には大量の血肉がこびりつき、昼の熱射で乾いていきました。それはたとえ七日七晩続く雨であっても、容易に洗い流すことのできない穢れでした。人々の心に刻まれた恐怖や悲しみともなると、彼らが今後どのような喜びを味わったとしても、忘れることなどできないでしょう。


 タルナール、ラーシュ、エトゥの三人は、ひとまず明け方まで諸々の作業を手伝いましたが、そのうち体力の限界を迎え、なんとか酒場の部屋まで帰りつくと、身体を洗うこともなく床に倒れ込みました。


 意識を失う直前、タルナールの耳に届いたのは、死者を悼む人々の嘆き悲しむ声でした。それは葬送の煙とともにウシャルファを包み、夜通しの戦いでくたびれ果てた者たちを、陰鬱な眠りに誘うのでした。


      *


 薄闇の中で目を覚ましたとき、タルナールはいまが朝なのか夕なのか判断がつきませんでした。しかし窓から入る風の暖かさと煙のにおいを嗅いで、そう長く眠ったわけではないようだと気づきました。


 じきにラーシュとエトゥも目を覚ましましたので、三人で城館を訪れ、エルとネイネイの安否を確かめることにしました。おざなりに水を浴び、手早く身づくろいをしてから、しょぼくれた亭主への挨拶もそこそこに宿を出ます。


 西陽に照らされた城館の外壁には、昨日カドゥラックに衝突されたときの跡がはっきりと残っておりました。しかしあたりに転がっていたはずの大量の骸は、ひと通り始末を済ませたようでした。


 タルナールは見張りの兵士に用件を伝え、許可されて中庭に入り込みます。そこには探すまでもなく、怪我人たちの治療にあたるエルの姿がありました。



 彼女が纏っている白い薄衣は、あらゆる場所が血糊で固まっておりました。きっと汚れを厭わず、身を清める間も惜しんで、長い時間作業を続けているのでしょう。


「エル」


 邪魔するのを申し訳なく思いつつも、タルナールは声をかけました。振り返った彼女の顔つきや雰囲気は、昨日からさらに変わっておりました。運命に翻弄される非力な少女が、運命に対峙する力を備えた者となったのです。


「タルナール。ラーシュ、エトゥも! 無事でよかった。様子を見にいけなくてすみませんでした」


 内なる変化とは裏腹に、エルはこれまで同様の屈託ない返事を寄越しました。


「無事だったが、ひどい戦いだった。ネイネイはどうしてる?」


「彼女も無事ですよ。いまは休んでいます。エトゥ。子どもたちも心配ありません。何人かは、ひどく怯えてしまっていますが」


 エルは濡れた布で手を拭うと、中庭の負傷者たちを見回しました。


「必要な処置はひと通り終えました。怪我を魔術で治すのは肉体への負担も大きいので、自然な治癒に任せられるなら、その方がよいのです。……ところで三人とも、ちょうどよい時間に来てくれました。いまから少し、時間を取れますか?」


 引き結ばれた彼女の口元は、その用件が並々ならぬものだと告げていました。またなにか不穏な動きがあったのでしょうか? タルナールは不安を掻き立てられつつも、問題ないと答えます。


 重々しく頷いたエルは、三人を城館の中に招きます。彼女はそのまま廊下を進み、一階にある部屋の扉を開けました。中にはダバラッドの士官がふたりいて、なにやら話し込んでおりました。


 しかしエルに気づくと居住まいを正し、どうぞお使いください、と足早に退室していきました。彼らの態度や表情からは、エルが先の戦いで勝ち得た敬意の大きさが窺えました。


 エルはタルナールたちに少し待つよう言うと、ネイネイを呼びに行くために部屋をあとにしました。まもなく――いままで寝ていたのでしょう――やや乱れた髪のネイネイと、マヌーカを連れて戻ってきました。マヌーカの方は身綺麗にしていましたが、全身が痛むか強張るかしているようで、動作がややぎこちなく見えました。


「重要な話のようでしたので、同席させていただくことにしました」と、マヌーカが言います。「なにか必要があれば、わたくしからシャルカン陛下にお伝えいたします」


「本題の前に、ひとつ聞きたいんだが」と、やおら切り出したのはラーシュです。「援軍の件だ。マヌーカ。前に言ったな。使者に入れ知恵をしたって。どんな手を使ったんだ?」


「特別なことはなにも」と、マヌーカは答えました。「ここにザク=ワクがいる、ということを知らせたのです。使命に背き、あなたたちの同胞を殺したザク=ワクがいる。討ちたくば討ちにくるがよい。我が願いを聞き届けてくれたならば、この首をいつでも差し出す用意がある。そう伝えるよう、使者に頼んだのです。行く先の魔術師がわたくしの意を汲み、それぞれの主君に働きかけてくれると期待して」


「妙な頼み方だな」


「魔術師にも色々な者がおります。しかし概して、彼女たちは本当に大切なものがなにか、見極めることに長けています。わたくしのちっぽけな命より重大なことがあると、嘘偽りなく伝えれば、それは確かに理解されるだろうと考えました」


 その答えにラーシュが納得したかどうかは定かでありません。しかし実際に援軍は来たのですから、マヌーカの策が裏目に出ることはなかったのでしょう。


 さて、敷物があるだけの簡素な小部屋。各々が床に腰をおろし、顔を突きあわせます。


「これからのことを話しておく必要があります」


 厳かな態度で、エルは言いました。


「私たちはアモルダートを攻めることに決めました」


「私たちっていうのは、誰のことだ?」と、ラーシュが尋ねます。


「シャルカン陛下が率いるダバラッド軍三千五百。キンク・ギルザルト旗下のシーカ軍四千。ジェディア・イリーンの指揮するケッセル軍四千五百。それにドゥーザンニャードが連れてきてくれた妖霊の戦士団が加わります」


「霧はどうする? アモルダートを覆ってる硫黄の霧は。近づくと窒息するんだろ?」


「いまの私ならば、一帯に雨をふらせることくらいはできるでしょう。硫黄の霧は水に溶け、害はなくならずとも薄くなります」


「その連合軍で、アル・アモルに勝つ見込みがあるのか?」


「いいえ」


 エルはきっぱりと言いました。


「精兵一万三千と若干の魔術師。死力を尽くせば、同じだけの夜の獣に抗し得るでしょう。巨獣(アズワハーシャ)を屠ることも、異界への門と化した〈病人街〉まで到達することも可能でしょう。しかしそれでも、アル・アモルに勝つことはできません。私が相討つ覚悟で挑んだとしても、鼠が獅子に噛みつくようなものです」


「なら、無駄死にじゃないか」


 ラーシュは落胆したように言いました。


「いいえ、それも違います。私を含めた一万三千はあくまでも囮です。ふたたび湧き出しているであろう夜の獣と、アル・アモルの注意を引くための、大掛かりな陽動なのです。本命はラーシュ・ギルザルト。ザーランディルの持ち手であるあなたです」


 ザーランディルこそがアル・アモルを討つ唯一の手段である。少し前にラーシュと話したとき、タルナールも同じようなことを口にしました。偶然か必然か、エルも同じ結論に至っていたのです。


「ラーシュ。あなたはその剣で、どれほどの人間を斬りましたか。幾振りの武器を折り、幾枚の楯を砕きましたか」


「馬賊、野盗、シーカの兵士……。戦ったのは三十人ってところだろう」


 ラーシュは答えました。


「夜の獣を何匹討ち取りましたか」


「数えられない。二百よりは多いはずだ」


「それらを為す間に、ザーランディルに一片でも刃毀れはありましたか」


「いいや、ない」


「一度でも研ぎに出したことはありましたか」


「ない。必要がなかった」


 一般的な鋼で造った刃は、人間の骨を断っただけでも欠けることがあります。武器同士で撃ちあえば容易に毀れ、折れたり曲がったりすることもしばしばです。アモル鋼の刃はそれより強靭ですが、ザーランディルのような薄く細い剣を、ラーシュのように酷使しても無事というのは、ふつう考えられないことです。


「それは、ザーランディルが業物だからという理由だけではありません。かつての私が施した魔術がまだ残っているからです。最愛の友への贈り物として、誠意を込めて丁寧に施した加護があるからです。いっとき魔術師として高みに達した私の力を、いまもまだ継承しているものがあるのだとすれば、それはザーランディルにほかなりません」


「確かに、ザーランディルは優れた剣だ」と、ラーシュは言いました。「けど、それほどの力が本当にあるのか? アル・アモルを討てるほどの力があるとは」


「研ぎが必要です」と、エルは言いました。「いまの私に、ザーランディルと同じものを作る力はありません。しかし、かつて込めた力をふたたび引き出すことくらいはできます。ザーランディルをひと晩預けてください。明日の朝、出陣の前にお返しします。そして私たちが敵の注意を引きつけているうちに、トゥーキーの翼を借りて近づき、アル・アモルを討つのです」


 あまりに単純で、多分に不確実な策です。それでもエルが言うからには、勝ち目のない賭けではないのでしょう。


「ほかに選択肢がないなら、やるしかない」


 傍らに置いたザーランディルに目を遣りながら、ラーシュは言いました。それから彼はタルナールとエトゥの顔を見て、少しためらいがちに口を開きました。


「一緒に来てくれるか」


「もちろんだ」と、タルナールは答えました。どれほど役に立つかは分かりませんが、ラーシュをひとりで行かせることなどできはしません。たとえ命を失う危険が大きくとも、この物事の終わりを見届けなければ、タルナールは生涯後悔し続けるでしょう。


 エトゥもまた、黙ったまま頷きました。〈魔宮〉の発見で滅茶苦茶になってしまった暮らし。もう二度と戻らないことは分かっている。それでもアル・アモルを討ち果たせば、多少の慰みにはなるだろう。彼の表情からは、そんな気持ちが見てとれました。


「私も行く」と、ネイネイも身を乗り出して言いました。「私なら、ルアフたちの翼に魔術をかけられるし、怪我も治せるし、それにいままでだって、みんなでやってきたでしょ?」


「よし、一緒に行こう」と、ラーシュが頷きました。「一緒に行って、物語に残るようなことをしよう。俺たちでアル・アモルを討つ。俺たちでこの悪夢を終わらせるんだ」

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