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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第七十一夜 人界の守り手たち -2-

「とにかく、よう帰ってきた。マヌーカともども心配しておったぞ。しかし、もうふたりほど仲間がいたはず……」


「ネイネイもエトゥも無事です。陛下」


 そう言いながら、タルナールは羽毛が詰まった柔らかい小布団の上に、ゆっくりと腰をおろしました。ラーシュはシャルカンの気さくな性分を知っておりますので、やや遠慮のない態度で胡坐をかき、エルはやや古めかしくもそつのない所作で、膝を折りたたむように座りました。


「それはなにより。唯一なる者の加護があったのであろう」


 真新しい包帯の巻かれた肩をさすりながら、シャルカンは訳知り顔で言いました。その視線はさきほどから、たびたびエルに向けられています。可憐な容貌に引き寄せられて、という風ではありません。


「我はな、もし〈魔宮〉の最奥を究める者がいるとするならば、お主らであると思っておった。金貨の光に惑わされず、大胆でありながらも抜け目がなく、度量の広い人間であるであるからな。そして実際に辿り着いたようじゃ。我とともに片鱗を見た、あの無明の底へと。……説明せずともよい、我には分かっておる」


 ふと、シャルカンの顔が神妙なものになりました。気さくで快活なシャルカンから、ダバラッドを治める守護者(ダワール)の顔に。


「王よ。本当によくぞ戻られた」


「いいえ、陛下。私はもはや王では――」


「そうかもしれぬ」と、シャルカンはエルを遮りました。「ダバラッドの民にとって、貴女はもはや王でないのかも知れぬ。貴女自身が、王であることを望まぬのかも知れぬ。しかし我が守護者(ダワール)を名乗る以上、貴女は我にとっての王なのじゃ。長い時を経て再会という、この数奇な巡りあわせを、どうか喜ばせてもらいたい」


 シャルカンは胡坐をかいたままながら、両の拳を床について、深々とこうべを垂れました。さすがにそうまでされては、エルも彼の態度を尊重しないわけにいきませんでした。


「あなたと、あなたの一族には、大変な苦労をかけてしまいました。私も、大切な友人の(すえ)に相まみえることができて、とても嬉しく思います」と、ほんの少し王らしい言葉をかけました。


「いや、亡き父上や兄上であれば、もっと気の利いたことを言えたのであろうが……」


 顔をあげたシャルカンは、苦笑を浮かべながら言いました。


「なにせ我は勉学が不得手でな。かのバーラムが残した手記の内容を知らされたとき、それが意味するところをすぐに思い出すことはできなんだ。すなわち〈魔宮〉の造り主とされた〈唯一なる者〉がどのような人物であったのか、ということを。


 しかし忌まわしい夜の獣に手傷を負わされ、熱に浮かされて見た夢の中で、憤怒の形相をした父祖にさんざん叱られたわ。『我が一族の拠り所を忘れたるか』とな。そういうわけで、我は頭の隅っこから、王の記憶をようやっと掘り起こしたわけじゃ。まことに無礼仕った。しかしそれは我の性分であって、我が一族が驕っているわけではない故、どうかご容赦願いたい」


「私に関する記録を歴史から抹消し、人々に忘れさせようとしたのはほかならぬ私自身の図らいです。陛下。どうか気になさらぬよう」


「慈悲深き王よ。無礼のついでにお願いさせていただきたい。この難局を乗り切るのに、その強大な御力を貸してはいただけまいか。あの途方もない〈魔宮〉を造りあげた魔術と叡智でもって、〈魔宮〉より出でた災厄を打ち払ってはいただけまいか」


 その請願に快く応えられたならば、どれほどよかったか。エルの心中にある苦渋が、隣にいるタルナールにもありありと感じ取れました。


「私は……もはやあなたが期待しているような存在ではありません。王としての権力を失ったのと同様に、かつての力も失ってしまいました」


 そして彼女は、自らの力の源泉がどのようなものであるか、シャルカンに語って聞かせました。すなわち、他者からの承認や崇拝が、魔術師としてのエルを強くするのだということを。


「ほとんどの人々に忘れ去られたいまとなっては、私の力も常人とそう変わりありません。天候さえ操り、妖霊の王とも対等にやりあえたエルトラはもういないのです。残ったのは、私が犯した罪だけ」


 タルナールは話を聞いていたシャルカンの顔から、希望が一枚一枚剥ぎ取られていくのを見たような気がしました。とはいえ、それも無理のないことです。守護者(ダワール)を名乗る者にとって、エルの帰還は天祐とも言えるもの。彼女が事態を解決してくれることを期待するのは当たり前です。


「思えば、我らが貴女に縋ろうというのも、情けない話であるな」と、シャルカンは落胆を示しながらも言いました。「ひとり立ちした息子が、家に帰って母親に泣きつくようなものじゃ。愚かしい戦乱を続けるうちに、貴女が残したはずの知識や魔術も多くが失われてしまった。つい先日も、〈魔宮〉がなにを秘めているかも知らず、その富を巡って同じ人間同士でくだらぬ策を巡らしておった始末。まったくもって、恥ずべき所業と言うほかあるまい」


 しばしの間、場に重たい空気が流れました。しかし、いつまでも打ち沈んでいるわけにはいきません。シャルカンは両手で顔をゆっくりと拭い、ふたたび口を開きました。


「そういえば、タルナールよ。お主ら、南にあったものは見たか?」


「道中、アモルダートのあった場所に、霧でできた巨大な塔を見ました。中には途轍もなく巨大な存在が蠢き、地上には数千に及ぶ夜の獣が群を成していました」と、タルナールはルアフにぶらさがりながら目にした光景を報告しました。改めてその姿を思い起こし、口に出してみると、背筋に氷を押し当てられたような心持がしました。


「霧の塔はウシャルファからも見ることができる。あれの正体は硫黄の煙。マヌーカによれば〈魔宮〉の瘴気と同じものであるという。遠くまでは届かぬが、あまり近づきすぎれば喉と肺を侵し、人間を窒息させる毒となる。それをなんとかせねば、中にいるアル・アモルに挑むことすらできぬ」


「アル・アモルという名を、どこで?」と、ラーシュが口を挟みました。


「分かっているとは思うが、お主らが〈魔宮〉にもぐっている間、こちらでも色々と重大な出来事が起こった。お主らの話も聞きたいが、まずはこちらから話してやろう」


 シャルカンが手を叩くと、外で控えていたらしい奴隷の少女が、人数分の銀の杯が置かれた盆を持って、しずしずと部屋の中に入ってきました。杯に注がれているのはどうやらよく冷えたシャーベット水に、薔薇で香りをつけたもののようでした。


 それから、マヌーカがアモルダートで目にした混乱、シャルカンが率いた軍勢の顛末が、沈鬱な調子で語られました。それは余人にとってみれば本当に想像を絶する出来事で、たとえばカリヴィラの酒場などでそれを耳にした者がいれば、麻薬で酔っ払った人間の壮大な戯言、と笑いぐさにして然るべきものでした。


 しかしタルナールは〈魔宮〉の深奥でエルと相見え、彼女の口から遺跡の秘密を聞いています。それと照らしあわせてみれば、マヌーカとシャルカンの語りに誇張などいっさいないことが、嫌というほど理解できるのでした。


 ふたりの話を聞いたあとで、タルナールたちもまた、〈魔宮〉最深部であった出来事を語りました。すなわち石彫都市に住むトゥーキーたちの生活や、エルとの出会いについてです。


 エルの生い立ちについては、すべてを網羅しようとすると長くなり過ぎますので、ひとまずは重要な部分のみをかいつまんで説明するに留めました。


「なんとも大それた冒険であることよ! 居あわせられなかったのが残念じゃ」


 シャルカンは大層感じ入った様子で、しばらく遥かなる古代に思いを馳せておりました。しかしやがては深刻な表情に戻り、現実的な話をしはじめました。


「いま、ウシャルファには一万四千の兵がいる。我が直属の軍勢が四千、近隣の部族長たちに出させた兵が一万。工兵も相当な数がいて、弩砲や投石機を何百も組み立てさせておる」


「ケッセルのキンク・ギルザルトや、ジェディア姫はどうなったのですか?」と、タルナールは尋ねます。


「分からぬ」と、シャルカンは首を振りました。「彼らを捜させるとともに、両国に使いを出した。危機は決してダバラッドのみに留まらぬ。援軍を寄こしてもらいたい、とな」


「応えてくれるでしょうか?」


「それも、分からぬ」


「使者にはわたくしから入れ知恵をいたしました」と、マヌーカが言いました。「ケッセルにもシーカにも、決して少なくない数の魔術師がおります。彼らが使者の語ることによくよく耳を傾けたならば、きっと君主や領主たちにも働きかけてくれるでしょう」


「だが少なくともしばらくは、我らのみで対処せねば」と、シャルカンは物憂げに首を振りました。


「私も、微力ながらお手伝いしましょう」と、エルが言いました。「魔術師としては落ちぶれましたが、貯えた知識を失ったわけではありません」


「その申し出、ありがたく受けさせてもらおう」と、シャルカンは応じました。「まだ少しばかりは猶予があるはずじゃ。まずは旅の疲れを癒し、英気を養うのがよかろう。この城館はいい加減満杯じゃが、近くを探せば空いた部屋のひとつやふたつは見つかろう。せめて我が王の分くらいは面倒を見るべきと思うが……アズバァイルのヤツめが、あまりいい顔をせぬであろうな」


「ただでさえ状況は混乱している様子。ご迷惑をかけることは私も望みません。お気持ちのみ、ありがたく受けさせていただきます」


「ううむ」


 シャルカンは杯に口をつけ、既に中身がなくなっていたそれを、力なく床に置きました。


 タルナールは、シャルカンがとても疲れているのを感じました。アモルダートで遭遇した恐怖が、逃走の途上で受けた傷が、数を増しつつある獣の脅威が、守護者(ダワール)としての重責が、彼を憔悴させているのです。


「僕もできる限りのことはしてみます」


 励ますようにそう言ってから、タルナールは辞去の挨拶を述べ、小布団から立ちあがりました。そして道中で別れた仲間たちとふたたび合流すべく、エルとラーシュを伴って、シャルカンの部屋をあとにしました。

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