第五十九夜 災禍の呼び声 -7-
ケッセルとシーカそれぞれの代表は、すぐ幕屋に姿を現しました。
ジェディアは優美な意匠の――しかしよく使い込まれた――細剣と革鎧を身につけ、堂々と御前まで進み出ます。
アズバァイルやダバラッドの士官たちは、彼女が到着したとの報を受けた際、表情にわずかな侮りを浮かべていましたが、いざ本人を目にしてみると、その鋭い佇まいに圧されたのか、思わず居住まいを正しておりました。
ジェディアの傍らには、灰色の長衣を纏った地味な容貌の魔術師――ルールーがおり、主人の皮鎧についた砂ぼこりを、布でせっせと拭っておりました。
「ケッセルの姫君よ、よくぞ参られた。シーカ方の使者もすぐに来るゆえ、楽にして待たれよ」
「シャルカン陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。当方、ダバラッドの礼儀には不慣れゆえ、無礼があればお許しいただきたい」
先日の一件についてはおくびにも出さず、ふたりは挨拶を交わします。とはいえここは王宮でもなければ、正式な儀礼の場でもありませんので、さして堅苦しくはありません。
ジェディアはふとマヌーカに目をとめ、やや怪訝そうな顔をしましたが、特になにも言うことなく、そのままダバラッドの男たちから二歩ほど離れた場所に腰をおろし、胡坐を組みました。
ルールーもそれに倣いましたが、ふだんあまり床には座らないのか、しばらくもじもじと居心地悪そうに脚を動かしておりました。
彼女がしっくりくる姿勢を探り当てる前に、今度はシーカの使者が現れます。
老騎士エシュヴァルはやや形式ばった口調で挨拶を述べ、代理を立てたことについて詫びると、自らはギルザルト家の武芸指南役を務めており、今回の遠征においては、若きキンクの副官として参加している、と自らの立場を明かしました。
頬全体を覆う彼の髭は白っぽい灰色。齢は七十歳に迫るほどと思われましたが、歩き方や立ち居振る舞いを見るに身体はいまだ強壮。両手の皮膚は分厚く、それ自体が蝋で煮た硬い革のようでありました。
「ちと情勢が変わり、事前の取り決めとは異なる会合になること、まずは我から詫びておこう」
マヌーカはかつてこのような場に臨席したことはありませんでしたので、シャルカンが対外的にはそれなりの態度を取れるのだと知って、やや意外な思いを抱きました。
とはいえそれは十数の部族、数百万の人口を擁する国の為政者というよりは、ごろつきたちの大親分、といった雰囲気にいささか寄っておりましたが。
「まずはマヌーカに話してもらおうかのう。アモルダートでいまなにが起こっているのか、ジェディアどのやエシュヴァルどのにも知っておいてもらわねば」
「かしこまりました。陛下」
マヌーカは言われた通り、まず自らの身分を明かしてから、さきほどと同じような説明を繰り返します。
会合に加わっている中で、夜の獣を見たことがないという者は多くありませんでした。守護者自らが〈魔宮〉にもぐったダバラッド、現に交戦しているらしいシーカはともかく、ケッセル側でもルールーが密偵としてアモルダートに忍び込み、実物を目にしたり、鉱夫たちから話を聞いていたりしたからです。
したがって夜の獣の氾濫という事態の重大性については、各陣営比較的すんなりと腑に落ちた様子でありました。
「そういうわけでいま、アモルダートは放棄され、民は寄る辺なく逃げ惑っておる。我は守護者として弱き者らに手を差し伸べ、国土を安んずるため、夜の獣が湧き出し続ける〈魔宮〉を制圧しなければならん。少なくとも、その入口を安全に確保することが是が非でも必要じゃ」
マヌーカによるひと通りの説明が終わったあとで、シャルカンが言いました。
「この難局にあたっては、ジェディアどの、キンクどのにも力を貸してもらいたいと考えておる。あまり悠長に考えている余裕はないゆえ、すぐに結論を聞きたい」
「ふたつ問題がございますな」
口を開いたのはエシュヴァルでした。
「ひとつ目は、我らとアモルダートとの取り決めのことです。先だって我らは半年間の不可侵を約しました。これを易々と破るのは、シーカ人としての誇りにもとります」
「貴公は非常に誠実であらせられる。エシュヴァルどの」
これに対しては、アズバァイルが意見を述べます。
「しかし貴公はアモルダートの街と約束を交わしたわけではない。バーラムという人物と約束したはずだ。そして当の彼は姿を消してしまった。たとえそのことで取り決めが無効にならぬとしても、これからの行為が侵攻になることは決してない。
我々は民を救援に行くのです。アモルダートの兵士たちに助太刀するのです。……もっとも、彼らがまだ踏みとどまっていればの話ですが」
侵攻ではなく民の救援とは、なるほど狡猾な解釈です。エシュヴァルはこの方便があまり気に入らぬようでしたが、結局は体面より利を取ることにしたのでしょう。重々しく頷いて納得の意を示しました。
「ふたつ目は、将来算出されるアモルの分配に関することです。街が壊滅したことで、アモルを精錬する施設や人員にも損害が出たでしょう。特にアモルの精錬には、知識と技術を持った錬金術師が不可欠です。それがなければ、アモルとてそこらの石くれや塵と同じ。命を賭した挙句に、分配されるのがそのようなものでは……」
「ううむ。アズバァイル、どうじゃ」と、シャルカンはふたたび大臣に回答を任せます。
「もしアモルダートの錬金術師が死んでいれば、少々面倒ですな。ですが、カリヴィラにはまだ優秀な者がたくさんおりますので、知識を掘り起こすなり、技術を再発見するのは、さほど難しくないかと」
「うむ。なんにせよ、精錬の技術を含めての分配となろう。唯一なる者の御名にかけて、小狡い謀りはせぬ。とはいえ、これまでと変わらずアモルが採れるとは、あまり期待できぬがのう」
「その言葉がお聞きできれば、結構でございます」と、エシュヴァルは引きさがりました。
「ジェディアどのは、なにか懸念があるか?」
「協力に異存はない」と、こちらは幾分さっぱりした返答です。「しかし私は獣の実物を見たことがない。掃討の準備にあたって、それがどの程度の脅威なのか、どれほどの数が湧き出しているのか、聞いておきたい」
ジェディアがそう言うと、会合の面々がいっせいにマヌーカの方を見つめました。
マヌーカはお偉方の視線を居心地悪く思いつつ、実際に対峙した経験は少数ながらと前置いてから、自らが経験し、あるいは鉱夫たちから聞いたことのある夜の獣の性質や、推測しうるアモルダートの状況について、全員に語って聞かせました。
「それは犬ほどの大きさであっても人を殺すだけに力を持っております。山羊ほどになれば盾を持った大男を突き倒し、仔牛ほどのものは丈夫な建物の壁さえ粉砕するでしょう。猿に似たものがいれば、馬上の人間は引きずりおろされぬよう注意しなくてはなりません。
〈魔宮〉の奥では、毒を持つ蜘蛛の如きものにも遭遇いたしました。おしなべて動作は俊敏、全速力は騎馬の襲歩にも匹敵します。そしてなにより、狂暴。ふつうの獣と同様に追い散らしたり、狩ったりできると考えてはなりません」
「マヌーカどのの言っていることは本当です」と、エシュヴァルが援護を加えました。ダバラッドの士官たちや、ジェディアの顔に疑念の表情が浮かんだのを見て、侮るなかれと釘を刺したかったのでしょう。
「我々は廃砦より〈魔宮〉の内部に侵入した際、何度か獣と戦いました。その中に人間より大きなものはおりませんでしたが、いずれも殺すのには五人の重装歩兵を持って当たらなければなりませんでした。
そして厄介なことに、馬が夜の獣を怖れるのです。あのひどいにおいと、咆哮に怯えるのです。おそらくは駱駝も同様の反応を示すでしょう。たとえ狼に尻を噛まれても動じない軍馬が、騎手を振り落とすほどに錯乱するのです」
「乗り手の恐怖を感じ取ったのだろう」と、言い放ったのはジェディアでした。
「それは、我らを怯懦と揶揄しておるのですか?」と、エシュヴァルが顔を赤くします。
「少なくとも私の弓騎兵たちであれば、そのような醜態を晒すことはない」
「シーカの姫君よ。挑発的な物言いは控えていただきたい」
場が沸騰してしまう前に、アズバァイルが割って入ります。
「その勇敢な弓騎兵たちは、どれほどの数がおられるのか?」
「五百騎。それに加えて、我が親衛隊の重装歩兵が百名」
「キンクどのの手勢は、どれほどか」
「槍騎兵が百。重装歩兵が三百。弩兵が百」
エシュヴァルはそう答えつつ、冷たく硬い目つきでジェディアの方をちらりと見遣りました。
「いずれも我が主君の誇る精兵にて、五倍の敵とも真っ向から抗することができます」
「獣が真っ向勝負をしてくれるとは思えないがな」と、ジェディアが揶揄するように言いました。
「シャルカン陛下は、どの程度の頭数を用意されておられる?」
この質問にも、アズバァイルが応じました。ともすれば争いの火種になりかねない発言を繰り返すジェディアに、彼は早くもうんざりしたような表情を浮かべておりました。
「駱駝騎兵が千二百、弓兵が六百。駱駝騎兵はもう五百ばかりを増派することになっておりますが、到着までにあと二日はかかるでしょうな。それから、近衛の兵団が二百名」
「近衛というのは外にいる、あの怪物のごとき男どものことか」と、ジェディアは尋ねました。
「さよう。幼少より血のにじむような鍛錬を重ねた、無類のつわものども。本来ならばこのような辺境へ出向くことはありませんが、陛下自身がここにおられますのでな……」
すべてを合わせればおよそ二千の兵力。国家の命運を決するような大会戦に比べれば小規模ではありますが、守護者が率いる軍勢はもちろん、ジェディアとキンクが率いる軍勢もまた、国境を守る役割を持つ精強な兵たちです。
もしマヌーカが歴史家であったならば、これは素敵な会合に居合わせたぞと浮き立ち、ケッセル馬のしなやかな脚と、シーカ重装歩兵のきらめく楯の列と、ダバラッドの誇るかの巨人隊が揃い踏みする姿を、うっとりと心に描いたはずです。
しかしマヌーカは表面で平静を装いつつ、不穏の毛羽でざわざわと、胸の底を撫ぜられるのを感じておりました。
たとえ敵がダバラッドの沿岸を侵す海賊であったなら、北の地峡からくだってくる異民族であったなら、遥か東の草原からやってくる騎馬集団であったなら、たとえその数が一万を超える大勢であったとしても、このような気持ちにはならなかったでしょう。
人間を相手にすることを念頭に訓練してきた兵士たちが、果たして夜の獣を相手に、どこまで立ち回れるものか。
マヌーカは自らの立場をわきまえておりますので、あえて懸念を口にはしませんでした。それに実のところ、屍食鬼を退散させるまじないのような、特別な対処法があるわけでもないのです。日々夜の獣と戦っていた鉱夫たちも、結局は槍や弩を使っていましたから、会合の面々がこれから為そうとしていることも、別段間違いというほどのものではありません。
ならばなぜ、これほど胸騒ぎがするのか。
そんなマヌーカをよそに、話しあいは進んでいきました。おおまかな事情が共有されたあとは、それぞれの軍をどのように動かしながらアモルダートを制圧するか、ということに焦点が移りました。
マヌーカはタルナールたちの安否を気にしながら、ダバラッドの士官が地図上で動かす駒を、しばらくぼんやりと眺めておりました。
会合はそれから半刻ほどで終わり、アモルダートへの進軍は翌日の払暁と決まりました。
できることならばすぐにでも出発し、なるべく早く〈魔宮〉の入口を塞ぐべきなのですが、掃討が済まぬうちに日没を迎えた場合に、何が起こるか予想がつきません。一晩は様子を見るべきとの意見が大勢を占めた結果、そのようになったのです。
マヌーカは凝った肩を押さえながら幕屋を出ます。偉い人間たちが会議をしている間にも、野営地には続々と避難民が到着しておりました。ダバラッドの兵士たちは彼らに水をやったり食料を分け与えたり、怪我を負った者には治療を施してやったりと、概して寛大な処遇をおこなっているようでした。
天幕をひとつ用意してやるというシャルカンの厚意をありがたく受けつつ、マヌーカは日が暮れるまでの間、ハアルとアミナを伴って、避難民の受け入れを手伝ってやることにしました。
それから少しあと、沈みゆく太陽が筋雲を血のように染めあげる夕刻。マヌーカは負傷者を寝かせるために用意された天幕のひとつにおりました。アモルダートで鍛冶屋をやっていたという老人の傷を手当しながら、尋ねるともなく呟きます。
「いったいどれほどの人間が、あの場所から逃れられたのでしょうか」
駱駝の腸から作った糸と銀製の針を使って、ちくちくと太腿の傷を縫われる間、老人は身じろぎひとつせず、顔をしかめることもありませんでした。
彼はここまでの道中で夜の獣に襲われている女奴隷を見つけ、唯一持ち出した商売道具である片手用の鉄槌を振りかざして、勇敢にも立ち向かっていったのです。
ほかの人間の助太刀もあり、山羊ほどの獣を叩き殺すことには成功しましたが、結局襲われていた女奴隷はすぐに死んでしまい、彼自身も右の太腿を角でざっくりと切り裂かれたのでした。
「半分よりは少ないだろうよ」
処置が大方済んだあとで、老人は抑揚に乏しい声で言いました。
「狼だろうが獅子だろうが、いったん獲物を食って腹いっぱいになったら、休むはずだろう。けどあの黒い獣どもはそうじゃなかった。ひとり殺しても次が目に入れば、すぐに襲いかかる。そんな危険なヤツらの巣のうえで、俺らはいままで暮らしてたんだ。考えてみりゃ、涸れ川の真ん中で寝てたようなもんさ。上流の雨雲に気づかず、まとめて流されちまったわけだな」
老人は巻いた包帯の上から傷をさすり、二度三度と足踏みして様子を確かめました。
「さすがにウシャルファまで歩くのは骨が折れるな。誰か便乗させてくれる人はいるかね」
「輜重隊の兵士たちが歩けぬ者の輸送を考えているようです。明日、尋ねてみてはいかがでしょう」と、マヌーカは答え、老人を天幕から送り出しました。
しばらくしてひと通りの仕事を終えたマヌーカは、兵士たちが配給する食事を受け取り、自らに割り当てられた天幕に戻りました。そしてハアルやアミナと身を寄せあいながら、やや丈の足りない寝具にくるまります。外からは風の音に混じり、誰かの歌う声がとぎれとぎれに聞こえてきます。
ヒーホー、ヒーホー
冷たく湿った奥津城の
闇に凝るものを見てはならぬ
ヒーホー、ヒーホー
それは真実をかたどるが
手には破滅の盃を持つ
ヒーホー、ヒーホー
漠砂の底のしじまに眠る
夜のこつぼを覗いてはならぬ
ヒーホー、ヒーホー
それは叡智の色を帯びるが
甘き死毒の棘をも飛ばす
ヒーホー、ヒーホー
陽のある世界へ帰りたいならば
それらを決して探してはならぬ




