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千夜の魔宮の物語  作者: 黒崎江治
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第二十五夜 火焔 -1-

 いにしえの妖霊たちが遺した不可思議な門によって、あわや遭難の憂き目を見るところだったタルナールたち。


 しかしまったくの偶然から、かつての時代を知る高貴なる姫ドゥーザンニャードが封じられていた壺を発見します。彼女が教授してくれた門のまじないによって、一行はなんとか地上へと帰還することができたのでした。


 さて、景色から現在地を判断するに、どうやらアモルダートから二刻の距離。廃砦までたどり着ければ、そこから馬を使うこともできるでしょう。五体満足の安堵、懐には大きなアモル石。タルナールの口からは、自然と歌が流れ出します。


 黒い獣のさまよう魔宮で

 探し求める者に幸運を

 硫黄の風をこの身にまとい

 悪臭放つ臓腑を抉り

 手にしたアモルの値はいかに

 銀に混じれば星より淡く

 鋼に混じれば防ぐ楯なし

 換えた金貨は我らが手より

 零れて街を照らす灯りに


 いくつかのごきげんな歌が終わるころには、段々と廃砦が近づいてきます。


 まず異変に気づいたのはエトゥでした。次いでラーシュとネイネイが、最後に浮かれていたタルナールも、砦の妙な騒がしさを見て取りました。


「やけに人が集まってるな」と、エトゥが言いました。


 夕暮れが迫る中、タルナールも砦の様子に目を凝らします。遠くからでは詳しく分かりませんが、武装した大勢の人々が、砦の周りにたむろしているようです。どう少なく見積もっても二百人。その中には馬に乗った者の姿もありました。


「アモルダートの兵士じゃない」と、ラーシュが剣呑な声で言いました。「あの旗の色を見ろ。シーカの軍隊だ」


「どうしてシーカの軍隊がここにいやがるんだ? ここはダバラッドの領内だぜ?」と、ジャフディがうろたえた様子で言いました。


 ダバラッドとシーカの国境は、ここから西に馬で半日の距離。非常に遠いというわけではありませんが、うっかり迷い込んでくるほど近くもありません。それに意図的であろうとなかろうと、武装した兵士が集団で国境を侵せば、穏やかならざる事態が起こるのは明らかです。


「分からない」と、ラーシュは首を振りました。「でも、あれだけの数だ。アモルダートでも大ごとになってるのは間違いない。とっとと戻って、マヌーカあたりに詳しい話を聞こう」


 そのうち、たむろしている兵士たちから十騎ほどが分かれ、駆け足でどんどん近づいてくるのが見えました。廃砦から一行の姿を確認し、誰何なり攻撃なりをするために偵察隊を出したのでしょう。


「ど、どうしよう」と、ネイネイが杖を両手で握りしめ、不安げにあたりを見回しました。しかし周囲には平坦な荒れ地が広がるばかりで、身を隠す場所も騎馬を撒けるような障害物もありません。


「まだ敵だと決まったわけじゃない。敵だとしても、すぐ攻撃してくるとは限らない」と、ラーシュが彼女を落ち着かせるように言いました。


「でも、もし攻撃してきたら?」


「何人かは道連れにできるだろう。タル、話すのは任せるぞ」


 騎兵たちはすぐ、各々の武装や顔立ちがはっきりと見える距離まで近づいてきました。そしてタルナールたちを取り囲むように散開し、鋭い目線と槍の切先でこちらを威圧します。


 その手慣れた機動や装備の立派さは、彼らが傭兵や脱走兵などではなく、練度の高い正規の部隊であることを示しておりました。


 一行が成り行きを見守っていると、背の高い灰色馬に乗った髭面の隊長が、怒鳴るような声で呼びかけてきます。


「この場所でなにをしている」


「アモルダートに戻るところだ。戦闘の意思はない」と、タルナールはゆっくりと両腕を広げてみせました。しかし隊長は表情を緩めません。


「私が聞いているのは、お前たちがなぜここにいるのかということだ。ウサギを捕まえに来たというわけではあるまい」


「〈魔宮〉の探索をしていたら、妙なまじないで地上に飛ばされたんだ」と、タルナールは少々の脚色を交えて説明します。「貴方たちも、僕らが急に現れたから見にきたんじゃないのか」


「到底信じられんな」


 隊長は立派に生やした口髭を、傲慢そうな手つきで撫でました。


「夜の獣から採ったアモル石もある。ほら」と、タルナールは袋から小さなアモル石を取り出し、高々と掲げてみせました。これは道中で遭遇した蛙のような獣から、いくつか採っておいたものです。


 それから槍を地面に置き、仲間たちに待機しているよう手振りで示しつつ、隊長のもとへと歩いていきました。


 騎乗したままの隊長にアモル石を渡してみると、彼はそれ西日にかざし、しげしげと眺めました。


「その大きさなら、金貨五枚以上の価値はある。ここを無事に通行させてくれるなら、貴方たちの寛大さに対する礼として、それを差しあげよう」と、タルナールは提案しました。


「……我々も、アモルダートに対する略奪や、あからさまな敵対を望んでいるわけではない」


 隊長はそう言って、タルナールにアモル石を放って寄越しました。部下の手前だからか、もともと厳格な人間なのか、賄賂を受け取るつもりはないようでした。


「行くがいい」


 やがて、隊長は判断をくだしました。


「だが、砦からは離れて進め。矢で射られたくなかったらな」


「感謝します」


 タルナールは慇懃な所作で礼をし、仲間もとへと戻りました。鋭い号令とそれに続く馬蹄の音に振り返ってみれば、騎兵たちが廃砦の方へと去っていくところでした。


「なんて言ってた?」と、ラーシュが尋ねます。


「彼らは味方じゃなかったけれど、今回は行かせてくれるそうだ。砦を大きく迂回していこう。もうすぐ陽が沈むから、どこかで野営して、アモルダートに戻るのは明日の朝だな」


 タルナールは槍を拾いあげ、よいしょと荷物を背負い直してから、大きく息をつきました。

ひとまず、無事に帰ることはできそうです。しかし再び歩きはじめたタルナールの胸中には、懐のアモル石で和らげることのできない不安が、しばらくの間ぐるぐると渦を巻き続けておりました。


       *


 このあたりから物語はしばし〈魔宮〉探索を離れ、その周辺で渦巻く人々の欲望や策謀にまつわる出来事を扱います。


 タルナールたちの活躍により、〈魔宮〉はかつての数倍にも及ぶアモル石を、すなわち富を産出するようになりました。それはいままで〈魔宮〉にさして野心を持っていなかった、あるいは野心を持っていたが関わるのに躊躇していた勢力を、図らずも招き寄せる結果となったのです。


 さて、シーカの騎兵たちをやり過ごした日の宵。タルナールたちは干したナツメヤシと堅く焼いたパンで夕食を摂りました。焚火もなし。歌もなし。清浄な星空だけが慰めの野営を経て、アモルダート市街へと入ったのが翌日の朝のこと。


 シーカ兵による侵略行為は、既に市民の知るところとなっておりました。人々は辻や店先で不安を囁き、井戸端で信憑性の低い噂をしきりに交換します。普段から落ち着いているとは言い難い街ですが、いまはその喧騒にきな臭さが加わって、ぴりぴりとした異様な雰囲気を醸しておりました。


 さっそくアモル石の換金に向かったジャフディと別れ、タルナールたちが宿に入ったときも、酒場の隅で鉱夫たちが固まり、これからはじまるかもしれない争いについて、ぼそぼそと陰気に言葉を交わしておりました。


「早いお帰りでした。詩人どの」


 マヌーカはいつもと同じ一角に腰をおろし、薬研や乳鉢、得体の知れない素材に囲まれながら、タルナールたちの帰りを迎えました。衣服に焚き染めた麝香が薬の臭いと混じり合い、〈魔宮〉の空気に慣れた鼻をくすぐります。


「お湯を持ってこさせましょう。それとなにか軽い食事を」


「マヌーカ。廃砦がシーカの兵に占拠されたのは知ってるか?」と、タルナールは開口一番で尋ねました。


「もちろん。街はいまやその話で持ち切りでございます。ほかにも色々とありますが……。荒っぽい事態が起こるまではいましばらく時間があるでしょう。慌てずとも大丈夫。まず英気を養われるのはいかがですか」


 彼女は黒い面紗(かおあみ)の下で薄く笑みを作り、それから近くの奴隷に沸かした湯を持ってくるよう命じました。タルナールとしては早く状況を知りたいところでしたが、マヌーカが言う通りならば、すぐ戦に突入するというほどの緊迫感はないようです。


 身を清め、蜂蜜入りのぶどう酒で喉を潤した一行は、あらためて事情を聞くためにマヌーカを囲みます。時折コツコツ、ゴリゴリと薬を混合する音が響く中、彼女は普段とまったく変わらぬ口調で、アモルダートの近況を話しはじめました。


 ダバラッドとシーカの国境が侵されたのは、タルナールたちが〈魔宮〉に潜ったほとんど直後のことでした。


 現場に居合わせていた者の話によれば、尖兵として重装の槍騎兵が五十、地平線に姿を現したかと思うと、一直線に廃砦を急襲し、そこに留まっていた鉱夫、商人、少数の兵士を、抵抗する間もなく追い散らしてしまったというのです。


 アモルダートから出た斥候が確認したところ、その後に続いたのは歩兵が二百。弩兵が百。これらの軍勢を率いるのは、シーカ王国ダーツ公の長子、キンク・ギルザルトであるとのこと。


「ギルザルトだって?」と、タルナールはラーシュを見遣りました。これまでにほとんど口にすることはありませんでしたが、たった一度だけ、タルナールがラーシュと出会った日に、彼はギルザルトという姓を名乗っていたのです。


「ああ、俺の兄だ。腹違いのな」と、ラーシュは頷きました。


 ラーシュが卑しからぬ家柄の出ということは感づいていたタルナールでしたが、まさか国境に領を持つ有力者の子息であったとは。本来ならば、兄のように一軍の将、あるいは王都で武官や文官を務めていてもおかしくはない人物です。


 ネイネイやエトゥもそのあたりの事情は知らなかったらしく、意外そうな顔でラーシュを見つめておりました。


「さて、登場人物はこれだけに留まりません」と、マヌーカが話を続けます。「カリヴィラより、ダワール・クム・シャルカン殿下自らがご出陣なされ、五百の駱駝騎兵を率いて、現在はアモルダートから北に徒歩半日の距離に野営しております」


 たとえみなさんが軍事に疎くても、これがただならぬ事態だということは容易に理解できるでしょう。


 ダバラッドの部族長たちによって全土の守護者として認められた王者の親征。現在の勢力こそ五百騎とそう多くはありませんが、守護者(ダワール)が命令をくだしさえすれば、その百倍にのぼる兵を参集することも容易なことです。


「さらに」と、動揺する面々を面白がるような表情で眺めながら、マヌーカはさらに続けました。「詩人どの。あなたの生国であるケッセルからも侵入がありました。〈戦姫〉ジェディア・イリーン率いる弓騎兵が五百。それからもちろん、彼女の親衛隊である〈麗しき剣士〉の一団でございます」


「ジェディア姫か」と、タルナールは呻くように言いました。


「どんな人物だ? タル」と、ラーシュが尋ねました。


「気性が激しくて、残忍な人物だ。一度だけ、館に招かれて歌ったことがある。そのときにも色々と悶着があった。そのうち話して聞かせよう」


 そうやってタルナールたちが話し込んでいると、ふいに宿の入口が開き、ひとりの男がこちらへ歩み寄ってくるのが見えました。


 アモルダートについた日にタルナールを案内した、あの白子の若者です。宿での振る舞いを観察する限り、彼は鉱夫でなく、マヌーカの使い走りをしているようでした。もしかすると、マヌーカが所有する奴隷なのかもしれません。


 白子の若者がマヌーカに紙片を渡すと、彼女は目を細めてそれを読み、次いでタルナールたちを見遣りました。


「招集です」と、マヌーカは言いました。「至急、バーラムさまの館へお向かいください」

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