第二十四夜 根源を求めよ -5-
「ところで、あなたはなぜ壺の中に?」
守護者の件はひとまず置いておこう、と考えたらしいネイネイが話題を変えます。
その問いに対して、妖霊はむっつりとした表情で目を閉じ、薄い胸の上に固く腕を組んで抵抗を示しました。どうやらそれは彼女にとって、あまり語りたくない出来事のようです。
しかし互いに話を整理しなければ物事がこんがらがったままですから、タルナールたちも譲るわけにはいきません。
「よろしい。話して差しあげましょう」
やがて、根負けしたドゥーザンニャードが口を開きました。
「かつてここはエルトラ様による大事業の現場でした。施設の名前はまだついていませんでしたから、あなたたちに倣って〈魔宮〉と呼ぶことにしましょう。わたしはなにを隠そう妖霊の中の妖霊である大王の末娘なのですが……まあそれはいまのところいいでしょう。でも、相応の敬意は払っていただかないとね。
そう。それで、やんごとなき身分の者と言えども、力ある者の喚び出しには逆らえません。いい機会だから見目の麗しい妖霊の殿方でも見つけてこいとお父様に送り出され、可哀そうなわたしは〈魔宮〉建築に従事することとなったのです。
招集されたのはわたしのような白銀の妖霊が一千、そしてその下にそれぞれ青銅の妖霊が一千ずつ。この数を聞けば蛮人にも事業の壮大さが分かるでしょう? 穴を掘り、切り出した石を積みあげ、文字や装飾を刻み、エーテルの流れを整える。もっともわたしは高貴な妖霊の姫ですから、手が汚れるような泥臭い作業など致しません。指示を出すのがもっぱらの仕事でした。
それにつけても我慢ならなかったのが青銅の妖霊たちです。彼らは力に優れますがおつむの方は本当に大したことがなく、品性も下劣です。それがなんと一千も! わたしの労苦は想像もつかないほどでした。手慰みに魔術の間道を作ってみたり、エルトラ様のおやつを盗んでみたりしましたが、ついにそれでも我慢ならなくなり、組織的な怠業に打って出たのです。一千世界の妖霊団結せよ! そしてそれは大きな大きな誤りでした。
エルトラ様は本当に慈悲深いお方です。最後の最後になって分かりました。はじめからしっかりと話しあっていればよかったのですが、いまとなってはもう遅いですね。とにかく数千の妖霊と妖霊が殴りあい、炎を巻きあげ、ついには剣や槍まで持ち出して、ついにわたしが追い詰められて滅されようとしているときに、エルトラ様がそれをとめたのです。この者を殺してはならない。反省の機会を与えるべきだ、と。
そうしてわたしは封じられました。この壺の中に入れられ、鉛で封をされました。しばらくすれば出してもらえることになっていたのですが、あまりに長いのでつい眠り込み……はて、どれぐらい経ったのやら。それにしてもわたしを忘れてしまうとは、妖霊どもはなんと薄情なのでしょうか」
一気に語り終えたドゥーザンニャードは、ふんと鼻息を吐き、ふたたび腕を組みました。
「ええと、大体分かった」と、ネイネイは言いました。「要するに、あなたが知っているのは何百年か前の〈魔宮〉なんだ」
「おそらくそうなのでしょう」
「でも、歴史上にエルトラなんて王はいなかったと思う」
「蛮人ですから、学校でちゃんと習わなかったのでしょうね」
歴史というものがはじまるずっと前の伝承をいくつか知っているタルナールでも、エルトラという名は聞いたことがありませんでした。
「それで、そのエルトラ……様っていうのは、どんな王様だったの?」と、ネイネイが尋ねます。
「おお、エルトラ王のご威光が永遠に高からんことを! 知らないというのならば仕方がない、教えて差しあげましょう。わたしに語らせるからには、心して聴きなさいね。
いいですか、エルトラ様はかつて流浪の身であり、供となる騎士一人と共に各地を旅しておりました。そうしていまはこの世界から去った神々の、竜の、妖精の、小人の知恵を拾い集め、比類なき叡智を身につけられました。
やがてエルトラ様は騎士の郷里に戻り、まだ泥と土と藁の家で暮らし、日々獣の脅威に怯えていた人々に知恵と技術を授けたのです。そしていま、ダバラッドと呼ばれている国を創ったのですよ。それ以前に、国らしい国というものはなかったのです。
わたしは妖霊ですので、その国で暮らしていたわけではありませんが、それはそれは善き治世であったようです。しかし自らが崇められ、神に近しい存在となってしまうあまり民衆の堕落を懸念したエルトラ様は、その王権を騎士の一族に明け渡し、その長を守護者に指名しました。そして王座を去り、地下に隠居することを決めたのです」と、ドゥーザンニャードは答えました。
「いまの守護者の一代目よりずっと前に、別の守護者がいたってこと? じゃあ、それはどれくらい前……?」と、ネイネイは首をひねります。
「なあ、歴史の講義は結構だけど、なにか大事なことを忘れてないか?」
そのとき、ラーシュが会話に口を挟みました。
「俺たちはこっから出られなくて困ってるんだ。どうすれば外に戻れる?」
ドゥーザンニャードは冷たい目でラーシュを睨むと、指先から小さな炎を飛ばした。それは彼の服に燃え移って熱のある本物の火となり、ぶすぶすと煙をあげます。
「熱ッ、あッちィ! なにすんだ!」と、ラーシュは焦げた部分をはたきます。
「どうか怒らないでくれ、ドゥーザンニャード。高貴なる妖霊の姫よ。僕たちは本当に困ってるんだ」
ふたりの喧嘩がはじまるまえに、タルナールは慌ててとりなします。
「本来人の子が入るべきでない領域に入る方が悪いのですよ。入口の注意書きは読まなかったのですか?」
ドゥーザンニャードは傲岸な態度を崩しませんでしたが、高貴なる妖霊の姫、と呼ばれたのが嬉しかったのか、ほんの少し機嫌を直したようでもありました。
「とにかく、どうやって出たらいい?」と、タルナールは尋ねます。
「あなたたちを地上に送り届けるだけならば、私がやってあげましょう。一応、解放してくれた礼をしなくてはね」と、ドゥーザンニャードは言いました。そう。妖霊というものは一般に、人間よりも約束や義理を大事にするのです。
「助けは嬉しいんだけど、自分たちで出るためにはどうしたら? 私たち、次に機会があれば奥に行ってみたいの」と、ネイネイが言いました。
「また来るつもりなのですか? 立ち入り禁止と言ったはずですが」
「奥になにがあるか知りたいから。〈魔宮〉の一番奥に」
「奥にはもちろんエルトラ様――いえ、どうなのかしら?」と、ドゥーザンニャードは改めて周囲を見遣ります。「この場所はいったい、どうなってしまったのかしら。エーテルの流れも淀んでいる。本当に完成したの? あの嫌な気配はなに?」
「夜の獣のこと?」
「夜の獣? よく分からないけれど、あまり長居はしないに限るわ。見たところ、あなたは魔術師ね。わたしが門の作り方と閉じ方を教えてあげますから、よくよく感謝して、ちゃんと聴くのですよ。間違えたら空に放り出されたり石に埋まったりしますからね。妖霊ならばなんとでもなりますが、人間だと少し困るでしょう――」
そういうわけで、ネイネイはドゥーザンニャードに門の作り方を習うことになりました。
ドゥーザンニャードに教えられるまま、ネイネイは消し炭を使って床に文様を描いていきます。漏れ聞こえる会話によると、門のまじないは移動の手間を惜しむものというより、通り道を限定することによって、妖霊同士がうっかり衝突するのを防ぐものであるとのことでした。
妖霊は千日の距離を一瞬で飛ぶほどの速さを持ちますが、その分、互いにぶつかればただでは済まないのだ、とドゥーザンニャードは話します。
「工事のときには数万の妖霊が、それこそ蚊柱かなにかのようにごったがえしていたのですよ! だからこういう交通整理が必要だったのです。思い返してみれば、なんて非妖霊的な労働環境だったのかしら!」
そんな愚痴を挟みつつ、四半刻ほどして文様が完成しました。直径三歩ほどの二重円の中に、複雑な幾何学模様が散りばめられています。ネイネイが最後にまじないの言葉を唱えると、文様の上には陽炎のような空気の揺らめきが現れました。
「はじめてにしては上手くできているわね。地上に戻るだけならこれで問題ないでしょう。気をつけて帰るのよ。おうちまで送ったりはしませんからね」と、なんだかんだで親切なところを見せたドゥーザンニャードが、出来上がった文様に及第点を出します。「それではこれでいったんお別れ。みなさんごきげんよう!」
そう言ってくるりと身を翻したかと思うと、白銀の妖霊はわずかなきらめきだけを残し、煙のように消えてしまいました。
「もっとたくさん聞きたいことがあったんだけどなあ……」と、ネイネイは名残惜しそうでしたが、無事に帰れる目途がついたことで、ひとまずは安心した様子です。
そしてタルナールたちは、まだ気絶したままのジャフディを抱え、全員で陽炎の中に踏み込みました。
ほんの少し視界が揺れたような感覚もありましたが、それも束の間のこと。気づけば、タルナールたちは揃って荒れた地面の上に立っていました。
「本当に戻れたんだな」と、エトゥが不思議そうにあたりを見回します。
西の空に浮かぶ太陽はわずかに赤みを帯び、北の地平には例の廃砦が見えました。まっすぐ歩いていけば、おそらく日暮れまでに到着できるでしょう。
「お風呂入りたい」
ネイネイがぽつりと漏らしました。
タルナールが振り返ってみれば、そこにはまだ揺らめく陽光の残滓がありました。ネイネイによれば、別の場所に門を作ることは難しくないが、行先を間違えないようにするためには、同じ場所でまじないをかけるのがよさそうだ、とのこと。
一行は次の探索に備えて、その場に石を積み、目印としておくことにしました。〈病人街〉、廃砦に続く、第三の入口として使えそうです。
それから、タルナールたちは気絶しっぱなしのジャフディを叩き起こし、エイブヤードの山麓から吹く心地よい風の中、ひとまずは廃砦に向かって歩きはじめました。




