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夏休みが近づいたある日のことだった。その日は朝から風が強く、空には不穏な入道雲が湧き上がっていた。僕はいつものように河川敷のベンチに座り、エラと電話をしていた。


『もうすぐ、船が移動する時期なの』


エラが唐突に言った。


「移動?」

『ええ。気流の関係で、南半球へ行くわ。……もう、日本の空には戻らないかもしれない』

「嘘だろ……」


言葉が詰まる。会えないことは分かっていた。でも、声を聞くことさえできなくなるなんて。この回線は、船が日本の上空にある時しか繋がらないものらしい。


『湊、私ね……』


エラが何かを言いかけた、その時だった。


パンッ!!


電話の向こうと、そして頭上の空から、同時に乾いた破裂音が響いた。風船が割れたような、けれどそれより遥かに巨大で、不吉な音。


「エラ!?今の音、何だ!?」

『きゃあっ!……嘘、エンジンが……!』


見上げると、銀色の巨体が傾いていた。船体後部から黒い煙が噴き出している。優雅に泳ぐクジラだった飛行船が、今は手負いの獣のように身をよじらせていた。高度が、目に見えて下がっている。


「エラ!大丈夫か!」

『……だめ、制御できない……落ちる……!』


警報音が鳴り響く中、エラの悲鳴が聞こえた。僕の目の前で、飛行船はゆっくりと、しかし確実に死の軌道を描き始めた。落下予測地点は――この河川敷のさらに下流。


『湊、逃げて!こっちに来ちゃだめ!』

「馬鹿言うな!今行く!」

『だめよ!爆発するかもしれない!』

「うるさい!待ってろ!」


僕はスマホを耳に押し当てたまま、自転車に飛び乗った。ペダルを漕ぐ。チェーンがきしむほど強く、全力で。風が耳元で唸る。空を見上げると、巨大な影が僕を追い越していく。圧倒的な質量への恐怖よりも、彼女を失う恐怖が勝っていた。


今まで「退屈だ」なんて言ってごめん。世界が広すぎるなんて文句言ってごめん。だから神様、お願いだ。彼女を連れて行かないでくれ。


ドォォォォォン……!


地響きと共に、下流の方角で土煙が上がった。着水したのか、河原に激突したのか。電話が切れる。


「エラ!エラ!くそっ!」


僕はペダルを漕ぎ続けた。心臓が破裂しそうだった。もし、間に合わなかったら。もし、あの子が死んでしまったら。社会貢献だとか、病気だとか、国籍だとか、そんなの関係ない。ただ、あの子に生きていてほしい。


目の前に、折れ曲がった銀色の船体が現れた。川の水面を割り、河原の砂利に乗り上げている。周囲には誰もいない。救助隊が来るまで、あと数分はあるはずだ。


「エラ!」


僕は自転車を放り出し、煙を上げる機体へと駆け寄った。蛇腹部分がひしゃげ、内部が露出している。熱気が肌を焼く。


「……ここよ……」


微かな声が聞こえた。崩れた外壁の隙間。緊急脱出用ポッドらしきカプセルが開いていた。

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