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屋上の風が強くなる。飛行船は、相変わらず無言で街を見下ろしている。でも、その銀色のボディの中には、今まさに僕と話している女の子がいる。その事実だけで、見慣れた空が急に色鮮やかに見えた。
「また、かけてもいい?」
僕が尋ねると、少しの沈黙の後、彼女は答えた。
『ええ。でも、内緒にしてね。この番号は、あなたと私だけの秘密よ』
通話終了の画面には、登録されていない番号が表示されていた。僕はそれを『空の上のエラ』という名前で登録した。これが、僕と彼女の、空と地上を繋ぐ恋の始まりだった。
それからの毎日、夕暮れ時になると僕は屋上へ向かうようになった。『空の上のエラ』との通話は、僕の退屈な日常における唯一の娯楽だった。
『ねえ湊、今日はどんな一日だった?』
「最悪だよ。数学の小テストで赤点スレスレだったし、食堂の唐揚げ定食は売り切れだった」
『ふふ、湊の世界はいつも忙しそうね』
エラは楽しそうに笑う。彼女の話す日本語は、少し古風で、どこか詩的だ。彼女が教えてくれたところによると、あの飛行船『シエル・ブルー』は、表向きは環境観測船だが、実態は特殊な医療施設なのだという。エラは地上で生きられない特異体質の持ち主で、高度五百メートルの清浄な空気の中でしか呼吸ができない。だから、あの空飛ぶクジラの腹の中で、ずっと一人ぼっちで暮らしている。「国際的な社会貢献」という美名の下に隠された、空の上の隔離病棟。それが彼女の家だった。
「……寂しくないの?」
ある日、僕は聞いてみた。
『寂しいわ。でも、私には”目”があるから』
「目?」
『今、湊は屋上のフェンスに寄りかかってるでしょう? 右手でスマホを持って、左手で前髪をいじってる』
僕は思わず空を見上げた。巨大な銀色の機体が、夕焼けの中に浮かんでいる。
『船のお腹の部分、蛇腹になってるのが見える?』
「ああ、見えるけど」
『あそこに高倍率のカメラがあるの。私はそこから、ずっと地上の人たちを見ていたわ。あなたがたが学校へ行き、笑い合い、時に泣いている姿を』




