第04話 世界で一番頼りになる人です
縁側で佇む美しい少女に、春樹は思わず足を止めた。
金色の髪がほんの少しだけ風に揺れている。
透き通るような存在感は、見る者をどこか遠いところへ連れて行きそうだ。
驚いたのは彼女の年齢。見た目からだが、まだ十四・五歳といったところだろうか。
「エリサさんですね?」
声をかけられ、エリサが春樹の方へゆっくりと振り返る。横顔でなく正面から見ても、花のように美しい少女だった。
見知らぬ青年を数秒見つめて、エリサは小さく首を傾げる。
「貴方は?」
「俺は料理人の新堂春樹という者です。義父様からエリサさんのお食事を作るようにと仰せつかりました」
春樹の発言を聞いて、エリサの眉がぴくりと動く。
エリサがなにか言う前に、春樹は一皿の料理を彼女の前に差し出した。
漂ってくる香りに、エリサが驚いたように目を見開く。
「……これは?」
「野菜のローストです。お野菜がお好きだと聞いたので」
マリーに披露した一品と同じ手順で作ったものだ。ただ、今回は用意された豊富な野菜の中からエリサのために作ったものだ。
野菜のローストをじっと見つめると、エリサはごくりと唾を飲み込んだ。
「いえ、でも……」
色とりどりの野菜が並んだロースト。エリサは、けれど逡巡したように口ごもる。
そんな彼女に、春樹は優しく微笑んだ。
「安心してください。この料理にカブやタマネギは使われておりません」
言われ、ハッとエリサが顔を上げる。
この人は何者なのだろう。そんなエリサの視線を受けながら、春樹は柔和な笑みで頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「あ……ハルキさん。いかがでしたか?」
部屋の中で眉を寄せていたトーゴが、帰ってきた春樹を見るや不安そうな顔を向けてきた。そわそわとした様子のトーゴに、春樹は「大丈夫ですよ」と笑ってみせる。
「この通り。綺麗に完食してくださりました」
「おお。さすがはハルキさんだ」
すっかり空になった皿を見て、トーゴが安堵の表情を浮かべる。
しかし、すぐに難しい顔に戻すと、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「やはり、素直に食べてくれるときもあるということですか。しかし、たまたま妻の嫌いな野菜がなかっただけの可能性も……」
「トーゴさん」
思案しているトーゴに話しかけ、春樹はおもむろに口を開いた。
「以前、エリサさんが食べられないと言った料理には……例えばこんな野菜が入っていたのではありませんか?」
続きの言葉を聞いて、驚いたようにトーゴが目を見開く。
「そ、そういえば……確かに入っていた記憶がありますが。驚いた、エリサに聞いたんですか?」
「いえ、少し当たりを付けてみました。エリサさんの反応も見てみましたが、まず間違いないでしょう」
目の前の料理人の言葉に、トーゴは驚くと言うよりも薄ら寒さを覚えた。
なにせ彼らもエリサ本人に、いったいなにが気にくわなかったかを散々聞いたからだ。けれど頑なに彼女は口を割ろうとはせず、それをこの青年は話を聞いただけで予想していたという。
「しかし、それなら話が早い。今後、エリサの食事からそれらの野菜を抜きさえすれば……」
「そうですね。奥様はまともな食事を取ってくれるかもしれません」
トーゴの顔が明るくなる。
けれど、続く春樹の言葉にトーゴは嬉しそうな顔をぴたりと止めた。
「ですが、それだと奥様は一生心の内を話してはくれないでしょう」
難しい問題だ。繊細で、人によってはエリサを批難する者もいるだろう。
けれど、彼女はまだ年端もいかぬ少女。そんな彼女が、誰も知らない新天地でどれほどの心細さを抱えていたのか、春樹には分かるはずもない。
「トーゴさん、是非とも貴方にやっていただきたいことがあります」
真剣な声色に、トーゴは料理人を見つめた。
不思議な青年だ。会ったばかりなのに、彼にならば任せてもよいと思える。
「妻のためならば」
しかし、なによりも大切な少女の顔を思い浮かべ、トーゴは真っ直ぐに言葉を返した。
◆ ◆ ◆
「へぇ、トーゴさんとはお見合いのとき初めて会ったんですか?」
縁側に楽しそうな声が響いていた。
「ええ、十三のときに。初めて会ったときは怖そうな人だと思ったんですが、後で聞くと緊張で固くなっていただけらしいです」
「うわぁ、いいですねぇ。なんかそういうのも憧れますぅ」
リンの声にエリサはくすりと笑みを浮かべた。
彼女の方が年上だが、それでもまだ同年代と言えなくはない。久しぶりのガールズトークにエリサはにっこりと目を細める。
「リンさんこそ、ハルキさんとはどういったご関係なんですか? 二人で旅をしているんでしょう?」
「私たちですか? えへへー、そうですねぇ。恥ずかしながら……って」
聞かれ、でへでへとリンが髪を摘まむ。言いかけて、けれどリンは「あれ?」と眉を寄せた。
「そういえば、私とハルキさんってどういう関係なんでしょう?」
「い、いえ。それは私に聞かれても」
腕を組んで考え込むリンに、エリスも思わず苦笑する。
うら若い男女が二人旅。素直に考えると従者か恋人かといったところだが、どうも複雑な関係のようだ。
「ハルキさん、そこら辺はボヘっとしてますからねぇ。料理バカっていうか。いい意味でですけど」
「ふふ、分かる気はします」
リンの返事にエリサはくすくすと笑った。ぱっと見リンの方が振り回しているように見えて、あの青年もいろいろと振り回しているのだろう。
けれど、お似合いに感じる二人をエリサは素直に応援する。
「あの人も仕事一筋な人でしたから、気持ちはよくわかります。……手を繋ぐにも何日も悩んで。ほんと、生真面目というか」
そこまで言って、エリサは悲しそうに目を伏せた。リンも、表情の変わったエリサをおよと見つめる。
「今の私は、あの人の邪魔にしかなっていません。頑張らなくちゃと思いますが、話しても頭のおかしい女だと思われて終わりでしょう。……私自身、自分が変わっているのは分かっています」
エリサは立ち上がると、中庭へと歩みを進めた。
不思議。彼女が庭へ立つと、数匹の蝶がひらひらと彼女の元へと飛んでくる。
指先に蝶をとまらせながら、エリサは切なそうに目を細めた。
「いっそ、蝶になって……いえ、芋虫にでもなってしまいたい。そうすれば、葉だけつまんでいても誰もなにも言わないでしょう」
蝶が指から飛んでいく。空へと舞っていく蝶をエリサは見ない。
いなくなった指先をじっと見つめる彼女に、リンはゆっくりと口を開いた。
「私は……お肉もお魚も好きですから、エリサさんの気持ちは分かりませんが。……でも、エリサさんはなにも間違ってないと思います」
声のする方へ振り返る。なぜか辛そうな表情をしているリンに、エリサもなぜか笑ってしまった。
「変だとは思いませんか?」
「思います。でも、それは間違っているということにはなりません」
変だというなら、自分の周りはもれなく全員変わっているとリンは思う。
自分だって、春樹は優しいから言わないだけで、いろいろと困ってはいるに違いない。
「安心してください。ハルキさんが、きっとなんとかしてくれます」
リンの言葉を聞いて、エリサは彼女を見つめた。
まだ会ったばかりなのに、ぐっと拳を握りしめて。心の底から自分たちのことを心配してくれているリンを、エリサは変わった人だと思ってしまう。
「信頼しているんですね」
「はい。世界で一番頼りになる人です」
事実、リンはあの青年以上に頼れる人を知らない。
あの青年の一皿は、九尾の城主も、宝石王も、この国の姫君にも届いたのだ。
「奇遇ですね。私にもそう思える人がいます」
リンの眼差しを見つめながら、エリサはふっと微笑んだ。




