第33話 負けるつもりありませんから
「おお! アイリッシュさん勝ちましたよ!」
嬉しそうにはしゃぐ春樹を横目で見ながら、タマモは呆れたように息を吐いた。
「次勝ったら優勝ですよ! 優勝! 凄くないですか!?」
視線の先のアイリッシュに手を振りながら、春樹はぐいぐいとタマモの袖を引っ張る。鬱陶しそうにそれを振り解きながら、しかしタマモは目を細めて闘技場にいる騎士団長を眺めた。
「今まで準決勝にすら進めておらんかったからな。ま、アイリも一皮剥けたということじゃろ。……誰のおかげとは言わんがな」
尾に肘を突きながら観戦するタマモの声を聞きながら、春樹は小首を傾げる。そんなもの、アイリッシュ自身のおかげに決まっている。
「しかしまぁ、おぬしらも面倒よの。あの夜に一体何があったのやら」
「はは、それはまぁ……いろいろあったんですよ」
小脇を扇でつつかれて、面目ないと春樹は頬を掻いた。
結局、武踏会にはアイリッシュが参加し、下馬評を覆す勢いで勝ち進んでいる。タマモ曰く、憑き物が晴れたような顔らしい。
「もともとアイリは考えすぎるところがあるからの。己の限界を自分で蓋してしまっておった。なにをしたか知らぬが、まるで別人じゃな」
「ええ、優勝も見えてきましたね」
呑気に笑う春樹に、タマモは苦笑する。そうして扇が向けられた隣の闘技場を、春樹も見やった。
「大事なことを忘れておるぞ」
瞬間、辺りを歓声が包み込む。賞賛の雨に晒されている一人の剣士の姿を見つめて、春樹はむむむと眉を寄せた。
昨年度の準優勝者を瞬殺して、澄まし顔で歓声に応えている男。
言うまでもない「剣聖」レイ・シコードである。
「貫禄、といったところじゃな。……おぬしが出場ないと聞いて残念そうじゃったぞ」
くすくすと笑うタマモにどう答えたものかと春樹は顔を崩す。剣聖様には悪いが、今回の相手は自分ではない。
「アイリッシュさんは強いですよ。俺も負けましたし」
「ほう、初耳じゃな」
座る春樹の横顔を見て、タマモはふむと扇を畳んだ。飄々と観戦者になっているが、隣の男は男で最後に大勝負が待っている。
手の掛かる部下たちよなと、タマモは尾をわさわさと動かした。
「で、じゃ。おぬしの方は大丈夫なんじゃろうな? 手を回して準備するこっちの身にもなってみい。失敗は許されんぞ」
「そう言われると怖いですけど……大丈夫ですよ。俺も負けるつもりありませんから」
そう言いながらアイリッシュの背中を眺める春樹を見やって、タマモは訳が分からないとため息を吐く。
ただまぁ、横の男が訳が分からないのは今に始まったことではないので、小さく笑うとタマモは闘技場の奥の神殿に目を向けた。
あそこには他ならぬ包丁と化した聖剣が奉られていて、例年ならば開帳されている扉は未だ閉じられたままだ。
(開けたときが見物じゃな……)
なにせ包丁だ。そういう声も持ち主が武踏会で優勝すればねじ伏せられるとタマモは践んでいたが、まさかこんな展開になるとは予想していなかった。
(じゃがまぁ、遅かれ早かれ避けては通れぬか)
それに賭けた自分がいる。ならば、後は見守ろうとタマモは優しい笑みを浮かべた。そのために、できることはやっている。
「用意するの大変じゃったんじゃからな。精々上手く使えよ」
やれやれだと息を吐くタマモに振り向いて、春樹は「ありがとうございます」と微笑んだ。
◆ ◆ ◆
剣撃の音が鳴り響いた。
一瞬のうちに三つ。清涼ともいえる音色に観客の声がわき上がる。
(……強いな)
迫り来る斬撃を剣腹で受け流しながら、レイ・シコードは目の前の女剣士を感嘆の心音で見つめていた。
迷いのない一閃。速さだけならば大陸に並ぶ者は自分だけだろう。そんな瞬撃が、紙一重の精度で放たれ続けている。
彼女との手合わせは初めてではない。確かあれは四年前だったか。この武踏会で打ちのめされ膝を屈していた彼女には、なんの驚異も感じなかった。
(予想はつくが……なにが変えたかは問うまい。全力で迎え撃つ!)
小さく笑い、レイは握りを深くする。
胸を貸すのはここまで。剣聖の務めは、ただの勝利に終わりはしない。
レイの眼光が鋭く変わったのを見て、アイリッシュは一度つばぜり合いの後に距離を取った。
「その瞬剣、見事なり。剣聖の誇りを以てお相手いたす」
剣聖が構える。合わせていてくれた先ほどとは打って変わり、途端に遠くなったように感じる距離に、けれどアイリッシュは笑みを浮かべた。
限界を気にするのは止めだ。いつだって、できるのは全力でぶつかることだけ。
「いきます」
観客の目からアイリッシュの姿が消える。
かつて春樹ですら置いて行かれたときの中で、レイは長剣を振り抜いた。
勝負は一瞬。レイの頬に一筋の切り傷が開き、アイリッシュは自分の手元の剣を見つめた。
「勝負あり!」
砕け散る自分の剣に礼を言い、しかしアイリッシュは晴れ晴れとした笑顔で敗北の空を見上げるのだった。
◆ ◆ ◆
「惜しかったですね。剣の差が出ました」
「なに、完敗さ。仮に満月だったとしても届いていないよ」
悔しそうな顔で迎えてくれた春樹に、くすりとアイリッシュは微笑んだ。
得物の破壊で付いた決着だが、それ以前に力量の差は歴然だった。悔いはないとアイリッシュはその手に掴んだ確かな手応えを握りしめる。
「だが……次はわたしが勝つ」
呟くアイリを春樹は優しげに見つめた。そして根本から完全に砕かれた剣を見て、「あーあ」と残念そうに見つめる。
「容赦ないですねほんとあの人は」
「はは、まぁ剣で負けていたというのも本当だな。アレをされては、もはや反則というしかない」
「アレ?」
そう言って観客席を見やるアイリッシュの視線の先に、春樹も振り向いた。「あっ」と小さく声を上げ、見慣れた顔に目を丸くする。
そこには、得意げにこちらを見つめているリューエイと頭を下げているシャシャがいた。
「……剣聖と聖剣の刀鍛冶ですか。ほんと容赦ない」
「だろう。いよいよお前でも勝てるか怪しいぞ」
およそ考え得る限り最強のタッグだ。どうやら予想通り馬があったらしく、春樹も思わず笑ってしまう。
「というか、呑気に手を振っておる場合ではないぞ。次はおぬしの番なんじゃからな。シャキっとせいシャキっと」
兄妹に向かい小さく手を振っている春樹を見やりつつ、タマモが背中を扇で叩いた。それを受けて、春樹もぐいと伸びをする。
アイリッシュは見事に自分の道を示してくれた。発破をかけた自分が頑張らないわけにはいかない。
「よし、行きますか」
気合いを入れ、春樹はぐいと袖をめくった。
◆ ◆ ◆
辺りはどよめきに包まれていた。
剣聖が優勝を飾り、満を持して開帳された神殿の奥の包丁に、誰もが目を奪われたからだ。
伝わってくる見事さと、けれど「なぜ包丁が」という疑問がせめぎ合う中、春樹の登場を「続きまして」と司会が告げる。
その声を、タマモは呆れた顔で聞いていた。
もはやなにも言うまいと、自分の料理人の門出を見守る。
「聖剣の担い手、ハルキ・シンドーによる聖剣演舞です」
観衆の視線の中、春樹は一歩を踏み出した。




