第29話 俺も、まだまだ修行中です
「ハルキ……これ」
声の方に振り向くと、両手いっぱいに芋とタマネギを抱え込んだシャシャがいた。
夕飯の献立を考えていた春樹は、重そうなシャシャから慌てて芋をいくつか受け取る。
「うちの備蓄……兄さんが使ってくれって」
「わぁ、ありがとうシャシャさん」
正直、材料が少なくて困っていたところだ。芋とタマネギを受け取り、春樹は重さを手で調べる。
「うん、いいお芋だね。夕食はこれで作るよ」
にこりと言われて、シャシャは顔を綻ばした。表情に乏しいシャシャだが、段々と読みとれるようになってきたと春樹も嬉しくなる。
「なにを作るの?」
「ん? そうだなぁ、せっかくの新しい包丁だからね」
聖剣を元に打ち直された包丁。世界で一番贅沢な包丁であることは間違いない。だとすれば、ここは包丁が生きる料理を作りたいところだ。
「兄さんも……ハルキみたいになればいいのに」
ぼそりと、シャシャの呟きに春樹は顔を向ける。無表情に戻った彼女の表情は読めなくて、春樹は包丁の鞘を抜き放った。
「お兄さんはすごい職人だよ。世界で一番の」
「……それも知ってる」
シャシャはつまらなそうに台所の中を見回した。彼女自身、兄の腕は知っていて、だからこそ今の現状に納得いってないのだろう。
それは春樹も同じだ。あれほどの職人。このままでは、彼はこの包丁を打ったことで満足してしまうかもしれない。
――それで、変わってくれたらいいけど。
難しいだろうと春樹は思う。リューエイの頑固さは筋金入りで、しかしそのしわ寄せは妹であるシャシャに及んでしまっている。
「兄さんは、ずっと昔に囚われてるの。父さんがいた頃から、ずっと」
だから土地に、店にしがみつく。やり方も作るものも変えない。
春樹の依頼が転機になってくれればとシャシャは思ったが、それもどうやら難しいようだ。
シャシャの顔を春樹はじっと見下ろした。
料理人に、なにができるわけでもない。
ただ自分は、聖剣を持つ料理人だ。
「夕ご飯、楽しみにしててね」
二人のために。それだけを考えて春樹は聖剣を握りしめた。
◆ ◆ ◆
「お、出来たか! いやぁ、お前さんが来てからシャシャの顔色がよくなった気がするぜ」
打ち場に戻ると、リューエイがシャシャとなにか話しているところだった。
料理を持って現れた春樹のため、簡素な木のテーブルが用意される。
「あんたの料理を食うのもこれが最後だな。仕事の代金とはいえ、世話になった」
リューエイに言われ春樹は複雑そうに笑みを浮かべた。
礼を言いたいのはこっちだ。包丁と化した聖剣の使い心地は、今までとは比較にならないものだった。
そんな大それた包丁で春樹は芋を切る。それは、世界で最高の職人に送る一品。
差し出された皿にリューエイとシャシャの目が開く。焼き目が美しいその料理に、春樹は万感の想いを込めた。
「ガガイモのガレット、ポム・ブーランジェ、ロワゾー風」
それは偉大な料理人、故ベルナール・ロワゾーが作り上げたルセットの再現。
古典料理ポム・ブーランジェから一歩進んだ、この先を示す料理。
「なんだって? ポム……?」
当然ながら、リューエイは春樹の言葉に聞き返した。ここまでも風変わりな品を提供してきた春樹だが、普段と違う春樹の表情にリューエイも目つきが変わる。
「……いただこう」
そう言うと、リューエイはガレットを匙ですくった。口に運ぶ前に、食器からサクッとした触感が伝わってくる。
「うめぇ」
そして、口に入れた瞬間に香る香ばしさに思わずリューエイは頬を緩めた。シャシャも、驚きと嬉しさを瞳で表現する。
付け合わせのソースは、タマネギだろうか。飴色になるまで炒められたタマネギのピュレは、その風味を余すことなく伝えてくれる。
「はは、うちの芋も聖剣の料理人にかかれば洒落たもんだ。……文句なしだ。俺は料理のことはからっきしだが、いい仕事をさせてもらったことくらいは分かる」
リューエイの声に春樹も微笑んだ。
円柱状にスライスした芋を重ね、オーブンで焼き上げる。それだけの料理なのにどこまでも素材の味が引き出されているのは、レシピだけでなく食材を生きたまま切り開ける聖剣のおかげだ。
細胞一つ一つに至るまで美しく切断された断面は、それだけでただの芋を至高のルセットへと変貌させる。
「ポム・ブーランジェとは、パン屋風のイモの意。パンを焼き終えて火を落とした後の窯の余熱で作ったと言われる……俺の故郷の国の伝統料理です」
春樹はリューエイにもうひとつ、小さな皿を差し出した。
一人用のグラタン皿。そこに、焼かれた芋が乗っている。
「これがその、ポム・ブーランジェです。スライスした芋と炒めたタマネッギに、鶏のフォンを加えてじっくりと煮て作ります」
促され、訳もわからぬままにリューエイはその料理も口にした。
広がる風味に、うんとリューエイは頷く。
「こっちも、これはこれでホクホクしてうめぇが、さっきの皿の方がなんかうめぇ気がするな」
「……素材の味が、くっきり」
二人の感想に春樹はにこりと笑みを浮かべた。この料理は、二人に送る門出の品だ。
「料理にはガストロノミーという考えがあります。これは、文化と料理を考察し、それらを繋げていこうという考えです」
ただ美味いものを作るだけが料理ではない。古典と伝統、それらに敬意を表し、それでもなお次世代に繋げるために前に進む。
「このガレットは、古典料理ポム・ブーランジェを分解・再構築した品。イモに炒めたタマネギ、フォンという構成要素はまったく一緒ながら、まったく異なる料理として進化させたもの」
耳を澄ますリューエイに、春樹は照れたように微笑んだ。
「残念ながら、このレシピを生み出す力量は俺にはまだありません」
そうやって笑う春樹に、リューエイの目が見開いた。彼からすれば、春樹は料理人の極地のような場所にいる人間だ。
けれど、春樹が披露したものは地球の先人たちが生み出した英知の結晶。彼もまた、自分自身の一皿を探し求める若き料理人にすぎない。
「俺も、まだまだ修行中です。リューエイさんには、共に高みを目指してほしい」
高みとは、上に昇ることだけではない。前に進んでいなければ、それは意味のない足踏みになってしまうだろう。
春樹からの眼差しに、リューエイはくしゃくしゃと頭を掻いた。シャシャを見つめ、「なにか言ったな?」と軽く睨む。
けれど、じっと見つめ返してきた妹に、リューエイはゆっくりと目を下ろした。
「……俺が古くさい職人だってのは、俺が一番よく知ってるさ」
ただひたすらに聖剣を目指して打ってきた。素材の中で行われるそれは、無益なルーティンの繰り返しだったことだろう。
けれど、だからこそできた仕事もある。春樹の腰の包丁と目の前のガレットを見つめ、リューエイは満足だと微笑んだ。
「だが、もうどうしようもねぇ。工房はこの通りだし、先立つものだってない。かといって、施しを受けるつもりもねぇ。……詰みだ」
これは、彼の最後の意地だろうか。相変わらず頑固な刀鍛冶を眺めて、春樹はくすりと微笑んだ。
そして、首もとからネックレスを取り出すと、それをシャシャへと手渡し出す。
「じゃあこれを、シャシャさんに」
マリーからの贈り物。輝く宝石は、兄妹が新しく旅立つ資金としては十分だろう。
ネコ耳少女の助言は耳に痛いが、彼らにならば渡してもいいだろうと春樹は思った。
「お、おいちょっと待て! 受け取れねぇよ。聖剣の代金は、調理の分でもう貰ってるんだ」
「ええ、ですからこれは、シャシャさんに対しての代金です」
笑顔の春樹に、リューエイは「シャシャの?」と眉を寄せた。
そんな彼に、春樹は懐から一対の鋏を取り出す。
「ちょうど、新しい鋏を探してまして。……これはこの鋏と、これを作った職人に対するちょっとした投資です」
シャシャは宝石を握りしめて春樹を見上げた。ここから先は、彼女自身が決めることだ。
「売るもよし、眺めるもよし。それでなにをするか、シャシャさんが決めてください。お兄さんとこれからも共に歩むか、店を離れ外の世界に飛び出すか……ここでずっと変わらぬ生活をするのもいいでしょう。それは、シャシャさん自身の自由です」
きっと、彼女ならば大丈夫だろう。
春樹を見つめ、シャシャはこぼれそうになる涙を振り払って兄を見つめた。
「兄さん、街を出て……世界を見よう。わたしが、兄さんを世界一の刀鍛冶にしてあげるからっ」
どうやら、自分の知らないうちに、随分と立派になっていたらしい。
真剣な妹の眼差しに、リューエイは「参ったな」と髪を掻いた。
◆ ◆ ◆
「包丁、ありがとうございました」
「なぁに、こっちも仕事だ。……色々と、すまなかったな」
街外れの街道で、自分たちは別れの握手を交わしていた。
二手に分かれるその分かれ道は、少しばかり今後の旅路を左右する。
「どこに行かれるつもりなんですか?」
「さぁてな、オリハルコンを探す旅ってのもいいが……まずは王都に行ってみるつもりだ」
ここからだと、歩けば半月ほどだろうか。不安そうに覗き込んできた春樹に、シャシャはふんすと拳を握った。
「王都の剣聖に俺の剣を振ってもらう。……そこから、始めようかと思うんだ」
リューエイの言葉に春樹も「それはいい」と頷いた。少々堅物な御仁だが、そこはリューエイと馬が合うだろう。
別れの時間だと、二人は拳をつき合わせた。
「またどこかで会おう。今度会うときまでに、もうちっとマシな鍛冶になっておく」
「はい、またいずれ。俺も、包丁に恥じない料理人になっておきます」
二人の男の会話を、シャシャとアイリッシュが眺めていた。
呆れ顔のシャシャは、涙を流しつつ頷いているアイリッシュに目を止める。
「男の人って……バカ」
「それがいい! それでいいぞ若人よ!」
疲れたように日を見つつ、けれどシャシャはくすりと微笑んだ。
空は晴れている。手の掛かる兄だが、仕方がないとシャシャはこれからの旅路に笑顔を覗かせるのだった。




