『 縁 : 後編 』
【 ウィルキス3の月30日 : アルヴァン 】
重い空気に耐えかねて、アラディスさんに
振る話題を頭の中で考えに考え、口から出てきたものは
はっきりいって、どうでもよい事だった。
『エレノアさんとサーラさんの
仲がいい理由が分かりました』
内心頭を抱えそうになるが、アラディスさんは
なぜか楽し気な表情を作り、私が振った話題へ傾いてくれた。
『そう。縁はそこから広がっていくんだよ。
エレノアがココナさん達に助けられ、サーラと出会い。
エレノア一人では、大変だろうという事で
ココナさんが、酒肴のザルツさんをエレノアに紹介し
エレノアはそこでバルタスと知り合う。
暫く、酒肴と共に行動しながら冒険者としての
生き方を、バルタスから学んでいたはずだ』
エレノアさんとバルタスさん
二人の会話に、遠慮がない理由を初めて知った。
『私達がエレノアを追って、リシアへと渡った時
最初は、連れ戻しに来たのかと疑われて
バルタスを筆頭に、ニールを除いた今の一番隊に
ボコボコにされたんだよ? 酷いと思わないかい?』
酷いと言いながらも、アラディスさんは楽しそうに笑う。
『挙句の果てに、バルタスがヤトはわしの息子になった。
手出しするなら容赦はせん。今なら見逃してやる帰れ! とか
ボコボコにしておいてそれはないだろう?
あの時の私はまだ弱かったし……。
いつか、殺そうと本気で思った……』
今なら確実に勝てるのになぁ、と笑うが
その目はどこか真剣だった。
『ヤトもバルタスに懐いていたし
もう、生きる気力ががっつり減ったね。
まぁ、誤解が解けてバルタスの言葉も
エレノアを守るための
ものだとわかったからよかったけれど』
手の中のグラスを弄びながら、目を細め懐かしそうに
アラディスさんは、思い出を語っていく……。
『エレノアに帰れと言われながらも、纏わりついて
もう帰れない事を伝え、チームを組んでもらった。
皆でヤトの成長を見守りながら、ハルでの生活を
楽しんでいた。私には、貴族としての暮らしよりも
冒険者として暮らす方が、性にあっていたみたいだ』
それはなんとなく理解できる……。
『サーラが、学院へ通う事になり
アギトとサフィールに出会って、私達の周りは
より一層、賑やかになっていった。
サーラに付きまとう、二人を半殺しにするのが
私の役割だったんだよ』
『はっ?』
『ジャンさんに、ギルドを通して正式に
依頼されたんだよ。サーラに近づく羽虫退治』
ジャンさんとは、サーラさんの父親だ。
『暫く、サーラの護衛をしながら守っていたんだけど
あのクソガキ共は、反対に私を襲ってきたんだよ。
サーラに近づくなといってね』
『……』
『悉く、返り討ちにしてやったけど。
その時の二人の保護者、カルーシアさんにも
許可を頂いていたし、心置きなくぶちのめしていたなぁ。
それも、サーラがアギトに惚れたことによって
私の護衛は終わりを告げるんだけど、なぜかあの二人は
私を倒そうとして襲ってくるし、ジャンさんの反対を
押し切って、サーラが冒険者になることを決め
エレノアが、サーラの面倒をみることになったから
あの二人が、サーラと共にいるために
私達の依頼についてくるようになるし……。
今も賑やかだけど、あの頃は本当に騒がしかった……。
私も若かったからね。流せばいいのに流す事ができずに
一々相手をしていたものだから、日々忙しかった気がする。
ヤトにとっては、サーラやアギト、サフィールは兄という感じで
懐いていたけれど、アギトとサフィールはとにかく
碌な事をしない。エレノアがセツナに話していただろう?
ヤトの反面教師だったと。アギトとサフィールがエレノアに
怒られているところを見て、ヤトはしてはいけない事を
学んでいたんだ……』
『ヤトが、アギトさんとサフィールさんの事を
エレノアさんに任せるわけですね』
『あの二人は基本、エレノアとバルタスが話す事は
聞き入れるからね』
アラディスさんは、ここで一息つき
小さな声で、呟くように言葉を零した。
『カルーシアが、魔物の氾濫で負傷し
アギトとサフィールが、死に物狂いで強さを求めはじめ……。
バルタスが黒になり酒肴を継ぎ、エレノアが白になった。
この辺りで、私達の関係は一度形を変えることになる。
バルタスは酒肴を継ぎ忙しくなり、アギトとサフィールは
それぞれ、別のチームに入りハルから旅立った』
『三人でチームを組まなかったんですか?』
『アギトとサフィールは、本気で殺し合うぐらい
仲が悪かったから、チームを組むのは無理だっただろうね。
二人とも、カルーシアさんの紹介で
当時の黒のチームに入り、鍛えてもらっていたよ。
アギトはその時に、蒼星の大剣を譲り受け
サフィールは、フィーと契約をした。
サーラは学院で、風魔法を学びながら
アギト達の帰りを待っていたね』
『そこまで、深いつながりがあるとは。
今まで、全く気が付かなかった……』
『エレノアがね、一線を引いたんだ』
『なぜ……』
『アギトとサフィールが、白に上がった時に
高ランクのなれあいは、他の冒険者にいい影響を与えない、といってね。
その頃は、エレノア達以外にも黒と白がいたし
仲間内の会話は、疎外感をあたえることになる。
高ランクが固まっていると、周りを委縮することにも
なりかねないからね。エレノアの判断は正しいと私も思った。
ここでまた、私達の関係が変化した。
私達の関係は、何度も形を変えて来たけれど
私達が積み重ねてきた絆は、切れることはなかった』
冒険者になりたての頃、黒達が共闘で戦う出来事があった。
その時に、どうして彼等は声をかけることもせずに
連携して戦えるのだろうかと、不思議に思ったことを
ふと思い出した。
世間の評判は、今の黒は仲がいい方だが
剣と盾、酒肴は、月光と邂逅ほど仲良くはないと
捉えられている。それが、意図的に作られたものだとは
想いもしなかった……。
『それだけ、仲が良かったのなら
ハルで噂として残っていても不思議ではないと
思うのですが』
『うーん。私達より目立つ存在が居たし
ずっと、ハルにいるわけでもない。
これほど密に、黒同士が集まっているのは
初めての事だろう?』
『はい』
『それに、私達の移動は大体が転移魔法だから
それぞれの黒の家に直接行くか、酒肴の店の裏庭に
出ることが多いからね、行き来していることは
あまり知られていない。
噂がないのは、私達の関係が変化した切っ掛けが
カルーシアの負傷だったからね。この国の人達は
そういった事情がある場合、軽々しく口にはしないんだよ。
なんというか、怖い国だなと思うよ』
『怖いですか?』
『怖いよ。他国から人が集まることを熟知しているんだ。
だからこそ、この国の顔ともいえる黒の情報を
軽々しく口にすることはしない。
それを、親が子供に教えていくんだから……。
どれほど、自国を守る意識が強いのか思い知らされるよね。
噂の真偽が気になったら、街の区画の代表がギルドへ問い合わせ
それを、皆に伝える連絡網も構築されている。
他国が妙な噂を流しても、それが成功することはない。
踊らされるのは、他国の冒険者達だよ。
今のセツナの噂のようにね。セツナの噂を信じているのは
情報収集能力のない冒険者という事だ。アルトが遊びに行って
嫌な思いをして帰ってくることがないだろう?』
『そういえば……』
『お菓子をおまけしてもらったとか。
早く帰れと、声をかけられたとか。
アルトを気にかけている声ばかりだ。
それは、この街の人達はセツナ達の噂を
殆ど誰も信じていないという事だよ。
他愛もない噂は色々と流れるけどね。
アルヴァンは、ハル生まれのハル育ちだけど
小さい頃から、冒険者よりの生活だったせいか
そういった情報には、疎いよね。
私は、もう少し興味を持つべきだと思うよ?』
『気を付けます』
私の返事に、アラディスさんが頷いた。
『どこかで、運命の歯車が少しでもずれていたら
今この幸せはなかった……。ココナさん達が
エレノアに手を伸ばしてくれたから、助けてくれたから
私の……今の幸せがある。
きっと、エレノアも同じことを考えている。
助けられたから、命がある。
助けてもらえたから、ファライル殿の忘れ形見である
ヤトがいる。ヤトが成人し、ギルドの総帥にまでなった。
そして伴侶を得るんだよ。
これほど幸せな事はない』
『……』
『エレノアは、セツナの生き方を見て
昔の自分を思い出したと話していたよ。
アルトの為に、生きている彼を見て
エレノアは、自分自身を見たんだ……。
エレノアは、自分の子供を育てるためだった。
だが、セツナは違う。
種族の違う半獣の子供……。
冒険者達からの視線は、冷たいモノばかりだ。
自分の立ち位置も、定まらない状況で
子供を育て、生きていくのは本当に大変な事だ。
ハルでなら、学院に通っていても不思議ではない。
エレノアは、彼がアルトの為に黒になるのを断ったと
知ったその時にはもう、ある程度手をだすと決めていたと思うよ』
エレノアさんが、彼を気遣う理由は同情だったのかと
考えた時、アラディスさんが鋭い声でそれを否定した。
『アルヴァン。同情ではないよ』
心を読まれた。エレノアさんの境遇と
セツナの境遇が似ているから、エレノアさんは
セツナを気の毒に思ったのだろう、そう考えた心を……。
『アルヴァン。憐れみではないんだ。
気の毒だとか、可哀想だとか
そういった感情ではない。
セツナを見て、そういう感情を抱くという事は
エレノア自身、過去の自分を
憐れんでいることになるんだよ』
自分の安易にだした解に、羞恥を覚え俯く。
『エレノアは、自分の人生を嘆いているか?』
『いいえ、いいえ。
それは絶対にありえません』
『セツナも、アルトと共にいることを
辛そうにしているかい?』
『いいえ』
『同情が悪いわけではない、が
アルヴァンが今、出した答えは違う。
エレノアが、セツナに示しているのは
同情ではなく理解だよ。彼が歩んでいる道への理解だ。
自分とよく似た道を、歩いているからこそ
エレノアには、手助けするべきところが見えているんだろう。
なら、手を差し伸べたいと思うのは
エレノアらしい、行動だろう?』
『……』
『それは、酒肴のカルロ達も同じだよ。
カルロ達が、経験して来たことだから
あの子達は、何処で手を差し伸べればいいのかを
理解しているんだ。だから、セツナにさほど負担をかけずに
セツナと共にいることができている。
月光は……。
まぁ、アギト達とサフィールはあれでいいと思うよ。
お節介が過ぎるけど……。セツナには必要な事だ』
ここまで、アラディスさんの話を聞いて
納得しようと思えば、納得できる……。
それに付随して、長年、私が知りたかったことや
知らなかったことも併せて知ることができた。
だが、まだ腑に落ちない。
何がそこまで気にかかるのか、自分でもわからないのだが。
内心悩んでいる私に、アラディスさんの声が届く。
『アルヴァンが、疑問に思っている感情は
セツナに対する警戒だよ。
アルヴァンは、漠然とセツナの強さを感じているんだ。
だけど、それを素直に認めることができないのが一つ。
そしてもう一つは、自分の理解を越える強さを持つ人と
出会ったことがないから、その感覚が分からない。
だから、その答えを求めて
黒達が、セツナを気にかける理由を知ろうとした。
そこに求めるものが、あるかもしれないと感じたんだろうね』
私には、彼を警戒する理由などないのだが……。
私が口を開く前に、アラディスさんが言葉を続ける。
『セツナを、警戒できるという事は
君が成長した証でもあるんだけどね。
彼の持つ強さを、感じることができたから
彼の危うさを知って、落ち着かないんだろう。
まぁ、私が何を言ったとしても
今のアルヴァンには理解できないだろうから
今は、心の片隅にでもおいておくといい』
『はい……』
不承不承頷く私に、アラディスさんが笑いながら
話を続ける。
『アルヴァンが感じた、その警戒が
アギトが、セツナを気にかける理由の根本であり
私も含め、黒達がセツナを気にかける一番の理由でもある』
『……』
『アギトは本来、他人を気にかける性質ではない。
そのアギトが、違和感を覚えるほどにセツナに執着した』
そこで一度言葉を切り、アラディスさんは考えを纏めるように
目を閉じ、考えを纏め終わったのか暫くして目を開く。
『セツナの強さであるとか、知識であるとか
アギト達が、セツナに興味を持ち
共にいることが楽しいと感じているのは
嘘ではないし、セツナとアルトを守りたいと
心から思っているのも本当の事だ。
ただ……セツナは、いい意味でも
悪い意味でも、特別なんだ……』
アラディスさんは、深く息を吐き出し
その瞳を少し翳らせた。
『アギトが、セツナを気にかける切っ掛けをつくったのは
ガーディルのギルドマスターだと聞いている。
彼もまた、セツナを警戒した人物の一人だろう。
アギトとセツナが共にいた時間は、数日程度。
その短期間の間に、あのアギトが心配するほどの
孤独と危うさをセツナに見た。
だから、彼を月光へと誘い断られても
関係が続くように、セツナに依頼をしたりして繋がりを持った』
『……』
『アギトがセツナと出会った時点では
まだ、彼の動向を追う程度だったと
エレノアが話していた。
だが、リシアへと向かう途中で
セツナとアルトと偶然出会い
セツナをより詳しく知ることによって
アギトは、セツナとアルトを守ると誓ったようだ。
アギトは何も言わないが、この時にはもう
セツナを独りにする危険性を感じていたはずだ。
エレノア達も、比較的、早い段階でセツナの危うさを感じ
独りにするべきではないと、結論を下したようだけど。
私は……』
アラディスさんは、何かを話しかけて口を閉じ
首を横に振り、話すことをやめた。
『私には、どうして一人にすることがいけないのか
理解できません』
私の問いに、酒でのどを潤してから
アラディスさんは口を開く。
『セツナはね、点でしかないんだよ』
『点、ですか?』
抽象的な事を言われて考えてみるが
私には全く分からない。
『親もいない。親族もいない。国もない。知人もいない。
友もいない。記憶もない……。
そして、彼が唯一信頼するジャックを亡くした』
『……』
『彼にはね、今しかない』
『どういう意味でしょうか?』
更に意味が分からなくなり、首を傾げる。
今、告げられたことはもう知っていることだ。
アラディスさんは、そんな私を見て
少し思案し、ゆっくりと話し出した。
『そうだなぁ。もし、後ろを振り返った時に
自分が生きてきた道が、文字で記述されていたとすると
最初に書かれている文字は何だと思う?』
アラディスさんの問いに、少し考え解を返す。
『私の両親の事でしょうか?』
『そうだね。そこから君の人生が始まり
今まで、積み重ねてきた出会いや経験で
アルヴァンの人生の地図が描かれる。
そこには、様々な想いや感情も描かれていることだろう。
努力したことや、挫折したこと。今まで学んできた知識や
体が覚えるまで、繰り返した訓練。
出会った人、別れた人、今なお関係を構築している人
そして、大切に育てられた記憶。愛し愛されているという想い。
それはすべて、アルヴァンという人間を構成する為の
大切なものだ……』
『はい』
『なら、それを突然すべて失ったとしたら?
今まで見えていた、自分を構成するものが消えたとしたら?
後ろを振り返れば見えていたものが、見えなくなったら
アルヴァンはどうする?』
『っ……』
どうすると聞かれて、言葉が出なかった。
開きかけた口を、すぐに閉じてしまう。
想像してゾッとしたから。
私は、狂わずにいられるだろうか?
自分が自分であるというものを、すべて失い
唯一、自分を知っている人も……失う……。
白い地図の上に唯独り。
私はここまで言われて、初めて記憶がないという事を理解した。
『バルタスが、酒肴の若い子達よりも
セツナを気にかけるのは、そういう事だよ』
『……』
『彼には、積み重ねてきたものがない。
広い広い、自分の人生の地図に
自分という点しか描かれていない。
それは……どれほど心細い事なんだろうね』
アラディスさんが、目を細め苦い表情を作り
酒を一口含んだ。
『救いは、彼はさほど記憶に関しては
気にしていないというところだろうけど……』
確かに、記憶がなくて困ることがないのかと
問われて、アルトの質問ぐらいしか困らないと
答えていた気がする。
『だからこそ、彼はとても危うい。
彼は、アルト以外に興味がない。
何にも執着しない。それは、彼自身の命にしてもだ……』
アラディスさんは、グラスを手の中で遊ばせながら
何かを思い出したのか、静かに溜息を吐いた。
『そして、目的の為なら自分がどう思われようが
手段を選ばない。彼が、人を嫌っていなければ
人と共にあることを、拒絶していなければ
自分自身を、大切に想っていれば
そして、記憶がしっかりしていれば
黒達はここまで、彼を警戒することはなかっただろう』
『私には、わかりかねます』
アラディスさんの言いたいことはわかる。
セツナを手助けする必要性も理解できた。
だが、警戒するには至らないのではないだろうか……。
『アルヴァン。
私はね、私の祖国を滅ぼしてしまいたいと
思ったことがある。だが、私にはそんな力はない。
そしてそれ以上に、大切な人があり、大切な場所がある。
だから、私はそう思っても行動には移せない』
『……』
『だが、セツナは違う。
彼は、歯止めになるモノを持っていない。
今、セツナの傍に居る存在で
唯一、アルトだけが彼の楔だといえる。
私達と付き合ってくれてはいるが
他人と少し区別されているに過ぎないし
今の私達では、彼の歯止めにはなれないんだよ。
彼の命さえ、彼を止めるものにはならない……。
そして、セツナは一人で国を滅ぼせるだけの力を持っている』
『それは、過大評価ではないでしょうか』
『私は、真実を口にしているよ。
だから、黒達は彼を監視している』
『……』
『黒として、彼を気にかけるのは彼の監視のためだよ。
アルヴァンは、気がついていたみたいだね』
『薄々ですが、そうではないかと。
しかし、彼の力の有無ではなく
ジャックの弟子として、警戒されていたのかと』
ジャックの破天荒な行動は、様々人から聞いていた。
きっと、セツナより私の方がハルに流れる
ジャックの情報を知っているはずだ。
『ああ、確かにそれもあるけどね。
その辺りは、もう気にしてはいないと思うよ。
彼は、喧嘩を売られなければ買わないから』
『喧嘩を売られれば、必ず買うと』
『そうだろうね。
彼は、あの見た目でなかなか好戦的だから』
アラディスさんは、微かに笑ったが
すぐに、その笑みを消した。
『彼の持つ力は強大で、黒全員で戦ったとしても
彼を抑え込むことはできない。
だから、黒達は、まだ年若い彼が
道を踏み外さないように見守りながら、監視している』
彼の強さについて、納得できない私は
不満が表情に出ていたのだろう。
『アルヴァンも、酒肴の若い奴らも
セツナの強さについては、半信半疑だからなぁ。
まぁ、若い時分はそんなものかな』
アラディスさんが、苦笑を落とす。
そして一度、軽く息を吐き出した。
『アルヴァンは、英雄の弟子という話を知っているだろう?』
いきなり脈絡のない、物語の話に
じっと、アラディスさんを見るが彼は何も答えない。
『読んだことがあったよね?』
『はい、あります』
誰もが一度は、読んだことがあると言われているほど
有名な物語だ。演劇にもなっている。
『子供の頃に、読んだ記憶があります。
確か、アルトが一番好きな物語だったと思いますが』
アルトがセツナにねだって、セツナが魔導王の台詞を
アルトが弟子の台詞をよく暗唱している。
セツナもアルトも、一言一句間違えずに
話し続けるものだから、アルトの好きな場面だけは
私も含めて皆が、暗唱できるんじゃないだろうか……。
この物語の最後は、魔導王が敗れるのだが
アルトは、セツナに返り討ちにされていつも悔しがっていた……。
英雄なのに、魔導王に勝てない!! という叫びを
何度耳にしただろうか。
アルトが、セツナにこの遊びをねだると
サーラさんや酒肴の女性達が
目を輝かせて、見つめている姿を目にする。
セツナは、役者になれるほど台詞を読むのが上手く
気が付くと、周りまで惹きこまれていることが多いのだ。
サーラさん達が、この本を読んでくれと
セツナに渡したことがあるが、セツナは胡乱な視線をむけて
拒否していた。アルトを懐柔して読んでもらおうと
画策していたが、甘い恋愛ものという時点で
アルトの眉間に皺が寄り、嫌そうな顔と声で拒否され
心に傷を負って、それ以降アルトに頼むことはなくなった。
『そうそう。英雄の師弟の物語だ。
英雄と呼ばれた男が、残虐の魔導王と呼ばれる
人を害するモノになり、その英雄の弟子だった
少年が、師を助ける為に努力して強くなる成長物語だね』
『はい』
『アルヴァンは、英雄が残虐の魔導王と呼ばれる
モノになった理由を考えたことがあるかい?』
アラディスさんの言葉に、子供の頃を思い返し
首を横に振る。
『いいえ、ありませんが
悪しきものに心を奪われ、操られていた
と書かれていたような気がしますが』
『では、どうして英雄と呼ばれた男が
悪しきものに心を奪われたんだろうね?』
『……心に隙ができたからでしょうか?』
『誰からも尊敬され、満たされていたはずの男が
心に隙など作るだろうか?』
たかが物語に、どうしてそこまで考える必要が? と
いう想いが、顔に出ていたのだろう。
アラディスさんが苦笑しながら、私を見るが
その目は笑ってはいなかった……。
『アルヴァン。この物語は実話だよ』
『え……?』
『実話だと知っている人間は少ない。
英雄の弟子は、殆どが改ざんされて描かれている物語だ。
国が、自分達の行いを隠ぺいするために広げた物語なんだよ』
思ってもみなかったことを聞かされて
絶句する。誰からも親しまれている物語が
改ざんされた実話?
『ノル・ゼブラーブルと
いう人物をしっているかい?』
ノル・ゼブラーブル。魔王の生まれ変わりと呼ばれた人物。
魔法で軍隊を作り上げ、一人で、ドルエルエの国を
滅ぼした歴史上の人物だ。
『はい。魔法で軍隊を作り
一人で、ドルエルエの国を滅ぼした人物だったかと』
『残虐の魔導王とは、彼の事なんだよ』
『それが真実ならば
もっと、認知されているのではないですか?』
その様な話は聞いたことがなく
誰もが知る有名な話だけに、それが事実だとすれば
もっと知られていてもいいはずだ。
『流れゆく歴史の中で、人の心に残ったのは
華々しい、英雄の物語の方だったんだよ。
ノル・ゼブラーブルの苦痛と共にあった人生など
辛くなるだけで、楽しくはないからね。
それならば、事実よりも心躍る英雄譚の方に
惹かれるのは、仕方がない事なのかもしれない。
それに、エルド。ノル・ゼブラーブルの弟子
英雄の弟子の主人公として描かれている
エルド・ゼブラーブルが綴った、終焉の国という本は
禁書指定されて、そのほとんどが燃やされてしまったらしい。
だから、今残っている本はわずからしいよ』
あまりにも、現実離れしていて
すぐには信じることができずに、黙り込んでしまう。
『私は、サフィールから聞いたんだ。
ハルに劇団が来て、その題目が英雄の弟子だった。
酒肴の店で集まっている時で、サーラが楽し気に
ナンシーとその話をしていた。
その話を耳に入れながら、サフィールがぼそっと
ノル・ゼブラーブルは気の毒な人間なわけと呟いた。
英雄の弟子の話なのに、どうしてノル・ゼブラーブルの
話が出るのかとエレノアが問い、そこから彼の話を
詳しく聞くこととなった……。
サフィールは、ドルエルエの滅亡について
調べていた時期があったようだ。
他国の学者が、サフィールよりも熱を入れて
調べていたらしくて、サフィールはその研究から
手を引いたみたいだけど、その時に色々と資料を見せてもらい
魔導王とノル・ゼブラーブルの話を聞き、同一人物だと
証明できるものも見つかっていると話していた。
サフィールが複写した本を借りて、終焉の国を読んだけれど。
彼が、魔導王となり国を滅ぼした気持ちが私には理解できた。
何とも言えない気持ちになったよ』
アラディスさんは、深く息を吐いたあと
真剣な表情を浮かべ、私を真直ぐに見据えた。
『エレノア達は、彼……セツナを
第二のノル・ゼブラーブルにしたくないんだよ』
セツナを、第二のノル・ゼブラーブルにしたくないと
アラディスさんが話した時、私は正直、なれるはずがないと思った。
たった一人で、国を滅ぼすなど……彼にできるはずがないと。
『お前は……。
最終兵器を創りたかったのか?』
サフィールさんのこの言葉と真剣な様子。
そして、彼が創り出した使い魔を見て
あぁ、彼は本当に国を落とせる人間なんだと……理解した。
あの後、終焉の国という本を私も読んだ。
英雄なのに、彼は何も持っていなかった。
国に全てを奪われた人物だった。
彼の家族は、知らない間に国に殺され。
彼の最愛の恋人は
彼を自由にする為に自ら命を絶った。
その全てを知った時……。
彼の傍に居たのは、彼の弟子だけだった。
だけどその弟子は、あまりにも純粋すぎた。
それが、彼を余計に追い詰める形となった。
彼の弟子は、彼の苦悩を知らず。
彼の、絶望を知らず……。
彼の孤独と哀しみを、癒すことができなかった。
そして、彼の孤独に寄り添う事ができなかった……。
怒りと、哀しみと、憎悪と、孤独と、絶望と、後悔……。
ノル・ゼブラーブルの心は、負の感情に喰われてしまう。
彼は全てを憎み……恨み……。
そして、人ではないモノになってしまった。
なのに、彼は弟子だけは殺さなかった……。
きっと、弟子は彼の最後の良心だったのかもしれない。
魔導王と弟子の決別の場面。アルトが好きな場面の一つ。
魔導王が、弟子に人間をすべて殺しつくし
自分を殺しに来る者も、全て殺すと宣言する。
弟子は、そんなことはやめてほしいと
泣きながら懇願するが、彼の心はもう動かない。
弟子は、どれほど言葉を尽くしても
心を動かさない魔導王を、偽物だと断じる。
師の心に、悪しきモノが取りついたのだと。
弟子は、魔導王に剣を向け
魔導王は、弟子を半殺しにした……。
『俺が、必ず必ず、お前を殺す。
そして、俺の師を取り戻す!』
ボロボロになった体で、心から叫ぶ弟子を見て
魔導王は、楽しそうに笑い言葉を落とすんだ……。
『ならば、私を殺す権利をお前だけにやろう』
有名な台詞の一つだ……。
アルトは、セツナがおかしくなったら
自分が、助けるんだ! と意気揚々と叫んでいた。
まぁ、セツナに返り討ちにされているが。
そんなアルトを、セツナは「期待しているよ」と
目を細め淡く笑いながら見ていた。
ここまでは、英雄の弟子、終焉の国
両方ともに、同じことが書かれていた。
だが、ここから先の話は、英雄の弟子と終焉の国では
違ったことが書かれることになる。
英雄の弟子は、エルドの話を参考に
魔導王を殺す前に書かれた話で
国が勝手に、話を作り広めたのだと
終焉の国に書かれていた。
そして、終焉の国は、エルド自身が綴ったものだ。
物語の中では、弟子が魔導王と戦い
傷だらけになりながらも、師を取り戻す。
そして、エルドが英雄とたたえられ
幸せに暮らしていく……。
だが、終焉の国では違う結末だった。
エルドがノル・ゼブラーブルと戦うが
ノル・ゼブラーブルは、エルドと戦いながらも
彼を傷つけることはなかった。
だが、エルドはその事に気が付かず
ノル・ゼブラーブルの心臓に剣を突き立てるのだ。
『英雄か……。
お前の、夢が叶ったな……』
この言葉を最後に、ノル・ゼブラーブルは
息を引き取ったらしい……。
エルドは……師を殺してから
真実を知ることになる。
残酷なほどの、ノル・ゼブラーブルの生きてきた道を
彼は知ることになるのだ。
そして、最後まで自分が師に大切にされていたことを
痛感する……。狂いながらも、彼は弟子の事を
忘れなかった……。弟子の願いも……。
終焉の国は、何処までいっても救いのない話だった。
『アルヴァン。一つの歯車がほんの少し
かみ合わないだけで、運命はいとも簡単に
違う運命を運んでしまう。沢山ある選択肢の中で
どの道が、自分にとって、相手にとっていい道なのか
簡単に答えが出るものではないけれど……。
それでも、ノル・ゼブラーブルの人生は周りに
彼を理解する人がいれば、止めることができたと
私は思うんだ。彼の孤独を、絶望を、痛みを少しでも
分かち合える人がいれば、彼に手を伸ばす人がいれば
彼は別の人生を歩めていたかもしれない。
エルド・ゼブラーブルも、終焉の国の最後でこう綴っている』
【私は、師が狂おうとも……。最後まで傍に居るべきだったのだ】
ヴァーシィルから立ち上がり、準備を始めたセツナの傍に
ギルスから飛び降りたアルトが、近づいていく。
屈託なく笑うアルトとその笑みを見て、笑みを返すセツナ。
穏やかなその風景に、少し胸が痛む……。
英雄の弟子に、所々はいるノル・ゼブラーブルが涙を落とす場面。
エルドはそれを、救えなかった人の事を想っての事だと
思っていたが、本当の所は違ったのかもしれないと終焉の国で綴っている。
『涙の落とし方を
忘れてしまうほどに、彼は本当に独りで生きている……』
私は、セツナの事をほとんど知らない。
エレノアさん達は、私達よりも詳しい事情をしっているようだけど
それを話すことは絶対にないと、アラディスさんが話していた。
話せない事情があるようだと。
それでも、ぼかしながらエレノアさんが教えてくれたという言葉を聞いた。
彼の記憶がない理由。
『捕虜と同じだ』と、エレノアはそれ以上何も語らなかった、と。
私には、捕虜と同じだといわれても理解できず
考え込む私に、アラディスさんはグラスを揺らし
その目に、暗い色を湛えながら話してくれた。
『捕虜を尋問するときに、拷問で正気を失わないように
何度も何度も闇魔法をかけるんだよ。
精神に作用する魔法は、心身にかかる負荷が尋常じゃないと
言われている。そんな魔法をかけ続けられた捕虜はね
記憶障害をおこすことがある。それでも狂うよりはましだから
手に入れたい情報が手に入るまで、拷問を続け、闇魔法をかけ続ける。
だけど……記憶を失うほどかけられた事例を……私は知らない』
言葉が出なかった。
『セツナは、ジャックに助けられたと聞いている。
助けたことが理由で、ジャックが命を落とすほどの場所から
彼は救い出されたんだ。エレノアは何も言わなかったけど
その表情は、苦痛に満ちていたよ……。
セツナは、それほど酷い目にあっていたのだろう。
アルヴァン、セツナは手を伸ばさないんじゃい。
伸ばすことができないんだ。
それだけ、彼の心は傷つき血を流し続けている……』
『……』
『彼は、いつも穏やかに笑っているし
アルトがそばにいる時は、絶対に負の感情を見せない。
私達にも見せることはないが……ふとした瞬間にみせた
セツナの瞳に宿った、憎悪とその後の空虚な目を
私は忘れることができないよ。
黒達も、強引な手を使っていることは承知している。
どれほど興味がひかれようとも、団体で
セツナがジャックから与えられた家に、乗り込むなど
普通ならあり得ない事だ。
セツナとの会話に、過度な干渉だと
思わなくもない時もある。
それでも、セツナに干渉していかなければ
彼は本当に、独りになってしまう。
彼は孤独でいることを、受け入れてしまっているから。
だけど、それでは駄目なんだ。彼を独りにしては駄目なんだ。
彼を独りにしてしまえば、私達が知らない間に
最悪の未来へ進んでいるかもしれない。
彼の世界に、少しでも食い込もうと黒達も必死なんだよ。
それが裏目に出て、セツナを窮地に追い込んでいたりもして
エレノアは酷く落ち込んでいたけれどね。
せめて、アルトが成人していれば……。
感情の機微に敏いアルトなら、セツナの孤独を
感じ取り、共にあることを選んでくれただろう。
だが、アルトは今成長の途中で彼は彼で
心に傷を抱えている……』
『……』
『アルヴァン。エレノア達は、そして私も。
セツナに、ノル・ゼブラーブルのような
人生を歩ませたくはないんだ。
人の心はもろいものだ……。
傷がついているなら尚更、儚いものになる。
何が切っ掛けで、憎悪と絶望に囚われるか
わからない。私だって、何度も囚われかけた。
天秤は、いとも簡単に負の方へ傾いてしまう。
エレノア達が、あそこまで必死になるという事は
それだけ、彼が憎悪や絶望を抱く理由が理解できるからだろう。
今までの彼の生きてきた道は、幸せだったとは
決して言えないほど……。
そこに、セツナはジャックを死なせてしまったと
いう罪悪感を抱いている。
セツナは、幸せになることを求めていないんだよ。
だから、自分を大切にすることができない。
だけどね、私達はアルトだけではなく
セツナにも、幸せになってほしいと心から願っているんだよ。
エレノア達と出会い、縁を結び、絆を紡いだように
セツナとも、縁を結ぶことができたんだ。
ならば、その縁を深くして
絆を紡いでいきたいと、私達は思っているんだよ』
「アルヴァン」
クリスに声をかけられることで、自分の思考から浮上する。
彼に視線を向けることで、返事のかわりとする私に
彼が苦笑を浮かべた。
「バルタスさんが、呼んでいる」
クリスが視線を向ける方へ、顔を向けると
バルタスさんが、私の方へ顔を向けていた。
「ああ、すまない」
私に声をかけた後、クリスはアギトさんの方へと
歩き出していた。彼も呼ばれていたらしい。
バルタスさんに呼ばれたのは、私とニールさんで
黙って、バルタスさんの話を聞いているが
内心では、断りたくて仕方がなかった。
あの目立つマントを羽織り、舞台のそばに立つのか……。
アラディスさんが暴れたら、抑えなければいけないのか。
暗澹たる気持ちになりかけるが、表情に出すことはせず
苦笑を浮かべる、バルタスさんに頷く。
なんとなく、クリスの方を見ると
クリスも深く溜息をついているところだった。
きっと、私と同じことをアギトさんに言われたのだろう。
気は進まないが、命じられたのだから従うしかない。
内心溜息を吐きつつ、転移魔法を刻んだ魔道具を起動した。





