『 託された想い 』
【 ウィルキス3の月30日 : セツナ 】
もう二度と聞くことはないと思っていた。
最後に、自分の耳を通して聞いたのは
この世界で、初めて耳にした日と同じ……。
かなでと出会い、かなでと別れたあの日。
この世界で、日本語を話せる人間は
僕、独りしかいない。
この世界に、その言葉を知るのは僕だけのはずなのに。
【弟弟子は、兄弟子のいう事を聞くものだろ?】
ヤトさんの口から、紡がれたのは綺麗な日本語だった。
花井さんは、自分の一族の人達に
最低限のものを残していたようだけど
それも今は消失してしまっている。
消失しているのを知っていながら
かなでは、復元することをしなかった。
花井さんも、そしてかなでも
日本語を、広めることはしなかった。
二人が、リシアに日本語を広めなかった理由を
僕が知ることはないだろうし
その想いも、きっと知る機会はない……。
黒の言葉も、ヤトさんの言葉も
ずっと音としてしか認識していなかった。
そこに、いきなり入ってきた日本語に
驚愕するのは、仕方がないことだと思う。
ずっと、ずっと……ずっと。
求めて、そして諦めた。
求めてやまない、僕の……。
胸の中に有った怒りや、憎悪や、苛立ちが
一瞬のうちに、望郷へと上書きされる。
それと同時に、僕が直接魔法を構築し制御していた
殺気と風の魔法が解除されてしまった。
使い魔二体は、僕の魔力を使用してはいるが
独自に動いているので、消えることはないだろう。
「どうして……」と呟いた僕の言葉に
「どうして……貴方が、その言葉を使えるんですか」と
問うた僕に、ヤトさんは哀しみと後悔をないまぜにした
表情を僕に向け「すまない」と一言謝った。
彼に疑問をぶつけながら、無意識に探るように答えを探す。
ヤトさんが、何かの魔法を発動したのは気がついていた。
気がついていたけれど、さほど脅威にもならないだろうと
発動を止めることはしなかった。
魔法が発動された瞬間に、僕とヤトさんの周りに結界が張られ
結界が張られたと同時に、ヤトさんの口から日本語が零れたのだ。
今、僕達の姿は誰にも見えていないはずだ。
僕達の会話も、誰の耳にも届かない。
反対に、僕達も同じように周りを見ることができず
周りの声も届かない。完全に閉じられた結界の中に
僕とヤトさんがいた。
発動された魔力は、ヤトさんのものだった。
だけど、微かに漂う魔力の残滓は……かなで のものだと気が付いた。
そこまで理解してしまうと、答えはもう一つしかない。
「そうか、そうだ、よ、ね」と思わず呟いた言葉に
自分が、思っているよりも動揺している事を知る。
されど、ここで無様な姿を晒すことなどできるはずがない。
僕は、リシアの守護者を継いだのだから。
世界最強を、かなでの後継として受け入れたのだから。
心を落ち着かせるように、一度目を閉じ
意識を切りかえる。
様々な感情を、胸の奥底へと沈めるように
一つ息を吐き、ヤトさんと真直ぐ視線を合わせた。
「カイルが、貴方に託した魔法を使ったんですね」
僕の言葉に、ヤトさんが何かを探るように
僕を観察しながら、ゆっくりと首を縦に振った。
【軽く切れている時に、命令を与えたいときの魔法】というのを
使ったと、ヤトさんが口にする。
ヤトさんの言っている意味が、よく分からなくて
首を傾げると、ヤトさんが苦笑しながら魔法の名前だと教えてくれた。
「私にも、どういった魔法なのかよくわからない。
説明を見ても、使用方法を見ても全く分からない」とその口調は
少し怒りを湛えていたように思う。
そして、僕を気遣うように声を落としながら
「だから、私はあの言葉の意味を知らない……」と心配そうに
僕を見て、そう告げた。
心配そうなヤトさんの様子に、口を開きかけるが
周りに張られた結界が、そろそろ消えそうなのに気が付き
まだ、疑問に思う事もあることから他人に邪魔されないように
僕達の会話を、聞かれないように結界を張り直すことに決める。
「-……」
詠唱を口にのせ
かなでの魔法を引き延ばすように魔法を構築した。
「何の魔法だ?」
詠唱を口にした僕に、ヤトさんが目を細めて
少し警戒するような声を発する。
「結界の維持です。
そろそろ、消えそうだったので」
ヤトさんの魔力量は、ギリギリ魔導師になれるか
なれないかの境目といったところだろうか。
出会った時よりも、魔力が増えている気がする。
今の段階でも、簡単な魔法なら使えるようだから
訓練すれば、魔力感知もできそうだなどと
どうでもいいことを考えながら
ヤトさんの問いに答えた。
「もしかして、私達の周りに
結界が張られていたのか?」
「はい」
「そうか」
警戒していた、気配を霧散させ
どこか嬉しそうな、いや安堵したような空気を纏いながら
何度も、頷いて何かを納得している姿をぼんやり眺めていると
ヤトさんが、軽く咳払いをしてから
真面目な顔で、彼にとって大切な事だろうことを口にした。
「なら、サフィールには聞かれていなかったんだな?」
「はい。聞かれていません」
「そうか。そうか」
ヤトさんの、心の底から安堵した声に思わず笑ってしまう。
その気持ちが、理解できるだけに僕の笑みは
苦笑に近いものだったけれど。
僕の笑みを見たからか、ヤトさんが目元を緩め緩く笑った。
どこか、穏やかなといえる空気が僕達を包んでいく。
その空気に、後押しされるようにヤトさんが話し始める。
彼の頭の中で、取捨選択しながら
僕に聞かせてもいい話を、ゆっくりと口にのせた。
旅に出て死にかけた事。命をかなでに助けられたこと。
そこではじめて、かなでと出会ったこと。
命を助けられ、その強さに魅せられて
弟子にしてほしいと頼み込み
数年共に暮らしたこと。サラリと流すように
ヤトさんが話していく。
彼の話を聞いている途中で、魔法がはじける音がした。
ピーンという音と同時に、ヤトさんの情報が
僕の頭の中になだれ込む。
この感覚は、以前にも感じたことがある。
どうやら、かなでの記憶を開放する二番目の鍵は
ヤトさんだったようだ。
ヤトさんの話を聞きながら
かなでの記憶を探るが探れない。
薄々感じてはいた。
きっと、かなでは魔法の構築に失敗していると……。
内心ため息を吐くが、かなでの記憶を知りたいかと問われれば
さして、知りたいとは思っていない。正直、今は知りたくない。
自分の事で精一杯な状況で、かなでの記憶を見てしまうと
戻れないところへ、流されそうで怖いんだ……。
ヤトさんは、語らなかったけど。
彼は、かなでの騎士らしい。
かなでに生涯を捧げ、忠誠を誓った。
絶対に、かなでを裏切ることのない存在みたいだ。
自ら、裏切ることができないように誓いを立て
裏切った場合、右腕を失うらしい。
正直、かなでがそのような契約を交わすとは信じられなかった。
だけど、かなでの事を語るヤトさんが満たされているようで
本人が、そうありたいと願ったのだろう。
大体の事を話し終えた彼に、疑問に思ったことを口にする。
「どうして、もっと早く
その魔法を使わなかったんですか?」
正直、ここまでギリギリの状態まで待つ必要はなかったと思う。
まぁ、彼等の言葉に耳を貸さず、発動させていた魔法を
悉く邪魔していた僕が言えることではないが
かなでの魔法なら、僕をもっと早く止められていたはずだ。
純粋な僕の問いに、ヤトさんが眉間に皺を寄せて
今思い出したのだと、思い出した経緯を僕に話し
深く溜息をつきながら、自分の中にそういった魔法が
刻まれていることを、今まで知らなかったと告げた。
「なるほど」
僕が、リシアの結界を越えた時と同じような魔法が
ヤトさんにも刻まれていたという事なのだろう。
「そうなんですね」
そうか、そうだったのか……。
彼が、恋人のリオウさんだけではなく
サクラさんにも、慈しむような視線を向けていた理由。
彼女を守るために、必死になっていた理由を知った。
ヤトさんは、リシアの真の守り手として
かなでに、選ばれ……そして託された人なんだ。
ギルドを守り、その一族を守り、この国を守る。
そして、かなでの後を継ぐかもしれない同郷から
リシアの全てを守るために。
かなでに選ばれた存在……。
ヤトさんの記憶を封じたのは
魔法を刻んだ時点では、保険でしかなかったのだろう。
ヤトさんが、かなでの傍に居た頃
僕はまだ、日本で生活していたから。
ヤトさんの話から、かなでがどれほど
リシアを守るために、心を割いていたのかが窺い知れた。
逃れられない楔から、同郷を助ける為。
そして、その命を守るための準備と同時に
かなでは、リシアを守るための準備も進めていたのだろう。
自分がいても、いなくても
リシアが、存在し続けるように。
だとすれば、僕がここに召喚されなければ
かなでは……まだ生きていた。
リシアを守るために。
サクラさんとリオウさんを見守るために。
暗くなる思考を、押し込めるために一度目を閉じた僕に
ヤトさんが、気遣う声音で僕を呼ぶ。
「セツナ」
呼ばれた事で、ヤトさんに視線を戻し
彼に伝えてもいい想いだけを言葉にしていく。
「ヤトさんは……。
カイルから、全幅の信頼を得ていたんですね」
僕の言葉に、ヤトさんが目を瞠り
そして、嬉しそうに本当に嬉しそうに目を細めた。
「そうであるならば
これほど幸せな事はない」
彼も、かなでがどれほどこの国を
花井さんの一族を大切にしていたか知っている。
僕のように、間接的な伝言ではなく
彼は、かなでに直接リオウさんとサクラさんを
守ってほしいと託されたのだから……。
様々な感情が、波のように訪れては引いていく。
表現し辛い感情を、共に抱えていることに
僕達は気がついていた。けれど、深く探り合う事はなく
流していくにとどめる。
今ここで話すべきことではないだろうし
僕も、そしてヤトさんも話したいとは思っていない。
思い出話にするには、まだ時が足りない……。
いつか、話せる日が来るかもしれないけれど
今ではない……。
かなでとの思い出を僕はまだ語れない。
語りたくはない。
例え、ほんの小さな欠片でしかなくとも
僕にとっては、とても大切な……。
大切な、モノなんだ。
気持ちを入れ替えるように
少しだけ演技もまぜて、ヤトさんに対して
不満があるのだと告げるように、口を開く。
「それにしても」
「うん?」
「少し横暴だと思うんですが」
「え?」
何のことだと言うように
ヤトさんが、笑みを消して僕を見た。
「弟弟子は、兄弟子のいう事を聞くものだろ?」
「……」
「僕に、拒否権がない……」
ヤトさんが僕から視線を外し、上を見て
少し思案してから、視線を僕へと戻す。
「私が、そう言ったのか?」
「はい」
僕の不満をのせた返事に
ヤトさんは、片手で目元を抑えて俯き
黙ったまま肩を震わせ、小さな声で
「カイルらしい言葉だな」と呟いたあと、暫く笑い続けた。
その笑いは、どこか寂し気で
何かを懐かしむような、そんな気配がした。
ヤトさんは、ひとしきり笑うと
僕を慮るような目を向ける。
「色々と聞きたいこともある。
知りたいこともある。だが、今はまだ
私だけの胸に留めておくことにしよう……」
僕とかなでがどうして
初代の国の言葉を扱えるのか……。
どうして、かなでがあえてこの言葉を
選んだのか、ヤトさんにとっては疑問だらけなのだろう。
だけど、僕にはその理由が痛いほど理解できた。
かなでが、あえて日本語を選んだ理由を。
制御できない感情に支配された意識を
手っ取り早く引き戻せるというのもあるけれど……。
その真意はきっと、別の所にあった。
同郷が、創り守ったこの国を
かなでが、大切にしている人がいるこの国を
壊さないでくれという想い……が。
どの様な状態で、魔法が使用されるのか
かなでには、わからない。
だからこそ、一番響くだろう言葉を選んでいたのだろう。
日本語なら、この世界に独りしかいない同郷の心に
必ず届く。そう信じて……。
「いつか、セツナが話してもいいと想えた時に
こっそりと、私だけに教えてくれればいい」
サフィールがいると、話にならないし
煩いだけだからなと、ヤトさんが毒を吐いていた。
「私も、セツナ以外にカイルの弟子だったことを
教えるつもりはない。セツナが弟弟子だという事を
誰かに話す気はない。
だが、君は私の弟弟子だ。
それだけは、忘れてくれるな。
君が、何かに迷い。何かに悩んだときは
必ず私が力になる。だから、セツナはもっと
私を頼るといい」
彼の好意に、何も言えずにいると
ヤトさんは、苦笑を落としながら僕の頭を撫でた。
その様な態度を取るような人ではないと思っていたから
思わず、ヤトさんを凝視すると
ヤトさんは、フッと口元を緩めてから口を開き
今度は、共通語で先ほどの言葉を繰り返した。
「弟弟子は、兄弟子のいう事を聞くものだ。
私も、これからは遠慮せずにいろいろ頼むこととしよう」
「横暴です」
僕の言葉に、クスリと笑う。
「そうだな。
だが、兄弟弟子とはそういうものだろう?」
ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべながら
ヤトさんの手が頭から離れていった。
「セツナはまだ若い。
君が、自分を見失いそうになった時は
兄弟子である私が、必ず止めて見せる。
だから、自分の思う通りの道を生きればいい。
カイルのように、自由に空を泳げばいい」
「……」
どうして……そこまで。
どうして、そこまで僕に関わって来るんだ。
敏い彼等なら、僕が抱いている感情など
とっくに知っているだろうに。
僕が、アルトやクッカ以外に心を許していない事。
誰も、僕の心に触れさせるつもりはない事。
そして、全ての人間を憎悪している事を……。
彼等なら、きっと気が付いているはずなのに。
気が付いていてなお、彼等の態度は変わらない。
「どうして……。どうしてそこまで
気にかけてくれるんですか」
俯き、絞り出すように声を出す。
「貴方も、オウカさん達も
黒も、黒のチームも……どうしてそこまで」
こんな僕に、関わろうとするのか……。
正直、煩わしいと思う事もある。
独りにしておいてほしいと思う事もある。
だけど、そう思う以上に
色々なものを、与えてもらっている事を知っている。
僕が人間でいるための
楔になってくれていることを知っていた。
僕を支えるように、甘やかすように
延ばされる手を、僕はつかみたくはないけれど
それでも……与えられる恩恵を完全に無視することは
僕にはできない……。できなかった。
思考と感情が、一致しなくなりつつあり
与えてくれる優しさという感情が
僕の心を蝕んでいくものだと知っていても。
僕の心が、優しさには優しさを返したいと
思ってしまうんだ……。
与えられたら、それ以上に与えたいと
思ってしまうんだ……。
「太陽が人の目を惹くように
月もまた、心惹きつけるものだ」
「……」
「黒と黒のチームが、君に対して
何を抱いているかは、個人の経験や生き方に
左右されているところもあるだろう。
彼等の想いを、私が知る由もなく
語ることはできないが……。私は……」
月の事は、特にそれ以上言葉にのせることはなく
額にかかる、前髪を右手でかき上げるように
髪を整え、自分の考えを纏めるように思案してから
ヤトさんは口を開いた。
「君が……サクラに何を言われ、何をされようとも
私達の選択が、行動が後手後手に回り
君に多大な迷惑をかけようとも……。
君は、文句ひとつ言うことなく。
誰も責めず、誰にも頼らず
唯独りで、自分の信念を貫いていく。
そこに、私達など必要ないのかもしれない」
何処か自嘲するような笑みを浮かべ
そして、その笑みをすぐに消し去り
僕の心の奥底をのぞくように
真直ぐな視線を向けられる。
「君の心の在り処は、複雑すぎて私には
分からないことが多い。私が君に見ているモノと
君が抱いているモノは、もしかすると違うのかもしれない。
それでも、君がカイルが守ってきたものを守ろうとし
動いていることを、深く理解しているつもりだ」
「……」
「セツナ……」
ヤトさんの声が深みを増していく。
まるで、僕を諭そうとするかのように感情の波を見せずに
淡々と僕に告げた。
「君がそうやって
カイルの想いを継いでいるように……」
そこで一度言葉を切り
その瞳に愁いを帯びた光を浮かべ
僕に向かって紡がれた言葉に、一瞬息をのんだ。
「カイルが、自らの命を賭けて守り通した君を
どうして、守らずにいられようか?」
「っ……」
「君の中に有る知識や魔法
洗練された剣技や武術……。
そういったものに、興味をかきたてられるのは
否定しない。されど……。
君が、何も持っていなくとも。
セツナが、今のセツナであるのならば
私は、君を支えようと思ったはずだ」
「……」
「カイルが積み重ねてきたものを
闇雲に、浪費せず、その立場に驕らず
彼の生きてきた道を、大切にしてくれている
セツナだからこそ、私達は……。
守護者の帰還を心から受け入れることができた」
『我々一同は、リシアの守護者の帰還を
心より、待ち望んでおりました』
オウカさんの言葉が、頭の中に蘇る。
ぎゅっと、拳を握る僕の手に
ヤトさんが視線を落とすが、僕の感情には
触れずにいてくれた。
「私は、君という弟弟子とめぐり合わせてくれたこと。
リシアを共に、守っていく守護者を導いてくれたことを
心から感謝している」
ヤトさんが、僕から視線を外し
空へと、目線をあげ呟くように声を響かせる。
「私は、カイルから託された全てを守りたい」
その呟きは、小さな声だったけれど
そこに籠められ、形作られた想いはとても強いものだった。
「リオウもサクラも、この国も……。
そして、セツナ……君の事も
私は、カイルに託されたのだから」
優しく笑う彼は……。
僕を守ると、強い意思で伝えてくれた。
その表情に、偽りなど一切ない。
「兄弟子は、弟弟子を守るものだろう?」
そう言って笑う彼を静かに見つめた。
見つめることしかできなかった。
それは、僕の脳裏に唐突に浮かんだもの。
【託された……】この言葉に思わず
彼の中に有る、かなでの魔力を探ってしまった。
その考えにその行動に、自分自身がどうしようもなく
嫌な人間に思えて、叫びたくなる衝動を堪える。
「……」
どうして、そのままの意味で受け取れないのか。
どうして、その優しさをその意志を享受できないのか。
「……くれ……か?」
どうして、言葉にしてしまったのか……。
だけど、僕のその音は
ヤトさんには、届かなかったようだ。
届かなくて、良かったかもしれない。
それは、あまりにも自分本位な願いで
彼の意思とは相反するもので……。
自分自身に嫌悪を感じながらも
心に焼き付けられた衝動は、消せそうにない。
焼き付いた衝動は、二度と消えることはない。
ヤトさんが、穏やかに笑うその笑みに
虚ろな心が表に出ないように、普段と同じような
笑みを返しながら心の中だけで願う。
もし……僕が、僕自身を制御できなくなった時
【僕を殺してくれますか?】
アルトが成長すれば、アルトに託すつもりだった。
だけど、アルトは僕を殺せないだろう。
完全に狂ってしまえば
僕がアルトを殺してしまう。
彼ならば、ヤトさんならば
かなでに鍛えられ、大切なものを託された彼ならば……。
間違えることはない。
僕が、化け物に成り果て
誰の声も心に届かず、憎しみをまき散らすモノに
大切なものを、壊す存在になった時……。
【ボクヲ、コロシテクレル?】
かなではヤトさんに
そういった類の魔法を刻んでいる。
僕はそれを見つけてしまった……。
ヤトさんに聞いたところで
彼は、絶対に教えてはくれないだろうけれど。
「セツナ?」
「はい」
「どうした?」
言いたいことがあるなら言えと
ヤトさんの表情が語っているが
こんな身勝手な願いを、聞かせることなどできない。
できるはずがない……。
何も話さない僕に、どうしようもない僕の感情ごと
包み込むような穏やかな空気を纏い、苦笑する。
その表情は、ギルドの総帥ではなく兄弟子としてのもの。
そんな彼の、心遣いを感じていながら……僕は……。
彼の信念を、傷つけるようなことを思い描いていた。
浅ましい願いを消しきれない自分を。
許して。
心の中で、そう呟く。
「そろそろ、戻ったほうがよさそうだな」
ヤトさんは、自分の懐中時計を胸ポケットから取り出し
時間を確認すると「戻ろう」と僕に告げた。
反対する理由もないため
いつも通りの自分を演じながら頷くと
ヤトさんは、兄弟子から総帥としての顔に戻り
現在の状況と注意を、僕に言い聞かせるように
くどくどと話し始める。多少、愚痴が混ざっているのは
兄弟弟子としての距離なのかもしれない……。
眉間に皺を寄せながら、話し続けるヤトさんに
相槌を打ちつつ、魔力を練り上げていく。
かなでが、僕に残してくれた救い。
きっと、かなではそんなことを望んではいない。
かなでが生きていたら、きっとヤトさんに魔法を刻むことを
許しはしないだろう……。
【それでも】
二人に、心の中で謝りながら
練り上げた魔力を魔法へと構築していく。
ヤトさんに気が付かれないように
細心の注意を払いながら、かなでが構築した
防御魔法を一時だけ無効化し
ヤトさんに、僕の魔力を通していく。
二人の想いを歪める代償として……。
ヤトさんが僕に、何かを望むなら
できうる限りで、その望みを叶えるよ。
かなでが、守ってきたものを
狂ってしまう最後まで、守ると誓う……。
この国を導くために、僕が必要だというのなら
僕はいくらでも、表舞台で踊り続ける。
だから、かなで……僕を許して……。
君の騎士に……愚かな魔法を刻むことを……。
完全なる、僕の利己主義的な考えのもとに
ゆっくりと彼に、魔法を刻み込んでいく。
この世界で唯一人
完全に、狂った僕を【殺せる人】が死なないように。
彼が些細な事で命を落とさないように。
病気にかかれば、僕に伝わるように。
アルト達とは違う意味で
守るべき、兄弟子。
『刹那……』
ヤトさんに魔法を刻んだ瞬間
かなでが、僕を呼ぶ声が聞こえた気がした……。





