『 隠された願い 』
【 ウィルキス3の月30日 : ヤト 】
セツナの魔力が、練られると同時に放たれた殺気に
黒達は、体の自由を奪われながらもセツナに殺気を
少し抑えろと声を張り上げている。
そんな黒達の声が届いているだろうに
セツナの顔がこちらを向くことはなかった。
『ヤト』
耳に届くオウカさんの声に、声には出さずに返答する。
心話という魔法で、悪用されることを防ぐために
構築式の公開はしていない魔法の一つだ。
何処の国でも、精度の差はあれ
使える魔導師は、数人いると言われているが
ハルのように精度の高いものは、多分ないと思われる。
この国に、どのような魔法が組み込まれているのかは知らないが
登録していない人間が、心話魔法を発動させた場合
その会話はすべて、記録されることになっていた。
登録できる人間もさほど多くはない。
仕組みは、オウカさん達も知らないらしい。
初代が築き上げたこの国は、謎が多すぎると
リオウと話したことがあるが、リオウは
私達でも知らないことが多いのよ、と苦笑を浮かべていた。
心話を使っていながら、記録が一切残らない者達もいるが
ジャックの弟子だから仕方ないの言葉で
オウカさん達が、苦笑していたのを思い出し苦く笑う。
『このままでは、観客席の冒険者達がもたない。
私達は各部の上層と共に、結界を張ることにする。
セツナの方は、ヤト達に任せることになるがいけるな?』
『承りました』
『頼んだ』
簡潔な会話のあと、すぐに通信を切り
オウカさんが指揮を執り、職員が忙しなく走っていく。
「……何かあったのか?」
エレノアが、職員達の行動を目に入れて
私に視線を向けた。簡単にオウカさんとの会話を告げ
セツナを任された事を、黒達に伝えた。
「僕は、お前やオウカ達と職員がこの殺気の中
動き回れていることが信じられないわけ」
「たしかになぁ。
わしらでも、体の感覚を取り戻すのに
今までかかったからの」
バルタスの言葉に、私にはこの短時間で
抑えられているとはいえ、セツナの殺気を克服した
黒達のほうが信じられないが、その感想は
胸に留めることにして、種を明かした。
「リオウは、ジャック対策だと話していた。
職員の服に、殺気が緩和される魔法が刻まれている」
「ジャックは、ギルドにどれほど警戒されていたんだ?」
アギトの呆れた様な言葉に
サフィールも深く頷いている。
私は、冒険者のジャックとしては面識がないが
カイルとしてなら、数年共にいたこともあり
その性格は把握している……。
自ら望んだこととはいえ、私も散々振り回されてきた。
ある日突然『俺の殺気に、耐えることができれば
魔物の威圧や殺気などは、気にせず戦えるようになるぜ
おら、蹲ってねぇで立て!』といって容赦なく蹴飛ばされた時には
鬼かと思ったほどだ……。
カイルに鍛えられた経験が、いやというほど役に立っているが
あの時は、必死だったなと心の中で笑う。
舞台にいるセツナを見て、カイルと同じ殺気を放つ彼に
少し、カイルを重ね懐かしい気持ちにさせられた。
「そろそろ、不味いわけ」
サフィールが、セツナから視線を観客席に移して
ぼそりと呟く。オウカさん達が結界を張る前に
子供達の意識が、次々に落ちているのを目にする。
心話ではない通信魔道具からも
子供の事について、報告が次々と上がる為に
意識が落ちた子供は、そのまま寝かせておくようにと
指示を飛ばした。
セツナの殺気がカイルと同じなら
まず、意識を失うといったことはできないはずだ。
カイルの殺気の特徴は
どこまでも、相手を追い詰めるものだから。
『はっ、殺気で意識を落とすとか、誰得だよ?』と
鼻で笑っていた姿が、脳裏にチラついた。
次々と、子供だけが意識を落としているとなると
セツナが故意に、落としたとみるべきだろう。
「……子供達の意識は
落ちるようにしているらしい」
エレノアが、私と同じ結論を口にする。
「アルトは、大丈夫そうだな」
アギトが、どこかホッとしたように表情を緩めている。
ニールから、バルタスに届いた通信で
アルトが、どの様な状態だったかは
ここに居る全員が把握していた。
アルトは心配なさそうだと
アギトとサフィールが話しているのを聞きながら
アルトを視界に入れる。
アルトは、セツナの殺気に震えながらも
真直ぐと立ち、セツナを一心に見つめていた。
サフィールが、そんなアルトを見て
私達だけに、聞こえる声で毒づいている。
「セツナが、あの二人を殺したいなら
殺せばいいと僕は思うわけ」
「それは問題があるじゃろ」
バルタスが一応、サフィールを窘めはするが
それだけだった。
バルタス自身、腸が煮えくり返るような
憤りを覚えているのだろう。
先ほどから、黒達は苛立ちを隠してはいなかったし
隠す気もないようだったから。
アルトを殺害すると、セツナを脅し
堂々と、アルトを奴隷商人に売ると断言し
アルトとセツナの人生を無視した言動に
セツナが殺気を放つ前に、不機嫌な殺気を醸し出していたのは
アギトとサフィールだ。
私達の後ろの観客席が、妙に静かなのは
セツナだけのせいではない。
オウカさん達の準備が整ったのか
説明を聞いていた者達が、一斉に四方へと散らばるように
走っていく。距離が遠いものは転移魔法を使い移動しているようだ。
「そろそろ、やばいわけ」
セツナの殺気に追い詰められ
自分を害そうとしはじめる冒険者を
職員とその仲間が、無理やり意識を落としていっていた。
ざわざわと揺れる、観客席とは反対に
舞台の上では、オルダがセツナの怒りに
油を注いでいた。
今更、何を話しあうというのか……。
そんな、混沌とした状況の中
オウカさん達が、それぞれの位置に着き結界を張ると
とりあえず、冒険者達も落ち着きを取り戻し
子供達の意識も、ゆっくりとだが戻りつつあるようだ。
『シャレにならねぇ……』
『普段、大人しい奴ほど
怒らせるなというのは、本当だな』
『まだ、手が震えてるぜ』
『体がピリピリしやがる』
『初代の一族の結界が遅ければ
武器に手を伸ばしていたな……』
『もう二度と、あの殺気は浴びたくねぇなぁ』
『同感だ』
口々に話し出す冒険者達の話を、軽く耳に入れる。
闘技場に刻まれている、魔法から届く声と
目端に映る冒険者の姿は一様に
セツナの殺気を二度と経験したくないという声で溢れていた。
『ヤト』
『どうした?』
観客席側の魔法から意識を切り離し
リオウからの声に、心の中で返事をする。
『セツナの殺気を全て、抑えることは無理そう。
緩和するのが、精一杯かな。
あと、闘技場が広すぎて母達の魔力がもちそうにないの。
もって、数十分といったところかもしれない……。
それまでに、セツナの殺気を止めることができる?』
リオウのお願いに、時間がそうないことを知る。
時間がかかればかかるだけ、リオウ達の負担が増していく。
『子供達に、この殺気を二度経験させるのは
酷だと思うのよ。今のセツナに声が届かないのは
わかっているけど、頑張ってみてくれる?』
『何とかしてみよう』
私の言葉に、リオウがホッとしたように
息をつく。
『お願いね』
最後にそう告げると、心話が解除された。
「……セツナを止めるのか?」
エレノアが私を見て、静かに言葉を落とした。
エレノアに頷いてから、リオウ達の状況を黒達に伝える。
「殺気さえ、消してくれれば
介入しなくても済むんだがの」
「無理だろうな。
もう、こちらの声も届いていない。
完全に、セツナを怒らせている」
黒達と話し合っているさなかに
セツナの魔力の高まりを感じ、全員が口を閉じて
注意深く、セツナの動向を見守るなか
舞台に、巨大な青い魔法陣が二つ浮かび上がる。
『弟子の訓練用に、用意したものだけど
性能を試す機会を得たと思いましょう。
せいぜい、僕の役に立ってください』
セツナがそう告げたあと、抑揚のない声音で
何かを呼ぶように、言葉を紡いだ。
その呼びかけに、魔方陣が反応し光を放ち
そして、ゆっくりと二つの……魔物が姿を現した。
いや、魔物だとは思えない。
勘違いもできないほど、神々しい魔力を纏っている。
観客席の冒険者達も、恐怖というよりは
その神々しさに、目を奪われ、意識を奪われているように思う。
ただ、冒険者の性というのか
姿が魔物だからか、自分より格上の敵と出会った時と
同じような対処をしている、冒険者が多かった。
女性達は、魔物というより
魔物の姿形に、恐怖を覚えているようだ。
今頃、リオウも悲鳴をかみ殺しているに違いない。
蜘蛛も蛇も、リオウの苦手な部類に入るから。
声もなく、ただ見つめることしかできない私達を
正気に戻したのは、サフィールのフィーを呼ぶ声だった。
「どうしたのなの?」
サフィールの呼びかけに、アルトの傍に居たフィーが
姿を見せ、面倒そうにサフィールを見た。
「あれは、どういうことなわけ!?
どうして、大蛇の方からフィーの魔力が溢れているわけ!?」
「セツナとフィーで、一緒に創ったのなの!
目の色は、サフィと一緒の色にしてあげたのなの」
「一緒に創った?
どうして、僕も呼んでくれなかったわけ!?」
問いただすのは、そこじゃないだろう、と言いかけるが
口を挟むことはしない。サフィールとフィーの会話に
口を挟むと碌なことにならない。
私もそして黒達も、サフィールに冷たい視線を
向けているが、何時もの通りサフィールは気が付いていない。
「ちゃんと、誘ってあげたのなの」
「僕は、知らないんですけど!?」
「セツナとお姉さまと遊ぶけど
サフィも遊ぶのなの? と聞いてあげたのなの」
フィーの言葉に、サフィールが絶望したかのような
表情を見せ黙り込んだ。
フィーの話から推測すると
あの大蜘蛛は、セツナとクッカが共に創った
使い魔なのだろう。大蛇と比べることができないほど
魔力量が多く……恐れ多いものを感じる。
「大蛇の方が、ヴァーシィルという名前なのなの。
フィーがつけたのなの。
大蜘蛛の方が、ギルスという名前なの。
お姉さまがつけたのなの」
「ヴァーシィルと……ギルス」
サフィールが、片手で目元を覆い溜息と同時に
その意味を口にした。
「精霊語で、天秤と断罪を意味するわけ?」
「そうなの~。
今の状況に、ぴったりなのなの」
「確か、天秤は裁定者という意味を持っていて
断罪は、死刑だったような……」
その名前の由来に、戦慄を覚え息がつまる。
魔物の姿なのに、神々しく
神々しいのに、物騒な名前を持っている二体をみて
何とも言えない気持ちになった。
「とっても、カッコいい名前なのなの~。
お姉さまとフィーが考えた、最強の使い魔なの!」
最強の使い魔。
サフィールとフィーの話を、遠くで聞きながら
舞台の上にいる冒険者達が、二体の使い魔に
いいように遊ばれているのを見つめる。
黒達が、セツナに抑えるように
声を飛ばすが、セツナには届かない。
泣き叫び、懇願している二人に
同情するつもりは更々ないが……。
私も、敵としてあれと戦いたくはない。
勝てる要素がどこにもない。
そもそも、あの二体をアルトの訓練に使うのか?
セツナの思考が、私には理解できなかった。
のちに、精霊二人が暴走して生まれたことを知るが
アルトを元気づけるために、創ったと聞かされて
やはり、セツナの思考は私には理解できないと感じた。
きっと、カイルと同様で理解できることは一生ないだろう。
泣き叫んでいる二人を見ても
何の感情も、灯らない目を向けているセツナを見て
エレノアが、ぽつりと呟いた。
「……このまま、終わらせるのは
やめた方がいいな」
セツナの印象をできるだけ
穏やかなものに変えたいと、エレノアが告げた。
どう考えても、セツナの印象は穏やかから
遠いと思われるが、普段のセツナに戻れば
何とかなるに違いないと、セツナを止める方向で話し合い
ついでに、あの二人を保護することに決める。
「別に、保護しなくてもいいと思うわけ」
フィーとの話を終えたのか、少し疲れた様子の
サフィールが口を挟んだ。フィーはアルトの元へと戻っている。
「これ以上は、
一方的な拷問と同じだと思わんか」
「それだけの事をしているわけ」
「確かに、わしもそう思うがな。
だが、それを子供や子供の保護者に
見せるのは違うのではないかと、わしは思う」
「あぁ……。
それなら仕方ないわけ」
あんなのを見れば、きっと悪夢にうなされるわけ、と
呟きながら、暴れるグリキアが、ギルスの蜘蛛の糸に
グルグル巻きにされている様を見ている。
意見がまとまったところで
再確認のために、声に出して試合に介入する理由を復唱する。
「大会規約にある、観客の保護という名目で
試合を一時中断させるために、戦闘行為を
止め、両者の意思を確認後に試合の再開を検討する」
再開を検討するとしているが
再開することはないだろうと考えている。
ジャックと同じ殺気ならば、殺気を解除すると同時に
意識を失う可能性が高い。できれば、そうであってほしい。
「……わかった」
各々が頷き、ゆっくりと体をほぐすように動き始めるのを見て
私は観客席にいる冒険者達に説明を始める。
説明の内容は、黒達に話したこととさほど変わりはない。
「以上の理由から、両者の試合の終了前に
結界が解除される可能性が高く。
その際、観客席側にも影響が出ると思われる」
私の解説に、冒険者達から届く声は
同じような内容ばかりだった。
総じて、あの殺気は二度と浴びたくないだ。
「その為、大会規約の一つである
観客に、命の危険が伴う場合
いかなる理由があろうとも
ギルド職員及び黒が、戦闘の介入を行う、を適用し
試合を一時中断させ、両者の意思を確認後に
試合の再開を検討することとする」
『再開……無理だろう』
『俺なら、すぐに負けを宣言するな』
『自信満々に、宣言する言葉じゃないわね』
『好きで半獣に生まれたわけじゃねぇのにな』
『そうだよね。
子供はどの種族でも可愛いのに』
『しかし、あれを抑えるのか?』
『すげー切れてるし、反撃喰らいそうだな』
『ジャックの弟子だしな』
『オウカさん達、大丈夫なのか?』
『大掛かりな、魔法をつかったもんなー』
『守護者相手に
弟子殺すとか、ありえないな』
『ありえない事をして、こうなってんだろ』
『あの子を見ててね。
あー。獣人の子供って笑うんだって
おもったんだよね。
ガーディルの奴隷にされてる子の扱いは酷いから
やせ細って、今にも死にそうだし……』
『拠点を、かえようか……。
あの光景見るの、結構きついよねぇ』
『冒険者になる前は、そう思わなかったんだけどね』
『半獣だ……』
『おい! 迂闊な事を言うなよ。
この国では、おめぇの考えは口にするな
口にするなら、俺はチームを抜けるからな
俺はぜってぇ、あれには目を付けられたくない』
『あれ、弟子の訓練用だとかいってなかったか?』
『言ってた、言ってた。
どんな訓練してるんだろな?』
『俺は、あれと戦う訓練はしたくないな……』
『ぶっつけ本番よりは、マシ……だろ。多分』
あちらこちらから、使い魔を刺激することを
恐れるかのように、声量を抑えて聞こえてくる声に
耳を傾けてみる。
試合を中断させることについて、批判的な意見は
でていないようだ。それはそうか、ここで反対すれば
他の冒険者から、恨まれるだろうし
それ以前に、下手をすれば自分の命にもかかわってくる。
オウカさん達が、結界を張っていても
肌に刺す、ピリピリとした緊張は途切れることなく
届いているのだから。観客席の冒険者達も同じように
殺気を感じ、落ち着かない様子が見て取れた。
黒達に、準備はいいかと声をかけようとしたその時
舞台から届くセツナの声。
『何の役にも立たない……』
静かにざわめいていた闘技場に
その声が妙に響いた。
そして、その後に続けられた
感情を一切含めない声音に、戦慄を覚え
容赦のない命令に、猶予がないことを知った。
『もう、いいよ。
右腕を噛み千切れ』
「サフィール! 私はギルスに向かう」
「僕は、ヴァーシィルを相手にするわけ」
「わしとエレノアは、二人の援護をしつつ
セツナを抑えるために動くことにするぞ」
「私は、皆の様子をみてから
状況に応じて動くこととする」
私の言葉に、皆が頷いたあと
エレノアが、サフィールへと顔を向けた。
「……サフィール、飛ばせるか?」
エレノアの言葉に、サフィールが頷き
フィーが、サフィールに持たせている
魔道具を起動させ、転移魔法を発動する。
使い魔のすぐそばに、転移し
ギルスとヴァーシィルが、二人の腕を千切ろうとする瞬間
サフィールが、ヴァーシィルの頭を防ぎ
アギトが、ギルスの足を防いでいた。
躊躇することなく、二体の間合いに入ったことに
観客席から、ある種の感嘆と畏怖の声がもれる。
黒が戦闘に介入したことに、安堵ともとれる
気配が漂い、思いがけなく黒の戦闘を目にすることになった
冒険者達が、身を乗り出して黒達を注視した。
だが、この場で独り。
セツナだけが、不機嫌に揺れる声で言葉を紡ぐ。
『邪魔をするんですか?』
黒達が、試合は一時中断することになったと告げるが
その声は、セツナには届かず、大人しくしていればいいのに
オルダが走って逃げだした。
セツナの暗い瞳が、黒からオルダへと移動し
その目にはっきりと、苛立ちを映した。
ヴァーシィルが、オルダを追うそぶりを見せるが
サフィールとエレノアが、行く手を阻む。
セツナは、オルダから視線を外すことはせず
苛立ちを感じさせない声で、二体の使い魔に命令を下した。
『僕が行く。
ギルス、ヴァーシィル、黒を僕に近づけるな』
この言葉に、黒達が一斉に『セツナ!』と呼ぶが
その声がセツナに届いた気配はなく。
セツナは、黒達を見ることもしなかった。
二体の使い魔は、セツナの命令を忠実に守り
黒達の進路を妨害している。
フィーが「セツナとお姉さまと私で一緒に創った
最強の使い魔なの」と自慢していた事から
突破するのは難しいかもしれない。
一体に、黒二人でギリギリ勝てるか勝てないかの
力加減で呼び出していると、フィーは言っていた。
「ものすごーく、力を削って呼び出しているのなの」と
フィーは、少し不満そうにしていたが、あれで力が
削られているなど悪夢でしかない気がする。
「国、一つぐらい簡単におとせるのなの~」と上機嫌で
サフィールに話していたフィーに、サフィール以外が
溜息をついていた。
『ヴァーシィルに、僕の目の色を使うなら
僕を呼んでほしかった……』と大蛇を見ながら
未だに呟いているサフィールに、エレノアが冷たい視線を
向けているが、サフィールは気がついていないようだ。
『遊ぶが、使い魔を作る事だったなんて……』と
魔法を放っては、ブツブツと文句を呟いている。
詠唱と詠唱の間に、愚痴という呟きが入りながらも
集中力が途切れずに、的確に魔法を放てるのは
さすがに黒といったところだろう。
アギトは、ギルスの足での攻撃を剣で巧みにさばきながら
足元にいるグリキアを、守るように動いていたが
アギトの傍で、ひたすら喚いているグリキアに切れていた。
『うるさい』
魂まで切り刻んでしまいそうな
低い声で、そう告げると思いっきり蹴飛ばして
ギルスの間合いの外へと出した。
黒にあるまじき行為だが……。
今までの彼等の言動を知り
彼が、冒険者として扱われることはないと
観客席にいる者達も理解していた。
本来ならば、黒としてその行動はどうなのだと
注意を促すところなのだが
ギルドを裏切り、犯罪に手を染めた時点で
守るべき冒険者ではなく、犯罪者として認識されることは
ギルドの規約を覚えている冒険者ならば
知っていて当然のことで、騒ぐ者は少数だった。
その少数の人間も、周りから冷たい目で見られ
規約を覚えてないのかと馬鹿にされて
黙りこんでいる者がほとんどだ。
『あんなのを相手にしながら
助けてもらえるだけ、ましだろうがよ』
『これが、他国なら助けないわねぇ』
『犯罪者は、その場で殺されても
文句は言えないしな……』
『あいつらが、画策していたことは
ある意味、ギルドを潰すことだろ?
極刑が妥当だろうさ』
アギトに蹴られたグリキアは、体をよじり
少しでもギルスから離れようと、這っていたが
グリキアを蹴飛ばしたアギトは
その後、一度もグリキアに視線を向けることはしなかった。
セツナとアルトを、家族だと言い切るアギトが
憤りといっていいほどの感情を
ずっと抑え込んでいたのは知っている。
エレノアは、アギトが乱入しないように警戒していたし
バルタスも、サフィールを抑えることができる距離にいた。
ただ……エレノアもバルタスもアギトとサフィール同様に
怒りを押し隠し、拳を握っていたのは身近な者なら
誰もが気がついていただろう。
だからか、二人ともアギトに何も言いもせず
冷めた視線で、グリキアの場所を確認するだけに留めていた。
這っているグリキアと、必死に逃げているオルダを見て
今から思えば、精霊が各々の罪を明かした時に
さっさと、犯罪者としてとらえておけば
よかったかも知れないとも思うが……。
何度も、セツナに釘を刺された事から
例え実行しようとしても、潰されていた可能性が大きいと
内心ため息を吐いた。
セツナが、それを許しはしないだろうから。
彼もまた、ジャックとは別の意味で
ギルドを振り回していくのだろう。
ジャックが振り回していたのは、オウカさん達だが
セツナに振り回されるのは、きっとこの私だ。
セツナはまだ……、とそこまで考えて
何が、まだなのかが思い浮かばない。
記憶の片隅に、棘のように何かが引っ掛かるが
セツナの声で、意識がそこから離れ消えてしまった。
『一目散に、逃げる様は貴方にお似合いだと思いますが
逃げ切れると、思われていることがとても腹立たしい』
セツナがそう告げてから、詠唱をはじめ
洗練されたその詠唱と同時に、空中に風の剣が複数現れる。
それは先ほど、スクリアロークスを倒した
魔法に酷似していた……。
空中に、風の剣が複数現れた光景に
誰もが目を奪われ、黒でさえも使い魔から一瞬視線を外した。
『-……』
私が理解できない言葉を、セツナが紡ぐたびに
オルダの行く手を、風の剣が空から滑り落ち舞台へと刺さる。
それは、オルダの鼻先ギリギリだったり
足先ギリギリだったりと、絶妙な位置に落ちる剣に
オルダは悲鳴をあげながら、逃げまどう。
それでも、逃げようとするオルダに
セツナが、目を細めながらオルダを囲むように
風の剣を落としていく様子に、バルタスがアギトへと
声を飛ばした。
『アギト、一人でいけるか?』
『無理だな』
バルタスの声に、アギトが口角をあげながらも
冷静に判断し、返事をしている。
『セツナの使い魔だからな。
戦闘経験に対する情報が
セツナと同じだと考えると
バルタスを通すのは無理だ』
『そうか』
『私も、隙を狙ってはいるが
驚くほどに死角がない。普通の大蜘蛛なら
瞬殺できる技量は持っているのだが……』
アギトが、サフィールとエレノアを見て
『サフィールも同じだろう
今の私達では、バルタスとエレノアを通す
力量が足りない……悔しいがな』
『……』
『これで、力の殆どが削がれているとか……。
本来の力は、どれ程のものなんだろうなぁ』
その瞳に、ギラギラと戦闘狂としての意思を宿らせ
アギトが、ギルスから距離を取り複雑な笑みを見せ
『諦める気はないが』と、呟くような声は空に消えた。
『やめろ、やめてくれ!』と悲鳴が聞こえ
その方向に視線を向けると同時に、オルダの手の甲に
風の剣が突き刺さる。
風の剣は、左手に刻まれている
ギルド紋様のちょうど中間を貫いていた。
オルダは、しりもちをついたような姿勢で
縫い付けられた様に、動けなくされている。
『い、痛い、痛い!! 助けて、助けてくれ』と
オルダが喚いているが、その手の甲から出血はしていない。
どうやら、痛みはあるが肉体的に損傷を与えるような
ものではないようだ。
セツナは、苦痛に喘ぐオルダを見ても
表情を変えることはせず、一歩ずつその距離を縮めていきながら
オルダの罪を、改めて開示していく。
俺のせいじゃないと、喚くオルダにセツナが
ギルドの規約とリシアの法律を諳んじて
オルダの行動の一つ一つを、ギルドの規約と
リシアの法律に当てはめていき
どれ程の罪になるのかを語り、彼等がとった行動が
ギルドを潰す行為と同等だという事を告げた。
『そんなことは、知らない!』
悲鳴にも似た声で、オルダが叫ぶ。
『貴方がそう思っていなくとも
貴方に力を貸した人達の一部は、そう動いていました。
その人達に、情報を流していたのは貴方方ですし
知らぬ、存ぜぬは通用しません。
貴方が、あの纏まりのリーダーなんですから』
そして、最後に孤児院の子供達が
連れ戻された日に話していた、冒険者を陥れる行為についての
規約を告げると、観客席側の冒険者達も驚愕に目を見開くもの
何も言えずに固まる者、涙を目に浮かべるものが多数みられた。
ギルド職員に連れていかれた、チームのメンバーが
最後の規約に触れていたのだろう。
冒険者が冒険者を陥れ、その尊厳を踏みにじる行為に対し
ギルドは、その冒険者と冒険者のチーム全員の冒険者資格を剥奪し
ギルドの利用及びリシアへの立ち入りを禁じる。という規約だ。
だが、今回は精霊の審判を受けたことで
この場に居る人間は、現在の出来事に関しては
潔白が証明されているとして
処分は保留という形になるだろう。
『冒険者ギルドの理念は【人々の命を平等に守る為】とあります。
詳しい注釈を読めばわかる事ですが
これは、戦えない人達の事だけを指すのではなく
自分の命、そして冒険者の命も含まれているんです。
戦えない人の為に、命を賭けろという意味ではない。
自分の命を優先し、その余力で弱い人を守れと言っている。
知恵があるなら知恵を使い、力があるなら力を使う。
自分を守り、相手も守れる力があるならば戦い守る。
魔物を倒せば、安全に旅ができる確率が上がる。
魔物を持ち帰れば、その恩恵を周りに与えることができる。
巡り巡って、誰かのためになる。
そういったことを、大切にしようというだけの事です。
そして僕達は、依頼を完遂することでその日の糧が手に入る。
何も難しい事ではない。無理をする必要もない』
セツナが、一足飛びにオルダと距離を縮めなかった理由に
思い当たる。追い詰める意味もあっただろうが……。
『冒険者が、ランクを上げる努力をするように
ギルドも冒険者を守るために日々努力している。
武器や防具の性能を上げるために研鑽し
魔道具が効率よく発動するために研究し
依頼から無事戻れるように、医療院と力を合わせて
生き残れるように、薬の改良を重ねている。
ギルドに恩を感じろとは言いません。
それがギルドの在り方だと、僕は思いますから。
恩を感じるか否かは、各々が感じる事ですしね。
冒険者を名乗るのであれば
ギルドの理念や規約を知っていて当然で
規約を守ることに同意して、登録するからには
その通りに、履行しなければなりません。
従う気がないのならば……冒険者をやめて
別の道へ行けばいい事です』
セツナの言葉に、観客席の冒険者達が黙り込む。
『別の道っていってもな……』と呟く冒険者の声が
多く聞こえてくる。
『理念を知らず。規約も知らず。守ろうともしない。
それで、冒険者を名乗ろうなんて……。
烏滸がましいにもほどがあるとおもいませんか?』
セツナが、詠唱と共に右手の掌を舞台へと向けると
セツナの右手に、今までなかった杖が握られていた。
その杖は、試合開始前に持っていたものと同じものだ。
『理念を理解し、規約を守り
日々、研鑽を怠らない
冒険者を馬鹿にしていると思いませんか?
守るべき住民を巻き込んで、僕の弟子を罠に嵌め。
それだけでは飽き足らず、他の冒険者を売ろうとした……。
そんな貴方方と、同じ冒険者だと思われる事に
僕は、虫唾が走ります』
セツナはそこで一度、息を吐き出してから
また口を開く。
『貴方の信条は、欲しい物があれば奪えばいい。
欲しい女がいれば、犯せばいい。
そして、気に入らない奴がいれば殺せばいい、でしたか?』
セツナの言葉に、体を震わせながらオルダが目を見開く。
その目は、どうしてその事を知っているのかと問うている。
『僕が懇切丁寧に、ここまでリシアの法とギルドの規約に触れたのは
自分のせいではない。そんなことは知らないという貴方に
貴方の考えは、貴方の国では許されているかもしれませんが
この国では、犯罪と呼ぶ、という事を教えて差し上げたかったからです』
そんな信条を許している国は、何処もないと思われるが
セツナは、オルダだけではなく観客席にいる冒険者達にも
理解させようとしていたのだろう。
獣人族の冒険者がこれ以上狙われないように。
『その理由はもう、理解されているでしょう?
今回、貴方のその信条に巻き込まれたのが
僕と僕の弟子です……。
貴方の犯罪行為の、獲物となったのが
僕達だった……。
この国では、犯罪者に救いは与えません』
その言葉と同時に、セツナが杖を水平に一振りすると
杖からブンといった、聞きなれない低い音が響いた。
その音と同時に、杖の先から現れたものは
巨大な黒い鎌の刃……。
それはまるで、話に聞いたことはあるが
実際に存在しているか不確かな、魔物がもっているとされる
魂を狩る武器を想像させた。
『死の宣告者……』
『死の宣告者の鎌?』
観客席の冒険者達が、私と同じことを想像したのだろう。
禍々しいほど黒い、巨大な鎌を見て茫然としている。
エレノアとバルタスが、セツナの元へ行こうとするが
二体の使い魔がそれを許さない。
私の方を見たエレノアに頷き
転移魔法の魔道具を発動するが
セツナの傍まで飛ぶことはできなかった。
彼に邪魔されたようだ……。
サフィール達が転移できたのは
フィーが作った、魔道具だったからかもしれない。
そこからは走って、二人の元へと向かうが
このままだと、間に合わないかもしれないと
内心焦りを抱える。
「来るな! 来るなぁぁ!」
必死に逃げようと、オルダがもがいているが
動くたびに、手のひらに痛みが走るようだ。
顔を涙と鼻水で、ドロドロにしているオルダを観客席の
冒険者達は、息をつめて見つめていた。
誰にも邪魔されることなく
容易く、セツナがオルダの傍までたどり着く。
オルダまで、あと数歩というところで
セツナが足を止め、重さを感じさせない動作で
曲線を描いた鎌を、オルダの首にあてるように動かす。
刃が、オルダの髪に触れ切れた瞬間に燃え尽きるが
オルダ自身は、熱を感じている気配はなく
その刃は、オルダの首ギリギリに寄せて止められた。
「本当は、ここで首を落としてしまいたい」
セツナの言葉に、オルダが全身を震わせながら
セツナを凝視している。
「されど……。
大会の規約でもあり、総帥と黒との約束でもあるので
貴方の命を狩るつもりはありません……」
セツナが、スッとオルダの首から鎌を離す。
だが、セツナがこのまま何もしないはずがない。
走りながら、転移の魔道具を使うがやはり発動しない。
「命を狩ることはしませんが
僕の弟子を、陥れようとしたこと。
弟子の名誉を傷つけた事。
弟子を馬鹿にし、蔑んだこと。
奴隷商人に、売ろうとしたこと……」
首から離したその鎌を、セツナはゆっくりと
オルダの右足の付け根へとあて、スッと引く。
「な、な、うあ、やめ、あぁぁぁぁぁぁぁ」
見た感じ、切れたのは薄皮一枚といったところだが
オルダの悲鳴は、それ以上の苦痛を感じている叫びだった。
「そして、僕を表舞台に引きずり出したこと
その代償は、しっかりと払って頂きます」
セツナの感情の籠らない冷たい声と
オルダの尋常ではない悲鳴に、観客席が静まり返った。
誰の声も、私の耳には届かず
息を殺している気配だけが届く。
表舞台に、引きずり出した代償……。
彼が余計な事をしなければ、ジャックの弟子と知られることもなく
リシアの守護者を名乗ることもなかった。
私達からしてみれば、守護者が存在してくれるだけで
有難いのだが……きっと、セツナにはセツナの計画があったのだろう。
「右足。それで今回は手を引いて差し上げます。
右腕は、武器簒奪の罪で落とされるでしょうしね」
「やめ、やめてくれ、やめて」
「セツナ!」
エレノアとバルタスが、彼を止めるために叫ぶが
セツナが止まる様子はない。
セツナの武器が、ゆるりと揺れ
彼が武器を持つ手に力を入れたのが分かった。
「セツナ!」
走りながら、彼の名を呼び
発動しないとは知っていながら、魔道具を取り出し
発動してくれという願いを込めて、魔道具に魔力を流す。
魔道具が発動した瞬間、私の体はセツナの前に立っていた。
魔道具が壊れた時に感じた魔力は、フィーのものだった。
どうやら、サフィールがフィーに頼んでくれたようだ。
右手で、セツナの右手首をつかみ
詠唱しながら、左手の指をセツナの額に持っていく。
ギルド総帥だけが使える、冒険者を抑えるための魔法。
私の指の先で展開される黒の魔法陣。
「セツナ。試合は一時中断となった」
「離してください」
「大会の規約、観客の保護が適用される」
「その、魔法は僕には何の効果もありません」
彼の言葉に、やはりそうかと落胆する。
多分、彼には無効化されるだろうことはわかっていた。
「離してください」
彼が言葉を発すると同時に、その願いに従いたいと
いう思考で満たされる。自分の意思とは関係なく
セツナの手首をつかんでいる力が、緩みそうになるのがわかる。
必死に、力を入れるが自分の意思とは反対に
体が勝手に、彼の願いを受け入れようとしているのが分かった。
「離してもらえませんか?」
懇願に違いその声に、願いを叶えなければという想いが宿った。
私が、その願いを叶えようとした瞬間……。
胸の奥底で何かが発動した気配がした。
【俺以外のもんに、尻尾ふってんじゃねぇぇぇぇぇ!】
それは、怒りを湛えた声。
懐かしい、ずっと聞きたいと思っていた声……。
我が、唯一の王……。
カイルの声が、脳裏に響いた。
【てめーは、俺の騎士だろうが!】
低い声で告げる、カイルの声と同時に
セツナからの支配がとけていくのが分かった。
セツナが発動させた、多分、無意識での魔法。
それは、カイルといた時に一度だけ見た事がある。
主に忠誠を誓う騎士達を、嘲うかのように
自分に跪かせた魔法。その魔法が解けたときの
騎士たちの表情は、今も忘れることができない。
私なら、喉を掻き切るかもしれないと口にした時
カイルが、くだらないことで死ぬなよ、と呆れたように
言われた事を思い出す。
正確に言えば、魔法ではないようだ。
魔想曲の応用みたいなことを話していた気がする。
ただ、相手の忠誠を書き換えるような命令は
潤沢な魔力量がなければ、できない事だと言っていた。
【俺以外に、懐いてんじゃねぇよ】
そう、悪態をつく声に思わず笑みを落としそうになるが
ぐっとこらえる。
【思い出せよ】
脳裏に響く、カイルの言葉が鍵となり
自分の中に封印されていた記憶が紐解かれていった。
それが、いつの日の事かは覚えていない。
何かの宴だと言って、カイルにこれでもかというほど飲まされて
意識が半分朦朧としていたような気がする……。
『リシアは、ちょっとやそっとじゃ
揺るがないようにしてあるし、守りも置いてある。
ある程度の事は、そいつが何とかするだろう。
そいつに魔法を刻んでもいいが
一人に集中するよりは、分散させた方が
安全といえば安全だろうしな。
多分、無いとは思う。無いとは思うんだが。
嫌な予感がする。
そうなったとしても、俺が選ぶ奴だから
リシアを害そうとは思わないはずだ。
もし、俺の予感が当たった場合
そいつにも、色々と魔法を仕込むつもりではいるが
正直、どうなるかは予想がつかないからな。
不安定な時期は、必ず来る……。
色々とできることはしとかねぇとな』
普段とは違う声音で、私に聞かせるというよりは
自分が納得するために紡がれている言葉のように感じた。
『ということで、お前の体に魔法を刻むことにした。
お前は、この事を覚えてないだろうが
必要な時に、必要な事を思い出すようにしておく。
多分な。
できれば、発動しない事を心から願うが……。
お前は、俺の騎士だから拒否権はない。
魔改造だな。腕が鳴るぜ……』
その後、どうなったかは覚えていない。
酒で潰れたと思っていたけれど、そうではなかったようだ。
途中目が覚めて、ぼんやりとした意識の中
カイルとは思えないほど、哀しみに沈んだ声が聞こえた気がした。
『ヤト。もし、俺が死んでから数年で
俺の名を出して、ギルドに接触してきた奴がいたら
気にかけてやってくれ。
多分、精神状態が落ち着くまで
数年から、数十年以上かかる可能性がある。
自分自身を見失って、暴走した時は止めてやってくれ……。
お前は、そいつの味方であってやってくれ。
そいつが、心の拠り所を見つけるまでお前が支えてやってくれ。
俺はそいつに、俺がもちえる全てを渡すことになるだろうから。
ある意味、お前の弟弟子だ。兄弟子は、弟弟子の面倒を見るものだ。
頼んだからな』
まだ、思いだせていない記憶があるような気がするが
今考えても仕方がない事だろう。
カイルの事だから、思い出せないように
させられているはずだ。
「離してもらえないんですか?」
私が、セツナの手を離さないのが気に入らないのか
セツナが、オルダから視線を外し私と目をあわせた。
その瞳は、とてつもなく暗い。
その瞳の色を、間近に見て
もしかしてと思う。
オルダ達は、アルトに危害を加えたというだけではなく
セツナが失っている記憶に関するモノにも
無意識に触れたのかもしれない。
セツナ自身、覚えてはいなくとも
セツナの神経を逆なでするような何かに……。
唯の勘でしかないけれど。
なんとなく、そんな気がする。
セツナの精神状態が、あまりよくない事は
私や黒、黒のチームの者達も知っていた。
知ってはいたが、私達が感じている以上に
もしかしたら、セツナは危うい状態にあるのかもしれない。
私を見る、セツナの目がスッと細められる。
セツナのその姿を見て、カイルの言葉が胸に響く。
『自分自身を見失って
暴走した時は止めてやってくれ……』
強大な力を持つ彼が、自分自身を見失い
誰かを、何かを壊そうとした時に
彼を止める魔法が、私に刻まれている。
カイルから刻まれた、魔法の殆どが
セツナを止めるための魔法だと理解した。
『お前は、そいつの味方であってやってくれ』という
そいつというのは、私と別れた後に出会ったであろう
セツナを指しているのだろう。
カイルは予感がすると言っていた。
その予感が外れればいいと願っていた……。
その願いが、叶う事はなかったんだな。
私の魔法が発動したという事は、そういう事なのだから。
カイルは、何処まで考えていたのだろうか。
セツナの殺気を浴びても、恐怖を感じず
私は、こうやって動くことができる。
リオウとサクラを守れと、告げた言葉の裏には
ギルドの内部に、入りこめという意図があった。
カイルの、殺気交じりの訓練の意味も。
ギルドの内部に、入りこめといった意図も。
カイルが、私を騎士として認めた理由も
全ては……。
ここに、繋げるためのものではないだろうか?
カイルが彼を守るために、用意したものだと。
私は、その要となる役割を与えられたことになる。
それが、私と出会った当初から考えていた事なのか
それとも、何かしら前兆があって画策した事だったのか
今となっては、知る由もないが
一つ言えることは、私はカイルの信頼を得ていたらしい。
この魔法は、黒の制約を交わしていなければ
発動ができないようにされていた。
私利私欲に走り、セツナを害そうとすれば
黒の制裁を受ける。
私が、黒になることを信じ。
リオウとサクラを、守ることを信じ
ギルドの中枢に、席を置くことを信じてくれていたのだ。
だから、私に数々の魔法を刻んだ。
我が王からの信頼……。
それが、これほど胸が躍ることだとは思わなかった。
これほどまでに、満たされるものだとは知らなかった。
願うなら。それが叶うなら。
目の前に、カイルがいて欲しかった。
様々な感情を、抑えるように歯をかみしめる。
リオウやサクラを守り支える。
託された想いは、カイルの本心だった。
カイルの願いが、叶っていれば
私は、生涯二人を守り支えるために
全力を尽くしただろう。
されど……。
主の願いは、一つではなかったようだ。
カイルが私に、真に託した願いは
ある時は、セツナを支え
ある時は、彼からこの国を守る事なのだと
今、はっきりと理解した。
気持ちを、落ち着けるように
静かに息を吐き出す。
セツナに、戦闘をやめるように
促しながら、刻まれた魔法を確認していく。
刻まれた魔法の発動は、一度きり。
一度使えば、二度とその魔法は使えない。
状況から見て
大掛かりな魔法を使うほどではない。
刻まれた魔法一覧は、頭の中で展開されている。
体験したことのない魔法に、戸惑う気持ちもあるが
そういった感情は、全て後回しにする。
一応、魔法は分類されているようだが
魔法の名前と解説が、適当すぎる事に文句を言いたい。
【意識を落とす魔法一覧】
【強制的に、意識を落とす魔法】はまだわかる。
【ボコボコにして、三日ぐらい意識が戻らない魔法】
ボコボコにして意識を落とす。
【半殺しにする魔法】
半殺しにして、意識を落とす。
発動者の意識も同時に落ちる。
意識を落とすその過程が、大事なんじゃないか?
解説が、全く役に立っていない!
今更、カイルの性格にとやかく言っても仕方がないので
内心溜息をつきながら
【正気に戻すかもしれない魔法一覧】というのを見た。
ざっと目を通して、使えそうなのはこれしかなかった。
【軽く切れている時に、命令を与えたいときの魔法】
使用方法:名前を呼び、命令したい事柄を告げたあと
発動させる。
結局、どういった魔法かはやっぱりわからないけれど。
とりあえず、私の意思を伝えることはできそうだと思い
この魔法を試してみる。
カイルの魔法だ……。失敗したとしても
何らかの反応があるだろう。
緊迫した空気の中、自分の力が抜けているのがわかる。
セツナに流されず、自分の時間が流れているのがわかった。
その事に、内心驚き苦笑を落とした。
色々、気にかかることは多々あるが
今は、セツナを止めることに全力を注ごう。
セツナと視線を合わせ、魔法の解説の通りに進める。
「セツナ。試合は一時中断となった。
戦闘行為を、今すぐ辞めるように」
セツナは、私を見たまま何も答えない。
何の反応もないことに、落胆しながら
刻まれた魔法の一つを発動させた。
発動させた瞬間、自分の意思とは関係なく
口が開いて、言葉が紡がれていく。
【弟弟子は、兄弟子のいう事を聞くものだろ?】
私には、その言葉の意味は分からなかった。
私には、ただ、言葉を紡いだようにしか思えなかった。
これが、魔法なのかと内心焦りを覚えていた。
私にとっては、短い音の重なり。
されど、セツナにとっては違ったようだ。
殺気が消え、風の剣も跡形もなく消えていた。
それと同時に、オルダが崩れ落ちた音が聞こえた。
セツナの手から力が抜け、私が支える形になっている。
その目に光を取り戻し、その目を見開いて
私の目を覗く。
「どうして……」
セツナから、零れ落ちた声。
セツナのその表情は、寂しげに揺れている。
「どうして……貴方が、その言葉を使えるんですか」
セツナの声に、その表情に覚えがあった。
そう、それは彼が初めて黒の間に入った時と同じ。
大切な何かを見つけ、掴むことができない何かを求め
諦めた、あの部屋で見せた表情と同じだと。
この言葉の音は、初代の国の言葉と同じだと……。
私はこの時、気が付いた。





