『 師弟 : 後編 』
* 前編後編分けました。前編から読んでいただけると嬉しいです。
【 ウィルキス3の月30日 : ミッシェル 】
まぁ、確かにとオルダが蔑みを湛えたような笑みを浮かべながら
言葉を重ねていく。
『お前は、自分の身を自分で守れるほどの
強さを持っているのかもしれないが
あのガキはどうなんだろうな?
恐怖で外に出ることができなくなるかもなぁ?』
オルダが馬鹿にしたように肩をすくめた。
『お前の今までの態度が
今の状況を招いたってわかってんだろ?
あのガキが狙われるのは、てめぇのせいだってさ?
強い者を嵌める時は、弱い者を狙うのが世の摂理ってな。
お前の弱点バレバレだっての。
まぁ、あのガキが弱いから狙われる。
弱っちぃ、あのガキが悪い。そうだろう?』
アルトが悪いわけないじゃない!
アルトを狙う、オルダが悪いに決まっているじゃない!
『あぁ、暫く口を開くな。
さっきまで、散々好き放題言ってくれたんだ。
俺もいろいろ言いたいことがある。
お前は、黙って俺の話を聞いておけ。
何も言うな。口を挟むことはこの俺が許さねぇ』
『……』
『お前、馬鹿だろう?』
オルダが、セツナさんを鼻で笑うが
セツナさんは、何の反応も返さない。
『人間が獣人を弟子にするとか
頭がおかしいのか?
あぁ、お前の頭がおかしいから
人間の弟子はとれなかったってか?
それでも、獣人の弟子とか……。ないわ。ない。
飼うなら、その辺の動物を飼っとけよ。
弟子にするなら奴隷にしろよ!
役に立たなくなったら殺せ!
それが人間ってもんだろ。あぁ?』
オルダのありえない言葉に閉口する。
そんな私の横で、兄さんが嫌悪感をにじませた
声を響かせた。
「スフィックロフル……か」
「スフィックロフルってなに?」
私の質問に、兄は少し考えてから
その意味を教えてくれた。
「獣人を排除して
人間だけの世界にしようという思想をもつ
集団の事だ」
「そんな、集団があるの?」
「残念なことに、存在する」
そんな思想を持つ人がいるんだと
初めて知った……。ロイール達は驚いているのに
アルトが驚いていないところを見ると
アルトはもしかしたら知っていたのかもしれない……。
「アルトは知っていたのか?」
ワイアットが、アルトに聞いている。
「獣人族の長から聞いた。
獣人族を見たら、問答無用で殺しに来る
人間がいるから気を付けろって」
「……」
アルトの言葉に、ワイアットが黙り込む。
黙りこんだ、ワイアットを助けるように
兄が、私に話しかけた。
「しかし、ここで自分を
スフィックロフルだと公言するのは
自殺行為だと思うんだがな」
「どうして?」
「リシアの法律には
獣人差別を認めないとあるだろう?」
「うん。あ、そういう事ね」
「そうだ。どんな思想を持っていようが
自分から告げなければ、誰も知りようがない。
あの思想は、リシアでは危険思想として
監視対象となることは、誰もが知っている事なんだが」
「オルダは知らなかったのかな?」
兄は私をチラリと見るが、何も言わなかった。
きっと、目上の人を呼び捨てにしたのが
引っかかったのかもしれないけど、何も言わずにいてくれた。
「知っているだろう。
下手をすれば、国外追放だ。
冒険者にとって、ハルから追い出されるのは
痛手にしかならないからな」
「どうして?」
「ここでしか購入できない
武器や魔道具があるからな」
「そっか……。
ねぇ、兄さん」
私の呼びかけに、兄さんが私を見る。
「スフィックロフルは沢山いるの?」
「エラーナやガーディルを中心にいるな。
だが、完全に排除するべきだという考えの人は
比較的少ない」
兄の言葉に、ちょっとホッとするけど
その理由を聞いて、気分が悪くなった。
「すべて殺しつくしてしまったら
奴隷にする獣人が居なくなるからという理由だな」
私と兄の話を聞いて、皆がその表情に嫌悪をにじませていた。
「今、注意すべき国はガーディルやエラーナではなく
クットだと言われている」
「どうして?
クットは、サガーナの同盟国でしょう?」
リシア同様、サガーナと同盟を結ぶ
数少ない国の一つだったはずだ。
「クットの第二王子が、スフィックロフルだと
公言している」
「え……」
「第一王子は、今の王と同じ考えを持っているらしいが
もし、第二王子がクットの王になった場合
サガーナとの同盟は打ち切られ
獣人族を排除する方向へと向かうだろう」
「そんな……」
「ミッシェル。国の情勢は日々変わっていく。
王が変われば、統治が変わる。
冒険者になるなら、そういった情報も
常に把握しておかなければいけない。
自分の命を守るために。
そして、仲間の命を守るためにも」
兄の言葉に、私だけではなく
セイル達も兄を見て頷いていた。
アルトは舞台に視線を向けながらも
耳はこちらへと向いていたから
話は聞いていたと思う。
アルトにとっては、気分の悪い話だっただろう。
舞台の上では、それよりも気分の悪い話を
オルダがまだ続けている最中だったけど……。
『獣人族は排除する、それが基本だろう?』
『……』
『俺は、お前らの話を耳に入れた時から
お前の事を、気持ちが悪いと思っていた。
会う事があれば、お前はくそなんだと
教えてやろうと思ってたんだぜ?
まぁ、弟子だと思ってんのは
お前だけなんだと気が付いたがな?
そうだろう? もうわかってんだろ?
あのガキの態度は、どう見ても弟子の態度じゃねぇ』
「え……?」
オルダの言葉に、アルトが小さく呟いた。
『弟子だと言っているガキに、反抗されてただろ?
「俺は悪くない~」とかいいながら
お前を無視してただろ? 受け答えも敬語じゃなかった。
お前、弟子にまで馬鹿にされてんの。いい加減気が付けよ?
あのガキに利用されてるってさ? お前がやってんのは
結局は、師弟ごっこだったってな!』
オルダの言葉に、セツナさんが視線を落とし俯いた。
「師匠……?」
そんなセツナさんを見て、アルトが不安気に
セツナさんを呼ぶ。
『見ていて苛々すんだよ!
小汚い獣と慣れあってんじゃねぇぞ!』
オルダが、そう叫んだ瞬間
兄が、自分の腕を軽く撫でている。
アルトも何かを感じたのか、首を傾げて
腕の辺りを摩っている。
周りを見ると、多かれ少なかれ
何処かしら摩っている人が多かった。
「苛つく奴だな」
クローディオさんの呟きに
ルーシアさんが、首のあたりを触りながら
物騒な事を口にした。
「殺してしまってもいいと思うわ」
「僕もそう思うな」
ルーシアさんに同意するように
セルユさんが首を縦に振る。
賑やかに話していた人達が
その顔に、苛立ちを浮かべながら
オルダ達に冷たい目を向けていた。
私も、あの人の言っていることは許せない。
アルトをこれ以上、傷つけるのをやめてほしかった。
なのに……。
セツナさんは、何も答えずに顔を下に向けている。
黙って、オルダの話を聞いている。
その態度に、会場がざわざわと揺らぎ始めていた。
どうして、セツナさんは何も言わないんだろう。
どうして……。否定しないんだろう。
どうして……。
『思い当たる節があるから……』
不安そうに、尻尾を揺らしているアルトが目に入る。
何か言葉をかけたほうがいいだろうか?
思案しながら、アルトを見ていると
オルダが、好き勝手な事を言っている途中で
アルトの横にいたセイルが、まじめな顔で
「セツナさんと、アルトは師弟にはみえないよな」と言った。
その瞬間、アルトがセイルの胸ぐらを掴んで睨み上げる。
「セイル!」
クロージャがセイルの名を呼ぶが
セイルは、少し苦しそうにしながらも
真直ぐにアルトと視線を合わせた。
どうして、今、その言葉を選んでアルトに告げるの!? と
ちょっとだけ、不快に思いながらも口を挟むことはしなかった。
周りの人達が動こうとするのを
アラディスさんとニールさんが目配せで止めていたから。
「師匠は、俺の師匠だ……」
アルトがいつもより低い声で
自分自身でも確認するようにそう告げる。
アルトの言葉に、セイルが素直に頷く。
「うん。それは知ってる」
「……」
「でもさ、俺はセツナさんはアルトの
父ちゃんなんだなって思ったんだ」
セイルの言葉に、心の中の不快な気持ちが消えていく。
「俺と師匠は、血がつながってない」
「それも知ってるって。
そうじゃなくてさ……。
俺達と大先生も血がつながってないけど
俺は父ちゃんだって思ってる」
アルトの手は、まだセイルから離されていない。
その表情も、怒りを宿しているのがわかる。
「何が言いたいの?」
アルトの少し冷たい声で
セイルが微かに震えた気がした。
「アルトは、セツナさんを父ちゃんだって
思ったことはないのか?」
「ない」
アルトの即答するような返事に、セイルだけでなく
私達も目を瞠った。そんなはずはないと、思わず呟く。
どうみても、セツナさんの態度は
師弟の枠を超えていた。
アルトの態度も、どう見ても師弟のものじゃない。
なのに、どうしてアルトは即座に否定するの?
答えが欲しくて、思わず周りを見渡してしまう。
見渡して、私の目に映ったものは
哀しそうな目で、アルトを見守っている人達だった。
「本当にないのか?」
「ない」
セイルが念を押すように
アルトにもう一度聞いても、アルトの答えは変わらなかった。
黙りこんだセイルに、今度はアルトから質問が飛ぶ。
「どうして、俺を売った人と同じだと思うの?」
アルトの言葉に、アルトが根本的に理解していない事を知った。
父親という言葉の意味を知っていて、父親の役割も知っている。
だから、セイル達が大先生を父親だと呼んでも
セイル達の大切な人だという認識はしていたけれど
アルトにとって父親とは
自分を奴隷商人に売った人間でしかなかったんだ。
そういえば、私と二人で帰った時の会話を思い出す……。
『大先生は、クロージャ達にとってお父さんになると思うの』
『大切な人だってのはわかる』
『うん、アルトにとっての師匠と同じだわ』
『それはわかる』
そうか、私は勘違いしていたんだ。
アルトは、父親という言葉に
何の意味も感じていなかったんだ。
大切な人というのはわかる。
それだけだったんだ。
親から与えてもらえるはずだったものを
一欠けらも与えてもらえなかったから。
両親から与えてもらえる愛情というものを
アルトは、知らない。
だから、「父ちゃんと思ったことはないのか」と
セイルに聞かれても、即答で「ない」と答えた。
無償の愛を与えてくれる母親。
自分を守り育ててくれる父親。
そう言った言葉で、彩られる親子の絆を
特別な関係を、アルトは理解できないんだ……。
多分セイルは、アルトを励まそうと思ったのだと思う。
師弟という関係よりも、もっともっと深い家族の繋がり。
私達が知っている、師弟の関係は
セツナさんとアルトには当てはまらないものだったから。
私もセイルと同じように、セツナさんとアルトの関係は
師弟というよりも、兄弟や親子だと感じていた。
だけど、アルトはセツナさんからの愛情が
師弟の関係から来るもので、弟子として与えられるものだと
認識しているのかもしれない。
帰り道、手をつないでいる親子を見て
憧れを含んだ目を向けていたアルト。
アルトはあの時、両親を思い出していたんじゃなくて
あの親子の愛情の形に、憧れを見ていたんだ。
よく考えればわかる事じゃない……。
アルトが抱える憎悪を見ていたじゃない。
なのに、私は気が付かなかった。
馬鹿だな。私は、本当に馬鹿だ。
落ち込んだ表情をしていたのか
兄が私の背中を、ぽんぽんと慰めるように叩いてくれた。
少し目線をあげて、兄を見て大丈夫と笑う。
そして、またアルトに視線を戻した。
そうか……。
アルトはまだ気が付いていないんだ。
自分では気が付けないんだ……。
セツナさんとアルトの姿が
私達から見たら、あの日の親子と同じように
みえているってことを。
セツナさんから、アルトへと与えられているものが
私達が、両親から与えられているものと同じだって事を
アルトは知らないんだね……。
切ないなぁ……。
そう思った。
セイルは、きっと私と同じようなことに気が付いていると思う。
私よりも、セイル達の方がアルトとの距離が近いから。
だからこそ、余計に次の言葉が出てこない。
そこで、言葉が途切れてしまった。
アルトはそんなセイルを見て
不機嫌そうに眉根を寄せる。
アルトが口を開こうとしたのを見て
それをさえぎるように、私が先に口を開く。
今、アルトに言葉を紡がせないほうがいいと
なんとなく思ったから。
「私の父はね、私が上手にお菓子を作ることができたら
頭を撫でて褒めてくれるの。母はね、哀しいことがあったり
私が泣いている時は、ずっと背中をさすってくれるの。
父と母から、とても優しくて温かい愛情を貰っているの。
私は、そんな両親が大好きよ」
私が、自分の父と母の事を話すと
クロージャ達が、驚いたように私を見たけど
すぐに、その表情を引き締めた。
きっと、私の意図に気が付いたんだと思う。
いきなり脈絡のない話をしたのに
クロージャ達は気がついてくれた。
その事に、少し胸が温かくなった。
アルトの視線は、セイルから離れていないけど
耳がこちらを向いているから、聞いてくれていると思う。
アルトもセツナさんから、優しく背中を撫でられていた。
頭を撫でられて、とても嬉しそうに笑っていた。
見ているこちらまで、幸せになるようなそんな笑顔を見せていた。
私がクロージャへと視線を移すと
クロージャが軽く頷いてから、口を開く。
「俺の母さんは、俺の元気がない時
何時も、俺の好物を作ってくれた。
二人で暮らすことになっても、やっぱり俺が落ち込んだときは
俺の好物を作ってくれたんだ……。
一つしか手に入らなかった物は、全て俺に食べさせてくれた。
半分こしようと言っても、俺に食べろと俺にくれた……。
今はもう、水辺へと旅立ったけど。
俺も、母さんのことは大好きだ」
クロージャが、懐かしそうに目を細めて母親の事を語った。
アルトの耳が、微かに動く。
アルトも、セツナさんがピザというものを作ってくれたと言っていた。
野営で、ご飯を作るのを失敗した時の話もしてくれた……。
その時に食べた、果物がとてもおいしかったと。
セツナさんの分も食べさせてくれたのだと。幸せそうに話してくれた。
クロージャが、ワイアットへと視線を向ける。
ワイアットはクロージャに頷いて口を開く。
「俺の母さんは、俺に色々教えてくれたぜ。
俺は薬草を育てることが好きだったから
父さんに隠れて、色々と教えてくれた。
母さんから教えてもらったことは、今も忘れてない!
アルトがあの時止めてくれたから
俺は母さんを、忘れずに済んだんだ。
大好きな母さんを……忘れなくてよかった」
ワイアットが誇らしげに胸を張る。
アルトの視線が、セイルから離れ思案するように揺れてる。
ワイアットが、ロイールへと視線を向ける。
ロイールは、ワイアットに頷き
少し悩んだ後に口を開いた。
「俺は、親父からいろんな話を聞いたよ。
役に立つ話も多かったし、物語みたいな話も多かった。
武器にまつわる神話も聞いたりした。
母は、小さい頃よく寝る前に本を読んでくれたな。
寝付けない夜はずっと、胸のあたりを叩いて何かを話してくれた。
それから……。俺の話もよく聞いてくれた。
俺が話すと、嬉しそうに笑ってくれたんだ。
親父とは喧嘩の最中だけど……。
それでも俺は、親父と母さんが好きだよ」
ロイールが、少し照れたような表情を見せる。
アルトの手はまだ、セイルを掴んだままだけど
その手から力は抜けているようだった。
アルトの表情は、キュッと口元を引き締めていた。
私やクロージャ、そしてワイアットやロイールと
同じ経験をアルトはセツナさんから貰っている。
アヒルの子の話が好きだと。
私達に、その物語を教えてくれたのはアルトだ。
私達は、アルトが話してくれた内容から
近いものを選んで、アルトに伝えているのだから。
だからきっと、アルトは気がついてくれる。
私達が、アルトに伝えたいと想っていることを。
セツナさんが、アルトの師匠というだけではなく
親代わりとして、アルトと共にいることを。
そこに在る無償の愛を……。
「俺の父ちゃんと母ちゃんはさ、俺を守って死んだんだ」
セイルの言葉に、アルトが顔をあげてセイルを見つめた。
「魔物が村を襲ってさ、逃げることもできなくて
母ちゃんが俺を守るように抱きかかえて
その上に、父ちゃんが俺と母ちゃんを守るように
覆いかぶさったんだ」
「……」
「魔物に噛みつかれても、爪で体を引き裂かれても
父ちゃんも母ちゃんも声一つ上げなかった。
怖いはずなのに、痛いはずなのに……。
二人の体は、震えていたのに。
俺が心配しないように
最後まで……俺を守ってくれたんだ。
大丈夫。大丈夫だセイル。大丈夫よセイルって。
それが最後の言葉だった」
セイルの話に涙が落ちそうになる。
「あの日、アルトに助けてもらった日。
俺は魔物を殺したいって思ってた。
魔物が出たらぶっ殺してやるって思ってたんだ。
時計を失くして、俺から父ちゃんと母ちゃんを奪った魔物を殺して
敵を討てたらって……戦えもしないのに
そんな馬鹿な事を考えたんだ」
「……」
「アルトが来てくれなかったら
両親がせっかく命を失くしてまで
俺を守ってくれたのに……。
何もできずに、死ぬところだった。
だからさ、アルトに感謝しているんだ」
セイルはそこでいったん、口を閉じて。
何かを思い出すように、微かに笑った。
「俺は、セツナさんを見て俺の父ちゃんを思い出したんだ」
「え……?」
「だってさ、だって……」
セイルがアルトから視線を外した瞬間
セイルの目から涙が落ちた。
「セツナさんは、アルトを守るために
怪我をするかもしれない
もしかしたら、死ぬかもしれない場所に自らいったんだ。
誰に、命令されたわけでもない。
アルトの為に、アルトが大切だから……。
自分の命を賭けるほど、アルトが大切だから
守ろうとしたんだろう?」
アルトの目が大きく見開かれる。
「俺の父ちゃんと同じだなって。
怖くても、苦しくても、痛くても
泣き言一つ言わずに、歯を食いしばって
俺を守ってくれてた。父ちゃんと同じだなって。
今、セツナさんもアルトと同じように
傷ついてる……。大切な人が悪く言われるのは
本当に悲しい事だから。
それでも、アルトが殺されないように
口を開くなって言われたから、開かないんだ……」
アルトの手がセイルから離れて
ぱたりと音を立てて落ちた。
「俺達は、深く深く愛されていたんだって」
「愛されて……」
「アルトに、俺の父ちゃんが俺に与えてくれた愛情と同じものを
セツナさんは、アルトに渡しているんだって。そう思ったんだ。
だから……。だから、セツナさんはアルトの父ちゃんだって思った。
俺も、アルトもこんなに愛されてる。俺も両親を愛している」
セイルが最後の言葉を口にしたと同時に
アルトの目から、綺麗な涙が零れ落ちた。
「愛されて……。
俺は……」
アルトは俯いて、小さな声で何かを埋めていくように呟く。
「そうか。そうだったんだ。
だから、俺にとって師匠は特別だったんだ……。
同じ家族でも、師匠だけがみんなと違ったんだ。
師匠も、最初から……そう言ってくれていた。
恋じゃないって……。両親の代わりだって。
その時に、家族になろうって……。
家族に……」
アルトの涙は、次々に地面を濡らしていく。
「弟子だからじゃなかったんだ。
それだけじゃなかったんだ。
抱きしめてくれたのも。
物語を話してくれたもの。
撫でてくれたのも。
高価な果物を食べさせてくれたのも
俺のために戦ってくれているのも
全部、全部……そうだったんだ……。
俺が思っている以上に、もっともっと
俺は師匠に、大切にされて
愛されていたんだ……」
アルトが、涙を落としながら
寂しそうにフッと笑った。
そんな笑い方は、今まで見たことがない。
「ずっとずっと、欲しくて仕方なかったものを
誰からも貰えずにいたものを……。
憧れていた……。憧れて、諦めたものを
俺はもう、とっくに手に入れていたんだ。
師匠は俺に与えてくれていたんだ……。
師匠は俺の……」
手に入れて、嬉しいはずなのに
アルトのその笑顔は愁いを帯びているように見えた。
何処か苦しそうに見えるその笑顔に、胸がざわめく。
「父さん……?」
アルトが、大切にとても大切にしていると
感じさせる声音で、憧れを含んだような声で
小さく呟いた……。その声に胸が締め付けられる。
その呟きはとても儚くて……空気に交じってしまいそうだった。
「セツナさんなら、アルトが父さんって呼んでも
こたえてくれると思うけど。喜んでくれるよ」
クロージャが、アルトの肩を叩く。
アルトは顔をあげて、セツナさんを真直ぐに見てから
首を横に振った。
「俺は、師匠を父さんとは呼べない」
「どうして……」
何処か暗い瞳をクロージャに向けて
アルトが淡々と語っていく。
「女性の冒険者が、俺がいるせいで
女性と遊ぶことができなくて気の毒だと言っていた。
師匠の年齢で子育てなんて、どんな苦行だって。
普通、師弟の関係を結ぶのは
15歳ぐらいからだって聞いた。
魔導師の素質があるなら
俺の年齢でも不思議はないけど
俺は剣士だから。
俺が獣人だってことも、あの人が言っている事も
今まで散々言われてきたことだ」
カルロさん達が「そんな女、セツナは相手にしねぇよ。
あいつは、トゥーリ以外興味がねぇしな」と怒りながらぼやいているけど
アルトには聞こえていないみたい。
「ただでさえ、俺がいることで迷惑をかけているんだ。
俺が足手まといなのも知っているし
俺が、師匠の弱点だってのも気がついてた……。
俺がいなかったら、師匠はもっと自由に暮らせてた。
人や獣人族から悪く言われることもない。
黒にだってなれたはずだ……。
だけど師匠は、俺がそばにいていいって言ってくれる。
俺のこの姿がかわ……かっこいいって言ってくれる。
俺は、師匠に褒められるとすごく嬉しい。
嬉しいけど……」
アルトが、ぎゅぅぅぅっと拳を握りしめた。
そして、押し殺したような声でアルトが叫んだ。
そう叫ぶと言っていいと思う。
その声は、さほど大きい声じゃない。
大きい声じゃないのに
胸に突き刺さるかのような鋭さを持っていた。
「師匠が、俺の姿を好きだと言ってくれても!
俺は、俺が嫌いだ!
俺はこの姿が大嫌いだ!!
この耳も!
この尻尾も!
左右違う目の色も、髪の色もすごく嫌だ!」
アルトの心の葛藤とか
ドロドロしたものを、全てまとめたかのような叫び。
「師匠と同じならよかったのに!
俺も人間として生まれたかった!
そうしたら、そうしたら……俺も、俺も……。
セイル達と同じように、父さんって呼べたかもしれない。
醜いアヒルじゃなくて!
立派な白い白鳥になれたかもしれない!
あの大空を、何の憂いもなく羽ばたけたかもしれない!
師匠と同じ白鳥に……。俺はなりたかったんだ」
一息に話した後、アルトは何処か諦めたように
自分の怒りを掻き消してしまった。
「獣人の……それも半獣が子供なんて……。
師匠が可哀想じゃないか……。
俺でさえ、俺が好きじゃないのに。
そんな俺に、父さんって呼ばれるなんて」
誰もアルトに声をかけることができなかった。
だって、アルトの苦しみをここに居る人間には理解できないから。
今伝えればいい。セツナさんは絶対に受け止めてくれるって
口にしそうになったけど……多分これは言ってはいけない言葉。
安易な言葉は、きっとアルトを傷つけるから。
セツナさんが、受け止めてくれることなんて
アルトはとっくに知っている。知っているからこそ言えない。
言えないんだ……。
「だけど……。
それでも、願ってしまう……」
アルトが、俯いて本当に小さな声で
囁くように言葉を紡いだ。
「俺が俺を誇れるようになって。
俺が師匠と肩を並べることができるぐらい強くなって。
師匠のような冒険者になることができたら……。
許されるなら……。
俺の願いを叶えることが許されるなら。
一度だけでいい。一度だけでいいんだ……。
師匠を父さんって……呼んでみたい」
その声は本当に切なくて……。
アルトの心からの願いが、とても哀しく思えた。
「俺を拾ってくれてありがとうって。
俺を育ててくれてありがとうって言うんだ。
それから……」
アルトが、顔をあげてとても綺麗な
そして、未来を想像したのか嬉しそうなのに
儚い笑みを浮かべながら、セツナさんに向けて口を開いた。
「師匠の人生を縛ってごめんなさい……って」
アルトが最後の言葉を口にした瞬間
肌を刺すようなピリピリとした痛みを感じた気がした。
だんだんと空気が重くなるような感覚。
得体のしれないなにかが、襲ってくるような恐怖を感じる。
それは私だけではなく、クロージャ達も感じたようで
顔色を悪くして周りを見る。
アルトも何処か警戒したような表情を見せている。
肌に感じる違和感は、どんどん酷くなっていき
それと並行して、空気も重くなっていく。
「ルーシア! ガキ共を抱えろ!」
カルロさんが切羽詰まったように叫び
その声と同時に、私は兄さんの腕の中にいれられた。
顔だけを動かすと、ルーシアさんがセイルを
アニーニさんが、クロージャを
キャスレイさんが、ワイアットを
そして、ロイールもシュリナさんに守られるように
抱きしめられているようだ。
アルトを見ると、アルトはサーラさんを拒否していた……。
その目にもう涙はなく、不機嫌そうに眉を寄せている。
サーラさんがちょっと涙目なのが可哀想な気がする。
いつも通りのアルトを見て、ホッとした。
アルトはいつもそうだ。感情の切り替えがすごく早い。
それが良い事なのか、悪い事なのか今の私には分からないけど。
舞台から声が聞こえて、視線を舞台へと向ける。
『……』
『あ? 何か言ったか?
俺は口を開くなと言ったよな?』
『僕は黙れと言いました』
『なんだと……?』
俯いていたセツナさんがゆっくりと顔をあげていく。
そして、セツナさんとオルダの瞳が交差した瞬間
オルダが剣を抜いて後ろに下がった。
その顔色はとても悪く。
体が小刻みに震えているように感じる。
それと同時に、私達を取り巻く空気が一段と重くなった気がした。
ちょっと息苦しい……。苦しくて、兄に腕を緩めてほしいと
お願いするが、兄はその腕を緩めてくれない。
「兄さん?」
「静かに……」
小さな声で、兄が私にそう告げる。
兄の体が小さく震えていることに気が付く。
最初は首を傾げるだけの違和感。
だけど、ゆっくり、ゆっくりと闇の中に何かがいるかもしれないと
ベッドの上で想像した時のように、恐怖のような感情が湧き上がってくる。
気のせい……。気のせいと
心の中で、恐怖を散らそうとするけれどうまくいかない。
周りに沢山の人がいるのに、誰も声を発していない。
闘技場全体が沈黙で満たされている。
そんなことを考えている間にも
息がつまるような感覚が酷くなり、コクリとつばを飲み込んだ。
それでも全然楽にならなくて。
何が怖いのかがわからない。
なのに、とてつもなく怖い場所へ
追い込まれていくような気がして
思わず悲鳴をあげそうになるけれど
近くで、兄の大丈夫。大丈夫だという声が聞こえ
何とか持ちこたえる。
自分の体が震えているのがわかる。
歯がかみ合わないくらい、震えているのがわかる。
怖くて、怖くて、怖くて、怖くて、怖くて
その恐怖に耐えるように、兄さんに必死にしがみついた。
それでも、恐怖はなくならない。
重くのしかかってくるものは更に酷くなっていく。
これ以上、ここにいたくない。
逃げ出したい。逃げ出せないのなら
いっそ楽に! と、思った瞬間
意識が遠くなっていくのが分かった。
「ミッシェル」
誰かが私を呼んでいる声がする。
「ミッシェル!」
どこか、切羽詰まったような声が気になって
目を開けようと頑張る、昨日いつ寝たのかなーなんて
思いながら、ゆっくり目を開けると兄が心配そうに
私を覗きこんでいた。
「兄さん?」
「大丈夫か?」
「うん」
どうしたの、と口を開きかけて
今、自分がどこにいるのかを思い出して
慌てて体を起こした。
「ミッシェル、大丈夫?」
アルトが私を見て声をかけてくれたから
頷くと、アルトがホッとしたように笑う。
周りを見ると、クロージャ達も気を失っていたみたいだ。
「どれぐらい気を失っていたの?
なんか、ものすごく怖くて、怖くて
仕方がなかったところまでは覚えてるんだけど」
「ミッシェル達は
師匠の殺気に耐えることができなかったんだ。
今は……リオウさん達、初代の一族? の人達が
結界を張って、師匠の殺気から皆を守ってくれてる。
気を失ってから、そんなに時間は経ってないよ」
「アルトは怖くなかったの?」
「怖かった。すごく怖かったけど。
師匠が怒ったのは、俺の為だって知ってるから平気だ!」
アルトは嬉しそうに笑って、その感情と共に
尻尾も可愛く揺れていた。
私は、アルトの耳と尻尾が好きなんだけど。
可愛いと思うんだけど。そう思うけど。
この気持ちはアルトには内緒。
アルトは、私から視線を外すと
クロージャ達にも大丈夫かと、声をかけて回っている。
クロージャ達も、私と似たり寄ったりな事を話していた。
キョロキョロと周りを見渡すと
酒肴の人達が、顔色を悪くしながら話している。
「あの二人が家に来た時の殺気が
可愛いものだと、フィーが言っていた意味が分かったな」
「もう嫌だ。
俺は、セツナの殺気を浴びるのは二度とごめんだ」
「歯がかみ合わないとか……。
手が震えて笑えてくるとか……まじありえん」
「自殺願望なんてないのに
手が武器に延びるとか……すげぇこえぇー」
「なんか、全部焼き尽くしたくなったっしょ」
「お前、それ迷惑だからやめろ 」
「あのくそどものせいで、俺達が巻き込まれたんだぜ」
「あー。まだ、ドキドキしてるよ」
「子供を抱きしめてなかったら
危なかったかも……」
「あー。守らなきゃって気持ちが強かったものね」
「リオウさん、怖くないので?」
「怖いに決まってるでしょう!?」
リオウさんの声がしたほうを見ると
観客席と舞台を隔てている壁の上に
薄い膜みたいなものが張られていて、リオウさんはその膜に
両手の手の平を押し当てながら話していた。
何時の間に戻ってきたんだろう?
体調はもういいのかな?
「いや、俺達より平気そうだったから」
「慣れているだけよ!」
「慣れ?」
「セツナの殺気は、ジャックとそっくりよ!
だから、私達は多少耐性があるのよ……。
私達一族が、一番にならう魔法がこれなのよ。
ジャックがブチ切れた時の為に
この殺気を緩和する結界魔法よ!」
皆が皆、何とも言えない表情でリオウさんを見ている。
「自殺に追い込む殺気とか……。
そんな人間離れした殺気まで、会得しなくてよかったのに!
すごく迷惑だわ! セツナはジャックよりもまともだと
思っていたのに!」
リオウさんが眉間に皺を寄せながら、文句を言っていた。
「確かに、この年であの殺気はこたえるねぇ」
カルーシアさんが苦笑しながらリオウさんに告げる。
「ジャックの場合は、まだ私達の声が届いたから
やめて、といえばやめてくれたけど。
多分、セツナに私達の声は届かないわ。
まだ、殺気を加減してくれるだけの理性があるようだけど。
セツナが、本気でブチ切れた時の対策を練っておかないと……」
「加減……?」
リオウさんの言葉に驚いたように、ニールさんがリオウさんに問う。
「まだ、ましな方よ。
セツナがジャックと同じだとしたら
私達一族と黒以外は、きっと正気でいられない」
「……」
「嘘じゃないわよ。
それに、子供達の意識が落ちるように
してくれていたでしょう? 心が壊れないように
配慮してくれたのよ。大人には一切の配慮はないけどね!」
「まじかよ……」
カルロさんの呟きが聞こえる。
他の冒険者達を見て見ると、蹲っている人とか
声をかけられている人とか、意識がない人が沢山いる……。
それだけひどい状況だったんだと。
あれより酷いって、どんな感じなんだろうと考えて
想像するのをやめた。体験したくない。
あれが殺気というモノなら
私は二度と、セツナさんの殺気を経験したくない。
『僕が、手を出すと殺してしまいそうだ』
冷たい。そう感じた。
感情というものを排除したその声に
一瞬にして、体温が削られたような錯覚を覚えた。
この闘技場は、気温の管理がされているのに
寒いと感じる。寒い? 体の震えが止まらない。
アルトがそんな私やクロージャ達を見て
心配そうに眉を下げる。そして何かを思いついたのか
ベルトから何かを取り出しそれを地面に刺していた。
あれは、確か結界を張る魔道具だったような気がする。
その魔道具が起動した瞬間、体の震えが止まった。
「大丈夫?」
「うん。楽になったみたい。
ありがとう」
ワイアット達もアルトにお礼を言い
アルトが頷いて答えていると、リオウさんが
恨めしそうにアルトを見ていた。
「私の努力っていったい……」と呟きながらも
苦笑して、結界を張り続けている。
アルトが張った結界は、黒のチームと関係のない
冒険者には適用されていないみたいだったから
結界を解くことはできないのかもしれない。
『謝る。謝る……か……ら』
必死に言い募る声に、皆が視線を舞台へと向ける。
舞台では、地面にお尻を付けながらゆっくりと
セツナさんから距離を取っているオルダとグリキア。
「今更、謝ってもおせーんだよ馬鹿が」
カルロさんが鼻で笑った。
『謝る? 謝ってもらわなくても結構。
僕は、元々許すつもりなどない』
オルダ達が必死に何かを言っているが
セツナさんは、感情の籠らない目を二人に向けながら
何かの呪文を詠唱し始める。
その詠唱と同時に、舞台の上に巨大な蒼い魔法陣が二つ浮かんだ。
『弟子の訓練用に用意したものだけど
性能を試す機会を得たと思いましょう。
せいぜい、僕の役に立ってください』
そう告げて薄く笑い、セツナさんは詠唱を再開させた。
詠唱と同時に、セツナさんの周りに風が吹き
彼の漆黒のマントをはためかせる。
セツナさんの瞳には、何時もの優しい色はなく。
間近で見つめてしまえばその深淵に引きずり込まれそうな
暗い色を湛えていた……。
「師匠……」とアルトが不安そうにセツナさんを呼ぶけれど
その声が届いた気配はない。
ゆっくりと鈍い光を、蒼の魔法陣が放ち始め
セツナさんが、静かな抑揚のない声を発した。
『ギルス』
セツナさんの言葉に応えるかのように
一つの魔法陣の輝きが増した。
『ヴァーシィル』
まるで呼びかけるかのような声に
もう一つの魔法陣も輝きを増す。
両方の魔法陣が、キラキラと煌めき
目を奪われるが、次の瞬間、悲鳴を上げるのを必死にこらえた。
巨大な魔法陣から、ゆっくりと姿を現す二つのモノ。
まだ、体の一部しか現れていないのにその大きさに息をのむ。
舞台の上にいるオルダ達も
舞台の外側にいる黒達も
そして、観客席の誰もが息を止めその姿が現れる様を
ただ見つめていた。
見つめることしかできなかった……。





