『 自覚 』
【 ウィルキス3の月30日 : セツナ 】
舞台の上に居る冒険者が二人となった時点で
休憩がとられることになった。怪我人が多すぎて
医療院の職員の手が回らないようだ。
どうせ、後二人で終わるのにと思いながらも
これからが本番だったと考え直して、ここで休憩を入れるのも
悪くはないかと思った。
喉元に手を当てて、先ほどの渇きを思い出し
違和感が残っているような気がして、水を飲むことに決めた。
フゥ となんとなく肺から空気を追い出し
新しい空気を、肺に入れ一呼吸おいてから
水を口に含み、ゆっくり喉を通す。
コクリと音を立てて、胃へ落ちていく水に
なんとなく安堵した瞬間
また耳の奥でカサリと音が鳴った気がした。
その雑音に、不快な気持ちが湧き上がるけど
どうやって消せばいいのかなんてわからない。
うっすらと、眉間にしわが寄った感覚に
自分でも驚くほどに、気になっているらしい。
水を飲んだばかりなのに、渇きを覚えて
もう一口、口に水を含むけど満たされた感じがしない。
どうしようかと思いながらも、何となく纏わりつく
気持ち悪さに、思わず空を見上げた。
ぼんやりと空を見上げていると、僕の方へタッタカと
軽快な音を響かせて、アルトが手に何かを持ちながら
僕の方へと走ってくる。
息を切らせることなく、僕の前に来て
嬉しそうに、持って来た食べ物? を渡そうとしてくれるけど
それはいったいなんていう食べ物なの?
蛸? 烏賊? のような足が串に刺されているそれを
食べる気になれなくて、アルトに食べるように促すと
アルトは嬉しそうに頷いて美味しそうに食べていた。
どんな味がするの? と聞いてみたかったけど
一口食べる? といわれると困るから黙って見ていた。
ほんとにあれは、何だったんだろう……。
食べるものが消えると、アルトは視線を水槽へと向け
目を輝かせながら、水槽の中で泳ぐ魚や魔物を
凝視していた。
忙しなく走り回る医療院の職員や、僕達に集中している視線を
全く気にすることなく、気にかけることもなく
アルトが、機嫌よく僕に次から次へと話しかけてくる。
水槽の中の魔物の事だったり、植物だったり興味が赴くままに
尋ねてくるアルトは、何時もより気分が高揚しているようで
何時もより、尻尾の動きが激しいのを横目で見ながら
アルトに答えを返していく。
あれだけ、冒険者達を痛めつけるところを見せたにもかかわらず
アルトの目の中に、僕に対する恐怖や畏怖など一欠けらもなく
唯々、キラキラとした瞳を僕に向けてくる。
周りの、アルトと同年代ぐらいの冒険者候補の子供達だけでなく
ベテランといわれる冒険者ですら、隠そうとしていても
その目の中に恐れを抱いているのが見て取れるのに。
黒のチームの人達も、鳥を通して見たところ
今までとは違った感情を
瞳に浮かべてはいたけれど、それを隠すことなく
真直ぐに舞台に居る僕にぶつけて、笑ってくるところは
さすがに黒のチームという事なんだろうか?
ただ……自分の好奇心や欲求を満たす方に
意識が向いているのかもしれないけれど……。
特に酒肴は、その可能性が無きにしも非ずかもしれない。
アルトの話に頷きながら、魔法で作った鳥たちから送られてくる
周りの情報を頭の中にいれていき
あらかじめ用意していた、台本の修正を施していく。
この日の為に、鳥を使って僕達に関する情報を集めに集めた。
やると決めたからには、手を抜くつもりはないし
抜く必要性も感じない。
僕に向かって、存在を誇示するかのように叩きつけられる視線と牽制。
黒達から送られてくるそれらの意味に気がついてはいるけれど
今更、引き返す気はない。
僕の立場がどうなろうと。
誰に何を思われようと
誰が犠牲になろうと
誰の人生を潰そうとも
興味はない。
今、僕に罵詈雑言を放っていた冒険者達は
強制的に与えられた噂とは相反する情報を
処理するのに必死になっているはずだ。
特に、僕やアルトを狙う計画を立てていた者達は
狩る側から、自分達が狩られる側にまわったことを十分理解しているはず。
どうすれば僕から逃げきれるのか……。
自らの保身に、知恵を絞っている事だろう。
考えるだけ無駄なのに。
誰一人……逃すつもりなどないのだから。
その為の魔法も、もう仕掛けてある。
彼等の処分は、大会が終了してからで十分だ。
この休憩中は、動くつもりはなかったけれど
そうもいかないようだなと、嘆息する。
チームのメンバーを傷つけられた怒りか
恋人を再起不能にした恨みの視線かと
少し観察していたけれど、どうやらそうではないらしい。
自分の魔法を喰らって大火傷をした彼の傍に居る
女性からの強い視線、魔導師を心配し哀しむ素振を見せながらも
僕に向ける視線は野心に溢れている。
そういえば、彼女もアルトに間接的であれ
危害を加えようとしていた一人だったことを思い出し
その時の会話と情景から、わざわざ鳥をつけなくても
どういった行動をおこすのか、手に取るようにわかった。
わかりたくもないけれど。
計画していたことを、前倒しにしてもいいかなと考え
内心、面倒だと思いながらも
周りに僕の魔力を感知させないように
注意し、必要になるであろう魔法を構築し準備を整えながら
愚かだなと、僕を見ている女性の視線を流す。
あれだけの光景をみていながら
どうして、自分は大丈夫と考える事ができるんだろうか?
僕はそんなに甘い人間に見えているのだろうか? と考え
見えているんだろうという結論にたどりつく。
基本、そう見えるように振舞ってきたのもある。
アルトの手前、巨大な猫を数匹飼っているのだから
仕方がないかと心の中で嗤った。
全てを、演じているわけではないし
全てを、演じていないわけでもない。
子供が好きな優しい人。
好きか嫌いかの二択なら、好きなんだろうけど
子供を構い倒すほどの子供好きではない。
子供は、守られるべき存在だと認識しているだけ。
依頼がかち合っても、相手に譲り
争い事を厭う人。もしくは負け犬。
争っている暇があるなら、別の依頼を探したほうが
早く済むし、面倒がないだけ。
いつも笑みを浮かべている穏やかな人。
もしくは、怒れない気弱な腰抜け。
笑みを浮かべているからといって
穏やかだと決めつけるのは、浅はかではないだろうか。
心の奥底では、碌な事を考えていないのに。
僕の声や表情に現れている感情が、全て嘘で固められているかも
しれないなどと、多分考えもしないんだろうな。
僕の噂を思い出して、思わず嗤ってしまいそうになる。
真実を語ろうと、嘘を語ろうと
気にもかけないのなら、全て嘘でもいいじゃないか。
敵に見せる【僕】など、それで十分のような気がする。
まぁ、その前に興味のない相手と語り合うこと自体
ありえないけれど。話したいことがあるといわれても
付き合う気など全くない。
結局は、自分の都合のいい事しか信じないのだし。
僕に強い視線を向けている、彼女のように。
それが自分の首を絞めていたと、気が付くのは
全てが終わったあと。取り返しがつかなくなってから。
しっかり、自分で裏を取る人間ならば
真実と嘘の割合でいえば嘘が多い噂に
本当の事がわからなくとも、流されずにいる冒険者も居るし
真偽がわからないのなら、我関せずという冒険者も多い。
最低限の情報で、自分がどう動くべきか
何が最善かを、判断し動いている冒険者もいるのだから。
噂に踊らされて、楽しそうに踊る冒険者の
自業自得といえるんじゃないだろうか?
同情する余地もない。
黒達に至っては、適当についた嘘が通用したことは一度もない。
特に、エレノアさんは的確に僕の嘘を見抜いてくる。
見抜いているくせに、何も言わない。
何も言われないのだから、僕も何も気にしない。
黒達の、許容範囲ならば彼等も気にしないように
割り切っているようだ。
適度に真実をちりばめて
仄暗い真実は、心の奥底へ。
僕が奥底に沈めているモノを探って来る時もあるけれど
僕の過去や正体は
この世界の住人に見せるつもりは更々ない。
見せたところで、理解などできないだろうし
理解できるなどと言われたら、それが誰であれ殺したくなるだろう。
お前達に僕達の何がわかるというんだ と。
アルトであろうとトゥーリであろうと
僕の心の奥底は覗かせない。
知ったところで害にしかならない。
ならば、僕の本心を知るのは、かなで だけでいい。
アルトと話しながらその裏で
黙々と、彼女の人生を狩る準備をしていると
また、脳の奥にこびりつく様なカサリとした音が鳴った。
その影響なのか、思考が乱されるような違和感に
思わず拳を握り込む。視界が揺れるような感覚に
軽く眼を閉じてやり過ごした為に、アルトへの返答が
少し遅れてしまった。
「師匠、聞いてる?」
アルトが、下から僕の顔を覗き込むようにして
視線を合わせてくる。アルトから意識が外れたことに
不満を持っているようだ。
幸い、アルトは何も気が付いていないようで
内心、ホッとしてアルトと視線を合わせた。
最近のアルトは、以前に比べて負の感情を多く出すようになった。
拗ねて見たり、不貞腐れて見たり。本気ではないその態度に
僕との距離を模索している姿を、微笑ましく眺めていた。
自分の感情を、ゆっくりとではあるが僕にぶつけてくると同時に
僕の感情を読もうとするように僕の目を今まで以上に
見るようになった。少しの揺らぎも見逃したくないというように
僕を見るアルトに、苦笑が浮かぶことも多くなった。
できるだけ、アルトにわかりやすいように
感情を出すように心がけているけれど、感情を隠すより
感情を出す方が難しいと最近気がついた。
師匠の感情の動きが、全然わからない!
などと、プンスカ怒るアルトに黒や黒のチームの人達が
溜息を吐きながら、同意していた姿を見て思わず笑ってしまった。
そういった技術や隠し方は、花井さんとかなでから
受け継いだものだ。まだまだ、未熟なところはあるけれど
そう簡単に、読まれてはたまらない。
アルトがブツブツと、僕に文句を言い
別にそこまで、しなくてもいいんじゃないのと
思わなくもないけれど、アルトの友人達が自分達の大切な人の
目を見れば、その時の機嫌がわかると自慢しあったせいで
アルトもわかるようになりたいらしい。
アルトならそのうち、わかるようになるんじゃないかな。
多分。キットネ と告げるといい方が気に入らなかったらしく
わかりやすく拗ねていた。
機嫌を取れば、照れながらも喜んだり
放置すれば、いじけたりと可愛らしい一面を見せるようになった。
正直、見ているだけで面白いなぁと思わなくもない。
「聞いてるよ。カルロさんに転移した
マグロがキューブに入れられたんでしょう?」
「うん」
マグロを見て、錯乱しかけていたカルロさんを目に入れて
後々面倒になるだろうと思い、マグロを転移した。
食べ物の恨みは恐ろしいというし……。
この世界のマグロの姿は知ってはいたけれど
本物を見たのは初めてで、かといって日本でマグロを
見た事があるのかと言われたらないんだけど……。
なんというか、この世界のマグロは強そうだった。
魔物と同じ海域にいるのだから
強くないと生き残れないのはわかる。
だけど、あれを釣り上げたいとは
きっと、誰も思わない。
チラリとアルトを見て
アルトなら釣りたいといいそうだと考え
すぐにその考えを振り払った。
余計なフラグは立てないほうがいい。
嬉しそうに大きく手を振るカルロさんを
僕は見なかったことにしたけれど、アルトは楽しそうに
両手を上にあげて応えてあげている。
「師匠は、今日の晩御飯
マグロとダルクテウス、どっちがいいと思う?」
僕が歩き出したのを見て、手を振るのをやめ
僕に追いつき、真剣な目を見せながら
夕飯の事を僕に尋ねてくる。
僕が、頭の中で物騒な事を考えながら
魔法を構築していることなど
アルトに悟らせるはずもなく、何時ものように
食欲に忠実なアルトの問いに、小さく笑いながら口を開く。
「大会が終わったら、屋台が沢山並ぶはずだけど
アルトは、屋台で食べるんじゃないの?」
酒肴の屋台は用意できなかったらしいけど
ギルドの唐揚げの屋台は、出るらしいし
楽しみにしていたと思うんだけど。
そう思いながら、首をかしげてアルトと視線を合わせると
数回瞬きしてから、忘れていたという表情を見せた。
「そうだった!
から揚げ食べないと!」
「エリオさんが
ご馳走してくれるんでしょう?」
「うん!
ちゃんと、師匠の分もおごってもらうから!」
それは、どうなんだろうと思いながらも
御馳走してくれるのなら、してもらおうかなと考え
頷いておいた。
エリオさんやビート、酒肴の若い人達は
僕に賭けると言っていたから
僕が負けない限り、懐が潤うはずだ。
遠慮する必要もないだろう。多分。
僕も自分自身に賭けている。
アルトは、酒肴の人達に誘われて賭けたようだ。
この世界では、普通に娯楽として賭け事が行われている。
身を亡ぼす、もしくは違法な賭け事などは論外だけど
ギルドが主催する大会や催しなどの際に
おこなわれる賭け事は、子供が参加しても誰も何も言わない。
親と一緒に、予想して楽しむものだと認識されているようだ。
「から揚げ楽しみだなぁ!」
楽しそうな声と、その笑顔につられてしまったのか
「楽しみだね」と告げ、小さく笑ったその瞬間
カサリ、カサリと何かが崩れていく音が唐突に消えた。
頭の中に響いていた、不快な雑音が跡形もなく
脳内から消え去っていった。
なぜ消えたのか不思議に思いながら
思わず、喉の辺りに指を滑らせると
それを見たアルトが首をかしげながら「喉が渇いたの?」と聞く。
アルトの問いに首を横に振り「渇いてないよ」と答える。
喉の渇きは、妙な食べ物を差し出されたときに
とっくに癒えていたから……。
魔法の構築も終了し、完全にアルトに意識をむけ
アルトの頭を軽く撫で、撫でられたことに満足したのか
アルトが一度尻尾を振り、僕を見上げながら口を開きかけて閉じる。
ピンと立てた耳が器用に動き、音のする方向へと顔を向けた。
パタパタとこちらに向かってくる足音は、二人分。
大会を中断してから、ずっと窺うようにこちらに視線を向けていた
見習い医師の二人。こちらに来なければいいと考えていたけれど
こういう時の勘は外れることがなかった。
「セツナさん!」
少し息を乱しながら、僕を呼んだ女性に顔を向けると
瞬時に頬を染め、その瞳の中に甘い感情を含んだ熱を見つける。
それが何を意味しているのか、気が付かないほど鈍くはなく
だからといって、その感情に応えるつもりなど全くない。
トゥーリ以外の女性に、僕の気持ちが向くことはない。
人間の女性に、興味すらわかないのだから
恋情を抱かれようが、告白されようが
僕の心には、さざ波一つたったことはない。
それが、トゥーリを深く想っているから
その他の女性に、興味が移らないのだと考えていたけれど
それだけではなかった。
どうやら、人間や獣人の女性に対して性欲を覚えないように
魔法で枷をかけられていたようだ。これが、女性だけなのか
同性にも適用されるのかは、そんな感情を抱いたことがないので
わからないし、わかる必要もない。
どうして僕に、そんな枷がつけられたのかという理由など
心底どうでもいいから調べようとも思わない。
知ったところで、どうせ碌な理由じゃないだろうし
トゥーリには、反応するのだから何の問題にもならない。
これが竜族も対象だったなら
枷を外す方法を必死で探したかもしれないけど。
人間にとって、竜族は神の使いだからそういった対象に置くことは
なかったのかもしれない。
それに、この枷は外せるものだ。
魂に刻み込まれていたのなら
蒼露様が教えてくれていたと思うし
無理矢理、竜紋を浮かび上がらせた時に
襲われないようにとか言わないだろう。
普通なら深刻な問題なんだろうけど……。
魂に刻まれていないのならば、何とかできるだけの
知識も技術もある。
この魔法が、召喚と同時に魂に刻まれたものなら
一生とけることはなかっただろうけど。
蒼露様が、僕にこの魔法の存在を告げなかったのは
トゥーリという存在が居るという事と……。
あの時、あれ以上、僕に精神的負荷をかけたくなかったんだろうと思う。
ああ、そうか。
だから、あの時リヴァイルが僕にかけた呪いを
僕にわざわざ教えたのか。言葉の枷を僕にかけたのか。
僕の心が、安定するまでの保険として……。
悪意ある魔法は、どんなものであれ傷つくものだから。
蒼露様の心遣いに、心の中で苦笑する。
普通、僕やカイルがかけた魔法でなければ
気がつくはずなのに、最近まで気が付かなかったのは
僕の体にかけられたものではなかったからだ。
カイルが僕の体に、色々と仕掛けているだろう魔法は
魔力の元が同じだから探すのが酷く難しい。
探そうと思えば探せるけれど
カイルが僕に害のある魔法などかけるわけがない。
唯一、害のある魔法といえば
リヴァイルがかけた呪いぐらいだと思っていた。
僕の魂を覆うようにかけられたいくつかの闇魔法。
今のところ、何の問題もないからそのままにしている。
これを剥がそうと思ったら
リヴァイルの呪いまで剥がれてしまいそうで
そうなれば、面倒なことになるのがわかっているだけに
問題がないなら、このまま放置しておこうと結論付けた。
「セツナさん?」
呼びかけに返事をしなかったからか
もう一度名前を呼ばれる。思考の海から浮上して
ゆるく瞬きをしてから、彼女の顔を見て返事を返す。
「ああ、申し訳ありません。
僕に何か用ですか?」
彼女達が、僕に何を告げに来たのかなんて
聞かなくてもわかっているけれど
僕から話を振る気などない。
僕の意識が、彼女の方に向いたのが
嬉しかったのか、その頬を先ほどよりも赤く染める。
はにかんだ表情を見せる彼女を
何時ものように、笑みを見せながら
彼女の口が開かれるのを待った。
体温をあげる彼女とは反対に
僕の内心は、冷えていく一方だけど。
冒険者達の容体に興味はないが
医師としての役割を考えるのならば
ここでその感情を僕に向けられるのは嫌悪しか感じない。
表情に出すつもりはないけれど。
僕から視線を外し、隣にいるもう一人に顔を向け
どちらが話すかを視線で話し合っているようだ。
まだ時間がかかるらしい。
なんとなく、僕に恋心を向けてくれている二人を
視線はそのままで、彼女達の頭から爪先まで眺め
やっぱり、無いなと心の中で思う。
カルロさん達がいうには
好意を持たれていると感じたら
胸がキュンキュンするらしい。
正直、頭がわいているんじゃないかと思ったことは
誰にも言えない。
もう一度彼女達をみて
その目の中に、僕に対する好意を見つけても
何も感じることはなかった。
姿形が良くても
性格が良くても
気が合うとしても
相手が僕を愛してくれていても
人間を抱こうだなんて
想像するだけで気持ちが悪い。
僕は……。
流されそうになる思考に、思わずハッとする。
これ以上は、考えないほうがいい。
思考を止めたほうがいいと、頭の隅ではわかっているのに
そういうものに限って、止まらないのは何故なんだろう?
喉の渇きや指の震え。
そして、よくわからない音に触発されたのか
深く深く沈めたモノが、ゆっくりと浮かび上がる。
こんな時にと、自分自身に少し苛立ちながらも
思考が止まることはなかった。
魔法をかけられていると知るより前に
気がついてしまった事実に……。
その事に、気がついた日は何時だったのか。
多分、アルトと仲違いする前の事だったはずだ。
切っ掛けは、女子会ならぬ
男子会? での会話だったような気がする。
僕がもう、この世界の人間を
僕と同じには見れなくなっていると
自覚したのは……。
セリアさんに聞けば、男子会を開いた日が
何時だったのか教えてもらえるだろうけど
聞く必要もないだろう。
精神的に疲れたら、深く眠ることで
精神を整える僕が、眠ることもできないほどの
衝撃を受けた日など。忘れることができるなら
何も知らない時に、戻すことができるなら
迷わず望むだろう日を、覚えている必要はない。
その日を忘れたからといって
受けた衝撃や衝動は、一切薄れることなく
そして、忘れたくてもことあるごとに
これからも、浮上してくるんだろう。
今みたいに。
「あぁ、なるほど……」
誰にも聞こえないほどの声音ででた声。
大会が始まる前の、セリアさんの態度や
無理矢理に視線を合わせてきた様子。
僕のかける魔法を根掘り葉掘り聞きだし
涙を落としながら、僕が独りになるのを嫌がった。
真直ぐ、真剣な眼差しを僕にむけたセリアさん。
そうか、そうだったのか。
セリアさんは、僕が狂い始めていることに気がついていたのか。
だから、あんなにも心配していたのか。
その瞳を、不安で揺らすほどに。
あの日以降、立て続けに問題が浮上して
自分よりも大切な存在が、傷つき泣いていたから
自分の事を後回しにしたんだった。
無理矢理、心の底に押し込めた気がする。
かみ砕くことも、飲み込むこともせずに。
断片的にその記憶が浮上したのは、クオードさんを手伝うと
決めた時だ。
病気の子供を助けようと思えた自分に
心の底から安堵した。その根本的理由を
今、思い出した。
『俺達と飲まないか?』
アルトが寝たのを見計らって、酒に誘われた席で
彼等が贔屓にしている、花街の女性の話を聞いていた。
酔いが回っているせいか
結構、赤裸々な話を聞かせてくれるわけだけど
聞いているこちらが居た堪れなくなるくらいの
表現に、唖然としたのを覚えている。
誰がとは言わないけれど。
セリアさんは、僕にしか見えないようにして
キャーキャーと騒いでいた。男子会なのに……。
その時はまだ、自分に魔法がかかっているとは
思っていなかったし、自分の根本にこの世界への
憎悪があるのは受け入れていたし、僕にとって
どの種族でも違いはないと思っていたんだ。
切っ掛けは……。
誰かが、トゥーリとの関係を僕に聞いたとき
トゥーリが人間として語られていることに
激しい嫌悪と憤りを感じた。
人間と一緒にするな……と。
そう思ってしまったことに動揺し。
自分の中にある感情を知って愕然とし。
この世界の人間という生き物を
僕が受け入れられないと自覚した瞬間だった。
この世界の住人からすれば、僕の方が異分子で。
人間の姿をしたナニカ。
だけど、僕から見たらこの世界の人間は
人間の姿をした得体のしれないナニカ。
そう決定づけられた瞬間だった。
その時、自分に何らかの魔法がかかっていないか
隅から隅まで調べた。魔法のせいであればと
思っていたのだと思う。
確かに、魔法はかけられていたけれど。
かけられた魔法を調べてみても
人間や獣人に性欲を覚えないだけで
嫌悪したり、されたりといった魔法はかかっていなかった。
だとすれば、問題があるのは僕の心の方なのだと
認めないわけにはいかなくなった。
この世界の人間に対して
不本意で失礼な考え方だと思いながらも
ここまできてしまえば、もうどうしようもなかった。
この世界にたった独りではないという
居場所が欲しかった。どこかのカテゴリーに入りたかった。
胸の中に広がっていく、孤独と喪失感を感じながらも
それでも、この世界を憎悪することをやめることができない。
矛盾した思考が、僕の心を食い荒らしていく。
喜怒哀楽がなくなったわけではない。
楽しいことは楽しい。
嬉しいことは嬉しい。
哀しいことは悲しい。
そして、強い怒りももちろん感じることができる。
ただ、僕の感情や思考が、憎悪に侵蝕されていくような感覚。
残酷な様を、残酷とは感じなくなった。
なぜ僕が、この世界の人間を助けるんだろうという問い。
助けなくてもいいじゃないかという葛藤。
憎悪のままに殺してしまえばいいという衝動。
きっと、生涯をかけても消えない憎悪を認め
僕は全ての理から外れた存在なんだと気がつき
知らない振りをできなくなった時から
僕の世界は、少しずつ変質していったんだろうと思う。
いや、その前から予兆はあった。
悪い意味で、開花した切っ掛けがあの時というだけで
ずっと、ずっと前から、ゆっくりと……。
心の中に有る憎悪を免罪符として
孤独を、焦燥を、望郷を、絶望を忘れるために
嗜虐的な殺戮を繰り返す生き物に成り果てるかもしれない。
こんな僕の為に、涙を落とし
加護をくれた優しい元女神も。
僕の領域には、決して入らず
本心を語らない僕に、溜息をつきながらも
僕と共にあることを望んでくれた黒と黒のチームの人達も。
アルトを引き取りたいと願っていただろうに
僕に預けてくれた、獣人族の長達も。
国を守るために、今この時も戦っているだろうに
手を貸してくれとは、一言たりとも口にのせることはなかった
リペイドの人達も。
僕を尊敬してキラキラとした眼差しを向けてくれるアルト。
いつも僕を優先して、僕の望みを叶えてくれるクッカ。
そして……トゥーリをも……。
全てを壊しつくすまで止まらない化け物に。
頭が、狂う事を拒絶する。
心が、狂う事を切望する。
僕の前には、二つの選択肢。
殺すという道と殺さないという道。
僕の前には、光り輝く二つの道があって
その道の前で、独りたたずんでいる。
殺す道に行こうとして、頭が行くなと命令するから
その道を魔法で潰し、殺さない道を行こうとすると
心が泣き叫び、無意識にその道を魔法で潰す。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も
同じ場所で、果てしなく同じことを繰り返す。
それを繰り返しているうちに
光る道はすべて黒くなり
どちらの道が、殺す道で
どちらの道が、殺さない道か……。
僕しかいない、真黒な空間で
全ての光を、魔法で塗りつぶしてしまった僕は
その場から一歩も動くことができなくなった。
だって、道は僕が潰してしまったから。
僕にとって楽な道は
大切な人にとって、最悪の道になり。
僕にとって苦しい道は
大切な人にとって、最良の道になる。
頭は、後者を選べと命令し
心は、前者を選べと泣き叫ぶ。
叫ぶ心がうるさくて、何本も何本も
心に短剣を突き刺すけれど、血が流れるだけで
叫び声は静まらない。
黒い空間に浮かぶのは
光りの道ではなく、辺り一面僕の血の海。
血の海の中
僕はやっぱり、独りでたたずんでいるんだ。
もう、何処に道があったのかすらわからない。
踏み出せば、何処にたどり着くかがわからない。
どうすれば。
どうすればいい?
花井さんなら、どうしただろう?
かなでなら、どうしたんだろう?
この奥底にある、どうしようもないほどの
狂気をどうやって沈めたんだろう……。
教えてよ。
教えて……。
狂いたくない。
狂いたくないのに。
【僕】が【僕】に喰われていくよ。
『助けて……』
『かなで……』
初めてそう願った……。
無意識に、救いを求めていた自分に
心の中で失笑し、思考を停止した。
その夜の会話は、それ以降あまり覚えていない。
だけど僕はずっと笑えていたようだ。
何時もより機嫌が良かったなと。
楽しそうに笑っていたなと。
次の日、黒のチームの人達がニヤニヤと話していたから。
黒達に気が付かれた様子もない。
全員が酔いつぶれた部屋で。
賑やかな寝息を聞きながら
一睡もすることができずに
ただ同じことを繰り返し考え
明け方まで飲んでいたことを
彼等は知らない。
僕も独りだと思っていた。
セリアさんの存在すら、今まで忘れていた。
何も話さず。
ただ、僕の傍でセリアさんは
寄り添ってくれていたんだろう……。
「師匠?」
アルトが僕の服を少しつまんで
クイクイと引っ張っている。
「大丈夫?」
「うん?」
「なんか、ちょっと疲れてる?」
アルトが僕の目をじっと見て
そう告げる。心配そうに僕を窺うアルトに
笑いながら大丈夫と伝えると、頷くけれど
まだ僕をじっと見ている。
そんなアルトを見て
いつか、アルトは僕の中に有るものに気がつくかもしれない。
その時、アルトは僕の事をどう思うだろうか?
最近の僕の状態を思い返してみて
今はまだ、拒絶というほど酷いものではないようだ。
自分が、人間と素肌をあわせることを考えると
吐き気がするほどの嫌悪を感じるだけで。
普通に話すこともできるし
触れたり、触れられたりするのも今のところは問題がない。
綺麗なものは綺麗だと思うし
可愛いものは可愛いと思う。
だけどそれは、感想であって
熱を持つことはない。
この先どう変化するかは、僕自身にもわからないけれど。
この感覚はもう消えないだろうなという事だけはわかった。
他の種族は大丈夫なようだ。
精霊や獣人族、竜族には
人間に感じるような、嫌悪は覚えない。
その事に、少し安堵した。
きっと、地球には居なかった想像上の種族だから
初めから、僕とは別のモノだと認識していたからかもしれない。
僕と同じじゃなかったから。
反対に受け入れることができたんだ。
精霊も竜族も、姿形は人間と同じなのに
纏っている空気というか、持っているオーラというものが
人間ではないと僕に教えてくれるから。
まだ僕を見ているアルトを見つめながら
ここで踏み止まらなければ、と思った。
狂気に傾きそうになる天秤を、無理やりにでも正気へと傾け
壊れていく【僕】を【僕】が喰らおうとも
【僕】は【僕】でいなければ。
そのすべてを享受し
狂いながらも狂わないように
最後の一線を死守するよ。
それが、どれほど苦しくとも……。
僕の全てが喰い散らかされても
その残骸をかき集め、叫ぶ心に磔よう。
嘘が多い僕の、数少ない真実を守り抜くために。
狂い切ったその時の、決断を違わぬために
誰の為でもなく。
僕の為に。
「ししょー」
「どうしたの?」
「何でもないけど」
何かを感じ取っているのか
首を小さくかしげて、僕を見上げるアルトに
何時ものように、笑いかけたつもりだったけれど
アルトは、驚いたように目を丸めて
僕から視線をそらさなかった。
輝ける星が、このまま輝いてくれるように。
いつか、アルトとトゥーリが僕以外の居場所を見つけるまで。
血の海と共に、あろうじゃないか。
一度目を閉じ、ゆっくりと目を開ける。
飲み込んでしまえば、受け入れてしまえば
あとは、決めたことを実行するだけ。
『かなで、僕はまだ大丈夫。
心配はいらないから……』
なんとなく、かなでが 無意識に助けを求めてしまった僕を
心配している気がして、心の中で呟いてみた。
あの時、全てを後回しにしてよかったのかもしれない。
僕の心は、自分で驚くほど凪いでいる。
今の状態が、良いのか悪いのかはわからないけれど。
大きな反動が来ないことを祈りつつ
とりあえずは、僕達の敵を駆除しなければ。
先ほどは、うまくいかなかった思考の切り替えを
容易く行えたことに、内心溜息をつきながら
まだ僕を、見つめ続けているアルトを呼んだ。
「アルト」
僕の呼びかけに、耳を微かに動かして。
本当に小さい声で「師匠」とアルトが呟き
何かに気を取られているアルトを宥めるために
アルトの耳を擽るように指で撫でると
やっぱり、擽ったかったのか
「ぎゃー!」と叫んで僕から離れた。
その一瞬で、何かを気にしていた
アルトの気がそれたのか、プンプンと怒りながらも
空いた距離を縮めて、僕の手をぎゅっと握り
引っ張るように歩き出す。
僕の近くに、医療院の見習い医師が居るんだけど
どこか、放心したように僕を見ているだけで
話しかけてこないから、もういいかと考え
アルトに促されるまま歩き出した。
「あ……」
僕が行動をおこしたことで
我に返ったのか、彼女達が言うべきことを
思い出したようだ。
背中を向けかけた僕に、放たれた言葉は
予想通りの言葉だった。





