『 渇く心 』
【 ウィルキス3の月30日:セツナ 】
沢山の人間がいるはずなのに
僕の耳には、叫び声とうめき声と助けを求める声ぐらいしか届かない。
先ほどまでは、煩いくらいに憎悪と共に罵詈雑言が届いていたというのに。
特に深く考えもせず、ゆっくりと視線を動かして周りを見る。
舞台の中から、しっかりと周りを見るのは今が初めてだ。
相当広いこの闘技場のほとんどの席が埋まっているのを舞台から見るのは
何処か不思議な感じがした。
これほどたくさんの冒険者が
一堂に会することなど平時には大会ぐらいしかない。
ギルドが主催する催しは、年に数回行われるらしいけど
その中で、4年に一度開かれるこの大会と
この大会がない年に開かれる大会は、冒険者もリシアの人も
そして他国の人も楽しみにしている人が多いと聞いている。
4年に一度の大会は、冒険者しか観覧できないけれど
大会が終わった後に、開かれる盛大な催しを心待ちにしているようだ。
芸人一座や歌姫、吟遊詩人が催す芸や歌や芝居を楽しみにしている人。
沢山の屋台が並ぶ、料理を楽しみにしている人。
ギルドが武器や防具、魔道具などを在庫処分として相当量を安く提供
されるのを心待ちにしている人もいる。
特に冒険者にとって、質のいい武器や防具、魔道具を手に入れるのは
大切なことで、この日の為に貯蓄して購入する人も多いはずだ。
日々、鍋だフライパンだと騒いでいる酒肴でさえ
武器と防具の新調と魔道具の補充をするための資金は確保しているようだ。
今頃、闘技場の外や町では大会が終了してからの
準備に忙しい人もいれば、大会が終わるのを今か今かと心待ちに
している人も子供達も沢山いるんだろうなと、別に考える必要が
ないことを考えながら
火に巻かれ踊るように、動いている冒険者をなんとなく眺めてた。
ヤトさんの命令を耳に入れながら
医療院とギルドの人達が慌しく動き冒険者達の治療を行っている。
酷いやけどに、叫び声をあげている冒険者に
回復魔法をかけながら、担架で運び出し
土の槍に貫かれ、痛みで暴れようとする者を
魔法で縛り動けないようにしてから治療にあたる。
時々、医療院の若い人達が僕を見るけれど
僕はあえて視線を合わさなかった。
彼等が何を願っているかなど、考えなくてもわかる。
だけど、僕はあのモノ達を治療する気など更々なかった。
ヤトさんが、医療院とギルドの人達にまかせ
舞台の上に残っている、冒険者へと声をかける。
それぞれが、この状況を整理するのに頭を使っているのだろう
ヤトさんの問いに、簡単に頷く事しかしていない。
もっと真剣に、ヤトさんに答えていれば
違う道が開けたかもしれないのに……愚かだなぁ。
少し俯き、クスリと嗤ったところで
ヤトさんが最後に僕の所へ来て、同じように大丈夫かと声をかけてくれた。
「大丈夫ですよ」
そう告げるのに、ヤトさんは僕の傍から離れようとしない。
なぜかと考えて、その理由に思いあたる。
彼等がいま、先ほどのように我を忘れて
僕に攻撃を仕掛ければ、周りの職員たちも巻き込むことになるからだろう。
ついでに、僕が反撃に回らないように牽制する意味もあるようだ。
特に話すこともなく、治療の様子を眺めているさなかに
ゾクッとした何かが背中を駆け抜ける。両腕を見て見ると
鳥肌が立っており、思わず掌でその鳥肌を撫でる。
「どうした?」
僕が体を震わせたからか
ヤトさんが心配して声をかけてくれるが
その理由が僕にもわからないことから曖昧に答えるしかなかった。
アルト達の方を、チラリと見ると
アルトとサフィールさんが何か言い争っているようにみえるけど
周りが気にしていないところを見ると、気にするほどの事でもないのだろう。
アルトにつけてある鳥から、アルトの感情が揺らいだ時だけ
向こうの会話に気を付けるようにしていた。
会場の全ての人間が僕を悪く言っているわけではないけれど。
一番大きな声が、ギルドや僕に不満を持っている人達の声だ。
子供からしてみれば、聞こえにくい小さな声よりも
悪意を持った声の方が届きやすいんじゃないかと思う。
僕が悪く言われることで落ち込み、不安定になるようなら
大会よりも、アルトの心を優先しようと思っていた。
だけど、それは杞憂だったようだ。
僕を見るアルトの目に、一欠けらの恐怖の色も
拒絶の色も浮くことはなかったから。
怯えられても仕方のない行いをしているし
魔法をかけていなければ
ギリギリ死ぬかもしれない攻撃をしてもいる。
この凄惨な状況を見て、クロージャ達の僕を見る眼差しに
怯えが浮かんでいる事にも気がついていた。
そして、僕が怖いという想いをアルトに気がつかれないように
必死に耐えている姿も、目に入れていた。
そして、それは大会が終わっても
変わらないものだと考えてた。
だけど、僕が予想していた状況と
今の状況は、少し違ってきているようだ……。
体の震えを止め、真直ぐに舞台を見るクロージャを
視界の端に入れてそう思った。
冒険者に夢を見る冒険者志望の子供達に
クロージャ達やミッシェル、ロイールに
もっと別のものを見せてあげたかったとも思う。
この大会が、綺麗なものでないことは
大人なら知っていて当たり前のことだ。
1つの舞台で全員で戦うのだから。
弱い者から狙われていく……。
そんな大会なのに、ギルドは子供の参加を認めていた。
それは、現実を見せるためでもあり、戦いの本当の意味を
学ばせるためでもあると思う。
本来ならば、残酷ではあるけれど
戦う事の厳しさや、生き残ることの難しさなどを学んで
ショックを受けながら、それでも自分の人生の選択の1つとして
糧にできていたんだろうと思う。
なのに、僕の都合で彼等の大切な時間を
冒険者への憧れや夢を潰してしまう
可能性の方が、遥かに高くなっている。
この戦いは、唯の断罪でしかないから……。
そこに何も残るものはない。
残るとすれば、再起不能の冒険者と
理不尽な力を持つ僕という存在だけ。
大会に参加すると決めた当初は
アルトに、僕の背を魅せるのが目的だった。
大人になるために、羽ばたきを始めたアルトに
僕が魅せることができる世界は……。
1つしかなかったから。
その1つでさえ、与えてもらったものだけど
それでも、アルトが僕に最強を見るというのなら……。
僕の命が続く限り、誰1人として僕の背より
前に行かせないと誓った。それがたとえ黒であろうとも。
そう。
この時は、相手の事などさほど気にしていなかった。
相手を深く傷つけるつもりも、ましてや心を折ることなど考えてもいなかった。
魅せるために戦う。それだけだった。
それだけの理由で、戦えていたらどれほどよかっただろう。
だけど……。
2人の冒険者が、アルトに手を出した。
その事への怒りもあり、そして僕自身どうしても彼等を許せなかった。
だから、彼等を大会へと誘った。
大会に参加する目的が一つ増えた。
彼等の心を折ることは、その時に決めていたし
ついでに、他の冒険者にも釘を刺そうと思ってもいた。
それでも、その時はまだここまでするつもりはなかったんだ。
殺す一歩手前までは考えていたけれど……。血を流すつもりはなかった。
僕が、この凄惨なシナリオをひいたのは……。
2人の冒険者と奴隷商人。
それに追随する、冒険者としての在り方を忘れたモノ達を見たときだ。
それでもまだ、葛藤があった。
今まで、僕がアルトの前で人を傷つける行いを避けていたのは
僕が人間を傷つけることで、アルトの記憶を引き出すのが怖かったからだ。
人間に与えられてきた苦痛を思い出させるのが嫌だった。
だから、ラギさんが水辺へと行ったあと王妃様へと預けて
僕1人で処分した。
様々な事に気がついた時、アルトは手伝いたかったと話していたけれど。
人を信じ始めたアルトに、醜く浅ましいモノを見せたくはなかった。
見せなくてよかったと今でも思う。
どうするか悩む僕の背を押したのは……意外な事にアルトだった。
『だけど、俺は大切なものを見つけたんだ。
俺が今いる場所を守りたいと思ったんだ。
自分がなりたいものを見つけたんだ』
自分が守りたいもの。
帰りたい場所。
自分がなりたいものを見つけたと笑った。
『本当に殺したら、今の場所には戻れなくなる。
俺はこの場所が好きだから。多分、あっても殺さない。
殺したいとは思うけど、殺さない事を選ぶ。
嫌いな奴を殺して、自分が不幸になるなんて死んでも嫌だ!
自分の居場所を失うなんて絶対嫌だ。大切な人の傍に居たい。
一緒に歩いて、高みを目指したい。
俺は絶対夢を叶えて幸せに生きるって決めたんだ!』
そして……。
自分が幸せになるために
自分の夢をかなえるために
幸せに生きるために殺さないと
あれだけ憎み、恨んでいた両親を殺さないと笑って告げたから。
だから僕は……。
今まで、アルトに見せなかった現実の1つを見せることにした。
自分の利益のために、人を陥れ。
自分の欲望のために、獣人を売る。
その対象にアルトが入っているという事を
アルトに見せたんだ。
その時に、僕の中のモノも見せると決めた。
人に対して、何処までも残酷になることができる僕の一部を……。
憎悪の欠片を。
僕から離れてしまう事になってしまっても見せると決めた。
アルトはなぜか、僕を英雄視していたから。
僕は英雄などになる気はなかったから。
そんなモノには、なりたくなかったから。
僕は綺麗なモノでは決してないから……。
怯えられることを覚悟して
キラキラした眼差しを、向けてもらう事を諦めた。
なのに、蓋を開けてみれば
開始直前に、不安定になったこと以外は
さほど動揺もみられなかった。
試合の途中で、僕を呪うような声が聞こえても
友人の様子を見て、時折心配そうな感情は届くけれど
それだけだった。
たまに、キラキラとした喜びの感情が届いたが……。
どうして、そうなったのか意味が分からない。
唯々、凄惨な状況ばかりだったろうに……。
模擬戦ではなく、相手を傷つけるための戦いを
初めて目にしただろうに……。
だけど、アルトが僕を怖がらなかったことに
安堵している自分が居ることを知っていた。
アルトの思考がわからず、小さく笑ったところで
ヤトさんが、僕に視線を向ける。
「あの時、何故笑った」
「……」
「一触即発の空気の中
あれだけ大笑いすれば、彼等が逆上することは
予想できただろう」
ヤトさんは、ほとんど唇を動かさずにそう告げた。
どうやら、ヤトさんと僕の周りに結界を張っているようだ。
僕を責めているわけではなく。
僕を心配している声音。その心配の先がどこにあるのか
理解している。
ヤトさんが、試合を中断させたいと考えていることも気がついていた。
だから、先ほど彼等に声をかけたのだ。彼等は気がつかなかったけれど。
「笑ったのは
僕のせいではないですよ」
「……」
時間もあることだし、元黒のザルツとカルーシアという人達の話と
その顛末を聞かせてあげた。
「……」
「……」
「今はなしたのは、わざとだな?」
僕の隣で、こみ上げそうな笑いを必死に堪えているようだ。
僕とヤトさんは、会話などしていないという風に装っているから。
笑うに笑えない状態になっていた。
そんなヤトさんの気配を隣で感じながら
エンブレムの事を考えていた。
きっと、カイルは最初からガイアのエンブレムを
用意していたはずだ。それだけは、確信が持てる。
エラーナになにか、苛立つことをされたから
ガイアのエンブレムを纏う前に、月を真っ二つに割り。
そして顔色の悪い、ニコニコマークのようなものを描いたのか
それとも、最初から計画して最終的に馬鹿にするために
あえて、2つのエンブレムを見せたのか……。
どちらなんだろうと考え、鞄の中に有ったものを思い出した。
多分ではあるけれど、八聖魔の
武器を悉く奪っていることから、苛立つことをされた報復と考えるのが
正しいような気がする……。
きっと、こちらが正解のような気がする。
もともと、エラーナは嫌悪していただろうから
躊躇することもなかっただろうし……。
「はぁ……」
小さく聞こえてきた溜息と
どこか、僕を責めるような気配に
「ヤトさんが聞いてきたから答えました」と告げると
「……はぁ」
もう一度小さく、溜息を落とすと同時に言葉を添えた。
「カイルは、本当にどうしようもないな」
その声に、どこか懐かしさと淋しさ。
そして、親しみを聞いた気がする。
「前から不思議に思っていたんですが
ヤトさんは、カイルと仲が良かったんですか?
以前から、ジャックとは呼ばすにカイルと呼んでいますよね?」
ヤトさんは、少しだけ視線を動かし僕を見た。
「そうだな。今の黒の中で私が一番
カイルを知っているだろう」
「カイルとヤトさんとの時間は
重ならないと思うんですが」
「私は、黒になる前にカイルに命を救われた。
ジャックとカイルが同一人物だと気がついたのは
つい最近の事だ」
「そうなんですか……」
きっと気がついたのは
リオウさんの話を聞いたからだ。
ヤトさんはそれ以上語ることはせず
舞台の上の準備が整ったのを見て、僕から距離を取るように歩き出す。
「ヤトさん。
僕はあの2人を絶対に許しません。
この後、中断をするようなことになれば
残ったモノ達に、明日は来ないと思ってください」
「……」
僕の言葉に、何の反応も見せないまま
ヤトさんが定位置にへと戻っていった。
じっと僕を、睨む視線に気がついている。
まだ、彼の心は折れていないようだ。
そうでなくては僕も困る……。
ゆっくりと視線を彼の方へと向け
視線がかち合ったところで、挑発するように嗤った。
僕の表情を見て、ぐっとこぶしを握り
奥歯をかみしめている。そして次の瞬間、無表情に僕を見た。
冷静な判断をするために、自分の中の怒りを逃がしたのだろう。
赤のランクになるだけの事はあるという事か。
それでも、拳を握り続けているところを見ると
完全に、抑えられているわけではなさそうだけど。
じっと、無表情に僕を見続けるその表情に
ふと、誰かに重なる表情を見る。
誰と重なったのだろうと、視線を外し考えるけれどわからない。
思い出そうと、もう一度彼を見ようとしたところで
コクリと自分の喉がなる。
なぜか……。なぜかのどの渇きを覚え
水を飲むか瞬刻考え、飲まなくても大丈夫だと判断を下した。
だけど、何処か纏わりつくような不快な感じに
自分の中に理由を探るが出てこない……。
喉の渇きはもうなくなっている。
気のせいだったんだろうか?
確かめるように、手を自分の喉へともっていくが
何ともないように思える。
何ともないように思えるのに
なぜか、歯車がカチリと動く音がする。
そして、僕の継ぎ接ぎだらけの心の一部が
カサリと崩れる音がした。
まるで、水分を失った砂が零れ落ちたような音が響く。
水……。やっぱり水を飲もう。
微かに震える指先を見て、少し驚いて拳を握り
開いた時には、もう震えてはいなかった。
とりあえず水を飲もうと思い
鞄に手をかけた瞬間、言い争う声が聞こえ手を止めて
視線をそちらへと向けた。
向けた先には
魔導師の魔法に、巻き込まなかったモノ達が
2人の冒険者に詰め寄りながら「話が違う」と叫んでいたのだった。
※ 八魔導師→八聖魔に変更しました。





