『 僕とアルトの親代わり : 前編 』
『お、おれ、俺、もう子供じゃないから!』
アルトの口から、焦ったように紡ぎだされた言葉に
一瞬目を見張る。多分、驚いていたのは僕だけではないだろう。
時が止まったような、空気の中でアルトは不安げな様子で
僕の言葉を待っていた。
友人たちに、何か言われたのだろうか?
今日の朝までは、嬉しそうに目を細めてエレノアさん達に
褒められながら、頭をなでられて喜んでいたように思う。
友人ができてから、目に見えて行動範囲が広がっていき
それと同じぐらい、同年代の友人から影響を受けているように感じた。
それが、悪い方向へと向くならば何かしら注意をするべきだと
思うけれど、アルトの友人たちは人を思いやれる真面目な子供達
ばかりだったし、今まで必死に生きてきたアルトが年相応の表情を浮かべ
同年代の友人たちと同じように、笑い、遊び、学ぶ姿を見て
僕はどこか安堵もしていたのだった。
少年時代というものは、貴重なものだと思うから。
アルトがアルトらしく、子供のままでいられる時間。
そんな優しい時間が、アルトに降り注いだことが嬉しかった。
アルトの頭の上の耳と、ピタリとも動かない尻尾を見て
どう返答するべきかを悩む。昼間のバルタスさんみたいに
『ガキじゃろが』といいながら、ダウロさんの頭をかき混ぜたように
するのが正しいのか、それともアルトの主張を認めるのか……。
この場合は、どちらが正しいんだろうか?
僕の場合はどうだったかと考えてみても、今のアルトのように
主張したことはなかったような気がする。
薬のせいで食欲がなく、食事を残した時に
食べることのできない僕を心配して、薬のせいだとは分かっていても
それを言葉にすることができないから
子供に言い聞かせるように『好き嫌いせずに、食べなさい』と言葉を告げる。
そんな会話の中で『もう、子供じゃないんだけど』というように返答するぐらいだった。
大人だ、子供だと言っている余裕など僕にはなかったんだ。
病気に、大人も子供も関係などないのだから。
心の中で、ため息をつき
俯いているアルトを見て、思わず手を避けてしまうぐらい嫌な事になったのなら
やめるべきかなと考える。アルトの毛並みは触り心地が良かったんだけどなぁ、と
アルトには言えない事を考えながら
『そうか、そうだね。アルトはもう、子供じゃないんだね』と
主張を受け入れる言葉を口にするとアルトは
嬉しそうに頷き、自分の部屋へと駆けていくのをみて
これでよかったんだな思った。
アルトが寝た事で、食べるよりも飲む方へと流れが変わり
お酒の入ったグラスを傾けながら、楽しそうに話す声に耳を傾ける。
アギトさんやエレノアさん、バルタスさん達は
自分の子供達の……主に、エリオさんやビートさんヤトさんの
子供時代の話を酒の肴にして、懐かしそうに目を細めながら飲み
酒肴の若い人達は、子供時代に戻りたいとか、戻りたくないとかを
熱く語り合っている。
カルロさん達の会話に、女性陣が冷たい視線を送っているけれど
その視線に、カルロさん達は気がついていない。
お昼の魔道具の件もあり、男女の仲は未だに険悪だ。
「子供時代はよかった。
綺麗な、おねーさんに抱き付いて胸に顔を埋めても
抱きしめ返してくれたからな」
「確かに」
「お前は、ガキの頃から邪な存在だったんだな」
「今同じことをしたら、殴り飛ばされるな」
「そう考えると、子供の時代は貴重だな!」
などと話しているカルロさん達に、セリアさんが近づき口を出す。
「私は、誰よりもおねーさんだから抱きしめてあげてもいいワヨ」と
言いながら両腕を広げて、カルロさんを誘っていた。
セリアさんの言葉に、エリオさんがお酒を吹き出し目を丸くして
セリアさんを凝視し、少しそわそわとしているのをみて
フリードさんが、呆れた目を向けていたがエリオさんは
全く気がついた様子はなかった。
「さぁ、どうぞ?」
「いいんすか?」
カルロさんが、セリアさんに確認をとってから立ち上がり
好奇心を抑えきれないといった感じで、セリアさんへと向かう。
ゆっくりと、セリアさんに抱き付くように腕を回し
セリアさんもカルロさんの背中へと腕をまわしているけれど
その腕は、何時もの通り貫通していた。
「……」
「……」
2人とも何も言わず、抱きしめあっているようには見える。
「カルロ?」
だが、何の反応もないカルロさんに周りが首を傾げながら
カルロさんに声をかけた瞬間。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」という悲鳴が
部屋に響き渡り、カルロさんが必死の形相でセリアさんから
離れようともがくが、セリアさんは笑いながら離そうとはしなかった。
「フフフフ……」
セリアさんが、少し怖い……。
「やめ、やめ、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
カロルさんの必死の抵抗に、周りが唖然として2人を見ている。
突然上がった悲鳴に、黒達がカルロさんの方をチラリと見たがそれだけだった。
そしてカルロさんは、白目をむいて気を失い床に伸びている。
床に沈んでいるカルロさんに、周りの人たちが恐る恐る近づいて
声をかけているが、意識が戻る様子はない。
「次は? 誰でもいいワヨ?」
セリアさんが、ニタリと笑って腕を広げているが
誰も、セリアさんと視線を合わせようとしない。
エリオさんは、セリアさんとカルロさんを交互に見てから
溜息を吐いて、肩を落としていた。
「セリアさん、カルロに何をしたんですか?」
冷たい目でカルロさん達を見ていた女性陣が
セリアさんへと声をかける。
「ちょっとした、呪をかけたのヨ」
セリアさんの言葉で、周りが青い顔をしてカルロさんを見下ろし
バルタスさんが、ぼそっと「大丈夫なのか」と口にしたのが聞こえたので
「大丈夫です。遊んでいるだけなので、害はありません」と答えると
「自分から行ったからなぁ。自業自得じゃな」で終わってしまった。
少し気の毒のような気がしないでもない。
女性達も、セリアさんにすぐ意識が戻ると教えられて
ホッとしたような表情をしてから、またお酒を飲み始める。
なんだかんだと言いながらも、仲間が倒れていると心配になるようだ。
カルロさんは、そのあとすぐ意識を取り戻し体を震わせながら恐怖体験を語り始め
その話を肴に、また盛り上がりお酒が進んでいるようだ。
転んでもただでは起きないらしい。
セリアさんの周りには、怖いけれどちょっと体験してみたいという
人間が集まり、軽い呪体験コーナーができていたりと
セリアさんも楽しそうに、遊んでいるようだった。
エリオさんは、セリアさんに近づくことはせず
セリアさんを意識しながら、フリードさん達と最後まで飲んでいた。
元気なというか、その場の勢いで飲み食いする人達が
眠りの淵へと旅立ち、部屋の中は落ち着いた空気が流れている。
今意識があるのは、落ち着いた飲みかたをする人達が残っており
月光でいえば、アギトさんとクリスさんそしてお酒を飲まないサーラさん。
酒肴はバルタスさんとニールさんと一番隊。そしてお酒に強い3番隊。
剣と盾は、全員意識がはっきりとしている。
邂逅の調べのサフィールさんは、チビチビと飲みながら本を読んでいた。
しっとりとした時間の中に身を置き
ぼんやりとアルトの事を考える。
「気にしているのか?」と
落ち着いた声音でアギトさんに問われ
「気にしている……というよりは
どの程度まで、大人として認めるかに悩んでいるという方が
近いかもしれません」と返す。
僕達からみれば、微笑ましいといわれる一幕だったのだろう。
だけど、アルトからしてみれば勇気のいる事だったと思う。
勇気を出して、自分の主張を伝えたのだから
できる限り、答えてあげたいと思った。
些細な事でも、何かしら認められるというのは嬉しいものだ。
自分に、自信をつけるきっかけになるかもしれないし
新しい喜びを見つけることができるかもしれない。
奴隷だった時の記憶は、少しずつ薄れているようだけど
何かの拍子に、その時の自分に囚われないように
跳ね除けていけるように、自信をつけていってほしいと願っている。
僕みたいな人間にならないように……。
だけど、アギトさん達は違う意味にとったようだ。
それをわざわざ訂正する必要もないかと思い
そのまま会話を続けることを選ぶ。
サフィールさんは、本から視線を外し僕を見て
「さほど悩む事とは思えない」と言い、エレノアさんは「真面目だな」と笑う。
バルタスさんは「子供に、遠慮なんてするな」と言い切った。
それぞれの意見に、苦笑で返す僕をサーラさんが柔らかく笑って僕を見る。
「セツナ君は、今まで通りでいいと思うけどな」
「今まで通りですか?」
「うんうん。だって、アルトはまだまだ子供なんだから」
確かにその通りだと思うが
アルトは、そこに不満を持っていたんじゃないだろうか
「エリオちゃんも、ビートちゃんも
今日のアルトと同じことを、よく言うわよ。
子ども扱いするな!って」
それは、本当に嫌がっていると思うんだけど
口に出すのはやめておこう。
エレノアさんが、サーラさんを見てから少し首を傾げて口を開く。
「……そういえば、ヤトも同じことを言っていたな。
幼い子供ではないのだから、そのまま捨ておいてくれと」
「エレノアさんが、ヤトさんを子ども扱いするんですか?」
「……私の子供だからな」
驚いている僕に、エレノアさんは苦く笑いながら僕を見る。
「……セツナ。子供がどれだけ年を得ようとも
親にとっては、子供でしかない」
「そうそう。アルトの気持ちも矜持も大切なものだけど
バルタスちゃんが言っていたように、子供に遠慮なんていらないのよ」
「……」
いらないとはっきり言い切ったサーラさんに
黒達全員が頷いているが、クリスさんやアルヴァンさんは
何か言いたそうに、黒達を見ていたけれど口にすることはなかった。
3番隊は、バルタスさんと目をあわせないようにしているようだ。
親に勝てないのは、何処の世界でも同じかな。
親の愛情は、世界が違っても、種族が違っても同じなんだろう。
「セツナ君は、アルトの親代わりなんだし」
「そうですね」
そういって笑うサーラさんに、僕も笑い返し
手に持っているグラスを口へと運ぶ。
親代わりか……。
その時に、思わず落とした小さなため息を
サーラさんは、聞き逃さなかったようだ。
「セツナ君?」
「はい」
「どうしたの?」
「なにがですか?」
「ため息なんてついてたから」
「特に理由はありません」
そう伝えるが、誰も納得した様子がない。
サーラさんは心配そうに僕を見て、アギトさん達も
真剣な表情で僕を見つめていた。
「気になっていることがあるなら、話すといいわけ」
サフィールさんが、手元の本を閉じて自分の隣へと置き
「セツナよー。わしらでは頼りにならんか?」とバルタスさんが話を促す。
話すかどうか思案しながら、視線をグラスに落とす。
「セツナ君」
サーラさんが、話を促すように優しく僕の名前を呼ぶから
話すことを選んだ。きっと、適当に躱しても納得してくれないだろうから。
自分の気持ちを整理するように、頭の中で纏めながら
周りの人間を起こさないように、簡単に眠りの魔法をいれ
最近、悩んでいることを口に乗せた。
「僕が、親代わりでアルトは本当に幸せなのかと……」
「え……?」
黒だけではなく、3番隊のクローディオさん達も僕を凝視している。
バルタスさんが、穏やかなまなざしで僕を見ながら静かに声を出す。
「疲れたか?」
その声音は、僕を責めているのではなく労わってくれているとわかるものだ。
「いえ、驚くことは沢山ありますが
アルトと共にいて、疲れたと感じたことは一度もありません」
「そうか」
「なら、どうしてそう思ったの?」
サーラさんが首を傾げて、問う。
「僕は……アルトといて、辛いと感じたことも
煩わしいと感じたことも、本当に一度もないんです。
だけど、アルトはそうは思っていないようです」
「セツナ君……」
サーラさんは、先日の出来事を思い出したのか
その瞳が、少し揺れた。サーラさんは、本当にアルトを可愛がってくれているから
アルトと同じように、傷ついて涙を見せる。
「アルトに友人ができ、アルトと共にいたことで
友人が傷ついたと泣いた時に、アルトは僕も同じだといった。
自分がいるせいで、僕が悪く言われるのだと。
確かに……以前と比べて、僕達に関する噂は落ち着いたものになりました。
それでも、全ての悪意を一掃することはできないでしょう」
「……」
「ただでさえ、心の傷をたくさん抱えているのに。
僕は、子育てをしていると言いながら
そんな憂い1つアルトから取り除いてあげることができません」
アルトが、僕といることで僕を傷つけているというのなら
アルト自身にも、同じことがいえるから。
あの日、僕にしがみついて必死に何かに耐えるように
肩を震わせていたアルトを見て、どうすればもっとアルトの心の負担を
少なくすることができるのだろうかと、考えていた。
「……セツナの気持ちは理解できる。だが」
「エレノア?」
どこか、沈んだエレノアさんの声音に
アラディスさんが、エレノアさんを呼び探るように視線を向けている。
「……私には、アルトの気持ちがわからなくもない」
視線を向けられていることに、気がついていながら
エレノアさんは、アラディスさんを見ようとはしなかった。
「……自分の為に本来なら進める道を断ち
言われなくていい中傷を受け、家族から絶縁され
故郷にも二度と戻れない。そのような……」
「エレノア!」
エレノアさんが
その瞳に罪悪感をにじませながら落とした言葉を遮る様に
アラディスさんが、声を低くしてエレノアさんを呼ぶ。
アラディスさんとほぼ同時に、剣と盾のメンバーである
クラールさんとレイファさんも、エレノアさんの名前を呼んだ。
アルヴァンさんは、黙って成り行きを見守っている。
剣と盾は、リーダーのエレノアさん。サブリーダーのアラディスさん。
クラールさんとレイファさんと、その2人の子供であるアルヴァンさん
の5人で構成されている。
少し前までは、もう少し人数が多かったらしいが
赤のランクまで育ったという事で、独立を促したらしい。
アルヴァンさん以外、チームの立ち上げから共にいる仲間だと聞いた。
「エレノア。私達は君と共に生きることを
沢山の選択肢の中から、選んだ。セツナ君と同じく
私達は後悔したことは一度もない」
クラールさんと、レイファさんも同意するように頷き
エレノアさんは、ここではじめてアラディスさん達に視線を向け
目を細めながら綺麗に笑った。その表情を見て、アラディスさんが
赤くなりながら視線を彷徨わせる。
「……人の話は、最後まで聞くべきだと思うぞ」とアラディスさん達に告げ
エレノアさんは、僕を見て続きを話す。
「……そのような選択を、させてしまったことを悔み
断たれた道に戻るように、説得するのが筋だったのだろうと思う。
それでも……それでも私は、彼等が私と共に生きることを
選んでくれたことが嬉しかった。彼等がいたから、私は私でいられた。
アルトと同じような思考を何度も繰り返しながらも
彼等と過ごす時間が私を幸せにしてくれた」
「エレノアちゃん」
サーラさんが、ぽろぽろと涙を落としながら
エレノアさんの手を握る。多分、サーラさんや黒達は
エレノアさんの事情を知っているのかもしれない。
「……アルトが抱えている憂いは
セツナが言葉を尽くしたところで、そのような視線がある限り
なかなか納得できるものではないだろう。
ことあるごとに、罪悪感に苛まれそうになるが
それに押しつぶされないのは……
それ以上に、セツナと共にあることが
アルトにとっての幸せだからだろう」
『俺は、師匠に助けてもらって弟子にして貰って幸せだけど
俺は、師匠に恩返しが出来ないかもしれないっ』
リペイドから、サガーナへと向かう道の途中。
小さな狼の体を、小刻みに震わせて
僕を見上げながら、涙をこぼしていた。
その時、僕の胸に届いたアルトの気持ちを覚えている。
「……だから、セツナ。
それを理由に、アルトの手を離すのだけは堪えてくれないか。
お互いが、お互いを想いあうがゆえに離れることは
不幸なことでしかないと……今の私には思える」
そう言って、エレノアさんは儚く笑い
アラディスさんは、そんなエレノアさんにそっと寄り添った。
「大丈夫です。僕からアルトの手を離すことはありません」
「……そうか」
「はい。アルトが離れたいと願わない限り
僕から、離れることはないとアルトと約束していますから」
安堵したように、息をつくエレノアさんに
何時もとは違う、空気を感じた。エレノアさんも長い間
葛藤してきたんだろう。だからこそ、アルトの気持ちが僕に伝わるように
自分の過去を引き合いに出してまで、僕に教えてくれたのかもしれない。
「それで、お前は何を迷っているわけ?」
サフィールさんが、腑に落ちないという表情を作りながら
自分のグラスに、お酒を注いでいる。
「アルトの手を離さないと、決意しているのなら
現段階で、アルトの憂いをとるのは
無理だと気がついているだろう?
お前達が冒険者を続ける限り……」
サフィールさんが、何かに気がついたように
グラスから視線を外し、驚愕の表情を僕に向ける。
「お前……冒険者をやめるつもりなわけ?」
サフィールさんの言葉に、全員が息をのみ僕に視線を向けた。
否定しない僕に、アギトさんが射るように僕を見て「理由を話せ」と告げる。
「冒険者を、やめるつもりはありません。
ただ、暫く冒険者としての活動を休止しようかと。
今も、活動といえるほどギルドに貢献しているわけではありませんが」
「ならそのままでいいだろう」
アギトさんに、僕は首を横に振りながら答える。
「アルトの心の負担をどうすれば軽くできるのか
ここ最近、ずっとその事を考えていました。
ハルに来てから、アルトはとてもいい表情を見せるようになった。
友人もでき、そしてこの国が獣人にとって優しい国であることも
理由の1つでしょう。アルトの心の傷を癒すいい機会なのかもしれないと」
「……」
「前にも一度同じことを考えたことがありましたが
その時は、僕の事情を優先してしまいました」
「お前が、休止してもそう変わるとは思えないわけ」
「確かに、劇的に変わるとは思いませんが」
僕とアルトの関係に関する噂は、そう酷いものはなくなった。
獣人族からの視線もずいぶんと違うものになった。
この2つは、多分もう心配はないような気がするけれど
1つの問題が解決したと思ったら、違う問題が浮上する。
「僕が、表舞台に立たなくなるだけで
噂はぐっと少なくなると思います。
人間の僕と、獣人の子供であるアルトが一緒にいるというだけで
人目を惹きますから」
「確かに、そうじゃろうなぁ。
獣人の子供は、本来ならサガーナからはでないはずだ。
アルトの年齢が、うちの若いもんたちと同じなら
ここまで、噂が流れることもなかっただろうなぁ」
「だけど、一番の問題は僕にあるのだと思います」
「アルトを助けるためとはいえ
奴隷商人に、金を払った事が問題か?」
アギトさんが、サフィールさんにグラスを差し出し
視線だけで、酒を注げと語っているが、サフィールさんはそれを無視して
お酒の瓶を、アギトさんの前へと置いた。
「いえ、場所がガーディルだったことから
その事については、あまり問題にはなっていないようです。
逆に、奪っていたら僕が犯罪者になってしまいますしね」
「まぁ、そうだな」
「何が問題なわけ?」
「僕が、冒険者としての実績がほとんどないということ。
そして、僕が冒険者らしくないというのが悪い方向へと導いている気がします」
「……」
「赤のランクともなれば、活躍した噂の一つや二つは聞こえてくるはずだ
なのに、お前の噂は碌なものがないと言われた事があります」
「誰に言われたわけ?」
「エイクさんに」
「……今度絞めといてやるわけ?」
サフィールさんの言葉に、3番隊が体を揺らす。
「噂はともかく、僕の実績がないのは本当の事ですから」
「……ギルドが認める実績がちゃんとある」
エレノアさんを肯定するように、バルタスさんが頷いた。
「ギルドがではなく、その他大勢の冒険者が
僕が赤のランクを持っているという事に、納得できていないんでしょう」
「……冒険者とは強さが前提で成り立っている者達だが
だからといって、ギルドが認めたランクに口を出すことは
許される事ではないし、命を落とさない程度の強さがあるのならば
どのような形で、功績を残すかは本人の自由だ。
その才能を、認めるかどうかはギルド次第なのだが
それを理解できない若者も多いし……力だけがすべてだと
思い上がっている人間もいることは確かだな」
ハルについた日に、アギトさんが僕とアルトの戦闘の映像を
公開してはいたが、僕の戦いを知る人は一握りでしかない。
「薬が売り出された事から、僕が薬の発案者だと知る人も多くなり
薬草の調合など、冒険者の仕事ではなく薬師の仕事だろうという人も
多いですしね」
「冒険者が、そこまでの薬を作り上げることは珍しいわけ。
それほどの腕があるなら、冒険者ではなく医療院で働くわけ」
「その理屈が通るなら、剣と盾にも同じことが言えるな」
「……アギト、私達とセツナでは、決定的に違う点がある」
「そうか?」
「僕も、同じだと思うわけ」
アギトさんと、サフィールさんにエレノアさんは違うと首を振る。
「……私達は、魔物を倒してきたという経歴がある。
黒のチームを率いている我々の功績は、それなりに
知られているし、ギルドも裏の仕事以外は隠そうとはしていない」
「確かにの。黒の地位に一目も二目も置かれるように
仕向けているからなぁ。だが、わからんなぁ。
わし達は、セツナの経歴を見たが
赤のランクに恥じることのない強さの魔物を
短期間で、倒していたじゃろ? 何故、噂にならん?」
「……そう言えばそうだな」
バルタスさん達が、腑に落ちないといった様子で僕を見た。
「依頼を受けるにしても、報告をするにしても
軽くですが、僕から意識をそらすための魔道具を
使っていましたから」
「なぜじゃ? そんなことをする必要はないじゃろ?」
「お前の思考は、若い奴らと正反対なわけ」
サフィールさんが呆れたように僕を見て
アギトさんが、苦笑を落としながらグラスを口に運んだ。
「煩わしいことに時間をとられるのも
権力者に目をつけられるのも嫌だったので」
「セツナなら、返り討ちにできるだろう?」
「できますが、関わることが面倒でしょう?
それで諦めてくれるならいいですが……きっと諦めてくれないでしょう。
この世界に時使いは、2人だけ……。そのうちの1人が僕です。
風と時の2種使い、その利用価値を僕は正確に把握しているつもりです」
「……」
「時使い……?」
酒肴の1番隊の誰かの声が部屋に響く。
剣と盾の人達も、驚いたように顔をこちらへと向けた。
「……隠していたのではないのか?」
「隠そうと思っていたんですが…」
「なにかあったのか」
エレノアさんとバルタスさんが、心配そうに聞いてくれる。
「酒肴の人達が……」
「わしのチームの奴らが、何か言ったか?」
僕の言葉を遮って、バルタスさんが剣呑な雰囲気を纏い目を細めるので
慌てて続きを話す。
「酒肴の人達が、この家の調理場からお店に行くたびに
保温魔道具が……。時短魔道具が……と溜息を付かれるので
こう、心苦しくなりました」
酒肴の人達は、調理場にある魔道具を本当にキラキラとした目をして
嬉しそうに使う。毎日毎日、後ろ髪引かれるように調理場から離れる
様子を目にしてしまうと、簡単に作れるものだけに僕の心が折れた。
僕にもアルトにもよくしてくれる。
毎日、お腹が空かないようにアルトにお菓子を持たせてくれている。
自分達の仕事もあるのに、時間を割いてくれている。
その時間を、短縮したり、温め直す手間が省けるだけでも
効率が違ってくるだろうし……。
「僕は時使いなので、同じ魔道具が作れるんです。
お店に必要だといわれるのなら、同盟も組んだことですし
ここだけの話にしていただけるのを条件に
伝えてもいいかなと考えました」
「……隠したいことは、言わないほうがいいと思うが
その甘さが、セツナなんだろうな」
エレノアさんが、ふわりと笑う。
「あの魔道具が手に入る?」
ニールさんが小さな声で、そう呟くと
バルタスさんが、頭を深く下げた。
「すまん。わしは、お前さんが時使いだというのを
知っておったのに、心労をかけていると気がつかなかった。
申し訳ない……」
「心労というほどのものではありませんから
気にしないでください。僕が未熟なだけですから」
「そうなわけ。あいつらの事は無視してもよかったわけ」
「セツナらしいといえば、セツナらしいが
捨ておいてもよかったな」
サフィールさんとアギトさんが、僕の甘さを指摘し
サーラさんが「そこが素敵なのよ」とフォローを入れてくれたのだった。





