『 風が運んだもの : 前編 』
【 ディル 】
私から少し離れた場所で、しょんぼりと耳を寝かせている
アイリとユウイから視線を外し、村の集会所の前に集まっている
村人たちへと視線を戻す。
数日前に、冒険者ギルドに預けられている手紙や荷物を
エイクを中心とした冒険者である若者達に受け取りにいってもらっていた。
そのエイク達が、今日、帰還したことで村がにぎわっている。
今までは、村で活動している冒険者達が
個人でギルドへ赴く際に村宛てとされている
手紙なり荷物なりを、受け取り持ち帰っていた。
しかし、リシアにいる酒肴のシルキナからもたらされた情報により
状況が変わった。
代表達が集い話し合った結果
しばらくの間、単独での行動を自粛するようにと各村に通達されることとなった。
村から出る際には、必ず5人以上で行動することとし
その人数が満たない場合は、ギルドへ赴くならば
各村の合同で行動するようにと注意を促していた。
持ち帰られた荷物や手紙は、いったん村の集会所へと運ばれ
そこから、それぞれに手渡されていく。
親や兄弟や子供そして友人からの手紙や荷物を
今か今かと心待ちにしている村人達の顔は明るい。
時折、何も届いていないことを知り
アイリ達のように気落ちしているもの達もいるが……。
それでも、娘達のように涙ぐむことはなく
今度は財布を握りしめ雑貨屋へと歩いていく。
村人のその足取りは、どこか楽しそうにも見えた。
その雑貨屋には、エイク達と共に街に行き仕入れをしてきた店員たちにより
商品がせっせと並べられていく。
あちらこちらで、楽しそうな笑い声が聞こえた。
笑っている村人たちを見て、心の底から安堵するのはこれが初めてではない。
長い間……。私達は絶望の底にいた。
対策を施しても、奴隷商人の被害が減ることはなかったし、
サガーナを豊かにしたいと足掻いても、状況は変わらなかった。
そして、蒼露の樹の終わりが近いと……全員が覚悟を決め始めていた。
日に日に枯れていく蒼露の樹を目にし、私達の心は焦燥に囚われていく。
出口のない袋小路を、救いのない状態で延々と歩いている。
幾度、そう思ったかわからない。
村人達から笑顔が減り、活気がなくなり……。
狼の村だけではなく、各種族の村でも同じように
暗澹たる日々を過ごしていたはずだ。
この国自体の存続が危うくなるかもしれないと、誰もが感じ取っていた。
それが覆されたのは……。
「おや? アイリとユウイはどうしたんだい?」
娘達の名が呼ばれたことで、自分の思考が霧散した。
声が聞こえた方へと、体を向けると
ロシュナ様とハンク様、そしてロシュナ様の補佐であるトリンが
アイリ達のそばで立っていた。
ロシュナ様のそばに、トリンがいることで
仕事の話かもしれないと思い、彼らの方へと向かうと
私に気がついたトリンが頭を下げる。
トリンの行動で、ロシュナ様が私に気がつき
ユウイの頭を優しく撫でながら、口を開いた。
「やぁ、ディル。手伝ってほしいことがあって、来たのだが……。
忙しそうだね」
ロシュナ様とトリンは、それなりに大きな木箱を抱えている。
私を蒼の村に呼ばず、二人でここまで来たということは
それだけ、急ぎの案件なのかもしれない。
「いえ、後は若者達に任せることができます」
「そうか、なら、手伝ってもらえるかい?」
「はい」
ロシュナ様とハンク様が姿を見せたことで、村人たちが礼をするが
お二人とも、気にするなと手を振ったことから、賑わいが戻る。
村人達の、楽し気な笑い声や笑顔に、ロシュナ様もハンク様も
やわらかい笑みを浮かべながら、その光景を眺めていた。
この場を、若者達に任せ、アイリとユウイに帰ろうと促す。
私の言葉に、二人が頷き、アイリがユウイの手を取って歩き出す。
うなだれながら、トボトボと歩く二人の姿にロシュナ様とハンク様が
心配そうに、二人を見ながら歩みを娘達にあわせて下さっている。
トリンは、エイクにも声をかけエイクが頷くと自分の荷物をエイクに渡し、
ロシュナ様の荷物を奪い取っていた。
ロシュナ様主義である、トリンの態度はいつものことなので誰も何もいわない。
「それで、二人はどうしたんじゃ」
ハンク様が、耳を寝かせ涙ぐみながら歩いている
アイリとユウイの頭を撫でながら私に理由をたずねた。
「セツナからの、手紙が届かなかったので落ち込んでいるようです」
「え?」
「……」
私の言葉に、ロシュナ様とハンク様が驚きの表情を浮かべて私を見る。
「届かなかったのか?」
「いえ、私宛には届いていたのですが……」
「そうか」
ロシュナ様が、アイリ達をみて苦笑を浮かべた。
「今回、セツナ君には色々と頼んでしまったし
彼自身も忙しかったようだから、アイリ達に割く時間が
取れなかったのかもしれないね」
ロシュナ様の言葉に、私とハンク様が頷いた。
リシアにいる、シルキナ達から届いた手紙でセツナとアルトの現状を知った。
心無い冒険者達からの誹謗中傷。
アルトのセツナに対する疑心暗鬼。
そして、奴隷商人の暗躍などが手紙に綴られていた。
リシアでの問題だけでも、大変そうだという印象をうけたのだが、
それに加え、ジゲルという冒険者とウェルとユッフェのことも頼む形になってしまい
セツナを、酷く忙しい状況に追い込んでしまったような気がする。
セツナから提示された酒だけでは、報酬として少なすぎることから
ウィルキスのあいだに飲めるようになった酒も、付けて送っておいた。
喜んでもらえるといいのだが……。
「アルトからのお手紙もなかったの」
そう告げるアイリに、ロシュナ様が頷いて聞いている。
落ち込んでいる二人を不憫に思ったのか、ロシュナ様がアイリを
ハンク様がユウイを抱き上げ慰めながら歩いてくれていた。
自宅までさほど遠い距離でもなく
アイリ達はよく村人達に抱き上げられているので
特に気にすることなく、自分の感情をロシュナ様達に話していた。
ロシュナ様達に話を聞いてもらったことで、心が軽くなったのだろう。
家に着くころには、話題がかわり二人の顔に笑顔が戻っていたのだった。
ロシュナ様達を家の中へと招き、机を囲んで椅子に座り
ターナがお茶を用意している間に用件を聞く。
「それで、私は何をお手伝いすればいいのでしょうか?」
私の言葉に、座らずに立っていたトリンが
今まで持っていた箱を机の上でさかさまにする。
几帳面な性格である彼の珍しい行動に、少し驚いたが
それ以上に机の上に積み重なった大量の手紙に、視線が釘付けになった。
トリンは無言で、手に持った箱を邪魔にならない所へ置くと
エイクが持っていた箱を受け取り、その木箱も先ほどと同様に
さかさまにし、更に手紙を積み上げたのだった。
「……」
「……」
無言になるほどの大量の手紙に
アイリとユウイも目を丸めて、机の上を凝視している。
トリンがため息をつきながら、椅子に座り、エイクも手紙の束を見て
深々と溜息をつきながら、トリンの隣の椅子に腰を下ろした。
「これは……」
「各村から届いた、私宛の手紙だよ」
「すべて、ですか?」
私の確認に、ロシュナ様は真面目な顔で頷いた。
ロシュナ様は、サガーナの代表の一人でもあり、代表のまとめ役でもある。
サガーナにとって重要だと思われる情報は、各村の長や代表がまとめてから
一度ロシュナ様の元に集めることになっている。
そこから、ロシュナ様によって精査され
各村の長や代表へと指示を出し、より重要な案件は
代表会議にかけられることになっていた。
「村の長や代表ではなく、なぜ、直接お前宛てになっているんじゃ」
何を手伝うのか理解したハンク様は、
どこか遠い目をして手紙の山を見ながらロシュナ様に問うた。
「セツナとアルトに関する情報は、直接私に届く」
「……」
「何処まで手を出していいかわからないから
私に任せると皆が話していただろう?」
ロシュナ様がそう告げながら深くため息をついた。
「あぁ……。そういえばそうじゃったの」
「セツナとアルトに、理不尽な言動をとらない限り
蒼露様が口をだすことはないと私が告げても
誰一人として、頷かなかった……」
ロシュナ様がもう一度深くため息をつき
ハンク様もつられるように、ため息を落とした。
きっと、私が思い出したように
ロシュナ様達も、あの日のことを思い出したのだろう。
あの日は本当に、酷い一日だった……。
できることなら、記憶から消し去りたいと思うほど
本当に酷い一日だった……。
すべての村の長と代表。
その次代候補も含めて、蒼露様にお目通りを願いそれがかなった。
蒼露様の神々しく美しい姿に、目と心を奪われているものが
数多くいたような気がする。
私達の言葉に耳を傾け、優しく微笑みながら相槌をうってくださり
蒼露様の慈愛に満ちた眼差しを向けられ、舞い上がっていたモノ達もいた。
それぞれの挨拶が終わり、下がろうとした時にそのモノ達が
一歩踏み出し、信じられないことを口にしたのだ。
『私どもに、アルトという半獣の処分をご命令ください』と……。
その言葉に、ロシュナ様もハンク様もそのほかの代表達も
喜び溢れていた笑みを消すと同時に、顔色もなくしていた。
きっと、私も彼等と同じような顔色になっていたに違いない。
ロシュナ様達が、そのモノ達の口をふさぐために口を開きかけるが
蒼露様が視線だけでロシュナ様を止める。
蒼露様の視線に止められた、ロシュナ様は俯き
拳を握り、体を微かに震わせながら、好き勝手に
蒼露様に語るモノ達への怒りを必死に抑え付け耐えていた……。
今日、この日が来るまでに
ロシュナ様とハンク様は真実を伝えるために
休むことなく、各村の長や代表達に真剣に語り続けてきたのだ。
セツナとアルトの関係に始まり
彼が、危険を承知で奴隷商人の手口を晒したこと。
自身の身を削りながら、彼が蒼露の樹を癒し蒼露様の命をも救ったこと。
蒼露様がセツナに心を許し、加護を与えたのだと
この場にいる全員に伝えていた。
されど、ロシュナ様達の言葉を信じていないモノ達が一握りいた。
半獣などに加護を与えるはずがないと、激昂するモノ達がいた。
ロシュナ様もハンク様も、そしてその他の代表達も懇々と諭すように
彼らと話し合い、最終的には納得したように思ったのだが……。
彼らは、ただ、納得した振りをしていたようだ。
『わらわに、アルトを弑せよと告げるか』
『そのような、恐れ多いことは申せません!』
『ただ、我らに命じて下されば、我らは貴方様の手足となりましょう』
命じろということは、蒼露様に責任を押し付け
加担しろといっているのと同義だろうに。
そして……。
蒼露の樹を癒せるセツナを、サガーナから出国させた
ロシュナ様やハンク様を罵り、役立たずとまで口にする。
トリンが、殺気を纏い始めたのを見て
エイクが、必死に抑えろと宥めている声が小さく耳に届いた。
暫定ではあるが、トリンはロシュナ様の後継として
エイクは私の後継候補として、ここに居る。
蒼露様は、時折口を挟みながら、彼らの話を最初から最後まで
微笑みながら聞いていたが、その目にある光が冷たく凍えていることに
熱に浮かされたように話すモノ達以外は気がついていた。
すべてを語り終えた彼らは、満足気に息を吐き
その目を輝かせながら、蒼露様を見つめている。
蒼露様は、彼らから視線を外し……蒼露様と共にある蒼露の樹にそっと触れた。
『のぅ、そなたはどう思う?』
静かな声音で、蒼露様が蒼露の樹に語り掛けたその瞬間
蒼露の樹が、煌びやかな澄んだ音ではなく、低く唸るような低音を響かせた。
その音が耳に届くと同時に、体が何かに押しつぶされるように重くなる。
その重みに必死に耐えながら顔を上げると……。
私の視界に入った蒼露様の瞳は真紅に染まり
その傍にある蒼露の樹も同様に、真紅に染まっていた……。
『わらわに魔力を与え
わらわの命を救い
痛みと共に奴隷商人の手口をあかし
そして、自らの命を削り……この蒼露の樹を癒した。
そのことに感謝もせず
そなた達は、セツナの一番大切な存在を
わらわに弑せと告げるのか』
その瞳を真紅に染めたまま、蒼露様が奏上したモノ達へと視線をむけた。
『恩を仇で返す様なことを……。
精霊であるわらわに、命じよと告げるのか』
蒼露様がその声を響かせるごとに、体に圧し掛かる重みが増えていく。
『セツナとアルトの関係に口を挟むことを許さぬと
わらわがロシュナに伝え、ロシュナはそなた達によう伝えたはずじゃ』
『……』
『わらわが、セツナとアルトに加護を与えたことも
ロシュナ達は、伝えていたであろう?』
祝福ではなく、加護を与える。
その意味は、精霊が守り見守る者ということだ。
彼らは、本当にロシュナ様の言葉を信じていなかったのだと
蒼露様が加護を与えたと口にした時の驚きの表情を見て
殆どのもの達が眉間に皺を寄せていた。
『そなた達の、人間に対する感情を鑑みれば……。
人間と結ばれた同族は、裏切り者と感じるのかもしれぬが……』
蒼露様の声が響くと同時に、蒼露の樹から聞こえていた音が止まった。
その音が止まると同時に、押しつぶされるような感覚が消え
つめていた息をはきだした。
『下がれ』
蒼露様はため息をつきながら、それだけを告げると
この場から、溶けるように消えてしまい
蒼露様が消えた瞬間、私達は蒼露の樹から離れた場所へ
移動させられていた。
慌てて、蒼露の樹のそばへと向かうが
蒼露様が張ったのであろう結界が蒼露の樹の周りを囲んでおり
誰一人として、蒼露の樹に近づくことができなくなっていた。
結界の外から、茫然と蒼露の樹を見つめる。
蒼露の樹は未だ真紅に染まり……その色を戻すことはなかった。
ロシュナ様が俯き膝をついて、蒼露様に許しを乞うている。
その姿を見て、私も膝をつきかけるが、ロシュナ様の前に
光の上位精霊が姿を現し、ロシュナ様だけに何かを告げ
そして、すぐに消えた。
『ロシュナ』
代表の一人が、ロシュナ様を呼び何をいわれたのかと視線で問う。
『……蒼露様の気持ちを考え、今日は下がりなさいと』
『そうか』
蒼露様は、アルトを可愛がっておられた。
アルトだけではなく、半獣の誕生を心から喜んでおられた。
そんな蒼露様に、半獣を殺すように命じろという奏上は、
どれほど、そのお心を傷つけることになったのだろうかと……。
ロシュナ様と代表が、解散を告げ
それぞれの村へと戻る。蒼露様に奏上したモノ達が
ロシュナ様を呼んでいたが、ロシュナ様は一度も振り返らなかった。
次の日、朝早くに蒼露の樹へ出かけようとすると
アイリとユウイが一緒に行くといってついて来ようとした。
昨日、蒼露の樹が低音を響かせ真紅に染まったことは
すべてのものが知っていた。
アイリとユウイは、昨日からずっと
蒼露の樹の傍に行きたいと、私にねだっていたが
私はそれを許さなかった。
今日も、代表達が集まっているだろうから
止めておきなさいと告げても、頑なに首を横に振る。
どこか、必死なアイリの様子を見て
このまま置いていっても、家を抜け出すような予感がする。
それならば、勝手に行動されるよりは
目の届く場所に置いておくほうが、いいだろうと思い
共に連れていくことにした。
アイリとユウイの歩調にあわせながら
結界が張られている場所にたどりついた。
すぐそばで、真紅に染まる蒼露の樹を見て
それから、ロシュナ様や代表達
その他の大人達が膝をついているのを見て
二人は緊張したような表情を見せていた。
数人から、どうして子供を連れて来たのかという
視線がこちらへと送られてくるが
気がつかない振りをしてやり過ごした。
しばらくすると、アイリとユウイが顔を見合わせ
軽く頷いてから、蒼露の樹のそばへ行こうと歩き出す。
そこから先は進むことができないと、声をかけようとしたが
私が声をかけるまえに、アイリとユウイが結界の中へと入っていった。
慌てて二人の後を追うと、私もすんなりと結界を通ることができた。
その様子を見ていた、ロシュナ様や代表達が慌てて
私達の後を追うように走ってきたが、一部のモノ達は
結界にはじかれ、入ることができないようだった。
アイリ達は、私達を気にすることなく歩き
蒼露の樹のそばへとたどりついていた。
私達は、その手前に張られた結界に阻まれ
そこから先に進むことができなかった。
蒼露様が、二人だけを通したのだろう。
『やぁ、ディル』
『おはようございます』
ロシュナ様達に軽く頭を下げ、挨拶を返す。
代表達に、アイリ達を連れてきた理由を聞かれたので
朝、思ったことをそのまま答える。
大人しそうに見えて、行動力があるので
目を離すと危ないと感じた時は、目を離さないようにしていると告げると
ロシュナ様とハンク様が、苦笑を浮かべて頷いていた。
『おはようございます』
『おはよー』
『おはようだの』
アイリとユウイの声が響き、二人の方へと視線を向けると
蒼露様が穏やかな笑みを浮かべながら、二人の前に姿を見せていた。
二人は、蒼露様の姿を見て目を丸くしている。
挨拶をしたものの、蒼露様が出てくるとは思わなかったのだろう。
『こんなに朝早く、どうしたのじゃ』
『蒼露様……』
『あおたま』
ユウイ……。
『えっと』
『あおたま、あおたまのき、いたいいたい?』
『……』
アイリがいいよどむなか
ユウイは、自分の思ったことを素直に口にした。
ユウイの言葉に、血の気が引く思いをしているのは
私だけではないだろう……。
止めに入ろうかと、口を開きかけるが
アイリとユウイの目が、こちらが息をのむぐらい
真剣な光を帯びているのに気がついて、口を閉じた。
『そうだの……』
蒼露様は、二人の真剣な様子を見て誤魔化すことなく頷いた。
蒼露様の返答に、ロシュナ様が拳を握る。
『師匠、呼ぶ?』
『しとー』
『セツナを呼ぶ?』
蒼露様が、二人を見て首を傾げる。
『師匠が、困ったことがあったらどこにいても助けてくれるって』
『……』
そうか……。二人が頑なに私について来ようとしたのは
蒼露の樹の異変を感じ、セツナの力が必要かもしれないと
考えたからか。
アイリもユウイも、ここで生まれ育った。
蒼露の樹が、どれほど私達に恩恵を与えてくれているのか
幼くとも、きちんと理解してる。
蒼露の樹の危機だと感じ
必死に、自分のできることを考え
出した結論が、セツナを呼ぶことだったのだろう。
『おねつある?』
ユウイがアイリの手を離し、蒼露の樹に触れる。
蒼露の樹が、ユウイに答えるように柔らかい音を奏でた。
『熱はない』
ユウイの思考が面白かったのか
蒼露様が小さく笑った。
真直ぐに蒼露様を見るアイリと、
熱がないことを確認し嬉しそうに笑うユウイの頭に、
蒼露様が優しく手を置いて、ふわりふわりと撫でる。
その優しい手に、アイリはくすぐったそうな笑みを見せた。
『セツナを呼ばなくともよい』
『本当?』
『いたない?』
『もう、大丈夫じゃ。
そなた達が、心配して駆けつけてくれたからの』
蒼露様の温かな声音と笑みを、二人は暫くじっと見つめて
納得したのか、蒼露様に軽く頷いた。
『ほれ、蒼露の樹も元気になったであろう?』
蒼露様の視線につられるように
アイリ達が蒼露の樹を見上げると
真紅に染まっていた蒼露の樹が、元の蒼色へと戻っていた。
蒼露の樹が、元の色に戻ったことで
アイリとユウイが、満面の笑みを見せてよかったと口にした。
そんな二人の姿を、蒼露様は目を細めて眺めていたのだった。
『ディルの勘が当たったな』
『目を離さなくて正解じゃったな』
ロシュナ様とハンク様が、私を見て苦笑する。
『二人を置いて来ていたら
今頃、セツナが呼ばれていたかもしれない』
ロシュナ様のため息と共に落とされた言葉に
十分あり得る話だと感じた。
蒼露様も、多分……セツナを呼ばれることを危惧して
怒りを解かれたのかもしれない……。
後ほど、謝罪をしなければ。
しばらくの間、蒼露様は二人と楽し気に話しておられたが
ユウイのお腹がなったことで、二人に帰ってご飯を食べるように告げた。
『そなたの父と、少し話すことがあるゆえ、少し帰りが遅くなる。よいか?』
『はい』
『あい』
蒼露様は、私と話すことがあるから私の帰宅が遅れることをいい聞かせ
二人を転移魔法で家まで送って下さったみたいだった。
アイリ達が消えてすぐ、私達の目の前の結界が解除され
蒼露様が、私達を見て頷いたことから蒼露の樹のそばにいき跪く。
『わらわも、そなたの娘達から目を離さぬ方が良いと思うのじゃ』
蒼露様が、苦笑を浮かべながら私を見てそう告げた。
『セツナが、アイリ達にそう告げたのなら
何処にいようと、飛んでくるであろうよ。
約束を違える男ではないからの』
『申し訳ありません』
『謝らなくともよい。
優しい子達じゃ。蒼露の樹が病気になったと思うて
朝食も取らずに、駆け付けてくれたのだから』
『しかし……』
『アイリとユウイを叱るでないぞ?』
『はい。ありがとうございます』
私の返答に、蒼露様が深く頷き
そして、視線を私から頭を下げ微動だにしないロシュナ様達へと向けた。
『のう、ロシュナよ』
『は、い……』
『トキトナに住むもの達は、そなた達の敵であろうか?』
蒼露様の言葉に、この場に居る全員の息が止まった。
『わらわには……。
命を賭け、妻子を守り、自分達が……いや、未来の子供のために
未開の地を切り開き街を作ったもの達が、
伴侶の同族に最初から悪意を持っていたとは到底思えぬ。
よほどの覚悟がなければ……。
自分達の想いを貫き通すことは、叶わなかったであろうよ』
『……』
『ロシュナ達が、わらわに隠れてことを成そうとしていたのは知っておる。
そのことについては何もいわぬ。わらわの気持ちを慮ってのことであろうし
そなた達の感情の在り処も理解できるのじゃ』
トキトナとの関係を、改善しようとしていたことまで
蒼露様は、ご存じだったのか……。
『……若い頃は敵だと、思っておりました。
年を経てから、彼らが敵だという思いは薄れていきました』
『……』
『責めても仕方のないことを理由に
私は、半獣たちを差別していたのだと……。
そう気がつくのに、長き時を必要としました』
ロシュナ様の返答に、代表達も同意して頷く。
『そうか……』
ロシュナ様からそっと視線を外し
蒼露様は、どこか遠くを見るような目をして口を開いた。
『トキトナという街ができた理由を知り。
半獣と呼ばれるもの達が、歩いてきた道を知った』
蒼露様の声が悲しみを帯びる。
蒼露様は、すべてを知り、その心を痛めながらも
私達の過去を許してくださっていたのだろう。
私達に何も告げず、見守って下さっていたのに……。
蒼露様は、どのような思いであのモノ達の奏上を聞いていたのだろうか。
『申し訳ありません』
ロシュナ様が深く深く頭を下げるのを見て、
私もハンク様も、そして代表達も蒼露様に頭を下げた。
『人と獣人の間に、子が生まれるのに長き時が必要だった。
絡まった紐を解きほぐすには……そなた達だけの努力では
どうにもならぬことを、わらわも知っておる。
神の時代から続く……』
そこで、蒼露様は一度言葉を切り深く深くため息を落とし
首を軽く横に振り『せんなきことよな』と呟きその瞳を翳らせ
静かに涙を落とした……。
余りにも、儚く哀し気に佇む蒼露様の姿に
ロシュナ様を含む代表達が、口々に蒼露様の涙を止めようと
これからのことを口にしていく。
要約すれば、サガーナがもっと豊かになっていくように
セツナのような思想の人間が他にもいるのなら
少しずつでも、交流していきたいと考えていることや
トキトナに住む、若者達と連絡を取りながら
半獣との関係も改善していくつもりだと告げた。
長い時間を必要とするかもしれないが
必ず、必ず解決すると誓うから、見守っていて欲しいと。
懇願に近い、声を響かせていた。
代表達が必死になる気持ちは私も理解できた。
蒼露様が消えてしまいそうなほど、儚く見えたのだ。
ここで引き止めなければ、取り返しのつかないことになりそうな
そんな予感を、ここに居る全員が感じ取っていたかもしれない。
『そうか。そうか……』
必死にいい募る、代表達に向けて蒼露様が苦笑に近い笑みではあったが
笑ってくださったことに、ここに居る全員が安堵の息をついた。
『ロシュナが告げたように
自分で生れ落ちる場所を決めることなどできぬのじゃ。
半獣として生まれてくる子に、罪などあるわけがない』
『はい』
『半獣として生まれてきたから殺す……。
人を伴侶にしたから殺すという思考が
この国の思想にならないことをわらわは望む』
『させません。
その様な国には、決して、決して、させません』
蒼露様は、全員の顔を見てから深く頷き
これからのことを話し終えてから、その姿を消した。
蒼露様は、そのお体を癒すために
しばらくの間、眠りにつくといわれ
この日をさかいに、蒼露様が私達の前に
姿を見せることはなくなった。
次に、蒼露様のお姿を見ることになるのは……。
暗く、冷たい雨の日だった。





