『 風の繋ぐ想い 』
【 リヴァイル 】
窓から入ってきた光で、うっすらと意識が覚醒し始める。
今日が休みということもあり、昨夜は友人達に誘われ久しぶりに浴びるほど酒を飲んだ。
弟妹が起こした事件をきっかけに離れていった元友人達もいるが
私達家族を心配して気にかけてくれる友人達の方が多かった。
数百年ぶりに戻った私に「生きていたか」と、安堵したような表情を向けられ
面映ゆい思いもしたが素直に嬉しいと思えた。
あの男と出会う前の私なら……。
きっと、友人たちの誘いを、無下に断っていたかもしれない。
クットの洞窟で暮らしていたときのように唯々妹の事を考え
何もできない自分に苛立ち、息をして生きているだけの
生活を続けていたかもしれない。
そんなことを酒を飲みながら考えていた。
妹の……。
トゥーリの心が少しづつ癒えているように……。
私や私の父と母の心もゆっくりとではあるが
正常な感情を取り戻しつつあるような気がする……。
特に母は、淡くではあるが笑みを浮かべることが増えたと
父が話していた。
淡くとも、母が笑みを取り戻した切っ掛けが私の帰宅であると
父から聞き生存の報告ぐらいすればよかったと
胸の中で不甲斐無い自分に溜息をついた。
母の笑みが増えた一番の理由は、私の帰宅だとは思うが
もう一つ、私の帰宅以外にも心当たりがある。
母が自分の膝の上に乗せ、優しく話しかけている小さな生き物のように見える
使い魔が、それだ。
トゥーリが寂しくないようにとあの男が創り出した使い魔の
片割れが妹だけではなく、母の心も慰めているのだと
私も父も気がついていた……。
使い魔を連れて帰ろうとした時の
母の寂しそうな表情を見てしまった時に、私は世話を任せることに決めた。
私の中で、使い魔に対して少なからず不安があった。
ただ、あの男が父と母に何か害になるようなことをするとは思えず
母の心が少しでも癒されるのなら
母の傍に置いておくほうがいいのではないかと考えたのだ。
もっとも、使い魔に対しての警戒という点では
私より両親のほうが強くてしかるべきではあるのだろうが
母は早い段階で、警戒を解き使い魔を受け入れていた……。
きっと、使い魔の核があの男の魔力だけならば
母も警戒を解かなかっただろう。
だが、使い魔を構成する魔力の殆どが
悪意を嫌う精霊の魔力で作られていることや
使い魔から感じる魔力が妹のものと似ていることから
母はこのウサギを受け入れたのだろう。
父も、最近まで使い魔を警戒していたようだが
今はそんな母を見て、色々ともう諦めているように思える。
父の気持ちも、わからなくはない。
普通ならば、魔導師の分身ともいえる使い魔に心を許すなどあり得ない話だ。
……そう、あり得ない話なのだ。
そもそも、魔導師が使い魔を手元から離すことが
正気を疑う行為なのだ。
つまり、あの男の常識、いや、あの男こそが正気ではないのだから
考えるだけ無駄だと、私は割り切った。
転移魔法を使えるだろう使い魔が勝手に戻って来る事も考えたが
一度も戻って来る事はなかった。
大丈夫かと気になったこともあり、休みの日に様子を見に行くと
それは、実にのびのびと生活していた……。
使い魔の在り方として、生活しているという表現は適切なのだろうかと
思わなくもない。
母が部屋の中だけでは可哀想だと外で遊ばせ
薬草の世話をするときも一緒に連れて行く。
森へ採取に行くときなどは、かごに入れて連れて行っている。
正直、使い魔にこれらの散歩は必要なのかと疑問を抱かざるを得ない。
それでも、薬草畑で嬉しそうに跳ねまわっている使い魔を眺めながら
目を細める母を見てしまえば口に出すことなどできるはずがない。
母が怪我をしたら風魔法で癒し
採取に出掛けた森で魔物に遭遇すれば風魔法で倒し
母が声かければ、耳を傾けきゅと返事をする使い魔を
母はとてもかわいがっていた……。
母も風魔法を使えるし、森にいる程度の魔物なら相手にもならないが
使い魔が心配そうに母にすり寄ることから、好きにさせているようだ。
父が時折、虚ろな目で使い魔を見つめてから何かを言いたそうに
私を見ていることを知っているが
父とは目をあわせないように気を付けていた。
私にも答えようがないのだから!
母から、そういった話を聞くたびに
この使い魔は本当に使い魔なのだろうかと考え
使い魔と言いつつ何か別の魔法生物を
あの男は創り出したのではないのかと様々な疑問が頭をよぎった。
使い魔に刻まれている魔法の構成を調べたい衝動に駆られるが
使い魔に魔力を流せば、涙を落とすことを知っている。
そして、魔力を流すことで使い魔に何かあれば
妹も母も嘆き悲しむかと思うと疑問を抱きつつも
放置するしかなかった。
父も使い魔を見ては溜息をついている所をみると
私と似たようなことを考えているのだろう。
私は……そんなどことなくおかしな状況の中
ゆっくりとではあるが、私達家族の時間が動き出した音を
聞いていた。
私達家族の真ん中に、新しい風が吹いたのだと気が付いた。
変化をもたらすための切っ掛けともいえるだろうか。
あれが意識して、風を作り出したわけではないだろうがそれでも
少しは感謝をしてやってもいいと思う。
新しい風と言えば、母は使い魔だけではなく
父の胃薬を調合しているトゥーリにも興味を向けている。
胃薬の礼として、刺繍道具を贈ったり
普段使わない共通語で手紙を書いたりと
母親らしい感性で交流をはかっているようだった。
母には、驚かせるだろうから竜族だということは内緒にすることと
手紙は、師であるあの男も読むことになるから、気を付けるようにと伝えてある。
母に本当のことを知られるわけにはいかないし
トゥーリにも本当のことを教えることができない。
解決する糸口が何もない状態で、希望だけを与えるわけにはいかないのだ……。
全てが終わったら……。
そう、妹が帰ってきたら私が謝ればいい。謝れる日が訪れればいい……。
トゥーリのことを説明するのに、アルトの生い立ちを利用したと
あの男には伝えてある。
それに関してあいつが口を挟むことはなく
私達が穏やかに生活できるのなら多少の嘘も必要だと理解を見せていた。
ただ、改竄した情報は必ず報告してほしいと
それだけ手紙には書かれてあった。
とりとめもなくここ最近のことを思い出していたが
手紙という単語で、ふと、うつつに戻った。
そう言えば、あの男から何か届いていたような気がする。
あの男が送ってきた魔道具の傍に
手紙らしきものと小さな箱が置かれていることに、気が付いてはいた。
だが、昨夜は飲みすぎで意識が朦朧としていたために
確認することなく眠りに落ちてしまった。
とりあえず身の回りを整え
食事をとってから届いたものを手に取りソファーへと座る。
それは、濃紺色の小さな箱と
いつも届いているモノよりも大きい封筒に封蝋が施されている
手紙のようなものだった。
今までの手紙には、一度も封蝋などされていたことはない。
微かに魔力を感じることから
見たことのない植物が刻まれている封蝋に指を近づけ魔力を流した。
魔力を流すと同時に淡く光り、封蝋が粉々に砕け散る。
私以外に解除することができない仕掛けに
封筒の中のモノを見たくない衝動に駆られる。
その気持ちをぐっと押し込め、中のモノを取り出すと
白紙の便箋が七枚ほど入っていた。
何の悪戯だと、少し苛立ちながら封筒の中を確認すると
メモが一枚入っていることに気づく。
メモには、簡潔に次の二点が書かれていた。
便箋に魔力を流すと文字が浮き出るようになっており
二十分ほどで消えること。
再度、読むときはまた魔力を流すこと。
面倒な細工をすると思いながらも、便箋に魔力を流すと
机の上に置いたメモが跡形もなく燃えて消えた……。
私以外のモノに読ませる気はないという意思表示だろう。
一体何が書かれているのか……。
気が重くなりながらも便箋に視線を落とすと
いつもは共通語で書かれている文字が
今回は、私の国の言葉である竜国語で文字が綴られていた。
竜国語を流暢に話してはいたが
文字も綴れたのかと頭の片隅で考えながら文字を読んでいく。
そんな余計な思考は、文字を追うごとに私の中から消えていった。
言い表すことができないほどの感情を必死に抑え付けながら
あの男の感情が含まれていない淡々とした文章を読んでいった。
全て読み終わり、もう一度最初から読み直し
様々な感情を吐き出すように息をはく。
あの男からの手紙を机の上に置いたところで
便箋の文字がスッと消えた。
私以外に読まれないようにした理由も
共通語ではなく竜国語で綴られた文章の理由も
この手紙を読み終えて理解した……。
私に正しく伝えるために、私の国の言葉で文章を綴ったのだろう。
私は、共通語を話せもするし読むことも書くこともできるが
さほど得意というわけではないことを
今までの手紙のやり取りで推測しての配慮だろう。
そして、ここまで面倒な手順を踏んだのは
弟の尊厳を守るためだ……。
弟が大切な人の為にと捧げた命が
今もなお、私利私欲のために利用されていることを
第三者に知られないために。
昨日の友人達のような気のいい竜だけではない。
弟妹の事を愚かだと、騙される方が悪いのだと嗤う声もあることを
あの男は気がついているのかもしれない。
何処にでも、そういう輩はいるものだからな。
あの男からの手紙を封筒にしまい
魔力で封をされている濃紺色の小さい箱に私の魔力を流すと箱のふたが開く。
箱を開けた途端に、あふれ出した弟の存在を思い出させる魔力に
思わず奥歯をかみしめた……。
魔力を遮断すると書かれてあった箱のふたを閉める。
感情の波が過ぎ去るまで目元を押さえ
俯きながら弟の血をどうするか思案する……。
父と母に渡して墓に入れてやるのが一番いいとは思う。
だが、ようやく笑えるようになった母のことを思うと
教えないほうがいいのかもしれないとも脳裏をよぎる。
脳裏をよぎったが……、頭を軽く振りその考えを振り払う。
いずれ真実を知る時は必ず来るだろうし
私が伝えなかったとしても父は母に伝えることを選ぶだろう。
深く溜息をはき、自分の感情を逃がしてから
鞄の中にあの男から届いた手紙と小箱を詰め込んで
重い腰を上げる。
もともと、使い魔の様子を見に行くついでに
夕食を取る約束をしていたのだ。
今から行けば、夕食までには話し終えることができるだろう。
もう一度ため息をはいてから、家を出た。
予定していた時間よりも早く訪れた私の顔を見て
父が少し眉根を寄せた。
父のその表情に、何か予定があったのかもしれないと
出直すことを告げようとする前に父が言葉を発した。
「何かあったのか」
私を真直ぐに見て、父はいつもの落ち着いた声を響かせる。
そうだ、父はこういう人だった。
「酷い顔色をしている。何があった」
昔から、心が読めているんじゃないかと思うほど
私や弟妹達の心の機微に敏い人だった。
何も言えない私に、父は立ち上がり台所へと向かい
母にお茶を入れるように頼んでいる。
戻ってきた父と向かい合うようにソファーへと座り鞄の中から
濃紺色の小さな箱を取り出し机の上に置いた。
私の魔力を流してふたが開く状態にしてから
父の方へと差し出す。
父は、私が差し出した小さな箱をしばらく見つめてから
私に何かを問うこともなく丁寧な動作で
箱に手を伸ばし箱のふたを開けた。
「っ……」
ふたを開けた瞬間に流れ出す、弟の魔力に父が息を止め
目を見張り箱を凝視する。
人数分のお茶を入れて、運んできた母も体の動きを止めて
箱を凝視していた。
父の拳が握りしめられていく。
拳を握ることで感情を抑えているのか、微かに拳が震えていた。
「どうしてお前の契約者が、ユグレウスの血を持っている」
先ほどとは違う、怒りの感情が籠った声と同時に
父は私を射るような目で見据えた。
あの箱には、あの男がよこした使い魔と同じ魔力で
魔法が掛けられている。あの男の魔力を知っていれば
この箱の持ち主が誰かなど簡単にわかることだった。
私が説明するよりも手紙を見せたほうが
正しく真実が伝わるだろうと思い、鞄から封筒を取り出し
文字を読めるようにしてから父へと手渡す。
「契約者からの手紙だ。手紙には精霊の刻印がされてある」
精霊の刻印がなされた紙には
真実しか記すことができないらしい。
偽りを記そうとすると刻印がなされた紙は
跡形もなく燃えてしまうそうだ。
精霊に刻印を頼むには、それ相応の対価が必要だと
何かの本に書かれていた気がする。
この手紙には、使い魔の魔力の核となっている二人の精霊と
そして、もう一人違う精霊の刻印がされていた。
あの男は……。
この手紙の内容が真実だと告げるためだけに精霊を呼び出し
対価を支払ったのだろうか……。
父は精霊の刻印の事を知っていたようだが
母は知らなかったようで、父が簡単に説明している。
精霊の刻印がされている紙には、偽りを記すことはできない。
だが、都合の悪い内容を書かないという選択はできる。
手紙の内容は、真実だと証明されているようなものだが
書かれていないことがあるかもしれない。
それを頭に入れておくようにと、母に告げていた。
母は、表情を硬くしながらも父の目を見て頷いた。
父が私から手紙を受け取り、手紙に視線を落とし母は
父の隣で共に手紙を読み始める。
一枚目の手紙には、あの男……。
セツナ自身の事が綴られていた。
『……僕がカイルから預かり
リヴァイルに渡した手紙の内容を僕は知らない。
多分、カイルの事だから簡単に説明は
されているのかもしれないけれど……。
僕にとって、カイルは兄であり、親友であり
そして師だと思っている。
僕とカイルとの間に、血の繋がりはない。
でも、血の繋がりはないが
カイルは僕に色々なものを与えてくれた恩人だ。
自分では抜け出せない境遇から僕を救い出し、
カイルと出会う前の記憶がほとんどない僕に
生きるすべを与えてくれた。
その恩を返そうとするならば
僕の命を捧げたとしても足りることはないだろう。
カイルが水辺へと旅立ちここには存在しなくとも、
僕は生涯カイルを裏切ることはない。
カイルの…………。
…………。……』
淡々と自分の境遇を綴るセツナの手紙で
私は、初めてセツナと会った日の事を思い出した。
あの日のセツナとの会話を思い出し、苦い思いが胸を占める。
殺そうと思っていたから追い詰めた……。
知らなかったとはいえ、記憶のない人間に『君は、何なんだ?』 と
本気で口にしたのだ。
内心溜息をつきながら
父と母の視線が文字を追っていくのを眺める。
一枚の真ん中あたりにきたところで、その瞳を驚きに染めて
父と母が同時に顔をあげ私を見た。
「カイル……の弟?」
「あぁ。カイルからの手紙にも、弟を、セツナを頼む、と書かれていた」
絶句している両親に、あの男の手紙を肯定するように言葉を落とすと
父は一度目を閉じ、母は静かに涙を落とした。
父と母には、騎士契約をしたという事は伝えてあったが
セツナがカイルの身内だということを伝えそびれていた。
伝えてしまえば……。
カイルが水辺へと旅立ったことも伝えねばならなかったから……。
竜族と人間との時間の流れは、全く違う。
カイルを人間の理の中にいれてもいいのか迷うところではあるが
カイルが私達より長く生きることができるとは
私も、そして、両親も思ってはいなかった。
もう、とっくに水辺に旅だっただろうと感じてはいてもこうして
現実を知ってしまえば胸が痛むのだ……。
それだけ、カイルは私達家族にとって特別な人間だった。
カイルと最初に出会ったのは、父だ。
父とカイルが出会ったきっかけは
何度聞いても教えてもらえなかった。
それでも、父がカイルに心を許している事だけは理解できた。
私との出会いは、父が知らない人間と飲んでいるのを見つけ
興味本位で声をかけたのが切っ掛けだった。
竜の一族だと知っているはずなのに物怖じすることなく
対等に父と飲んでいるカイルに興味を持ち
それから私とカイルの交流が続いていく。
その頃はまだ、グランドの国も存在しており
向こうの大陸へ向かう船も出ていたはずだ。
その船に乗って、カイルはこちらの大陸に冒険に来たと
話していた気がする。
カイルと出会って数年は
カイルから連絡が来れば何処かの店で待ち合わせをして
再会を喜び夜が更けるまで話をしながら飲んでいたと思う。
私も父も、うちに泊まればいいと、いつも誘っていたものだ。
そのたびに「ゆっくり滞在できる時に世話になるさ」と告げ
数日の間、ドルマーレで過ごしてすぐに向こうの大陸へと
戻っていった。
しばらくして、カイルがふらりと姿を見せ色々と落ち着いたから
骨休めにドルマーレで遊んで暮らすと宣言した。
すると父が自宅へと誘い
そこからカイルがドルマーレに来たときは
我が家に滞在することが多くなった。
自由奔放で口は悪いが、子供にはそれなりに優しく
さっぱりとした性格のカイルに弟妹達はすぐに懐いた。
力技な魔法を目を丸くして眺め
不思議な鞄から妙なものを取り出しお土産だといって
私達に渡すカイルの来訪を弟妹達は楽しみにしていたと思う。
妹は、カイルの見た目が私ぐらいの年齢に見えたのか
私の仕事仲間だと思っていたようだが
些細な事なので私もカイルも気にも留めなかった。
私が仕事に出かけてもフラフラと遊んでいるカイルに
疑問を抱いた妹がカイルを質問攻めにするまで
妹の思い込みは続いた。
時々ふらりと我が家にやって来て実家に滞在することもあれば
私達の家の傍に家を建てそこで滞在することもあった。
驚くことにカイルは、鞄から手のひらに乗るぐらいの家の形をしたものを取り出し
魔法で家を復元するのだった。
両親の家は、街の中心からかなり離れた位置に建てられている。
もともとは、静かな場所が好きだった
曾祖父の持ち家だったらしいが、両親が結婚した時に
譲り受けたようだ。両親とカイルと弟妹達と私……。
穏やかでのんびりとした時間も
カイルと弟の悪戯に母と妹の悲鳴が響いた時間も
父とカイルが酒を酌み交わしていた静かな時間も……。
私はとても好きだった。
「お前は、カイルと会っていたのか?」
静かに落とされた父の言葉に
頭の中に蘇った光景が淡く滲んで消えていく……。
父の問いに私は首を横に振り
カイルとの最後の会話を父と母に告げると
二人は、その瞳を哀し気に揺らした。
私が、父とカイルの交流を断ち切ったのに
父は私を一言も責めることはなく
ただ「そうか」と一言呟いただけだった。
父も母も何も言わず、また手紙へと視線を落とし
続きを読んでいく。
文字を追うごとに二人の顔から表情が抜け落ちていく……。
だが、私が想像していたよりも二人とも落ち着いているように見えた。
多分、あの男の文章が感情に訴えかけるようなものや
感情を煽り立てるようなものではなく
真実を語ることのみを目的とした文章だったからかもしれない。
ユグレウスの血で
人生を狂わされた女や子供の肩を持つこともなく。
私達の怒りや悲しみに触れることもなく綴られた文章は
一つの報告書を読んでいるような気持ちにさせられた。
それでも、腸が煮えくりかえる思いや
胸がえぐられるような悲しみが消えるわけではない。
しかし、必要以上に感情を揺さぶることのない文章の綴られ方は
素直にありがたいと思えた。
あの男がこの手紙で、感情をのせた文章を見せたのは
最後のほうに書かれた数行だけだ。
『誰かを傷つけてまで、真実を告げることが
正しい道だと僕は思わない。
思わないけれど……。
僕ならば、水辺へと旅立ったとしても
大切な家族の元へ帰りたいと願う。
だから……。
リヴァイルの弟君の血を
リヴァイルの元へ帰そうと決めた……』
きっとあの男も、私が両親に教えるか悩んだのと同様に
私に告げるか悩んだのだろう。
パサリと音がしたことで、自分の思考から浮上する。
音がした方向へと視線を向けると、父は俯きながら深く溜息を吐き
母は声を押し殺して泣いていた。
二人にかける言葉が見つからず
父と母の感情が落ち着くまで黙って時が過ぎるのを待った。
「お前の契約者は……」
疲れたような声音で、父は俯いたまま口を開く。
「お前の契約者は、彼女達を許せとは言わないのだな」
「……」
「本来ならば、その女性とその子供を許してやってほしいという
嘆願の言葉が入っていても不思議ではない。
カイルが望んでいた……とはいえ
自分の命を賭けてまでも解呪したという事は
お前の契約者にとっても、懇意にしている人間のはずだ」
「……命を賭ける?」
父の言葉に、私もそして母も息をのむ。
「竜の血に刻まれた呪いを
他人が解呪するなど、正気の沙汰ではない」
「……」
「どれほど準備をしようが、相当な痛みと苦痛を伴うはずだ。
普通の人間ならば……気がふれるほどにな」
父はゆっくりと顔をあげて
籠の中で気持ちよさそうに眠るあの男の使い魔を見た。
私は呪いについては、詳しく知らない。
父に言われなければ、一生気が付かなかったかもしれない。
使い魔から視線を外し、私を見て父が苦く笑う。
「呪いをかけられた女性は、気の毒だとは思う。
今日まで必死に生きてきた女性が解呪され
ひととき、安堵しただろう。
だが、本人の希望とはいえ、先祖が犯した大罪を知ることで
罪の意識に目覚めたに違いない。
大罪の意味を知っているのなら……。
その女性は、とてつもない恐怖を抱き
絶望に突き落とされたことだろう。
だが、その様を見ていながらも
お前の契約者は、同族の肩を持たなかった」
父は一度ため息を落とし、静かな声音で本音を口にした。
「女性を気の毒だと思う気持ちはある。
だがそれ以上に……。
ユグレウスの血が、人間に引き継がれたことに苛立ちを感じ
あの王族の血を微かにでも引いている人間の存在に
嫌悪を覚える。
頭で理解しようとも、心がついていかないことを
お前の契約者は、気がついてくれていたのだろう」
「……そうかもな」
もし……もし、あの男が少しでも許しを嘆願する言葉を
綴っていたとしたら……。
私は、その親子を殺しに行っていたかもしれない。
カイルが助けたのだとしても。
許せと言われて、許せるならば……。
私達はこれほど、苦しんではいないのだから。
「カイルは、何を考えていたのだろうな」
あの男の手紙には
カイルが女性を助けた理由は綴られていなかった。
カイルの性格からして
ユグレウスの血を使った王族を殺すことはあっても
その親子を助ける理由がない。
気になったとしても、その親子の命さえ救えば
それでよかったはずだ。
実際、呪いを解いたのはセツナだが
その準備をしていたのはカイルだと書かれてあった。
呪いを解く方法を探しその子供が魔力を暴走させないように
長年見守っていたと書かれていた。
カイルがそこまで、その親子に心を傾けた理由はなんだ?
面倒事を嫌うカイルが
そこまでしてユグレウスの血を残そうとした理由はなんだったんだ……。
私が呟くように落とした言葉に父は
わからないというように首を横に振った。
母は、そんな私達を見て小さな声を響かせた。
「私は、わかるような気がします」
話の続きを待つ私と父から視線を外し赤くなった目を
籠の中でもぞもぞと動き出した使い魔へと向けながら言葉を紡いだ。
「ユグレウスは、自分が愛した女性の心が
自分にはもうないのだと気がついていたと思います」
母の言葉に、口を開かない事で同意する。
父は濃紺色の箱を見つめて、何かに耐えるように奥歯をかみしめた。
弟は、妹を心配させないよう妹の前では幸せそうに笑ってはいたが
ユグレウスが生まれたその日から私達は弟を見てきたのだ。
その笑みが、時折、翳ることに気が付かないわけがない。
ただ裏で、理由を聞いても疲れているだけだと笑い弟は
その本心を私達に告げることはなかった。
「気がついていても、ユグレウス自身は……。
その愛を手放せなかった。
王の言葉が嘘であると気がついていても
否定することなく彼女が幸せであるように願い
自分の命を捧げました。
それが偽りだったと真実が明るみになっても
私も……あなたも、そして、リヴァイルも動かなかった。
それは、ユグレウスの意思を尊重したからでしょう?」
「そうだ」
「そうだな」
この身が痛みに引き裂かれそうになろうとも、この心が憎悪で燃え上がろうとも……。
病が偽りだと知りながらも愛した女の幸せを願い
命を捧げたユグレウスの意思を無視することなどできなかった。
「あの娘も……頭ではわかっていたと思います」
「……」
私が、あの王族を処分していればと考えたこともある……。
私が処分していれば、妹が手を出すことはなかっただろうかと。
「カイルは……」
完全に眠りから覚めたのか、使い魔が動き出し母と目が合った瞬間
母の膝の上に転移して「きゅ」と鳴く。
膝の上に乗った使い魔を見て
母はゆっくりとその背を撫でてやっていた。
「ユグレウスの生きた証を残したかったのかもしれません」
「生きた証?」
私の言葉に母が微かに頷く。
「カイルにとって竜の騎士契約とは
共に生きる契約だ、と話していましたから」
「共に生きる?」
「ええ。お互いの血を交換し魂にその存在を刻む契約は
自分の中に、相手を入れる契約だと。
カイルは相手の人生を背負いたくはないから
騎士契約をするつもりはないのだと……。
貴方からの騎士契約をカイルが断った時に
その理由を聞いたのよ。
貴方には、面倒だと話したらしいけれど」
「……」
カイルに契約を断られたことは、今でも鮮明に覚えている。
断られた理由が、面倒の一言で片づけられたのだ。
忘れることなどできるはずがない。
あの頃の私は、成人してしばらくたってはいたが
若い頃の父のように一度この国から離れ
旅をするか悩んでいた時期だ。
この国を離れるのなら
竜の騎士契約をしてやってもいい人間が見つかるかもしれないと
考えていたこともあり、竜王との契約を保留にしていた。
そんな時に、カイルと出会い親交を深め
竜族でも冒険者になれるだろうという話を聞き
それなら、カイルの騎士となり旅をすれば楽しいのではないかと
安易に考えていた気がする。
忙しそうなカイルの手助けができるなら
それはそれで充実した日々を送れるだろうと。
共に生きるための契約。
私は、そんなことを考えもしなかった……。
弟妹達は、人間との騎士契約を
心と心を繋ぐための契約だという話を信じ、憧れていたようだった。
私は、弟妹達と同じ話を聞きながらも
違う竜が語る、気に入った人間を保護するようなものだという話の方を信じた。
だが、今ならカイルの言葉の意味が理解できる。
実際、あの男と騎士契約をしてみて覚えた感情は
保護するというよりも心と心を繋ぐという意味の方が
近いような気がした。
あの男と騎士契約をした瞬間
私とあの男との間に深い繋がりが刻まれたのを
はっきりと感じ取ることができた。
意識を集中させれば、あの男の魔力に触れることもできるのだ。
カタリとした音が耳に届き、母に視線を向けると
母は冷めきったお茶を口に含んで
ゆっくりと飲み下してから続きを話し出した。
「カイルは、ユグレウスの最後が気に入らなかった。
その後も、私利私欲のためにその血を利用されていたことを知り
許せなかったのだと……思います」
怒りや悲しみ、悔しさを押し殺しているのか
母の声が微かに震えた。
「カイルは、その女性を見つけた時
手を伸ばすか、伸ばさないか、悩んだと思います。
けれど……その女性の生き方を見て彼は助けることを選んだ。
伴侶を殺され、子を殺されかけ、国を追われ
家族と離され、全てを失いながらも、
この女性は、愛した人の忘れ形見である命を手放せなかった。
いえ、命を手放さなかった」
「……」
「あの娘と同じ年頃の娘が、全てを捨てて
自分の命を賭けてまで、子供の命を守ろうとした。
自分の状況を呪うことなく
一心に前を向いて……。
子供と共に生きる努力していたのでしょうね」
私には、あの男からの手紙は報告書のようなものだった。
だが、母にとっては違ったようだ。
私も、その女と子供は不憫だとは思っている。
だが、母のように女の生きてきた道を想像することはなかった。
トゥーリと同じ年頃と気が付かされ、女の生きてきた道を想像し
何とも言えない気持ちになった。気が付きたくなかった気もする。
「そこまで愛されて、生まれ来る子供に
ユグレウスの血が受け継がれる……。
ユグレウスはもう……水辺へと旅立ちましたが」
膝の上にのせた、使い魔を優しく撫でながら
母はどこか諦めにも似た表情を浮かべた。
その表情の理由は……一つしかない。
母は、その親子を許すつもりでいるのだろう。
「カイルは、あの子の最後を騙されて命を捧げた竜ではなく
私利私欲に利用された竜でもなく
大きな愛に包まれ、望まれて生まれてきた子供に
残したかったのかもしれません。
ユグレウスの生きた証を……。
騎士契約ではありませんが……。
その子供は確実にユグレウスの血を受け継ぎますから」
「相手の血を取り入れることは、共に生きることか……」
父の目も、母と同じように諦めを含んだ色を宿した。
「ええ……。
ユグレウスの血が、正常に馴染んだのなら
その子供にとっては大きな糧となるでしょう。
その力を正しく使えるのなら……。
短い命を必死に生きる人間の輝きに魅せられた
あの子は幸せに思うかもしれません」
「……」
「もし、その子供が道に外れる行いを是としていたのなら……」
「カイルなら、自分の手で殺していただろうな」
父の言葉に、母が微かに頷いた。
「リヴァイルの契約者からの手紙を読む限り、
ユグレウスの血を受け継いだ子も
真直ぐに生きる青年だと感じました……。
気を緩めれば、哀しみと憎しみに囚われそうになりますが
私の気持ちよりも……ユグレウスが望んだ……」
堪え切れなくなった涙を、次々と落とす母の背を
父が労わるように撫でる。
その姿を目に入れながら母が言えなかった言葉の続きを
私が拾って口にした。
「真直ぐに生きる人間の傍で生きたい……か」
グランドの王女と騎士契約を交わしてさえいなければ、
人間の命の輝きに魅せられ、愛おしく思っていた弟ならば……、
例え人間にいくど騙され利用されようとも
懲りずに人間の傍にいたかもしれない。
そして、いつか本当に弟を利用することなく
共に過ごせる人間と出会っていたかもしれない。
弟は、諦めることを知らない奴だったから。
父は、濃紺色の箱を優しく撫でながら呟くように言葉を落とす。
「そうか。私達が忘れかけていた記憶を
カイルは覚えていてくれたのか。
ユグレウスの願いを……覚えていてくれたのだな」
その言葉と同時に、ユグレウスとカイルを想い
父は静かに涙を零した……。
「いつか、そういつか……。
ユグレウスの血を受け継いだ子に会ってみたいの。
懸命に生きる人間の傍で生きたいという願いを叶えた
ユグレウスに会いに……。
カイルが愛した国であるリシアへ……。
いまはまだ、心の整理がつかないけれど、いつの日か」
母は、目に涙を溜めながら微かな笑みを見せ父を見た。
「ああ。私が連れて行こう」
「ええ……。その時は……」
リシアの国に憧れていた妹も一緒に……。
言葉にできない想いを涙にのせながら
私は母の望みを聞いた気がした。
だから、未来に向けた母のほのかな想いに水を差さぬように、
ただ、私の中でだけ、あの男との竜の騎士契約についての
気がかりを思い出していた。
刻まれたはずのあれとの繋がりが
なぜか、今はうっすらとしか感じ取ることが
できなくなっていることを。
竜の騎士契約をした時に、覚える感情は
個人差があるようだという話は聞いていた。
だから、これは私とあの男の相性なのだろうと
一旦は思おうとした。
だが、その気持ちを打ち消すように、疑問が次々とわいてきた。
ユグレウスは、遠く離れていても契約者の居場所をはっきりと
感知できるようになると話していたような気がした。
だが、私は、ぼんやりとした方向しかわからない。
騎士契約をし繋がりが生まれることで、
契約者を守るための能力が解放され、その使い方を自然と理解し
行使することができるようになると聞いていた。
だが、私には全く分からなかったし、使えなかった。
契約者と魔力を共有することになるとも聞いているが
あの男の魔力を感じることはできても共有しているとはいいがたい。
結局、私は、もしかしたら契約が失敗しているのかもしれないと考え
竜騎士契約をしていたことがある竜に、話を聞きにいった。
答えは、契約はなされていると断言され
私の契約者が意図して私との繋がりを薄くしているように思うと
いわれた。
話を聞きにいった竜は、父の古い友人で
私達に、騎士契約は心を繋ぐのだと話した竜だ。
私が話を聞くために訪ねていくと
どこか面白がるような笑みを浮かべていたが
私が話していくうちにその笑みは自然と消えていた。
礼を言って帰ろうとした時に
父の友人が真面目な顔をして私に告げた言葉が今も胸に残っている。
『リヴァイル。後悔する前に動けよ』と。
とりあえず、契約が失敗していなかったことは喜ばしいことだが、
どうして、繋がりを薄くする必要があるのか
どうして、そのようなことができるのか疑問は増えるばかりだ。
あの男に聞いたところで、まともな答えは期待できないだろうな。
今のところ、私が刻んだ竜紋があの男の居場所を教えるために
転移しようと思えば転移できる。
魔力が急激に減少したあの夜のように
あの男の命にかかわる何かがあれば
察知できるだろうと思うことにしたのだった。





