第八三話 もしかして
新章突入!
ルーフェン城での生活に、君子はようやく慣れて来た。
はじめは城の間取りを覚えるのに精いっぱいで、三日間歩き回ってようやく覚えた。
そんなあくる日、君子は一番鳥の鳴き声で目が覚めた。
「ん……ふぁ~あ」
いつもはまだ眠っている時間で、東の空がようやく白み始めたくらいなのだが、眼覚めは良い。
おそらくこの高級なベッドのせいだ。
さんざん嫌がったものの、寝心地はかなり良く、慣れてしまえば睡眠の質は良くなった。
(まぁ、慣れるのに五日もかかったんだけどね)
なんだが今日は眼がさえてしまったので、このまま起きる事にした。
いつもはアンネとシャネットが、洗顔用の水と桶とタオルを持って来てくれるのだが、今日は早く起きてしまったのでまだ来ない。
一人で、寝間着から制服に着替え、おさげを結って眼鏡をかけて身だしなみを整える。
誰がどう見ても、女子高校生のいでたち。
「よしっ……さっスラりんもいこっか!」
君子はスラりんをバッグに入れると、部屋を後にした。
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ルーフェンのお城は、とても広くてマグニの倍くらいの広さがある。
特に目立つのは、大きな庭だ。
専属の庭師が毎日手入れをしているので、見事な庭園が広がっている。
しかしそれでも余りある城の中には、小さな畑とそして家畜の飼育場があるのだ。
君子はせっかく早起きをしたので、普段はなかなか見る事が出来ないそんな場所を散策していた。
「ふぁ~、馬がいる」
他にも牛とヤギもいて、朝食なのか干し草を食べていた。
家畜を楽しそうに見つめる君子に、家畜番の人間の男が気付く。
「これはキーコ様、こんな所にいらっしゃるなんて」
「ドムさんおはようございます、なんだか早起きしちゃったので、動物を見せて貰ってもいいですか?」
「勿論で御座います、しかし危険なので柵の内側に入ってはなりませんよ」
「はい、わかりましたっ!」
家畜番の男は慣れた手つきで牛から乳を絞っていく。
その手際は鮮やかで、乳房からはうどんぐらい太いミルクの筋がシャーシャーと小気味のいい音を立てながら出て来る。
「それがギルの朝食になるんですか?」
「いえいえこれは使用人の分です、ご主人様とキーコ様のミルクはもっと良い物を牧場から仕入れているのですよ」
確かにいつも飲んでいる牛乳はとても美味しかった、ランクがいいというのも頷ける。
「でもせっかくしぼりたてなのに……もったいないねスラりん」
一度煮沸していない、しぼりたての牛乳を飲んでみたいものだ。
君子がちょっと残念がっていると、視界に鶏が移った。
見覚えのあるその鳥は、ヤマト村の鶏である。
「あっ、この鶏ってヤマト村のですよね!」
「はい、ベアッグさんが持って来た時は肉が食える鶏がいるなんて、何かの冗談かと思いましたよ」
そう、ベルカリュースの鳥は臭くて食べられない。
君子達が食べているのは、異邦人の大和が品種改良したものなのだ。
マグニでは当然になっていたが、ルーフェンではまだまだ珍しいものなのだ。
「あっ、もしかしてそれって卵ですか」
真っ白で綺麗な大ぶりの卵が、藁の寝床の上にあった。
家畜番はそれを拾うと汚れを取って、君子へと見せてやる。
「この鶏の肉と卵は、普段ご主人様とキーコ様が召し上がっているモノですよ」
「そうなんですね……へぇ~、生みたての卵なんて初めて見ました」
思えばスーパーに行けば綺麗な卵がいくつもあったが、それはこうやって鶏が卵を産むからだ。
命を頂いているという事を、忘れてはいけないだろう。
「あっ、その卵一つ頂いても良いですか?」
「えっ……構いませんが、どうなさるおつもりですか?」
「早起きしたらお腹すいちゃって……朝ご飯にしようと思って」
そんな事なら自分が厨房に運ぶのだが、君子は手を伸ばして来た。
「良いんです、折角早起きしたので特別な朝ご飯を食べようと思って!」
君子があまりにも言うので、家畜番はその生みたて卵を手渡した。
まだほんのり温かい、本当に生みたての卵だ。
「ドムさんありがとうございます、また動物見せて下さいね~」
君子は卵を落とさない様に細心の注意を払いながらも、小走りで厨房へと向かって行った。
厨房は太陽が顔を出す前から動いていた。
コックはまず使用人達の食事を作る、今日はジャガイモのスープとソーセージが一つだ。
使用人の数は一〇〇人、コックたちは食事時ともなると、代わるがわるやって来るメイドやら執事の為に、食事を作り続ける。
「おらっ、ソーセージは一人一本だからな! 欲張るんじゃねぇぞ!」
総料理長を就任したベアッグは、張り切ってその腕を振るっていた。
他にも数人のコック達の怒号が飛び交う中――、君子はお勝手から中へと入って来た。
「キーコ、どうしたんだよこんな時間に!」
「じつはお腹が空いてしまって……、ちょっと早いんですけど朝ご飯にしたいんですけど」
「空腹は大変だ、分かったすぐに朝飯用意するから待ってててくれ」
「ごはんとお味噌汁で十分ですよ」
今日は和食を所望していたので、ご飯は炊けているし玉ねぎとジャガイモのお味噌汁も出来上がっている。
本当はこれにプラスして魚を焼く予定だったのだが、今日は必要ない。
「本当にいいのか? おかずがないんだぞ」
「えへへっ、これがあるから大丈夫です」
そう言って君子は生卵を見せて来るのだが、何に使うのかが分からない。
だが君子が良いというのなら、良いのだろう。
ベアッグは言われるがまま、ご飯とお味噌汁を用意し始める。
「おはよー」
「ふはおー」
眠そうなユウとランがやって来た、二人は君子を見つけると駆け寄る。
「おはよう、ユウ君ランちゃん」
「キーコもごはん?」
「ごはんたべるの?」
「うん、一緒に食べよ~」
君子はごくごく当たり前の様子で、双子と一緒に使用人用のテーブルに着く。
主人である君子がいる事に気が付いた使用人達は、戸惑った様子だったが君子は何一つ気にせずに双子の真ん中に座る。
「あっキーコぉっ! なんでこんな所にいるのよぉ」
「キーコ様今日は早起きですの」
「おはようございます、おなかが空いたので朝ご飯を頂こうと思いまして」
「もう、言ってくれれば部屋まで届けたのに……」
「駄目ですよ~、今日は熱々御飯じゃなくちゃ」
君子はそう言って、お醤油と何も入っていない器を貰うと生の卵を割って溶き始めた。
一体何をしているのかと、周囲の視線が君子に集まる中。
お盆に乗せられてやって来た御飯にお箸で穴をあけると、あろうことか醤油で味付けしたその生卵を、ご飯にぶっかけた。
あまりにも手慣れたその動作に、アンネもシャネットもベアッグも何も言う事が出来ず、唖然としている中――。
「いっただきま~す」
君子は生卵を絡めたご飯を、口へと放りこもうとする。
彼女がとんでもない事をしようとしているのをようやく認識して、皆悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああっ」
「うわああああああああっ」
そして、皆で全力で君子を止めたのだった。
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「貴方は馬鹿ですか」
書類に目を通しながら、ヴィルムが呆れた様子でそう言った。
「卵を生で食べるなんて、馬鹿にもほどがありますよ」
ベルカリュースでは生の卵を食べる習慣がない。
生=腹痛という認識なのだろうが、日本人の君子さんとしては不服である。
「生みたての卵なら大丈夫ですよぉ……うっうう久しぶりに卵かけご飯を食べようと思ったのに……」
「大丈夫な訳ないでしょう! もう見てて本当にびっくりしたんだから」
「生卵を食べるなんて、考えただけでお腹がいたくなるのです」
「そんな事ないですよぉ、私の故郷では普通に食べられている、れっきとした料理ですよ」
「生卵を食べる……、貴方の故郷の民は馬鹿なんですか?」
「馬鹿じゃないですよぉ、なんつぅ暴言を吐くんですかぁ!」
君子はそう言いながら、朝食を食べる。
「所で貴方は何を食べているんですか」
「あっこれ、ベアッグさんと一緒に開発したんです!」
そう言って君子は蒸籠の中身をヴィルムに見せる。
そこに在るのは、パンの様だが焼いたものではない、初めて見る物に首を傾げた。
「なんですか、これは?」
「これはスラりんをイメージした中華まん、その名もスラりんまんです!」
要するにちょっと楕円形の中華まんなのである。
生地と餡のバランスをちゃんと考えて作った、君子のここ最近の料理の中では傑作と言える出来である。
モデルになったスラりんも、美味しそうにスラりんまんを丸のみにしていた。
「こっちはお肉でー、これはピザでー、これはチーズでー、これがカレーでー、これはあんこでー、これはカスタードでー、これがチョコですよ!」
「……随分種類が豊富ですね」
「いや~、ベアッグさんと造っている内に楽しくなって、毎日食べても飽きがこないように七種類も造っちゃいました」
「……店でもやるつもりですか貴方は」
「美味しいからいいじゃないですか~、ねぇギル」
「おう、うめーぞこれ!」
ギルベルトも気に入ったのか、右手に肉まん、左手にピザまんをもってがっついている。
美味しそうに食べる姿を見て、君子も嬉しそうに笑った。
ヴィルムもなんやかんや言って、スラりんまんの味は気に入っているようで、一つつまんでいる。
「そう言えば今日はアレが来る日ですよ、ギルベルト様」
「あ? あ~そういやそーだったなっ!」
ヴィルムに言われて、ギルベルトはどこか嬉しそうにそうだ。
「アレって、何なんですか?」
「ああ、キーコは知りませんでしたね」
「へっ?」
不思議そうに首を傾げる君子に、ヴィルムはちょっと嬉しそうに言った。
「実は――」
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君子は庭で、その様子を緊張した面持ちで見ていた。
彼女から少し離れた所に、グラムを腰に吊ったギルベルトの姿があった。
「だっ大丈夫かな……ギル」
「ギルベルト様なら大丈夫でしょう、それよりあまり近づいてはいけませんよ」
ヴィルムは君子にもっと下がるように言う、しかしそう言う彼の顔は少し緊張した面持ちだった。
「ご主人様、大丈夫なのでしょうか」
「ちょっと怖いわよね、私もこんなに近くで見るのは初めてだから……」
シャネットもアンネも少し怖がっていて、ルーフェン城の庭にはどこか張り詰めた空気に包まれていた。
そんな城に、一台の馬車がやって来る。
馬八頭で引いているのは、五メートルはあろうかという巨大な荷台。
厳重に何枚もの板を打ち付けたその荷台は、がたがたと揺れていて明らかに異様。
荷物を引いて来た御者とソレの警備をしている武装した兵士達も困った様子で、ヴィルムに近づいて来た。
「ご苦労様です、わざわざ大変だったでしょう」
「それは構わないんだが……アレは駄目だ、興奮していてとても外に出せる状況じゃない」
積み荷の揺れはより激しくなる、軍人であるヴィルムも驚くほど大きな音を立てると――荷台に打ち付けてあった板が轟音を立てて吹き飛んだ。
よく見ると吹き飛んだ訳ではなかった、内部から突き破られたのだ。
大きく鋭い爪が生えた太い足、それが板だけではなくその下にあった鉄の格子までも引き裂いていた。
「ひゃっ――」
荷台という檻に閉じ込められていたそいつは、ゆっくりと外へと出て来た。
まず出て来たのは巨大な足、次に出て来たのは前足が変形した翼、そして最後になんでも噛み千切りそうな歯と立派な角がある頭が出て来た。
それはワイバーンだった。
ただのワイバーンではない、その鱗の色は黒。
ワイバーンの強さは鱗の色で決まる、黒は最強の証であり、騎乗を許されているのは強者の中の強者である将のみ。
『グオオオオオオオオオオオン』
黒い鱗のワイバーンは咆哮を上げる、まるで自分の力を示しているようだ。
この力強い咆哮に、君子達は悲鳴を上げて蹲る。
「まっまずい檻を破った、あいつは調教師を三人も半殺しにした、ここ最近の黒い奴でも、最悪のワイバーンなんだ!」
御者はかなり取り乱した様子で言った。
あの黒い鱗のワイバーンは、魔王になったギルベルトに魔王帝から贈られた物。
黒い鱗のワイバーンは魔王の証、しかしこのワイバーンはあまりにも凶暴すぎる。
更にワイバーンは繋がれていた鎖を千切る、これで誰も抑える事が出来なくなった。
咆哮を上げ、興奮した様子で周囲を見渡す。
いつ、誰に襲いかかっても不思議ではない状況の中――馬車の最も近くにいたギルベルトへと狙いを定めた。
『グオオオオオオオオオオオ――』
大地を揺らすほどの咆哮を上げながら、ギルベルトに向かって走るワイバーン。
翼を広げれば五メートルはありそうな巨体が、すごい速さで向かって行く。
「ギルっ!」
君子はとっさに名を叫んだ。
何が出来る訳でもない、ただ心配で叫んだのだが――、ワイバーンはギルベルトの眼の前に来ると止まったのだ。
ギルベルトを跳ね飛ばしても不思議ではないくらいのスピードだったというのに、立ち止まったワイバーンは唸り声を上げながら右や左に歩き回っている。
「いっ一体……どうしたんですか」
「ワイバーンが、ギルベルト様の力量を測っているのです」
竜を家畜化したのがワイバーンだが、黒い鱗のワイバーンにもなるとほとんど竜と思えるほどの凶暴性を秘めている。
しかし黒い鱗であっても家畜、基本的には自分より上の存在に服従する事で精神的な落ち着きを得る。
だからギルベルトの力量が自分より上か、鋭い牙や爪を見せつけたり大声で吠えてみたりして、推し量っているのだ。
「ここでギルベルト様を認めれば、ワイバーンは頭を垂れます」
ワイバーンは一度頭を下げた者を主人と認め、それに付き従う。
この従える為の儀式を、『睨み』と呼んでいる。
特に鱗の色が黒に近ければ近いほど重要な事で、黒い鱗のワイバーンにでもなると一日中睨み合う事だってあるのだ。
「……ギル」
ここはギルベルトが認められるのを待つしかない、皆が固唾を飲んで見守っていると威嚇していたワイバーンが徐々に大人しくなった。
そしてギルベルトがワイバーンを睨みつけると――その頭を深々と下げた。
「すっすごい……」
その光景はとても神秘的なものに見えた、英雄が悪竜を成敗するようなそんな感じだ。
君子は恐る恐るギルベルトへと近づく。
「だっ大丈夫、ギル?」
「これくらいよゆーだ」
そう言ってワイバーンの頭を撫でた。
黒い鱗のワイバーンはギルベルトを主と認めたので拒まない、むしろ自分から身を任せて気持ちよさそうに目を瞑っている。
「……撫でても、大丈夫?」
「ああ、でも逆鱗は撫でるなよ」
ギルベルトはそう言って君子が噛まれない様に、ワイバーンの口をそれとなく押えた。
君子が恐る恐る頭を撫でると、鱗は鉄の様に硬いが、その下に柔らかい肉の感触があり、間違えなく生きている。
ワイバーンも君子が敵ではない事を悟ったのか、気持ちよさそうにしていた。
「えへへっ、可愛い」
灰色の鱗のワイバーンもすごくかっこよかったが、黒い鱗のワイバーンはより竜に近くてかっこいい。
喜ぶ君子の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「……乗ってみっか?」
「えっ……いいのぉ!」
どうせこれから試し乗りをしてみるつもりだったのだ、君子と一緒に空のドライブと決め込むのも悪くない。
すぐに鞍と手綱を持って来させると、ギルベルトは先に跨って君子を引っ張り上げる。
灰色の鱗のワイバーンよりも一回り大きくて、馬よりも大きいせいか視界も高くとても遠くまで見える。
「では、そのあたりを回って来ます」
ヴィルムも試し乗りに付き合う。
彼も魔王の補佐官となったので今までより一ランク上の、灰色の鱗のワイバーンが与えられた。
「キーコ、気を付けてね!」
「しっかり手綱を握って下さいなのです!」
アンネとシャネットに見送られ、黒い鱗のワイバーンは空へと舞い上がる。
「ふぁっ――」
君子が浮遊感を感じた次の瞬間には、ルーフェン城の屋根が足元にあった。
あっという間の出来事で、そのくらい早いスピードで上昇した事に、君子は驚く。
「すっすごいっ、速い!」
灰色の鱗の時も速いと思ったが、黒い鱗はそれよりもずっと速い。
すぐに雲よりも高く飛び上がってしまった。
「すごい……すごい速いよギルっ!」
興奮した君子はニコニコと笑うのだが、ギルベルトはなぜか真剣な顔をして黙っていた。
こんなにすごいワイバーンなら、ギルベルトは子供の様に目を輝かせて喜ぶと思ったのだが、彼は静かに呟いた。
「……これが、フォルドの見てた景色か」
黒い鱗のワイバーンは魔王の証。
ギルベルトは以前フォルドのワイバーンに乗った事が在る。
速く、強く、正に魔王という存在を表しているような、そんな存在を得た。
魔王の器を説き、その勇敢なる死に様を見せつけた彼と、同じ土俵に立ったのだ。
「…………ギル」
ギルベルトは間違いなく成長していた、このワイバーンから見える景色を見て、魔王に与えられた力と特権、そして責任を感じていたのだろう。
君子がなんて声をかけようか迷っていると、ギルベルトは頭を撫でて来た。
「はえぇな、キーコ!」
そしていつもの笑みを浮かべる、きっとさっきのは独り言だったのだろう。
ギルベルトはフォルドの最後の言葉によって、魔王という物と本気で向き合おうとしている、だから君子は何も言わずに笑った。
「うん……すごいワイバーンだね」
そんな話をしていると、ヴィルムがようやく追いついて来た。
灰色の鱗のワイバーンになったとはいえども、やはり黒い鱗とはスペックに大きな違いがある。
「素晴らしいスピードですギルベルト様」
「あぁ……でもちょっと右に傾く癖がある」
「やはり調教はもう少々必要の様ですね……すぐに戻って調教させましょう」
黒い鱗のワイバーンを調教する為に、城へと戻る。
しかしその途中、君子の眼に足元の城下町が見えた。
「あっ……街」
城の自室からも街がみえる、城下町で栄えているというのは聞いて知っているが、行ってみた事がない。
せっかく街がある城に引っ越して来たのだから、一回くらい行ってみたい。
君子がずっと街を見ていると、それにギルベルトも気が付いた。
「……行ってみっか?」
「えっ……いいの!」
安全を考えると、むやみに城の外に出るものではない。
しかし君子があまりにも目をキラキラと輝かせて言うので、ヴィルムは仕方なく反対しようとした口を噤んだ。
こうして、ルーフェンの街を観光する事に相成ったのだ。
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ルーフェンは東南の流通の拠点。
商人の宿場町でもあるので宿屋も多いのだが、同じぐらい飲食店も目立つ。
八千人も暮らす街に更に旅商人もいるので人が多いのは当然なのだが、町が賑わっているのは、王族が現れたからだった。
「あっ、見て見てパン屋さんだよ! あっお肉屋さんもある……あっケーキ屋さん、ケーキ屋さんだよギルっ!」
マグニには城下町がなかったし、帝都はよく見て回る暇がなかったので、こういう風に中世の街並みを見ながら歩くのは楽しくてたまらない。
「キーコ、あまり離れてはいけませんよ」
ギルベルトと君子、そしてヴィルムとアンネとシャネットが散策に連れ添い、更にその周りを武装した兵士が警護するという大所帯。
かなり大袈裟だが、実際魔王で王族であるギルベルトを一目見ようと、人々が集まって来てしまっていて、移動するのもやっとだった。
「アレが王子殿下か?」
「凛々しい顔立ちだわ~」
「王子で魔王なんだってなぁ」
「ルーフェンは素晴らしい領主様が来てくれたわね」
「いや~、王族を見る事が出来るなんて、これは一生の宝だな」
さながらアイドルの様な人気っぷりである。
皆ギルベルトを一目見たくて集まっているのだからすごい、今更ながら王族の人気を思い知らされた。
(……ちょっと注目されるのは困るかも……)
ギルベルト目当てなのはわかっているのだが、どうもこうも注目されるのは困る。
普通貴族などの位が高い者は、お出かけと言っても馬車に乗っているだけで滅多に人前に出る事はない。
だから生で魔王、それも王族を見る事が出来るのはそうそうある事ではない。
皆の注目がギルベルトへと集まるのも無理はない話だ。
「なんだか宿と飲食店が多いんですね、観光地みたい」
「商人が出入りする街ですから、自然とこういう店が増えるんですよ」
「へぇ~、そうなんですね、なにか名物とか無いんですか?」
こういう街には大体名菓とかご当地グルメがある、できれば食べてみたい。
「……ルーフェンの名物、ですか?」
「シャネットは、私達よりルーフェンの事知ってるわよね、何かないの?」
「え……名物なのです?」
シャネットがしばらく考えるが、全くこれっぽちも出て来ない。
どうやらコレと言った名物がない様に思える。
「長らく領主が不在でしたから、そう言う名産品を造って領の知名度を上げたり収益を上げたりする事が出来なかったのでしょう」
国から年間の予算は来るが、これだけではインフラを整理したり色々な手当てに使ったりするとほとんどなくなってしまう。
だからほとんどの領は何か名産や名物があって、それを売買する事で領のお金を造る。
しかしルーフェンは一二〇年近く領主が不在だった、だからそう言う物を造る事が出来なかったのだろう。
「残念ですねぇ……、折角綺麗な街並みなのに食べ歩きできないなんて」
ルーフェンの街並みは綺麗だ。
この近くの採掘場からとれる、淡いオレンジ色の石を使って建物を造っているので、統一感があるし、とてもメルヘンな街並みになっている。
是非美味しいモノでも食べながら観光をしたいものだ。
そもそも名物がないと観光しようにも難しい所がある、君子がなにか面白いモノでもないかと周囲を見渡していると――。
「あっ!」
突然大声を上げた君子は、どこかへと歩き出した。
「あっキーコ」
「キーコさん」
アンネとシャネットがその後を追いかけると――、君子は一人の女性に話しかけていた。
「あっあのっ、あっ赤ちゃんを見せて頂いてもよろしいですか……」
君子が話しかけていたのはホワイトタイガーの獣人の女性、彼女が押す乳母車の中にはもちろんホワイトタイガーの獣人の赤ちゃんがいる。
その可愛さというのはえげつなく、アンネとシャネットもメロメロになるほどだ。
「獣人の赤ちゃんって、可愛さの破壊力がえげつないのよね……」
「動作の一つ一つが可愛いなのですぅ」
「可愛い……、男の子ですかぁ?」
「えぇ、抱っこしてくださる?」
「いっ良いんですかぁ!」
君子は母親のご厚意で、青いおくるみにくるまれている赤ちゃんを抱っこする。
人の赤ちゃんと言うよりは獣の赤ちゃんを抱いている感じで、君子の指にじゃれついて来るところなど、猫そのものだ。
「あ~肉球が可愛いですぅ」
メロメロの君子を見て母親は微笑んでいたのだが、領主であるギルベルトが近づいて来るととても驚いた様子で頭を下げる。
「こっこれは王子殿下!」
近くにいた人も頭を下げている、うっかり忘れそうになるがギルベルトは偉いのである。
君子はこの可愛い赤ちゃんをギルベルトにも見せる。
「獣人の赤ちゃん、可愛いでしょうっ!」
ギルベルトとしては獣人の赤ちゃんよりも、それを抱いて嬉しそうに笑みを浮かべている君子の方が可愛いのだが、そんな台詞は言えないので、いつも通り『おう』とそっけなくしか答えた。
「でしょでしょっ、ギルも抱っこする?」
君子はそう言うが、何の位もない平民の赤ん坊を王子に抱かせるなど失礼極まりない。
母親や見物人達は戸惑うのだが、君子は渋るギルベルトに更に続ける。
「じゃあ撫でてみたら? 可愛いよ」
「ン……う~ン」
ギルベルトは末子、赤ん坊を撫でるというのはこれが初めての経験で、こんなに小さなモノ触れた瞬間に壊れてしまいそうで怖い。
ギルベルトは本当に恐る恐る、赤ん坊の頭を撫でる。
しかし慣れない手つきで撫でられたせいか、赤ん坊は大声で泣き始めてしまった。
「いっ――」
泣かれた事に驚いて怖がるギルベルト。
悪い事でもしてしまったのではないかと心配するが、君子達はそれを見て笑う。
「怖かった、ごめんねぇ」
「良い泣きっぷり、流石男の子ね」
「赤ちゃんは泣くのが仕事みたいなものです、わたしの妹と弟もたくさん泣いて元気に育ちましたなのです!」
君子はあやしながら母親へと赤ん坊を返す。
母親は泣く赤ん坊を抱きしめながら、ギルベルトへと頭を下げる。
「王子殿下に撫でていただけるなんて光栄の極みで御座います! 本当に、本当にありがとう御座いますっ!」
喜びから涙目になっている母親。
王族が庶民の赤ん坊を撫でるなど普通はありえない事、喜びは計り知れない。
まるで力士に抱っこされたかのような喜びようだった。
「赤ちゃん、可愛いでしょ?」
「……けけっ、そーだな」
庶民の赤ん坊を撫でるその様を見て、領民達のギルベルトを見る目は明らかに変わった。
好感度がかなり上がった、間違えなくギルベルトは民に好印象を与える事が出来た。
これはとても良い事で、ヴィルムも満足気だった。
「キーコのおかげで、王子様の印象も良いみたいですね」
「ええ……これで領民からの支持を得る事ができれば、ギルベルト様を見下している帝都の貴族の鼻を明かしてやれますよ」
「ん……誰の鼻がどうしたんですか?」
「いえいえこちらの話です」
「はぁ……あっ、アレは何ですか!」
落ち着きのない子供の様にはしゃぐ。
とても楽しそうな君子を見て、ギルベルトは嬉しいのか笑っている。
そんな何気ない日常が、そこにはあった。
ただ楽しい時間が、今日も過ぎて行く。
筈だった。
君子の眼の前に、突然男が現れた。
人ごみの中から突然現れたその男は、君子へと体当たりして来た。
「へっ――」
凡人の君子にその攻撃を避ける事が出来るわけなく、そのまま押し倒された。
その時背中や頭を石畳に打ち付けて痛い。
「あったぁい……」
痛がる君子、なぜこんな事になったのか、自分を押し倒した男へと視線を向ける。
彼はどこか必死な顔で、口を開く。
「君はにほ――――」
しかし、その瞬間ギルベルトに蹴り飛ばされた。
サッカーボールを蹴り飛ばすような、見事なフォーム。
Aランカーであるギルベルトが繰り出す蹴りの破壊力はすさまじい、男の体は宙に舞い上げられて、数メートル先の群衆の中に吹っ飛ばされた。
「キーコっ!」
ギルベルトは君子を守るように、彼女の前に立つ。
「キーコ怪我は、何かされてない!」
「キーコさん大丈夫なのですか!」
すぐにアンネとシャネットが駆け寄って来て、君子に怪我がないか確認する。
ぶっ飛ばされて伸びている男へと、衛兵達が槍を向けていた。
「その男を城に連行しなさい! 暗殺者の可能性があります!」
ヴィルムは衛兵に命令すると、ギルベルトの渾身の一撃は堪えたのか気絶していた。
かなり乱雑に引きずられながら連行していく彼を、君子は呆然と見ていた。
一気に物々しい雰囲気になってしまった。
ギルベルトを一目見ようと集まっていた見物人達も、突然の騒ぎで戸惑っている様子だ。
だが君子は、全く別の所に意識を持っていかれていた。
(あれ……リクルートスーツ?)
異世界に来る前、東京で毎日眼にしていたサラリーマンが着ている服。
男の髪はよく見ると黒髪で、肌の色だって黄色人種特有の色をしている。
そして何より、ギルベルトに蹴り飛ばされる瞬間に、彼が言った言葉。
『君はにほ――』。
黒髪にリクルートスーツ、そしてあの時彼が言おうとした言葉、それら全てを考えると、一つしか思いつかなかった。
(もしかして……日本人?)
それは――あまりにも当然すぎる出会いだった。




