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地味女子ですが、異世界来ちゃいました!  作者: フランスパン
魔王就任編
86/100

第七九話 とっときの魔法




 就任式から三日後。

 ギルベルトの元には、権力に縋りたい貴族や軍幹部達がひっきりなしにやって来た。

 皆アルバートに『ご挨拶』をしてからギルベルトの所にやって来たので、後半はギルベルトの所が混んだ。

 人が途切れて、一息つけるようになるのに三日もかかってしまった。

 君子は、離宮の庭で花壇を眺めていた。

 専属の庭師が整えている庭は、本当に素晴らしい。

「ここのお花綺麗だねー、スラりん」

 花を眺めながらスラりんを撫でる、こんな平和で幸せな時間は他にはない。

 君子はこの他の何事にも代えがたい幸福を噛みしめていた。

「あっいたいたキーコぉ、探したのよ!」

「えっ、どうしたんですかアンネさん」

 アンネがちょっと慌てた様子でやって来た。

 もう『ご挨拶』も終わって、今日は日がな一日を満喫しようと思っていたのだが、アンネはそんな暢気な君子の手を掴む。

「何言ってるのよ早く衣装合わせを済ませましょう、メイクの時間だってあるんだから」

「えっ……衣装? メイク?」

 なぜそんな事をするのだろうか、文化祭でもするのかと君子が考えていると――とても忙しそうなヴィルムが通りかかった。

「アンネ、まだこんな所にいたのですか? 早くキーコを着替えさせて下さい」

「えっ……着替えって何のことですか?」

 そもそももう『ご挨拶』は終わっているのに、どうしてそんなに忙しそうなのだろうか。

 首を傾げる君子に、ヴィルムは平然とした顔で言い放った。

「今夜はパーティです、貴方も出席するんですから早く着替えなさい」






************************************************************





 魔王が選出された時は大体パーティが開かれる。

 それが習わしで、『ご挨拶』とは違い魔王側がもてなするのだ。

 今回はギルベルトとアルバートが主催、当然王族のピアスをつけた者も出席しなければならない。

 出席しなければならないのだが――、当の君子は絶望していた。

「うっ……うえっ、パーティなんて聞いてないですよぉ」

 なぜこんなモブの脇役の凡人のそばかすの不細工の貧乳が、魔王の就任を祝うパーティに出席しなければならないのだ。

 恥さらしにもほどがある。

「言えば貴方は嫌がるでしょう、だから当日まで黙っていました」

「酷い、謀ったんですねぇ! 嘘つきは泥棒の始まりなんですよぉ!」

 ポコポコと拳をヴィルムに向かって振るうが、全くのノーダメージである。

「んー、やっぱりこのドレスも良いわ、でもでもこのドレスも捨てがたい……どうしよう」

 アンネは君子にフリフリなドレスやら、ちょっとセクシーなドレスを当てながら悩むのだが、君子はそれを拒絶する。

「ドレスは嫌ですってばぁ! あっそっそうだこのセーラー服だって立派な礼服ですよ!」

 冠婚葬祭で使われる服なのだから、パーティで着たっていいはずだ。

「駄目です、そんな珍妙な服ではギルベルト様の品位にも傷がつきます」

「セーラー服だって立派な服ですよぉ!」

 配膳係ならまだしも、パーティなんて絶対に嫌だ。

 そんな華やかな場所、君子の様な凡人がいていい所ではない。

「駄目です、貴方がいないとギルベルト様は大人しくしていられないのです、多くの貴族が集まる場で、もしもの事が在ったら困ります」

「多くの貴族が集まる場なんて嫌ですぅ、ギルの事情なんて私知りませぇん!」

 泣いて嫌がる君子、しかしこのパーティは魔王として大々的に執り行うのが習わし、やらない訳にはいかない。

「全く……ギルベルト様も何かキーコに言ってやって下さい」

 ソファに寝っ転がりながら、ポテチを食べているギルベルトにパーティに出るように促して貰おうとしたのだが。

「どうでもいい」

 この一言である。

 ギルベルトもパーティは嫌いなのだ進んで出るわけがない、だから君子も偉ぶる。

「ほら、ギルもこう言ってるんですから、もうあきらめて下さい!」

「……今夜のパーティには、ギルベルト様がお好きなヤマト村の食事も出ますよ」

 主催者は食事も用意しなければならない、折角なのでマグニでとれたものを使う事にしたのだ、ギルベルトが好きな焼き鳥も唐揚げも出る。

 それを聞いて、ギルベルトは飛び起きた。

「ヤキトリ! ヤキトリ喰えンのか!」

「えぇ、ベアッグとエイリが、ここ数日ずっと下ごしらえをしていますよ」

 ベアッグを見かけないと思っていたら、エイリやヤマト村の精鋭と共に料理の仕込みに追われていたのだ。

 何しろ貴族達はたくさん来るのだ、それなりの量を用意しなければならない。

 しかしヤキトリと聞いて、ギルベルトの眼は輝く。

「ヤキトリか~、ヤキトリいいなぁ」

「ではパーティにご参加下さい」

「おう、いいぜ!」

 ヴィルムの策によって、ギルベルトはパーティに乗り気になってしまった。

 彼が出るとなると、首に縄をつけてでも出席させられてしまうかもしれない。

「邪魔をするぞ」

 アルバートが、ルールアとファニアを連れてやって来た。

「このクソバート、なンの用だ!」

「貴様に用などないバカベルト、私はキーコに用があって来たのだ」

「あっアルバートさん、どうしたんですか?」

 補佐官である二人は解るが、ファニアを連れてくるのは珍しい。

「なに、キーコにコレを」

「へっ、私に?」

 首を傾げる君子の前に箱を置くと、ファニアはその中身を取り出した。





 それは真っ白なシルクのドレスだった。




 

 ロココ調に似たフリルが多めのドレスで、青い糸の刺繍がちりばめられている。

 マリーアントワネットのドレスだと、博物館辺りで飾っていそうなそれはもう大層豪華で見事で美しい。

 さりげなく馬鹿みたいに大きなサファイアのネックレス、黒真珠のイヤリング、本物の皮で造られた高いヒールの靴も入っている。

 とんでもなく高価な品の数々に、君子は絶句した。

 しかしファニアは当然と言った様子で、君子にそのドレスを当てる。

「うむ、やはりキーコによく似合う」

「あっ……アルバートしゃん、こっこれなんですかぁ?」

「今夜のパーティの為にあつらえさせた、キーコは魔王の婚約者なのだ、それ相応の恰好という物をしなくてはなるまい」

「相応じゃないですよぉ! 駄目ですよこんなそばかすまみれの女が、そんな素晴らしいドレスを着ちゃあ!」

「そっそうですよぉ、このドレスじゃアルバート王子にはお似合いですが、肝心の王子には似合わないじゃないですかぁ!」

 アンネは声を荒げて反論したのだが、論点は断じてそんな所ではない。

「何を言うキーコは私の婚約者だ、私とお似合いになるのは当然だ」

 きっぱりと言い放つアルバートへと、ギルベルトは殴り掛かった。

「キーコは俺の所有物(もん)だって、言ってンだろうがぁっ!」

 しかし特殊技能(スキル)によって回避され、いつもの様に逆に殴り返される。

 ギルベルトは窓を突き破って、庭まで吹っ飛ばされた。

 しかしこの展開はいつも通りの事なので、この程度ではヴィルムやルールアは動じない。

「キーコは私の婚約者だ、勘違いもほどほどにしろ馬鹿め!」

「あンだとぉ、てめぇの方こそ調子こいてンじゃねぇぞぉ!」

 ギルベルトは怒号を上げながらグラムを抜く。

 それに応えるかのように、アルバートも雷切を抜く。

 互いに得物で戦えば大怪我をするかもしれない、魔王の就任という祝いの場でそんな騒ぎを起こす訳には行かない。

 流石にヴィルムも止めに入る。

「おやめ――」

 しかし、そんなヴィルムの言葉をかき消すほど、『個性』が襲来した。





「はあ~い、お元気ぃ~」





 陽気な口調で女のようだが、声は男の物。

 口調と声のアンバランスさのせいで、背筋に悪寒が走る。

 ギルベルトとアルバートは、鳥肌を立てながらその声の主を見た。

「ベルフォート……」

「ベルフォート兄様」







 そんな引きつった顔の二人などお構いなしで、兄ベルフォートは微笑んだ。

「久しぶり~、元気だったぁ二人ともぉっ!」

 そして弟に抱き着こうとするのだが、ギルベルトもアルバートも全力でそれを回避する。

 ベルフォートは拒否されて不貞腐れる。

「もう~なんで避けるのよぉ、アタシの愛の抱擁を!」

「うっせーンだよぉこの女男野郎、気持ちわりぃ声出すんじゃねぇ!」

 ギルベルトは大声でベルフォートを拒絶する。

 仮にも兄であり魔王だというのに、全く敬っていない。

「酷いわぁギルベルト、貴方達が海魔(カーマ)に襲われたって聞いて、アタシがどれほど心配したと思ってるのぉ」

 ベルフォートは両目に涙を浮かべながら、そう言った。

 確かに彼は占いでいち早くギルベルト達の危機を察知して、フォルドとムローラを派遣してくれたし、魔王ジャロードの横領が分かったのだって、彼の功績によるもの。

 それ等を考えると、あまりにもひどい物言いである。

「ベルフォート様、お久しぶりで御座います」

「ヴィルムちゃ~ん、弟達がねアタシの事いじめるのよぉ~」

 ベルフォートはヴィルムに抱き着く、ヴィルムは表情こそ変えていないがあまりいい気分ではない。

「あらぁ、フェルクスちゃんにルールアちゃんも、お久しぶりね!」

 泣きついた癖に次の瞬間にはケロッとしていて、笑顔で手を振っている。

 彼の独特なテンションには、誰もついて行けないだろう。

 アルバートは、ため息を付くと仕方なく兄へと話しかける。

「それで……ベルフォート兄様は一体何の用なのですか?」

「そりゃ二人に魔王就任おめでとうって言うためよ~、ほらぁ昨日まで混んでたでしょ? だから今来たのよぉ」

 確かに『ご挨拶』の場にベルフォートが現れれば大変な騒ぎになっただろう、恐らくその辺も踏まえた上で今やって来たのだろうが、彼のその重みのない言動にかき消されて、全くその利口さを感じない。

「それで、ふたりとも物騒なもの構えて何やってるの、駄目よぉ兄弟なんだから仲良くしなくちゃ」

「ごめんだな、こんな奴と血がつながっていると思うと吐き気がする」

「俺だって願い下げだっつうのぉ!」

 互いにメンチを切り合う、この二人が仲良くなど到底できないだろう。

 呆れてため息を付くベルフォートの眼に、ルールアとアンネの後ろから恐る恐る様子をうかがう君子が映った。

「……あら」

「ふぇっ」

 するとベルフォートの表情が見る見るうちに変わり、歓声が上がった。




「なにこの服っ! めちゃくちゃ可愛い~~っ!」




 そう言って君子へと近づくと、目を輝かせてセーラー服を見る。

「何この襟のデザイン、ひらひらしてて可愛いし、スカーフも可愛いし、スカートの作りなんて最高じゃない! なにこれなにこれっ、こんなの見た事ないわぁ!」

 鼻息を荒くして、セーラー服を褒めたたえる。

 皆そんなベルフォートの姿に呆れてため息を付くか唖然とするばかりなのだが、君子は違う。

 さんざん変な服だとか珍妙な服とか、セーラー服を罵られ続けた彼女にとって、多少言動が可笑しかろうが、ベルフォートの言葉は嬉しいものだった。

「こんなデザインの服この国、いいえこの世界に他にないわぁ、とっても素敵よ!」

「でっですよねぇっ!」

 君子は初めて現れた共感者に感激する。

 意気投合してしまったのを見て、ギルベルトとアルバートは急いで二人を引き離す。

「この女男、キーコに近づくんじゃねぇ!」

「ベルフォート兄様、おふざけもこれくらいにして頂きたい」

「何よ、ちょっとお話してただけでしょ~」

 頬を膨らませるベルフォート。

 共感してくれたのが嬉しくて、すっかり忘れていたが彼は一体誰なのだろうか、君子はヴィルムに尋ねる。

「あっあの、あの人はどなたなんですか?」

「ギルベルト様のお兄様の、魔王ベルフォート様です」

 兄、と聞いても全くぴんと来なかった。

 ギルベルトとアルバートとロベルト、既に会っている王子とはあまりにもベクトルが違いすぎる。

 テレビの中では見た事が在る、俗にいうオネェという人達。

 まさか王子の中にそんな人がいるとは思いもしなかった。

「あらっ……貴方とっても面白い事になってるのね」

「へっ?」

 君子のピアスに気が付いたベルフォートは、微笑んだ。

 それと同時に、ギルベルトとアルバートが彼女にどのような感情を抱いているのか、完璧に理解した。

「ベルフォート様、こちらは異邦人のキーコです」

「異邦人! じゃあ貴方のそのハイセンスなお洋服はもしかして異世界のデザインなのね、通りで斬新なはずだわ~」

 ベルフォートはセーラ服に興味津々で、造りや素材を見定めようとする。

 王子で魔王なのに服に興味があるなんて、かなり意外だ。

「ねぇもっとそのお洋服見せて頂戴、新作のアイディアが浮かびそうなの!」

 セーラー服をよく見ようとするのだが、眉をつり上げてムっとしているギルベルトがその前に立ちはだかる。

「キーコは俺の所有物(もん)だ、勝手に近づくな」

「良いじゃないのよぉ、ちょっとお話がしたいだけなんだからぁ」

「うっせぇ、ちゃンと俺の名前が書いてあるンだぁ、俺の所有物(もん)なんだぁ!」

「ギルベルトまさか刻印(ネーム)を書いたの、女の子にそんな事するなんて男として最低よぉ」

 刻印(ネーム)は本来物や土地などを、自分の物だと知らしめる為の物。

 本来は人間、ましてや女性に書くものではないのだ。

 しかしギルベルトはそんな事お構いなしで、兄に向って更なる暴言を吐く。

「良いから近づくンじゃねぇ、キーコまで変になったらどうすンだよぉ!」

 ベルカリュースではベルフォートの様なオネェは珍しい。

 だから皆気味悪がっていて、ギルベルトなどソレが君子に移らないかと心配しているほどだ。

「人をばい菌扱いしてぇ、アタシはただお洋服見せて欲しかっただけなのにぃ……」

 ベルフォートはよほどショックだったのか、両手で顔を隠して泣き始めてしまった。

 大人の男性であっても彼は乙女心を持っているのだ、泣かせたギルベルトへは周囲の冷たい視線が向けられる。

「うっ……」

 流石のギルベルトもちょっと言い過ぎたと反省したのか、ベルフォートにハンカチを差し出す君子の邪魔はしなかった。

「あの、これ使って下さい」

 安物のハンカチだが怒らないだろうかと君子が心配していたのだが――、その心配は彼が伸ばした右手でハンカチを受け取るのではなく、君子の鎖骨と左胸の間へと向けられた事で、吹っ飛んだ。

「へっ――?」

 どこかで見た事が在るような、そんな事を思った時、ベルフォートは指で肌をなぞる。

 赤黒く光る図形の様な絵の様なものの羅列――、それがベルカリュースの文字であり名前である事に気が付いた時には、ベルフォートは意地悪な笑みを浮かべていた。






「じゃあ、コレでアタシの所有物(もの)ね!」





 ギルベルトもアルバートも、ヴィルムもアンネも、ルールアもフェルクスも、そして名前を書かれた君子もただ驚いて固まった。

 その一瞬のスキをついて、ベルフォートは君子を抱きかかえると――空へと飛び上がる。

「へっ、ふぇぇぇぇっ!」

 君子が声を上げた時には、既に一〇メートル以上飛び上がっていた。

「キーコを返しやがれぇ!」

「兄様、キーコをどうするつもりか!」

 ギルベルトとアルバートは叫んだ、いや正確には叫ぶ事しかできなかった。

 ガルド城周辺ではワイバーンによる飛行は原則的に禁止、それは王族も例外ではなく、ワイバーンは遠くの竜舎に預けている。

 ベルフォートの様に空中飛行の魔法という、高度な術は使えないので、追いかける事が出来ないのだ。

 普段の言動のせいですっかり忘れそうになるが、彼は元々魔王将にもなれるのではないかという天才だったのだ。

 ウソ泣きをして油断させるなどという、策を弄しても全く不思議ではない。

 完全に出し抜かれたギルベルトは、額に青筋を浮かべながら飛んで行った兄に向かって叫ぶ。

「このクソ女男野郎があああああああああああっ!」

 






************************************************************






 ガルヴェス上空。

 ワイバーンの飛行と違って、魔法による飛行はかなり怖い。

 人や馬車が豆粒の様に小さくて、あれほど高いと思った建築物が足元にある、君子は怖くて震えていた。

「ごめんなさいキーコちゃん、こうでもしないと貴方とゆっくりお話しできないと思って」

 確かにいちいち会話にギルベルトが入って来て、ろくにしゃべれなかった。

 ゆっくり話す為には、これくらい強硬な手段に出なければ不可能だろう。

「怖い? もう少し高度下げましょうか?」

「だっ大丈夫……です」

 ベルフォートは君子をしっかりと抱きしめてくれていて、高さはあるが安心できた。

 それにワイバーンよりも、魔法で空を飛ぶ方がずっとファンタスティックだ。

「あっあの、所でどこに行くんでしょうか?」

 ギルベルトとアルバートの兄だから大丈夫だとは思うが、まさか危ない所へ連れて行こうとしているのではないだろうか、それは困る。

「うふふっ、とっても素敵な所よ!」

「素敵な、所?」

 君子が首を傾げると、ベルフォートは徐々に降下を始める。

 石畳の道路に降りるのかと思ったのだが、とある建物のベランダへと降りた。

「はい、到着っ!」

 三〇分くらいの飛行でついたのは、三階建ての石造りの建物のベランダ。

 白を基調とした、シンプルでモダンな建物はどこか高級感がある。

「ここは……?」

「うふふっ、アタシのお城よ」

 そう言ってベルフォートは部屋の中へとエスコートしてくれた。

 真っ先に見えたのは色とりどりの布、部屋の至る所に積まれていてほとんど占領している。

 他にも長い定規や裁ちバサミ、更には手芸品店に置いてある体だけのマネキン、トルソーが何体も置いてあって、ソレがどれも造りかけのドレスを着ていた。

「……これって」

「アタシの工房、家族も知らないアタシだけの秘密基地みたいな感じよ」

 君子も裁縫にはそこそこ自信があって、簡単な物なら自分で縫う事がある。

 しかしここまで本格的なものを見るのは初めてだった。

「うわ~、すごいっすごいですぅ!」

「うふふっ、気に入って貰えてよかったわ」

 ベルフォートはそう言って、嬉しそうに笑った。

 でもどうしてベルフォートは魔王で王子なのに、こんな帝都の街中にこんな部屋を持っているのだろう。

 君子が疑問に思っていると――階段を一人の女性が昇って来た。

「声がすると思ったら、やっぱりいらっしゃってたんですねベルフォート様」

 人間の女性なのだが、左右の袖が不揃いであちこちに布を張り合わせた独特のデザインのワンピースを着ていた。

 このベルカリュースではほとんどが中世ヨーロッパを連想させるような服装なので、ベルフォートや彼女が着ている服はかなり個性的だった。

「あらっ、このとっても素敵な服を着た子は、新しいお針子さんですか?」

「違うわアタシのお客さんなの、この素敵なお洋服について色々聞こうと思ってね」

「そうなんですか~、もし試作品造る事になったら私に縫わせて下さいね!」

 女性はそう言うと、一階へと戻っていた。

「……あっあのベルフォートさん、お針子ってどういう事なんですか?」

「言ってなかったわね、ここはねアタシのお店なの」

 お店、と言われると時折一階からいらっしゃいませーという声や、レジスターの音が聞こえる。

「お店って、ベルフォートさんは王子様で魔王なんですよね?」

「そうよ~王子で魔王でこのファッションブランド『ベル』の、オーナー兼デザイナーよ」

 『ベル』というのは、ベルフォートが立ち上げたブランドで、ヴェルハルガルドでは知らぬ女子はいないというほどの人気店である。

 貴族向けの高価なドレスから庶民でも手が届きそうな服、そしてプレゼントに最適な小物まで手広くやっている、ヴェルハルガルドでも珍しいブランドだ。

 魔王というと敵国を攻めるという印象しかない君子にとって、ベルフォートのこのもう一つの顔は意外だった。

「それよりも、お茶を淹れるからいらっしゃい」

 ベルフォートはそう言って微笑んだ。






 通されたのは布まみれの二階とは違い、紙まみれの部屋。

 それは全てベルフォートのデザイン画だった。

「……ふぁっ、すごぉい」

 デザイン画を見るのは初めてだ、ここから型紙を造って裁断をして縫製をするのだろう。

 見ると造りかけの型紙がある、どうやら彼が型紙を造る作業もしているらしい。

「キーコちゃん、お裁縫好きなのね」

 ベルフォートはポンテ茶を淹れてくれた。

 王子で魔王の彼にやらせるなんて失礼極まりない。

「良いのよ、キーコちゃんはお客様なんだから、さっ飲んで頂戴師匠直伝のポンテ茶」

「いただきます……」

 まずは花の蜜を入れずに飲んでみる、マグニでアンネに淹れて貰っているポンテ茶よりも苦みが少なく、茶葉の甘みを感じる。

(異世界に来て初めて飲んだのに似てるなぁ……)

 とても落ち着く味に、君子はほっこりしていた。

 そんな幸せそうな君子を見て、ベルフォートは少し真面目な顔をしながら口を開く。

「……キーコちゃん、ありがとうね」

 一体何のお礼なのか分からず君子が首を傾げていると、ベルフォートは続ける。

「貴方のおかげで、アルバートとギルベルトが仲良くなったわ」

「仲良くって……いつも喧嘩ばっかりしてますよ」

 顔を合わせると殴りあっているし、二人が仲良くしている所など君子は見た事なかった。

「そうね……でも、昔はもっと仲が悪かったの……それこそ顔を合わせた瞬間に殺し合いをするぐらいにね」

 ほんの数年前までは、ギルベルトとアルバートは顔を合わせた瞬間に殺し合いをするほど、最悪な関係だった。

 互いが互いを嫌い憎しみあう、そんなぎくしゃくした関係は二人だけではなく他の家族にも影響を与えていた。

「本当にどっちかがどっちかを殺すまで、あの二人はあのままなんだって思ってたの……ロベルトやアタシじゃどうにもできなかったわ」

 確かに君子がアルバートと出会ったばかりの時は、二人の関係は今よりももっと殺伐としていた。

 そこから考えれば、殴り合いにはなるものの互いに言葉を交わし合い、それなりに交流を持っている今の方が幾分かマシという物だ。

「全部、キーコちゃんのおかげよ」

「えっ、わっ私何もしてませんよ……ただギルやアルバートさんにお世話になって、迷惑をかけているだけですから」

「それでいいのよ、キーコちゃんが一緒にいるだけで……ギルベルトはすっごく楽しそう」

 ベルフォートは幼いころの彼を知っている、捨て子と罵られて蔑まれて、いつも誰かに暴力をふるう事しかできなかった彼を見るのは、嫌だった。

 だから二人の仲を改善してくれた君子に、ベルフォートは感謝しているのだ。

「……ベルフォートさんは、ギルとアルバートさんに仲良くなって欲しかったんですね」

「そうね、だって皆血の繋がった家族なのよ? 仲が良い方が良いに決まってるでしょう」

 なんとなくベルフォートの言っている事が分かる。

 王族という特殊な立場の人達を、君子の一般常識に当てはめていいのか分からないけれど、やっぱり家族は仲がいい方が良い。

 ベルフォートは、オネェで王子で魔王なのにファッショブランドを立ち上げるくらい変わった人だが、家族思いのとってもいい人だというのは伝わった。

「ベルフォートさんは……とっても素敵な方なんですね」

「あらヤダも~、キーコちゃんったら褒め上手なんだからぁっ!」

 ベルフォートは明るく笑いながらそう言ったが、その笑みの中にある暗いモノに、君子は気が付いていた。

 一〇〇年前のロベルトが言っていた、ギルベルトは王族の権力争いによって母子ともども追放されたと。

 例えそれが王子や王女のした事でなくとも、やっぱり嫌な気持ちになる筈だ。

 君子が思っている以上に、ギルベルトの家族は複雑なのだろう。

「さてっ、私の話はこれくらいにして、お洋服の話をしましょう」

「はっはい」

 ベルフォートは君子に近づくと、セーラー服をじっくりと見つめる。

 デッサンを取る彼に、君子も知りあえる限りの作り方を教えた。

 しかし流石デザイナー、ほとんど見ただけで作り方を理解して、あっという間に型紙まで作ってしまった。

 君子も型紙を作る工程は初めて見たので、時間が過ぎるのはあっという間に感じた。

「あら、もうこんな時間なのね」

 気が付けばそろそろ日も傾こうとしている。

「キーコちゃんはパーティに出るんですもんね、そろそろ戻らなくちゃ駄目ね」

「えっ……パーティ?」

 すっかり忘れていた、楽しい心持ちだったのに、絶望の淵に突き落とされる。

「いっいえ、わっ私はパーティには出ませんから、お気になさらず」

「あら、どうして?」

 王族のピアスをつけているのだから、パーティに出ないわけがない。

 首を傾げるベルフォートに、君子は正直に言う。

「だって……、パーティはドレスを着ないといけないじゃないですか」

「あら、ドレスを着るのは嫌なの?」

「だっだって、似合わないし……不細工だし」

「あらぁ、キーコちゃんは可愛いわよ」

「可愛くないです! 自分がそばかすの不細工で貧乳で凡人の脇役だっていうのは、自分が一番分かってるんです」

 お世辞なんていらない、取り繕われると余計に自分が惨めになる。

 いっそのこと不細工だと言われた方が楽だ。

「貴族の人達と比べられるなんて、耐えられません」

 格差は歴然、比べる必要なんてない。

 だからこのままここでお裁縫の話をしている方がいいのだ。

「……キーコちゃん、アタシの事どう思う?」

 ベルフォートは、突然そんな事を聞いて来た。

 しかし質問の意図が解らず、君子は首を傾げた。

「アタシ、男なのにこんな喋り方だし、王子で魔王なのにファッションブランドなんてしてるでしょう、それに普通の服を着ないでこんな格好だし、変だって皆言うわ」

 確かにベルフォートは、このベルカリュースでは個性的だ。

 皆中世ヨーロッパの様なクラシカルな格好をしている中で、彼の恰好は原宿ファッションといった系統だ。

 しかし多様性のある現代日本で育った君子は、ベルフォートの様な個性の塊だろうが受け入れられる。

「変じゃないです、誰が言ったんですかぁ! むしろ王子で魔王で忙しいのにお洋服デザインして、ブランドまで経営してしてるんですよぉ! 喋り方だって優しくて柔らかいし好感が持てます、他人の評価なんて気にしちゃ駄目です、ベルフォートさんの魅力はそんなつまらない物じゃないですぅ!」

 こんなに優しくていい人に、そんな酷い言葉をかける人の気がしれない。

 そう言う人は、絶対にロクな奴じゃない。

 憤慨する君子を見て、ベルフォートは笑う。

「じゃあ、キーコちゃんも他人の評価なんて気にしちゃ駄目ね」

「あっ――」

 謀られた。

 ベルフォートの優しい笑みで、完璧に騙されてしまった。

「キーコちゃん、さっきの女の子この国ではあんまり見ない服を着てたでしょう?」

 確かに左右の袖が不揃いで、個性的だった。

「あれはね、あの子が自分で造って自分で着てるの、あれが着たいって言ってね、このお店はねそう言う自分の『好き』を大切にするお店なの」

 ベルフォートの服も、彼が自分で着たいと思ってきているのだ。

 他人の評価など関係ない、コレが良いと思って着ている。

「キーコちゃんも、他人の評価なんて気にしちゃ駄目よ」

「そっそれは……ベルフォートさんが綺麗だからですよぉ」

 そばかすまみれの君子とは違う、ベルフォートは顔立ちが整っているしスタイルも良い。

 だからそんな風に言う事が許されるのだ。

「それに……、パーティで着飾ったギルとアルバートさんに見劣りしちゃいます」

 あの二人は君子の様なモブの脇役とは根本的に違うのだ。

 着飾った二人の間に挟まれれば、君子は悪目立ちするに決まっている。

 容姿に自身のない君子は、そんな辱めを受けるくらいなら、と俯いてしまった。

「……キーコちゃん」

 ベルフォートは、君子の肩を掴む。

 するとどこか力強い、優しい笑みを浮かべる。

「自信のないキーコちゃんに、術の魔王であるアタシが魔法をかけてあげるわ」

 この国でも三本の指に数えられるほどの魔法使いであるベルフォート。

 それほどの技術を思った魔法使いが、一体どんな魔法をかけるというのだ。

 少し不安そうな君子に、ベルフォートは続けた。

「とっときの魔法をねっ!」

「魔法……?」

 首を傾げる君子、そんな彼女にベルフォートは笑みを浮かべるだけだった。







************************************************************






 パーティ会場は、ガルド城のパーティ専用の離宮。

 魔王帝が住んでいる本宮から離れており、招待者達の馬車が行き来しやすいように、十分なスペースを設けている。

 その二階の窓から、やって来る貴族や軍人達を見下ろすのは、主催者であるギルベルトとアルバートの二人だ。

「ギルベルト様、アルバート様、そろそろ着替えをなさりませんと、パーティに間に合いません」

 ヴィルムがそう言うのだが、二人は窓から離れようとしない。

 いい加減礼服に着替えて貰わなければ、パーティに間に合わない。

 しかしギルベルトだけではなくアルバートまで着替えようとしない。

 ヴィルムやルールアはため息を付く。

「あのクソ女男野郎……、ぜってぇぶん殴る、殴ってやる」

「兄様め、キーコに何かあったら許さんぞ」

 ワイバーンで追いかける事が出来なかったので、二人はベルフォートを完全に見失ってしまった。

 どこにいるかも検討が付かないので、パーティ会場にベルフォートがやって来るのを待つしか方法がない。

「兄様はパーティにまめに参加している、必ずここにやって来るはずだ、その時にキーコを取り返すしかない」

 君子にドレスまであつらえるほど気合を入れていたアルバートは、かなり怒っている。

 二人の怒りのボルテージはかなり上昇して、この離宮を壊しても不思議でない程だ。

 流石にヴィルムとルールアも焦り始めた時、一台の馬車が止まった。

「……あれは」

 見覚えのある馬車から降りて来たのは、ベルフォートだった。

「あのクソ女男野郎!」

「キーコを取り返す!」

 兄の姿を見て、ギルベルトとアルバートは下へと降りていった。









 王族専用の馬車から降りて来たのは、個性的な礼服に身を包んだベルフォート。

 長い白髪を結い上げたその姿は、とても高貴だった。

「……さっ、行きましょう姫君」

 手を差し出すと、その手を女性の手が握る。

 ゆっくり馬車から降りて来たのは、薄紫色のロココ調のドレスを着た女性。

 赤金色の糸の刺繍と、青みがかったフリルをふんだんに使ったドレスは、美しさの中に可愛らしさがある。

 同じ色の帽子を目深にかぶっていて表情を窺う事は出来ないが、女性は馬車から降りると、ベルフォートに手を引かれながら会場へと向かって行く。

「んっ、あらぁ?」

 ベルフォートは、こちらに猛スピードで近づいてくる何者かに気が付いて首を傾げる。

 それは二人の弟、本来主催者であり今回のパーティの主役であるはずなのに、礼服ではなく普段の服装。

 ベルフォートは怪訝な顔をする。

「貴方達何をやってるの? そんな恰好でパーティに出るつもり」

「何やってるじゃねーンだよぉっ!」

「キーコをどこにやったのだ、私の婚約者を返して頂こう兄様!」

 二人とも兄に詰め寄ると、眉をつり上げて睨みつける。

 パーティが始まる間際、ほとんどの招待客は会場に入っていたのだが、一部のまだ会場に入っていなかった客達は、王族で魔王の三人が一同に集まっているのに注目していた。

「もうっ、ギルベルトもアルバートも、貴方達はとっても可愛いんだから、ちゃんとおめかししなくちゃ駄目でしょう」

 ベルフォートはそう微笑みながらギルベルトの頬に触れる。

 しかし、君子を取られて怒っているギルベルトは、彼の手を叩いた。

「きめぇんだよ、この男女!」

「いい加減にしろ、兄様!」

 こっちは怒り狂うほど感情が昂っているというのに、ベルフォートがふざけているので余計にイライラする。

 だから口調も態度も攻撃的なるのだが――、ベルフォートにとってその程度どうという事はない。

「きゃ~弟達が怖い~」

 わざとらしい悲鳴を上げて、またウソ泣きをする。

 今度は騙されない、怖い顔で詰め寄るギルベルトとアルバート。

「ギルベルト様、ここは人目があります、これ以上はどうかおやめください」

「アルバート様、急いで着替えを済ませないとパーティが始まってします」

 心配するヴィルムとルールア、もうこの状況をどうにかする方法はない、このままパーティは出来ずに、魔王就任早々に恥を晒す事になるのだ。

「女なンか連れてねぇで、とっととキーコを返せぇ!」

「これ以上おふざけを続けるつもりならば、実力行使させていただく!」

 声を荒げて兄へと詰め寄るギルベルトとアルバート。

 しかし全てベルフォートのせいだというのに、彼は侍らせて来た女性へと助けを求める。






「いや~ん弟達がいじめるわ、キーコちゃんっ!」






 その場にいた全ての者の思考が止まる。

 ベルフォートの言葉の意味が理解できなかった。

「えっ……」

 ギルベルト達の視線は、ベルフォートが連れて来た女性へと向けられる。

 ずっと下を向いていた彼女は――顔を上げて助けを求めた。

「ぎっぎるぅぅ」





 それは、君子だった。





 ドレスを着て、化粧もした今の彼女に、いつもの凡人の面影はない。

 薄めのファンデーションはそばかすを消すのではなく、残して生かすメイク。

シャドウもラインも完璧なアイメイクは、マスカラまでしっかりと施されていて、眼鏡をかけていない眼が、まるで玉の様に綺麗に見える。

 チークは控えめだが色合いが優しく、愛らしい。

 紅は真っ赤で、ぷっくりとした唇には艶がある。

 普段はおさげの髪は、ヘアアイロンで巻かれた髪はふわふわで、ゴージャスに見える。

 露出が控えられたドレスとよく合う髪型で、とても上品にまとめられている君子は、普段とは全く、全然――違う。

「うっうえっ、ひっヒールが高くてうまく歩けないのぉ、たしゅけてぇ」

 いつも君子が履いている靴では考えられない程、ヒールが高い。

 ほとんどつま先だけを使って歩いているようなもので、それは全くヒールに免疫のない君子にとっては、拷問そのものである。

「酷いわぁ、キーコちゃんとお話が終わったから、ちゃんと送り届けに来たのに……、それなのに、そんな風に言うなんてあんまりだわぁ……アタシ、帰るぅ!」

 ベルフォートは両手で顔を隠すと、人の支えがなければ動けない君子を置いて走り出す。

「まっまってぇっ!」

 君子が声を荒げて引き留めると、立ち止まった。

 彼がこんな格好にしてこんな所に連れて来たのだ、置いて行かれたら困る。

 しかし安堵したのも束の間――。

「ギルベルトにアルバート、貴方達まさかそんな恰好でキーコちゃんの隣に立つ訳じゃないわよね?」

 そう意地悪な笑みを浮かべながら言った。

 君子が普段のセーラー服ならば、ギルベルトとアルバートの恰好の方がいい。

 しかし彼女はこんなにも着飾っている、普段の彼女とは比べ物にならない、完全に逆転してしまった。

「じゃっ、ば~いばいっ!」

 それだけ言い残して、あろうことかベルフォートはどこかへと行ってしまった。

 残された君子は必死に状況を説明する、このドレスを着ているのは自分の意志ではない事を、事細かに説明し無ければ。

「こっこれは、ベルフォートさんに無理矢理着せられたの……、にっ似合わないよねぇ」

 指をさされて笑われる、君子は覚悟した。

 口を開いたのは、アルバートだった。

「――戻る」

「えっ、どっどうしてですかアルバート様!」

 あれほど探していた君子が眼の前にいるというのに、アルバートはどこかへ行こうとする、びっくりして目を丸くするルールア。

「こんな格好で、キーコの隣に立てるわけがないだろう!」

 着飾った君子に、こんな普段着で寄り添えるわけがない。

「着替える、ファニアに最高級の服を用意させろ!」

 アルバートは急いで着替えをしに帰る。

 その後を慌てた様子でルールアが追いかけた。

「えっええっ……」

 アルバートが行ってしまったので、ギルベルトへと君子は助けを求める。

 しかしギルベルトはなぜか固まっていた。

 手を貸して欲しい君子は、彼に手を伸ばす。

「ぎっギルぅ……」

「いっ、い――――」

 ギルベルトはそんな悲鳴を上げながら、後ずさる。

 そして視線を逸らすと、そのまま走り去ってしまった。

「ギルぅ!」

「ギルベルト様!」

 ヴィルムは急いでギルベルトの後を追う、彼までいなくなったら君子は一人になってしまう、必死に呼び止める。

「まっまってぇ、置いて行かないでぇ~」

 しかし、誰もいなくなってしまった。





************************************************************





「ギルベルト様、ギルベルト様っ!」

 君子がいたのになぜ逃げ出すような事をしたのか、ヴィルムには訳が分からない。

 自分の部屋に戻って来たギルベルトは、胸を抑えながら壁にもたれかかっていた。

「ギルベルト様いかがなさったのですか、キーコがいたというのに」

 なぜ彼女の前から逃げる様な事をするのか、いつものギルベルトなら抱きしめると思っていたのに。

「…………い」

「はい?」

 小さすぎて聞こえなかった、ヴィルムが近づいて耳を澄ませると――ようやく聞き取ることが出来た。





「かわいすぎるだろぉ……」






 眼鏡のおさげでない、可愛らしい君子は何度も見た。

 でもそれ以上に、あの君子は可愛い。

 心臓の鼓動が早くなって、胸がはちきれそそうだ。

 どんな顔をして、あの君子の前に立てばいいのか分からない。

 ただ君子が可愛くて、前に立つ事もままならず逃げてしまった。

「……なンであンなっあンなっ」

 あんなに可愛いなんて反則だ、ギルベルトは熱をおびた頬を冷やそうと手の甲を押し当てたが、一向に下がらなかった。






************************************************************





 一方、一人残された君子は途方に暮れていた。

 ギルベルトもアルバートも、皆置いて行ってしまった。

(どっどうしよう、私動けないのにぃ)

 ヒールが高すぎて動けないと言っているのに、置いていくなんてあんまりだ。

 あんなに薄情だなんて思わなかった。

(はっ、まっまさかそばかすの不細工がお洒落をしている事に怒って、どこかへ行ってしまったんじゃ……)

 君子は自分のネガティブ思考で傷つき、深く落ち込む。

 このままこの離宮の前から一生動けないのではないだろうか、一度心配するとどこまでも心配してしまう。

(靴を脱げば……いやそうしたらドレスが汚れちゃう)

 シルクのドレスは丈が長く、ヒールを脱ぐと引きずる事になる。

 こんな高価なドレスを汚す訳にはいかない。

 君子が途方に暮れていると――。

「どうしました、レディ?」

 そう声をかけられた。

 振り返ると、軍服を着た青緑色の髪の青年が立っている。

 とてもイケメンで、胸には勲章らしいものをいくつもつけていて、後ろには彼の部下なのか、同じデザインの服を着た男が二人いた。

「こんな所で立ち止まって、お加減でも悪いのですか?」

 君子は離宮の眼の前で立ち止まっていたので不審に思われたのだろう。

 しかしイケメンとお話をするスキルを持ち合わせていない君子は、言葉に詰まる。

「あっ……えっ、えっとぉ」

「おやおやレダーシア様、パーティに参加する前にもう女性に声をかけるとは、気が早いですなぁ」

「止めてくれよ、私はただ美しいレディが困っている様子だから声をかけたんだ」

 美しいレディ、一体誰の事を言っているのか分からない。

 軍服を着ているし腰に剣を下げているのでおそらく軍人だろう、君子は怖くて視線を逸らす。

「おい貴様、レダーシア様がお声をかけたというのにその態度はなんだ」

「名家フェッセン家嫡男であり、魔王候補の一人であらせられるお方だぞ」

「止めるんだ、女性に対してそのような物言いをするものではない……申し訳ないレディ」

 部下の非礼を詫びると、男は君子の顔を見つめる。

「このレダーシア、貴方の様な美しい女性を知らぬとは一生の不覚……、貴方は一体どこの令嬢であらせられる?」

 よもやここまで着飾った女が庶民の中の庶民、ド庶民だとは思いもしない。

 令嬢と間違われて君子は余計に戸惑ってしまう、なんと返せばいいのか分からない君子に、彼は続ける。

「……見た所お付きの者もいない様子、こんな所で一人では壁の花以前の問題、私でよろしければエスコートいたしますよ、レディ」

 そう言って、男は君子の手を掴む。

 いきなり触れられて驚いた彼女の手を引いて、男は会場へ向かう。

 しかし――、突然背中に衝撃が走った。

「うごっ」

 吹っ飛ばされた男は、無様な声を上げた。

 痛む背中を抑えながら男は振り返る。

「なっ、レダーシア様に何をする!」

「貴族であらせられるレダーシア様に無礼な!」

 部下の二人が蹴った者を睨みつけた、しかし――。

「あン、なンか言ったか?」

「なんだ、なにか言ったか?」

 





 そこにいたのは、礼服を来たギルベルトとアルバートだった。






 ギルベルトが赤を、アルバートが青を基調とした礼服を着ている。

 それぞれ金と銀の刺繍が施されていて、ボタンは純金と純銀。

 高価な服もさることながら、何よりも目が行くのは、その整った顔立ち。

 普段は寝ぐせだらけのギルベルトも前髪を上げ、アルバートは長い銀髪を編み上げて、ただでさえイケメンなのに、二割増しくらいで美しくなっていた。

 その二人の神々しさに、男たちは圧倒される。

「なっ、おっ王子殿下!」

 なぜ今回のパーティの主催であり主役である彼らが、こんな所にいるのだ。

 驚く男の眼に、ようやく君子の右耳で光る二つのピアスが映った。

「あっ……まっまさか、この女性は」

 下あごが外れそうなくらい口を開けて驚く三人を放って、二人の王子は君子へと近づく。

 そのあまりの美しさに、君子は言葉を失う。

 まるで漫画やアニメのキャラクターの様に本当に綺麗でかっこよくて、見惚れてしまう。

 そんな二人は、それぞれ君子へと手を差し出す。

「……あっ」

 二人に見惚れていて思考能力を失った君子は、自然とその手を取ってしまった。

 あまりにも自然で優雅に、二人の王子にエスコートされるその姿を、男たちは呆然と見ている事しかできなかった。






************************************************************






 パーティの会場となる広間には、既にたくさんの招待客がいた。

 先日の『ご挨拶』の場では、主に男達が新たな魔王に気に入られようと躍起になっていたが、今回は主に女の戦場である。

 特にアルバートのピアスを求めて、皆高価な宝石や露出の高いドレスに香水で少しでも自分を美しく見せようと躍起だった。

 そんな臨戦態勢の令嬢達の前に、獲物である王子達がやって来る。

 このパーティでピアスをもぎ取ろうとしていた令嬢達の視線は、一気に開け放たれた扉へと向けられる。

 しかし――彼女達の視線は、王子二人に手を引かれる君子へ向く。

「なっなにあの女は!」

「二人の王子に手を引かれるなんて、一体どこの令嬢なのぉ!」

 妃の座を狙っていた令嬢達に衝撃が走る。

 しかし彼女達を動揺させたのは、君子の耳についていた金と銀のピアス。

 誰もが狙っている王族のピアスを、二つもつけた女の登場に――皆悲鳴を上げた。

「いやあああっ、あっアルバート様のピアスがぁ!」

「そんなぁ、一体あの女は誰なのぉ! 王族のピアスを二つもつけるなんてぇ!」

 中には失神する令嬢もいて、会場はもう大混乱になっていた。

 だが、君子はただ恥ずかしくて、自分のせいでそんな事になっているなど、夢にも思わない。

(……どっどうしよう、みっみられてるよね)

 いくらベルフォートに化粧をしてもらって、高価なドレスを貸して貰っても、やっぱり自分は凡人、きっと誰もが笑っているに違いない。

 目立つのは怖い、容姿を笑われるのは怖い、やっぱり自分は来てはいけなかったのだ。

 他の令嬢達はあんなに綺麗なのに、自分はこんなに不細工。

 君子は深く後悔して、誰にも顔を見られたくないから俯いた。

 もう、顔なんて上げられない。




「……似合ってるぞ、キーコ」




 それはとっても小さな声だった。

 ギルベルトがポツリと呟いた言葉で、独り言だったのかもしれないが聞こえた。

 その言葉は君子の顔を上げさせるのに十分だ。

「……あっ」

 途端に顔が真っ赤になって熱くなって、胸がドキドキして来た。

 ただかけられた言葉が嬉しくて、仕方がない。

「キーコ、この宴は我々の為の物だ、主役は堂々としていればいい」

 そう、これはギルベルトとアルバート、そして二人のピアスをつけている君子の為のパーティ、この三人の為の祝いの席で何をためたう必要があるというのだ。

 パーティの主役、モブの脇役の凡人のそばかすには、絶対ありえない役なのに、今それが現実のものになっている。

(……これが、とっときの魔法)

 ベルフォートの魔法、とんでもない効果だ。

 不思議と着飾った二人の間にいても嫌じゃない、むしろ悪い気はしない。

 きっとこれがベルフォートの魔法なのだろう、君子はそう思った。

(魔法が効いてる間だけは……、パーティの間だけなら、ちょっとだけなら、いいよね)

 自身にそう言うと、君子はこの素敵な魔法に感謝しながら、パーティを楽しんだ。






************************************************************






「うふふっ、キーコちゃん可愛いわねぇ」

 ベルフォートは、二階から君子達を見下ろしていた。

 着飾った君子を挟んで、弟二人が並んで歩いているというのは彼にとっては奇跡の様な光景だ。

「おっ、ベルフォート兄さん」

「あら~ロベルト、貴方も来たのね」

 ロベルトはベルフォートの隣に立つと、同じように弟達を見下ろす。

「んっ、あっあの美人……まっまさかキーコちゃんなのかぁ!」

「そうよ~、可愛いでしょう?」

「へぇ~別人にしか見えないよ、流石術の魔王だな~」

 ロベルトは兄の魔法の技術を賞賛したのだが――。

「馬鹿ねぇアレはメイクだけよ、術なんてな~んにもかけてないわ」

 ベルフォートのとっときの魔法は、メイクの事。

 君子は彼に何か特別な魔法をかけたと思い込んでいるが、実際やったのはメイクとヘアメイクのみ。

 特別な事など何一つやっていない。

「女の子はねメイク一つで変われるの、キーコちゃんもちょっと自信が出て来たみたいね」

 ギルベルトとアルバートに手を引かれる君子は、まんざらでもない様子。

「でも、なんで紫なんだよ、もっと赤とかピンクとか白とか、女の子が好きそうな色にすればよかったのに」

「それじゃあ駄目なのよ、あの色が一番いいの」

「なんで、地味だろう?」

 首を傾げるロベルトに、ベルフォートはどこか楽しそうに訳を言う。

「だって、あの色が一番間に立って栄えるでしょう?」

 赤と青を足した色である紫は、ギルベルトとアルバート間に立つととても栄える。

 ベルフォートはそれを狙って、あの色のドレスを着せたのだ。

 着飾った君子に、ギルベルトとアルバートは喜んでいるようだし、兄としてとても嬉しい。

「本当に、家族の仲がいいのは良いわね……ロベルト」

「……そうだな、兄さん」

 ロベルトは深く頷いた。

 ベルフォートは優しい笑みを浮かべていた。

「ありがとう」

 



 そしてこの穏やかな幸せをくれた少女に、心からのお礼を言うのだった。





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