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地味女子ですが、異世界来ちゃいました!  作者: フランスパン
魔王就任編
85/100

第七八話 紅の魔王

新章、はじまります。




 

 ヴェルハルガルド 帝都ガルヴェス。

 異世界ベルカリュースの中でも、三本の指に数えられるほど発展した都である。

 ドワーフの洗練されたデザインで造られた建築物の数々が立ち並ぶ、要塞都市。

 その中心に堂々と座すのは、ひと際大きく高い建物――ガルド城。

 ヴェルハルガルドで最も古い城であり、最も美しい城。

 この城に比べれば、辺りにある建物などハリボテも同然。

 そんな美しい城の一角に、大変な人だかりができていた。

 彼らは皆、貴族や軍の幹部などの地位ある者達。

 皆が城に集まっているのは、今日という日がこの国で一番大事な日だからだ。

 今日は新しい魔王の就任式なのである。





 (いかづち)の魔王 アルバート

 (くれない)の魔王 ギルベルト




 一度に二人選定されるのは珍しい事で、王族から選ばれたのは、王女ブリュンヒルデと王子ベルフォート以来である。

 魔王は、絶大な人気と権力を持っている。

 万の軍勢を動かすというのは、強さこそ全てであるこの国では、大変に名誉のある事であり強大な権力を有するという事。

 そんな実力と権力の塊である魔王と、少しでもコネクションを作ろうとしているのが、貴族や軍幹部である。

 いや表向きはあくまでも『ご挨拶』、しかし九割はそう言う下心を持っているので、そう言う場と言って差し障りは無い。

 そう言う場だからこそ、話の内容はどちらの魔王に着くかの話になる。







************************************************************







「まさかあの末弟王子が魔王になるとは……、天変地異の前触れか?」

「いやいや、陛下を脅したと聞いたぞ?」

「いやいや、私は極上の女を贈ったと聞いたぞ?」

 噂と言うのは尾ひれがつくもので、特に到底信じられない現象が起こった時というのは、皆自身の想像力をフル活用して好きにお話を作る、噂が広がる時には真実とはかけ離れたものになっている事が多い。

 ギルベルトの魔王就任というのは、それほど信じられない話なのだ。

「陛下は一体なにをお考えなのか……、あのような手の付けられない者を魔王になど」

「全くですな、もっとふさわしい者がごまんといるはずなのだがなぁ」

「ヴェルハルガルドの未来に、悪い影響がなければよろしいのですがねぇ」

 城の庭を歩いているのは、右から半獣人、耳の長い魔人、角のある魔人の男達。

 貴族としては中流くらいで、自分達の力だけでは成り上がれない、その癖格下の相手や弱者には強気の態度を取る小物、要はダメ貴族三人組、である。

 三人組が向かっているのは、南の離宮。

 そこには、魔王になったギルベルトがいて『ご挨拶』に行こうとしているのだ。

「しかし、アルバート王子はやはり素晴らしいお方だな、とても凛々しかった」

「確かに……しかし問題は、どうやってアルバート王子にお近づきになるかだ」

 彼らは、既にアルバートへの『ご挨拶』を済ませており、その足で今度はギルベルトにありとあらゆるおべっかを使いに行くのだ。

 自分達の位を少しでも上げる為に、必死なのである。

「アルバート王子と末弟王子、どちらに着くか……そりゃアルバート王子だ」

「だが競合も多い、アルバート王子と少しでも関わろうという貴族は多いぞ」

「何か他の者達とは違ったやり方で攻めるしかないな」

「あっ、確か殿下は女好きだったはずでは?」

「馬鹿、それは魔王になる為の踏み台の話だ、魔王になった今は必要ないし、そもそも我々の様なそこそこの地位と富しかない貴族の娘では無駄だ」

「……いやっ、そうとも言えないのではないか?」

 半獣人の貴族が、更に続ける。

「王子殿下のピアス、片方の一つが無くなっていたぞ」

「なんと、では王族のピアスを受け取った女がいるという事か!」

「王子のピアスは妻になる者に渡す物……、アルバート王子殿下の愛している女に近づけば殿下が我らの後ろ盾に……」

 ナイスなアイディア、三人組はゲスな笑みを浮かべる。

 そんな話をしているとギルベルトがいる離宮に着いた。

 アルバートの北の離宮は彼と少しでもお近づきになりたい貴族や軍人でごった返していたが、こちらは空いている。

 重要度が高いアルバートを優先するのはある意味当然、そうなるとギルベルトはどうしても後回しになるのだ。

 三人がやって来るとメイドが深々と頭を下げて、大扉の前に案内する。

 そして、ドアが開かれた。







 まず三人が見たのは、真っ赤な絨毯が敷かれた部屋。

 奥は数段高くなっており、そこには三人掛けできそうなソファが置かれている。

 次に見たのは、そのソファに寝っ転がる青年。

 黒い角に、短く切りそろえられた赤みのある金髪、そして真っ赤なコート。

 今回、魔王になった末弟の王子ギルベルト。

 ソファのひじ掛けにもたれかかって、気品も何もあったものではないのだが――それをどうでもいいと思わせるほどの異質があった。





 黒い女が、ギルベルトに抱きしめられていた。





 ベルカリュースでは珍しい黒髪に真っ黒なドレス、胸部は平原と見間違るほど、まっ平だった。

 だが何よりも驚いたのが、彼女が真っ黒なベールで顔を隠していた事――。

 王族という華やかな存在に全く似合わない、妖艶な気配さえも感じさせるその女に、三人は戸惑った。

「(なっ、なんだあの女は!)」

「(王子に馬乗りして、抱きしめられているぞ!)」

「(なぜ顔を隠しているのだ!)」

 他に聞こえない様に、声を殺して話す三人。

 驚きのあまり祝辞を述べる事もままならない三人に代わって、ギルベルトの補佐官ヴィルムが口を開く。

「ギルベルト様はお三方がわざわざ挨拶に来た事に、大変感謝いたしております、これからはヴェルハルガルドの為に魔王の職務を全うすると仰っております」

「あっ、でっ殿下、この度は魔王就任大変喜ばしく……わっ我々もささやかながらお祝いの品をお送りさせていただきたく、まっ参りました次第でございます」

 深々と頭を下げる三人、しかし視線はやはり女へと向かってしまう。

 どこの誰なのか、果たして彼女について尋ねてもいいのか、まるで分からない。

 それくらいその存在は異質だった。

「…………」

 女は、頭を下げる三人をまっすぐ見下ろす。

 ベールのせいで表情が分からず、恐怖を感じる。

 するとその時、彼女の右耳の銀のピアスが光る。

 それこそ正に、三人組が言っていたアルバートのピアス。

「(なっ、あっあの女がアルバート王子の恋人?)」

「(ばっ馬鹿な、こんな得体のしれない女を、あのアルバート王子が?)」

「(いっいやよく見ろ、ギルベルト王子殿下のピアスもつけているぞ)」

 王族のピアスが二つ、つまりソレは二人の王子から寵愛を受けているという事になる。

 貴族の娘達が、そのピアスを死ぬほど欲しがっているというのに、二つもつけている。

「…………」

 その黒い女はギルベルトの耳元で何かを話している様に見える。

 話し声は聞こえないが、肩が震えているのは解る。

「(わっ笑っているぞ、あの女!)」

「(なっ、何もかも見透かして、我らを嘲笑っているに違いない)」

「(魔女だ、あの女こそ魔王である王子二人を裏から操っているのだ!)」

 真の実力者は、この女。

 三人組は、挨拶を済ませて離宮から出た途端に、全速力で走った。

「急いで何か贈り物をしなくては!」

「宝石か! ドレスか!」

「なんでも良い、とにかくあの女に気に入られれば王子二人の後ろ盾を得られたも同然だ!」

 そして三人組は、とにかく急いで彼女が気に入りそうな贈り物を探しに行くのだった。






************************************************************





「……帰りましたよさっきの貴族さん達」

「何とか挨拶は済ませる事が出来ましたね」

 アンネとヴィルムはほっとした様子でそう言った。

 しかし彼ら以上に安心したのは、黒い女――君子である。

「うっうううっ、こっ怖かったぁぁ」

 ベールを上げると、君子は今にも泣きそうな顔をしていた。

「キーコ震えるんじゃありません、挨拶に来られた方々が戸惑っておいででしたよ」

「だっだってぇ、知らない男の人ばっかり来るし、皆貴族の人なんですよぉ、私みたいなモブが会っちゃいけねぇですよぉ!」

 笑っていたのではなく、恐怖に震えていたのである。

 貴族達の勘違いなど、君子が知る筈もない。

「それにしても……、なんでこんな真っ黒なドレスなのぉ! もっとフリルがいっぱいで可愛い奴もあったのにぃ!」

「アレは私にはプリティすぎですぅ! モブの不細工のそばかすが着ちゃ駄目ですぅ!」

 君子がいなければギルベルトは大人しくしていられないので、帝都に君子もやって来た。

 しかし貴族や軍幹部が来る場なので正装をしなければならないのだが――、君子はドレスを拒否。

 折半案で顔を隠す事を条件にドレスを着る事に同意した。

(まぁ、結果として顔を隠したのは正解かもしれないな)

 魔王ジャロードの一件で、君子は狙われた。

 それは君子が王子二人のピアスをつけていたからだ。

 ギルベルトが魔王の地位について、それを面白くないと思っている者達は前以上に増えただろう。

 そう言う輩に君子の顔を覚えられるのは困るので、結果としてこちらに好都合となった。

(これからは、キーコの警備を考えなければならないな……)

 ヴィルムはそんな事を考えていたのだが、肝心の君子は――。

「もう嫌ですぅ~、ドレス脱ぎたいですぅ~」

 完全にいじけていた。

 彼女にとってドレスは美人が着るもの、自分が着るものではないと思っているからだ。

 まだまだ『ご挨拶』は続くので、ドレスを脱がれるのは困る。

「はいキーコ、スラりんも励ましてるわよぉ」

「うわーん、スラりーん」

 君子はスラりんを抱っこしてぷにぷにする。

 何とかこれで持てばいいと思っていると――、ちょうど人がやって来た。

 ヴィルムは急いでスラりんを隠し、君子はヴェールを下げて、アンネはドアを開けに向かう。

 偉い貴族がやって来たのかと思い緊張したのだが――、やって来たのはマリノフとブルスだった。

「ギルベルト王子殿下、お久しぶりで御座います」

「マリノフ様、わざわざお越し頂いて申し訳ありません」

「ギルベルト様が魔王になったのだぞ、この俺が祝わずしてどうするというのだ」

「貴方は負傷して療養中だったのでしょう……」

 わざわざエルゴンの戦場から、マリノフは祝いの言葉を述べにやって来てくれたのだ。

 ギルベルトもソファにもたれかかるのを止めて、ちゃんと座る。

「おう、色々任せっきりで悪かったな……」

「なんの、殿下が無事でそれも魔王になったのですから……この爺も祝いの言葉を言わなければなりませんでしょう……所で、その方は?」

 黒いヴェールで顔を隠している君子は、この祝いの場ではあまりにも異質だった。

 だから流石のマリノフも尋ねたのだが、すぐにその右耳につけられたピアスに気が付いた。

「……なるほど」

 ギルベルトが異邦人の女を不老不死にする為に、戦っているのは知っていた。

 だが、実際にその人物に会うのはこれが初めての事だった。

「……キーコ、この方はギルベルト様の知り合いです、顔は隠さなくていいですよ」

「あっ……はい」

 ヴェールを持ち上げると、思っていた様な美人ではなく、王子とは到底つり合わない凡人だったので、マリノフは顔にこそ出さなかったが驚いた。

「はっ初めまして、山田君子……キーコです」

「私はマリノフ、見ての通り老兵、現在は殿下のもとでこき使われております」

 頭を深々と下げて挨拶した君子に、マリノフは冗談を交えてそう言った。

 だが君子の興味は、挨拶ではなく彼の外見へと向けられる。

「あっあの、マリノフさんは何の魔人さんなんですか?」

 角がある魔人や耳が長い魔人は見た事が在ったが、下の牙が長い魔人は一年以上異世界にいるが初めて見た。

「……私は牙のある魔人ですよ」

「牙のある魔人……」

 なんだかピンとこない君子に、マリノフは続けた。

大牙種(オーク)、とも呼ばれております」

「オークっ!」

 君子の驚いた表情にマリノフは怪訝な顔をした。

 どうせ次の反応は決まったものだろうと思っていたのだが――、それは彼が想定したものとは違っていた。

「ファンタジーのド定番じゃないですかぁ~、ふぁっオークさんに会えるなんて感動ですですっ!」

 君子はあろうことか目を輝かせてマリノフの手を握って来た。

 ファンタジー大好き君子さん的には、オークは邪悪というイメージがあるが、夢の存在の一つである。

 しかも豚顔ではなく人に近い、こういうオークは君子の好みだ。

「…………」

 だが当のマリノフは驚いていた。

 眼を丸くして、嬉しそうに力強く手を握る君子を見下ろす。

 そんな彼を見てヴィルムが口を開く。

「キーコ、マリノフ様が困っております、それにあまり大牙種(オーク)と呼ばない方がいいですよ」

「へっ、なんでですか?」

「……ヴェルハルガルドでは、その呼び方は使われていないのですよ」

 なぜ呼んではいけないかと疑問に思ったが、ヴィルムが真剣に言うのでもう呼ばない事にする。

「うう、でもファンタジーのド定番に会えてつい」

「この程度で騒ぐなんて……そんな事を言えば、ギルベルト様は大角種(オーガ)ですよ」

「おっオーガぁっ! ぎっギルってオーガなのぉ!」

「あ? そーだぞ」

 一年以上一緒にいるのに、知らなかった。

 ずっと魔人と聞いていたので疑問にさえ思わなかった。

 言われてみれば角があるしオーガその物、どうして今まで気が付かなかったのだろうか。

「もうっなんでそんな大事な事言ってくれなかったのぉ!」

「なっなンで、俺が怒られねぇといけねーンだよぉ!」

 ヴェルハルガルドでは角のある魔人=大角種(オーガ)なので、こんな事で怒られるというのはあんまりである。

「…………」

 マリノフは、二人をただ黙って見つめていた。







「マリノフ様、今日はわざわざ遠方から申し訳ありません」

「構いませぬ、どうせ魔王の御旗を取りに来る必要がありましたからなぁ」

 魔王の御旗と言うのは、進軍する魔王軍のみ掲げる事が出来る旗であり、色やでデザインは各魔王によって異なる。

 マリノフはヴィルムから御旗を受け取ると、試しに広げる。

「……紅地に黒い刃の剣、まっこと殿下らしい」

 ギルベルトにつけられた二つ名は、『紅の魔王』。

 赤いコートを翻して戦地を駆ける彼の色と言えるし、黒い刃の剣はグラム、正にギルベルト=ヴィンツェンツと言う人物を示すのにふさわしい旗だ。

「しかし、『(くれない)』とは魔王帝陛下も珍しい(あざな)を付けましたな」

「……いえ、この紅というのは、元々ハルドラで呼ばれていた物らしいのです」

 元々ギルベルトに紅という名称を使ったのは、ハルドラの人間達だ。

 紅の魔人、実に安直な字だと思ったのだが、まさかこれがギルベルトの二つ名になってしまうとは思いもしなかった。

「おそらく魔王帝陛下の遊び心でしょうな」

「そうでしょう……、しかし魔王となったからには、これからギルベルト様は万の軍勢を率いる事になるでしょう」

「エルゴンの侵攻がより大規模に行う事が出来るでしょうな」

 魔王となったギルベルトには一万の軍勢が与えられる。

 そうなれば今まで規模が大きく、二千の軍勢では落とす事が出来なかったエルゴンの砦アステを落とす事が出来る。

「不思議なものですな……まさか陛下に援軍を求めた筈の殿下が魔王となって、今までの数倍の兵を率いる様になったのですから」

 元を正せば、エルゴンの侵攻が上手くいかなかった為、兵の増援を貰おうと思い魔王帝に頼みに行ったはずだった。

 聖都巡礼はあくまでもその過程にすぎなかったはずなのだが――、よもや魔王となるなど誰も考えもしなかった。

「ヴィルム殿、兄王子殿下と同時に殿下が魔王になった事ははっきり言って異例、誰も納得しないでしょう」

 アルバートは魔王確定と言われるほどのエリート王子、一方ギルベルトは捨て子と罵られた地位の低い王子。

 この二人の同時の魔王就任は、魔王の座を狙っていた者達にとっては納得できない。

 ギルベルトには味方も増えただろうが、それ以上に敵も増やした結果になっただろう。

「ですから、今まで以上に風当たりは強くなると思っていた方がいい」

「……重々承知しております」

ヴィルムが深く頷いたのを見て、マリノフはふと独り言の様に呟く。

「殿下が不老不死にしたいと思っている、あの異邦人の娘」

「キーコが、いかがなさいましたか?」

「いや……私は人間と言う種は、皆我々を蔑み見下している醜い種だと思っていたのだが、初めて、大牙種(オーク)と会えて心から喜ぶ娘を見た」

 高齢のマリノフは、千年前に滅んだシャヘラザーンを知っている。

 それだけではない東側に住む人間達がどれほど異種族を蔑んでいるか、エルゴンの侵攻でも痛いほどわかる。

 だから、異邦人とはいえども人間の娘が、あんな風に自分から手を握って来るなんて初めての経験だった。

「…………マリノフ様」

「殿下が、彼女を不老不死にしようとしている理由が……少しわかった気がしますよ」

 マリノフはそう少しだけ笑みを浮かべながら言うと、エルゴンの戦場へと戻って行った。






************************************************************






 それからまた何十人もの貴族や軍幹部が来るので、君子はずっと震えていた。

 やって来るのが凡人とは無縁の高貴な人達なので、ノミよりも小さな心臓はストレスで止まりそうだ。

「もう貴族の人は嫌ですぅ、帰りたい、帰る~」

「どうして王族と常に触れ合っている癖に、貴族が嫌なのですかねぇ」

 ヴィルムが呆れた様子でそう言うと、次の来訪者が来た様だ。

 せかされて仕方なくヴェールを被りなおす。

 しかしやって来たのは、貴族ではなくよく見知った顔――。





「ムローラさん!」




 魔王フォルドの補佐官だったムローラがやって来た。

 アレ以来初めて会うので、彼との再会は嬉しかった。

「やあキーコちゃん……、それに魔王ギルベルト様、お久しぶりで御座います」

「ああ、久しぶりだな」

 ひじ掛けにもたれかかっていたギルベルトも、色々と世話になったムローラの前ではソファにちゃんと座る。

 彼とフォルドには本当に世話になったと思っているのだ。

「魔王就任、誠におめでとうございます」

「……おめぇは大丈夫なのか?」

 それはフォルドの事、ムローラは父親の様に慕っていた彼を亡くしてとても落ち込んでいた。

 あの時の彼は、とても見ていられなかった。

「……大丈夫、とは言えません、僕にとってフォルド様は大切な人、でしたから」

「……ムローラさん」

 君子は自分が人質にされなければ、フォルドが死ななかったと責任を感じていた。

「ごめんなさ――」

「駄目だよキーコちゃん」

 謝ろうとした君子の言葉をムローラが遮った。

 戸惑う彼女に、彼は続ける。

「フォルド様は、君のせいであんなことをしたんじゃないんだ、だから謝らないで」

「ムローラさん」

 本当なら君子を責めてもいいのに、彼はむしろ気遣ってくれている。

 彼の心配りには、ギルベルトも感じるものがあったのか寂しそうな顔をしていた。

「あっ、実は今日はどうしても会っていただきたい方がいて……」

 空気を感じ取って、ムローラは話題を変える。

 会わせたい人というのが誰だか見当はつかないが、ムローラの紹介とあっては会わない訳にはいかない。

 ギルベルトが許可をすると、一人の女性が入って来た。

 ドワーフの女性で、清楚で気品あるクリーム色のドレスを着ている。

 物腰はとても柔らかで優雅、正にマダムとかいう言葉が似合いそうだ。

 そんな彼女の後ろに隠れるように、ドワーフの女の子もいた。

「……貴方は」

「お初にお目にかかります殿下、私はフォルドの妻でマルナと申します、こちらは娘のシュナン」

 つまりフォルドの遺族――、彼の妻と娘がまさか自らやって来るとは思わなかった。

 どんな顔をして彼女と会えばいいのか、皆が迷っているとマルナが口を開く。

「此度の件、夫フォルドは王子殿下のお役にたったと聞いております、魔王として誇りある行い、本当に名誉あることで御座います」

 フォルドの死は巡礼中の王子に名を助けた際、海魔(カーマ)によって殺された事に表向きはなっている、いくら妻とはいえども最重要機密は伝えられていない。

 それがとても辛い、本当の事を言ってしまいたくなった。

「……不敬というのは重々承知です、私はなんと罵られようとかまいません、しかし、どうしても殿下にお尋ねしたい事が在るのでございます」

「……いい、言ってみろ」

 ギルベルトの許可を受け、マルナはまっすぐな目で見つめながら言った。





「夫フォルドは、己の死を後悔しておりましたか?」




 

 それはとても堂々としていて、夫を失ったばかりの未亡人の言葉とは思えなかった。

 この問いはそれほどまで彼女にとって大事なものなのだろう。

 だから、その気持ちにギルベルトもまっすぐ答えた。

「いいや、フォルドは死ぬのを怖がってなかったし、後悔もしてなかった」

 ギルベルトはその眼にしっかりと焼き付けた。

 あの豪快な魔王の死に様は、ギルベルトの頭にも心にも、魂にも刻み込まれた。

 正直に答えたギルベルトの言葉を聞いて、マルナは深く頷いた。

「……ならば、私共が悲しむ訳にはまいりませぬ」

 本当ならば大声を上げて泣きたいに違いない、それを無理矢理飲み込んでいるのだろう。

 フォルドの死を嘆けば、それは彼の死を否定する事になる。

 ただ行いを賞賛し、名誉ある死を称えるべきだ。

 魔王という強者の妻は、同じくらい強き女なのだろう。

「祝いの時にこのような事をお聞きして大変申し訳ございません、ですがこれで心置きなく帝都を発つ事が出来ます」

「帝都を発つ……マルナ様、それは一体どのような事なのでしょうか」

 ヴィルムの問いに、彼女は少し言いづらそうに言う。

「……帝都は何かと物入りで御座いますから、女手一つで子を育てるというのは難しゅうございます」

 フォルドは魔王とはいえども謹慎中で、収入はあまりなかった。

 彼が死にそれなりの金は軍から受け取る事は出来たが、これからの生活の事を考えると、やはり帝都は物価も高く住みにくい。

 だから地方へ行こうとしているのだろう。

 しかし母と子で暮らす、その言葉に君子は反応した。

「あっ……」

 一〇〇年前の、ギルベルトとラーシャの事を思い出してしまった。

 二人の悲惨な姿と、マルナとシュナンの姿が重なる。

 フォルドは命の恩人だ、彼の家族を何とか助けてあげたい。

 君子が口を開くその前に、意外にもギルベルトが言った。





「なら、金は俺がやる」





 それは夢にも思っても見なかった言葉だ。

 ギルベルトが、自分から赤の他人の生活費を払うと申し出たのだ。

 これには君子だけではなく、ヴィルムも驚いていた。

 ワガママで暴力的だと言われていた彼が、他者に向けてこんな事を言うなど、ありえない事だ。

「住む所がねぇならマグニに来ればいい、とにかくお前ら二人の生活はどうにかしてやる」

「そっそんな……殿下にそのような事をしていただく訳にはまいりません」

 フォルドは魔王とはいえ平民の出身で、マルナも貴族とはいえ下級の部類。

 到底王族の世話になるような身分ではない、そんな話を受ける訳にはいかないと、マルナは首を横に振る。

「いいンだ、フォルドには色ンなもンを教わった、この先の俺に必要なもンを教えてくれたンだ、それくらいどうって事ねぇ」

 それは闘気(オーラ)の技だけではない、彼の言った魔王の器。

 誇りを持てと言った彼の言葉は、魔王となったギルベルトにとって『教え』そのものだ。

 かけがえのない物を受け取ったので、そのお礼を死んだフォルドの代わりに遺族にしたいのだろう。

「……ギル」

 ギルベルトは君子と同じことを考えていてくれた。

 二人を助けたい、その気持ちがとっても嬉しい。

「……では、マルナ様にはキーコの家庭教師を頼むというのはいかがでしょう?」

「えっ、家庭教師?」

 大学受験をするわけでもないのに――と驚く君子を無視してヴィルムが続ける。

「ギルベルト様が魔王になったのです、キーコにもふさわしい作法やしきたりなどを覚えてもらう必要があります、マルナ様には高貴な女性の立ち振る舞いをご教授願いたい」

「ええええっこっ高貴な女性って、私はモブの脇役なのにぃ!」

 身の程知らずにもほどがある、しかし君子の悲鳴など無視して話はとんとん拍子に進む。

「それに帝都で貴族の動きなどを知れる協力者が欲しかったのです、今後の生活費は我々が支援いたしますので、是非こちらに残っていただけないでしょうか?」

「それは……願ってもない、謹んで受けさせていただきます」

 深々と頭を下げるマルナと、それを真似するシュナンを見ていたら、それ以上は何も言えない。

 ここはフォルドへの感謝の意味も込めて、君子も一肌脱ぐ事にする。

「……所でムローラ様は、これからいかがなされるのですか?」

 フォルドが死んだ今、当然補佐官であったムローラはその職を失った事になる。

 これからは普通の軍人に戻る事になるのだが、問題はその後の配属先だ。

「行くとこねーなら、おめぇも俺の所に来いよ」

 ジャロードとの一件で、ムローラの高い分析能力と呪解技術には感心した。

 彼がいなければ呪いを移すことが出来ず、君子は死んでいただろう。

 だから、そのお礼もかねてギルベルトは彼をスカウトしたのだが――。

「……お言葉は大変嬉しいのですが、それはお受け出来ません」

 補佐官とはいかないが、長年フォルドを支え続けて来た彼ならば、指揮官クラスの待遇で迎えられる事間違いなしだ。

 誰もが受けるであろう話なのだが、ムローラは少し悲しそうな笑みを浮かべながらつづけた。

「……僕は、フォルド様の為に軍人になったんです、だから……まだ他の人の下に就く事は出来ません」

 フォルドとムローラは普通の魔王と補佐官という関係ではない。

 彼にとってフォルドは、命の恩人であり、父親そのものだったのだ。

 その忠誠心は、他の誰よりも強く、何よりも深い。

「とりあえず軍を退役して、それで……一人でこれからの事を考えようと思っています」

 奴隷だったムローラは、突然生きがいを失って戸惑っているのだろう。

 フォルドの後を追わないかと、君子は心配になった。

「ムローラさん……」

「大丈夫、僕はフォルド様の事を後世に伝えないといけないからね、自決なんて絶対しないよ」

 フォルドはムローラに、自分の武勇伝を語り継ぐ様に言い残した。

 今思うととんだ自意識過剰だが、ムローラの表情は決して暗い物ではない。

 彼の残した言葉が、明るい物だったから、この先の未来を見詰める事が出来たのだろう。

 君子は改めて思う、フォルドは本当にすごい人だったと。

「ですが……殿下や国の危機の時は、このムローラどんな形であれ必ずお役に立ちたいと思っております」

 フォルドの技と意志を継いでくれたギルベルトに、ムローラも思う所があるらしく、そう深々と頭を下げながら言ってくれた。

 今まで捨て子と馬鹿にされて、後ろ盾も協力者もいなかったギルベルトにとっては、頼もしい言葉だった。







 君子はマルナとシュナンに丁寧に挨拶をすると、二人を見送った。

 ギルベルトのおかげで、二人はこれからも帝都に住めることになって良かった。

 ムローラも気がかりだった二人の事がどうにかなって、心なしか安心したように見える。

「じゃあキーコちゃん、僕も行くね」

「……はい、もしマグニの近くに来たら寄って下さい」

「そうだね、何か美味しい手土産でも持っていくよ」

 ムローラはそう言って笑う、でもやっぱりその笑みはどこか悲しそうだった。

 大切な人を失ったばかりなのだ、そう簡単には心の整理はつかないだろう。

 君子がどんな言葉をかければいいのか、迷っていると、ムローラが先に口を開く。

「キーコちゃん、あまり無理はしないでね」

「え……」

「殿下が魔王になったっていう事は、今まで数千人だった軍が一万に増えるって事だ……そうなれば以前よりももっと戦争が激しくなる」

 ムローラは、君子がギルベルトを怖がっている事が気がかりだったのだ。

 今はどうやら仲直りしたように見えるが、また関係がこじれる前に正直に話した方がいいと考えたのだろう。

「……怖かったり嫌だったら、そのぉ、なんていうか押し込めたり抱え込んだりしない方がいいと思うんだ」

 無理をして我慢するというのは、精神的にきつい事だ。

 君子のこの急激な心変わりを、ムローラも心配しているのだろう。

「…………押し込めてるわけじゃないですし、抱え込んでるわけでもないですから、安心して下さい」

 君子は笑みを浮かべてそう言う。

 それはフォルガ砦での笑みに比べれば、明るく見えた。

 でもどうしてそんな心変わりをしたか知らないムローラは、まだちょっと心配そうだ。

「……それじゃあ、僕はもう行くよ」

「はいムローラさん、また会いましょう」

 君子は手を振って、ムローラを見送った。

 またいつか再会できる日を楽しみにしながら、彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。







************************************************************






 ヴィルムは、貴族が持って来たお祝いの品の目録を作っていた。

 皆ギルベルトを支持してくれているのだ、いずれ何らかのお返しはしなければならないだろう。

(まぁ、皆アルバート様の次にと言った所だろうが……)

 例えそうだとしても、今まで誰の支持も得られなかったギルベルトにとって、これは今後の大きな躍進につながる。

 向こうがこちらを利用するつもりならば、こちらも向こうを利用してやる。

(それにしても……キーコはなぜギルベルト様を許したのだろう)

 君子は数日前、五日間謎の失踪をした。

 刻印(ネーム)によって行動範囲を制限されているので、君子はどこにも行く事が出来ないはずなのに、いなくなった。

(キーコにいくら尋ねても、覚えていないの一点張り)

 君子は頭に酷い怪我をしていて、それを治療したあとまであった。

 それにも関わらず覚えていないというのは変だ、そもそも君子を誘拐した輩がいたとしてもそれを傷つけて治療をするだろうか、意味が分からない。

(一体……あの失踪した五日間で何があったというのだろうか)

 ヴィルムがそんな事を考えながら作業をしていると――、客人がやって来た。

 もう『ご挨拶』の時間は終わったはずなのだが、ヴィルムが急いで玄関に向かうと、そこにはロベルトの姿があった。

「よっ、ヴィルム」

「ロベルト様」

「悪いな、もう接見時間終わってるよな?」

「いえいえ、ロベルト様でしたら関係御座いません」

 ロベルトはギルベルトの兄であり、お目付け役なのだ。

 彼なら時間など関係ない、ヴィルムはすぐに彼を離宮へと上がらせる。

「にしても……あのギルベルトが魔王になるなんてなぁ、もう信じられないよ」

「……私も、こんなに早いとは正直思っておりませんでした」

 いつかギルベルトを魔王にしたいと思っていたヴィルムだが、こんなにも早くその時が訪れるとは思っていなかった。

「……あと、俺がまさか部長になるなんて思ってもみなかった」

「昇進したのですか、おめでとうございます」

「おめでとうじゃない、代わりにヴォルム部長が退職しちゃったんだよぉ~」

 ジャロードの汚職を見逃していたとして、部長であるヴォルムが責任を取る事になってしまった。

「俺がジャロードの汚職を見つけちゃったからヴォルム部長がいなくなっちゃったよぉ、もうどうしようヴィルム~俺のせいだよぉヴィルム~」

「兄はロベルト様を責める様な人でありませんよ」

 ロベルトの上司ヴォルムは、ヴィルムの兄である。

 彼は仕事に真面目で、部下に責任を擦り付ける様な性格はしていない。

 ヴィルムがそう言っても、ロベルトの表情は暗い。

「領主の話が頓挫して、本当に行く当てのなかった俺を、ヴォルム部長が拾ってくれたんだ……それなのに、それなのにぃ……」

 ロベルトは捨てられたギルベルトをどこからか拾って来て、父ベネディクトから認知をどうにかもらって、彼を王族に復帰させた。

 しかし捨て子の味方と、貴族などの権力者は離れていき、当然領主の話は無くなった。

 しかしそんな彼にヴォルムが現在の仕事を紹介してくれた、収入が安定したロベルトはようやく結婚する事ができたのだ。

 ヴィルムが知っているのはその程度で、どうやってロベルトがギルベルトを見つけたのか知らない。

「しっかりして下さい、ロベルト様は魔王のお目付け役になられたのですよ」

「……ううっ、あぁお目付け役と言えば、周囲の俺を見る目も変わったよ、今まで王子として扱ってこなかった奴らが手のひら返してよいしょよいしょだよ」

「そう言う方々は、権力に敏感ですから」

 どうやら目ざとい貴族達の一部は、ギルベルトだけではなくロベルトにもお祝いの品を送ったようだ。

「ギルベルト様もロベルト様の評価が上がるのを、喜んで下さるでしょう」

 ヴィルムはギルベルトがいる部屋へと通した。

 兄がやって来たのだが、ギルベルトはソファに寝っ転がりながらポテチを食べていた。

 その品のない格好に、ロベルトは眩暈がした。

「ギルベルトぉ! お前は魔王になったのになんだよその恰好は!」

「うっせぇんだよ、クソ兄」

「だぁぁぁっ、やっぱり言われたぁ! お前挨拶に来てくれた人にまでそんな事言ってるんじゃないだろうなぁ!」

 ロベルトがそう言って叱るが、ギルベルトは全く聞かずにポテチを食べ続ける。

 と言ってもこれはいつもの事なので、ロベルトもこれくらいではうろたえたりしない。

「良いかギルベルト、お前も魔王になったんだからいい加減礼儀作法とか口調とかきちんとするんだぞ、そうじゃないとお前の下に着く万の兵に示しが付かないだろう?」

 とお目付け役としてきちんと教育するのだが――。

「おい、ポテチお替り」

「あーきいてねぇよな、分かってた分かってたともさ! 所でさっきっから喰ってるそれなんなんだよ、お菓子か?」

 ベルカリュースにはないポテトを物欲しそうに見るロベルト。

 ギルベルトはポテチのお替りをアンネから受け取ると、奪われない様に警戒しながら食べ続ける。

「(アンネ、ギルベルト様のお兄様にキーコを紹介するので連れて来て下さい)」

「(えっでも、キーコはさっき着替えちゃいましたよ)」

「(……困りましたね、しかしここで紹介しないで後々問題になるのも困ります、あの珍妙な服で構わないのですぐに連れて来て下さい)」

 ヴィルムに言われて、アンネは君子を呼びに向かうのだった。






************************************************************






 君子は離宮の自室へと戻った。

 日が暮れて『ご挨拶』の時間は終了、ようやくドレスを脱ぐことが出来る。 

 スラりんしかいない部屋の中で、ふと頭をよぎったのはさきほどのムローラの言葉だ。

 押し込めたり溜め込んでいる訳でもない。

 だって君子は知ってしまったのだ、ギルベルトの過去を――。

「……私が口を出していい事じゃなかったんだよ、はじめっから」

 捨てられた王子であるギルベルトがどうやって王族に戻ったのか、君子は知らない。

 ともかく一度父に捨てられて、母にも存在を否定されたギルベルトが、王子という地位に戻るのは大変な事だったに違いない。

 それにここに来た貴族達の眼を見ればわかる、彼らはどこかギルベルトに対して蔑みや見下しの眼を向けている。

 今まで気が付かなかったが、きっと前からそうだったのだろう、一度捨てられた王子というレッテルが、いつまでもギルベルトについて回るのだ。

(ギルは、だから魔王になる為に戦争をしてたんだよね? もう捨てられない様に、誰からもいじめられない様に、自分を認めて貰う為に)

 君子はギルベルトが自分の為に戦争をしている事を知らない。

 だからエルゴンへの侵攻は、自分の地位向上の為と解釈してしまう。

(私がギルの戦争について口を挟むって事は、ギルにまたあの悲惨な状況に戻れって言うのと同じこと……、私にはそんな事出来ない)

 小屋で餓死しかけていたギルベルトの姿が、脳裏を過ぎる。

 あんな痛々しい姿を、君子はもう二度と見たくない。

 だから、押し込めたり溜め込んだりするのではなく――、割り切った。

 ここは異世界、君子の常識が通用する場所ではない。

 自分は自分、ギルベルトはギルベルト。

 そう割り切り、ギルベルトのやろうとしている事には口を挟まないし干渉しない。

 そう決めて、もう何も言わない事にした。

「でも……あれからどうやってギルは王子になったんだろう」

 君子はふとそう思った。

 きっと大変だったのだろうとは思ったが、どう考えてもあの一〇〇年前のギルベルトと、今のギルベルトがつながらない。

(はっ、まっまさか私がタイムスリップした影響なの!)

 本来の歴史を変えてしまったのでないだろうかと、慌てふためく君子。

 しかし、『時間』の管理者であるララァは、『時空震』は発生していないと言っていた。

 そもそも『時空震』が発生してしまったら、ベルカリュースは崩壊してしまうのだから、今この場に君子はいないはず。

 そうなると余計に訳が分からない。

(んー、ギルに直接聞くわけにもいかない……よね)

 ギルベルトはタイムスリップから戻って来ても、その前と何も変わらない。

 どうやら君子と過ごしたあの五日間の事は、忘れてしまっているようだ。

(もしかして、ギルが覚えていないから『時空震』が起きてないのかな?)

 ララァがいない今、全ては推測の域を出ないけれど、やはり本来いるべきでない君子の事を、ギルベルトが思い出すのは危険だ。

 ここは気になる事がたくさんあるが、ぐっと飲み込む。

(処刑されるのは嫌だもん、やっぱりギルにはこのまま何も言わないでおこう……)

 君子はドレスを脱ぐと、制服に着替え始めた。

 ちょうど最後のスカーフのリボンを結び終えた時、アンネがやって来た。

「キーコ、王子様のお兄様がみえてるの、ヴィルムさんが紹介したいから来てだって」

「ギルのお兄さんって……アルバートさんじゃないんですか?」

「違うみたい、まぁ王子様には何人かお兄様がいるらしいから、たぶんその内の一人だと思うの」

「分りました……、髪結んでから行きますね」

 君子は櫛とゴムを手に取ると、慣れた手つきで髪を整えておさげにする。

しかしその時、君子の右こめかみの傷がアンネに見えてしまう。

 その痛々しい跡を見て、アンネの表情が険しくなった。

「……跡、やっぱり残っちゃったわね」

「えっ……あっでも痛くないですし、髪の毛で隠せますから気にしないで下さい」

「……そう、でも痛くなったら、いつでも言ってね」

「はい、でも本当に大丈夫ですよ」

 君子は櫛を置くと、スラりんを抱っこしてギルベルトの部屋へと向かう。

「……ギルのお兄さんって、アルバートさんみたいにやっぱり似てるんですか?」

「あんまり似てなかったわ、見た目も性格も……それに歳もヴィルムさんと同じくらいだと思うから、アルバート王子様に比べればかなり歳が離れてると思うわ」

「アルバートさんのお兄さんって事か……、よくよく考えると私アルバートさん以外の王族の人に初めて会います」

 ギルベルトやアルバートとは、もうかなり交流して来たので慣れたが、他の王族となるとこうはいかない。

 もしかしたら気難しい人かもしれないし、怒りっぽい人かもしれない。

 ここは失礼が無いようにしなければならない。

 ギルベルトの部屋の前に着くと、君子は深呼吸して入室した。

「失礼しまーす」

「あぁ来ましたね、ロベルト様ご紹介したい者がおります」

 ドアの前にヴィルムが立っていて、そのギルベルトの兄の『ロベルト』が君子の位置からは見えなかった。

 だから――、そこにいる人物が誰か分かったのはヴィルムが退いて、お互いの眼があったその時だった。

「えっ――」

「あっ――」

 君子とロベルト、互いに一瞬思考が停止した。

 でもそれは本当に一瞬で、すぐに互いが互いを誰だか理解した。

「きっ、キ――」

 ロベルトが名を呼ぼうとしたその時――。

「うぎゃあああああああっ!」





 君子は彼の顔面に向けてスラりんを投げつけた。





 勢いが良かったせいか、スラりんはロベルトの顔面に張りつく。

 見るからに『捕食』としか言いようがないその様に、ギルベルトもヴィルムもアンネも、ただただ驚く。

「あっあー、すっスラりんがギルのお兄さんの顔にぃ! たったいへんだぁ~はやく取らないとー」

 君子は酷い棒読みの台詞を吐くと、ロベルトの腕を引っ張って、驚きのあまり固まっているヴィルムとアンネの脇を通り、部屋から出ていった。

「な……なんですか、今のは」

「さっ……さぁ?」

 残された者達は、ただただ戸惑っていた。






************************************************************






 君子はロベルトを外まで連れ出した。

 他に人がいない事を確認すると、窒息しかけている彼からスラりんを取る。

「ぶっぶふぁっ、はっはーっ、しっ死ぬかと思ったぁ……」

 顔が真っ赤で苦しそうな彼を解放する事無く、冷たい視線を向ける。

 彼女は、とても怒っているのだ。

「一体どういう事ですか、ロバートさん」

 彼は一〇〇年前ロバートという名を名乗り、ラーシャ探しを手伝ってくれたのだ。

 それがどうして、ギルベルトの兄、しかも王子という肩書で眼の前にいるのか、意味が分からない。

 強く説明を求める君子の視線に、ロベルトはちょっと怯えながら答える。

「いっいや……俺一応王子だからさ、その本名を名乗って行動すると色々と騒ぎになるからさ、あの時はお忍びだったから偽名を使ってたんだ……べっ別に騙すつもりはなかったんだよ」

 ロベルトだって貧弱でも王族、正体が知れればそれなりの騒ぎになるし、何らかの事件に巻き込まれる可能性は十分ある。

 だから偽名を使ったのは仕方がない。

「兄だって言わなかった事は悪かったよ……俺もあんまり大っぴらにかかわる訳にはいかなかったんだ、だからその嘘をついたんだ」

 ロベルトは頭を下げて嘘をついた事を詫びた。

 誠心誠意の謝罪で、彼が欺こうとしたわけではない事は伝わって来た。

 君子はそれ以上彼を責めるのは止める事にしたのだが、今度はロベルトが問う番。

「それより、なんで君は一〇〇年前ギルベルトの前からいなくなったんだよ!」

 君子は元の時代に帰還しただけなのだが、当時の人間からすると君子が失踪したようにしか見えないのだ。

「あいつはあの後、君がいなくなってずっと泣いてたんだぞ!」

「あっ……」

 君子が最後に見た幼いギルベルトは、大声を上げて泣く姿。

 君子は一〇〇年後のギルベルトとすぐ会えたが、あの幼いギルベルトはハルデの泉で君子に出会うまで、再会できなかったのだ。

 それまでずっと、寂しい思いをして来たのだろうか、そう思うと胸が痛む。

「でも、良かった……良かったよ君が戻って来てくれて、あいつ喜んだだろう」

「そっ……それは」

「当たり前だよな、あいつ本当に懐いてたしなー、うんっ君がいるならこれから安心だよ!」

 ロベルトは本当に嬉しそうにそう言った。

 ずっと、どこかイライラしているギルベルトを心配していたのは、他の誰でもないロベルトだ。

 でもそんな彼に、君子は言いづらそうに口にする。

「…………ギル、覚えてないんです、私の事」

「えっ……嘘だろ、えっ……あいつあんなに君に懐いてたんだぞ!」

「嘘じゃないです……本当に忘れてるんです」

 一〇〇年前、ロベルトは大人だったがギルベルトは子供。

 ギルベルトにとっては、もう君子との五日間の記憶など、幼き頃の夢か何かと同じものになってしまっているのだろう。

「そんな……じゃあすぐに言いに行こう、あいつ絶対思い出すから!」

 そうロベルトがギルベルトのもとへ行こうと腕を掴んで来たのだが、君子はそれを振りほどく。

「やめて下さい、このままでいいんです! 余計な事しないで下さい!」

 一〇〇年前の事をギルベルトが思い出したら、『時空震』が出てしまうかもしれない。

 ララァに処刑されるかもしれないし、何よりも君子自身が、ギルベルトがあの五日間の事を思い出すのを望んでいなかった。

 しかし、そんな事情を知らないロベルトには、それは冷たい言葉にしか感じられない。

「余計な事って……何言ってるんだよ、あいつが捨て子って言って怒るのは、父上に捨てられたからでも母親に捨てたられたからでもない、君に捨てられたと思っているからなんだぞ!」

 幼いギルベルトが誰よりも慕っているのは、自分を命がけで守ってくれた君子だ。

 例え他人が父親から捨てられたという意味で『捨て子』と言っていようと、彼にとって君子に捨てられたという風に連想してしまうのだ。

 ずっと彼の事を見て来たロベルトだから知っている、ギルベルトの気持ち。

「ギルベルトは、君の事がす――――」

 




「やめて下さいっ!」





 君子は再びスラりんをロベルトの顔にぶん投げた。

 柔らかいボディでも、当たるとベチンっという音がしてとても痛々しい。

「いだっ、めっちゃっくっちゃ痛いぃ! てっていうかなんで妖獣(ヨーマ)なんて持ってるんだよ君ぃ!」

 スラりんのスラなストライクの衝撃で、ロベルトは鼻血を出した。

 だが君子は鼻を抑えるロベルトへと、興奮した様子で続ける。

「このままがいいって言ってるじゃないですか……、私がやっと割り切ったのに! どうしてまた状況を変える様な事するんですかぁ!」

 君子はようやくこの異世界での生き方、ギルベルトへの接し方を見つけたのに、この状況にようやく適応したのに、なぜそれを壊す様な事をするのだ。

 心の整理がついていたはずなのに、君子の眼からは涙が浮かんでいた。

「私はただモブの脇役らしく平穏に暮らしたいだけなんですぅ、それをどうして変える様な事を言うんですかぁ……うっううう」

 ロベルトは君子がどんな気持ちなのか解る筈もなかった。

 君子がギルベルトに、どんな風に接しようとしているかなど、分かる筈もなかった。

「……なっ泣かないでキーコちゃ――」

 何とかなだめ様とした時、ロベルトは背中に衝撃が走った。

「どべっ!」

 頭から転んで、顔面を打ち付けたロベルト。

 その彼の後ろには、蹴り飛ばしたギルベルトが立っていた。

「このクソ兄! てめぇキーコ泣かせやがってぇ!」

 ギルベルトはすぐに涙を目尻にためている君子に近づくと、抱きしめる。

 むしろ泣きたいのはロベルトの方なのに、ギルベルトは彼を怖い顔で睨みつけていた。

「キーコどうした? クソ野郎に何かされたかぁ?」

「なっ何もしてねぇよ、むしろされたのは俺の方……」

 スラりんを二回も投げつけられて、ギルベルトに蹴り飛ばされるなんて災難にもほどがある。

 しかしギルベルトはそんなロベルトのことなどどうでもよくて、君子の心配ばかりしている。

 唯一心配してくれたのは、あとからやって来たヴィルムだった。

「大丈夫ですかロベルト様……」

「あっあぁ……なんとか」

 ヴィルムのハンカチで鼻血を拭きながら、君子とギルベルトを見た。

「……ん、あっあのピアス」

 ロベルトは君子の耳につけられているピアスに気が付いた。

 金のピアスはギルベルトの物、しかしその隣に見覚えのある銀のピアスが光っている。

「なっなぁヴィルム、俺の気のせいじゃなければあのピアスって――」

「……はい、アルバート様のものです」

「あっアルバートのぉ!」

 アルバートが右耳のピアスを誰かに送った事は知っていたが、まさかそれがあの君子だとは思いもしなかった。

「おいおい、なんでよりによってあの子にピアスを贈るんだよぉ」

 まさかアルバートまで、彼女に好意を寄せているなど思いもしなかった。

 せっかく再会できたのに、とんだ強敵が現れたものだ。

「大丈夫だよギル……、何もされてないよ」

「本当か? 本当に大丈夫か?」

「本当だよ、ギル」

 君子が涙を拭って笑顔を見せると、ギルベルトは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「けけっ、良かった」

 ギルベルトは君子を更に強く抱きしめた。

 その姿は、ロベルトに一〇〇年前の事を思い出させる。

 彼が一番笑っていた時、彼が一番幸せだった時。

 また、こんなに幸せそうなギルベルトを見る出来るなんて、思っても見なかった。

 そんな幸せそうな彼を見ていたら、今はただ喜んであげたかった。

「……良かったな、ギルベルト」

 ロベルトは兄として、素直に弟の幸せを祝福するのだった。





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