番外編 出会いと再会
お久しぶりです、ドラクエ10を始めた私です。
新章の前に番外編になります。
一〇〇年前ロベルトに拾われたギルベルトのその後と、六話と七話の再編といった感じのお話です。
気楽にお楽しみ頂けたらと思います。
どれくらい前か忘れてしまったが、大切な約束をした。
とても大切で、忘れてはいけない約束だったのに、覚えていない。
でもその内容も誰と約束をしたかも忘れてしまっても、一つだけ解る事がある。
この約束が、本当に大切な物だったという事だけは――、一七〇歳になった今でもちゃんと覚えている。
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ヴェルハルガルド・帝都
この日、貴族や軍上層部には動揺が走った。
ロベルト=アーゲルド王子が、七〇年前に追放されたはずの弟を連れて帰って来たのだ。
更に、不貞の子であるとされたその弟に、魔王帝ベネディクトとの血のつながりがあり、正式な王族である事を主張したのだ。
誰もがその行動に驚き戸惑った。
血の繋がりがあったとしても、一度捨てられた王子が王族に復帰するなどありえない。
誰もがありえないと思ったのだが――、魔王帝はあろうことかそれを認めた。
七〇年間捨てられていた王子ギルベルトは、その日王族へと復帰した。
「はぁ、疲れた~」
ロベルトは帰宅早々、上着を放り投げてソファに倒れ込んだ。
「おかえりなさい、ロベルト」
疲れ果てている彼に優しく声をかけたのは、半魔人の女性。
彼女の名はマリーロッテ。
市井の出だがロベルトの恋人で、おっとりとした品のある優しい女性。
彼女は放り投げた上着を拾うと、彼の額を優しく撫でる。
「うまく行った?」
「あぁ……何とか父上に認めて貰えた、でも案の定俺の部屋には見張りが付けられてたって乳母が連絡くれたよ」
「まぁ……、私の家に帰って来て良かったわね」
ここは帝都内のマリーロッテの家。
六畳と八畳の部屋と、小さなキッチンと風呂とトイレがあるだけのアパートメント。
王子がいるような場所ではないのだが、刺客が送り込まれるような部屋は例え絢爛豪華であっても帰りたくない。
「……そうだ、あいつは?」
ロベルトが尋ねると、マリーロッテは奥の部屋を指す。
ドアを開けると、ボールを大切そうに抱えて眠るギルベルトの姿があった。
「……ロベルトがお城に行ってもずっと泣いてたの、それでさっき泣き疲れて寝たわ」
「ほとんど一日中じゃないか……」
時計の日付はとっくに変わっている。
子供なら眠っている時間だというのに、ギルベルトは泣き続けた。
「……ねぇ、キーコちゃんって子見つからないの?」
「色々人を使って探してるんだけど見つからないんだ、異邦人であんなに目立つ格好をしてたのに……何も情報が無いんだ」
君子は何の言葉もなく、煙の様に消えてしまったのだ。
ロベルトが王子の権限を使って、もう一ヵ月も探しているというのに見つからない。
「ギルベルト君、ずっとその子に会いたいって泣いてたのよ……声も枯れて眼も真っ赤に腫らして……」
「……そうだよな、あいつにとって誰よりも大事な人だろうからな」
母ラーシャに捨てられて、信頼できるのは君子たった一人だけだったのに、それが突然失踪してしまい、ギルベルトは一人ぼっちになってしまった。
「どうして……いなくなっちまったんだよキーコちゃん、やっぱりラーシャさんにやられたからなのか」
捨てられた王子には関わりたくないのだろうか、ロベルトがいくら考えても解る筈もなかった。
「……落ち込まないでロベルト、わたしがなるべくギルベルト君を見るようにするから、子供の前ではそんな弱気な顔しちゃ駄目よ?」
「……マリーごめんな、君をこんな王族のごたごたに巻き込んじまって、本当なら君にはもっと豪華な――」
「ストップ」
ロベルトの口をマリーロッテは人差し指で塞ぐ。
「わたしは豪華な生活なんていらないわ、むしろ息子が出来たみたいで、嬉しいのよ」
「なっむっ息子って、義理の弟だからな!」
顔を赤くするロベルトを見てマリーロッテは微笑んだ。
そんな彼女の笑顔に、ロベルトは励まされる。
「よぉしっ頑張るか! 俺お兄ちゃんだしな」
ロベルトはそう言って、これからの事を色々と考え始めるのだった。
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しかし意気込んだ所で、状況は変わらなかった。
君子はどれだけ探しても見つからず、その足取りも分からない。
だが君子探しにばかり時間もかけられない。
いくら魔王帝が認めても、その他の貴族や軍幹部は誰も認めようとはしなかった。
それはギルベルトの母ラーシャを追い出した、ジェルマノース家の圧力によるもの。
ギルベルトを認めれば、自身の地位に影響するのではないかと思って、味方をしなかったのだ。
もちろんギルベルトのお目付け役となったロベルトからも、皆離れて行った。
むしろ、敵は増える一方だ。
「なんだよこれ……」
ロベルトは、マリーロッテの部屋を見て驚いた。
部屋が滅茶苦茶に荒らされていて、ソファなどの家具には刃物で執拗に何度も傷つけた跡があり、見るだけで背筋が凍るほど恐ろしかった。
「わたしとギル君が買い物で留守にしている間に……」
マリーロッテは恐怖に怯えた顔で、ギルベルトを抱きしめていた。
金目の物には一切手が付けられてなく、ただ執拗に物を荒らし傷つけただけ。
これは、強盗などではない。
「……、警告って事か」
つまりはギルベルトが王族になって面白くない者達による犯行。
ジェルマノース家かあるいはそれに組する者達か、これは間違いなく彼らの犯行と思っていいだろう。
「まさかマリーの家まで嗅ぎつけられるなんて……」
ロベルトの部屋ならいざ知らず、帝都の普通のアパートメントにまで魔の手が及ぶなど思っても見なかった。
流石にこれは、ロベルトの予想を大きく上回っていた。
(どうする……これは明らかにギルベルトの味方をし続けるならマリーもただじゃ置かないっていう警告だ、このままじゃ俺やギルベルトだけじゃなくて、マリーまで……)
恋人マリーロッテは普通の女性なのだ。
こんな王族同士の醜い争いに巻き込みたくない、しかし貧弱で後ろ盾もないロベルトにはギルベルトとマリーロッテを守り切る力がない。
「一体……どうすれば」
ロベルトは切り裂かれたソファに座ると、頭を抱えた。
そんな彼の様子を、マリーロッテとギルベルトは心配そうに見つめていた。
そんな時――、ドアがノックされる、
まさか刺客が堂々とドアからやって来たのではないのだろうか、ロベルトは恐怖に震えながらも、自分の剣を持つ。
「(ろっロベルト、貴方剣なんて使えるの!)」
「(つっ使えないけどないよりはマシだよ)」
マリーロッテとギルベルトを守る為に、慣れない剣を構えロベルトはドアを開ける。
しかし立っていたのは魔王帝ベネディクトの側近、魔王将ネフェルアだった。
予想しなかった人物に、ロベルトもマリーロッテも驚く。
そんな二人に、ネフェルアはいつも通り冷静な口調で言った。
「ロベルト王子殿下、魔王帝様がお呼びです」
「えっ……父上が?」
「それと、末弟王子殿下もご一緒にとの事で御座います」
「ギルベルトも! 一体どうして……」
ギルベルトはマリーロッテの後ろに隠れて、ネフェルアを警戒している。
まだ不安定な彼を魔王帝の元へと連れて行くのは、気が進まない。
父の命に背く訳には行かず、ロベルトは弟を連れてガルド城へと向かった。
玉座の間へとやって来たロベルトに告げられたのは、耳を疑うモノだった。
「えっギルベルトを、城に?」
ギルベルトはずっとマリーロッテの家で暮らしていた。
城では彼の事をよく思わない者達が狙っているから、かくまってもらっていたのだ。
しかし魔王帝ベネディクトは、ギルベルトは城で暮らせと言う。
「我が息子ならば、城に住むのが当然であろう、ロベルトよ」
「そっそれは……そうですが」
ロベルトはギルベルトを見下ろす。
彼は実の父親と初めて会ったというのに、ボールを抱えながら睨みつけていた。
親子の感動の再会とは程遠い、巨大な王を警戒している。
こんな状態のギルベルトが、城で上手くやっていけるわけがない。
「しっしかし、ギルベルトの目付けは私で御座います、陛下のお手を煩わせるような事をする訳には……」
ロベルトが何とか断ろうとしたのだが――、ベネディクトがこちらを睨む。
ただでさえ巨体で迫力があるというのに、彼の鋭い眼光はちっぽけで貧弱なロベルトを黙らせるには十分すぎる物だった。
「……はい、陛下の仰る通りにいたします」
ロベルトはそれに頷く事しか出来なかった。
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「……ギルベルト、今日からお前はここで暮らすんだ」
ロベルトは、あつらえられた部屋へとギルベルトを連れて来た。
城の中でもかなり人気のない離宮。
こんな所では、彼が一人きりになってしまう。
「…………」
ギルベルトは黙ってロベルトの服を掴んだ。
気持ちは、痛いほどよくわかる。
ロベルトはもう城では暮らせない、ギルベルトを王族に戻すために様々な敵を造ってしまった。
このままギルベルトを置いて、自分だけ恋人の家に帰るしかないのだ。
ギルベルトは解っているのだ、ここに置いて行かれれば自分がどういう事になるか、だからロベルトの服を離さない。
「……ギルベルト」
城になんか連れて来ない方が良かったのではないかと、今更後悔した。
母親に捨てられて一人きりになってしまったギルベルトが生けていけないと思って、城に連れて来て王族に戻したのに、結局一人にしてしまった。
してあげた事が、全て裏目に出た。
「……ーこ」
「えっ? なんだって?」
ロベルトが聞き返すと、ギルベルトはもう一度言った。
「キーコ……、ここでおーじしてれば来てくれるかな」
それはいなくなってしまった大切な少女の事。
城は大きいし目立つ、だから解りやすいと言っているのだろう。
でも顔を見たら解る、ギルベルトは無理をして言ってくれているのだ。
ロベルトが、ここにギルベルトを置いていく事に理由をつけてくれたのだ。
「そうだな、お前が王子ならキーコちゃんは王女になるな」
ギルベルトは君子にプロポーズしたのだ。
子供の口約束だが、今のギルベルトを支えているのはその約束だけだった。
「……約束したんだ、会いに来てくれるって」
ギルベルトは君子が買ってくれたボールを大事に抱える。
もう一つの約束を知らないロベルトは、てっきりそれをプロポーズの事だと思っていたのだが――これは違う。
口約束なんかじゃない、一番大切な再会の約束。
「今度はちゃんと……名前を書くんだ、もう失くさない様に」
ギルベルトはロベルトに聞こえない小さな声で、そう呟いた。
城の生活は、酷い物だった。
いいや、美味しい食事も柔らかいベッドもある。
でも人の眼が――痛い。
与えられたメイドも執事も、食事を運んだり身の回りの世話をしてくれたりするが、明らかにギルベルトと関わりたくないと、距離を取っている。
マリーロッテの様に、寂しくて泣いている時に付き添ってはくれない。
一人ぼっちで、寂しい。
君子と別れて三ヵ月、寂しくて悲しくて仕方がなかった。
まるで汚い物でも見るかのような、周囲の視線がギルベルトの神経を逆なでする。
寂しさとイライラが混ざり合って、例えようもない感情が心を突き刺す。
その感情が、君子との大切な思い出を徐々に塗り潰していく。
忘れたくないのに、あの幸福な五日間の思い出は薄れていく。
「キーコぉ」
ボールを壁へと投げて一人ぼっちの寂しさを紛らわせる。
君子がいたら、きっと一緒に遊んでくれるのに。
しかしつい力の加減を間違えて、窓から外へと出てしまった。
「あっ」
ギルベルトは急いでボールを拾いに行った。
もうあれだけしか、君子を思い出させ自分と彼女を繋ぐものがない。
庭に出ると、薔薇の花壇の中にあった。
薔薇の棘が手に刺さって痛いけど、手を伸ばして頑張って取った。
「……はぁ」
良かったと安心してため息を付いたのだが――、突然背中に激痛と衝撃が走った。
ギルベルトは衝撃に吹っ飛ばされて、薔薇の花壇に突っ込む。
棘が肌を突き刺して痛い、背中も痛いし何が起こったのか分からないが、振り返ると――銀髪の少年が立っていた。
青を基調とした高価な服に身を包み、肩口ほどのサラサラの銀髪を靡かせる姿は、同性さえも魅入るほどの美しさを秘めていた。
彼はギルベルトの兄――アルバートである。
「こんな所に、ゴミがいるとはな」
一人のギルベルトとは違いメイドや執事を数人引き連れて、蔑みの眼で見下ろしている。
呼んだ通り――まるでゴミでも見る様な目だ。
「うっ……ぐうう」
ギルベルトはアルバートが蹴ったのだと理解すると、睨みつけた。
しかし、そんなものアルバートにとっては小動物が怯えながら威嚇するのと同じで、怖くもなければなんとも思わない。
代わりに、ギルベルトが蹴られた拍子に落っことしたボールを拾い上げる。
「ふん、ゴミにお似合いの汚らしい玩具だな」
「返せよぉ!」
ギルベルトはアルバートへと殴り掛かるが、彼の特殊技能『絶対回避』によって、体をすり抜けてしまう。
勢いあまって転んだギルベルトを見て、アルバートとその取り巻き達が笑う。
「自分の特殊技能もまともにつかえないとはな、それで王子を名乗るなど、恥を知れ」
アルバートはそう言うと、ボールを持った手で紫色の魔法陣を展開させる。
バチバチと火花が散ると、光と共に雷が放たれた。
そして、ギルベルトの大切なボールは消し炭になった。
「ああっ――」
君子が買ってくれた大切なボール、君子の事を思い出させてくれる大事なボールが、炭となって崩れていく。
ギルベルトがすぐに炭を拾い上げるが、もうボールの跡形など残っていない。
ただ彼の手が汚れるだけだった。
「ほら、ゴミを処分してやったぞ?」
アルバートの言葉に、ギルベルトは全身の血液が沸騰するほどの怒りを感じた。
今まで怒ったり癇癪を起したりした事は何度もあった、しかしこれほどの怒りと個人に対しての憎しみを抱いたのは初めてだ。
「うあああああっ!」
怒りに我を忘れて、ギルベルトは再びアルバートへと殴り掛かるが、今度は特殊技能を使うまでもなく、腹を蹴り飛ばされた。
「がっ――」
吹っ飛んで、花壇の薔薇に落っこちて、棘が刺さりいくつもの切り傷が出来た。
アルバートは、そんな彼を見て鼻で笑う。
「うぬぼれるなよ、貴様が王子になれたのは父上の気まぐれだ、本来ならば貴様はこの城にいる事さえも許されぬ身分だと思え!」
アルバートはそう言って、取り巻きを引き連れてどこかへと歩いていく。
ギルベルトは地面を這い、土で汚れながら憎しみのこもった眼で睨む。
「ちくしょう……、ちくしょう……」
ギルベルトだって好きで王子になった訳ではない、うぬぼれてなんていない。
こんな所で一人ぼっちになるくらいだったら、ギルベルトは王子になりたくなかった。
ただ、大切な彼女と一緒にいたかっただけなのに――。
アルバートにさんざん酷い事をされたのに、やり返せない自分が悔しい。
殺意を伴った憎しみが、ギルベルトの心を押し潰していく。
イライラと憎しみが、大切な記憶までむしばんでいく。
「……ぜってぇ、許さねぇ」
ギルベルトの心は怒りに呑まれてしまった。
周囲の人々が見下せば罵声を浴びせ、蔑みの言葉をかければ殴りかかる。
周りが敵意を向けるから、ギルベルトはそれに暴力で対抗した。
しかしそのせいで、凶暴でワガママな王子と呼ばれ、周囲は更に見下し蔑む。
だから更にギルベルトは暴力を持って対抗するという、悪循環が生まれた。
それが、誰にも愛されていないという寂しさと悲しさから来るものだという事に、誰も気が付かなかった。
ただ悪循環のまま――、時間だけが過ぎていったのだ。
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一〇〇年後。
マグニ城。
ヴィルムは、水晶玉を持ちながら廊下を歩いていた。
水晶玉に映っているのは、ロベルトである。
『ヴィルム、ギルベルトの様子最近どうなんだ』
「変わりませんね、つい先日壁を三か所ぶっ壊し、大穴が開いております」
『うっ……またかぁ』
「今年もおそらく大幅な赤字が予想されます」
『うぐぅぅ……ぶっ部長に申し訳ねぇ』
胃を押さえるロベルトを見て、ヴィルムは今年も胃薬を送る事を決めた。
ギベルトがマグニの領主になってから七〇年、黒字だった事は一度もない。
ガルド城にいた時から、さまざまなものを破壊していたが、マグニに来てから年々酷くなった。
もう七〇年、色々と手は尽くして来たが、有効な手段は見つかっていない。
『もうこうなったら、今日という今日はガツンと言ってやるぅ』
「どうかお願いいたします、私が言ってもギルベルト様は取り合って下さいませんので」
ここは兄でありお目付け役であるロベルトに彼を叱ってもらうしかない。
わざわざ水晶玉まで用意したのは、その為である。
ギルベルトの部屋に来ると、ヴィルムはロベルトにアイコンタクトをして、ドアをノックした。
しかしいつまでたっても返事がやってこない。
「ギルベルト様、入りますよ」
しかし――部屋はもぬけの殻、寝室も見たがギルベルトの姿はない。
「……やられました」
『えっ、いっいないのか!』
「はい……、行方を捜しますが……あっ」
エントランスから竜舎を見ると、閉めたはずの扉が開けっ放しになっていた。
どうやらワイバーンでどこかへ行ったようだ。
最後にギルベルトを見てから三時間、ワイバーンで出かけたのならもうもうかなりの距離を進んでいるはずだ、今からでは追いつけない。
「……ロベルト様、どうやらお叱りはまた今度でお願いいたします」
『えっ……マジで、よかったぁ』
安堵のため息を付くロベルトを無視して、ヴィルムは遠い空を眺めた。
「全く……何をお考えなのか、ギルベルト様は」
ギルベルトは、ハルドラの上空を飛んでいた。
「は~あ、つまんねぇ」
ゴンゾナの砦を襲ってみたものの、大きい癖に一〇〇くらいの兵で、どれも弱い。
全然面白くなかった。
「イライラしなくなると思ったのに……」
最近はとてもこのイライラが酷い。
頭痛にさえ変わりつつあって、唯一暴れまわっている時だけ、それを忘れられる。
でもそれは一瞬で、またすぐイライラする。
だからイライラを止める為に、次の獲物を探していた。
「……そう言えば、あいつ等ハルデがなンとかって言ってたよな」
ハルデ、どこかで聞いた事がある、でも思い出せない。
なぜかとても気になる、気になって仕方がない。
「東……だったな」
もうヴェルハルガルドからかなり離れてしまった。
マグニを出て一晩、ヴィルムが怒っているかもしれないが、気になるのだから仕方がない。
ギルベルトはワイバーンで、東へと向かう。
しばらく行くと森が無くなり、広い草原が見える。
その草原と森の間に光り輝くものが見えた、降下すると、花畑の中の泉だった。
「…………泉」
何か、思い出せそうな気がした。
でもそんな気がしただけだった、ギルベルトは泉をしばらく見渡す。
なにもないただの泉で、すぐに興味を失った。
「つまんねぇ……、ン?」
ふと視線を向けると、木々の合間からレンガを積み上げて作った城壁が見えた。
どうやらアレがハルデ、つまりハルドラの都という事になる。
「都なら、王がいる……」
ギルベルトはしばらく考えると、子供が悪戯をする時の様な悪だくみの笑みを浮かべる。
「なら、王をぶっ壊すか!」
砦の兵達はつまらなかったが、王なら面白いかもしれない。
だが確かハルドラという国は人間ばかりだと言っていた。
ワイバーンで近づけばバレるし、徒歩で行ってもすぐに魔人だとバレてしまう。
「しょうがねぇ……やってみるか」
ギルベルトはワイバーンを森の中に隠すと、泉の淵に座り水鏡を見ながら何かを唱え始める。
何度か煤色の光が点滅を繰り返すと――、煤色の魔法陣が現れた。
すると、ギルベルトの真っ黒な角が無くなり、耳もとがったものから人間の元へと変化する。
これは妨害魔法で、昔城で悪戯をする為に覚えたのだが、久しぶりのせいか手間取った。
「ふぁ~あ、疲れた」
元々魔法というややこしい物が嫌いなギルベルトは、泉から木陰へと向かう。
そして横になると、心地よい睡魔に襲われた。
ハルドラの王の所へ向かうのは、ひと眠りしてからでいいや、そういう事にするとギルベルトは眠った。
しかしどれくらいかした後――何か気配を感じる。
瞼は重くて目が開けられなかったが、鼻だけは利く。
花畑の甘い香りと一緒に、どこかで嗅いだことがある匂いがした。
「ンっあ……」
背伸びをして大きな欠伸をすると――ギルベルトは眼の前に誰かが立っている事に気が付いた。
そばかすに眼鏡、黒髪はおさげにしていて、見慣れない服を着ている少女。
大きなバスケットを持っていて、どこか戸惑った表情でギルベルトを見詰めていた。
それは遠い昔の大切な約束。
待ち望んでいた再会――なのだが。
(……誰だ?)
一〇〇年という歳月は、ギルベルトの大切な五日間の思い出を塗り潰してしまった。
そして目の前に立っている少女にとって、これは『出会い』であり、よもや『再会』だとは考えもしない。
ただ記憶はないが――、目の前の少女からとても落ち着く良い匂いがする。
だからつい、口をついて出た。
「……いい匂い」
「ひょへっ!」
よくわからないが、なんだかとても懐かしい。
落ち着く良い匂いで、落ち着いたせいか腹の虫がなった。
大きな空腹の主張に少女は驚いた様子だったが、持っていたバスケットを見てから――恐る恐る言った。
「あの、食べ、ますか?」
そう言って少女がサンドイッチを出してくれた。
なぜだろう、前もどこかでこんな事があった気がする、でも思い出せない。
ギルベルトは出されたサンドイッチに手を伸ばした。
ヨーグルトのポテトサラダサンドだったのだが、嫌いな野菜が入っている事にも気が付かず、がつがつと食べた。
「……おっお兄さんは、ハルデの人なんですか?」
質問にはマグニから来たと正直に答えた、しかしそのお兄さんという呼び方がかしっくりと来ない。
「そのおにーさんってのやめろよ、俺はギルベルトだ」
「あっ……私は山田君子って言います、宜しくお願いします」
「ヤミャダキーコ」
「君子です」
だからキーコだ、彼女の名はキーコそれ以外でも何でもない。
「君子、き、み、こ!」
「だからキーコだろ?」
もうあきらめたのか君子はそれ以上名前を言う事はなかった。
それよりも、どうしてこんな所に一人でいるのか聞いた。
「ギルベルトさんがいてくれて良かったです、お陰で楽しいピクニックになりました」
楽しい、そんな事を言ってくれる人は今まで誰もいなかった。
それが嬉しくて差し出されたスコーンをがっついたら、喉に詰まらせた。
危うく死にかけたが、それを見て君子が笑ってくれる。
こんな風に笑ってくれる人は他に誰もいなかった、彼女以外にはいなかった。
ギルベルトは久しぶりに味わうこの安らぎに浸っていた。
その後、大蜥蜴の襲撃を受けた。
君子がすごい剣を造ってくれて、一撃で倒せた。
彼女はお礼を言うと、鞘を差し出して来た。
「ギルベルトさんの刻印を書けば、貴方の物になるそうです」
それを聞いてギルベルトはある事を思い出した。
(そうだ、自分のものには……名前を書くんだ)
昔そう教わったのだった、自分のものだとマークを付けて、もう失くさない様にしなければならない。
だから――、ちゃんと名前を書く。
ギルベルトは鎖骨の左胸の間に指をあてると、自分の名を書いた。
そして嬉しそうに笑った。
「これで、俺の所有物だな!」
これでもう失くさない、もうこの安らぎはもう絶対に離さない。
かけていた妨害魔法が解けて君子がとても驚いていたが、そんな事関係ない。
暴れる君子を抱きながら、ギルベルトは呼んだワイバーンへとまたがった。
「んじゃ、帰っか!」
そしてギルベルトは戸惑う君子を抱きしめたまま、夜の闇が迫る西の空へと飛んで行ったのだった。
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マグニ城。
ヴィルムは、ギルベルトの部屋を片付けながらその帰りを待っていた。
部屋の掃除や片付けというのは、本来メイドの仕事で補佐官である彼の仕事ではないのだが、この四階に使用人を入れる訳には行かないので仕方がなかった。
「……全く、一体どこまで行っておられるのだギルベルト様は」
勝手に出歩くのはしょっちゅうあるが、こんなにも帰って来るのが遅いのは初めてだ。
朝まで待って帰って来なければ、何とか捜索隊を編成して探しに行かねばならない。
ヴィルムが重いため息を付いた時――、東の空からこちらにやって来る灰色の鱗のワイバーンが見えた。
灰色の鱗のワイバーンに乗って、この部屋にまっすぐ帰って来るのはギルベルトしかいない、ヴィルムはベランダの窓を開けて出迎えた。
「お帰りなさいませギルベルト様」
「おうっ、帰ったぜヴィルム」
機嫌がとてもいい、珍しい事もあるものだが、ここは補佐官として一言。
「今回は随分と遅いお帰りで……あまり遠くに行くのは感心しませんね」
しかしギルベルトは全く聞いていない、彼がワイバーンから飛び降りると聞きなれない女の声がした。
「ひゃうっ!」
「……ギルベルト様、これは?」
「キーコ、俺ンだ」
そんなこと言われてもヴィルムは困った。
ギルベルトだって男だ、女の一人や二人ぐらい連れて来たって別に不思議ではないが、問題はそれが世にいう美女ではなく、どこにでもいそうな普通の娘だという事。
どういう意図でギルベルトが彼女を連れて来たのか理解できなかった。
だから、とりあえず可能性が高い物を聞く。
「何ですか、食べるのですか?」
魔人が人間を食べる訳がないのだが、他に用途が思いつかなかった。
ヴィルムは冗談のつもりでそう聞いたのだが、よもやそれがその少女を酷く怯えさせているとは考えもしなかったのだろう。
だがヴィルムがそれ以上に驚いたのは、異常にギルベルトの機嫌がいい事だった。
終始君子を抱っこして、笑っている。
こんな彼を見るのは七〇年仕えているが、初めての事だ。
(だが……こんな小娘、すぐに殺されるな)
Eランクの凡人、機嫌が悪くなればすぐに彼女を殺すだろうと考えていた。
もしくはすぐに飽きて捨てる、そうなるだろうとヴィルムは思っていた。
だから寝室に連れ込んでも、特に何も言わなかったのだ。
(……血の跡は落とすのが大変なんですけどね)
ヴィルムは頭の中で、明日の朝どうやって君子の死体を始末しようか考えながら、ギルベルトの部屋を後にした。
しかし翌朝。
「ギルベルト様、朝で御座いますよ」
ヴィルムがノックをして寝室に入ると、ギルベルトが頭までかぶっている布団を引っぺがした。
「……っ」
ギルベルトに抱きしめられた君子が生きていた。
あの凶暴なギルベルトが、この少女に手をかけていないなんて、ありえない事だ。
「うっ……うう、ねっ眠れなかったぁ」
眠れなかったのか眼が腫れている、しかしヴィルムはそれ以上に君子が生きている事に驚いて、彼女の寝不足には気が付かなかった。
「う~、ねみぃ」
ギルベルトは眼をこすりながら起きると、自然と君子を抱き寄せる。
「やっやめて下さい、ギルベルトさんっ……」
幾ら言ってもうなじに頬をこすりつけて来るのを、止めない。
泣きそうな君子を連れて、ギルベルトは朝ご飯を食べる為にテーブルへと移動する。
しかし、てっきり君子は殺されているものだと思っていたので、テーブルにはギルベルトの食事しかなかった。
「んー、キーコのはねぇのか?」
ギルベルトはそう言うと自分のパンの一つを、君子に渡した。
今朝焼いたばかりのパンは、まだほんのり温かくてバターの良い香りがする。
その行動にはヴィルムも驚いた。
「ふぇっ……」
「キーコのだ」
とは言われても君子も戸惑っている様子で、なかなか食べられない。
しかしギルベルトがあまりにも見つめて来るので、君子はそれに押される形でパンをちぎって口へと運んだ。
ギルベルトは嬉しそうに笑っていた。
「…………」
ヴィルムはただただびっくりしながら、その様子を見ていた。
朝食を食べ終えたギルベルトは、君子を抱きしめたままソファで眠っていた。
君子は寝不足に加えて、朝食はパン一つで空腹だ。
彼女がため息を付くと――ヴィルムが君子の前に皿を出した。
「どうぞ」
「へっ?」
見るとパンが添えられたスープだった。
なぜ突然こんなものを持って来たのか、君子が吃驚しているとヴィルムが口を開く。
「ギルベルト様の食事を貴方に食べさせる訳にはまいりませんから」
この城で一番偉いのはギルベルト、彼の食事を君子という凡人に分け与えさせるわけにはいかない。
だからベアッグからあまりものを貰って来た。
「……うっ」
君子もお腹が空いていたので、美味しそうなスープを前にしたらもう食の欲が止められなかった。
スプーンを手にすると、バクバクと食べ始めた。
「美味しい……」
薄味なのにしっかりと野菜のうま味がするスープで、高級な味がした。
スープを食べる君子をヴィルムは黙って見詰める。
どこをどう見ても普通の人間で、ヴィルムには凡人の小娘としか思えない。
それなのに、どういう訳かギルベルトは彼女に対しては暴力をふるっていない。
それどころかいつも機嫌が悪くて様々なものを破壊していたはずなのに、今日はそれがない。
てっきり君子を殺す為に連れて来たのだと思ったのだが、違うようだ。
何がそれほどまでにギルベルトを惹きつけているのか、ヴィルムは見極めようとした。
(……駄目だ、普通の小娘にしか見えない)
一体何をそこまで気に入ったのか、ヴィルムには欠片も分からなかったのだった。
それから三日間、ギルベルトは君子を殺さなかった。
ギルベルトの機嫌は悪くなる所かどんどん良くなって、いつもニコニコと笑っている。
しかし、君子が連れて来られて四日目の朝――事件が起こった。
一睡もできなかった君子は、ついに限界に達してギルベルトを怒鳴ったのだ。
更に泣き出してしまい、流石にギルベルトも君子の大泣きには戸惑ってしまった。
「……きっ、キーコぉ」
それからしばらくすると、睡眠不足だったせいか君子は泣き疲れて眠る。
そんな君子を、ギルベルトはただ見下ろす事しかできない。
「……ギルベルト様」
ヴィルムは泣き疲れて眠っている君子を抱き上げた。
泣かれたのがショックだったのか、ギルベルトは放心状態だ。
「この娘は、別の部屋で寝かせますよ」
「…………ああ」
そう返事をする事しかできなかった。
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ギルベルトは屋根の上にいた。
滅多にこんな所に上ったりはしないのだが、なんとなく部屋にいたくない気分だった。
「…………」
君子の泣き声が耳に残っている。
彼女といるだけで楽しかったギルベルトには、どうして泣いてしまったのか分からない、ただ彼女が泣いただけで、胸がチクチクと痛む。
「…………この様な所で、何をなさっているのですか」
いつの間にか後方にヴィルムがいた。
ギルベルトは視線も向けずに、腹心である彼に訪ねる。
「なンでキーコ、泣いちまったンだ?」
「……ギルベルト様が楽しくとも、あの人間が同じ様に思っているとは限らないのですよ」
「なンでだ、あいつは楽しくないのか?」
ヴィルムは、少し困った表情をしながら答える。
「ええ、例え一緒に居て、同じ事をして同じものを見ていても……相手が同じ様に思っているとは限らないのです」
「…………なんだか、難しいンだな」
自分はあんなに楽しくて仕方がなかったのに、君子は同じように思っていない。
この一〇〇年の間捨て子と罵られ続け、他人に対しての思いやりを持ち合わせる事が出来なかったギルベルトは全て自分が中心だった。
だから自分が楽しければ当然君子も楽しいものだと思っているのだ。
彼には難しい事だと思いながら、深く頷いた。
「そうですね……、きっとこの世で一番難しい事で、一番大切な事なのですよ」
「キーコ、どうしたら泣かないでくれるか?」
「なんとも……ギルベルト様は、あの娘に泣いて欲しくないのですか?」
「……なンかすげぇ嫌なンだ」
胸がチクチクして、もやもやする。
とにかく君子が泣いたり悲しんだりするのは嫌だった。
「キーコは、笑ってる方がいい」
「……ギルベルト様」
落ち込むギルベルトにかける言葉を、ヴィルムが選んでいる時だ。
「いっいやああああああっ!」
悲鳴が響いた、すぐに屋根から下を見下ろすと――君子が大蛇に追われていた。
大蛇はこのマグニ城の門番、接近して来た妖獣の駆除と侵入者の始末が仕事だ。
まさか君子が外に出るとは思ってもみなかったので、大蛇に彼女の事を伝えるのを忘れていた。
「やめなさ――」
ヴィルムが大蛇を止めようとした時、ギルベルトが屋根から飛び降りた。
すっころんだ君子を食べようとする大蛇に向かって――拳を振るう。
Aランカーであるギルベルトから放たれる拳は、巨大な大蛇さえも圧倒する。
ぶん殴られた大蛇は、吹っ飛ばされてそのまま庭へと落ちて行った。
「……あ~」
ヴィルムはため息を付く。
大蛇はただ仕事を全うしようとしただけだというのに、あんまりな仕打ちだ。
だがギルベルトはすぐに、呆然としている君子へと駆け寄る。
「キーコ、大丈夫か!」
ギルベルトは君子へと駆け寄り腕を握る。
怯えているが怪我はないし生きている、彼女の無事を確認してギルベルトは心から安堵した。
ヴィルムも小言を言いながら屋根から降りて、その様子を見る。
するとギルベルトは手を放して、君子から離れる。
「あっ……わっわりぃ!」
申し訳なさそうに項垂れるギルベルトを、君子は不思議そうに見ていた。
「触っちゃ駄目なんだろう……、でも今のはわざとじゃねぇンだぞ」
君子は癇癪を起した時にそう言っていた。
ギルベルトは君子に泣いて欲しくなくて、本当は抱きしめたい衝動を我慢しているのだ。
「うっ……うへ~~ん」
「わっわっ! 泣くなよ、わざとじゃねぇンだよぉ!」
しかし君子は泣き出してしまう。
自分の事が嫌いになったのかと、ギルベルトが悲しくなった。
しかし君子は抱きついてきた。
「ギルぅ、怖かっ、たぁぁぁぁ」
君子はギルベルトに抱き着いて、胸に顔を埋めて来た。
それは怖いからでも嫌いだからでもない、助けてくれた喜びの涙なのだ。
「えぐっ、うえっギルぅ、ギルぅ」
ギル、その呼び方はどうしてかとても懐かしくて、しっくりくる。
まるで前からそのように呼ばれていた様な、そんな気がした。
君子は嗚咽でたまたまそうなってしまっただけだが、こっちの方がお兄さんよりもギルベルトさんよりもずっといい。
「おいキーコ、さっきみたいにギルって呼べよ」
親しすぎる呼び方に君子は少し戸惑った様子だが、それでも恥ずかしそうに呼ぶ。
「……えっと……ギっギル」
「けけっ、おうキーコ!」
これでいい、ギルベルトは無邪気な笑みを浮かべる。
(……ンっ、そういやもうイライラしねぇや)
ずっとイライラして、むしゃくしゃしていたのに、いつの間にかあの頭痛もなくなっていて、とても穏やかなで幸せな気持ちでいられた。
(……前にも、あったな)
ずっと昔に、こういう事が在った気がする。
思い出せないけれど、とても楽しくて嬉しくてしかたがない。
もう絶対に、彼女を失くさない。
もう絶対に、この幸せを離しはしない。
ギルベルトはそう心に誓うと、満面の笑みで言う。
「飯にしようぜ、腹減った!」




