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地味女子ですが、異世界来ちゃいました!  作者: フランスパン
異世界召喚編
8/100

第七話 詰んだわ、コレ

 


 ハルドラ首都ハルデ。

 この日、王都は緊迫した空気に包まれていた。

 前日近郊の泉で、大蜥蜴(ビックリザード)の死骸が発見されたのだ。

 この草原には二〇〇年間、そんな大きな妖獣は現れた事が無かった。死骸とはいえ皆恐怖していた。

 大蜥蜴の死骸は、解剖の為に城へと持ち込まれる。

 馬よりも力がある大角牛(ホーンブル)一〇頭で荷台を引き、どうにかハルデまで運んで来た所だ。

「……これが大蜥蜴」

 街の人々も己の眼で見るのは初めてだった。

 こんな物が王都の近くに居る、それだけで怖くてたまらない。

「隊長、軽率だったのでは有りませんか、民に死骸とはいえこの様な物を見せるのは」

 副長のピートは、隊長のマルドルにそう切り出した。

 不必要に恐怖を与えるなど、混乱を招くだけだ。

「ピート、これはとても隠し通せる物ではない……」

「しかし隊長、ハルデもいつまで安全かは解らないのですよ、不用意に恐怖を与えるのは、国民の為にはなりません、ハルデの大いなる守りもあとわずかで――」

「ピート、それ以上は言うでない!」

 マルドルは、ピートの言葉を遮る様に声を荒げた。

 今自分が民の恐怖をあおる様な事を言おうとした事に気が付き、ピートは口を噤んだ。

「ん……アレは」

 マルドルは、大通りをふさぐ様な形で佇む一つの影に気がついた。

 大蜥蜴の死骸を前にして、皆恐れ慄き、ある者は道端に避けある者は家の中に隠れたというのに、その影は平然と立っていた。

「おい、そこの君退きなさい」

 真っ白なローブに真っ白なフードに黒を基調とした長い前掛け。

 身の丈の倍ほどの木製の杖を持っていている一人の子供。

 しかし彼はかない。仕方なくマルドルは一団を止めた。

「おい君、こいつは猛毒を持っているんだぞ、子供には危険だから退きたまえ」

「……その程度知識は持ちわせている、儂は確認したい事があるだけだ」

かなり大人びた雰囲気を出していて、その物言いも大人顔負けだ。

それを見てマルドルが何か思い出した様に尋ねた。

「白い衣に身の丈よりも大きな杖……まさか貴殿は噂に聞く、西外れの魔法使いか」

「……いかにも、儂がハルドラで最も古き魔法使いであり古の賢人、クロノである」

 ハルデの西外れに住んでいるという魔法使い。

 王の側近の一人である魔法使いラナイの師であり、その姿をまともに見た者はいないとさえ言われていた。

 その魔法使いが、なぜか今目の前に居る。

「ワシの弟子が泉へ向かって帰って来ておらぬ……」

 マルドルとピートは顔を見合わせると、部下に有る物を持って来るように命令する。

 それは大蜥蜴の血で汚れた泉のそばに落ちていた一つのバスケット。

「……探したが生きている人間はいなかった、おそらく貴方の弟子はこいつに……」

 ピートはそう言って後ろの大蜥蜴を見つめる。

 犠牲者の確認はこれからだが、おそらく間違えないだろう。

「あっあんた、あのおじょーちゃんの師匠なのか……」

 パン屋のお兄さんが話しかけて来た、クロノは黙って彼を見つめる。

「すまねぇ、俺があの子に泉に行ってみたらって勧めたんだ……恰好は変だったけど、いつも俺のパンがおいしいって言ってくれるいい子だったのによぉ……」

 責任を感じて涙を流すパン屋。

 しかしクロノはそれを無視して、受け取ったバスケットの中身を見る。

 中にはしおれた色とりどりの花と、泉の水が入った小瓶があった。

「…………君子」

 クロノはそう呟くと、突然杖を大蜥蜴へと向けた。

 杖が眩く光り、彼が何らかの魔法を使おうとしているのは明らかだ。

「なっ何をする気だ!」

「我が弟子が喰われたかどうかを確かめる」

 嫌な予感がすると、大蜥蜴の腹がうごめき、何かが喉へと逆流して来た。

 マルドルは全てを理解して叫ぶ。

「総員退避~~!」

 彼が叫ぶと見物していた民も兵士も、一目散に逃げる。

 大蜥蜴の周りに誰もいなくなった時――大きな口が開く。

 


 大通りに、大蜥蜴の胃袋の中身が吐瀉された。



 強力な胃酸で溶け、もはや元が何か解らない肉片がごろごろと出てくる。

 動物の角の一部や毛皮の一部などもあるが、それがなんであるかは解らない。

 ただその光景に皆眉をひそめ、悪臭で鼻を押さえる。

「なっ何と言う事を! こんな所でこんな事をする奴が有るか……うっ臭い」

 ピートの文句を無視してクロノは目の前に吐瀉された物を見ても、眉ひとつ動かさず平然としていた。

「大蜥蜴が獲物の完全に消化するには一日はかかる、そしてこいつが死んだのは昨日の夕方……君子が泉に向かったのとほとんど同時刻だ」

 つまりこいつが君子を捕食したので有れば、君子らしき肉片が出てこなければ可笑しいのだ。

 君子はこいつに喰われてなどいない、生きている。

「…………君子」

 どこに行ったのかは解らないが、おそらく帰れない状況にあるのだろう。

 クロノは大蜥蜴へと視線を移す。

 前足が切り裂かれて居て心臓に刺し傷が残っている、おそらく致命傷だろう。

「…………何者かがこいつを倒して、君子を連れて行った」

 昨日突然魔力の一部がなくなった。

 おそらく『複製』の特殊技能をつかって、何かを造ったに違いない。

 とにかく君子を探さなければならない。

「バルドーナスに伝えておけ、後で話があるとな」

「バルド……って、国王様の名ではないか!」

 一国の王を名指しで、しかもそんな偉そうな態度で言うなど言語道断、怒るピート。

 クロノはそれを無視して、杖で地面を突いた。

 すると眼を開ける事もままならないほどの火力の火柱が現れる。

 突然の事に驚き戸惑う国民達、兵士達もその熱量を前にして成す術もない。

 ただ唖然としていると、火柱はボッと大きな音を立てて消えた。

「なっ何だったんだ、今の……」

 ほんの数秒の出来事なのだが、圧倒的すぎて体感ではもっと長い時間に感じる。

「見ろピート……」

 マルドルに言われて、ピートが火柱のあった地面を見てみると、そこにはあったはずの大蜥蜴の吐瀉物も、火柱を出したクロノの姿もなかった。

「……馬鹿な、あの一瞬で」

「……今のは高位魔法だ、しかも複数の魔法を組み合わせた物」

 炎と浄化の魔法の複合、もしかすると風の魔法も入って居るかもしれない。

 どうやら自分で豪語するだけあって、かなりの技量を持ち合わせた魔法使いなのだろう。

 マルドルは改めて思う、あれだけの魔法使いが無茶苦茶な事をしてまで生死を確かめたかった者の事を――。

「……あのような魔法使いの弟子と言うのは、一体どんな奴なのだろう」




************************************************************




 ヴェルハルガルド。

 ハルドラの西に位置する国で、その名は大国としてベルカリュース中に轟いて居る。

 その東の端のマグニと言う地方に城がある。

 規模としては中くらいで、美しくはないが堅牢な城壁と軍には攻めにくい森林の中にある事で、国境沿いの城と言う役割は十分果たしていた。

 そのマグニ城に、一匹のワイバーンが降りてくる。

 ワイバーンがとある部屋のベランダにやってくると、それを待っていたかの様に、窓が開いて誰かが出迎えに来た。

「お帰りなさいませギルベルト様」

 歳は二〇代後半から三〇代前半、大変整った顔立ちだ。

 腰まである長い水色の髪を、オールバックのハーフアップにしている。

 服は黒を基調としており、銀の飾り釦と同じく銀の刺繍が施されている。

高級な革のブーツを履き、腰には青い鞘に収まった剣を下げていた。

「おう、帰ったぜヴィルム」

「今回は随分と遅いお帰りで……あまり遠くに行くのは感心しませんね」

 ヴィルムと呼ばれた男はそう釘を指すが、ギルベルトは全く気にしない様子でワイバーンから飛び降りた。

「ひゃうっ!」

 女の声が聞こえて、ヴィルムは眉をひそめる。

 ギルベルトが、黒髪でそばかすだらけの美人でも何でもない人間の娘――君子を腕に抱えていたのだ。

「……ギルベルト様、これは?」

「キーコ、俺んだ」

「ちっちがっ……ちがっ」

 首を振って否定する君子、もう空は飛んでいない、逃げるなら今だ。

 渾身の力を絞って、ギルベルトの腕を引きはがそうとするが、どんな筋肉をしているのか全くはがれない。

(うっうう、早くハルデに戻らないとぉ……師匠が、凛華ちゃんが、榊原君がぁ~)

 体感で三時間かそこら空を飛んでいたのだが、一体ここはどこなのだろう。

 とにかくハルデに返してもらわなければならない、ギルベルトは話が全く通じないが、この目の前のクール系イケメンなら、話を聞いてもらえるかも知れない。

 君子が口をひらこうとすると――。



「何ですか、食べるのですか?」



 えっ、食べる。

 あまりにも平然と言っていたので、一瞬理解が出来なかった。

 食べると言うのはつまり、晩御飯になるという事――。

(たっ食べっ、食べるってどういう事……しっ進撃の魔人! いっいや……良く考えてみたら魔人がどんな生き物なのか私全然知らない……まっまさかギルベルトさん私を食べる為に……)

 確かに肉にほどよく脂肪が乗っているから、その辺はそこらの女性よりも食べ応えはあると思う。

(はっはう……いっ嫌だぁ、食べられるなんて絶対に嫌だぁ)

 ただでさえ怖いのに余計に恐怖が増して、震えと冷や汗が止まらない。

 このまま厨房に連れていかれて、美味しく料理されてしまうのだろうか。

「喰わねぇよ、それよりこいつおもしれぇんだぜ」

「ひっ……」

 ギルベルトはOLのバックの様に抱えていた君子を左手でしっかりと抱きしめる。

 恐怖で固まって居て反抗など出来ずにいると、ギルベルトの右手が伸びて来た、一体何をするつもりか解らないが、反射的に眼をつぶって身構える。

(食べられちゃう!)

 喰われる恐怖に押しつぶされて、君子が死を覚悟すると――。




 ギルベルトの右手が、君子の左胸を触った。




 初めはなんだか良くわからなかった。

 ただ左の胸に違和感があって、眼を開けてみてみるとギルベルトの手が触れていて、明らかにそれはわざとやっている物で、全てを理解すると同時にどうしようもない恥ずかしさと、左胸の他人の手の感覚の生々しさを感じた。

「にょっ、なにょにょっ、にょんごごごごおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 たまらず奇声を上げる。

 胸を他人、それも異性に触れるという事は、君子の一六年の人生において全くなかった事で、ただただパニックを起こした。

 しかしギルベルトはそんな心情などまるで理解しておらず、けらけらと笑って居る。

「けけけっ、んな、おんもしれぇだろう!」

「…………いえ、別に」

 なんか若干引いている様子のヴィルム。

 しかしギルベルトはそんな事全く感じておらず、部屋の中へと入っていく。

(なっなぜ……なぜこんな事に…………お姉ちゃん、モブで脇役でそばかすの不細工な私が痴漢をされたよ……もう誰もお嫁さんに貰ってくれないよぉ……)

 ギルベルトは彼女を抱っこしたままソファに横になる、これではまるで君子が彼を押し倒している様で、なんだか誤解が生まれそうだ。

 止めてくれと説得を試みようとしたら、ギルベルトの物凄く美形な顔が目の前にあって、眩しくてとてもじゃないが直視が出来なかった。

(いっ、イケメン……無理だよぉスクールカーストの底辺に居た私には、これは眩しすぎるよ!)

 鼻血が出そうになるのを必死に抑える。

 そもそもこんなに男の人と密着するなど、彼氏いない歴=年齢の君子にとっては、高等なイベント過ぎて、昇天する寸前だ。

「ギルベルト様、その剣はどうなさったのですか?」

 剣が変わっている事に気がついたヴィルム、一四〇センチもあると流石に目立つ。

 ヴィルムはグラムを取ると、片手でそれを引き抜いて見せる。

「いい剣ですね……階級は軽く伝説級(レジェンド)を越えていて、都でもお目に掛かれぬ物です」

「こいつが造ったんだ」

「……この人間の娘が?」

 ヴィルムはそれを聞くと、少し驚いた様子で君子を見る。

 氷みたいに冷たい彼の視線で、昇天しかけていた君子はどうにか現実に戻る。

「うっ……」

「おう、キーコがバチバチ~ってやって造ったんだぜ、しかも俺が使っても全然折れねぇんだ!」

「……造形の魔法、いえ特殊技能ですか」

 そう言うとヴィルムはグラムを鞘に戻すと、君子に右手を向ける。

 一体だかわからないでいると、彼の手が浅葱色に光った。

「索敵魔法『調査(リサーチ)』」

 光が一層強く輝くと、徐々に消えて行った。

 特に何も起こらないのだが、ヴィルムは君子に向けていた手を下ろす。

「……『複製(コピー)』の特殊技能持ちですか、これは随分珍しい」

(うえっ、なんで解ったの! もしかしてさっきの魔法のせいなのかな……あれ、ラナイさんの特殊技能と同じ事してない……これ?)




 ヤマダ キミコ

 特殊技能 『複製(コピー)』 ランク1

 職種 無し

 攻撃 E- 耐久 E- 魔力 E 耐魔 E- 敏捷 E- 幸運 E 

 総合技量 E




「…………ただの凡人ですね」

(うぐっ……やっぱりおんなじ反応、あれ……でもラナイさんに見て貰った時より項目が多い様な……)

 異邦人である君子が知る由もないのだが、相手の能力を測る魔法はさほど珍しくない。

 特殊技能を使わずとも読み取れ、項目もその使い手の技量によって変わる。

 つまり強ければ強いほど、より多くの事柄を見破る事が出来て、彼はラナイよりも優れている――なんて事君子は知らないのだ。

「しかし妙ですね、この娘の魔力量ではこの剣を造る事は出来ないはずなのですが……」

 完全に疑われている、此処はどうするべきなのだろう、正直に師がいて彼の魔力で造ったと言うべきなのだろうか。

(ううぅ乙女ゲームの選択肢は間違えないのにぃ、なんて言えばいいのかわかんないよぉ)

 どうして二択で返答が思い浮かばないのだろう、これなら絶対に間違えないのに、もし神様が新しく人間を造る機会があるのなら、そう言う仕様にすべきだ。

 ヴィルムの冷たい視線と喰われるかも知れない恐怖で、答えられない。

「おいヴィルム、俺の所有物だからな」

「別に盗りませんよ」

 あんまり見つめているので欲しがっていると勘違いしたギルベルト。

 しかしヴィルムは本当に要らない様子で、間髪いれずに答えていた。なぜだろうちょっと悲しい。

「所でギルベルト様、お食事は如何なさいますか」

「ひっ!」

 食事と言う言葉に君子は過敏に反応した。

 まさかこのままちょっと遅めの晩御飯にされてしまうのだろうか。

(まっまさかこのままステーキに! いやミンチにしてハンバーグとか! 遅い食事は太るんだぞぉ!)

 ビクビクと震える君子を抱えながら、大きなあくびをする。

「いや……ねみぃからいらねぇ」

「左様ですか」

「もう寝る……ふぁ~あ」

 ギルベルトは君子を抱きかかえたまま立ち上がると、奥のドアへと向かっていく。

「えっ、ふぇっ!」

 酷く眠そうで足取りもおぼつかないギルベルトと、状況が全く理解できず戸惑っている君子を、ヴィルムは頭を下げて見送る。

「お休みなさいませ」

 



 隣の部屋は寝室で、天蓋付きの大きなベッドがあった。

 君子が三人寝てもあまりあるベッドは、もうベッドの域を越えている。

(何ですか、このおもくっそ貴族様が使う感じのベッドは!)

 こんな物二次元でしか見た事無い、その姿に君子が圧倒されていると、ギルベルトがそのベッドに飛び込む様に倒れた。

「うぎょっ!」

 マットが凄くやわらかくて、全く痛くなかった。

 一体この中に何が入って居るというのだろう、と要らん事を考えてしまったが、此処はベッドでここにギルベルトと二人でいるのは色々とまずい気がする。

「ちょっ……ギルベルトさ――」

 勇気を振り絞って話を切り出そうとしたのだが、既にギルベルトは夢の中。

 何という速さだろう。そして良く人を抱きしめたまま寝られる物だ。

(……待って、もしかして今なら逃げ出せるんじゃ)

 ギルベルトは寝ているし、あの冷たい視線のヴィルムと言う人もいない。

 逃げるなら今しかないのだ。

 君子は彼が完全に寝ている事を確認すると、出来るだけゆっくり慎重に腕の中から抜けだす――が、力が強くて全く抜け出せない。

(なっなぜ、寝ているのにこの力どんだけ!)

 まるで万力に挟まれている気分だ。

 更に力を込めて腕を引きはがそうとするが、起きている時と全く変わらない力で抱きしめられていて、全く抜け出せない。

「ん~~んっ」

「(ひゃうっ!)」

 まさか起こしてしまったのでは、君子は恐怖におびえるのだが、ギルベルトは変わらず夢の中、安堵のため息をつくのも束の間。




 ギルベルトは、君子の胸の中に顔をうずめて来た。




 女性の中ではかなり平坦な方に入る関東平野の様な君子の胸。

 そこに男性の、それもかなり美形の顔がある。

「ひっいっいっ、いぃっ」

 こういうイベントはもっと美人で胸が大きいヒロインにやる物。

 モブで脇役で貧乳の君子は、そんなイベントの免疫など無く、パニックのあまり悲鳴を上げる事しか出来ないのであった――。

「ひぃんぎゃあああああああああああああああああああああ」

 




 結局逃げ出せず、一睡も出来なかった。

 あれから喰われるかも知れない恐怖と、ギルベルトにドキドキしてしまって、眠る事さえ出来なかった。

 しかもギルベルトは、目覚めると飽きもせずずっと君子を抱っこしていて離さないし、ヴィルムはそれを咎めもせず、ただ冷たい視線を送ってくる。

 時折おもちゃでもいじる様に、胸を触ったり尻を撫でてきたりして、心休まる時間が無い。

 そんな事が三日続いた、四日目の朝の事。




「ギルベルト様、朝でございますよ」

 いつも通り起こしにやって来たヴィルムのモーニングコールで、ギルベルトが目覚めた。

 まだ寝たりない様で、眼をこすりながら大あくびをして起きる。

「キーコっ!」

 楽しそうに、嬉しそうに頬ずりをするギルベルト。

 しかし、そんな彼の顔面に向かって羽毛枕のダイレクトアタックが放たれた。

 ダメージも無く痛くも無い、だがやられたギルベルトも見ていたヴィルムも眼を丸くして驚いていた。

なぜならそれをやったのが三日間何の反抗もしなかった、君子だったのだから――。

「いい……加減にぃしろぉ」

 ドスの利いた低い声を出しながら、ベッドの上に立ちあがってギルベルトを見下ろす。

 眼の下にはクマが出来ていて、それは彼女の限界を意味していた。

 彼女の徹夜可能日数は二徹まで、睡眠と体力の限界が、喰われる事の恐怖を上回り、ストレスは怒りへと変換される。

 三徹地味女子の、怒りの爆発が始まった。

「こっちはなぁ、スクールカーストの底辺の底辺に居る、モブで脇役の君子さんなんですよぉぉ、イケメンと同じ空間の空気吸うのも命がけなんだぞぉ……」

「…………きっキーコ?」

「こっちとらなぁイケメン男子様とお話ししただけで一〇年寿命が縮む思いをしてんだぞ、それを飽きもせず、キーコ、キーコ、キーコとぉ……抱きしめてんじゃねぇぇぇ!」

 君子は戸惑うギルベルトの顔に、もう一発羽毛枕の一撃を放つ。

 妖獣のスピードに比べれば止まって見えるくらい遅いはずなのに、それを避けるも防ぐ事も出来ない。

「大体何だよぉぉぉ、攫うんだったらもっと可愛くて綺麗で美人な女の子にしろよ! どこをどう考えて私じゃないだろう、もっとどこぞのキノコの王国の桃の姫みたいな奴にしろよ! 私には連れ戻しに来てくれるヒゲ野郎はいねぇンだぞ!」

 もう喰われるかも知れない恐怖など何のその、君子の爆発はその程度の事ではもう止められない。

「大体こういうのはヒロインの役目だろうが! 私はな顔グラもない町娘Aなんだよぉ、何が俺の所有物だぁだぁっ、イケメンだったらそれに釣り合う美人を攫え、このっこのぉ!」

 君子は渾身の羽毛枕アタックを放とうと、枕を振りかぶる。

 しかしこの時、ギルベルトの顔を直視してしまった。

 短髪に宝石の様な金色の眼、掘りも深くて鼻も高い、唇だって厚すぎず薄すぎず、それらがこの上なく完璧な配置で置かれて居て、文句のつけどころが無い。

 そう文句のつけどころが無い――。

「いっ……イケメンがぁぁぁ」

 ギルベルトがイケメン過ぎて怒りが鎮火して行き、よろよろと崩れ落ちる君子。

 そうモブで脇役でそばかすで不細工で、スクールカーストの底辺に居る地味女子の君子には、イケメンの後光だけで溶けてしまうのだ。

「きっ……キーコ?」

 ギルベルトはベッドに崩れ落ちた彼女に手を伸ばす。

しかしそれは全く力のないか細い手によって振り払われた。

「触るなぁ、抱くなぁ!」

 全く痛く無い、これなら蚊に刺された方がまだ痛いだろう。

 だがギルベルトは叩かれた手と君子を見て、酷く驚いていた。

 でもそんな吃驚している顔もカッコいい。

「カッコ良すぎるんだよぉぉぉぉ、このやろぉぉぉぉぉぉぉ」

 パニックを起こす君子。

彼女のキャパはいっぱいいっぱいになって、泣き出してしまった。

「うっうう……凛華ちゃんと榊原君に会いたいよぉぉ、師匠の所に帰りたいよぉぉ」

 


 まるで癇癪を起した子供の様に泣く君子を、ギルベルトはただ見ている事しかできないのであった。





 ギルベルトは城の屋根の上にいた。

 石葺きの屋根に座り、一人森の方を眺めている。

「…………この様な所で、何をなさっているのですか」

 いつの間にか後方にヴィルムがいた。

 ギルベルトは視線も向けずに、腹心である彼にたずねる。

「なんでキーコ、泣いちまったんだ?」

 枕は全然痛くなかったので、君子が怒り狂ってあんな事をしていたなど、彼は夢にも思わないのだ。

 ただ彼女の泣き声が耳について離れない。

あんなに楽しかったのに、どうして泣いてしまったのだろう。

「……ギルベルト様が楽しくとも、あの人間が同じ様に思っているとは限らないのですよ」

「なんでだ、あいつは楽しくないのか?」

 ヴィルムは少し困った表情をした。

 だが、自分の主人がこういう事に疎く、言わなければ解らない事を知っている。

「ええ、例え一緒に居て、同じ事をして同じものを見ていても……相手が同じ様に思っているとは限らないのです」

「…………なんだか、難しいんだな」

 ギルベルトは良く解らない様子だった。

 だが人の心の真意を見抜くなど、いかなる賢人でも出来ないだろう。

「そうですね……、きっとこの世で一番難しい事で、一番大切な事なのですよ」

 ヴィルムの言葉を、ギルベルトは黙って聞いる。

 彼がどれくらい理解してくれたかは解らないが、ただ遠くの方をいつになく真剣な様子で見つめていた。




 君子は、西日の眩しさで眼を覚ました。

 いつの間にか眠ってしまった様で、もう夕方だ。

(あれ……確か私、眠くて怖くて泣いちゃって……どうしたんだっけ?)

 ギルベルトを枕で叩いて、大声で泣いてしまった所まで覚えているのだが、どうやらそのまま泣き疲れて寝てしまったらしい。

(うっうわ~人前であんな風に泣くなんて……何と言う愚行を……)

 きっと二人とも呆れてしまったに違いないだろう。

 恥ずかしい、穴があったら入りたい。

「……あれ」

 そう言えばギルベルトはどこに行ったのだろう、この三日間君子を離した事など一回も無かったのに、今はその姿が無かった。

 もしかしてこれは――。

(逃げるなら、今しかないんじゃない?)

 あの馬鹿力で抱きしめられていたせいで、逃げられなかったのだ。

 今度こそ最初で最後のチャンスなのだ。

(どうしよう、どこに行こう……)

 見た事が無い部屋で、ベッドと机と椅子、そして暖炉のある八畳ほどの部屋。

 確かお城の様な場所だったので、その中の一室だろう。

(う~ん、お城の中で人に捕まったら厨房へGOで、ハンバーグorステーキのパターンですね……となると、ここはお外からでるのが正解のパティーン!)

 こういうシチュエーションは大体ゲームや漫画で経験済み。

 これなら二択じゃなくても解る。

 とりあえず窓から外に出る事を試みると、なんか一〇〇メートルトラックよりも長いベランダが左右に広がっていて、花壇や噴水があった。

(こんなに広いベランダ初めてだよ、ばっバルコニーって言うのかな……全然分かんない)

 ベランダに噴水がある時点で普通ではない。

 とりあえずどこか下に降りられる場所を探す。

 しかし階段など見当たらず、ここは四階相当の高さではとても飛びおりる事は出来ない。

(うう……ダメだ、やっぱり城の中を通るしかないのかなぁ……いやまって、『複製』でロープとか造れないかな……)

 長いロープとハーネスがあれば、下に降りられるかもしれない。

 どれくらいの強度があればいいのだろうか、ちゃんとハーネスをみた事が無いから上手く造れる気もしない、君子がどうするか悩んでいると――。

『……こ、みこ……きみこぉ』

「ふっふえぇ!」

 君子を呼ぶ声がする、辺りを見渡すが誰もいない。

 まさか幽霊、異世界の幽霊ってある意味レアだが、怖がる君子、しかしその声を聞いた事のある様な――。

『君子、聞こえるか』

「しっ、師匠!」

 クロノの声、一体どこに居るのだろうか、幾ら見渡しても彼の姿が見えない。

 しかし声は聞こえていて、どうもそれは噴水の方から聞こえる。

 覗き込むと、水面にクロノの姿が映っていた。

「しっ師匠、師匠、師匠なんですね!」

 久しぶりのクロノの顔を見て、引っ込んだはずの涙がまた出て来た。

『君子、良かったやはり生きていたんだな……』

「はっはい……師匠ぉ」

『君子、今どこにおるのだ、通信魔法が弱い……ハルデからかなり遠いのか?』

「うっううう、マグニって所です……」

 クロノは眉をひそめた。どうやらどこにいるかを察している様だ。

『ヴェルハルガルドだと……なぜそんな所に……』

「実は……」

 君子は泉でギルベルトに出会い、彼の為に武器を造ったら刻印を書かれてしまい、問答無用にマグニへと連れてこられてしまった事を、なるべく短く、簡潔に伝える。

 ずっと黙って聞いていたクロノは、全て聞き終えると黙ってしまった。

「しっ師匠……ごめんなさい私……私」

『君子は何も悪くない、悪いのはワシだ……君子を一人にするべきではなかったのだ、どの道その魔人がいなければ君子は大蜥蜴に喰われてしまっていただろう……そうならなかったのが唯一の幸いだ……』

 だが事態が軽くない事は君子にも解る。

 クロノにまで迷惑をかけてしまうなんて、モブどころか人間失格だ。

「師匠、私どうしたらいいんでしょう……」

『君子……刻印を書かれると、縁が結ばれてしまう……運よく逃げ出せても魂によってつながっているから、必ず居場所がばれてしまうだろう』

「そんな……それじゃあ、それじゃあ私師匠の所に帰れないんですか……そんな」

 このままギルベルトに食べられてしまうのだろうか。

 東堂寺や榊原と再会できずに、異世界でバッドエンドを迎えてしまうなど嫌だった。

『生命に刻印が書けるのは自分よりも弱い場合のみ、自分より強い相手には書く事が出来ぬ……つまり君子、刻印を消すには君子がその魔人よりも強くならねばならぬのだ』

「ぎっギルベルトさんよりも強く……」

『そうだ、そうすれば刻印は消えるはずだ』

「でもっでも私オールEの凡人で、魔法も全然使えなくて……」

 強くなるなんて不可能だ。

 これでは東堂寺や榊原に会いに行くどころか、クロノの元に帰る事も出来来ない。

『君子、お前はハルドラで最も古き魔法使いであり、古の賢人であるこのクロノの弟子だ、自信を持て、魔法は無限の可能性に満ちているのだから……』

「師匠……」

 クロノの言葉はいつだって君子を奮い立たせてくれる。

 こんなダメな自分でも、何とか出来る様な気がして来た。

 すると水面に映るクロノの姿が揺らいで、だんだん見えなくなって行く。

『時間がかかるがワシが必ず君子を迎えに行く、だから待っていてくれ』

「あっ、ダメ!」

 消えないでと手を伸ばすが、掴み取る事など出来る訳もなく手は水を掻くばかり。

 クロノは必死な君子へと、決して届くはずの無い手を伸ばす。

『きみ、こ……わ、の愛おしき……』

 雑音でクロノの言葉が押しつぶされ聞こえない。

 とうとう姿も完全に見えなくなり、噴水には君子の手が突っ込まれているだけだった。

「……あっああ」

 もっと話がしたかったが、どうやら通信もままならないくらい遠い所にいるらしい。

 クロノは嘘を付く様な人ではない、きっと必ず迎えに来てくれるはずだ。

(師匠……私待ってますから!)

 独りぼっちで潰れてしまいそうだったけど、ほんの少しだけ勇気を貰えた。

(うん、怖がってちゃ駄目だ、食べられる事にびくびくしていられるもんか! まな板の上に置かれても暴れまわって反抗するくらいの根性を持つんだ君子!)

 君子が自らを奮い立たせて、怖がらない事を誓ったその時だ。

 ズルズルという音がする、それもだんだん大きくなっている。

「ふぇっ、何この音!」

 何かが這う様な音で、それは大きくなっている訳ではなく近づいているらしい。

 するとまるで夜にでもなってしまったかの様に、暗くなってしまった。

 正確には、君子の周りだけが暗く、離れた所は明るい。

 どうもここだけ影になっている、一体何が陽の光を遮って居るのだろう。

 君子は後ろを振り返る――。



 大蛇が君子を見下ろしていた。



 その大きさは軽く大トカゲを超えていて、その二匹分くらいの大きさで、堅そうな真っ黒い鱗に身を包んでいるその大蛇は、チロチロと舌を出していた。

「はっは虫類シリーズ、だっ第三段……」

 なんだって、襲ってくるのがは虫類ばっかりなのだろう。

 ファンタジーの定番はスライムだろう、こういう奴はもっとレベルが上がってから出てくる物ではないだろうか――。

(なんでぇ強そうな奴ばっかり、私はスライムも倒した事が無い初心者の中の初心者なんだよ! それがこんな中ボスクラスの奴を相手に出来る訳無いじゃないかぁ!)

 もう何に対して文句を言えばいいのか解らない。

 アンケートの葉書があるなら、この事について余白いっぱいに文句と苦情を書き連ねて投書してやるのに。

「なんジャ、侵入者は人間ジャないかぁ……何と弱弱しいんジャ」

「しゃっ、しゃべっ!」

 トカゲはしゃべらなかったのに、この大蛇は君子に解る言語をしゃべっている。

 この世界の常識はいまだに良くわからない。

(なっなにこの大蛇は、八岐大蛇! てっいやいや首は一つだから違うよ、どっちにしろ、これはヤバいよ、私のエンカウント可笑しい、強すぎる敵としか遭遇しないよ!)

 ついさっきまでの勇気はチロチロの舌を見ていたら、どこかへと飛んでいってしまった。

「ここをマグニの城と知って侵入するとはいい度胸ジャ、人間の小娘め光栄に思え、我が胃袋に収めてくれるわ!」

 そんなの全然光栄じゃない。

 だが流石に三度目、君子にも逃げるというコマンドがようやく追加された。

 食べられたくない、死にたくない、その思いが足を動かす。

「いっいやああああああっ!」

 こんな事ならもっと運動しておけば良かった。

 好きなマンガを書店まで買いに行くのが面倒で、通販で買ってばかりだった。

 そんなずぼらな事ばかりしているから、足がちゃんと動かず、自分の左足に右足がひっかかってすっ転ぶのだ。

「うぎょん!」

 もはやお約束になっている。こんな約束いらねぇと思う君子だが、その目の前にはトカゲよりも大きな口を開いて襲いかかる大蛇がいた。

 逃げられない、蛇は丸呑みだからお腹の中で少しずつ溶かされて死ぬ。

(いっ嫌だぁ……こんな大蛇に喰われるくらいなら、ギルベルトさんに食べられた方が良かったよぉ!)

 そう思っても何もかも遅い、大蛇の口は君子を一飲みにしようとして居て、その喉の奥までしっかりと見えた。



 刹那、上からギルベルトが降って来て、大蛇をぶん殴った。



 可笑しな話だが本当にそうなのだ。

 上から何かが落ちて来たかと思ったらそれはギルベルトで、何をするのかと思ったら大蛇をグーで思いっきりぶん殴っていた。

 そして殴られた大蛇は、そのまま下へと落っこちる。

 それは本当に一瞬の出来事で、しっかり見ていたはずなのだが理解出来なかった。

「あっ……ああぁ」

 大トカゲよりも巨大な大蛇をぶっ飛ばすなど、それはもう怪力と言う次元を超えている。

 人間の君子には計り知れない領域だ。

「キーコ、大丈夫か!」

 ギルベルトは君子へと駆け寄ると腕を握って来た。

その顔はどこか焦りがあって心配している様に見える。

「……やれやれ、騒がしいと思ったら」

 小言を言いながらヴィルムが上から降りて来た。

 ここは最上階でこの上は屋根しかないのだが、一体どこにいたのだろう。

「あっ……わっわりぃ!」

 ギルベルトはそう言うと慌てて握っていた手を離した。

 三日間も抱きしめていた癖にどうしたというのだろう。

「触っちゃ駄目なんだろう……、でも今のはわざとじゃねぇンだぞ」

 そう言えば癇癪を起した時、ついそんな事を言った気がする。

 なんであんなに好き勝手やっていた癖に今更そんな事気にするのだろう。

 怒られた子供の様にしょんぼりしている彼を見ていたら、なんだかさっきの恐怖に対する涙が今さら出て来た。

「うっ……うへ~~ん」

「わっわっ! 泣くなよ、わざとじゃねぇンだよぉ!」

 泣き出した事に戸惑うギルベルト、謝ってくるがこの涙はそれでは止められない。

 


 君子はギルベルトに抱きついた。



「ギルぅ、怖かっ、たぁぁぁぁ」

 この涙は助けてくれたのが嬉しくて出ているのだから――。

「えぐっ、うえっギルぅ、ギルぅ」

「…………けけっ!」

 ギルベルトは少し吃驚した様子だったが、しばらくすると嬉しそうにはにかんだ。

 君子の頭を撫でて満足気のギルベルト。

 だが呑気になでなでされている場合では無かった、彼は自分を食べようとしていたのだ。

(てっ、何抱きついて居るの私~~……)

つい抱きついてしまった。

 もしかしたらこのままステーキorハンバーグのパターンかもしれない。

 それを思い出したら、急に震えが止まらなくなって来た。

 不思議そうにこちらを見つめるギルベルトに、君子は精いっぱいの命乞いをする。

「あっあのぉギルっ、さん……」

「……どしたキーコ?」

「わっ、わ私、贅肉たるたるで美味しくないよぉ、食べたらきっとお腹壊しちゃうよぉ……だから、だからぁ食べないでくださぁい」

 きっと食当たりを起こしてしまうに違いない、いや絶対起こす。

 しかしギルベルトは、懇願する君子を見て、なんだか鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしている。

「……何言ってんだキーコ、喰う訳ねぇだろう」

「へっ……食べないの?」

「人間喰うって、それすっげぇ気持ちわりぃぞ」

 そう言うギルベルトの顔は本当に気持ち悪そうで、君子を食べる事に対して本当に嫌悪感を抱いている。

 嘘なんかついて居ない、本当に食べない様だ。

 そう思ったら、ここ数日の緊張の糸がほどけて、足の力が抜けて行ってへなへなと崩れ落ちた。

「おいヴィルム、おめぇのせいで勘違いしてるじゃねぇか!」

 視線をそらして黙るヴィルム。

 どうやらアレは彼なりの魔人ジョークだった様だ、なんて解りにくいユーモアなんだ。

「良かったぁ、ギルベルトさん食べないんだぁ」

「…………おいキーコ、さっきみたいにギルって呼べよ」

「ふえぇっ!」

 アレは嗚咽のせいでそうなっただけであって、イケメンをそんな風に親しげに呼ぶ高等テクニックは持ち合わせていない。

 しかし、ギルベルトはむっとして居て、呼ばなくては許してくれなそうだ。

 仕方なく戸惑いながらも、それに従う。

「……えっと……ギっギル」

「けけっ、おうキーコ!」

 呼ばれて嬉しそうなギルベルトに安心してため息をつくと――にょろっとさっきの大蛇が姿を現して来た。

「ひっ!」

 短い悲鳴を上げる君子。

 しかし大蛇は彼女になど眼もくれず。

 ギルベルトの前で、まるで土下座の様に大きな頭を地面にくっつけている。


「ギルベルト王子! 申し訳ございませんでしたぁ!」


 そしてそう、謝って来た。

 だが君子が気になったのは、謝罪の方ではない。

(えっ……王子?)

「うっせぇ、皮剥ぐぞオラ!」

 大層見事な蛇の皮の財布が何十万個も造れるだろう。

 怯える大蛇を庇う様にヴィルムが口を開く。

「ギルベルト様、こやつの役目は侵入者の始末です……仕事を全うしようとした訳ですので、どうかお許し下さい」

「うううっ、まぁキーコが無事だったからいいけど……次やったら皮剥ぐ」

 大蛇は怯えながらも、何度も謝っていた。

 だが君子にはそんな事どうでもいい、ぷんすか怒っているギルベルトにこの疑問を尋ねる。

「ギルって、王子様なんですか?」

「おう、そーだぜ!」

 軽く肯定するギルベルトにヴィルムが自慢げに捕捉する。

「ギルベルト様はこの国を治める魔王帝のご子息であり、魔王の一席に座られるお方です」

「おう、あと三〇〇年くらいしたらな!」

 なんだか色々とツッコミ所があるが、とりあえず一つだけ、一番の問題があった。

(じっ次期魔王って……何それ……)

 君子が自由になるには、ギルベルトよりも強くなって刻印を消さなければならない。

 つまりそれは――。

(それって私、魔王を倒すくらい強くならないといけないって事?)

 凡人の君子にそんな事出来る訳が無い。

 そう言うのは主人公の勇者の仕事であって、モブの町娘の仕事ではないのだから――。

「ヴィルム~、飯にしようぜ、腹減った!」

「はい、すぐに夕食の準備をいたします」

 ギルベルトは驚愕の事実を知り真っ白になっている君子を抱きしめると、部屋へと歩き始めた。

 君子は綺麗な夕日を見ながら、思う。




(……詰んだわ、コレ)




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