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地味女子ですが、異世界来ちゃいました!  作者: フランスパン
聖都動乱編
78/100

第七三話 私の世界






 もうすぐ夜が明ける。

 いつもなら寝ている時間なのに、今は寝る気になれなかった。

「……」

 君子は窓辺に置かれた椅子に座って、外を見つめていた。

 その表情は暗く虚ろだ。

「……君子」

 名前を何度か呼ばれて、君子はようやく振り返った。

「ほら、着替えを持って来たよ……女物は無かったけど、君子が着られるものはあったよ」

 セーラー服はジャロードのせいで血塗れになってしまった。

 気持ち悪いだろうと思って、時子は砦中を探してローブを見つけて来たのだが、君子の表情はすぐれない。

「……君子」

 時子は君子に近づくと、スカーフを取り上着を脱がせる。

 血の付いた肌を布で拭いスカートも脱がせると、ローブを着せてやった。

 丈が長いデザインなので、真っ黒なワンピースにも見える。

 最後のボタンをかけていると――、時子の手にしずくが落ちて来た。

「……君子、泣いているのかい?」

 声を出す事無く、君子は泣いていた。

 まだ痛むのか、時子は心配そうに顔を見上げた。

「……おねぇ、ちゃん、フォルドさん……死んじゃったよ」

 ほんの数時間前までお酒を飲んで楽しそうにしていたのに、死んでしまった。

 あんな風に、自分で死んでしまうなんて――。

「君子のせいだよ……、フォルドさん君子のせいで死んじゃったんだよ」

「……それは違うよ、全部君子を利用しようとした狼の魔王が悪いんだ」

 時子がなだめるが、君子の涙は止まらない。

「フォルドさん、勇者さんに会いたがってたんだよぉ……お礼言いたがってたんだよぉ……魔王だけど、すっごくいい人だったんだよ……それなのにっ、それなのに君子のせいで」

君子がジャロードに触れなければ、船に乗った時に気を付けていれば良かったんだ。

そうすれば、呪いを受ける事もなかった、ギルベルト達に迷惑をかける事もなかった。

「君子がここにいなければ、君子が異世界なんか来なければ、フォルドさんは死ななかったんだよぉ、君子のせいで……君子のせいでぇっ」

 もし君子がベルカリュースに来なければ、今頃フォルドは生きていたはずだ。

 君子がこの世界に来て、ギルベルトに出会ってヴェルハルガルドに行かなければ、彼は死なずに済んだ。

「異世界に来てからずっと楽しかったの……日本の嫌な事とか全部忘れちゃうくらい、この世界が楽しくて仕方がなかったの、でもね……それは間違いだったの」

「…………」

「ここは、思い描いていたようなファンタジーの世界じゃなかった、漫画とかアニメの世界じゃなかったの」

 日本で空想の世界を思い描いている時は、考えもしなかった。

 戦いが人を殺すことで、ファンタジーな世界とはいえども、そこには生きている人がいて、それが死ぬという事だという実感がなかったのだ。

「ベルカリュースは……私の世界じゃない、この世界で感じた幸せはウソで、ここは私の世界じゃなかったの」

 この世界に来てから、毎日がすごく楽しかった。

 アンネもベアッグもユウもランも、ヴィルムもルールアもフェルクスも、アルバートもギルベルトも――皆優しくて、一緒にいるのが楽しかった。

 でもそれは表面的なもの、君子はこの世界の本質を全く分かっていなかった。

 楽しい事だけ目を向けて、嫌な事や怖い事から目を背けていた。

 戦いは人を傷つける事で人を殺す事、そんな当たり前の事も解っていなかった。

 それなのに――ここを自分の居場所だと勝手に思い込んでいた。

 幸せな世界、幸福しかない世界、そう信じようとしていたのだ。

「私、この世界に……来なければ良かったの」

 巻き込まれて来た異世界だとしても、こんな結末になるなら来なければ良かった。

 俯き涙を流す君子、震えるその手を時子は優しく握った。

「……この世界は、君子を幸せにしてくれる場所じゃないんだね」

「……えっ」

 戸惑う君子へ時子は右手を向ける。

 そして、拳を握った。

「おっ……お姉ちゃん?」

刻印(ネーム)の範囲制限を消したよ、これでどこへでも行ける」

「どこへ……でも?」

「……君子がここにいても幸せになれないなら、幸せになれる所に行こう」

 時子は君子の手を持ったまま立ち上がり、彼女を引き寄せる。

 君子は驚き戸惑っていて気付かない、時子の笑みの裏側にどこか得体のしれない怖さがあることに――。







************************************************************







 同砦・広間。

 戦いが終わり、ギルベルトとアルバートは休息をとっていた。

 といっても上等なベッドがある訳もなく、二人とも大理石の床に座って石柱にもたれかかっている。

「……夜明けまで、あとどンくらいだ」

「知るか……、だがその前に湯浴みがしたいものだ」

 ジャロードが隠し持っていた回復薬で治療をして、魔力はともかくそれなりに回復は出来た。

 だがあれだけのダメージを回復薬で完全に癒す事は出来ず、医者がいればドクターストップをかけるであろう状態だった。

 そんな二人の元に、水を持ったムローラがやって来た。

「……殿下方、具合は大丈夫ですか?」

「ムローラ……、お前こそ大丈夫なのか?」

 アルバートが言っているのは、フォルドの事だ。

「……大丈夫、じゃないです、でも僕が泣いている訳にもいきません、やる事がありますから」

 ムローラは涙で腫れた目で無理をして笑う。

 本当は声を上げて泣きたいのだろう、しかし重症を負っていたギルベルトとアルバートを放ってはおけない。

「……魔王フォルド、良い人だった」

 軍人や貴族と様々な権力者と会って来たアルバートだったが、フォルドの様に高潔な人は見た事がなかった。

「……フォルドには、もっと教わりたい事があった」

 ギルベルトがそうどこか悲しそうな表情で言った。

 普段近しい人以外にこういう顔をしないので、かなり意外だ。

「もっと……話をちゃンと聞けば良かった」

「……ギルベルト王子殿下」

 魔王として必要な心構えや、一将として戦う力など、教わりたかった事を上げれば数えきれない。

 フォルドの死を、心から悲しんでいるギルベルトの姿を見て、ムローラは再び涙がこぼれそうになるのを必死に抑えた。

 バレバレなのに、泣きそうなのを必死に堪えながら言う。

「……ひとまず医療チームには連絡が取れました、これでお二人もちゃんとした治療を受けられるはずです」

「我々の事はいい、お前はフォルドの所へ行け」

「えっ……でも」

「いい、行ってやれ」

「……では、何かあったらいつでも呼んで下さい」

 ムローラはそう言って、広間を後にした。

 ギルベルトとアルバート、二人残されても特に話す事などない。

 ましてや今は心身ともに疲れている、大理石のベッドと石柱の枕だろうと関係ない、眠りたかった。

 ギルベルトとは大きな欠伸をかくと、何も考えなくていいように眠りにつく。

 アルバートも、体力を回復させるために目を閉じて体を休める。

 しかし――、そんな二人の休息を邪魔する者がやって来た。




「アルバート様ぁ! アルバート様ぁ!」

 それは血相を変えたルールアだった。

 ドレファスからここまでワイバーンを使わずにやって来たのだろうか、とんでもない移動距離だ。

 それに彼女にはヴィルムの捜索を命じていたはずなのだが――。

「ルールア、よくここまで来られたな……ジャロードは討ち取ったぞ」

「あっフェルクスの運が滅茶苦茶上がったんで勘だけでを頼りにここまで……、ってそれどころじゃないんですよアルバート様ぁ!」

 ルールアが慌てふためいていると、更にヴィルムを背負い、クタクタになったフェルクスが広間へとやって来る。

「……おっ、オレ様疲れたぁ~」

 成人男性を背負ってここまで来るなど、はっきり言って無謀にもほどがある。

 流石にタフな炎の魔人とはいえ限界だったようで、フェルクスは倒れてしまった。

「ヴィルム!」

「ヴィルムさん!」

 しかし皆の関心は背負っていたフェルクスではなく、背負われていたヴィルムへ向く。

 軍服に血が付いていて、汗をかき、顔色も悪い。

 失踪には何か理由があるとは思ったが、まさかこんな状況とは思いもしなかった。

 明らかに誰かに刺された状態を見て、ギルベルトはかなり焦った様子でヴィルムを抱き上げる。

「おいヴィルム! しっかりしろ、誰にやられたンだ!」

 彼は補佐官の中でも一流の実力を持っている。

 それなのにこれほどの怪我を負わせるとは、敵はとんでもない奴に違いない。

 焦るギルベルトに、ヴィルムは弱弱しく口を開く。

「……、きっ、きーこは?」

「あぁ取り戻した、それよりお前を刺したのは誰だ!」

 ギルベルトにとってヴィルムは大切な仲間だ。

 それを傷つけた奴は絶対に許さない、顔面が変わるくらい殴ってから斬る。

 しかし声を荒げたギルベルトの腕を、ヴィルムは強い力で掴む。

 刺されて弱っているとは思えない程強くて、驚き戸惑い怒っていたギルベルトは、正気に戻って行った。

「ギルベルト様……、アルバート様、これから話すことをよく聞いて下さい……、これはこの世界の根本も変えてしまう様な、重要な話です」

 ヴィルムの必死な言葉に、ギルベルトもアルバートも真剣な面持ちで聞く。

「あれは……私が裏切り者の『(ロウ)』を追い詰めた時です」







************************************************************







「化物とは一体、誰の事なんですか?」

 ヴィルムの問いに、男は恐怖に怯え、呂律が上手く回らない口で話し始めた。

「おっ……俺は、見たんだ、あの時……レヴィアタンの巣で海魔(カーマ)に追い詰められた時」

 それは皆で洞窟に逃げ込んだ時の事だ。

「おっ、俺は……雇い主から、王子のピアスをつけている女を攫って連れて来るように命じられたんだ、だっだからレヴィアタンの巣で罠にかかっている時の騒動に紛れて、彼女をかっさらおうとしたんだ」

「……なるほど、その為にキーコを外に連れ出すようにベアッグに言ったのですね」

 ギルベルトを暗殺するならば、君子を人質にするのは実に効果的だ。

「だっだから、上手い事やろうとしたんだが海魔(カーマ)が洞窟の中まで入って来て、俺も怪我して……そっそれで、あの女が海魔(カーマ)に襲われそうになったんだ」

 ルールアとアンネとベアッグが、決死の戦いを挑んだが、海魔(カーマ)の軍勢によって吹き飛ばされて、皆が気を失っていたあの時。

 航海士の『(ロウ)』は、頭に石が当たったが意識は失っていなかった。

 だからそれから起こった、全てを見ていたのだ。

「…………あっあの時、あの時……あの女から、でっ出て来たんだ」

「キーコから……出て来た?」

 ヴィルムは腑がキリキリと締め付けられるのを感じた。

 得体のしれない物に対する恐怖が、彼の体をザワザワと蠢いていた。





「黒い靄が――出て来たんだ」




 黒い靄。

 それはヴィルムが過去二回目撃した、謎の物体。

「あの……靄が?」

 ケルベロスに襲われそうになった時、アルバートにキスされた時、双方ともに君子が命の危機に陥った時だ。

 海魔(カーマ)に襲われた時に君子がまたアレを出しても不思議はない。

 だが、アレを出す時は決まって黒い靄の『人形』が出て来たはずだ。

 でも今回はあの人形を見ていない。

「それで――――どうしたんですか?」

 ヴィルムは、鼓動が早くなるのを感じた。

 もし、後にこの続きを聞いた事を後悔する事があったとしても、ヴィルムは聞かずにはいられなかった。

 『(ロウ)』は恐怖に震えながら、続きの言葉を口にする――。

「靄が、あの栗毛の女になったんだよぉ!」








「キーコの姉が、あの黒い靄?」

「そうだよぉ、あんな事出来るなんて化物だ! ただの娘だって聞いてたのに、全然話が違う!」

 いや、君子は凡人のはずだ。

 ただちょっと珍しい特殊技能(スキル)を持っていて、ちょっと変わった所があるが、どこにでもいる普通の少女、化物と形容されても可笑しくない事をしてしまった。

「お願いだぁ、もう俺はこの仕事から手を引くから、もうあの化物と関わらせないでくれ、このまま見逃してくれぇ!」

 必死に命乞いをする男の言葉を、ヴィルムはまともに聞けなかった。

「……キーコが、あの姉を特殊技能(スキル)でつくった」

 黒い靄の人形はまだ異質で、知性も人らしい感情もほとんどなく、獣か何かの様に見えたが、時子は全く違う。

 この数日一緒に行動し、言葉を交わしたからこそ解る。

 アレは完璧に生物だった、ちゃんと生きていて知性もあり、人間だった。

「……生命の、創造」

 この世界にあるどんな特殊技能(スキル)や魔法でも行う事が出来ないのが、生命への干渉である。

 ましてや生物の創造などというのは、この世界を造った万物の創造神、つまり神の御業である。

 それを君子が行ったというのか――。

「……そんな、馬鹿な」

 何とか固まった脳細胞を動かし思考を続けて、話を整理した。

「…………ありえない、で済ませられる状況ではありませんね」

 暗殺者も大事だが、もっととんでもない物を先に片付けなければならない。

 ヴィルム自身まだ困惑しているので上手く説明できるか解らないが、この事実を一刻も早く伝えなければ、手遅れになる前に。

「この事を、早くギルベルト様とアルバート様に伝え――――」

 しかしその時、ヴィルムは背中に衝撃受けた。

 高い思考能力を持つ彼でも、それがなんだか解らなかった。

 ただ下腹部に強烈な痛みが走り、それがだんだんと強く大きくなっていく。

 ヴィルムは痛む下腹部へと視線をやる。





 腹を刺されていた。





 背後から刺され、剣の切っ先が完全に貫通している。

 『(ロウ)』は目の前にいる、なら一体誰が――。

 ヴィルムは激痛を耐えながら、後ろを見る。

 刺した人物の顔を、見る。

「――――なっ」

 長い栗毛と紅いコートを靡かせた、『彼女』の姿を――見た。







「ひっひいいいいいいいいいっ!」

 『(ロウ)』は悲鳴を上げた。

 ヴィルムが刺されて驚いたからではない、ヴィルムを刺した方に恐怖したのだ。

「とっ……トキコォ……」

 まさかつけられていたなんて――、完全に油断していた。

 睨みつけてくるヴィルムに時子は小さな笑みを返すと、剣を力いっぱい捻る。

「ぐああああああああっ」

 抉られて広がった傷口から大量の血が噴出する。

 素人が見ても致命傷を負ったヴィルムは、反撃する事もままならず床に倒れた。

「……残念だよヴィルムさん、まさか貴方を始末する事になってしまうなんて」

 そう言って時子は何を考えているのか分からない笑みで、ヴィルムを見下ろす。

 顔や手にはヴィルムの返り血が付いているせいか、真実を知った今生き物に思えない。

「まさかあの時の事を見ていた奴がいるなんて、ボクは完璧なお姉ちゃんじゃなくちゃいけないのに、もっと注意しないとなぁ」

 そう気軽に言うと、怯えて震える航海士の『(ロウ)』を睨む。

「お前……よくもボクの可愛い妹を化物呼ばわりしたな」

「ひっ――」

 時子のあまりの恐ろしさに、『(ロウ)』の男は這いずる虫のように移動して――廃屋の外へと出た。

 そして振り返る事なく、精いっぱい出せる限りのスピードで逃げた。

「爆発魔法」

 時子は彼に右手を向けると、橙色の魔法陣を展開した。

 一切の情けも温情もなく――、光が放たれる。

「『爆裂(エクスプロージョン)』」

 魔法は無様に逃げた男へとまっすぐ飛んで行った。

 それからしばらくして大きく揺れたが、深い森はそれさえも隠してしまい、男の断末魔も爆音も誰にも聞こえなかった。

 時子は森が静かになったのを見届けてから、視線をヴィルムへと戻した。

 知らない間に魔法の精度も威力も上がっている、やはり時子は普通とは全く違う。

 明らかに致命傷、こんな傷ではオールAランカーでランク6の特殊技能(スキル)を持つ時子には、勝つどころか逃げおおす事も出来ない。

 だからヴィルムは、剣ではなく口を動かす。

「……まさか、貴方があの時の人形とは思いもしませんでしたよ、随分人らしくなったものです」

 それを聞いて時子は少し驚いた様子だ、答えが返って来るまでしばらく間が開いた。

「……それはボクの失敗作の事かい? だとしたら人違いだな」

 この時子は、前の二体の人形の記憶は有していない様だ。

 完全な別人、いや別個体だろう。

「…………お前の目的はなんだ」

「目的? それは君子を幸せにしてあげる事さ、ボクは君子のお姉ちゃんなんだから」

「違う……、お前はキーコの姉じゃない、姉の形をした別のものだ!」

 君子が創造し造り上げてしまった禁忌そのもの。

 異邦人ともベルカリュースの生き物とも違う、全く別の存在。

「お前は、キーコが姉そっくりに造り上げた偽物だ、模造品が本物に勝てる訳がない」

「……それって、そんなに重要な事なのかい?」

「なに……?」

 本物の姉ではない、君子を騙しているというのに、時子は不思議そうに首を傾げる。

「だってボクは君子に望まれて生まれて来たんだ、君子はボクを必要としていたから生んでくれたんだ」

 あの時、命の危機に瀕した君子は強く望んだ。

 自分を守ってくれるヒーローを、心から信頼できる存在を、彼女は必要としていた。

 だから造ったのだ、造り出した事すら気が付かない程無意識に――。

「こんな嬉しい事はないじゃないか、ボクは望まれて生まれたんだ、君子はボクを誰よりも何よりも必要としてくれている、それに本物も偽物もない」

 時子は嬉しそうに微笑んで言った。

 彼女にとって偽物も本物もない、ただ君子に必要とされているという事が問題なのだ。

「それに君達だって自分達を造った神様を信仰しているじゃないか、それとなにも変わらない、ボクにとっては君子が妹であり最愛の人であり――そして神なだけだよ」

 同じなどではない。

 君子はどこにでもいる普通の少女で、凡人。

 それがこのベルカリュースという世界を造った、全能なる万物の創造神と同じ訳がない。

 『設計者(デザイナー)』という特殊技能(スキル)で造られた時子は、やはり人とは違う。

「そう言っている割に、真実を知った私を始末しようとしているという事は、本当は偽物だとキーコに知られるのが怖いのではないですか?」

 君子に望まれ必要とされているだけで充分ならば、真実を打ち明けられても平気なはず。

 しかし彼女は、姉でないと知ったヴィルムを始末しようとしている、これは明らかに彼女は自身が偽物であると知られるのを恐れているという事だ。

「……っ!」

 時子はヴィルムを睨みつけると、彼の傷口を踏みつけた。

「ぐああああっ!」

 わざと傷口を広げるように踏みつけて、出血させている。

 やはり君子に偽物だと知られるのは困る様だ。

「……どうやらお前は、苦しんで死にたいようだね」

 時子は冷めた目でヴィルムを見おろすと、剣を収めた。

「一思いにとどめを刺してやろうと思ったけど……、お前はこのまま死への恐怖を味わえ、そして後悔して死ね」

 時子はそう言い残すと、ヴィルムに背を向けて外へと出て行く。

 そしてノブに手をかけると、彼女は意地悪な笑みを浮かべて――ドアを閉めた。







 一人残されたヴィルムは、とにかく思考を巡らせた。

(まずい……、ギルベルト様に伝えなければ……)

 時子は偽物の人間で危険な存在だ、ギルベルト達に伝えて君子から彼女を引き離さなければ、どんな事をするか解らない。

 だが砦に戻りたくとも、この怪我では立ち上がる事もままならない。

しかしヴィルムは治癒系の魔法は使えないし、回復薬を持っていない。

(駄目だ、思考を止めるな! どうすれば生き延びられるかを考え続けるんだ)

 ヴィルムは、体の奥底にある特殊技能(スキル)のスイッチをいれる。

 『思案者』の効果によって、ヴィルムの思考は常人の数倍のスピードに跳ね上がる。

(回復の……手立てがないならば、待つしかない)

 這いつくばって移動するにも砦は遠すぎる。

 移動すればその分出血が増えて死ぬ、ならば誰かが見つけてくれるまで待つしかない。

 ヴィルムは傷口に手を当てると、体中の冷気を収束させて、血を凍らせる。

(出血は止まった……、だが流した血が多すぎた)

 ヴィルムが砦に戻らなければ、誰かが心配して探しに来てくれるだろうが、ここを見つけてくれるかは分からない。

 これは賭けだ、ヴィルムの全ての運をつぎ込んだ、一世一代の賭け。

 なるべく動かず余計なエネルギーを消費しないようにして、呼吸も深くゆっくりする。

 消えかかりそうな意識をどうにか保ちながら、ヴィルムは待った。

(……ギルベルト様、どうか無事でいて下さい)







************************************************************






「……あの女が、あの黒い靄の人形だというのか?」

 驚くべき真実を告げられて、冷静なアルバートも驚いていた。

 あのときの人形はそこそこの知性はあったが、人と呼ぶには程遠かった。

 時子は普通の少女といって問題ない、到底信じられない。

 しかしこんな状況でヴィルムが嘘をつくわけがない、つまりこれは間違えなく真実。

「砦に泥だらけで帰って来たのは、ヴィルムの血の匂いを誤魔化すためだったのか……」

 彼女がぬかるみで転ぶなど可笑しいと思ったのだ。

 本当はヴィルムを殺害しようとした事を誤魔化す為に、わざと泥を塗ったのだ。

「くそっ、あのクソ女ぁ!」

 ギルベルトは、急いで二階へと向かう。 

 急いで君子を時子から引き離さなければ――そう思って階段を駆け上がり、廊下を走り抜ける。

「キーコぉっ!」

 ドアを蹴りやぶって部屋へと侵入したが、そこには君子どころか時子もいない。

 無人の部屋で、真っ白なカーテンが夜風に揺れているだけだった。

 最後に君子を見てから、あまり時間は経っていない。

 風上から微かに君子の匂いがする、まだ遠くに行ったわけではない。

「くそぉ……」

 ギルベルトは歯ぎしりをすると、急いで追いかける。

 大切な君子を取り戻す為に――。







************************************************************







 東の空が徐々に白み始めるのを、君子は時子に抱かれながら見ていた。

 より正確に言うと――空を飛びながら、それを見つめていた。

「怖くないかい、君子」

 時子が履いているのは、君子が特殊技能(スキル)でつくったタラリア。

 彼女の魔力はA+、最高ランクの魔力量なら君子を抱えたまま飛行するなど造作もない。

「うん……、お姉ちゃんがいるから、怖くないよ」

 もうすぐ夜が明ける。

 太陽が昇って来たら、一体姉とどこまで行けるんだろう。

「お姉ちゃん……、どこまで行くの?」

「ここじゃない、君子が幸せになれる場所さ」

「……そんな所、この世界にあるのかな?」

 不安そうに俯く君子に、時子は優しい笑みを向ける。

「なら……君子の生まれた世界に帰ろう」

「えっ?」

「この世界じゃ駄目なら、君子の生まれた世界に戻ればいいんだよ、ボクと一緒に」

「……うん、うんっ! そうだよね、お姉ちゃん!」

 簡単な事なのだ、この世界は初めから君子のいるべき世界じゃない。

 だったら、生まれた世界に戻ればいいのだ。

 君子は時子に強くしがみ付いた、もう何の不安も恐怖もない、彼女とならどこへでも行けるから――。

「……っ!」

 しかし、時子は突然止まってしまった、そして怖い顔をして後方を振り返る。

 どうして止まったのか分からない君子が、恐る恐る尋ねようとした時――。





「キーコォォォォォォっ!」





 それは、灰色の鱗のワイバーンに乗ったギルベルトだった。

 その後ろにはアルバートも乗っていて、どうやらムローラのワイバーンで追いかけているようだ。

「……おっ、お姉ちゃん、どうしよう」

 時子の全力の魔力を注げば、ワイバーンと同じくらいのスピードは出せるが、魔力は限りがあり、そんな無駄遣いをすればすぐに魔力切れを起こしてしまう。

 ギルベルトから逃げる方法はただ一つしか残されていない。

「……大丈夫だよ君子、しっかり掴まってて」

 時子はそう言うと、移動しながら降下を始める。

 その後を、ギルベルトとアルバートもワイバーンで追いかけている。

「ちっ、逃げ切れると思ってンのか!」

「……この方向は、ドラコウェール大渓谷だぞ」

 森が終わり、ドラコウェール大渓谷の周辺は岩や砂ばかりの平地がある。

 その平地、大渓谷へ落ちるくらいギリギリの際に、時子は降りた。

 そして君子を下ろすと、腰に下げていた剣を抜いた。

「……おっ、お姉ちゃん?」

「大丈夫、ボクが必ず君子を幸せになれる所へ連れて行ってあげるからね」

 時子が微笑むと、ワイバーンが着陸した。

 そして臨戦態勢のギルベルトとアルバートが降りて来る。

 君子は怖くて時子の服をつかむのだが、ギルベルトが声を張り上げた。

「キーコぉ! ソイツから離れろぉ!」

「…………」

 時子は眉を顰めると、君子を自身の後ろへ隠そうとする。

 しかし、明らかに様子が可笑しいギルベルトを君子は戸惑いながらも見ていた。

「ヴィルムから全部聞いた、お前が何をしたのかも、お前の正体がなんであるかも」

「……しょっ、正体? お姉ちゃんはお姉ちゃんでしょ?」

 今目の前にいるのは七年前と何一つ変わらない姉。

 正体何もない、時子は時子なのに――得体のしれない恐怖が君子の心を押し潰す。

 ヴィルムが刺されたのは、時子の正体を知った為。

 時子にとって君子に偽物だと知られるのは、存在の否定――つまり死と同意。

(あの姉があの時の人形と同じものならば、キーコの意志で消せる!)

 君子の特殊技能(スキル)で造ったものは、君子の意志によって元の黒い靄に戻す事が出来る。

 偽物の姉も特殊技能(スキル)によって造られたからには、そのルールから逃れる事は出来ない。

 だから――アルバートは告げる、君子を正気に戻す為に、君子を助ける為に。

「ソレは、キーコが特殊技能(スキル)で造った姉の模造品だ」









特殊技能(スキル)……? もっ模造品?」

 君子は告げられた真実に、愕然としていた。

 今目の前にいる姉が偽物、こんなにそっくりなのに――模造品。

「そうだ、海魔(カーマ)に襲われた洞窟でキーコは想像してしまったのだろう……無意識に自分を助けてくれる存在を思い描き、そして願ってしまった」

 普通の人が、そんな事を願ってもそれはただの願望で空想のモノでしかなかった。

 しかし君子には、空想を形に出来る特殊技能(スキル)がある。

 強すぎる想像は、君子の無意識に働きかけ、造り上げてしまったのだ。

 だから製作者に造った自覚がないと言う、最悪の状態に陥ってしまったのだ。

「うっ嘘……だよ、だってお姉ちゃんは、お姉ちゃんなんだもん……」

「嘘じゃない、ソイツは真実を知ったヴィルムを殺そうとした」

「――っ、ヴぃっヴィルムさんを?」

 どうしていないのかと、変だとは思っていたがまさか時子が彼を殺害しようとしたなんて、到底信じられない。

 こんなに優しい姉が、こんなに大好きな姉が、そんな事をするなんて――。

 姉という安らぎを得て、安定していた君子の精神が再び揺れ動いていた。

 真実を告げられ動揺する彼女に、更に言葉をかければおそらく正気に戻るはずだ。

 しかし――アルバートよりも先に、口を開いたのは偽物である時子だった。

「君子」

「……おっ、お姉ちゃん、お姉ちゃんは私が造った偽物のお姉ちゃん、なの?」

 否定して欲しい、嘘って言ってくれたら君子は時子を信じていられる。

 たった一言の否定、それだけでもう後は何もいらない。

 でも――求めていた否定の言葉はやってこなかった。





「……そうだよ、君子」





 全く真逆の、肯定の言葉。

 求めていたのはそんな言葉じゃない、そんな事を言って欲しかったんじゃない。

「……そんな、お姉ちゃんじゃないの、君子のお姉ちゃんじゃないのぉ?」

 やっぱり本物の姉は、七年前に死んでしまったのだ。

 君子の中心が、特別な人がまたいなくなってしまう、その悲しみで彼女の眼から涙がこぼれだす。

 こんなに悲しくて、こんなに辛いのに、誰も否定してくれない。

 嘘だって言ってくれない、ギルベルトも皆も――だから悲しい。

 だが――悲しむ彼女の涙を拭ったのは、自身が造り出した偽物だった。

「……でも、ボクは君子のお姉ちゃんだよ」

「えっ……」

「ボクは君のお姉ちゃんだよ……、君子はボクの全てだ、君子がボクをお姉ちゃんだというのなら、ボクはお姉ちゃんだよ」

 偽物も本物もない、君子が姉だと言えば彼女は姉なのだ。

 大切なのは君子の意思、それ以外の評価など時子にとってはどうでもいい事。

「……でっでも、どうしてヴィルムさんを?」

「それは、ヴィルムさんがボクと君子を引き離そうとしたんだよ」

「えっ……ヴィルムさんが?」

「そうだよ、ボクから君子を奪おうとしたんだ……、君子はボクの全てなのに、ボクには君子しかいないのに……」

 そう言う時子の表情はどこか悲しそうだった。

 君子はそんな彼女の顔を見て、揺れ動く。

 時子に、大好きな姉にこんな風に悲しんで欲しくない。

「お姉ちゃん……」

「キーコ、耳を貸すンじゃねぇ!」

「ソイツは姉じゃない、偽物なのだぞ!」

 ギルベルトとアルバートは声を張り上げて、これ以上言葉を聞かせようにするが、時子の声は誰よりの声よりも、よく通る。

「ボクは君の完璧なお姉ちゃんだよ、君子」

 澄んだ綺麗な声は、どんな不安も恐怖も忘れさせてくれる。

 大好きな姉、君子の完璧な姉と全く同じ、違う所なんて一つもない。

 だから――どっちが正しいかなんて、これ以上考える必要なんてなかった。







「キーコ、早く離れるんだ!」

「――――どうして?」

 君子はギルベルトとアルバートの方を向くと、静かだが強い口調で言った。

「何を言っているんだキーコ、ソイツはお前の姉じゃない、偽者なのだぞ!」

「偽者なんかじゃない!」

「なっ――」

 時子は間違えなく君子が造り上げてしまった偽物なのに、彼女はそれを否定する。

「皆に何が分かるの……、お姉ちゃんを知ってるのは君子だけなのに、皆お姉ちゃんを知らない癖に、君子のお姉ちゃんを君子だけのお姉ちゃんを否定しないでぇ!」

「キっ……キーコ」

「偽者? それが何なのぉ……君子にとってお姉ちゃんはお姉ちゃんだけだもん、君子がお姉ちゃんだと思えばお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだもん……」

 君子は大きな声で、姉を否定した者達へと言い放つ。

 それがいかに――狂っていても。





「だから、このお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだよ」






 万物の創造神は、この世界のありとあらゆるものを造り出した。

 だから、ベルカリュースのありとあらゆるものは神を敬い愛している。

 しかし君子が造り出したのは、彼女が最も尊敬している存在。

 神が神を創り出してしまったら、造り出した神も造り出された神もそれぞれを敬い愛し、自分達だけで自己完結してしまう。

 時子が君子を愛し、彼女だけを見ているのと同じように――君子も時子だけを愛し、彼女しか見えなくなってしまっている。

「……コレは、ただの依存だ」

 君子は時子に依存している。

 追い詰められた彼女は、依存する存在として時子を造ってしまったのだ。

 だから他の人など信じない、信じるのは自身が造り出した時子だけ――。

「お姉ちゃんは君子を幸せにしてくれるって言ったんだもん、お姉ちゃんは裏切ったりなんかしない、お姉ちゃんがいればもう後は何もいらない! 私はお姉ちゃんと一緒に行く、それで今度こそちゃんと幸せになるんだもん、だから邪魔しないでよぉ!」

 姉との逃避行を邪魔するギルベルトとアルバートを、敵意のこもった眼で睨みつける。

 もう二人も君子と時子を引き裂く、敵にしか見えていないのだろう。

「……君子、君の幸せの邪魔をする奴を、薙ぎ払ってくるから」

 時子は、自身を受け入れてくれた君子へほほ笑むと、抜き身の剣を持ったままギルベルトとアルバートへと近付いてくる。

「くっ……魔王の次は、化物との闘いか……」

 姉が偽物だと言えば、製作者である君子が時子を消すと思ったのだが、当てが外れた。

 あの時子は、君子が自身の記憶と願望を込めて造ったもの。

 君子から生まれた彼女は、君子がどうして欲しいのか何よりも理解している。

 君子になんと言えば言いくるめられるか熟知しているのだろう。

「まずいぞ、我々はジャロードの戦闘でかなり疲弊しているが、奴は怪我どころか魔力もほとんど残っている……」

 ジャロードとの闘いの時、時子は君子につき添っていて戦っていない。

 先ほどタラリアで魔力を消費しただろうが、A+という最高ランクの魔力量を持つ彼女にとって、この程度の消費は何の問題もないだろう。

 しかしギルベルトとアルバートは回復したといえども、到底戦える状態ではない。

「長期戦になればこっちが不利だ、一気に仕留めるぞギルベルト!」

「うっせぇ、仕切るんじゃねぇアルバートぉ!」

 ギルベルトはグラムを構えると、時子に向かって走った。

 時子は君子の刻印(ネーム)の範囲を消す為に特殊技能(スキル)を使い、まだインターバルが終わっていないはずだ。

 つまりあの反則的な特殊技能(スキル)が使えない今は弱体化した状態。

 叩くなら今――ギルベルトは、渾身の力を込めて時子へグラムを振り下ろす。

「――くっ!」

 時子はその斬撃を剣で受け止めた。

 細身の彼女よりもギルベルトの方が、普段なら純粋な力は勝っている。

 やはりジャロードとの戦闘で血を流しすぎたのがまずかった、上手く力が出ない。

「どうしたっ、ちゃんと踏ん張れよぉっ!」

 時子はグラムをいなすと、ギルベルトに向かって突きを放つ。

 高速の一撃に何とか反応し避けるが、時子は更に突きを放ち続ける。

「うっ、くっ!」

 避け、グラムで防ぐが、攻撃を与える隙が無い。

 完全に攻守が入れ替わったギルベルトを、時子は嗤う。

「お前はその程度の実力なんじゃないか! その程度で君子の隣にいられると思うな!」

 手が痺れるギルベルトと違って、時子の放つ一撃にはどんどん力が込められる。

 それはまるで君子を思うが故の怒りと、比例しているようだった。

「どうして、ボクが生まれたと思う」

「知るか、そンなもン!」

 鍔迫り合いに持ち込み、体を近づけ更に言葉を続ける。

「君子はお前を信じていたのに裏切られたのが悲しかったんだ、お前は君子の期待に応えられなかった!」

「……ぐっ」

「だから君子はボクを生んでくれたんだ、ボクを隣にいる人間として選んでくれたんだ!」

 時子は更に力を込めて、ギルベルトを押す。

 君子の信頼を力に変え、彼女の幸福を邪魔する者を一掃する。

「そういう意味では、君はボクが生まれるきっかけを造ってくれたと言ってもいいだろう、君が無能でなければ君子はボクを必要としてくれなかったなんだからねっ!」

 船の中で、君子が戦争について尋ねた時、もしギルベルトが何か答えていれば、状況は全く変わったものになっただろう。

 憎い相手ではあるが、時子としては創造主ではないにしても、そのきっかけを造った生みの親の一人言える。

「――黙りやがれぇぇっ」

 ギルベルトは怒号を上げると、同時に闘気(オーラ)を纏う。

 彼や周辺の景色が揺らぎ、見えない力によって時子は吹き飛ばされる。

「くっ――闘気(オーラ)か」

 闘気(オーラ)は攻撃も出来るが、身に纏えばその辺の鎧よりも頑丈な守りとなる。

 だが、ギルベルトは既に満身創痍で、闘気(オーラ)の扱いだって慣れてはいない。

 ここは、覚えたばかりの闘気(オーラ)の技で仕留める。

 ギルベルトが左手に闘気(オーラ)を収束させようとした瞬間――。

「暴風は吹き乱れ、我が敵を斬り刻む」

 時子は左手を向けると、緑色の魔法陣を展開する。

「なっ――」

 ギルベルトは即座に反応しようとしたが、時子の方が圧倒的に速く魔法を放った。




「緑魔法『暴風斬破(サイクロン)』」




 放たれた強風はギルベルトの未熟な闘気(オーラ)を穿ち、彼を吹き飛ばした。

 小さな風の刃が彼の体を切り裂く。

「うぐああああああっ――」

 時子が使ったのは、ジャロードの使った四型魔法。

 ギルベルトの闘気(オーラ)は未熟で、四型魔法は防ぐ事が出来ない。

 彼女が魔法を見ただけ魔法を覚えるのは解っていたが、まさか四型魔法まで使いこなすとは思わなかった。

「……うん、やっぱり初めてだと思ったより威力が出ないや」

 十分すぎる威力だというのに、これ以上の一撃を出せる、世の魔法使いが聞いたら即死してしまいそうだ。

「……特殊技能(スキル)なしで、この力量とはな」

 同じオールAランカーのアルバートも、時子の実力は認めなければなるまい。

 ジャロードは魔法主体で、君子を人質にさえ取られなければ接近戦に持ち込めば勝てた。

 しかし時子は剣技も魔法も共に最強といえる実力を持っている。

 分かっていた事だが、手負いの状態では流石にアルバート一人では勝てないだろう。

「ぐっ……」

 アルバートは歯ぎしりをすると、視線を時子からギルベルトへと移す。

 吹き飛ばされ怪我を負ってはいるものの、致命傷ではない。

 再び時子と戦おうと立ち上がろうとするが、今のギルベルトでははっきり言って戦力にはならないだろう。

「…………」

 アルバートは、無言でギルベルトを見るだけで助けようとはしない。

 立ち上がろうとしていた彼は限界が来たのか、倒れたまま動かなくなった。

「弟を庇ってあげないんだ、酷いお兄さんだね」

「あの馬鹿を弟と思った事はない、勝手に突っ込んでやられたのだ、私には関係ない」

 アルバートは雷切を構えると、その刀身に向かって雷魔法を放ちなまくらを名刀にする。

「それは随分と荒んだ兄弟関係だね!」

 時子は左手を向けると、赤い魔法陣を展開する。

「赤魔法『火炎矢(ファイアアロー)』」

 炎が矢となり、アルバートへと迫る。

 しかし、三型魔法程度ならば彼は見切れる、特殊技能(スキル)によって矢は体をすり抜けた。

「ちっ」

「付け焼刃の魔法で、私に勝てると思うな!」

 アルバートは特殊技能(スキル)で魔法を避けながら、時子へと接近する。

 魔法では決め手に欠ける、時子は剣の柄を握ると迫りくる彼へとその切っ先を振るう。

「はああっ!」

「たああっ!」

 噛み合う刃と刃。

 雷切の電流がバチバチと弾け、その衝突の強さを物語る。

 時子の一撃をアルバートがいなし、アルバートの一撃を時子が防ぐ。

 夜明け間際、薄暗い夜の中に雷切の電流の光と、火花が煌く。

「だあああああああっ!」

 時子は渾身の突きを放つ。

 だがアルバートに見切られており、特殊技能(スキル)によって回避される。

「ちっ――」

 時子がすぐさま二撃目を放とうとしたのだが、それよりも早くアルバートが左手を向けていた。

「雷霆は走り、我が敵を撃ち抜く」

 紫色の魔法陣が展開されて、一段と輝く。

「お姉ちゃんっ!」

 姉の危機を見て、君子は思わず叫ぶ。

 ほぼゼロ距離から放たれようとしている雷魔法、時子はソレを理解して、すぐさま足に魔力を込めた。

「紫魔法『雷霆撃破(ライトニング)』」

 雷が放たれたその瞬間、時子の靴――タラリアが光る。

 魔力が込められたタラリアから、ガラス細工の様な羽根が生えて時子の体が宙へと浮く。





 飛び上がった時子の足元すれすれを、雷が通過していった。





「くっ――」

 決めの一撃を外して悔しそうに顔を顰めたアルバート。

 飛び上がった時子は、バランスを崩しながら地面に着地した。

「…………面倒な特殊技能(スキル)だ」

 時子の履いていたタラリアが、火花を散らしながら壊れた。

 雷は体には当たらなかったが、タラリアをかすめたのだろう。

 君子が造ってくれたものを壊されて、時子は明らかに怒っている。

 アルバートの特殊技能(スキル)は正直かなり厄介だ。

 剣技と魔法も確かにすごいが、何よりも特殊技能(スキル)が彼を最強たらしめている。

 ギルベルトは大した事ないが、やはりアルバートは同じオールAランカーとして持てる全てを使って叩き潰す必要がある。

「…………これ以上、君子に失態は見せられないな」

 時子が求められているのは、あくまでも完璧。

 敵がいかに強かろうと、時子が君子の前で敗北する事はあってはならないのだ。

 最愛の妹にして創造主の顔を見ると、時子は右手の剣を構える。

「負けて無様な姿を晒せ、模造品が!」

 アルバートは一気に勝負を決める為に、雷切を振りかぶりながら時子へと走る。

 すると、時子は彼に向かって左手を向け、詠唱を始めた。

「暴風は吹き」

 四型風魔法。

 確かに強力な一撃だが、今アルバートは魔法が放たれた所で回避できる自信があった。

「雷霆は走る、我が敵を討ち抜き、斬り刻まん」





 しかし現れた魔法陣は、緑に紫を足した様な色をしていた。






 複数の術式を組み合わせ一つの術式にする魔法。

 魔法使いの中でもほんの一握りの存在しか使えないという、英知の結晶。

 時子は見て覚えたジャロードの四型風魔法とアルバートの四型雷魔法を、この土壇場で組み合わせようとしているのだ。

 どんな一流の魔法使いでも首を吊りたくなるような事をしようとしているが――、アルバートには特殊技能(スキル)『絶対回避』がある。

 どんな魔法が来ようとも、それが見えていれば避けられる。

 だが――。

 時子は構えていた剣を捨て、アルバートへと右手を向けた。

 それを見て彼女が何をしようとしているのか、分かった。

「まさか――」

 君子と砦を出て、かなりの時間が経った。

 だからもう終わったのだ、終わっていたのだ――インターバルが。

 時子は口元に笑みを浮かべると、アルバートの面倒な特殊技能(スキル)を無効化する為に、拳を握り始める。

 だがアルバートは――絶体絶命な状況だというのに、時子よりも勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 なぜ、こんな状況だというのにそんな顔が出来るのか――、時子には分からなかった。




 その瞬間、握ろうとしていた時子の右手が切断される。





「えっ――」

 それは、一瞬の出来事。

 アルバートは眼の前にいる、なら一体誰が――時子の眼に映ったのは、グラムを振り下ろしている、倒れた筈のギルベルトだった。






***********************************************************






 ギルベルトが四型風魔法で吹き飛ばされた時。

 何とか時子を倒そうと、傷ついた体で立ち上がろうとするギルベルト。

 そんな彼の頭の中に――声が響く。

『(ギルベルト、お前はそこで倒れていろ)』

 アルバートの声、念話である。

 誰よりもギルベルトを嫌っているアルバートが、念話をするなんて珍しさを通り越して気持ちが悪い。

『(うっせぇ……、あいつは俺がぶっ倒すンだ……てめぇに指図されるか)』

『(落ち着け馬鹿者、あの化物はおそらくお前や私では倒せない)』

 現状を考えて、時子が圧倒的有利。

 一旦引いて体力を回復させたい所だが、そんな事をしていれば君子は連れて行かれてしまう。

 だがここは、どんな事をしてでも勝たなければならないのだ、たとえそれがプライドに反する事だとしても――。

『(悔しいが個人で戦っても倒せん……、だから協力するのだ)』

『(……協力ぅ?)』

『(お前はそこで倒れてやられたフリをしろ、そして私が奴と戦っている時に、奴の不意打ちを狙え)』

 つまりアルバートが囮になるという事だ。

 この一〇〇年彼と一緒にいるが、自分からそんな事を言うなど天変地異の前触れだ。

『(奴は必ず私と戦っている時に特殊技能を使おうとするはずだ、そこを狙え! 奴は「完璧(パーフェクト)」に頼り切っている)』

 強い特殊技能(スキル)を持つ者同士、なんとなく考える事は分かる。

 時子に勝つには、アルバートとギルベルト二人で力を合わせなければならない。

 それはギルベルトも分かっている、だから起き上がるのを止めて気を失ったフリをした。

 時子の隙を狙う為に――。






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 時子は自分の右手が地面に落ちるのを見ていた。

 それがどうして起こった事なのか理解するよりも、君子が造ってくれた自分の右手が、大切な右手が傷ついた事の動揺の方が激しかった。

 時子の傷口から溢れ出て来たのは血ではなく――黒い靄。

 あの人形と同じ黒い靄が、まるで血液の様にあふれ出ていた。

「えっ――」

 だから――ギルベルトへの反応が遅れた。

「うるあああああっ!」

 怒号を上げて迫るギルベルト、時子はとっさに魔法を放った。

 風と雷が放たれるが、魔法陣よりも前にいるギルベルトには当たらない。

 迎撃したくても、左手は魔法を撃っていて、右手は斬り落とされてしまった。

 だからもう――どうする事も出来なかった。

 



 ギルベルトは時子へと体当たりした。




 スピードを力に変えて、渾身のタックルを放った。

 普通ならどうという事はないのだろうが、時子の後ろにはヴェルハルガルド最大の底なしの谷――ドラコウェール大渓谷。

 吹っ飛ばされた時子の足元には、もう足場がなかった。

「――――お姉ちゃんっ!」

 眼を見開き、驚愕しながら駆け寄って来ようとする君子。

「きみ……こ」

 無くなった右手を君子へと伸ばすが、もう届かなかった。

 






「お姉ちゃぁぁぁぁぁんっ!」

 君子はすぐに駆け寄る、しかし姉は谷へ落ちる。

 七年前、姉を失ったあの時の気持ちが湧き上がる。

 駄目だ、もう姉を失いたくない、中心を失いたくない――だから君子も後を追う。

「お姉ちゃ――っ!」

 しかし、崖から飛び降りようとした君子をギルベルトが押さえつけた。

「離して、離してぇ、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがぁ!」

 ボロボロなのにその力は強くて、凡人の君子では振り払えない。

 もうどうする事も出来ない。

 真っ暗な谷へ吸い込まれて、闇に溶けた姉の姿を、君子はただ見ているだけ。

「いやっ……いやぁ、お姉ちゃあああああああああああああああああああああああん」

 君子の悲しい絶叫が――大渓谷へと響き渡った。





***********************************************************




「……終わったか」

 アルバートは、溜め息をついた。

 時子がとっさに放ったあの複合魔法は、特殊技能(スキル)で避けた、避けた筈なのに――。

「避け切れなかった……」

 腕にかすり傷が出来ており、血が出ていた。

 あの時、あの魔法は不完全な形での発動だった。

 しかしそれでもアルバートが見切れないほど、早く強力な魔法だった。

「すさまじい威力だな」

 振り返ると、森の木々がなぎ倒されて、地面が大きく削られている。

 地形も変えるほどの威力は、六型に匹敵する。

 四型魔法二種類の複合魔法、話には聞いていたがこれほどの威力とは、もう何を驚けばいいのか分からない。

「…………」

 落ちていた時子の右手へと目をやると、黒い靄となって消えていった。

 まるでそれは、時子という存在が初めからいなかったかのように、跡形もなく消えてしまった。

 アルバートは強い光を感じて、横を向く。

 東の空から、ちょうど太陽が昇って来ていたのだ。



 それは、あまりにも長い夜が明けた瞬間だった。




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