第七二話 魔王の散り様
ドレファス・コルダン領。
フォルガ砦の周辺では、ルールアとフェルクスが歩き回っていた。
とっくに深夜で、森の野生動物や妖獣なども寝静まっているのだが、二人は松明を持って周囲を散策している。
「……なぁ~、まだ歩くのかよぉ」
普段なら眠っている時間、フェルクスは大きな欠伸をして、眠そうに目をこすっている。
「あったりまえでしょう! だってヴィルムさんがいなくなっちゃったのよぉ!」
ヴィルムは頭がいいし出来る男だ。
こんな緊急事態に、ギルベルトやアルバートがいる砦に戻ってこないなんて可笑しい。
「妖獣にやられたんじゃ……、でもヴィルムさんは強いから簡単にやられないはずよぉ……あああっまっまさか病気になっちゃったんじゃああああ」
「ビビッて逃げたんじゃねーのぉ?」
「ヴィルムさんが逃げる訳ないでしょう! あんたじゃあるまいし!」
大好きなヴィルムの失踪と聞いては、恋する乙女ルールアが黙っていられない。
しかし自身の特殊技能『広域察知』では、生物の反応を感じる事は出来ても、それがヴィルムのものかどうか解らず、手掛かりはゼロだ。
「んっ……あっ! ルールア、ルールアぁ見てみろよぉ!」
「えっなになにヴィルムさん見つかったのぉ!」
慌ててフェルクスに近づくルールア。
「見ろよぉ、でっけぇカブトムシぃ!」
フェルクスはそう言って少年の様な目で、カブトムシを見せて来た。
今はこんなバカな事をしている場合ではないのに、一瞬でも感心した自分が愚かだった。
「このぉ……馬鹿ぁぁっ!」
ルールアはフェルクスの馬鹿に後ろ回し蹴りを食らわせた。
ハーピーの脚で放たれる一撃は、えげつない。
タフな炎の魔人といえども耐えられるわけがなく、フェルクスは木々を何本もなぎ倒しながらぶっ飛んでいった。
「この馬鹿、ど馬鹿、大馬鹿野郎ぉ! ヴィルムさんを探してるのよ真面目にやんなさい!」
頭から湯気が出るくらい怒るルールア。
しかし幾ら経ってもフェルクスが戻って来ない、流石にやりすぎたかと反省しながら飛んでいった彼を探す。
「フェルクス~、だっ大丈夫?」
まさか死んでいるのではと、本気で心配し始めた時――ぼろぼろで今にも倒壊しそうな廃屋を見つけた。
「こんな所に廃屋があるなんて……」
「ふ~ふぅふぁ! ふぅ~ふぅふぁ!」
その廃屋にフェルクスの頭がめり込んでいた。
足をばたつかせて助けを求める彼はいつにも増して間抜けだ。
「も~、なんでそんな事になるのよぉ!」
ルールアは、足でフェルクスの腹を掴むと引っ張る。
随分深く突き刺さっていたようで、何度か引っ張ってようやく抜けた。
「もう……こんな所で時間を潰している場合じゃないのよ、早くヴィルムさんを探さないといけないのに」
フェルクスなど放っておいて、ヴィルムを探しに行こうと歩き出す。
しかしそんなルールアを引き留めたのは、どこからともなく聞こえる苦しそうな息遣いだった。
「……えっ、誰の声?」
ハーピーであるルールアは耳が良い、普通の人ならまず聞こえないであろう苦しそうな息遣いを聞き取ることが出来た。
フェルクスが口の中に入った葉っぱと小枝を吐き出すと、慌てた様子で言う。
「ぶへっぶへっ、あっおいルールア! 中、中にいたぁ!」
「中にいたぁ? 何よ……またカブトムシじゃないでしょうね!」
ルールアは呆れた様子で、フェルクスが開けた穴を覗き込む。
「――っ、ヴィっヴィルムさん!」
廃屋の中で、ヴィルムが血を流して倒れていた。
ルールアは急いでドアの方に回ると、蹴破ってヴィルムの下へと向かう。
「ヴィルムさんっ! なっなんで、あっわああああ血、血があああああっ!」
「ル、ルア……」
「血っ血を、血を止めないと……あっこれ」
腹部の傷を見ると、血が凍っていた。
傷の割に、出血量が少ないのは血の氷で傷口を塞いでいたからだ。
もしこの処置がなかったら、ヴィルムは確実に死んでいるだろう。
「……フェルクス早く回復薬を!」
「おっおうっ」
持っていた回復薬を飲ませるが、この怪我は上位回復薬でないと完全に治せない。
早くちゃんとした医者に見せなければ、本当に危険だ。
「いっ急いで医者の所へ行かなくちゃ、ヴィルムさんが死んじゃうぅぅ!」
「る、あ……、医者よりも、ギル……ベルトさまの、とこ、ろへ」
「なっ何言ってるんですか! まだ完全に治ってないんですよ、バカ王子のとこよりも医者の所へ行かなくちゃ!」
顔色がかなり悪いのにヴィルムはギルベルトの元へ行こうとしている。
しかし彼がいるのは、ヴェルハルガルドのジャロードの所。
どこにいるか分からないし、ワイバーンはなく、徒歩でしか移動方法がない。
怪我人のヴィルムを連れて行くのは、あまりにも無謀な事だった。
「ギルベルトさ、まに……、つたえ……なけ、ば……」
苦しそうな息遣いに、弱弱しい声。
見ているだけでルールアも死んでしまいそうなくらい苦しくなる。
何もできない彼女に代わって、フェルクスが動いた。
「おら、ちゃんと掴まってろよヴィルム」
そう言って乱暴にヴィルムを背負った。
本来は氷の魔人と炎の魔人は反対の性質上、むやみやたらに触らない。
ルールアもフェルクスがヴィルムに殴り掛かる以外で触れるのを、初めて見た。
「フェルクス、あんた何やってるのよ! ヴィルムさんこんな怪我をしてるのよ!」
「うわっつっめてぇぇ! やべぇ凍え死ぬぅ!」
血を流しすぎたせいでいつも以上に体温が低いヴィルムは、炎の魔人であるフェルクスにとっては、氷塊を裸で持つのと同じくらい冷たいだろう。
しかし彼は絶対にヴィルムを離そうとはしない、普段はアレほど目の敵にしているというのに――。
「なんだか知らねぇけど、ヴィルムがこんなになってまであの馬鹿に言いてぇ事があんだろう?」
確かにヴィルムがどうして怪我を負っているのかは分からないが、こんな怪我を負っていても伝えようとするというのは、とても重要な事に違いない。
ヴィルムだって馬鹿じゃない、彼がここまでする理由がある筈だ。
錯乱していたとはいえども、馬鹿なフェルクスにそんな事を言われるとは、ルールアは軍人の癖に取り乱してしまった事を深く反省した。
「とりあえず、西に行けばいいんだよな! そしたらどっかにアルバート様と馬鹿がいんだろう!」
軽く言っているが、ヴェルハルガルドまでどれだけの距離がある事か、全力で走っても夜明け前に着くかは微妙だ。
しかし馬鹿はそんな事も分からないのか、走り出す。
「おっしゃいっくぞ~~~」
「てっちょっとぉ、そっちは東よぉ!」
あらぬ方向へと走っていくフェルクスを、ルールアは全力で追いかけた。
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ヴェルハルガルド・ジャロードの隠れ砦。
Aランカーのギルベルト、オールAランカーのアルバート、そして魔王のフォルドが、ジャロードの姑息な手によって、倒されてしまった。
「そんな……三人がかりでも倒せないなんて」
ジャロードを完全に侮っていた。
彼は知略に謀略、様々な策を巡らせる事によって魔王になった男で、実際獣人としての腕力はあるもののそれを使って戦うほど技術はなく、唯一得意な魔法も三型魔法が中心で、使えれば一流と呼ばれる四型魔法は、先ほどフォルドに使った一種類しか使えない。
まさに策略の魔王と呼ぶにふさわしい男なのだ。
「フッフハハハ、次は誰から死ぬ? 貴様かムローラ?」
「うっ……」
魔王の気迫がひしひしと伝わってくる、補佐官でたいして強くないムローラには彼と戦う技量などない。
それを感じ取ったのか、今まで君子の手を握っていた時子が立ち上がる。
「……ボクが戦うよ」
「むっ無茶だよ! ジャロードはキーコちゃんと命を共有しているんだ、奴のダメージは全部彼女も負う、こんな不利な状況で戦えるわけないじゃないかぁ!」
もう既に三人も彼の姑息な手で倒されてしまったのだ。
このまま時子とムローラまでやられてしまえば、もう君子の呪いを解ける者がいなくなり、誰もジャロードを倒せなくなる。
それだけは、絶対に避けなければならない。
「もうっ……もう誰も勝てっこない! 魔王の暗殺なんて出来っこなかったんだぁ!」
ムローラは涙目にで嘆く、こんな状況では誰も勝てる訳がない。
心まで、完膚なきまでに叩きのめされた。
「諦めるンじゃねぇ、このクソヒョロ補佐官!」
それは、とてもよく通る声。
体の芯から人の精神を揺さぶるような、不思議な力を持った声。
だが、そんな力強い言葉を放ったのは――あまりにも脆く傷ついた者。
「ギルベルト王子殿下……」
風魔法でやられて、体中から血を流しているというのに、ギルベルトは立ち上がった。
「いいから、てめぇは呪いを解け……休みやがったらぶン殴るぞ!」
「でっでも……王子殿下ぁ」
なぜこんなにも絶望的な状態だというのに諦めないのだ。
普通だったら心が折れるはずなのに――。
「てめぇはぜってぇ許さねぇ……、ぜってぇにだぁ!」
「フハハッ、許さない? そんな体でどうすると言うのだギルベルト=ヴィンツェンツ」
魔王の中で最弱と呼ばれるジャロードでも、満身創痍の彼らに負けるほど落ちぶれてはいない。
絶体絶命な状況だというのに、ギルベルトはあきらめない。
「怪我なンて関係ねぇ……俺はキーコを傷つけたおめぇを許さねぇ、だからてめぇをぶっ殺すまでぜってぇ諦めねぇ!」
全身の力を振り絞って、ギルベルトはグラムを構えた。
いつ倒れてもおかしくないというのに、彼は魔王も身震いする圧を放っている。
「俺は、ぜってぇに諦めねぇぞぉぉっ!」
それはさながら獣の遠吠え。
しかしその諦めの悪さは、なぜか見ていて小気味が良い。
だからなのか――張り合いたくなる。
「全く……静かに戦えぬのか、うるさい奴だ」
すると――アルバートも起き上がった。
酷い熱傷を負っているというのに、彼もまた立ち上がる。
「あっ、アルバート王子殿下ぁぁっ!」
「ムローラ、泣き喚く暇があるなら手を動かせ、誰もお前の喚き声など聞きたくない」
先ほどから呪いを解く手が止まっていたムローラを叱ると、アルバートは雷切を構えた。
彼もまた立っているのがやっとだというのに、ジャロードと戦おうとしている。
どこをどう見ても、勝算なんて一つもないのに――それでも彼らは戦う。
「フハハッ、呆れて言えぬわ! ならばどこまで諦めずに立ち上がれるか、勝負と参りましょうぞ!」
そう言って、ジャロードは赤い魔法陣をギルベルトとアルバートに向かって展開する。
既に満身創痍の二人だが、気力と怒りを力にジャロードへ向かって走った。
炎の矢が魔法陣から放たれ、更に怪我を負うがソレでも絶対に諦めない。
「なんで、あんなに……」
「あいつ等の言う通りだよムローラさん、早く呪いを解くんだ」
「でっでも……」
「分からないのかい、あいつらは君子を人質に取られていなければ、あの魔王になんて絶対に負けない力を持ってるんだ」
確かにジャロードは開戦直後にギルベルトから一撃を受けている。
君子を人質にさえとられていなければ、今頃状況はもっと変わっていたはずだ。
「この呪いだけが、奴を守っている最大の盾なんだ、ボクの特殊技能が使えない今、皆を助けられるのは貴方だけなんだよムローラさん!」
呪いさえ解ければ、戦局は大きく変わるはずだ。
それが出来るのはムローラただ一人、この勝敗は全て彼に託されているのだ。
「……わっ分かった」
ムローラはそう言って、手を動かし始める。
君子に施されている文字の羅列を、一つずつピンセットの様な道具を使って、摘み取っていく、君子から離された術式は、空気中に溶けて消える。
呪いの解除が難しいと言われる所以は、この文字――術式が複雑に絡み合っていて、まるでいくつもの糸をこすり合わせて捩ったように結び目が分からなくなっているからだ。
その術式を順番通り消していかなければ、最後の結びをほどけない為、正確な分析能力と豊富な呪いの知識と器用な手先が必要になる。
「……コレは、ここにかかってて、こっちがあっちにかかってて……」
特殊技能との相性と彼自身の集中力によって、ムローラはどんどん呪いをほどいていく。
それは並みの魔法使いなら卒倒しそうなスピードだった。
「……すごいな」
時子もその速さには舌を巻く、みるみる内に文字は無くなり、ジャロードと直接触れた右手の術式だけになった。
これを摘み取れば、呪いは解けるのだが――ムローラの手が止まる。
「ムローラさん、何をやってるんだあとはこれだけだろう、早く特殊技能を解かないと、あの王子達がやられてしまう!」
時子が声を荒げたが、ムローラはそれを解かない。
そしてとても動揺した様子で、どうにか言葉をひねり出す。
「……解けない」
「えっ……?」
「この呪いはジャロード本人にも解けない、一回きりの捨て身の呪いなんだ……だからこの呪いには、呪解という概念が存在しないんだ」
呪詛はかけた術師が解けるように普通はなっているが、君子とジャロードの命を繋げているのは特殊技能『共有』、呪いに近いとは言え、これは呪いではない。
だからかけた本人も解けない場合だってある、本人が解けないものはムローラにも解けない。
ジャロードは、それほどの決意を持ってこの特殊技能を発動させたのだ。
「そんな……それじゃあ」
はじめからこの呪いを解くのは、時子の特殊技能以外ありえなかったのだ。
戦いが始まってまだ一〇分程度しかたっていない、六型の妨害魔法を消したインターバルはまだ終わっていない。
時子はギルベルト達へと目をやる。
ギルベルトとアルバートは何とか時間を稼ぐ為に戦っているが、ジャロードを傷つける事が出来ないのでは、初めから戦いになどなっていない。
このままでは時子が特殊技能を使う前に、全滅してしまう。
「解けないなら何か違う方法はないのかい、例えば効果を半減するとか?」
「むっ無理だ……、でっ出来るとしたらこの術式を別人に移す事だけだ」
この特殊技能は生物と『ダメージの共有』をしている、ムローラの技術を使えばジャロードが接触していないものに移し替える事は出来る。
しかしそれはあくまでも移し替えるというものであって、ジャロードがダメージを負えば、当然その移し替えられた人物もダメージを負う事になる。
根本的な問題は、何一つとして解決していない。
「どうしたら、どうしたらいいんだ……」
どうする事も出来ないムローラは、ただ取り乱す事しかできなかった。
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「フハハッ、どうしたどうした、動きが鈍くなっておりますぞ王子殿下達ぃ!」
炎の矢を放ちながら、ジャロードは高笑いする。
「ぐあっ――」
アルバートと違い、特殊技能で回避出来ないギルベルトの負傷は危険な度合いだ。
炎の矢が間近で爆発しギルベルトを襲う。
何とか炎自体は避ける事が出来たが、高温の爆風で吹き飛ばされ、火傷を負う。
傷つき、苦しむギルベルトを見て、ジャロードは喜んでいた。
自らの完璧な計画の邪魔をしたギルベルトを葬る事が、彼の喜びとなっている。
「くっ……、まだなのか」
特殊技能で回避が出来るアルバートも、既に限界を迎えようとしている。
怪我のせいで目がかすみ、ジャロードの魔法を見切る事が難しくなって来た。
「アルバート王子殿下、まさか貴方まで私に盾つくとは、貴方はもっと賢い方だと思っていたのに」
アルバートは魔王になる為にあらゆる手段を尽くす事で有名だった、普段の彼なら魔王の暗殺などという、自身の将来の地位に影響しそうな事はしない。
不利な戦いはしない、そう言う所をジャロードは買っていたというのに――。
「貴様が私の逆鱗に触れただけの事だ、父上を裏切り、私のキーコを傷つけた……、それは貴様の死をもって償われなければならぬ!」
「…………残念だ、大人しくしていれば、恩恵を受けられたものを」
「……なに?」
それは一体どういう事か、聞き返してもジャロードは答えない。
それどころか、更に緑色の魔法陣を展開した。
「緑魔法『風刃』」
魔法陣から風の刃が射出されて、アルバートへと襲い掛かる。
特殊技能で避けようとしたのだが、目がかすんで視認する事が出来ない。
とっさに横に飛んで回避行動をとったが、風の刃は脇腹をかすった。
「ぐはっ――」
激痛が走り、着地出来ずにアルバートは床に倒れた。
かすった脇腹からは血が滲み出ていた。
「フハハっ、所詮王子とはいえこの程度、魔王である私の敵ではない」
怪我を負っていたというのに無理をしたせいで、彼らはもう戦う力どころか、起き上がる力さえ残っていない。
「……くっ、うう、諦める、も……ンかぁ」
それでも――ギルベルトは諦めていない。
もうグラムを握る力も、立ち上がる事も出来ないのに、その眼には闘志さえ宿っている。
「蛮勇もそこまでくると呆れて物が言えぬわ……」
ジャロードはギルベルトへと右手を向ける。
「そろそろドレファスに亡命をしなければならぬのでなぁ、遊びはこれくらいにしよう」
横領がバレた今、ヴェルハルガルドにはいられない。
こういう事もあろうかと、既にドレファスへの亡命の準備は整っている。
夜が明ける前に亡命しなければ、ジャロードを捕まえに軍がやって来るだろう。
「死ね、ギルベルト=ヴィンツェンツ」
ジャロードはギルベルトへと右手を向けた。
しかし――それを邪魔する者がいる。
「まてぇぇ、この犬っころめぇ!」
振り返ると、ムローラに支えられて立ち上がるフォルドの姿があった。
かろうじて小さな刃が残っているだけで、大斧とは到底呼べないものを持ちながら、ジャロードへと近付いてくる。
彼は既に四型の魔法を食らい横っ腹に穴が開いて、息も絶え絶えの状態だ。
そんなフォルドが近づいて来た所で、どうという事はない。
殺されに来るだけだ――。
「ムローラ、邪魔じゃ退け」
「うっ……うううっ」
ムローラは涙を流していた。
フォルドが死にそうだからだろうが、絶対の忠誠を誓っている彼ならば、引き止めるか傷口の治療を試みようとすると思ったのだが、どうやら違ったようだ。
「なんだフォルド、貴様まだ動けたのか、てっきりくたばったのかと思ったぞ」
「馬鹿な……この儂が、貴様のぬるい魔法で死ぬわけなかろう」
「フハハハ、それにしてはずいぶん弱っているように見受けるが?」
足元はふらつき、息は上がっている。
もはや戦う力など残っていない、そんなフォルドに負けるわけがない。
「ならばもう一度我が魔法で殺してくれるわ!」
ジャロードは、ギルベルトへと向けた右手をフォルドへと向けた。
しかし――フォルドは、ジャロードではなく倒れているギルベルトへと視線を向ける。
「……ただのワガママな王子かと思ったが、もがいてでも勝利を掴み取ろうとするその強き意志、気に入ったぞ末弟王子」
ギルベルトがワガママで暴力をふるう、手を付けられないという悪評は皆が知っていた、もちろんフォルドも。
しかし実際に会い、こうして命がかかった状況に陥って、彼の別の面を見た。
「貴様も、いずれ魔王の座につこうというのならば――しかと見届けよ」
フォルドは、そう言って折れた斧を構えた。
「魔王の散り様という物を」
「魔王の、散り様だとぉ?」
ジャロードは、フォルドの言葉を聞いてあきれた。
一体どの口がほざいているのだろうか――。
「そんな状態で私を殺せると思っているのか、どこまで馬鹿なのだ貴様は、フハハハッ!」
同じ魔王といえども今にも死にそうな者に殺されるほど、ジャロードは弱くはない。
それに何より、攻撃を受ければそれを君子も負う事になる。
生温いフォルドに、そんな事が出来る訳がない。
しかし彼は、ジャロードを無視してギルベルトとアルバートへと語る。
「魔王――すなわち将とは、強者の頂点に君臨するだけ者ではない、己の兵と己の後ろにいる者の命の責任を負う者よ」
魔王は数万の兵を動かす将軍、その頂点に立つという事は、逆にその下にいる兵達と、それによって守られるべき者達の命の責任を負わなければならない。
数千、数万の兵と兵がぶつかり合えば、当然死者が出る。
それは魔王の命令によって死んだ命であり、上に立つからにはその責任を負うのは魔王。
「戦いとは所詮血が流れ命が失われる野蛮な行為よ、それはどれほど美化しようが変わらぬ……じゃが、だからそこ己の意志、あり方に誇りを持てぇ!」
満身創痍、いつこと切れてもおかしくない状況だというのに、フォルドは言葉を紡ぐ。
己の全てを、伝える為に――。
「貴様等がどんな意志を抱いて戦うか儂は知る由もない、自身の地位の為、快楽の為、祖国の為、保身の為、憤怒の為、あるいは愛の為かもしれぬ……じゃが、己の憎悪の為に戦う事だけは、絶対にあってならぬ!」
それは、フォルドが魔王となり至った境地。
魔王となったきっかけはロザベールの仇を取る為だったが、いざその席に着いた時には憎悪は消えた、そして気が付いた。
「憎しみは新たな憎しみを生む、そんな連鎖を生むモノは命の責任者たる魔王が抱いてよい物ではない!」
それは奇しくも、敬愛するロザベールとは真逆のモノ。
しかしそれは、千年前の勇者がした行いにより、フォルド自身が見出したものだ。
だからこそ――彼は高潔な魔王でいられたのだ。
「末弟王子、そなたは魔王の器ではない、人の命に責任を持てぬそなたには意志も誇りもあるまい」
「ンだとぉ――」
言い返そうとしたギルベルトよりも早く、フォルドは口を開いた。
それは剛の魔王とは程遠い、穏やかな顔で――。
「じゃが、そなたはまだ若い、これから先の未来がある」
若い事は悪い事ではない。
それはまだこれから学ぶことがあると言うだけの事。
「もはや語る時は残されておらぬ……、あとは自分で見つけよ、そなた達にはこんな爺とは違い時間があるのじゃからなぁ」
「…………クソマッチョ、何言ってやがンだ」
「……何を言っているのだ、魔王フォルド」
言っている事の意味が分からない。
なぜこんな時にこんな事を言うのか、これではまるで――最後の別れだ。
「なんだ、何をする気だフォルド」
勝算が何一つないというのに、なぜこんなに穏やかな顔をしているだろうか。
長年彼と魔王をして来たジャロードさえも、こんな彼を初めて見る。
「ジャロード、貴様には魔王にあるべき誇りも意志もない、魔王の器たる者ではないと分かっておりながら、儂は今日まで貴様の悪行に気が付かなかった……これは儂の責任といえよう」
「はっ、誇り? 意志だとぉ? そんなものになんの意味があるのだ、将に必要なのはいかに敵を罠にはめ貶めるかを考える事だ!」
「策を巡らせるのは貴様のやり方、それには何も言うまい……、じゃが戦えぬ娘を巻き込んだ事だけは許せぬ! しかもそれを己が盾にするなど、絶対にあってはならん!」
フォルドはそう言ってジャロードへと向き直り、折れた斧を向ける。
そんなものでジャロードに勝てる訳がない、誰が見ても明らかなのにフォルドの顔に迷いはない、それはどこか悟りの境地へと至った聖人の様な、そんな感じ。
「これは――儂のケジメじゃ、ジャロードよ」
「何を言って――――っ?」
ジャロードは、ようやく気が付いた。
フォルドの右手に、さっきまでなかったはずの文字が刻まれていた。
それは彼がよく知っている、彼自身の特殊技能の産物――。
「まさか……貴様ぁ……」
全てを理解したジャロードは、声が震えてそれ以上何も言えない。
だから代わりにフォルドが口を開く。
「今、貴様が命を共有しておるのは――この儂よ」
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時は少し戻る。
「どうしたら、どうしたらいいんだ……」
取り乱すムローラを正気に戻したのは――上官の呼び声だった。
「ムローラ……」
「――っフォルド様!」
傷を庇いながら、フォルドは体を引きずってフォルドが近づいて来た。
脇腹の怪我は特に酷く、明らかに致命傷。
このままでは間違えなく出血多量で死ぬだろう。
「フォルド様、早く上位回復薬を!」
魔王は全員、上位回復薬を携帯している。
回復薬では治せないが、上位回復薬ならばこの怪我を治せるはずだ。
ムローラは急いでフォルドへ近づくと、服用を促したのだが――。
「……無理じゃ」
そう言って懐から上位回復薬の割れた小瓶を取り出した。
残っているのはほんの一滴、これではフォルドの傷を治す事が出来ない。
「さっきジャロードの魔法で、割れてしまった」
「そっ……そんな、それじゃあ……」
ムローラは治癒系の魔法を使えない、そもそも使えた所でフォルドの怪我はあまりにも重症だった。
「とりあえず、僕の回復薬を――」
懐から回復薬を取り出そうとしたムローラの手を、フォルドは掴んで止めた。
「……自分の体じゃ、自分が一番分かっておる」
回復薬程度では、フォルドの怪我を完全に治す事は出来ない。
貴重な回復の手立てを、助かる見込みがない自分に使わせる訳にはいかない。
「なっ、何言ってるんですか……、フォルド様らしくないですよぉ……」
いつもの様に豪快に笑って、無鉄砲な事をしてくれないと、ムローラだって張り合いがない。
こんなの全然フォルドらしくない。
「ムローラ、話は聞いておった……呪いを、儂に移せ」
「なっ……何言ってるんですか、それじゃあ……それじゃあフォルド様が!」
呪いを移すことは出来ても解く事は出来ない。
君子と同じように、今度はフォルドがジャロードの傷を負う事になる。
ただでさえ重傷を負っているのに、それではとても耐えられない、本当に死んでしまう。
「……だからじゃ、あの犬っころと死ぬのは、儂の様な老いぼれ一人で十分じゃ」
「……嫌だ、嫌だそんなの!」
ムローラは首を振って、フォルドの決意とこれからしようとしている事を否定する。
いつも文句を言いながらも従って来た彼とは思えない、強い拒絶だった。
「トキコちゃんの特殊技能が使える様になれば『共有』は解けるんだ、それまで待てばいいだけでしょう!」
「…………それでは、王子二人も死ぬぞ」
ジャロードと戦っているギルベルトとアルバートは、もう限界だ。
このままでは二人とも殺されてしまうだろう、時子のインターバルを待つ余裕はない。
「やるなら僕がやる! 元々僕は奴隷だったんだ、使い潰される命だったんだ、フォルド様の為になるなら本望だ!」
ムローラは奴隷だった、他人に物として扱われる事は当たり前の事だった。
それがフォルドの為になるのならば、なおさら悔いはない。
彼は自分に呪いを移植しようとしたのだが――。
「この愚か者っ! 儂はそんな事の為に貴様を傍に置いたのではないぞ!」
フォルドは、そう叱咤する。
彼は物として扱う為に、ムローラを補佐官にしたのではない。
フォルドは大きな手でムローラの頭を撫でると、小さく笑みを浮かべた。
「お前は儂の伝説を語る唯一の男、後世に儂の事を語り継ぐのじゃ」
ロザベールの事をフォルドが語ったのと同じように――、今度はムローラがフォルドの事を語り継いで欲しいのだ。
「そんな……、そんなの自分でやれよぉ……自分でいつもみたいに自慢しろよぉ」
豪快に笑って酒を浴びる様に飲みながら自慢して眠り、そしてまた笑えばいい。
ムローラの眼から涙がこぼれていた。
「……僕はあんたに感謝してたんだ、だから役に立ちたくて……奴隷だけど優しくしてくれたのが嬉しかったから……、ずっと、ずっと親父みたいに思ってたんだぁ」
こんなことをする為に、補佐官になったんじゃない。
彼の為になりたくて、補佐官になったんだ。
「……お前を奴隷などと思った事はない、筋肉はないが……お前は儂の息子じゃムローラ」
「いっ今言うなよぉ脳筋……、こんな、こんな時にぃ……」
「……儂の死を無駄にさせるでない、だから……頼むムローラ、やってくれ」
このまま死ねば、フォルドの死は無意味なものになってしまう。
いつになく切実に、怒鳴るのでなく優しく言うなんて、あまりにもずるい。
そんな風に言われたら――、もう拒絶なんてできなかった。
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「ばっ馬鹿な……、貴様正気か!」
「おうとも、頭に上った血がいくらか下がったせいか、すっきりしとるわい!」
フォルドを殺せばジャロードが死ぬ。
まさかこんな捨て身の手を打ってくるなど思っても見なかった。
「だっだが貴様は死にかけ、時が経てば勝手に死ぬ!」
『共有』の呪いは、発動した以前の傷は対象外。
フォルドの傷をジャロードは共有していない、このまま攻撃を受けずに逃げ切れば彼は勝手に死に、『共有』の呪いは解ける。
死にかけで武器も壊れた彼に負けるほど、ジャロードは落ちぶれてはいない。
「そうじゃの……儂に残された時間は限られておる……」
そう言ってフォルドは、ジャロードへと向けた斧の先を――自身へと向けた。
壊れているとはいえ折れて鋭くなった先は人を殺めるには十分だ、そんなものを自分へ向けるなど、ありえない。
普通の状態ではそれはありえない事だが、今彼はジャロードと『命を共有』している。
「まっ……まさか、ふぉっフォルド……きっ貴様ぁ……」
「貴様程度の男に我が命をくれてやるのは惜しいが、これはケジメじゃ、仕方あるまい」
フォルドの顔に一切の未練はなく、彼は本気だ、脅しなどではない。
止めなければ、止めさせなければ――ジャロードも死ぬ。
「ロザベール様ぁぁぁ! この不肖フォルドぉ大変遅くなりましたが、これよりそちらに参りますぞぉ!」
天に響くほどよく通り、地を揺らすほど大きな声で、フォルドはかつての主へと叫ぶ。
あの日から随分遅くなってしまったが、まだ受け入れてくれるだろうか――。
ギルベルトもアルバートも、そして時子もムローラも彼の後ろ姿をしっかりと見る。
魔王の散り様を――一瞬たりとも見逃さなかった。
「やっ……やめろぉ、やめろおおおお!」
ジャロードはフォルドを止める為に走り、手を伸ばす。
しかし覚悟を決めた魔王を止める事は、もう誰にもできなかった。
「冥府の淵で、今一度お供させて頂きますぞぉぉぉっ!」
そしてフォルドは己に残る全ての力をこの一撃に捧げる。
魔王フォルドの、最後の一撃に――――。
そしてフォルドは自身の心臓へと、刃を突き立てた。
それは、かつての主ロザベールと同じ自決。
将が自決するのは恥、それにも関わらず彼は自らの手による死を選んだ。
そうする事で、命の責任者たる将の責を果たすかの様に――。
「――っフォルド様ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
崩れ落ちるフォルドへと、ムローラは駆け寄る。
その光景をジャロードは見ている事しかできなかった。
「そっ……そんな、そんなぁぁぁぁぁ!」
特殊技能『共有』によって、フォルドのダメージはジャロードへと伝わった。
激痛と共に心臓が突き貫かれ、血が噴出する。
「ごふぁ――――」
ジャロードは口から血を吐いて、石の床に倒れた。
――それは、策士が己の策に溺れた瞬間だった。
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「……魔王、フォルド」
時子は、その瞬間をしかと見ていた。
一瞬も見逃さず、彼の決意も彼の優しさも、全てを――見た。
「……そ、んなぁ、嘘だよねお姉ちゃん」
君子は時子に抱きしめられながら見ていたのに理解できない、いや理解したくないのだ。
「わっ……私のせいぃ? 私のせいでフォルドさんが、死んじゃった?」
「違う、違うよ」
「フォルドさんは勇者さんに会いたがってたんだよぉ、まだ会ってないのに……」
勇者と再会したいと語っていたフォルドは、穏やかで本当に優しそうな顔をしていた。
それなのに――死んでしまった。
涙を流す君子を、時子は強く抱きしめる。
しかし君子が泣き止むことはなかった。
「フォルド様ぁぁっ、フォルド様ぁぁぁぁ」
ムローラは倒れているフォルドにしがみ付いて泣いていた。
頑丈なフォルドとは言え重傷の体では耐えられず、即死だった。
どんどん冷たくなっていく彼の傍らで、ムローラはたくさんの涙を流して泣いていた。
「うっ……うぅ、フォルド様ぁ……うっうううう」
涙で視界がぼやけていたのだが、視界の端で何かが動いた事だけは解った。
「……いやぁ、危なかったぞぉ」
どこか嘲笑っているかのような声が、聴きたくなかった声がした。
だから、振り返ってしまった。
見たくもないソレを――見てしまった。
死んだはずのジャロードが、立ち上がった。
幽霊でも幻でもない。
フォルドと共に死んだはずのジャロードが、生きている。
そんな事――ありえない。
「なっ……なんで、なんで、なんでジャロードが生きてるんだよぉ! フォルド様は死んでしまったのにぃ!」
フォルドとジャロードは『命を共有』している、フォルドが死ねばジャロードも死ぬ。
それなのに――なぜ、ジャロードだけ生きている。
「あぁ死んだとも、死んでもおかしくなかったとも、こいつがなかったらな」
ジャロードはそう言って空き瓶を放り投げた。
それは、上位回復薬が入っていた小瓶、魔王なら誰もが携帯している回復手段。
『命の共有』といっているが、実際は『ダメージの共有』。
似ているが、この二つは大きく異なる。
フォルドはジャロードの魔法で、致命傷を負っていた。
だから同じ傷を負っても彼の方が先に死んだ。
片方が死んだことによって『共有』の効果が切れて、上位回復薬を飲んだジャロードだけが回復した。
「自らを犠牲にしたつもりだろうが残念だったなぁ! 死にかけのドワーフよりも獣人の方が生命力はある、頭まで筋肉とは呆れたなぁフォルドぉぉ、フッフハハハッ!」
「そっ……そんな」
それでは、フォルドは何の為に自決したのだ。
自ら恥と言っていた自決をしてまで行った行為が――これではまるで無駄だ。
「フッフハハハ、無駄死にだったなぁフォルド! 偉そうに演説を垂れた割にはこの様か!」
高笑いをするジャロードをムローラは睨みつけた。
「ジャロードぉ、ジャロードぉぉぉぉ!」
フォルドの決死の覚悟を嘲笑う、この男を許す訳にはいかない。
でもジャロードを倒すなんて、ムローラに出来るわけがなかった。
だから――ジャロードは、それを分かって嘲笑う。
「戦える者は残り少ない、残った者達を片づけて、私はお暇させていただこうか」
フォルドを失い、ギルベルトとアルバートが戦闘不能の今、ムローラと時子と君子の三人しかいない。
援軍が来る前にドレファスへ亡命しようとしているジャロードは、魔法で一気に始末をつけようとしている。
「くっ――」
時子は君子を庇うように自身の後ろへやると、剣を強く握る。
しかし、彼女が剣を構えるのを止めさせたものがあった。
重くて息苦しく、肌を針で突きさされているようなチクチクとした鋭い圧を感じる。
「……っ!」
振り返ると、ギルベルトが立ち上がっていた。
グラムを支えにしながら、どうにか立っている。
風が吹けば倒れそうなくらい、よろよろとした足取りで――彼は歩き出す。
「ハハッ、まだ起き上がるか! 往生際が悪いにもほどがある!」
既にかなりの血を流し、息をするのもやっとのはずなのに、ギルベルトはジャロードへと近づいてくる。
だが、ジャロードからすれば、そんなもの羽虫が体当たりしてくるよりも、ずっとずっとどうでもいい事、一瞬で片付けられる。
「死ねぇ! ギルベルト=ヴィンツェンツ」
緑色の魔法陣を展開すると、風の刃をギルベルトへと放った。
一瞬で両断されて終わる――はずだったのだが、刃は何かに当たって弾き飛ばされた。
「なっなにぃ!」
ありえない、グラムで払ったわけでもない、一体何で防御したというのか。
驚き戸惑うジャロードの眼に飛び込んできたのは、まるで陽炎の様に歪むギルベルトの姿だった。
「……アレは、闘気」
武を極めたものに発現する、目に見えない力。
それを今、ギルベルトが纏っている。
「ばっ……馬鹿な、なぜ貴様が闘気を!」
これは本来武術を極めた者が稀に扱えるようになるモノ。
ギルベルトでは技量が足りない―――ついこの間までは。
ジャロードの策により、海魔に襲撃され続けたギルベルトは、今までの戦いとは比較にならない程の経験を得た。
それはギルベルトを成長させ、更に間近でフォルドの闘気による一撃を見た事によって、なんとなくコツを掴んだ。
そして何よりフォルドの覚悟と、その覚悟を嘲笑ったジャロードへの怒りによって――、彼の闘気は発現した。
「てめぇ、だけは……、ぜっ……てぇ、許さ……ねぇ」
もはや気力だけで、ギルベルトはジャロードへと向かって行く。
圧倒的不利な状況だというのに、彼はもがき、あがき、そしてその土壇場で力を顕現させた。
それは間違えなく、彼が掴み取った最後の力といえる。
「…………」
時子は剣を握っていた右手を下ろし、ギルベルトを見つめる。
この戦いの幕を下ろすのは、フォルドと同じ闘気に目覚めた彼こそがふさわしい。
「てめぇみてぇな……腐れ外道犬が、フォルドの事を笑うんじゃねぇ……」
同じ魔王でも、ジャロードとフォルドでは天と地ほどの差がある。
あれほど強くて、豪快で、高潔で、確固たる意志を持った男を、ジャロードなどという卑劣な外道に嘲笑う資格などない。
ギルベルトは確かに見た、彼が伝えたかったものも彼の生き様も死に様も全て――、受け取ったのだ。
「はっ、闘気が纏えるからといってなんだというのだ! 貴様の闘気など、フォルドのモノに比べればまだまだ小さい、我が四型魔法で殺してくれる!」
ギルベルトの闘気は発現したばかりでムラがあり小さい、四型の魔法ならば貫ける。
ジャロードは右手を向けると、自身の最強の魔法の詠唱を始める。
「ギルベルト王子殿下!」
このままではギルベルトは今度こそ本当に殺されてしまう。
ムローラがとっさに叫んだ時――ギルベルトの闘気に変化が現れる。
体中を覆っていた陽炎の様な揺らぎが、左手へと収束する。
闘気を一点に集中させて圧縮する、それはまるで――。
「……フォルド様の、技」
ギルベルトはレヴィアタンを倒した魔王の技を、しっかりと見た。
確かにそれならば、ジャロードの四型魔法を相殺できるかもしれないが――それは所詮真似事、子供が大人をまねる様なもので、闘気の質が低くとても相殺する事は出来ない。
「暴風は吹き乱れ」
ジャロードの前に渾身の魔力を込めた、緑色の魔法陣が展開される。
防げるわけがない、常人ならば恐ろしさから圧倒されそうなのに――ギルベルトは立ち向かう。
「うおおおっ!」
気合の掛け声とともに、ギルベルトは左手に収束させた闘気を、あろうことかグラムへと押し当てた。
普通の剣なら折れるが、この剣は北欧神話最強の魔剣グラム。
ギルベルトのありったけの力と思いを込めた闘気を、受け止める。
「あれは――」
フォルドは言っていた、収束した闘気を武器に込めれば攻撃力が上がると――。
ギルベルトは自身の未熟な闘気を、グラムの斬撃に乗せて放つ事により、威力の底上げを図ろうとしているのだ。
ぐにゃりと曲がり原型をとどめていないように見えるグラムの姿は、その一撃の強さを表している。
「我が敵を斬り刻む」
緑色の魔法陣が一段と輝くと、空気中の大気を収束させた、風の刃をまとった強風が放たれる。
「緑魔法『暴風斬破』」
魔王ジャロードのありったけの魔力を込めて放たれる一撃。
強風が迫る中、アルバートは弟へと叫ぶ。
「やれぇ、ギルベルトぉ!」
そしてギルベルトは一撃に全てを、この一撃にありったけの意志を込める。
「うおりゃあああああああああああああっ!」
渾身の力で振り下ろされるグラム、そこから放たれるのは闘気。
強風と闘気の斬撃がぶつかりあう、しかしそれは長くは続かない。
圧縮された闘気は、元に戻ろうとする力が働きそのエネルギーを開放し、四型風魔法を飲み込んだ。
「ばっ……馬鹿なぁ――」
そして、ギルベルトの渾身の一撃は炸裂する。
闘気の斬撃は、ジャロードを両断した。
左肩から右脇腹にかけて、文字通り真っ二つに斬られ崩れ落ちるジャロード。
あれほど見下していた王子に、嘲笑っていたフォルドの技によって、敗北した。
それはなんて皮肉で、なんて滑稽なのだろう。
「…………」
ムローラは崩れ落ちたジャロードから、隣にいるフォルドへと視線を向ける。
そして悲しみで身を引き裂かれそうなのを必死に堪えながら、口を開く。
「……勝ったよ、フォルド様ぁ」
でも、その眼からは涙が一筋流れていた。




