第七一話 特殊技能『共有』
時は少し戻る。
操られたロータスによって君子が砦から連れ出され、気絶した所まで。
倒れた時に飛んで行った君子の眼鏡を安物の靴が踏みつけて、レンズを割った。
それを見て嬉しそうに微笑んだのは――、一人の女。
************************************************************
「あはっあははははっ、ざまぁないわねぇこの不細工!」
ギルベルトの元婚約者であり、元ヴェルハルガルド貴族令嬢、カルミナ・リイン・フォルガンデスである。
しかしあの時のいかにも貴族といった面影はなく、安物の服に身を包み、ギルベルトに千切られた耳を帽子で隠すという、なんとも落ちぶれた姿。
酷くくすんだ色の服のせいか、物乞いか何かにでも間違えられそうだ。
「貴方が連れて来たのね、いい子いい子」
カルミナはロータスの頭を撫でる、しかし彼はただ立っているだけで表情も意思もなく、まるで人形の様だ。
「貴方のせいでこの私がどんな目にあったと思っているの……あの捨て子王子と貴方に仕返しをするのを、この私が一体どれほど待ち望んだと思っているの!」
カルミナの高らかに笑う声は、森中に響いていそうなくらい大きなものだった。
「まずは……やっぱり耳を千切って差し上げましょう、両耳が無くなれば左右対称ですっきりと――っあらぁ?」
カルミナ君子の右耳を見て驚いた。
間違えなく千切ったはずの右耳があり、しかもギルベルトの金色のピアスの隣にどこかで見た事がある銀色のピアスまでついている。
「なっ……なんでこいつの耳は治ってるのよぉ!」
同じく耳を千切られたカルミナは治療不可能で耳を失ったというのに、君子はまるで何事もなかったかのように元通り、こんな事許せない。
「こうなったもう一度右耳から切ってあげるわぁ、それで今度は『恐怖』よりも恐ろしい呪いをかけて苦しめてあげる!」
財産を没収されヴェルハルガルドを追われたせいで、ドレファスでは下級貴族になり下がったカルミナ、これも全てギルベルトと君子のせいと逆恨みをしている。
懐からナイフを取り出すと、君子の右耳へと向けた。
「困りますねぇ、フォルガンデス家のお嬢さん」
宵闇の中から出て来たのは、笑顔を浮かべるリュマだった。
「貴方の役目は船の調達だけですよ、彼女を殺すのは貴方じゃない」
「補佐官の癖に邪魔しないで下さる、私はこいつを痛めつけてギルベルト=ヴィンツェンツに仕返しをするので忙しいの」
補佐官程度に言われたくらいで復讐をやめる気はない、カルミナは無視して耳の切り取りを続けようとしたのだが――。
「止めろっつってんだろう、このブス」
暴力的な言葉を吐いたリュマは、笑顔のままなのに――怖い。
補佐官とは言ったものの、彼はその辺の軍人の補佐官ではない、ヴェルハルガルドでも六人しかいない強者の補佐官、それは並みの軍人とは一線を画す実力を持つという事。
「なに勘違いしてるんですか? 貴方の家はなんの力も持っていないただの下級貴族、そんな奴が偉そうにしないで下さい」
「なっ……なんですって……」
「王子の一人も誑かせないただのワガママで馬鹿な女より、王族のピアスを付けている彼女の方がずっっと価値がある存在ですよ、お分かりになりますか? このブス」
自らの美貌を貶されてカルミナは怒る。
特殊技能で呪ってやろうと、右手を動かしたのだが――。
次の瞬間、帽子が真っ二つに斬れた。
「えっ……」
あまりに一瞬の事で何が起こったか分からなかった。
しかしリュマがいつの間にか抜き身のレイピアを持っているのを見て、彼が斬ったのだと理解した。
「僕ぅ補佐官風情でぇ、これくらいの剣術しか使えないんですよぉ~、あははっ」
そうへりくだっているが、これはただの脅しだ。
剣を抜いた事も斬りかかった事も、カルミナには分からなかった。
「カルミナさん、貴方が末弟王子殿下の暗殺に協力したいと言って来たから、船と船員の調達と『蝙蝠』を紛れ込ませるのを手伝ってもらいましたがね、こちらの計画の邪魔をなさるのはいくら何でもいかがなものなんでしょうか?」
リュマはレイピアの切っ先を向けたまま、続ける。
「とっとと失せろブス、左耳削ぐぞ」
笑顔だというのに、そこには大型妖獣も気絶してしまいそうな圧があった。
「ひ――っ!」
カルミナは大切な左耳をおさえながら、その場から立ち去る事しかできなかった。
リュマは彼女が逃げ去って行ったのを確認すると、レイピアを収める。
「やーやーロータス君また会ったねぇ、元気だったぁ? てっ、僕が操ってるんだから返事する訳ないか、さてさて僕は人質を連れて行くとしよう」
投げ飛ばされた眼鏡を拾い上げて、君子にかけさせる。
だがしばらく君子の顔を見つめると、また眼鏡を外してしまった。
「……コレ、眼鏡ない方が可愛いじゃん、うんっさせないでおこう」
どうせ拉致するなら可愛い方が良いと、ダサいおさげもほどいてしまう。
すると自らが操っているロータスの懐に、眼鏡を入れる。
「はいロータス君、これは君が持ってるんだ、そして砦に帰ってギルベルト=ヴィンツェンツにぶっ殺されてくれ! そうすればゴンゾナでの横領行為の証言者はいなくなるからね! ささっ、さくっと殺されてくれよ、リュマお兄さんからのお願い!」
ゴンゾナは大砲が配備され五〇〇人も兵隊が常駐していると書面上はそうなっていた、実際はその為の金は全部裏へと流れているので、ゴンゾナにいたロータスはその嘘に気が付いてしまう。
だから結界の張られた砦から君子を連れ出す役ついでに、今ここで彼の口を封じようと思っているのである。
操られているロータスは、ふらふらとした足取りで砦へと戻っていく。
「まぁお願いっていっても、僕の特殊技能で操られている間の記憶は無くなるんだけどね」
リュマはロータスを見送ると、気絶している君子を見下ろす。
「さーてとぉ、僕はこの子を運ぶかぁ……にしてもコレ変な服だなぁ、構造どうなってるんだろう?」
セーラー服がよほど珍しいのか、スカーフをひらひらさせてみたり、セーラー服最大の特徴である襟をパタパタさせてみたりする。
「あ~いっけねぇ、早くしないとジャロード様に怒られるんだった」
リュマは軽い感じでそう言うと、君子を担いで更に西へと歩き出す。
「僕は用事があるから途中までしか運べないけど、その後は僕の手駒が運んでくれるから、うんっ、君が気絶してて良かったよ!」
よくわからない事をぶつぶつと言いながら、リュマは森の奥深くへと消えて行った。
************************************************************
「何よ……補佐官の癖に、補佐官の癖にぃ!」
リュマの前から逃げ出したカルミナは、怒りながら森を歩いていた。
街道に待たせてある馬車へ向かっているが、安物のせいか御者の態度が最悪、はっきり言ってクビにしたいのだが、もうフォルガンデス家にそんな力はない。
仕方なく、ソファが固い馬車へと戻った。
「戻ったわよ、早く扉を開けなさい」
御者に馬車のドアを開けるように命令したのだが、一向に出て来ない。
まさか寝ているのではないかと、さっきよりもっと大きな声で命令をする。
「聞こえないの! 戻ったと言っているでしょう」
やっと起きたのか馬車の後ろで物音がした。
カルミナは文句を言ってやろうと、眉間にしわを寄せ眉をつり上げて怒っていたのだが――その怒りは、全く別の物へと変わる事になった。
「おせぇンだよぉ、このクソアマぁ」
額に青筋を立てて、とんでもない殺気を放つギルベルト。
ここにいる訳がない、まさかの人物の登場に、カルミナの怒りは恐怖へ変わる。
「なっなっ……なっなんでぇ」
「そのくっせぇ匂いを辿って来たンだよぉ、てめぇ……キーコに手ぇ出したら許さねぇっていったよなぁぁ?」
もう怒りすぎてわずかばかりあった王子の気品は完璧に無くなり、最早チンピラだ。
「……おい早くしろギルベルト、この悪趣味な香水の匂いで鼻が曲がりそうだ」
「あっ……アルバート王子ぃ!」
カルミナは彼の姿を見て驚いた。
将来を有望してされている王子であり、カルミナだってできればギルベルトではなくアルバートと婚約したかった、そんな彼がなぜギルベルトと一緒にいるのだ。
しかしカルミナをもっと驚愕させたのは、彼の右耳のピアスが一つ無くなっている事。
それは君子がつけていたピアスと同じもの――。
「なっなんでぇ、あっあんな不細工があっアルバート王子のピアスまでぇ……」
ありえない、これは悪夢だとカルミナは思い込もうとするのだが――、そんな彼女の左耳へとギルベルトの手が伸びる。
そしてカルミナは左耳を毟り取られた。
「ぎゃあああああああああああああ――――っ」
激痛のあまり泣き叫ぶ彼女を見て、アルバートは眉一つ動かさない。
「なんだ、小汚い娼婦かと思ったが道化か? ならばもう少し綺麗な声で鳴いてみせよ」
「キーコはどこに連れて行かれた! 言わねぇと鼻も千切るぞ!」
二人は到底王子とは思えない暴力的な言葉と共に、カルミナの尋問を始めるのだった。
************************************************************
「……むっ、むごい」
ムローラは、灰色のワイバーンで空からその光景を見ていた。
暗殺に加担していたとはいえ元貴族で女性だ、それなのに一切の容赦がない。
「…………あっ、空怖くないかい? えっとぉトキコちゃん」
ムローラはそう言って自分の後ろに乗っている時子に言った。
「大丈夫ですよムローラさん……、それよりも早く君子を助けないと」
「あっうん、そうだね……それに、日の出までにジャロード様をハルドラの勇者に引き渡さないと」
ムローラはそう言って、東の空を見つめた。
この暗殺の作戦は、こうだ。
まずフォルガ砦から、それぞれヴェルハルガルドとハルドラへと向かい、それぞれの将を討ち取る。
そして、日の出までに両国の国境沿い、つまり本来のギルベルト達と海人達の同盟が終わる場所で、双方の将の身柄を引き渡す。
おそらく夜が明ければ、双方の将がやっていた汚職については皆が知るところとなり、この暗殺作戦の意味がなくなる。
作戦にはタイムリミットがある、時間のロスは許されない。
「分かった、日の出までにこの国境沿いだな」
「必ずシュルペを拘束する、そっちも魔王の首を忘れるんじゃ無いぞ」
「馬鹿な、貴様等こそ偽首など持ってくるなよ」
海人達は先にハルドラへと発った。
そしてヴェルハルガルド側の問題は、果たして誰が行くかという事。
「儂は行くぞ、そもそも我が愛馬ジェルドはデリケートな奴で、儂が乗っていなければ不安がってしまう!」
海人達とは違い、こちらはフォルドとムローラのワイバーンで早く移動できる。
定員はあるので、あと二名が限界といったところだ。
「俺は行くぞ! あのアマの耳千切って、ジャロードの犬をぶっ殺す!」
「婚約者が攫われたのだ、私が行かずしてどうする!」
ギルベルトとアルバートは行く気満々、おそらく誰も止められないだろう。
そして同じように名乗りを上げたのが、時子だ。
「ボクも行くよ」
「……定員オーバーだ」
「何を言っているんだい? こういう場合強い者から順に連れて行くものだろう? だとすればどう考えてもボクは君達よりも行く権利がある」
ランク6の特殊技能を持つオールAランカー。
ステータスの面では、同じAランカーのアルバートをも凌ぐ実力を持っているのだ、当然である。
「……ボクは君達よりも強い、安心して留守番をしていてくれて構わないよ」
眼の上のたんこぶだった海人達がいなくなっても、まだ時子がいる。
雰囲気は未だぎくしゃくしていた。
「……まっまぁまぁ、何とか乗れますから、僕ら五人で行きましょう!」
ムローラの提案が受け入れられて、ギルベルト、アルバート、フォルド、ムローラ、時子の五人が、ジャロードの暗殺へと向かう事になった。
残りのメンバーは、『浪』の船長の案内でヴェルハルガルドに向かい、そこで合流する手はずだ。
「アルバート様ぁ、補佐官なのに同行できないなんて……アタシ本当に役立たずですぅ」
ワイバーンのスピードには、空が飛べるルールアもついて行けない。
主の盾になる事も出来ないなんてふがいなさすぎる。
「おい馬鹿とハーピー女」
「あっ! 俺は馬鹿じゃねぇぞ!」
「いや、馬鹿で反応してるって事は自覚あるんでしょあんた」
ギルベルトはルールアに近づくと、いつもでは考えられない程小さな声を出す。
「(ヴィルムを探せ)」
「えっ……」
それだけ言い残して、ギルベルトはフォルドの黒い鱗のワイバーンへと跨る。
戸惑うルールアに、アルバートは頷いた。
ギルベルトだけではなく、彼もそうした方がいいと思っているのだろう。
きっと何も言わないのには理由がある、そう思ってルールアは深く頷く事で了解の意を示した。
「ゆくぞ、裏切り者を断罪してくれる」
そして五人は砦を出発したのだった。
************************************************************
「ふん、あんな女から情報を聞き出すのに、時間がかかりすぎじゃ!」
「うっせぇ、だったらてめぇがやれぇ!」
フォルドのワイバーンに乗せてもらっているというのに、酷い口の利き方である。
今はカルミナが吐いた情報を頼りに、ジャロードの潜伏先へと向かっている。
やはりムローラの言っていた範囲内にいた。
「あの山がヴェルハルガルドの国境ルラ山脈、そしてその北側にあるのが、ドラコウェール大渓谷です!」
ドラコウェール大渓谷。
今から三五〇〇年以上昔、竜の大戦争が起こった。
三〇晩続く戦いの末に竜は絶え、大地にその大きな爪痕を残した。
これはその時の戦争によって出来たものらしく、全長二〇キロの大渓谷は到底測れない程深く、一度落ちれば冥府まで堕ちると言われるほどでまず助からない。
だからなのかこの辺は人口が少なく、身を隠すにはもってこいの場所である。
「あった、アレだろう!」
時子が指さしたのは、山と森の中にひっそりと築かれた砦。
アレこそ、ジャロードが隠密に造っていた隠れ家である。
「よおしっ、行くぞおおおおおおっ!」
「えっ――ちょっとぉ!」
フォルドはムローラの制止を無視して、ギルベルトとアルバートが乗っていると言うのに、砦へと急降下する。
それも、一切の減速無しで――。
ワイバーンは、砦の壁をぶち抜いた。
とんでもない衝撃が、ワイバーンにも乗っている者にも来るのだがお構い無し。
豪快もここまでくると無謀である。
「なっ……何がデリケートなワイバーンだぁ」
「あっ姉上並みに繰り荒いぞ……」
頑丈なギルベルトとアルバートも、流石にこれは堪える様子だ。
しかしそんな事を言っている場合はなかった。
ワイバーンが特攻したこの空間はかなり広く大きい、さながら広間なのだが――その部屋いっぱいに妖獣がいた。
大蜥蜴、羊獅子、熊猿などなど、どれも強力と知られる妖獣ばかり。
「なっなんでこんな所に妖獣が!」
「衛兵か門番といったところか……ジャロードめぇつくづく抜け目のない奴よ」
皆がそれぞれ武器を手に取ろうとしたのだが、その妖獣共の後方で何かが動いた。
眼を凝らしてみると――それは君子を担いだ猿の妖獣だった。
「キーコ」
「キーコ!」
「君子ぉ!」
気を失っているのか返事はない。
だが猿の妖獣は、君子をどこかへと連れて行こうしている。
「おそらくジャロードの所だ、連れて行かせるな、奴の手に渡れば何をされるか分からん!」
「くそっ、邪魔だ妖獣どもぉ!」
こんなものいちいち相手にしていられない、グラムと雷切を手に妖獣へ斬りかかろうとしていると――なぜかフォルドがワイバーンの轡を外し始めた。
「てめぇ何やってんだ、戦えよ!」
「ジェルドよ、しばらく遊んでおらぬから溜まっておるじゃろう、今日は好きなだけ発散してよいぞぉ!」
そう愛馬に言うと、背中を叩く。
解き放たれたワイバーンは咆哮をあげ、近くにいた牛の妖獣の喉笛へと食らいつく。
噛み千切り肉を飲み込むと、大きな後ろ足で腸を引きずり出す。
そして大口開けて接近して来た大蜥蜴に体当たりを食らわせると、角で腹を突き刺す。
どれも強力な妖獣のはずなのに、たった一匹のワイバーンが蹂躙している。
「我が愛馬ジェルドは、儂と共に数多の戦場を駆け抜けた戦馬よ、この程度の妖獣に後れを取るような軟弱なワイバーンではないわ!」
乗り物で戦力として見向きもされていないワイバーンだが、実は強い力を持っている。
特に黒い鱗のワイバーンとなれば、その強さは竜に限りなく近く、スピードも、そして気性の激しさも、どれをとっても次元が違う。
「……これが、黒い鱗のワイバーン」
普段乗っている灰色の鱗のワイバーンとはまるで違う。
これが魔王を乗せる軍馬、最上級の強さの証なのだ。
こんなワイバーンを乗りこなすフォルドの力を、ギルベルトは改めて思い知らされた。
これが、強さの頂点に君臨する将、魔王なのだと。
「行くぞ! ジェルドが奮闘しておる間に、ここを抜ける!」
妖獣の群れを縫うように五人は走り抜ける。
広間を抜けた先には回廊があって、その一番奥の部屋に、君子を担いだ妖獣は入った。
急いで五人も追いかけるのだが――、それを邪魔するかのように、煤色の魔法陣がドアの前に展開される。
「妨害魔法だ!」
「うぬぅジャロードめぇ、つくづく姑息な男よ!」
「ぶった斬ってやる!」
「むっ無理です、これは六型妨害魔法、簡単に破れるものじゃない!」
ムローラはそう言うと特殊技能を発動させて、妨害魔法を解こうとする。
しかしそんな彼の横を平然と時子が通りすぎる。
「邪魔だっ!」
そして右手を突き出すと、拳を握った。
特殊技能『完璧』が発動して、魔法陣にヒビが入ると――粉々に砕け散った。
時子の特殊技能の前では、六型の妨害魔法など紙切れと同じである。
「うっ……うそぉん」
ムローラは顎が外れるほど口を開けて驚いていた。
それくらいこれは桁違いな事なのである。
だが今はそんな事にいちいち反応している余裕はない、ギルベルトとアルバートと時子は、扉を乱暴に開け放って入った。
「キーコ!」
扉の先は、玉座の間になっていた。
松明の明かりで照らされている広間の中央を、君子を抱えた妖獣が歩いていた。
まだジャロードの手には渡っていない。
「紫魔法『雷槍』」
アルバートはすぐさま魔法陣を展開させて、雷の槍で妖獣の胸を貫いた。
投げ出された君子を、時子がしっかりと受け止める。
「君子、君子しっかりするんだ!」
気を失っているだけで息はしている。
ギルベルトとアルバート、そしてフォルドとムローラもやって来て、君子を心配そうに見つめている。
なんとか体を揺らすと、君子はゆっくりと目を開けた。
「……おっ、おねぇ、ちゃ……ん?」
「君子……良かった」
時子は君子を力いっぱい抱きしめる。
ギルベルト達も彼女が無事なのを確認してほっとするが、当の本人はまだ思考がはっきりしていないのか、戸惑っている様子だ。
「…………思ったより早かったな」
松明で照らされていない暗闇から、声がした。
今回の騒動の元凶の声を聞き間違う訳がない、ギルベルトとアルバート、そしてフォルドは剣と斧を構えると、暗闇にいるそいつを睨む。
「なぁに、貴様のその首を斬り落としてやろうと思ってなぁ、急いで来たのじゃよぉ」
フォルドは豪快な笑みを浮かべると、ゆっくりと明かりの下へ来たジャロードにそう言った。
「……まさか貴様まで来るとは、どこまで私の邪魔をすれば気が済むのだこの老害」
「たわけぇ、言ったであろう! 儂は貴様をこれっぽっちも信用しておらぬとなぁ!」
魔王として信頼が厚く、魔王会議の場を取り仕切っていたジャロードを誰もが信用していた。
だがフォルドだけは彼を異常なまでも毛嫌いして、事あるごとに噛みついていた。
「貴様は将として全くなっておらんかった! いつかどこかで何かをやらかすとは思っておったがまさか汚職とはなぁ、この儂とて呆れて言葉がでぬ!」
「……貴様にどう思われようと興味はない」
ジャロードは悪びれる様子もなくそう言うと、ギルベルトを睨みつけた。
「……久しいですなぁ末弟殿下、よくまぁあれだけの海魔とレヴィアタンから逃げおおせたものだ、その強運だけは称賛してくれる」
「うっせぇ……、この腐れ外道犬」
ジャロードはギルベルトの言葉に眉を顰めたが、淡々とした口調で更に続ける。
「ハルドラとの戦争の駒をそろそろ進めようとしていた矢先、紅の魔人によって第二防衛線であるゴンゾナを破壊されて、我々の計画は白紙に戻ってしまった……それが貴様だと知った時は驚いたぞ、まさか魔王帝に気が付かれたのか思いヴィルムに探りを入れたが、貴様は我々の計画に気が付いた訳ではなかった……ただの遊びだった」
君子と出会う以前のギルベルトは、常日頃イライラしていてモノに当たっていた。
ゴンゾナもその内の一つ、彼にとってはただイライラしてやった事だ。
だが――ジャロードから見れば、それは許せない事だ。
「本当なら今頃倍以上の金を手に入れる事が出来たのだ、そして私の地位は確約されるはずだったのだ!」
先ほどまで淡々としていたジャロードだが、怒号と共に本性を現した。
「それぉよくも邪魔してくれたなぁ、この捨て子風情がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
眼を吊り上げ、犬歯をむき出しにして、野生あふれる顔で睨みつける。
そこには魔王会議で見せた冷静さも、港で見せた紳士な雰囲気もない、ただの獣だ。
「そんなくだらねぇ理由で、てめぇはキーコを巻き込んだのかぁ……」
ゴンゾナの一件に、君子は何の関係もない。
それなのに聖都襲撃といいレヴィアタンの巣といい今現在といい、命に関わる危険な目に何度もあった、それが許せない。
「その首斬り落として剥製にしてやらぁぁぁっ!」
ギルベルトはグラムの柄を力強く握りしめると、ジャロードに向かって走る。
相手は魔王、強者の頂点に君臨する強者に対して、真正面から突撃するのはあまりにも無鉄砲だ。
「呆れて物が言えぬな」
ジャロードは右手を向けると、赤い魔法陣を展開させる。
「赤魔法『獄炎』」
紅蓮色の炎が魔法陣から放たれて、ギルベルトへと襲い掛かる。
「――――っギルぅ!」
このままではギルベルトが炎に飲まれてしまう。
時子に抱きしめられたまま、君子はとっさに叫んだ。
しかし――。
「うおりゃっ!」
ギルベルトは思い切り踏み込むと、大きくジャンプした。
放たれた炎よりも高く飛んで、それを回避する。
「なっにぃ……」
魔法使いには大きな弱点がある。
それは魔法を発動する前後で隙が出来るという事――、ギルベルトは無鉄砲に突っ込んだのではない、初めからこの隙を狙っていたのだ。
グラムを振りかぶると、そこにありったけの力を込め己の体重と落下の衝撃を乗せて、全てをジャロードへ放つ。
「なっ――」
グラムの刃が、左肩から右脇腹を斬り裂いた。
ジャロードの赤い血が噴き出し、床を染め上げる。
今までさんざんやられっぱなしだったこちらが、初めて一矢報いた瞬間だった。
「よしっ! 浅いけど初手としては完璧だ!」
致命傷ではないが、不意打ちをしたのは正しい判断だ。
相手は策の魔王と呼ばれる策士、一体どんな策を講じているか分からない。
先に傷を負わせた事は、この戦いの勝敗が大きく傾いたと言えよう。
だから皆、歓喜の声を上げたのだが――。
「……フハっ」
ジャロードは口から血を出しながらも、うっすらと笑みを浮かべていた。
なぜ、こんな状況で笑っているのか、ギルベルトには分からない。
(あっ……良かった)
君子はギルベルトが無事だったのを見てほっとした。
今は彼に対しての恐怖よりも、傷つく所を見る方がずっと嫌な気持ちの方が強い。
状況は全く理解できないが、姉もアルバートも、そしてギルベルトもいるなら大丈夫だ。
そう安心した。
「んっ――」
何か痛みが走った。
特に怪我など何もしていないのに一体なぜ、君子は痛みがあった左肩のあたりに触れる。
そしてなんとなく触れた手のひらを見ると、血がついている。
「えっ?」
どうして血がついているのか、君子には理解する暇など与えられない。
瞬間、君子の体から血が噴き出した。
「あっ――」
君子を抱きしめていた時子も、隣にいたアルバートも、後ろにいたムローラとフォルドも、そして振り返ったギルベルトも――誰も訳が分からない。
ただ、君子が怪我を負ったという事だけは、理解した。
「あああああああああああああああああっ――――」
痛みから悲鳴を上げる君子。
彼女の断末魔の様なこの声に、最も早く反応したのは抱きかかえていた時子。
血で汚れる事を恐れず、妹の出血を防ごうと服の上から傷口を手で押さえつける。
だが傷口が広すぎて、全く止まらない。
「キーコ!」
次に動いたのがアルバート、懐から上位回復薬を取り出すと全て君子にかけた。
淡い黄緑色の液体が傷口に染み渡ると、傷は煙と共に瞬く間に治っていく。
「うっ……うえっ、痛い……痛いよぉ」
君子が感じた痛みも、周囲に飛び散った血も全て本物。
しかし彼女の傍にはアルバートもフォルドもいた、それに時子に抱きしめられていたのだから斬られるわけがない。
しかも何より、君子のセーラー服は、左肩から右脇腹にかけて血が付いているが、全く切れていない、何者かに攻撃されたのなら服だって損傷しているはずなのに――。
「なンだ……、一体何が起こったンだ」
ギルベルトは何が起こったのか分からず、ジャロードが目の前にいるというのに、君子を見ていた。
「フフっ、フハハハハっ」
ジャロードが突然笑い出した、ギルベルトは警戒して振り返る。
「なっ――」
ギルベルトはその時自分の眼を疑った、間違えなく斬ったはずのジャロードの傷が、煙と共に瞬く間に治っていく。
まるで上位回復薬でも使ったかのように――跡形もなく傷が消えてしまった。
「いやあ……助かりましたぞアルバート王子殿下ぁ、私の傷を治してくれて」
「なんだとぉ……」
ジャロードは訳が分からず戸惑う者共を見下し、笑う。
その笑みは、到底この世の物とは思えない、悪魔の様に歪んでいた。
「コレが、私の特殊技能『共有』だ」
それは、この場にいる誰も聞いた事がない特殊技能の名前。
「特殊技能……『共有』だとぉ」
同じ魔王であるフォルドも、補佐官であるムローラも、何度も会議で顔を合わせているのだが、彼の特殊技能の能力を知らなかった。
「その特殊技能でキーコを斬ったのかぁ!」
「彼女を傷つけたのは私ではない、貴方ですよ殿下」
「なっ……ンだとぉ」
ギルベルトが斬ったのはジャロードだ、そしてアルバートが治したのは君子。
それなのに君子は斬られ、ジャロードは治った。
それはまさか――。
「私は、あの娘と命を共有している」
特殊技能『共有』。
ランク3のこの特殊技能の能力は、文字通り共有する事。
対象とある一つの事柄を共有し、自身の物とすることが出来る。
大変珍しく、所有者が少ない特殊技能だ。
「命の……共有だって?」
ムローラは驚き戸惑った。
特殊技能は時折超常現象的な事柄を引き起こせるものもあるが、そのほとんどは他者の生命に干渉する事は出来ない。
しかしジャロードの言っている事が本当ならば、それはランク3どころではない。
「そんな事が出来るとすれば、その分デメリットや条件がある筈だ! 特殊技能だって万能じゃない!」
「いかにも……私の特殊技能は、複数ある型の中でも面倒な接触型だからなぁ」
接触型の特殊技能、それは対象に触れなければ発動しないという、複数ある特殊技能の型の中でも最も稀有なもの。
補佐官であるリュマだけではなく、ジャロードまでそんな珍しい型とは知らなかった。
だがそれでも疑問が残る――。
「貴様はキーコに触れていない! 命の共有など出来る訳ないだろう」
君子はジャロードの元へ連れて行かれる前に取り戻せた、接触する暇なんてなかったはずだ。
ジャロードは何らかの方法を使って君子を傷つけて、皆を騙そうとしているのだ、そうでなければ説明がつかない。
しかし――ギルベルトは、思い出した。
「あの時かぁ……っ!」
それはドレファスの港で船に乗り込む時、ジャロードは階段で君子に手を貸した。
そして君子は、ジャロードの手でエスコートしてもらったのだ。
アレが――全ての始まりだったのだ。
「今更気が付いても遅い、貴様がこの部屋に入って来た瞬間に特殊技能を発動させた!」
あの時から既に、ジャロードはこの策の下準備をしていたのだ。
ギルベルトを海魔で暗殺できなかった時の保険として君子を人質にする為に、だから彼はわざわざ自分で出向いたのだ。
「さぁどうぞ王子殿下、私の首を斬るのでしょう? しかしその瞬間貴方の大切な小娘の首も胴から離れますがねぇ」
「この……このクソ犬があああああああああああああ!」
怒号を上げグラムを振りかぶるが、ジャロードは迎撃どころか避けようともしない。
彼は分かっているのだ、君子にピアスをつけさせているギルベルトがそんな事出来る訳がない事を――――。
「ぐうっ……」
ジャロードに一太刀でも怪我を負わせれば、それを全て君子も負うのだ。
ギルベルトが君子を傷つけられる訳がなく、振り下ろせずに固まる。
「緑魔法『疾風』」
緑色の魔法陣が展開されて、そこから強風が射出される。
ギルベルトは風に吹き飛ばされて、着地もままならず床にうちつけられた。
「くっ……くそぉ」
魔法は三型と決して強いとは呼べないが、至近距離から食らったせいかあばら骨を何本か折ったかもしれない。
だがそれ以上に問題なのは君子だ。
「痛い、痛い……」
痛みのせいで涙を流していた、自分の傷ではなくジャロードの傷だというのに、君子がこんな目に合うなど、絶対に許せない。
「おのれジャロード、貴様戦えぬ者を巻き込んで魔王として恥じないのかぁ!」
「何を言うこれは立派な策だ……、そもそもここまで堂々と弱点をさらしておきながらそれを利用するなという方が無理な話だ」
確かに軍略を用いる時は、敵の弱点を突くのは当然の戦法だ。
フォルドだって相手より優位に戦局を進める為に弱点を突くことはある、しかしそれはあくまでも兵士や敵将という戦える者、戦士に対してだけだ。
君子はスライムも倒せないただの凡人で、こんな戦いに巻き込まれて良いわけがない。
「おい、貴様の特殊技能で『共有』の効果を破壊できないのか!」
ランク6の特殊技能を持つ時子ならば、ジャロードの特殊技能を無効化できるはずだ。
アルバートが叫ぶが、時子はいつになく戸惑った様子で首を横に振る。
「ボクの特殊技能は、一度使うとインターバルが必要になる……さっき妨害魔法を消すのに使ったから、まだ使えない……」
君子にこんな物が施されているなら、妨害魔法は消さなかった。
完全に失態だ、ジャロードはそこまで計算してやったのではないだろうが、運までも彼に味方をしている。
悔しそうに下唇を噛む時子の肩を掴んだのは、ムローラだった。
「僕が解く、接触型の特殊技能は呪いと同じだ」
ムローラの得意分野は補助魔法と呪いをかける事と解く事、この接触型の特殊技能『共有』は、一種の呪いだ。
ムローラは自身の特殊技能『分析』を発動させると、浅葱色の魔法陣を展開させる。
「索敵魔法『研究』」
魔法陣が輝くと、君子の体にいくつもの文字が現れる。
これが特殊技能『共有』の全貌であり、これが君子とジャロードの命を繋げているのだ。
「酷い、これは命の共有なんて言っているが、実際はダメージだけを共有しているんじゃないか! ジャロードには致命傷じゃなくても、キーコちゃんが死ぬ可能性だってある!」
獣人は人間よりもタフだ。
そう簡単には死なない種族だが、異邦人で凡人の君子はそうではない。
例えジャロードが死ななくとも、重度の怪我を負えば君子が先に死んでしまう。
「なんだと……」
「とにかく、ジャロードに攻撃をしちゃ駄目だ!」
「攻撃せずに……魔王と戦えというのか、随分な要求だ」
しかし君子が受けた痛みは今まで感じた事の無いもので、傷が無くなっても泣いていた。
「うっうえっ……痛い」
「……君子」
泣く彼女の手を、時子は悔しそうに歯ぎしりしながら握っていた。
「とにかく、呪いが解けるまで防戦に徹するのじゃ!」
「くそぉ……」
「……仕方あるまい」
フォルドとギルベルトとアルバートは、それぞれの武器を構える。
「フハハッ、私を傷つけずに堪え凌ぐ事が出来るかなぁ!」
ジャロードは右手を向けると、赤い魔法陣を展開させた。
「赤魔法『火炎矢』」
輝きと共に、いくつもの炎の矢が形成され、炎の矢は放たれた。
「――散れいっ!」
フォルドの怒号と共に、ギルベルトはグラムで防ぎ、アルバートは特殊技能で、フォルドは走り抜けて、それぞれ避ける。
「フハハハッ、いつまで避けられるかなぁ!」
ジャロードは、更に魔法を放とうとしたのだが――。
「うるああああっ!」
怒号と共に、ギルベルトが接近して来た。
逃げまわるふりをして、ジャロードの死角を突き接近したのだ。
ギルベルトは魔法を放っている右手を掴むと、そのまま背後に回り一気にホールドする。
「ぐっ――っ」
ギルベルトはジャロードの頭の後ろでしっかりと手を組んで、完全に拘束した。
脇をしめられては、魔法を放とうにも狙いを定められない。
「キーコの呪いを解くまで、大人しくしやがれぇぇ」
このまま魔法を放たれ続ければ、攻撃が出来ないこちらが圧倒的な不利。
呪いさえ解ければジャロードを倒せるのだから、それまで拘束すればいいのだ。
「フッ……フハハハッ、羽交い絞めとは……私もなめられたものだなぁ」
「ンだとぉ……っ!」
ギルベルトは全力で抑えていたのだが、徐々に手を組んでいられなくなって来た。
A+というギルベルトの馬鹿力をもってしても――、彼を抑えていられないなど、ありえない。
「魔法使いは力がないと思ったかぁ! この私はベルカリュースでも有数の腕力を持つ種獣人だぞぉ、この程度で抑えられる訳がなかろうが!」
怒号と共に、ジャロードは両腕に力を込めて、振り払う。
まさか羽交い絞めを破られると思っていなかったギルベルトは、ジャロードの攻撃に対する反応に遅れた。
「緑魔法『暴風刃』」
緑色の魔法陣が展開されると、空気が圧縮されて刃が形成される。
ギルベルトはとっさにグラムを構えたが、風の刃が放たれた。
「ぐおっ――」
間一髪、グラムの黒い刃がその一撃を受け止めた。
あとコンマ数秒遅れていたら、胴体が切断されていただろう。
しかし――、防いだというのにジャロードはほくそ笑んでいる。
その意味を考える暇はない。
刹那、風がギルベルトを斬り裂いた。
「がはっ――」
この魔法は風を圧縮した刃を放つもの、風の刃は常に目に見えない風をいくつもまとっていて、一つ一つは弱くとも複数当たれば十分な威力がある。
ギルベルトは風に両腕や肩、更には腹を裂かれ、衝撃で吹き飛ばされて床に倒れた。
「ぐっ……ぐあっ」
腹や腕の傷はかなり深く更に吐血もあり、戦闘不能に陥るほどだ。
「ギルベルト王子殿下!」
「ちっ……あの魔法にあの腕力、獣人の魔法使いはかなり面倒だぞ!」
ジャロードは魔法使いだが、同時にハイイロオオカミの獣人としてのタフさと腕力を持ち合わせている。
多くの魔法使いが紙耐久と罵られる中、これはかなり異例といえよう。
「さぁ、次は貴方の番ですぞアルバート王子殿下ぁ!」
ジャロードは右手をアルバートへと向けると、赤い魔法陣を展開する。
「ちっ――」
「赤魔法『火炎砲』」
魔法陣が輝くと、真っ赤な炎が射出されてアルバートへと向かう。
迫りくる火炎をしっかりと見つめると、特殊技能『絶対回避』で避ける。
「お前の魔法は私には効かぬぞ、ジャロード!」
眼で見て認識していれば回避する事が出来るアルバートにとって、ジャロードの三型魔法を避けるのはたやすい事。
注意して見ていれば、このまま時間を稼ぐ事だって出来る。
しかしジャロードは右手を向けると、橙色の魔法陣を展開する。
「爆発魔法『大爆裂』」
まばゆく輝く光の球体、アレに当たれば途端に爆発するだろう。
速度は速いが、アルバートは完全に見切っている、特殊技能をつかえば余裕で避ける事が出来る。
「馬鹿の一つ覚えだ」
「果たして――どうかな?」
アルバートの後方には、君子と時子とムローラがいた。
時子が迫りくる魔法に反応しようとしていたが、君子の手を握っていたせいで完全に出遅れている。
ムローラは呪いを解くので手いっぱいで、とても防ぐ事は出来ない。
こんな規模の魔法が当たれば――君子が死んでしまう。
「なっ――」
ジャロードは分かっている、この一撃を避ける訳にはいかない事を――。
光の球体はアルバートに当たり、そして爆発した。
「アルバート王子殿下ぁ!」
大きな揺れと衝撃波が、この大きな広間中に拡散する。
ムローラが顔を上げると、酷い熱傷を負ったアルバートが吹っ飛んでいた。
「ぐはっ……」
床に倒れたアルバートは、立つどころか指一本動かす事も出来ない。
ギルベルトよりも圧倒的に強く、特殊技能によりかすり傷一つ追わない彼が、これほどまで重症を負うのは初めてだ。
「ふははっ、オールAランカーとは言え、我が策の前ではこの程度よ」
「何が策じゃ、こんなもの戦いでもなんでもない、貴様は弱者を盾に戦う外道じゃ!」
フォルドは斧をジャロードへと向ける。
今まで事あるごとに対立して来た二人だが、こうやって得物を交えるのは初めてだ。
「フォルド貴様は甘いのだ、我々は戦争をしているんだ人を殺す事はすなわち外道、いくら言葉で飾っても、所詮は悪だ! それを美化するでない阿保ぅがぁ!」
「この魔王の面汚しめがぁぁぁぁ!」
フォルドは怒号を上げると、ジャロードへと走る。
「青魔法『水流球』」
水の砲弾を射出するが、大斧を振るった衝撃波で払いのける。
風圧だけでこの威力、斧そのものを食らえば、真っ二つに切り裂かれるだけでは済まないだろう。
「ちっ、流石は剛の魔王か!」
「この程度の魔法、儂の前では雨水と同じぞ!」
「くっ……『明王』か」
特殊技能『明王』。
普通型のランク5のこの特殊技能は、『剛力』『金剛』の上位互換に当たる。
魔力を使わず己の体を強化し、ランク5ともなると片手で馬を数頭持ち上げる事など造作もない。
ギルベルトには勝てても、フォルドのこの規格外の腕力には敵わない。
「呪いが解けるまで、拘束してくれるわ!」
フォルドに羽交い絞めにされれば、絶対に逃れる事は出来ないだろう。
ジャロードは何とか迫りくる彼を迎撃しようと、右手を向ける。
「緑まほ――」
「おそいわぁ!」
しかしフォルドの方が早い、魔法陣を形成する前に右手を掴んだ。
魔法が発動しなければ圧倒的有利、フォルドはすぐさまジャロードのホールドに入る。
「ちぃ――」
ジャロードは自由な左手を動かした、殴り掛かるかと思ったが自身の右腕を掴む。
そしてジャロードは、自分の右肩関節を外した。
肩関節を外す、つまり脱臼させた所でフォルドを振り払う事は出来ない。
そんな事をした所で普通は意味がない、しかし例え自身でつけたものであろうと、ダメージはダメージ、彼のダメージは全て君子も負う。
「あああああああああああっ――――」
耳をつんざくような、君子の悲鳴が響く。
戦場で絶対に響く事がない声に、フォルドは反応してしまった。
時間にして一秒にも満たない、コンマ数秒だけ固まった。
そのほんのわずかな時間が、生死を分ける。
「暴風は吹き乱れ、我が敵を斬り刻む」
緑色の魔法陣が展開されて、四型緑魔法が発動する。
「緑魔法『暴風斬破』」
人など簡単に飛ばせる暴風は纏っていて、鉄でも簡単に裂く真空の刃がフォルドを襲う。
「ぐはっ――」
風はフォルドの手足を裂き、そして脇腹に穴を穿つ。
それは――誰がどう見ても致命傷。
真っ赤な血を噴きながら崩れるフォルドを見て、ムローラは驚きと恐怖が混じりあった、絶望の顔をしながら叫ぶ。
「フォルド様あああああああああああああっ!」
いくら人質を取られているとはいえ、AランカーとオールAランカー、そして魔王の三人がかりでも倒す事が出来ないなんて――もうどうする事も出来ない。
「だから言っただろうフォルド、貴様は甘いとなぁ……フッハハハハハハハっ」
ジャロードは脱臼させた肩を戻しながら、崩れ落ちた宿敵を見下ろす。
勝者は高らかに――笑う。
「さあぁ、次に死ぬのは誰だ?」
その笑みは、本当に邪悪そのものだった。




